台北ツアー「東アジア歴史と人の移動プロジェクト」(TOSHI)


 このたび東海大学の東アジアプロジェクトで、台北とビルマ系華僑の町と
TIWA台湾国際労働協会を尋ねました。訪問前の台湾における外国人労働者の現状などについての勉強会でいろいろ知識を得ながら、言語使用の授業で学んだ多言語社会について大変興味を持ちましたので、この台北ツアーでは多言語使用を中心として自分なりに記録を残しました。訪問日は527日の日曜日で、午前中にビルマの華僑が住む町を訪れて、午後には外国人労働者を支援する団体「TIWA」を訪問して、ビルマ系華僑の人々や、フィリピンの人々と交流や様々な台湾での生活経験を聞くことができました。



■ ビルマ系華僑の町

 台北駅からMRTに乗り、南勢角駅で降りて10分ほど歩けば、中和市にあるビルマ系華僑の住む街に着くことが出来ます。ここでは現在約3万人のビルマ出身者が暮らしているといわれています。 ここを訪れたときに出会った一人のおじさん(下の写真の真ん中)が、日本語で話しをしている私たちに対して、日本語を使い話しかけてきました。流暢な日本語を使いながら私たちにビルマの町についてのことや、おじいん自身の経験などを話してくれました。話の中でこのおじさんは日本でも仕事をしていたことがあり、そのときに日本語を覚えたようです。おじさんは積極的に日本語で会話をしていたが、私たちから様々な質問をされているうちに、中国語の方がやはり話し易かったようで、日本人に対しては日本語で、台湾人には中国語で話すようになり、このときにぼくは日本人として認識されたようなので、ぼくが中国語で質問をしても返事は日本語の場合が多かったです。

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 ビルマ人華僑のおじさんと話をした後に「南洋観光美食街」に足を進め、ここでは様々な看板が中国語とビルマ語の両方で書かれていました。(もちろん英語もたくさんあった)「南洋観光美食街」の中で発見した「華語文培訓班」、中ではビルマ人に中国語を教えており、「華語文培訓班」を行っていたのは台湾に帰化したビルマ人の議員でした。ビルマ系華僑ということもあり、台湾においては様々な保障がなされているようです。この「南洋観光美食街」にしてもきちんと企画されて作られているように感じられ、台中にある「第一広場」や、この後に訪れるフィリピン人のマーケットなどと比べると差が歴然としていました。また「南洋観光美食街」には非常に多くの多言語の看板などがあって、中でも興味を引いたのが、ビルマ人が経営している商品店の中に「撮影中請微笑」(カメラ撮影中)や「禁止抽菸(タバコ禁止)などの警告が中国語のみで書かれており、ビルマ語で書かれたものはありませんでした。この店で売られている商品はビルマ人の人々が日常で使うような雑貨品や食料品ばかりでした。このビルマの観光街をひと通り歩いて気が付いたことが、観光街とは言われても8割がビルマ人のようで、商店の利用者はビルマ人架橋の人々が中心なのではと思えました。それなのに商品店にあった警告が中国語だけだったのが気になります。商品店の中で売られている商品に関しては、ほぼすべて裏にシールが貼られていて、そのシールには中国語での商品説明があり、商店以外の他の店を見ても看板には中国語とビルマの両方が使われていて、メニューでも中国語とビルマ語の両方が使われていたのです。つぎの予定であるフィリピン人のコミュニティーを訪問する前にビルマ料理のレストランで昼食を取ったときにも、はじめにあったおじさんと同じようにぼくの事を日本人だと認識した店員は、ぼくが中国語で話しかけて日本語を使ってぼくと会話をしようとしていた。

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■ 
TIWA訪問(台北中山北路)


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午後のTIWA訪問では、事前のアプローチで案内をお願いし、実際に台湾で働いているフィリピンの労働者達と交流を持つことが出来ました。中山北路のフィリピンの人々の生活圏を案内してもらった時にも様々な多言語看板があり、広範囲に渡りフィリピンの店が広がっていました。このときに直接道端で中古品の要らなくなったものを売っている露天もありました。面白いことにその露天には特になにも書かれておらず、ただ数字で50と書かれた紙が置かれているだけでした。たぶん私たちとは違い、ここではそれ以上の説明は必要なかったのだと思います。近くを案内されたときに3グループに分かれて、ひとグループごとに23名のフィリピン労働者がガイドに付き案内をしてくれました。そのときに様々な話を聞くことも出来、基本的には英語を使って会話をするのですが、通じないことも多く日本語、中国語も使いながらさまざまな話を聞きました。話の中で特に興味を引いたのが、まず英語を話せない「外労」(外国人労働者の呼称)は仕事が単純な肉体労働になり(公共工事)、条件が厳しくなることです。また、雇い主は「外労」に対して使用する言語は中国語のみならず、日本語を使う場合もあると聞いたときはさすがに驚きました。ぼくのガイドをしてくれた「オーリアン」が、自分は雇い主によく「ちょっと待て」と言われるとのことです。その他にもガイドではなかったが、私達に興味をもち途中から合流した「ジョナタン」という台湾に来て6年目になる男性のフィリピン人は、自分の雇い主は自分達に対して難しい中国語で指示してきたり、自分達がちゃんと理解できなかったりしたときには「笨蛋(馬鹿)などの悪口をよく言われ、そのおかげで中国語では悪口が一番たくさん覚えたと皮肉った冗談を言いました。台湾の「外労」に対しての言語使用は基本的には相手が理解するべきだとする前提みたいなものが存在しているのかもしれません。しかしこれが日本人などになったりすると、すごく親切でやさしい中国語を使って話そうとするのです。以上のようなことなどから今回の台北ツアーではさまざまな言語使用がなされていることを感じることが出来ました。
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ツアーの感想を書きながら思い出すこと:台灣目前的現狀

http://tw.news.yahoo.com/%E7%89%A9%E5%83%B9%E9%A3%86%E8%96%AA%E8%B3%87%E5%83%85%E5%89%A93.4%E8%90%AC-%E9%80%80%E5%9B%9E14%E5%B9%B4%E5%89%8D-104348955.html (2012323 TVBS新聞)


根據調查台灣目前的薪水已經回到十四年前的狀況,但是物價不停上漲。已經有人開始發出,台灣年輕人要趕快出去的聲音了。見以下
鄉民有話說/台灣青年低薪化 朱學恆籲年輕人「趕快走」(2012/07/25) http://www.nownews.com/2012/07/25/pda-91-2837950.htm

  

  另外,台灣的高階人才也開始受到鄰近國家的薪資吸引,開始出走了。
大陸5倍薪挖角 台灣高階人才大失血
  
  
  

台灣人其實和在台灣的外籍移工一樣,我們都開始得離開自己的家鄉,尋找工作了。為了追求「理想的生活」。(刷刷)

在「全球化」中相遇

  今年五月去台北和TIWA交流的經驗,我覺得很棒,因為是由菲律賓移工帶著大家一起分享他們的周末生活圈,能直接和移工們以及和TIWA工作人員互動。另外也一起分享了彼此的語言,也一起坐在公園吃了一顆十元,菲律賓的鴨仔蛋。(對我們來說,真是天大挑戰)

         

  接近傍晚,大家一起坐在公園裡,分享移工們來台灣以後的狀況。

  在台灣出生的我,能和移工們一起坐在台灣的某個公園裡,聊著他們來台灣的事情,這樣的相遇竟然是因為「全球化」。

  現在的我們,每一個人都生活在「全球化」和「資本主義」之中,但是,「全球化」和「資本主義」到底是什麼?它又如何影響著我們每個人的人生?「全球化」和「資本主義」有帶給我們理想的生活嗎?

  每次有機會和移工談話的時候,我最好奇的總是同樣的問題:「你為什麼要來台灣?」

  除了「因為在自己的國家沒有好的工作」或者「台灣的薪水比較多」之外,我猜想,在決定要離開自己的國家,到海外工作的動機裡,多少參雜了一些「薪水」以外的原因。

  藍佩嘉在『跨國灰姑娘』中也提到的,「殖民歷史與全球化的大眾媒體建構出一種對「理想生活」的文化想像,這種想像鋪陳出菲律賓與印尼移工出國工作的決定。(P.183)」她所採訪的對象之中,除了經濟因素之外,有些人是想要藉著工作的名義踏出自己的國家到外面的世界看看,因為覺得「可以出國是一件很光榮的事」,或者認為離開傳統的村落,到海外工作就能更接近「現代化」的世界,消費得起更多的商品,甚至有人認為到城市工作能讓「膚色變白」,或者「看起來更年輕」。

  這些對於現代化以及異國文化的想像又是來自於什麼?可能是殖民政府所植下的觀念,讓被殖民者覺得「白皮膚」、「英語」、「都市」是美好的[1]。除了殖民歷史之外,全球化下的大眾媒體也深深影響著每一個人的觀念和對美好生活的想像。

  但是,在種種因素之下,選擇成為海外移工以後,似乎就很難替自己選擇一些什麼了。因為體制下的法律很難突破,還有,他們永遠被當成「外來者」看待,就像TIWA工作人員告訴我們的:台灣的政府不會重視外籍移工的權利,是因為他們永遠不會成為「台灣人」。

  TIWA工作人員說,移工在雇主的眼中,常常只是一串護照號碼,雇主甚至不知道移工的名字。移工發生問題的時候,雇主跟仲介聯絡只需要報上一串號碼,就會知道是誰,以及這個人的所有檔案。全球化下的資本主義發展到今天,不只是產品單一化多量化失去個性,連勞動者也只剩下號碼,看不見屬於個人的部分。然後,TIWA工作人員用一個形容詞描述移工在海外的身分:「監獄裡的勞動者」。而這個「監獄」裡充滿著剝削和人權的喪失。

  移工在異地,是沒有臉孔的生產工具廉價的傭人;在家鄉,卻是不停滿足家人親戚鄰居們的慾望的搖錢樹,以及被國家塑造成的英雄[2]

  藍佩嘉寫道:「海外移工的財力展示,經常是面對家鄉觀眾期待的不得已表演。(P.225)不只在書上看過,也曾經聽過一些菲律賓移工的分享,他們說,到海外工作以後,家鄉的人對他們的經濟期望就越來越高,有時候,在海外賺到的錢,不只要滿足家人和親戚,還得滿足鄰居的要求。我一開始覺得很不可思議,但他們解釋說,因為在宗教信仰中,每個人都必須互相幫助

  但我想,除了宗教的觀念之外,移工們會告訴在家鄉的人關於自己在海外工作的實際情況嗎?家鄉的人對於移工的經濟索求,或許是因為家鄉的人無法清楚了解海外工作的實際狀況,因此他們誤以為移工們在海外賺錢是很簡單的一件事情[3]。下一代看著上一代在海外工作賺錢,於是輪到他們長大後,為了養育自己的下一代,他們也跟進,然後,成為家鄉的人的經濟來源。但這種循環是好的嗎?有可能結束嗎?

 

  這幾年,關於外籍移工這個社會現象(我不想稱之為「問題」)不停在學校以及學校外被提及,而我也有一些機會親身和這些來自異國的人們接觸,對於這個現象也終於能看見比較多面向。屏除那些國際社會中勞動力流動等等的經濟、政策的角度,透過這個現象,後來我才了解其實我們每一個人都有著很大的共同點──對於所謂「好的生活」都有著很美好的嚮往。只是影響我們形成這個嚮往的原因不同,但這些原因都深深影響著每個人在做選擇時的思考方式。 (刷刷)


 

[1]藍佩嘉『跨國灰姑娘』(2009) P.182中討論到,文化建構也深受殖民地的學校教材影響。殖民者在殖民地所運用的學校教材,會讓殖民地的人民對於殖民者的文化有所憧憬。

[2]「菲律賓政府並以『國家英雄』之名來提升海外移工的地位,將他們的名字與建國之父黎剎與阿奎諾等民族解放者並列。」 藍佩嘉『跨國灰姑娘』(2009) P.73

[3] 2012年春天,在一個小聚會中,一位菲律賓出身在台中念研究所的菲律賓女生說,小時候看著那些海外移工的小孩,都有好多玩具,她以前覺得很羨慕。可是來台灣以後,她看見移工們真實的工作狀況,她才了解到其實移工們很辛苦。另外,她還說,移工們都會在聖誕節的時候準備一大箱的禮物要給家鄉的家人。但是家鄉的人都以為移工們是一下子就有錢買這麼多東西裝成一箱,他們不知道,其實那個箱子是年初就買好了,然後每個月慢慢買東西,慢慢把它裝滿,然後才寄回家。

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