2018年09月22日

『1987、ある闘いの真実』

チャン・ジョナン監督の映画をシネマート新宿で見た。期待通り、重厚な作品である。何度かの革命を経験した韓国の映画は、このようなテーマを描けば世界随一かもしれない。革命を実際に同時代の出来事としてごく身近に経験した人々が、まだ社会の中枢で活躍しているから、自分たちの歴史の細部に至るまでリアリティがつまっているのだ。(彼らのことを、1960年代生まれ、1980年代に闘争を経験して1990年代に30台の連中という意味で、386世代と言うらしい)

結局は全斗煥大統領を倒した革命は、ソウル大学生の拷問虐殺に対する人民の怒りに発していた。

今回の映画で、特に印象的だったのは二点。まず第一に、革命が進展する節々で、本来ならば体制を支える中心にある人々、検察官とか、公安部長とか、刑務所の保安係長とか、看守といった人々の中に、独裁者の闇を暴くのに大きな役割を果たす人々がいるということである。検視を担当する医者とか、刑事法の手続きにこだわる検事とか、カトリック教会とか仏教寺院のような宗教結社も、それぞれの持ち場持ち場で専門的権威を盾に抵抗の拠点となっている。もちろん、報道も例外ではない。ただ、報道は権力から最も目を付けられやすく、したがって易々とその面目を失ってしまうのだが、同時にいったん火が付くと、最も激しく燃えて革命を呼び寄せる力にもなるのである。映画の中では、はじめ沈滞した退嬰的雰囲気に包まれていた報道部に、革命が波及し始めるありさまがリアルに描かれていた。

いずれにしろ、このことは革命が決して(単一の価値理念という意味での)何らかのイデオロギーの問題ではなく、正義と真実の問題であることを鮮やかに示している。つまり、非常に異なった価値理念を持つ人々が、真実の暴露を要求し、正義を求めるとき、革命が俎上に載せられるのである。それに対して、権力を私物化する連中は、ますます無法な暴力や暴力組織に頼らざるを得なくなる。その結果、法秩序の担い手自身の中に、大きな亀裂が走り始めるのだ。

もう一つ印象に残ったのは、拷問やリンチといった汚れ仕事を担う悪役でさえ、単なる矮小な人物ではないこと。治安本部の中でも特に「対共」と呼ばれる反共治安機関のパク所長(キム・ユンソク)は、ナチの突撃隊のような無法者たちを束ねる悪逆非道な人物ではあるが、決して私利私欲で動く矮小な人間ではなく、極めて明確な使命感に突き動かされる信念の愛国者である。脱北者でもあるこの人物を深く掘り下げて描いたことで、この作品は一段と高い品格を帯びることになった。

観客の中には、顧みてわが国の現状を嘆く声が当然上がるであろうが、これが本物の市民革命の経験を経た国と、それを経ないで形ばかりの張りぼて「民主主義」で満足している政治的後進国の違いである。
  
Posted by easter1916 at 04:28Comments(0)批評

2018年08月22日

勝海舟(山形新聞 ことばの杜)

「誰を味方にしようなどというから間違うのだ、みんな敵がいい。」(勝海舟『海舟座談』)

かつて職場で労働組合をつくったことがある。きょうび組合と言っても、親睦を深め、労使協調を図るものばかりだが、私のは闘う組合だ。私たちの要求は、「表現の自由」とか「性差別撤廃」とか慎ましいものばかりであったが、そんな最小限の人権のためにさえ、どれほど徹底的に闘わねばならないか痛感させられたものだ。職場の大ボス・小ボスとことごとく対決したので、危惧を感じた同僚は次第に遠ざかり、やがて私は完全に孤立した。

だが、みんな敵になってみると、それが存外心地よいことに気づく。とことん嫌われているので、愚劣な懇親会に出る必要も、スモール・トークに付き合う義理もない。もはやそれ以上嫌われることがないので、自分を曲げて人に合わせることはない。いかなる忖度も気兼ねも一切不要。よどんだ空気を読むこともさらにない。思えば、人に嫌われたくないばかりに、いかにしばしば不本意なことをやらされ、あらずもがなの愚行に手を貸すことだろう!

あるとき、職場の皆を集めて大ボスの訓話を拝聴する会を、私が例のごとく欠席すると伝えると、「どうしてか?」と訊かれる。「愚劣だから。愚行には手を貸すな、というのが死んだ親の言いつけです」と答えたら、周囲が凍り付くのがわかった。気の毒なことである。

最悪の奴だと思われていると、まれに気まぐれから親切をするだけで、「意外にいい人!」となる。それに対して、「いい人」という評判を維持し続けることは難しく、またやりがいもないことだ。一度でも期待を裏切ると、たちまち評判を落としてしまうからである。

周りがみな敵である状態は、まるで希薄な山嶺の空気にさらされるような爽快な孤独と自由をもたらし、幸福とは言わないまでも、少なくとも矜持を与える。

  
Posted by easter1916 at 00:53Comments(8)日記

2018年07月15日

フレーゲ周辺

カルチャーセンターの講義で、フレーゲについて語る機会に、改めてフレーゲやその周辺について自分の考えを整理してみた。以前に書いたことも多いが、まとめてみるのもいいと考えるのである。  続きを読む
Posted by easter1916 at 01:50Comments(0)哲学ノート

2018年07月04日

命題的態度の自己帰属

「私は考える」「私は見る」「私は信じる」「私は意図する」…など、これらはいずれも、命題内容を志向的内容として持つ命題的態度の自己帰属である。かかる志向的経験の自己帰属が確実な知識となることこそ、デカルト的コギトの主張の一つの眼目であった。その点について、あらためて批判的に論じてみたい。  続きを読む
Posted by easter1916 at 23:12Comments(24)哲学ノート

2018年06月28日

山形新聞ことばの杜(大森荘蔵先生)

ことばの杜(山形新聞)への投稿

私たち〔ホワイト夫妻〕を名前で呼ぶように、またその逆も許してくれるようにという申し出を、彼〔大森荘蔵〕は断固拒んだ…多くの他の日本人はこの問題に関しては柔軟になっていたが、大森は違っていた。私たちは彼のことを、一皮むけば一種のサムライであると考えるようになった。(ホワイト『日本人への旅』)

著者モートン・ホワイトは、戦後日米アカデミズムの懸け橋として活躍したプリンストンの哲学者である。本書は、戦後間もない頃から三十年ほどにわたる交流の思い出を記したものだ。その中に、何人か私自身面識のある先生方が出てくるが、とりわけ印象的なのが大森荘蔵先生の姿。先生は、ファーストネームで呼び合おうというホワイトの申し出を断固として退け、最後まで敬称を外そうとはなさらなかった。これは、他の日本人にはないところで、ホワイトに特に印象深く映ったのであろう。そこに、誇り高いサムライの礼儀作法を感じていたのだ。まさに先生の面目躍如たるところである。

時あたかも敗戦直後で、彼我の間に経済的・政治的・学術的に大きな格差が感じられていたという背景を忘れるべきではない。米国との親しさを誇示すること自体が、社会的威信のしるしとなり得た時代なのである。いまでも、誇りのかけらもない政治家たちが、米国大統領とファーストネームで呼び合い、ともにゴルフに興ずることを自慢するしまつである。何をか言はんや。

思えば大森先生は、我々とるに足らぬ学生に対しても、「あなたの仰ることは無意味なたわごとです」といったふうに常に敬語でお話しになり、御自身にも我々にも、決して馴れ馴れしさを許そうとはなさらなかった。しかも、酒に酔えば酔うほど、どんなに崩そうとしても崩せない身に付いた端正な礼儀作法が、ついつい現れてしまうといったふうであった。私は、自由な精神というものが、厳格な形と古風な作法に守られて初めて可能になることを、つくづく教えられたものである。

  
Posted by easter1916 at 01:17Comments(5)日記

2018年05月18日

パレスティナの勝利とイスラエルの破滅

私はかつて次のように書いた。

イスラエルはいずれ消滅するだろう。私は、イスラエルが何らかの形で共存する道もあるかもしれないと、以前は期待していたが、もはやそんなことは不可能である。もうこうなっては、この国家が出来るだけ速やかに歴史から消えてゆく事が、人類にとってもユダヤ人自身にとっても最善の道である。

今やこの「国家」の体を為さない暴力装置が、最後のあがきを繰り返しながら、中東やその他の地域で恐ろしい殺戮と暴力を繰りかえしている。私は、今ではこの鋼鉄製の暴力の嵐が、できるだけ速やかに、できるだけ犠牲を最小限にとどめながら、この地上から永遠に消え果ることをただ祈っている。そうして初めて、ユダヤ人同胞にも法の下の平和が与えられるであろう。「二国家共存」とか、アパルトヘイトさながらの棲み分けなど、言語道断である。そんな平和秩序の可能性は、とっくに踏みにじられているのであり、そんな幻想にすがるのは、シオニストに原則で妥協することでしかない。

この問題は決して根深い宗教対立でなく、単なる土地所有の問題にすぎない。土地を暴力で巻き上げた盗人たちと、全てを失って曠野へと駆り出された被害者の群れがあるばかりである。

かつてのオスマントルコの法秩序に似た、緩やかなイスラム法支配のもとに、多様な宗教が共存する生活圏を実現するしか、正義と平和への道はないのではあるまいか。それ以外はすべて根本的に正義に反するゆえに、おびただしい流血を生み出すだけであり、決して安定解に導くこともないであろう。

いずれこの地域から、イスラエルやサウジアラビアを含む全ての帝国主義勢力は駆逐されていくだろう。欧米は、結局極めて不名誉な役割を果たしながら、全ての利権を失ってしまうだろう。

何故そのようなことを断言できるのか? 正義に反するからである。

長々と時は流れるが、まことのことは起こる。(ヘルダリン)
  
Posted by easter1916 at 06:09Comments(0)時局

2018年05月13日

ベルクソン批判

カルチャーセンターの講義でベルクソンを取り上げたので、その点で思いついた点を記しておきたい。  続きを読む
Posted by easter1916 at 03:42Comments(0)哲学ノート

2018年05月06日

ベンヤミン『歴史哲学テーゼ将検

山形新聞「ことばの杜」への投稿

「フランス革命はローマの自覚的な回帰だった。それは古代ローマを引用した――ちょうど、流行が過去の衣装を引用するように。」(ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』将検

どうして、過去の歴史が引用できるのか? 過去のどの出来事も、その細部もろとも、それが埋め込まれた文脈につながっており、そこから切り離されれば、もはや全く別物になってしまうのではないか? 実際ベルクソンは、時間の持続を構成する出来事の「相互浸透」について語り、それを旋律に似た生命の流れと見なした。

美しくしなやかな野生動物たちなら、そのように持続の時間に身を任せ、悔いることもなく一生を全うするのかもしれない。しかし、人間が歴史を持つということは、それを引用可能な物語にすることなのである。それは古い言葉でつづられ、今の世にはもう有り得ない遠い神話の世界を描くように見える。しかし、突然それが、今まさに眼の前のことを歌っていたことに気づく。してみると、ローマの民会とは国民公会のことであり、護民官とはジャコバン派のことであり、シーザーとはナポレオンのことだったのだ…。

そのとき、歴史の法廷へと市民一人一人が召喚される。共和国の敵と戦う使命と栄光が各人に与えられる。「起て、祖国の子らよ、栄えある日は来ぬ…」(ラ・マルセイエーズ)。息を吐くように嘘を吐き散らし、税金をかすめ取って仲間うちに融通する圧政者を、いよいよ撃つときが来たのだ!今や、隠蔽改竄を繰り返す役人たちの文書に代えて、引用された過去こそが法となる。引用されてはじめて、歴史は謎の碑文であることをやめ、その真の意味を見出すのだ。同時代としての今を鮮やかに照らし出す燈火となりながら。

ナチスに追われ、ピレネー山中に果てたベンヤミン(1892〜1940)の言葉は、その引用が我々自身の燈火になる瞬間を、今も待ち続けている。
  
Posted by easter1916 at 21:34Comments(0)日記

2018年04月07日

トロツキスト

「トロツキスト」というのは、ロシア革命でレーニンに次ぐ活躍をしたレオン・トロツキー(本名ブロンシュタイン)の思想と行動に単に共鳴する人のことを指すのではない。それ自体極度に論争的な文脈と含意を持つ言葉であったし、また今でもそうである。今日、そのような文脈がほぼ消滅している中にあって、それについて論じるアクテュアリティは少ないと思われるが、私自身、一時トロツキストとして活動した時期があるし、今日でも一部そのような運動にある種のノスタルジーを感じる人もいるので、私自身の今のスタンスを明らかにしておきたいと思うのである。

私は、政治的伝統とか政治的権威というものには大きな意義を認めるものであるが、ノスタルジーのような感傷は、政治という領域においては極めて有害であると思っている。それゆえ、特定のイデオロギーの政治的意義とその欠陥を明瞭にしておくことは、今なお重要であると思う。
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Posted by easter1916 at 17:37Comments(0)哲学ノート

2018年04月06日

存在への驚嘆

ギリシアに始まる「存在への問い」とは、いかなる経験に基づくものであろうか? 哲学がそこから始まったと言われる「存在への驚き」とは、何に対する驚きであったのだろうか?

その後の歴史で付け加わったキリスト教的伝統、とりわけ中世神学的伝統においては、それは「神の創造」への驚きと解釈されることになったが、ギリシア的タウマゼイン(驚嘆)は、もともとそのような本質と区別される実存に対する驚嘆であったはずはない。中世の神学では、神の知性が観想する本質と対比して、実存の方は神の(創造への)意志に基づくとされたのである。

タウマゼインとはむしろ、ギリシア悲劇にも通底する洞察であったろう。それは、それ以前は普通のもの、当たり前のものと思われていたこの世界が、突然中心を失って瓦解するような認知逆転に対する驚きであったはずだ。アンチゴネのコロスの合唱に歌われたような人間存在の深淵(驚嘆すべきもの、デイノンとしての人間)についての認識こそが、存在へのタウマゼインの源であったのだ。

つまり、その驚きは、本質とは区別されるはずの現実存在に対する驚きなんかではあったはずがない。いったい何が出来したのか、という驚きは、いったい何が存在していたのかという問いや認知と一体のものであり、世界に対する己れの理解枠組みそのものの崩壊の認知なのである。

したがって、ここでも意味の生成変化、流動化、運動が問題なのだ。この変化と運動をどう理解すべきか、ということに存在論は発している。

それ故、もっとも単純な反応は、それは存在しない、そう見えるのは仮象にすぎないとするエレア派的ないしはプラトン的立場である。

ギリシア的タウマゼインは主として自己の理解枠組みの崩壊に対する驚きであり、とりわけ言語的存在としての自己の再発見への驚きなのである。

サリヴァン先生によって手のひらに「水」と書かれ、水という存在へと開かれたヘレン・ケラーは、ただ水が実在することに驚いたわけではない。水を「水」という文字で表現することができるという理解の枠組みに驚嘆したのだ。水の存在が真に驚嘆すべきものとして立ち現れるのは、このように意味理解の総体を引き連れて現れるときである。

私は以前から、アリストテレスの「中庸の倫理学説」を、このような意味理解を開くはずの存在者の発見として理解すべきだと言ってきた(拙著『古代ギリシアの精神』p−149以下参照)。

危険を好む性格とそれを嫌う性格とだけが、「向こう見ず」と「憶病」として知られている段階では、それらは連続している。それらはいずれも程度差にすぎない。

勇気という存在がその中間のどこかに絶妙なバランスを達成した美徳として、その積極的内実とともに発見されると、そのようなバランスを欠くものとして、「向こう見ず」と「憶病」とはそれぞれ悪徳として見えてくる。

ここでアリストテレスは、それぞれの悪徳を混ぜ合わせたり、否定したりすることで、「勇気」を規定しているのではない。勇気という一点が発見されて初めて、その欠如として、両極端が(悪徳として)規定されるのである。勇気が見いだされる前と後とでは、概念の枠組みが一変しているのである。一者(勇気の存在)こそが、多者(向こう見ずと臆病)をその否定(欠如)として規定するのであり、その逆ではない。

このようにして我々の理解枠組みを一変するような存在者の発見こそが、真に驚嘆すべきものなのである。このような発見(実存と本質双方の一変)に比べれば、本質と実存のすり切れた区別立てなど、ほとんど無意味に等しい。
  
Posted by easter1916 at 03:36Comments(13)哲学ノート