神話伝説その他

神話・伝説・昔話の研究・翻訳ブログ。日本・台湾・中国がメイン。たまに欧州。

April 2011

逆さ読み『風土記』 逸文 若狭国 若狭国一宮

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風土記云△昔△此國有男女△爲夫婦△共長壽△人不知其年齡△容貌壯若如少年△後爲神△今一宮神是也△因稱若狹國云々(倭漢三才圖會七十一)

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若狭一宮の伝承。福井県小浜市です。
ある夫婦が非常に長寿であって、しかもその容貌は若者のようであった、そういう内容ですね。

不老長寿。八百比丘尼伝承とも通じる伝承ですが、こちらは神となっている。
夫婦だったからこそかもしれません。

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北陸に集中的に不老不死伝承や常世国伝承が存在しているのはなぜなのか?
今現在はあまり良い案は浮かびません。

とりあえずウィキで若狭彦神社について調べてみました。
現在では若狭彦=彦火火出見、若狭姫=豊玉姫と見なされているようですが、後付でしょう。

とは言え神社の文様は「宝珠に波」とのことで、所謂シオミチノタマ・シオヒノタマが想起される、と書かれています。
でも海の呪宝、或は海神の神体が珠や石であることは九州から関東まで見られることです。

つまり、上記風土記逸文には全く触れられていませんが、やはり若狭彦・姫の長寿には海の呪力が関わっているらしい。

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社伝が引かれていますが、二神は遠敷郡下根来村白石の里に現れたとか。そして姿は唐人のようであったといいます。

浦島伝承のところでちょっと触れましたが、「伝承に中華風の装いが施されるのには理由がある」という私の発想はここでも間違っていないと思われます。
つまり、不老長寿の源である海中異界は、この世とは違う異国風の世界である、という発想があるのだと思うのです。そして当時の日本人にとって異国風と言えば古代中華的な世界であったと。

「白石」なる土地に示現したといいますが、白い石が変化したとかそういう民間伝承があると面白くなってくるのですが。

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その他メモ的に。

・この神社の神宮寺である若狭神宮寺には東大寺二月堂「お水取り」神事に先立って、「お水送り」神事がある。これは東大寺に旅行に行ったときにもちょっと調べました。

・東大寺ついでに、というわけでもないのでしょうが、良弁杉伝承の良弁も同地の出身?良弁が「鵜の瀬」の水を懐かしんだことから、上記の「お水送り」をするようになった。などという伝承もあるようです。(小浜市HP)

・この若狭彦神社がある福井県小浜市の空印寺には「八百比丘尼入定の洞窟」というものがある。
やはり八百比丘尼伝承の一つの中心地であるようです。
かたや人魚の肉、かたや宝珠に波&唐風の装い。雰囲気が違う気もしますが、深いところでつながりがありそうですね。

逆さ読み『風土記』 逸文 越後国 ヤツカハギ

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越後國風土記曰△美麻紀天皇御世△越國有人△名八掬脛@其脛長八掬△多力太強△是土雲之後也@△其屬類多(釋日本紀卷十)

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越後の国に住むヤツカハギという土蜘蛛の伝承です。
脛の長さがヤツカ(拳八つ分)というわけですが、私は五つ分ぐらいだったのでかなり足が長いということになるでしょう。

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まあそれだけの話なのですが、土蜘蛛伝承というのは私が現在追っている台湾原住民の小人伝承と関係がある、と一時期考えられていました。

他の伝承では「洞窟に住んでいる」などと言われることもありますが、台湾の小人も洞窟に住んでいることが多い。少なくとも小人伝承が最も豊富であるサイシャット族では小人は洞窟に住んでいました。
また「力が強い」というのも台湾小人伝承でよく語られる小人の特徴です。

しかし、台湾の小人は「小人」と翻訳されるぐらいですから小さいわけです。一メートルから70センチぐらい、というのが多いので、ヨーロッパ的な小人や日本の小さ子譚の代表のように言われる一寸法師、或はスクナヒコナなどと比べてもずいぶん大きいのですが、それにしても人間に比べると小さい。

にもかかわらず土蜘蛛伝承との関係性が言われていたというのは、所謂「先住民伝承」というつながりからでしょう。土蜘蛛伝承は先住民伝承でもあります。
そして土蜘蛛伝承と東北などに濃厚に伝わっている山人伝承を結びつけて、「日本には先住民がいた」という議論を展開したのが柳田國男でした。

その議論の過程ではアイヌのコロボックル伝承なども言及されていますが、コロボックルは確かに小人です。
「ならば台湾の小人も関係あるだろう」。
当時柳田國男の権威たるやほとんど日本民俗学の始祖神的な扱いだったと思われ、彼の取り巻き達は台湾の小人伝承を知ってすぐに柳田説に迎合しようとした・・・そういう想像はできます。

この辺、台湾原住民神話研究の大家である山田先生が既に書いています。いや、ずいぶん前に読んだので、わたしが上に書いたようなことが書かれていたかどうかは定かではありませんが。

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しかし、土蜘蛛伝承にしても台湾の小人伝承にしても、先住民というかどうかはともかく、異民族伝承であるというのは事実です。その意味ではコロポックルも異民族伝承。

だとすると、興味深いのは、「何故日本の山中異民族は長身だと考えられ、アイヌと台湾の異民族は小人だと考えられたのか?」ということです。

この辺、台湾の小人伝承もそこそこヴァリエーションがあるのであまり断言は出来ませんが、小人の場合は「呪術」「呪詛」の能力を持っているといわれる場合があります。コロポックルも立ち去り際に呪詛をかけて十勝平野を不毛の土地に変えた、などという話があります。

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逆に土蜘蛛の場合は長身であるという点が強調される。
そしてそれに対するヤマト王権側は呪術的な攻撃で土蜘蛛を殺したりします。

この辺のねじれ具合。
「過去の異民族」に対する観念の違い、ひいては語り手自らの正統性の違いが横たわっている気もします。

土蜘蛛伝承はこの先何回も登場すると思うので、その都度考えて見たいと思います。

逆さ読み『風土記』 逸文 丹後国 奈具社

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本文省略

(古事記裏書・元々集卷第七)

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奈具社の起源伝承。

比治山頂の真奈井に降りてきた八人の天女のうち、和奈佐老夫・和奈佐老婦夫妻に衣を隠された一人だけが地上に残った。天女は万病に効く霊酒を作ることが出来たので、夫婦の家は富み栄えたが、十余年後夫婦は天女を我が子ではないから立ち去れと追い出す。天女は人間界に長く住んだせいで天界に帰ることができず、放浪する。「心が荒潮のように騒ぎ立つ」と言った土地は「荒塩村」、槻の木にすがって泣いた場所は「哭木村」、「ここまで来て心が和んだ」と言った場所は「奈具村」となった。この神は竹野郡奈具社の豊宇賀能売命である。

序盤は典型的な天人女房型でありながら、妻になるのではなく養子となっています。後半は高貴な存在が苦しい漂白を続けるという所謂貴種流離譚ですね。

神の起源伝承なわけですが、何かしらご利益があっての祭祀起源ではなく、神自身の魂を慰めるという鎮魂的な信仰の開始を語っています。
この神社は現在の京丹後市弥栄町舟木にあったそうですが、既に社殿は存在していないとの事。

ところで、そこから南西へ20キロぐらいでしょうか?京丹後市のHPによると山中に乙女神社という神社があるそうで、こちらは天女と猟師が結婚し、その子孫であると伝える家もあったとか。そこにお参りすると美女がうまれるそうです。

つまりごく近くに通常の天人女房譚が存在している。奈具社の伝承を話型として捉えて設定できるものか、考えてみる必要があるでしょう。天人養女型?ともいえる事例が全国的にどれほど採集できるのか?
天女が天に帰ることができない。或は異界の存在が人間界に留まって神となるという伝承についても考える必要がありそうです。
たとえ単独例であったとしても、いや、単独例であるならばなおさら興味深い事例であると言えるでしょう。

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しかし話の分析についてはあまり良い発想は浮かびません。
天人女房譚に引きずられてしまうからでしょうか?近くに典型的な天人女房譚を伝える神社があるとなればなおさらです。

ならば、ということで、『辞典』の「貴種流離譚」の項目を読み返してみました。
すると、「記紀における神の人間界での流離にはまだ悲哀があまり打ち出されていない」とか「奈良平安期に大陸からの文献に刺激を受けて文学性が高まる」とか「一つの絶頂は『源氏物語』須磨明石」などと書かれていましま。
なるほど。でもこれじゃ冷静に読んでみると日本独自とも古代から続くとも言えないじゃありませんか?

しかし、ということは「奈具社」の伝承は古代的とはいえないということになりますね。
ならば、むしろ近縁性が近いのは古代的且普遍的な神話である天人女房譚よりも、中世の寺社縁起ということを考えてもいいはずです。

中世の寺社縁起。興味はあるもののなかなか本格的に取り組む機会が無いのですが、その程度の知識でまとめてみると以下のような感じでしょうか?

1主人公は神仏の申し子。
2継子いじめ或は正妻との確執などにより流浪したり殺されたり。
3最終的には神として現れる。

奈具のトヨウカメは神仏の申し子ではありませんが、天女です。つまり神聖性を帯びた存在である。1はこれによって置換可能でしょう。
無理やりとは言え養女であるという立場から2の継子いじめ的な要素もある。
そして神として祭られる。

つまり「奈具社」伝承は中世寺社縁起の先駆け的な事例であると位置付けることが可能だということになると思います。
また中世寺社縁起では主人公が神仏を熱心に信仰していたなどという「厚い信仰」が神になる理由になっていると思われますが、「奈具社」伝承では「天人のこころざし」なるちょっと何処から出てきたのかわからないような道徳性?が神として現れる理由になっているようです。序盤盗んだ羽衣を返して欲しいといった天女と老夫婦の会話はその辺を示すためのものだと考えれば違和感が軽減されると思います。

しかし「天人のこころざし」などという物言いが後付的に見えることは変りません。その意味ではやはり既に古代を脱しているのかも。
しかし2の要素に当るものというのはヤマトタケルと父景行天皇との確執などもあるでしょう。そもそも継子いじめ自体民間的なモチーフですし、「家族関係の不和」というのは普遍的な問題として存在している。それを通じて「天女が神になる」という辺りが、実はこの伝承の、あるいは中世寺社縁起の神話的な側面なのかもしれません。

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どういうことかというと、超人的な能力を持つ異人或は英雄というのはそれだけでは両義的な存在だからです。彼らは人間と接することで、人間に恩恵を与えることで神になる。文中に御利益などはかかれていませんが、実際の信仰の文脈ではやはり意識されたと思います。

中世寺社縁起では人間に恩恵を与えるという部分が薄く、それが「自身の信仰の功徳」に置き換わっているのかもしれません。信仰を促すための物語という側面が強いですからね。

さてここまでくると分析に入れそうな気がします。

A天女は八人で山中の泉に降り立った。
B天女は老夫婦と家族になり霊酒を作り、それを高いお金で売ったので老夫婦は裕福になった。
C天女は家を追い出され、各地を遍歴し、神となった。

物語はABCと進みます。
天女の境遇は、「多くの天人の一人」→「家族の養女」→「一人」と変化する。
天女の恩恵は、「なし」→「家族を裕福に」→「農耕神トヨウカメに」と変化する。
つまり、天女自身が孤独になっていくのに反比例して、天女の恩恵を受ける人々は実は多くなっているのです。だからこそ神として祭られる。

霊酒は万病に効きますが、それは高く売っていたもので、それではお金の無い人々には行き渡りませんね。またそのお金を得た老夫婦も富を独占し、天女自体も疎ましくなって追い出してしまう。

しかしその理不尽を経験することによって天女は単に霊力がある異人であることをやめて神となるわけです。
各地を遍歴するというのも貴種流離譚の文脈で捉えるとどうにも文学色が強くなってしまいますが、信仰の広がりを表していると見てとることも出来るでしょう。村の地名起源が特定の神と結びついているというのはその村がその特定の神を信仰していなければありえないことです。

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さて話は一気に飛びますが、台湾原住民サイシャット族にココヨワウという女神がいます。雷女などと訳されることが多いですが、農耕神でもある。

彼女はサイシャットの男性と結婚して農作業を手伝いますが、台所仕事は一切しません。そういう約束でした。しかし岳父にむりやり命じられる。彼女は仕方なくそれに従うと鍋に触れたとたんに大きな音とともに消え失せてしまった。そんな話です。

この伝承と奈具社の伝承ではずいぶんと時空に隔たりがありますが、異界からやってきた異能の存在が人間と家族になり、それを助けたものの、人間側が次第に粗略な扱いをするようになった、という共通点があります。
そしてどちらもその後神として祭られる。
ココヨワウは人間界に留まらないので、奈具社伝承とは違いますが、そもそもサイシャットには神社的なものは基本的にはありません。

貴種流離譚からではこの類似性はあまり気がつかないでしょう。
異界からやってきた存在は人間と接することで神として信仰されるようになるのです。

貴種流離譚は文学的な意味での「人の流離(悲劇性)」から古代の信仰としての「神の去来」を遡って考えているような節がある。
むしろ、よくよく考えてみると新約のイエスが完全な「貴種流離譚」だったりしそうです。
・・・折口、あれで結構欧米文化・キリスト教文化に造詣が深かったようなので、下手をするとその辺の影響もあるのかもしれませんよ?



それにしてもこのトヨウカメ。
酒の神であり、穀物神であり、病を治す神である。
なんとなく大国主と被りますね。その意味では北陸的な神といえるかもしれません。

しかし一方でトヨウカメとは伊勢神宮外宮の神でもある。
国家レベルでは、この辺の信仰を通して日本海側・畿内・太平洋側という神々の交流が見えてくるかもしれません。

逆さ読み『風土記』 逸文 丹後国 天橋立

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丹後國風土記曰△與謝郡△郡家東北隅方△有速石里△此里之海△有長大前長一千二百廾九丈△廣或所九丈|以下△或所十丈以上廾丈以下@△先名天椅立△後名久志濱△然云者△國生大神伊射奈藝命△天爲通行△而椅作立△故云天椅立△神御寢坐間仆伏△仍恠久志備坐△故云久志備濱△此中間云久志△自此東海△云與謝海△西海云阿蘇海△是二面海△雜魚貝等住△但蛤乏少(釋日本紀卷五)

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日本三景天橋立に関する伝承です。意外にも浦島太郎伝承とほぼ同じ場所なんですね。

イザナギが天に通うために使ったのが天橋立で、寝ている間に倒れたので、「これは不思議(クシビ)だ」と言った。だからクシの浜と。

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『辞典』にも引かれていますが、神が天に通うために橋を使うというのは、『播磨国風土記』印南郡八十橋にもある伝承です。

恐らく、橋を想起させるような地形だの石だのがあり、それが天地を結ぶ橋であったと考えられたのでしょう。日本には天地分離神話自体あまりはっきりとしたものはありませんから、天地をつなぐ天柱だの巨木だのの伝承もあまりない。
天地の分離を語る神話ではなく、地形の起源を語る伝説に落ち着いてしまうのでしょう。

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後段海についての記述がありますが、蛤が少ないとあります。これは本当なのでしょうか?
蛤は川が流れ込んでいる浜辺に多く棲息するらしいですが、天橋立にも野田川という川が流れ込んでいるようですし。

「うむぎ」という古語の語源が不明なので、ちょっと自信が無いのですが、「蛤」という漢字をみてもわかるように、蛤は二枚貝の代表として使われることが多いようです。

何が言いたいのか、というと、「天地が分離した土地には、二枚貝がいない、という発想があるのかなあ」とちょっと思いついたということです。二枚貝には所謂貝柱が存在しているわけですが、天地の柱であった天橋立は倒れてしまったわけで。

まあ単なる思い付きに過ぎませんが、蛤だけを取り立てて言及しているので、何かしら象徴的なつながりがあるのかと思ったまでです。

逆さ読み『風土記』 逸文 丹後国 浦嶼子 

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引用省略

(釋日本紀卷十二)

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言わずと知れた浦島太郎の話です。『釈日本紀』の本文は長すぎるので省略。
気になるのは以下のような点でしょうか?

・丹後国与謝郡日置里は現在の宮津市ですが、筒川村は現在の伊根町。分離したということでしょうか。伊根町には浦島神社があって浦嶼子を筒川大明神として祭っているとか。ちなみに同町新井には徐福伝説のある新井崎神社あり。

・ウラシマコは日下部首の先祖。日下部氏はサホビコから発しています。『辞典』では日下部氏の始祖伝承だったのではないかとしていますが、その割には伝承のラストから考えてつながりが難しいか。むしろ祭祀の起源かな?

・五色の亀が釣れて、その亀自体が姫になるカメヒメ型。「五色の亀」「天上の仙家」「蓬莱山(とこよのくに)」「七人童子=昴星」「八人童子=畢星(あめふり)」「仙都・仙人」「狐は自分の古巣の山の方を頭にして死ぬ」など大陸の文献から入ったかと思われる言い回しが多数。

・最後に五歌。全て短歌形なので、この部分は新しいかも?

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まず日下部氏の氏族伝承であるという点ですが、まあありえるでしょう。
下は雄略天皇紀の記事ですが、この伝承がなぜ唐突に雄略紀に語られるのか昔から不思議ではありました。

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《雄略天皇二二年(戊午四七八)七月》秋七月。丹波国余社郡管川人水江浦嶋子、乗舟而釣。遂得大亀。便化為女。於是浦嶋子感以為婦。相逐入海。到蓬莱山、歴覩仙衆。語在別巻。

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ただ日下部氏の伝承として考えると、実は関係はあるのです。
雄略帝は即位に当って市辺押磐皇子(いちへのおしはのみこ)を殺しましたが、その子供であったオケ・ヲケ王を守って丹波へ逃げたのが日下部連使主(おみ)だったわけです。

つまり雄略時代、日下部氏は丹後の国にいたわけですが、その日下部氏のウラシマコが海に入って蓬莱山へ行き仙人にあったというのは、日下部氏自身とその守護するオケ・ヲケ王が祝福を受けたことを表しているのではないかと思うわけです。だから上に引用した雄略22年の記事にはウラシマ伝承の後段が省かれているのではないか、と。

まあ上記のような想像が成立するためには「ウラシマコが日下部氏の人間であるということが一般に認識されていなければならない」というのが必要ではあるのですが。

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上にも書きましたが『釈日本紀』の浦島伝承からして、どうも大陸くさいムードはあります。
ただ「大陸の雰囲気をまとうことが伝承の本質とあっていた」とも考えられる。

蓬莱山というのは中国の伝承では東海に浮かぶ仙人たちの住む山。徐福はその山へ不老不死の薬を求めて旅立ち帰ってこなかったといいます。ただ「日本にたどり着いた」という言い方がはっきりと現れるのは五代後周(951−960)の文献かららしいので、ここで議論している時代ではまだ徐福がたどり着いた土地=日本という認識は微妙。

中野先生もこの蓬莱伝承については幾つか書いていますが、例によって昔読んだ&手元に無いので良く覚えていません。
ただ「異界では時間の流れが速い」というモチーフは、中国では蓬莱山伝承=海中異界伝承ではなく山中異界伝承に多いと書いてあったように思います。
そして時代的にはむしろ記紀以前になる南朝陶淵明の『桃花源記』には『釈日本紀』にある「異界では時間の流れが速い」モチーフが現れているわけです。

『辞典』ではこのモチーフは外来だと切り捨てています。もちろんその可能性はあります。
ただ「海中異界は日本的である」というテーゼが成立するならば、そこに大陸的な山中異界譚の典型である「桃源郷」伝承のモチーフが融合しやすいというのはありえることです。

雄略紀では時間モチーフはカットされていますが、記紀成立当時既に時間モチーフを伴ったタイプが有名であったとすれば、「ウラシマコ」という名前が出ただけで想起されたでしょう。
ならば「異界から戻ってみたら時代が変わっていた」という話は、「オケ・ヲケ王の帰還」という物語ともつながっていくわけです。

まあ、そこまで考えて雄略紀にこの話を入れたのだとしたら、それはかなりすごい「伏線」です。教養豊かな記紀の編纂者たちの仕事か?はたまた、語り手たちの潜在的な神話的思考の賜物か?

『万葉集』など古代でも文献資料はありますから、そういうのも比較してみる必要がありそうですね。

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『辞典』によると丹後以外の地域でも伝説化しているそうです。
・神奈川県西蓮寺の浦島太郎塚・足洗井・腰掛石。
・木曽の寝覚床。



時間のモチーフについて補足。

台湾の原住民にも異界訪問譚と結びついた時間モチーフがあります。アミ族の海祭起源伝承。海中に女人島へ鯨に乗っていきつきますが、帰ってきたときには何年もたっており、残した妻が老人になっていた、という話です。

逆さ読み『風土記』 逸文 因幡国 武内宿禰

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因幡國風土記云△難波高津宮@仁徳|天皇@△治天下五十五年春三月△大臣武内宿禰△御歳三百六十餘歳△當國御下向△於龜金双履殘△御陰所不知△(蓋聞△因幡△國法美郡宇部山麓△有神社△曰宇部神社△是武内宿禰之靈也△昔△武内宿△禰△平東夷△入宇倍山之後△不知所終)
(萬葉緯所引武内傳)

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13代成務天皇と同年同日生まれで、16代仁徳天皇の御世まで、300年ぐらい生きたという、長寿の人。その人が因幡の宇部神社で履物を脱いで姿を消したという伝承です。

宇部神社後方の亀金山には現代にも「双履石」という石があるとか。まあ調査によると古墳石室の一部が露出したものだそうですが。
奈良の鬼の俎・雪隠みたいなものですか。

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宇部神社は因幡国一宮で、神官は伊福部氏。武内宿禰とは系譜的に関係ない氏族なので、武内宿禰を祭神とするというのは後代の付会で、元は伊福部氏の祖神を祭っていたのだろうと言われているとか。

ただ伊福部氏は一時離職したことはあるものの明治まで神主職を勤めたとか。つまり伊福部氏が自ら武内宿禰信仰を受け入れたということですね。
やはり長寿祈願の神社だそうです。

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伊福部氏は武内宿禰とは全く関係が無い。武内宿禰側も父母・子孫ともに日本海側とは関係が無い。
ではなぜ宇部神社の祭神が武内宿禰なのか?

で、思い出すことといえばやはり八百比丘尼伝承です。長寿つながりといいますか。
或は浦島伝承とも関係があるかもしれません。
長寿の人が仙人になるときに何かを残す、という伝承が『列仙伝』辺りにあって、それを利用した伝承かもしれません。

まあ民間でも、例えば遠野の「寒戸のババ」伝承なんかでは、神隠しにあったとき靴だけ残されていたなどといわれるので、「靴を残す」モチーフには人間界を離れたことを表す意味があるのだと思います。

逆さ読み『風土記』 逸文 因幡国 白兎

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因幡ノ記ヲミレバ、カノ國ニ高草ノコホリアリ。ソノ名ニ二ノ釋アリ。一ニハ野ノ中ニ草
ノタカケレバ、タカクサト云フ。ソノ野ヲコホリノ名トセリ。一ニハ竹草ノ郡ナリ。コノ所ニモト竹林アリケリ。其ノ故ニカク云ヘリ。(竹ハ草ノ長ト云フ心ニテ竹草トハ云フニヤ。)

其ノ竹ノ事ヲアカスニ、昔コノ竹ノ中ニ老タル兎スミケリ。アルトキ、ニハカ
ニ洪水イデキテ、ソノ竹ハラ、水ニナリヌ。浪アラヒテ竹ノ根ヲホリケレバ、皆クヅレソンジケルニ、ウサギ竹ノ根ニノリテナガレケル程ニ、オキノシマニツキヌ。
又水カサオチテ後、本所ニカヘラント思ヘドモ、ワタルベキチカラナシ。

其ノ時、水
ノ中ニワニト云フ魚アリケリ。此ノウサギ、ワニヽイフヤウ、「汝ガヤカラハ何ホドカオホキ」。ワニノイフヤウ、「一類オホクシテ海ニミチミテリ」ト云フ。兎ノイハク、「我ガヤカラハオホクシテ山野ニ滿テリ。マヅ汝ガ類ノ多少ヲカズヘム。コノシマヨリ氣多ノ崎ト云フ所マデワニヲアツメヨ。一々ニワニノカズヲカズヘテ、類ノオホキ事ヲシラム」。ワニ、ウサギニタバカラレテ、親族ヲアツメテ、セナカヲナラベタリ。其ノ時、兎、ワニドモノウヘヲフミテ、カズヲカズヘツヽ竹ノサキヘワタリツキヌ。


其ノ後、今ハシヲホセツト思テ、ワニドモニイフヤウ、「ワレ、汝ヲタバカリテ、コヽ
ニワタリツキヌ。實ニハ親族ノオホキヲミルニハアラズ」トアザケルニ、ミギハニソヘルワニ、ハラダチテ、ウサギヲトラヘテ、キモノヲハギツ。(カクイフ心ハ、兎ノ毛ヲハギトリテ、毛モナキ兎ニナシタリケリ。)

ソレヲ大己貴ノ神ノアハレミ給テ、ヲシ
ヘ給フヤウ、「カマノハナヲコキチラシテ、其ノウヘニフシテマロベ」トノ給フ。ヲシヘノマヽニスルトキ、多ノ毛モトノゴトクイデキニケリト云ヘリ。ワニノセナカヲワタリテカゾフル事ヲイフニハ兎踏其上讀來渡(ヨムデキタリワタル)ト云ヘリ。(塵袋第十)

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所謂因幡の白兎伝承です。記紀ではオホナムチの側から書かれているので、出来事は白兎が語る形式になっていますが、ここでは白兎がメインです。

記紀との関係性で言うと、「1こちらが古く、在地の伝承である」「2記紀が古くそれを引用したものである」という二つの見方が考えられます。これを決するのはなかなか難しいのですが、「当該地域の伝承を記紀が利用し、再び当該地域に受け入れらた」という感じかもしれませんね。

ではなぜ記紀がこの伝承を使う必要があったのかというと、簡単に思いつく答えは「オホナムチの医療神としての性格を描くため」ということになるでしょうか。もちろんそれは大いにあるでしょう。

しかしそれだけではやはり面白くない気もします。というか兎を治療する必要があるのでしょうか?怪我人が登場してそれを治療するということでいいのでは?
そもそも動物昔話のような話が国造り神話の冒頭に置かれているのは何故なのか?

私は出雲神話はあんまり調べたことが無いのであまり自信はありませんが、オホナムチという英雄神の性格を叙述する伝承であるとともに、国造りという彼の事業そのものにも深く関わる伝承のような気がします。
その意味ではこの伝承の次に語られる「八十神の迫害」の段との類似性も考える必要があると思われます。毛をむしられた兎はオホナムチによって助けられ、全身にやけどを負ったオホナムチはカミムスヒによって助けられる。

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あまり記紀との関係を深追いするとぼろが出るので、上記伝承の分析に入りましょう。
結論を先に言えば、この伝承の意味は「陸と海の弁証法」だと思われます。

高草という地名の起源として竹林があったとされていますが、分類学的にも草なのか木なのかという議論があるそうで、近縁種は草が多いとか。
冒頭洪水(津波?)によって竹林が流されたとありますが、これは『古事記』にはない記述です。記では単に「オキノシマから浜へ渡りたかった」と書かれているだけですが、この伝承ではその理由が書かれているわけです。でも竹林に兎というのは何か似合いませんね。

竹の繁殖力の強さは私自身の経験からもわかります。竹林は土を掘るのも大変です。しかし地滑りなどには弱いそうなので、地下茎を覆っている土を持っていかれは流されてしまうでしょう。
しかしそれにしても海の近くに竹林というのも少ない気がしますので大きな津波だったはずです。つまり陸と海の境目がなくなってしまった状態。原初の洪水神話を思わせるような混沌です。

一見確固たる陸地であった竹林の老兎は洪水でオキノシマへと流されてしまいます。そして帰るべく考えたのがワニを騙すことだったのです。同じモチーフはアフリカやインドネシアにもあるとか。インドネシアの民間伝承ではワニと鹿で語られるそうですが、数を数える行為にも何かしら象徴的な意味があるのかもしれません。

とりあえず言えるのはワニは島から浜まで並ぶほど多いのに対して、兎は一匹しかないということですね。海側が量的に優勢であると。
また陸の動物が海の動物を騙そうとして失敗し、襲われるわけですが、これは海と陸の二度目の対決だと考えることが出来るでしょう。そして陸の動物の特徴である毛皮をはがれてしまいます。洪水の猛威によって竹林が水浸しになってしまったことと、兎が毛皮をはがれてしまったことは象徴的には同じ意味があるでしょう。

そこにオホナムチ登場ですが、彼は蒲の花をしごいて散らしてその上に横たわるようにと教えます。蒲の花粉「蒲黄」は実際に薬になるそうなので、医療神の面目躍如と言ったところでしょうか?
それに付け加えていうならば、蒲は池沼付近に生える水辺の植物です。つまり陸地の竹は洪水には太刀打ちできませんでしたが、水辺の蒲は兎を治療することが出来る、ということですね。

海と陸という対立、洪水津波による混沌、水棲動物と陸棲動物の対立、陸棲動物は半水半陸性の植物によって治療される。「海と陸の弁証法」です。

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この記事は高草の地名由来として風土記を引いているだけなので、兎が回復したあとの事は良くわかりません。記のように「兔神」の由来譚だった可能性もあります。この地域には白兎神社なるモノもありますから。
しかしこの記述だけではその意義までは推測できません。

一方この伝承が、多少改変された状態で古事記に載っているのはなぜかというと、やはり「海と陸地の弁証法」が「水辺」に行き着くからです。もっと言うならば彼が根の国訪問後に作り上げる「葦原中国」の素地になる伝承だからです。

上にもチラッと書きましたが、記で「白兎」伝承の後に来る「八十神迫害」伝承では、オホナムチは自ら瀕死の重傷を負ってしまいますが、それを助けたのはキサガイヒメ・ウムギヒメという二枚貝が神格化した女神でした。やはり「水辺=海辺」に行き着く。

白兎神話と八十神神話はどう考えても全く類似性がありませんが、しかしオホナムチ神話・国造り神話という古事記の文脈の中で並べられることによって、連想によって新たな神話的なメッセージが浮かび上がる可能性があると思います。
「海と陸の弁証法」なんていうのは所詮私の浅知恵による名付けでしかありませんが、一連の物語として読めば「さっきは兔を治療してやったオホナムチが、今度は治療される側になっている」「海の話から山の話になった」ぐらいの事は誰でも思うことです。

此等の伝承に続くのは根の国訪問ですが、これはまた別の機会に。

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オホナムチ=オホクニヌシ伝承は王権神話である記紀からするとどうしてもわき道になりますが、国造りの神という意味では創造神に近い存在のはずです。しかし皇統にはつながらないし、物語のモチーフを見るとどこか英雄神話的なところがあるような気がしますね。
それに対して「国生み」と皇孫による「神婚による各界統治」は「生む」ことによって創造し、統治する。



ところでウィキで因幡の白兎を調べたところ、和邇=ワニ派がすごく頑張っているようですが、最近はこういう流れなのでしょうか?

大阪でワニの化石も出たそうで、まあ確かに可能性はあると思います。でも「因幡の白兎」では「数が多い」という設定になっているので、「たまに海流にのってやってきた」程度の話では兔と対等に説話に登場するような凡庸=普通なイメージに落ち着くとは思えません。

とは言え、日向神話では和邇=ワニのほうがしっくりくるというのも事実です。でも海にワニで海神宮を往来するとかならば、それこそ大量にワニの化石があるような気もします。調査の進展を待ちましょう。

東パイワン族の瑠璃珠

東パイワン族とは台湾南部に住むパイワン族の中でも特に東部に住む集団を指し、具体的には現在の台東県に居住するパイワン族のことをいいます。
今年の旧正月に偶然行った「太麻里」はこの東排湾族の居住地で、とある工房に瑠璃珠の解説があるのを発見しました。

瑠璃珠とは装飾具ですが、その穴に紐を通して主に首飾りなどに使います。正式?なものは一揃いで百二百はありますね。
現在はパイワン族の部落で良く売られているみやげ物ですが、かつてはある種の珠以外は貴族階層の占有物だったそうです。

現在みやげ物として売られている瑠璃珠はガラスを素地にして作られていますが、かつては陶器もありました。でももともとガラスの方が貴重だとされていたとか。
ガラスは溶解温度が高いので、いろいろと違う物質を混ぜて600度ぐらいで解けるように工夫したそうです。文様や色の違いによって名前が異なりその由来や意味も違います。

解説は単に意味を説明しただけのものもありますが、やはり伝承を伴って語られるモノもあります。
私が現在携帯ストラップとして使っている「目の珠」には、泥棒がその霊力によって罰せられたという説明が、書かれていました。「守護」の意味があります。
目を描くこと、特に多数描くことが魔除けになるというのは日本の民間にも存在する思考だと思います。


瑠璃珠

上が「目の珠」の携帯ストラップ。もとは地の色が緑というのが多いようです。
下は「黄珠」の腕輪。工房で記念にと頂いてきました。「黄珠」には二つ由来譚がありますが、やはり「守護」の意味で扱われるようです。

珠一つだけとか単色で用いるというのは土産用にと考案された現代的な使い方なわけですが、「お客さんが直感で選ぶと、自然と自分が求めていた意味を持った珠を選ぶことがおおい」とお店の人は言っていました。
かつて貴族の証としてセットで使われていたものが、現代では別々に個人に対して売られ、ある種占い的な意味を持ち始めているということなのかもしれません。なかなか興味深い現象ですね。

ヘイトウパイワン族と東パイワンとで意味や由来譚が異なっているものもあるそうです。
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