2026年05月19日
「イサクの犠牲」の言語哲学(5) アレントとローマの遺産
ギリシア人とローマ人とを比べると、その政治思想について特徴的な違いが目立つ。ギリシア人は、集団が討議しつつ団結して行動するところに常にポリスがあると考えた。それは特定の地域や領域に縛られたものではなかった。そのことはクセノフォンの『アナバーシス』を読むとよくわかる。クセノフォンたちギリシア人は、ペルシアの王子キュロスの反乱に傭兵としてはせ参じ、そこで功績をあげ、いっぱしの地位や富を手にしようという野心をもっていた。彼らの思惑はキュロス自身が戦死したことから水泡に帰したが、問題は彼らの軍団が敵地の真っただ中に孤立したことであった。そこから彼らの長距離逃避行が始まる。『アナバーシス』はその逃避行の一部始終を記録したものである。彼らは危機を乗り越えるために、そのつど会議を開き、リーダーを選び、意思統一を図りながら血路を切り開いて進み、ついに地中海に出て、故郷への道を見出す。彼らの先鋒の者が峠から海が見えるところに差し掛かり、口々に「タラッタ(海)」と叫ぶところは、彼らの喜びを伝えて感動的である。周り中敵である陸地と違って、海はギリシア人にとって勝手の知れた領域であり、帰郷の筋道が見えるところだったのである。ギリシア人にとっては、このように統一した意志を持った集団が、それ自身ポリスなのである。続きを読む
2026年05月07日
山形新聞への投稿と追補――マーク・カーニー
中堅国は互いに協力しなければならない。我々が交渉のテーブルにつこうとしなければ、メニューに載せられるだけだから。 (マーク・カーニーカナダ首相−ダボス・スピーチ)
冷戦期には、米ソ二大勢力のいずれに与するかが厳しく問われ、安易な妥協は難しかった。少しでも忠誠を欠く行動は、即「利敵行為」と見なされてしまうからである。米国のミサイル配備に抗議する反核運動や、日本の原水爆禁止運動や反基地闘争など…。しかしこれらは平和主義的理念を超えて、中小国の自主独立の悲願の現れでもあり、そのことは西欧の反核運動がポーランドやチェコの民主化運動に大きな刺激を与えたことからも明らかである。いずれも、米ソ両超大国の覇権に対する異議申し立てと見なされたのだ。
国連の下での安全保障や、WTOの自由貿易秩序が尊重されていた間は、我々の「繁栄」も「反抗」も米国の覇権の枠内に収まり得たが、これらの国際秩序や国際法がトランプの下で平気で蹂躙されるようになると、中小国は対抗上結束して新しい世界秩序を目指さねばならない。いわば巨大な「秦」に依存して生存を図る「連衡(れんこう)」に替えて、ミドル・パワーの「合従(がっしょう)」を模索するの図。カーニー首相のリーダシップが注目されるのはそこである。
しかしこれとても、突然に現れたものではない。戦後培われたカナダ外交の伝統を基礎にしているのだ。たとえば地雷廃止条約をめぐる運動。人権NGOの草の根から始まったこの運動に、カナダはいち早くオブザーバーを派遣して、一貫した支援をしてきた。こうした非公式ルートをつなぐカナダ外交の伝統は、スエズ動乱(1956)のあたりから始まっている。英連邦の一員でありながら、ナセルのアラブ民族主義運動に密かに渡りをつけ、独自外交を切り開いたのが、当時駐エジプト・カナダ大使のハーバート・ノーマンであった。イスラエルを利用してなおも帝国主義的野望にしがみつこうとしていた英・仏に対して、今顧みてもカナダの先見性が光る。ノーマン自身はやがて偏狭なマッカーシーイズムの波に呑み込まれてしまうが、彼が打ち立てた伝統は伏流としてカナダ外交部に受け継がれ、今につながる。強大な威力の前で一見無力に思える諸個人や団体の英知が、合わさり繋がってやがて大勢を動かす実例をここに見ることは、自由を切望するすべての人々に勇気と希望を与えている。
(追補)
冷戦期におけるヨーロッパや日本の人民の「独立志向」を、単なる民族主義と見るのはあたらない。少なくとも民族主義を「自国中心主義」「自民族中心主義」ととらえる限りでは。そこにはすでに、冷戦期におけるイデオロギー対立を超える世界戦略を模索する願いが含まれていたのである。例えば1960年の「安保闘争」は、一方では米ソのイデオロギーの代理戦争としてとらえられるか、「議会制民主主義」を守る(あるいは確立する)ための闘いととらえるかといった解釈が主だったものであった。全学連主流派でさえ、自分たちの闘いにおける「民族独立」の意義を十分には評価できなかった。それは彼らがマルクス主義的解釈に固執していたからである。しかし、冷戦的思考から自由になりさえすれば、それが米ソ超大国への「連衡」に替えて独自の世界戦略(「合従」)の模索であったことは明白である。
さらには「沖縄反基地闘争」。これは単なる反米愛国の民族主義的闘いではないし、ましてや「コミンテルン」から仕組まれたイデオロギー闘争でもない。やまとんちゅうと米軍によって押し付けられた被抑圧的役割をはねかえし、独自の世界戦略を模索する沖縄人民の自己主張は、いかなる意味でも「自民族中心主義」「自国中心主義」ではない。
冷戦期には、米ソ二大勢力のいずれに与するかが厳しく問われ、安易な妥協は難しかった。少しでも忠誠を欠く行動は、即「利敵行為」と見なされてしまうからである。米国のミサイル配備に抗議する反核運動や、日本の原水爆禁止運動や反基地闘争など…。しかしこれらは平和主義的理念を超えて、中小国の自主独立の悲願の現れでもあり、そのことは西欧の反核運動がポーランドやチェコの民主化運動に大きな刺激を与えたことからも明らかである。いずれも、米ソ両超大国の覇権に対する異議申し立てと見なされたのだ。
国連の下での安全保障や、WTOの自由貿易秩序が尊重されていた間は、我々の「繁栄」も「反抗」も米国の覇権の枠内に収まり得たが、これらの国際秩序や国際法がトランプの下で平気で蹂躙されるようになると、中小国は対抗上結束して新しい世界秩序を目指さねばならない。いわば巨大な「秦」に依存して生存を図る「連衡(れんこう)」に替えて、ミドル・パワーの「合従(がっしょう)」を模索するの図。カーニー首相のリーダシップが注目されるのはそこである。
しかしこれとても、突然に現れたものではない。戦後培われたカナダ外交の伝統を基礎にしているのだ。たとえば地雷廃止条約をめぐる運動。人権NGOの草の根から始まったこの運動に、カナダはいち早くオブザーバーを派遣して、一貫した支援をしてきた。こうした非公式ルートをつなぐカナダ外交の伝統は、スエズ動乱(1956)のあたりから始まっている。英連邦の一員でありながら、ナセルのアラブ民族主義運動に密かに渡りをつけ、独自外交を切り開いたのが、当時駐エジプト・カナダ大使のハーバート・ノーマンであった。イスラエルを利用してなおも帝国主義的野望にしがみつこうとしていた英・仏に対して、今顧みてもカナダの先見性が光る。ノーマン自身はやがて偏狭なマッカーシーイズムの波に呑み込まれてしまうが、彼が打ち立てた伝統は伏流としてカナダ外交部に受け継がれ、今につながる。強大な威力の前で一見無力に思える諸個人や団体の英知が、合わさり繋がってやがて大勢を動かす実例をここに見ることは、自由を切望するすべての人々に勇気と希望を与えている。
(追補)
冷戦期におけるヨーロッパや日本の人民の「独立志向」を、単なる民族主義と見るのはあたらない。少なくとも民族主義を「自国中心主義」「自民族中心主義」ととらえる限りでは。そこにはすでに、冷戦期におけるイデオロギー対立を超える世界戦略を模索する願いが含まれていたのである。例えば1960年の「安保闘争」は、一方では米ソのイデオロギーの代理戦争としてとらえられるか、「議会制民主主義」を守る(あるいは確立する)ための闘いととらえるかといった解釈が主だったものであった。全学連主流派でさえ、自分たちの闘いにおける「民族独立」の意義を十分には評価できなかった。それは彼らがマルクス主義的解釈に固執していたからである。しかし、冷戦的思考から自由になりさえすれば、それが米ソ超大国への「連衡」に替えて独自の世界戦略(「合従」)の模索であったことは明白である。
さらには「沖縄反基地闘争」。これは単なる反米愛国の民族主義的闘いではないし、ましてや「コミンテルン」から仕組まれたイデオロギー闘争でもない。やまとんちゅうと米軍によって押し付けられた被抑圧的役割をはねかえし、独自の世界戦略を模索する沖縄人民の自己主張は、いかなる意味でも「自民族中心主義」「自国中心主義」ではない。
2026年03月21日
山形新聞への投稿ならびに追補
ローマはその古の遺風によりて立てり。(エンニウス)
古代ギリシア・ローマについて考えるとき、我々は似たものと考えがちであるが、それは誤解のもと。自由で創意に富んだギリシアは我々に理解しやすい。しかしローマは、伝統に立ち返り威厳と権威を尊ぶ。この点の理解が難しい。
近年のアメリカを見ると、その頽廃は極まったかに見える。大統領が率先して法の支配を打ち壊し、祖国の最も偉大な価値を次々に破壊するのを、愚民大衆が狂気のように喝采する。報道の自由、学問の自由、軍隊の規律、憲法の精神…これらのものが弊履のごとくに蹂躙されていく。
だがそんな中で、突如として父祖たちの建国の精神がよみがえるのだ。恣意的な関税の違法性が宣言され、ICE(移民捜査局)の暴力に反対する声が巻き起こり、大統領によって繰り返された裁判引き延ばしが拒否された。二百年以上前の建国者たちの精神が繰り返し参照され、道化の王に対抗して憲法の危機がにわかに政治の争点になる。保身を図る共和党の議員も、これを無視することはできない。こうして共和国の自由は、俵一つのところで持ちこたえ、逆流が始まった。暴力に酔いしれる愚者たちの狂気に旧い伝統が打ち勝つさまは、まるでシェークスピア劇のようではないか?マクベスの悪事は次々に暴かれ、気が付けばバーナムの森があたりを包囲している。マクベスが任命した連邦最高裁判事でさえ、独裁者に反旗を翻す。それは彼らがとりわけ徳高い人士だからではない。彼らの内外に次第に高まる伝統の呼び声が、彼ら自身を動かすためである。
このドラマを観察することによって、我々は現代におけるローマの精神をつぶさに理解するのである。自由はたくみな策略や新しい勢力の中に現れるのではない。忘れられたかに見える旧い伝統の中によみがえるのだ。あれほど無力に見えた最高裁、あれほど臆病だった上院議員…しかし彼らが伝統と権威を身に帯びて立ち上がるとき、その姿は何倍にも拡大される。過去が彼らに貸し与えた権威によって人民を導くのだ。我々はみな一様に恐怖におののき、つまらぬ誘惑に乗せられて権力になびくもの。しかし父祖の精神が立現れるとき、矮小な日和見主義者、順応主義者でさえ一変する。これがアメリカ政治の真の偉大さである。
(追補)
トランプによって任命されたにもかかわらず、トランプ関税の違法性を認定した連邦最高裁判事の一人Gorsuch判事は、その補足意見の中で、議会が「個人や一党派を超えて結集した英知をとらえることができる」と述べているが、関税の歴史を見ると事はそう簡単にはいかないことがわかる。1929年の大恐慌に正気を失った議会は、1930年いわゆるスムート・ホーリー法を定めて保護主義に傾斜した。その結果、恐慌は世界大に拡大してしまう。しかしその災禍を見て議会は自らの誤りを認め、1934年スムート・ホーリー法を廃止して自由貿易に切り替えた。ここには確かに、憲法が定めた「立法過程における熟議の本性」と言えるものがある。政治家個人の決定であれば、面子や政治的野心に邪魔されて、政策を改めるのが容易ではないかもしれない(実際トランプ関税の悲惨な結果が明らかになっても、トランプ陣営はそれを改めることができない)。それゆえ、立法過程における議会での熟議の意義を強調した判事の意見は、なお妥当性を持つのだ。
しかし我々は、最高裁の保守派判事でさえ徳俵で踏みとどまった事を肯定的に述べたからと言って、彼らが1973年のロー対ウェイド判決の金字塔を覆し、人権を何十年も後退させた張本人であることを忘れたわけではない。たとえこのような後退や恥さらしがあろうとも、バスの座席や陸軍士官学校の入学に関して、人種差別や性差別と闘った人権闘争に寄り添ったアメリカ司法の司法積極主義の伝統が、このまま潰え去るなどということはあり得ないことを言い添えておく。この積極主義こそ、憲法の精神が単なる字義上の意味を超えたものであること示すものである。律法は預言者と(それゆえ福音の革命と)矛盾するものではないのだ。律法(聖典)とその権威は、「原理主義」が考えるように我々から思考を免除するものではなく、むしろ思考へと促すものだからである。
古代ギリシア・ローマについて考えるとき、我々は似たものと考えがちであるが、それは誤解のもと。自由で創意に富んだギリシアは我々に理解しやすい。しかしローマは、伝統に立ち返り威厳と権威を尊ぶ。この点の理解が難しい。
近年のアメリカを見ると、その頽廃は極まったかに見える。大統領が率先して法の支配を打ち壊し、祖国の最も偉大な価値を次々に破壊するのを、愚民大衆が狂気のように喝采する。報道の自由、学問の自由、軍隊の規律、憲法の精神…これらのものが弊履のごとくに蹂躙されていく。
だがそんな中で、突如として父祖たちの建国の精神がよみがえるのだ。恣意的な関税の違法性が宣言され、ICE(移民捜査局)の暴力に反対する声が巻き起こり、大統領によって繰り返された裁判引き延ばしが拒否された。二百年以上前の建国者たちの精神が繰り返し参照され、道化の王に対抗して憲法の危機がにわかに政治の争点になる。保身を図る共和党の議員も、これを無視することはできない。こうして共和国の自由は、俵一つのところで持ちこたえ、逆流が始まった。暴力に酔いしれる愚者たちの狂気に旧い伝統が打ち勝つさまは、まるでシェークスピア劇のようではないか?マクベスの悪事は次々に暴かれ、気が付けばバーナムの森があたりを包囲している。マクベスが任命した連邦最高裁判事でさえ、独裁者に反旗を翻す。それは彼らがとりわけ徳高い人士だからではない。彼らの内外に次第に高まる伝統の呼び声が、彼ら自身を動かすためである。
このドラマを観察することによって、我々は現代におけるローマの精神をつぶさに理解するのである。自由はたくみな策略や新しい勢力の中に現れるのではない。忘れられたかに見える旧い伝統の中によみがえるのだ。あれほど無力に見えた最高裁、あれほど臆病だった上院議員…しかし彼らが伝統と権威を身に帯びて立ち上がるとき、その姿は何倍にも拡大される。過去が彼らに貸し与えた権威によって人民を導くのだ。我々はみな一様に恐怖におののき、つまらぬ誘惑に乗せられて権力になびくもの。しかし父祖の精神が立現れるとき、矮小な日和見主義者、順応主義者でさえ一変する。これがアメリカ政治の真の偉大さである。
(追補)
トランプによって任命されたにもかかわらず、トランプ関税の違法性を認定した連邦最高裁判事の一人Gorsuch判事は、その補足意見の中で、議会が「個人や一党派を超えて結集した英知をとらえることができる」と述べているが、関税の歴史を見ると事はそう簡単にはいかないことがわかる。1929年の大恐慌に正気を失った議会は、1930年いわゆるスムート・ホーリー法を定めて保護主義に傾斜した。その結果、恐慌は世界大に拡大してしまう。しかしその災禍を見て議会は自らの誤りを認め、1934年スムート・ホーリー法を廃止して自由貿易に切り替えた。ここには確かに、憲法が定めた「立法過程における熟議の本性」と言えるものがある。政治家個人の決定であれば、面子や政治的野心に邪魔されて、政策を改めるのが容易ではないかもしれない(実際トランプ関税の悲惨な結果が明らかになっても、トランプ陣営はそれを改めることができない)。それゆえ、立法過程における議会での熟議の意義を強調した判事の意見は、なお妥当性を持つのだ。
しかし我々は、最高裁の保守派判事でさえ徳俵で踏みとどまった事を肯定的に述べたからと言って、彼らが1973年のロー対ウェイド判決の金字塔を覆し、人権を何十年も後退させた張本人であることを忘れたわけではない。たとえこのような後退や恥さらしがあろうとも、バスの座席や陸軍士官学校の入学に関して、人種差別や性差別と闘った人権闘争に寄り添ったアメリカ司法の司法積極主義の伝統が、このまま潰え去るなどということはあり得ないことを言い添えておく。この積極主義こそ、憲法の精神が単なる字義上の意味を超えたものであること示すものである。律法は預言者と(それゆえ福音の革命と)矛盾するものではないのだ。律法(聖典)とその権威は、「原理主義」が考えるように我々から思考を免除するものではなく、むしろ思考へと促すものだからである。
easter1916 at 22:46|Permalink│Comments(2)│
2026年02月27日
「イサクの犠牲」の言語哲学(4)
スターリン主義
およそ法も言語も、些細な例外があるとしても、本来は合理的なものとして我々の生活と福祉に資するものであったし、そう観念されてきた。安息日の掟のように、その運用にたまたま不都合があったにしても、律法全体が無意味になるわけではない。しかしもし、その逸脱も含めて神の意志であり、律法自身の密かな意志でもあったとすれば、それは一転して悪魔的なものになってしまう。律法を解釈する神官の誤りも、些細なしくじりも、そのような神官を配置した神の計画の一部であるのだから、どうにも神の罪は免れないからである。律法の完全性への信仰が固く、神の善意志への信頼が篤ければそれだけ、律法と神の意志のわずかな瑕疵さえも、それだけ恐ろしいものにならざるを得ない。
そして、実際の世界史の中で、象徴界Aの悪魔的転換という神学的ドラマが途方もない規模で起こった。それはボルシェヴィキに率いられたロシア革命である。それは壮大なイデオロギーに一貫して導かれた革命であったという点で、他の革命や反乱とは根本的に違っていた。
例えばフランス革命も、多くの正義の人々をギロチンへと送ったが、そこにはただ革命路線の違いがあったにすぎない。犠牲となった革命家は、己れの不運を嘆いたかもしれないが、それをたまたまの不運と見なしたのであり、歴史的必然を考える必要はなかった。ところがロシア革命は、それを導く唯一の「歴史法則」の下で闘われた。少なくともそう観念されたのである。
ボルシェヴィキの公式イデオロギーとしての「史的唯物論」は、マルクスの古典の正確な解釈に基づくものであったかどうかはともかく、歴史的決定論として受け取られていた。マルクスの背景をなす近代西洋の三つの伝統、すなわちドイツ古典哲学の伝統、イギリス経済学の思想、フランス政治哲学の経験を受け継いでいない後進ロシアという土壌が、それを歪曲したことは確かに事実であろう。これらの教養を欠き、もっぱら神学生としての教養でマルクス主義を理解したスターリンが、ロシア革命の神官として権威を独り占めしたという偶然に、すでに不吉な予感があったと言うほかない。
果たして、歴史の全体が唯物論的に決定されているという理論の骨格は、象徴界Aが完全であるということであり、それを信じる主体の意志と行動も含めてすべてがAに書き込まれているという含意を持たざるを得ない。革命的指針についての英知を掌握している「前衛」エリートという組織論は、歴史についての全知性が存在し、マルクスの理論がそれへの特権的アクセスを彼らに許しているという形而上学的前提から生じるのである。もちろん実際のマルクス主義者は、そこに複雑なフェイルセーフを置いていたに違いないが、未開なロシアの神学徒には、より野蛮で短絡的な解釈が気に入ったのであろう。
決定論を取るなら、どんな政治的決断も理論から演繹されるはずのもので、実質的に自由な決断には余地がなくなる。現実には、状況を入力するだけで結果が産出されるそんな便利な機械は存在しないのに、そういう建前で政治指導が行われるから、その「英知」の穴を「神官」が埋め合わせなければならない。それはちょうど、歴史という「存在の腹」を代行する腹話術を演ずることとならざるを得ない。スターリンは当初は書記局長というどう見てもパッとしない官職を与えられていたが、この立場は、地方党員からの情報を取り集め、それを政治局という最高意志決定機関に上げるという情報の要の位置にあり、情報を操作するという意味でも、情報を歪曲するという意味でも、まさにありもしない「歴史の意志」の腹話術に最適な立場であることが次第に明らかになっていった。実際に諸説入り乱れて決断が困難である場合、誰もが重大な決断に踏み切ることを躊躇する場面で、「歴史の意志(趨勢)はこのように伝えられてきている」という報告が、政治局の意見を左右したのは当然であろう。
このように決断者なき決断が、完全に無責任な政治、いかなる失敗も失敗と認められない政治、それゆえ経験から何一つ学び得ない政治を生み出すことになるのは必定である。さらに悪いことに、歴史があらかじめ用意している正しい道がただ一つ存在しているはずなのであるから、それに対立するものは敵であり裏切り者であるということになる。絶対的英知に基づいてなされる議論において、本来対立はあり得ないのであるから、神官が宣言した方針は絶対ということになり、失敗が明らかになった退却戦で立ち返るべき代替案は存在しない。
ここで、反対派という烙印を押されて異端審問の裁判席に引き出された被告たちの運命を見ておこう。1920年代にトロツキーが追放され、その後にジノヴィエフ、カーメネフといった小粒の指導者も相次いで失脚したのち、1938年ブハーリンは反革命の裏切り者として訴追され処刑された(モスクワ裁判)。ボルシェヴィキ内部の党派闘争については、すでにさまざまの噂が流れていたとはいえ、モスクワ裁判が西側知識人や内外の同調者たちにも大きな衝撃を与えたのは、ブハーリンがその裁判であり得ない自白をおこなったことが発表されたからである。党内でも屈指のマルクス主義理論家として知られたブハーリンが、自らの生涯にわたる思想と行動を全面的に裏切るような陰謀に手を貸すことはおよそありそうもなかったし、すでに仲間が些細な「罪」で次々に処刑されていることを知っていた彼が、万に一つもない生き残る可能性を頼んで、敵の誘いに乗ることもあり得ないことであった。かてて加えて、発行された詳細な公判記録は、スターリン官僚がでっち上げた決まり文句をただ並べ立てたものではなく、明らかに彼自身の主体的な意志と教養の片鱗を示す文章を含んでいたのである。
一言で言えば、ブハーリンは棄教者・転向者として死んだのではなく、首尾一貫したマルクス主義者として生き、その観点から自分自身の客観的役割を、党と人民に対する裏切りと認め、その罪を引き受けたのである。この点に関しては、メルロ・ポンティの『ヒューマニズムとテロル』がほぼ完璧な分析を与えているので、我々はそれに依存して話を進めることにしよう。
ブハーリンは、カントやパリサイびとのように、個々の行動の意味と功罪を、永久不変の律法によって定められたものとは考えず、マキャヴェリやヴェーバーのように、後の帰結によって左右されるものと考えるのであり、しかも歴史の不確実性の中で、罪を犯すことを怖れて決断を回避する「卑怯なともがら」の罪を、罪そのものより重いとするダンテの立場に立つ。ここからブハーリンの悲劇は生じるのだ。
メルロ・ポンティは繰り返し、特定の歴史的出来事の意味は、固定されたものではなく、後の歴史の中で変転しうることを強調した。ネップの時代(20年代)には、クラーク(農民富裕層)に妥協し、ロシアの農業を立て直す政策には進歩的な意義があった。それは農業の社会主義化の一時中断である限り、急進的政策の一時停止であり後退であったが、成就したばかりの革命を守るためには不可避の後退であった。しかし、その後スターリンの下で強引に推し進められた農業におけるコルホーズ化は、一転してクラークを敵に回した熾烈な内戦の状況を呈した(30年代)。ここでブハーリンは右翼反対派としてスターリンに敵対したのである。
しかしのちに明らかになったところによれば、客観的には独ソ戦が不可避になりつつあったのであり、その状況を踏まえれば、そこで反クラーク闘争を戦うスターリンに反対することは、ファシストに手を貸すことであり、ソ連の存立を危機に陥れることであったはずだ。もちろんヒトラーが独ソ不可侵条約を破ってバルバロッサ作戦に乗り出すなどということは、スターリン自身にも思いもよらぬことであったのだから、ブハーリンにそれは知りようがなかったのであるが、そのような主観的意識状態はボルシェヴィキにとって重視されるようなものではなかった。歴史決定論に立つ彼らにとって、実際にそのことが知られようと、知られていなかろうと、また知ることが不可能であろうと、その行為の客観的役割が決まっているものである以上、行為者はその責任を問われ得るのであった。
そのことは、やがて来たるべきスターリングラード攻防戦(1942〜1943)の歴史を考慮に入れ得た段階には、なお一層グロテスクな論理となって彼らの責任にのしかかった。30年台に反対派による分裂を克服し得ていなかったボルシェヴィキは、スターリングラードの死闘に勝利し得たであろうか?もしスターリングラードの死闘に党の団結が必須なものであったなら、30年台の時点においてもその分裂に手を貸すことは、同様に犯罪的裏切りであったろう。モスクワ裁判の1938年には、まだ独ソ戦は始まってすらなかったわけだが、やがて来たるべき大祖国戦争の運命を考慮に入れるなら、すでにブハーリンは反クラーク闘争に反対したことによって、客観的にはすでに犯罪に手を貸していたことになる。さらにブハーリンは、その闘争でクラーク層の援軍をあてにしてスターリンを追い詰めることもできたかもしれない。実際にはそうしなかったのであるが、そうする可能性が存在した以上、ブハーリンがプロレタリア革命の敵と一脈通じる差し迫った可能性が存在したのであり、その点で革命の裏切り者の烙印に値したのである。かくて反クラーク闘争に躊躇した自己自身の罪を彼は引き受ける。
ここに、歴史の全体性・完全性を信じたマルクス主義者が、歴史自身によって裏切られ、それによって自らを裁く悲劇がある。それはまた、カフカの流刑地の処刑機械が自己自身に矛盾した挙句、臣従する主体もろとも悪魔的自己否定をもたらす姿であるとも言えるだろう。
しかしスターリングラードの勝敗を判断する視点は、プロレタリアートの階級意識の中にしか存在し得ないのか?とりわけ、その意識がいまだ統一されたものになっておらず、さまざまの反対派が存在し、またそれゆえそれがいまだ可能性の一つにとどまっているときに。階級意識には、自らを歴史の中で生成していく過程があり、その過程の意識こそが階級意識そのものであるとしたら、そしてその生成の筋道自体がおおむねマルクス主義的に決定されているということ自体が、特定の歴史の瞬間にたまたま結び合った諸潮流の出会いの結果に過ぎないとしたら、有り得べき独ソ戦が、たとえ明確にナチズムという「絶対悪」を倒すという人類史的課題を負うものだったとしても、それがボルシェヴィキ型ないしはマルクス主義型に収まる必然性はない。つまり、共産主義的前衛に率いられる必然性はない。その場合、ロシアの農村の近代化はクラークの力によって強力に推し進められ、ボルシェヴィキの農村に対する支配力は事実上なくなっていたであろう。
しかしその場合でも(日本の農地解放以後の歴史に見られ得るように)農村部における巨大地主勢力が解体されることによって、都市部には高度経済成長が起こったであろう。その場合、新興ブルジョワ勢力とボルシェヴィキの間で、熾烈な政治闘争が繰り広げられたであろうが、ナチスが迫った場合に彼らがいったん内戦を休止して大祖国戦争を戦うことは不可能ではなかったであろう。ちょうど中国における国共合作のようなものである。そしてその場合でもロシアはドイツを退け得たはずである。その後に再発する内戦で、結果として新興ブルジョワが勝利するか、それともボルシェヴィキが勝利するかはわからないが、いずれにしても30年代から50年代にかけてのスターリン体制よりはましな統治が実現したであろう。何故ならクラークを除去する内戦がロシア社会に与えたストレスが、その後のロシアに呪いのように取り付いたと思われるからである。それは目覚めかけた国内市場とともに芽生えた合理的計算に基づく近代精神を窒息させ、法の支配よりテロルの常態化をもたらしたのではないか?クラークのようにこすからく小銭を稼ぐ連中の、社会に与える教育的効果は抜群である。それは丁度『桜の園』におけるロパーヒンのような連中である。社会に堅実な経済合理性が根付くためには、このような連中が大規模につつましい成功を演じて見せることが有効なのだ。その結果、美しい桜の園が醜い別荘地に変わり、小利口な者のはびこる愚者の楽園が残されるとしても、我々はそれを甘受すべきであろう。オストロフスキーのような偉大さが歴史の藻屑と消えるとも、それは永遠に消えるわけではない。
メルロ・ポンティは、あくまでもマルクス主義を、そしてこの段階ではソ連を何とか救い出そうと、苦しい弁証法に訴えている(『弁証法の冒険』の段階になると、ボルシェヴィズムそのものを捨て去ることになるのだが)。しかし、いかに弁証法の力に訴えても、唯物論がある限り、その弁証法には限界がある。我々は唯物論という実在論のくびきから自由にならねばならない。それによって、政治を自由の母体として全面的に開花させるためである。
実際にはスターリングラードの戦いは、スターリンの下で結集し、そのパースペクティヴの下で戦われた。しかしその場合でさえ、「大祖国戦争」のもとに流れ込んだ力には、スターリン主義者又はボルシェヴィキですらない者も含まれていたはずだ。隠れトロツキストも、スターリニストと同様の情熱を持って戦ったはずだ。もちろん中には、土着的ナショナリストや隠れクラークさえも含まれていたに違いない。歴史の中では、何がどう働くかなど確かに予想できるものではない。反動分子が常に反動的役割を演ずるとは限らないのだ。
しからば、他の形で戦われ得た独ソ戦もあり得たということだろう。これを否定するのは、マルクス主義の理論の権威を無批判に前提しているからにすぎない。悪と戦う道も、天国に至る道も(そして天国そのものも)一つに限ったものではないのだ。もちろんそんな道が存在するとも存在しないとも決まったものでもない。確かに見えた道が突然途絶え、すべての希望が絶えるかに見えたときにわかに現れる杣道もある、ということこそ有りそうなことなのだ。だから、カフカの処刑機械の中に、歴史の実相(神学的決定論)を見ようとすることは、致命的な誘惑に過ぎない。
かくて、歴史の全体を象徴界と見て、その真理がその中のプロレタリアートの前衛党に(そしてさらにスターリンの「英知」そのものの中に)書き込まれたものと想像したボルシェヴィキは、さながらカフカの流刑地の管理人(将校)のように、その信仰の付けを支払わねばならなかった。
そもそもそのように象徴界Aが完全なる全知を含むものであったら、我々はただその成り行きを観賞するだけでしかなかったであろうし、党や人民への献身も歴史的使命も存在する余地がなかったであろう。
しかし実際には、オルレアンの少女が聖ミカエルの声を聴いたように、歴史の声を聴く人々がいる。それは命令でも運命でもなく、呼びかけであり、問いかけである。それはしばしば肉中に刻まれた痛みとして我々に呼び掛ける。それが流刑地の囚人たちの背中に刻まれた罪の名であり、ヨブに送られた神からのメッセージであった。その苦しみの暗号を受け取り、その意味を解読しなければならない。そこに我々の自由が存在する。ヨブの苦しみ、イエスの十字架、イサクの犠牲は、その自由の代価である。
言語の代価として犠牲が支払われると言ってもよいが、本当は順序が逆なのである。苦痛が先ず存在し、それが意味への問いを喚起し(『ヨブ記』の場合)、その問いが、神からの問いと受け止められ(ジャンヌダルクの場合)、その解読が象徴界Aの穴を埋め、(暫定的に)新たな象徴界を生み出す(革命的法創造)のである。
水俣病で苦しむ人々の背中に刻まれた暗号は、何と書かれていたのか? 単に「法を守れ」であったはずはない。法こそが、完全性を装いながら、彼らの癒しがたい苦しみの中で、その不完全性を告知していたからである。「合法的」に垂れ流されている公害毒――それを自然であり、有益だと言い募る言説の欺瞞――ここに正義を約束した律法が、不正に転化する瞬間がある。まことにチェスタトンが言うように、真に伝統を保守するためには革新を続けなければならないのだ。それというのも、「人間の作り出したあらゆる制度は、すさまじい速度で老化するからである」(『正統とは何か』邦訳p−209)。
我々は、律法の摩滅、言語の欺瞞をその苦しみによって受け止め、危機の中で応答する。我々は、歴史が与える役割をただ歯車のように果たすだけの存在ではなく、己れの存在をかけて解読し、リスクを引き受けて応答する存在――こうして、過去からの委託を受け取って未来へと受け継ぐ存在、不完全な象徴界Aの中でかろうじてコミュニケーションの輪をつなぐ存在なのだ。
その解釈がたまたま誤り伝えられようと、砂漠の中に消え入る川のようにむなしく途絶えようと、未踏の荒野の中には、そのこと自体に学ぶ者もいるだろうと期待して、自分なりの伝説の一環を担うしかない。勝利も敗北も、永続するものではなく、次の勝利のための礎石にすぎないからである。それこそが有限性を生きる我々の覚悟である。
およそ法も言語も、些細な例外があるとしても、本来は合理的なものとして我々の生活と福祉に資するものであったし、そう観念されてきた。安息日の掟のように、その運用にたまたま不都合があったにしても、律法全体が無意味になるわけではない。しかしもし、その逸脱も含めて神の意志であり、律法自身の密かな意志でもあったとすれば、それは一転して悪魔的なものになってしまう。律法を解釈する神官の誤りも、些細なしくじりも、そのような神官を配置した神の計画の一部であるのだから、どうにも神の罪は免れないからである。律法の完全性への信仰が固く、神の善意志への信頼が篤ければそれだけ、律法と神の意志のわずかな瑕疵さえも、それだけ恐ろしいものにならざるを得ない。
そして、実際の世界史の中で、象徴界Aの悪魔的転換という神学的ドラマが途方もない規模で起こった。それはボルシェヴィキに率いられたロシア革命である。それは壮大なイデオロギーに一貫して導かれた革命であったという点で、他の革命や反乱とは根本的に違っていた。
例えばフランス革命も、多くの正義の人々をギロチンへと送ったが、そこにはただ革命路線の違いがあったにすぎない。犠牲となった革命家は、己れの不運を嘆いたかもしれないが、それをたまたまの不運と見なしたのであり、歴史的必然を考える必要はなかった。ところがロシア革命は、それを導く唯一の「歴史法則」の下で闘われた。少なくともそう観念されたのである。
ボルシェヴィキの公式イデオロギーとしての「史的唯物論」は、マルクスの古典の正確な解釈に基づくものであったかどうかはともかく、歴史的決定論として受け取られていた。マルクスの背景をなす近代西洋の三つの伝統、すなわちドイツ古典哲学の伝統、イギリス経済学の思想、フランス政治哲学の経験を受け継いでいない後進ロシアという土壌が、それを歪曲したことは確かに事実であろう。これらの教養を欠き、もっぱら神学生としての教養でマルクス主義を理解したスターリンが、ロシア革命の神官として権威を独り占めしたという偶然に、すでに不吉な予感があったと言うほかない。
果たして、歴史の全体が唯物論的に決定されているという理論の骨格は、象徴界Aが完全であるということであり、それを信じる主体の意志と行動も含めてすべてがAに書き込まれているという含意を持たざるを得ない。革命的指針についての英知を掌握している「前衛」エリートという組織論は、歴史についての全知性が存在し、マルクスの理論がそれへの特権的アクセスを彼らに許しているという形而上学的前提から生じるのである。もちろん実際のマルクス主義者は、そこに複雑なフェイルセーフを置いていたに違いないが、未開なロシアの神学徒には、より野蛮で短絡的な解釈が気に入ったのであろう。
決定論を取るなら、どんな政治的決断も理論から演繹されるはずのもので、実質的に自由な決断には余地がなくなる。現実には、状況を入力するだけで結果が産出されるそんな便利な機械は存在しないのに、そういう建前で政治指導が行われるから、その「英知」の穴を「神官」が埋め合わせなければならない。それはちょうど、歴史という「存在の腹」を代行する腹話術を演ずることとならざるを得ない。スターリンは当初は書記局長というどう見てもパッとしない官職を与えられていたが、この立場は、地方党員からの情報を取り集め、それを政治局という最高意志決定機関に上げるという情報の要の位置にあり、情報を操作するという意味でも、情報を歪曲するという意味でも、まさにありもしない「歴史の意志」の腹話術に最適な立場であることが次第に明らかになっていった。実際に諸説入り乱れて決断が困難である場合、誰もが重大な決断に踏み切ることを躊躇する場面で、「歴史の意志(趨勢)はこのように伝えられてきている」という報告が、政治局の意見を左右したのは当然であろう。
このように決断者なき決断が、完全に無責任な政治、いかなる失敗も失敗と認められない政治、それゆえ経験から何一つ学び得ない政治を生み出すことになるのは必定である。さらに悪いことに、歴史があらかじめ用意している正しい道がただ一つ存在しているはずなのであるから、それに対立するものは敵であり裏切り者であるということになる。絶対的英知に基づいてなされる議論において、本来対立はあり得ないのであるから、神官が宣言した方針は絶対ということになり、失敗が明らかになった退却戦で立ち返るべき代替案は存在しない。
ここで、反対派という烙印を押されて異端審問の裁判席に引き出された被告たちの運命を見ておこう。1920年代にトロツキーが追放され、その後にジノヴィエフ、カーメネフといった小粒の指導者も相次いで失脚したのち、1938年ブハーリンは反革命の裏切り者として訴追され処刑された(モスクワ裁判)。ボルシェヴィキ内部の党派闘争については、すでにさまざまの噂が流れていたとはいえ、モスクワ裁判が西側知識人や内外の同調者たちにも大きな衝撃を与えたのは、ブハーリンがその裁判であり得ない自白をおこなったことが発表されたからである。党内でも屈指のマルクス主義理論家として知られたブハーリンが、自らの生涯にわたる思想と行動を全面的に裏切るような陰謀に手を貸すことはおよそありそうもなかったし、すでに仲間が些細な「罪」で次々に処刑されていることを知っていた彼が、万に一つもない生き残る可能性を頼んで、敵の誘いに乗ることもあり得ないことであった。かてて加えて、発行された詳細な公判記録は、スターリン官僚がでっち上げた決まり文句をただ並べ立てたものではなく、明らかに彼自身の主体的な意志と教養の片鱗を示す文章を含んでいたのである。
一言で言えば、ブハーリンは棄教者・転向者として死んだのではなく、首尾一貫したマルクス主義者として生き、その観点から自分自身の客観的役割を、党と人民に対する裏切りと認め、その罪を引き受けたのである。この点に関しては、メルロ・ポンティの『ヒューマニズムとテロル』がほぼ完璧な分析を与えているので、我々はそれに依存して話を進めることにしよう。
ブハーリンは、カントやパリサイびとのように、個々の行動の意味と功罪を、永久不変の律法によって定められたものとは考えず、マキャヴェリやヴェーバーのように、後の帰結によって左右されるものと考えるのであり、しかも歴史の不確実性の中で、罪を犯すことを怖れて決断を回避する「卑怯なともがら」の罪を、罪そのものより重いとするダンテの立場に立つ。ここからブハーリンの悲劇は生じるのだ。
メルロ・ポンティは繰り返し、特定の歴史的出来事の意味は、固定されたものではなく、後の歴史の中で変転しうることを強調した。ネップの時代(20年代)には、クラーク(農民富裕層)に妥協し、ロシアの農業を立て直す政策には進歩的な意義があった。それは農業の社会主義化の一時中断である限り、急進的政策の一時停止であり後退であったが、成就したばかりの革命を守るためには不可避の後退であった。しかし、その後スターリンの下で強引に推し進められた農業におけるコルホーズ化は、一転してクラークを敵に回した熾烈な内戦の状況を呈した(30年代)。ここでブハーリンは右翼反対派としてスターリンに敵対したのである。
しかしのちに明らかになったところによれば、客観的には独ソ戦が不可避になりつつあったのであり、その状況を踏まえれば、そこで反クラーク闘争を戦うスターリンに反対することは、ファシストに手を貸すことであり、ソ連の存立を危機に陥れることであったはずだ。もちろんヒトラーが独ソ不可侵条約を破ってバルバロッサ作戦に乗り出すなどということは、スターリン自身にも思いもよらぬことであったのだから、ブハーリンにそれは知りようがなかったのであるが、そのような主観的意識状態はボルシェヴィキにとって重視されるようなものではなかった。歴史決定論に立つ彼らにとって、実際にそのことが知られようと、知られていなかろうと、また知ることが不可能であろうと、その行為の客観的役割が決まっているものである以上、行為者はその責任を問われ得るのであった。
そのことは、やがて来たるべきスターリングラード攻防戦(1942〜1943)の歴史を考慮に入れ得た段階には、なお一層グロテスクな論理となって彼らの責任にのしかかった。30年台に反対派による分裂を克服し得ていなかったボルシェヴィキは、スターリングラードの死闘に勝利し得たであろうか?もしスターリングラードの死闘に党の団結が必須なものであったなら、30年台の時点においてもその分裂に手を貸すことは、同様に犯罪的裏切りであったろう。モスクワ裁判の1938年には、まだ独ソ戦は始まってすらなかったわけだが、やがて来たるべき大祖国戦争の運命を考慮に入れるなら、すでにブハーリンは反クラーク闘争に反対したことによって、客観的にはすでに犯罪に手を貸していたことになる。さらにブハーリンは、その闘争でクラーク層の援軍をあてにしてスターリンを追い詰めることもできたかもしれない。実際にはそうしなかったのであるが、そうする可能性が存在した以上、ブハーリンがプロレタリア革命の敵と一脈通じる差し迫った可能性が存在したのであり、その点で革命の裏切り者の烙印に値したのである。かくて反クラーク闘争に躊躇した自己自身の罪を彼は引き受ける。
ここに、歴史の全体性・完全性を信じたマルクス主義者が、歴史自身によって裏切られ、それによって自らを裁く悲劇がある。それはまた、カフカの流刑地の処刑機械が自己自身に矛盾した挙句、臣従する主体もろとも悪魔的自己否定をもたらす姿であるとも言えるだろう。
しかしスターリングラードの勝敗を判断する視点は、プロレタリアートの階級意識の中にしか存在し得ないのか?とりわけ、その意識がいまだ統一されたものになっておらず、さまざまの反対派が存在し、またそれゆえそれがいまだ可能性の一つにとどまっているときに。階級意識には、自らを歴史の中で生成していく過程があり、その過程の意識こそが階級意識そのものであるとしたら、そしてその生成の筋道自体がおおむねマルクス主義的に決定されているということ自体が、特定の歴史の瞬間にたまたま結び合った諸潮流の出会いの結果に過ぎないとしたら、有り得べき独ソ戦が、たとえ明確にナチズムという「絶対悪」を倒すという人類史的課題を負うものだったとしても、それがボルシェヴィキ型ないしはマルクス主義型に収まる必然性はない。つまり、共産主義的前衛に率いられる必然性はない。その場合、ロシアの農村の近代化はクラークの力によって強力に推し進められ、ボルシェヴィキの農村に対する支配力は事実上なくなっていたであろう。
しかしその場合でも(日本の農地解放以後の歴史に見られ得るように)農村部における巨大地主勢力が解体されることによって、都市部には高度経済成長が起こったであろう。その場合、新興ブルジョワ勢力とボルシェヴィキの間で、熾烈な政治闘争が繰り広げられたであろうが、ナチスが迫った場合に彼らがいったん内戦を休止して大祖国戦争を戦うことは不可能ではなかったであろう。ちょうど中国における国共合作のようなものである。そしてその場合でもロシアはドイツを退け得たはずである。その後に再発する内戦で、結果として新興ブルジョワが勝利するか、それともボルシェヴィキが勝利するかはわからないが、いずれにしても30年代から50年代にかけてのスターリン体制よりはましな統治が実現したであろう。何故ならクラークを除去する内戦がロシア社会に与えたストレスが、その後のロシアに呪いのように取り付いたと思われるからである。それは目覚めかけた国内市場とともに芽生えた合理的計算に基づく近代精神を窒息させ、法の支配よりテロルの常態化をもたらしたのではないか?クラークのようにこすからく小銭を稼ぐ連中の、社会に与える教育的効果は抜群である。それは丁度『桜の園』におけるロパーヒンのような連中である。社会に堅実な経済合理性が根付くためには、このような連中が大規模につつましい成功を演じて見せることが有効なのだ。その結果、美しい桜の園が醜い別荘地に変わり、小利口な者のはびこる愚者の楽園が残されるとしても、我々はそれを甘受すべきであろう。オストロフスキーのような偉大さが歴史の藻屑と消えるとも、それは永遠に消えるわけではない。
メルロ・ポンティは、あくまでもマルクス主義を、そしてこの段階ではソ連を何とか救い出そうと、苦しい弁証法に訴えている(『弁証法の冒険』の段階になると、ボルシェヴィズムそのものを捨て去ることになるのだが)。しかし、いかに弁証法の力に訴えても、唯物論がある限り、その弁証法には限界がある。我々は唯物論という実在論のくびきから自由にならねばならない。それによって、政治を自由の母体として全面的に開花させるためである。
実際にはスターリングラードの戦いは、スターリンの下で結集し、そのパースペクティヴの下で戦われた。しかしその場合でさえ、「大祖国戦争」のもとに流れ込んだ力には、スターリン主義者又はボルシェヴィキですらない者も含まれていたはずだ。隠れトロツキストも、スターリニストと同様の情熱を持って戦ったはずだ。もちろん中には、土着的ナショナリストや隠れクラークさえも含まれていたに違いない。歴史の中では、何がどう働くかなど確かに予想できるものではない。反動分子が常に反動的役割を演ずるとは限らないのだ。
しからば、他の形で戦われ得た独ソ戦もあり得たということだろう。これを否定するのは、マルクス主義の理論の権威を無批判に前提しているからにすぎない。悪と戦う道も、天国に至る道も(そして天国そのものも)一つに限ったものではないのだ。もちろんそんな道が存在するとも存在しないとも決まったものでもない。確かに見えた道が突然途絶え、すべての希望が絶えるかに見えたときにわかに現れる杣道もある、ということこそ有りそうなことなのだ。だから、カフカの処刑機械の中に、歴史の実相(神学的決定論)を見ようとすることは、致命的な誘惑に過ぎない。
かくて、歴史の全体を象徴界と見て、その真理がその中のプロレタリアートの前衛党に(そしてさらにスターリンの「英知」そのものの中に)書き込まれたものと想像したボルシェヴィキは、さながらカフカの流刑地の管理人(将校)のように、その信仰の付けを支払わねばならなかった。
そもそもそのように象徴界Aが完全なる全知を含むものであったら、我々はただその成り行きを観賞するだけでしかなかったであろうし、党や人民への献身も歴史的使命も存在する余地がなかったであろう。
しかし実際には、オルレアンの少女が聖ミカエルの声を聴いたように、歴史の声を聴く人々がいる。それは命令でも運命でもなく、呼びかけであり、問いかけである。それはしばしば肉中に刻まれた痛みとして我々に呼び掛ける。それが流刑地の囚人たちの背中に刻まれた罪の名であり、ヨブに送られた神からのメッセージであった。その苦しみの暗号を受け取り、その意味を解読しなければならない。そこに我々の自由が存在する。ヨブの苦しみ、イエスの十字架、イサクの犠牲は、その自由の代価である。
言語の代価として犠牲が支払われると言ってもよいが、本当は順序が逆なのである。苦痛が先ず存在し、それが意味への問いを喚起し(『ヨブ記』の場合)、その問いが、神からの問いと受け止められ(ジャンヌダルクの場合)、その解読が象徴界Aの穴を埋め、(暫定的に)新たな象徴界を生み出す(革命的法創造)のである。
水俣病で苦しむ人々の背中に刻まれた暗号は、何と書かれていたのか? 単に「法を守れ」であったはずはない。法こそが、完全性を装いながら、彼らの癒しがたい苦しみの中で、その不完全性を告知していたからである。「合法的」に垂れ流されている公害毒――それを自然であり、有益だと言い募る言説の欺瞞――ここに正義を約束した律法が、不正に転化する瞬間がある。まことにチェスタトンが言うように、真に伝統を保守するためには革新を続けなければならないのだ。それというのも、「人間の作り出したあらゆる制度は、すさまじい速度で老化するからである」(『正統とは何か』邦訳p−209)。
我々は、律法の摩滅、言語の欺瞞をその苦しみによって受け止め、危機の中で応答する。我々は、歴史が与える役割をただ歯車のように果たすだけの存在ではなく、己れの存在をかけて解読し、リスクを引き受けて応答する存在――こうして、過去からの委託を受け取って未来へと受け継ぐ存在、不完全な象徴界Aの中でかろうじてコミュニケーションの輪をつなぐ存在なのだ。
その解釈がたまたま誤り伝えられようと、砂漠の中に消え入る川のようにむなしく途絶えようと、未踏の荒野の中には、そのこと自体に学ぶ者もいるだろうと期待して、自分なりの伝説の一環を担うしかない。勝利も敗北も、永続するものではなく、次の勝利のための礎石にすぎないからである。それこそが有限性を生きる我々の覚悟である。
2026年02月26日
「イサクの犠牲」の言語哲学(3)
カフカ『流刑地にて』
カフカのこの小説には、神の言葉になおも実質があるのか、という問いが息づいている。この流刑地では、奇妙な処刑が行われている。巨大なミシンのような処刑機械に囚人は横たえられ、その背中に機械によって罪の名が彫り刻まれていくのである。囚人は、何時間もかけて、その苦痛の中でのたうち回りながら、彼の背中の文字を読み取らねばならない。やがて囚人の顔には恍惚の表情が現れ、喜びに満たされて死んでゆく。囚人は自らの苦悩の意味を読み取ることによって、この苦痛のみ多き人生にも罪という意味があったことに気づいて、満足するのだ。これが、ユダヤ民族の信仰のアレゴリーになっていることを見て取るのは、たやすい。それは、苦悩からその意味を生み出す装置なのだ。しかし重要なことは、その信仰が今や危機に瀕しているということである。我々の人生が苦悩で満ち満ちているのはそのままだが、今やその意味が朽ち果ててしまっているのである。それこそが「神が死んだ」ということではないか?
しかしその細部を検討することが肝要だ。最後の囚人(将校)の背中に刻まれた罪の名――それは「sei gerecht正義をなせ」である。これは奇妙だ。「正義をなせ」という命令は、「法を守れ」という法に等しい。あるいは、(法を含む)言語の全体の中で見れば、それを支える言葉「有意味に語れ」が言語全体を支えるかのように見えるし、法全体の遵守を一つの法によって命ずることができるかのように見える。そこで、法が法自身で中空に浮かんでいるような滑稽なユーモラスな味が生まれる。「法を守れ」が法にかなっており、「有意味に語れ」が有意味に語っているからと言って、それらが法や言語を支えているわけではない。sei gerechtは、ラカンが「メタ言語は存在しない」と言うような意味でのメタ言語である。法を支える法は存在しない、Aの中にAを可能ならしめる超越論的原点は存在しないのである。しかし、Aが完全であるという幻想もAそのものと同時に生じる。
ここで、信仰の本質を象徴界Aとの関係で考えるとどうなるか? それをわかりやすく図示するために、私は親鸞の場合を参照することにしている。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』)
親鸞は比叡山に籠って、万巻の仏典を読みふけった。それでも悟りは開けない。しかしやがて仏典の中に、山に籠って万巻の書物と格闘しながら悟りが開けない青年僧の姿を見つける。親鸞はそれこそ私だ!と悟る。仏典の中に自分自身の姿を見出し、己れの蹉跌、己れのあらゆる迷いをその青年僧に重ねたとき、それを示すために仏はそこで数千年間私を待っていたのだということがわかる。してみると、己れの迷いの路、蹉跌の路そのものが、ここへ至るために必須のものであったがゆえに、それこそが救いへの路、否、救いそのものであり、それに気づくことこそが悟りそのものであったのだということに気づく。ひとはこの「なりけり」の中に万感のこもった息遣いを聞くだろう。
これこそが信仰の起ち上がる瞬間なのである。私のすべてを仏は見そなはし給ひ、仏の英知に先取りされていたということ、ここに仏の英知の中に私が存在し、またその私の中に仏が存在するというように、仏と私がさながら合わせ鏡のように無限に映現し合う華厳の宇宙が現れるのである。それはライプニッツのモナドの世界といってもよい。それ自身宇宙を映現する一個の鏡であるモナド――そのような無限のモナドによって構成された宇宙は、さながら華厳世界をなすであろう。そこでは、見失われていた自己と世界の絆が、ともに密接不可分の形で見出され、調和の中に輝いているだろう。
しかし、ラカンがそこから踏み出す決定的な一歩は、このような調和を打ち壊すものであった。法を支える法は存在しない。私を調和の中に包含する象徴界Aは存在しない。私の決断を支える神は存在しない。それゆえ全知のA・完全なAは存在しない。
カフカに描かれた処刑機械の管理人(将校)は、みずからが信仰する処刑機械の完全性に裏切られて、処刑機械もろともに自己崩壊する。彼の背中に刻まれたsei gerechtはそうすると、法の完全性を信じ、法の全体を支える法を信じた罪の名ということになるのではないか?
法の完全性を信じること、Aの完全性を信じること、いかにも全知全能の神の信仰そのもののようなことが、どうして罪になるのであろうか? 実はそのような信仰こそが、いかなる偶然の気まぐれをも一転して悪魔的なものに変えてしまうのである。
カフカのこの小説には、神の言葉になおも実質があるのか、という問いが息づいている。この流刑地では、奇妙な処刑が行われている。巨大なミシンのような処刑機械に囚人は横たえられ、その背中に機械によって罪の名が彫り刻まれていくのである。囚人は、何時間もかけて、その苦痛の中でのたうち回りながら、彼の背中の文字を読み取らねばならない。やがて囚人の顔には恍惚の表情が現れ、喜びに満たされて死んでゆく。囚人は自らの苦悩の意味を読み取ることによって、この苦痛のみ多き人生にも罪という意味があったことに気づいて、満足するのだ。これが、ユダヤ民族の信仰のアレゴリーになっていることを見て取るのは、たやすい。それは、苦悩からその意味を生み出す装置なのだ。しかし重要なことは、その信仰が今や危機に瀕しているということである。我々の人生が苦悩で満ち満ちているのはそのままだが、今やその意味が朽ち果ててしまっているのである。それこそが「神が死んだ」ということではないか?
しかしその細部を検討することが肝要だ。最後の囚人(将校)の背中に刻まれた罪の名――それは「sei gerecht正義をなせ」である。これは奇妙だ。「正義をなせ」という命令は、「法を守れ」という法に等しい。あるいは、(法を含む)言語の全体の中で見れば、それを支える言葉「有意味に語れ」が言語全体を支えるかのように見えるし、法全体の遵守を一つの法によって命ずることができるかのように見える。そこで、法が法自身で中空に浮かんでいるような滑稽なユーモラスな味が生まれる。「法を守れ」が法にかなっており、「有意味に語れ」が有意味に語っているからと言って、それらが法や言語を支えているわけではない。sei gerechtは、ラカンが「メタ言語は存在しない」と言うような意味でのメタ言語である。法を支える法は存在しない、Aの中にAを可能ならしめる超越論的原点は存在しないのである。しかし、Aが完全であるという幻想もAそのものと同時に生じる。
ここで、信仰の本質を象徴界Aとの関係で考えるとどうなるか? それをわかりやすく図示するために、私は親鸞の場合を参照することにしている。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』)
親鸞は比叡山に籠って、万巻の仏典を読みふけった。それでも悟りは開けない。しかしやがて仏典の中に、山に籠って万巻の書物と格闘しながら悟りが開けない青年僧の姿を見つける。親鸞はそれこそ私だ!と悟る。仏典の中に自分自身の姿を見出し、己れの蹉跌、己れのあらゆる迷いをその青年僧に重ねたとき、それを示すために仏はそこで数千年間私を待っていたのだということがわかる。してみると、己れの迷いの路、蹉跌の路そのものが、ここへ至るために必須のものであったがゆえに、それこそが救いへの路、否、救いそのものであり、それに気づくことこそが悟りそのものであったのだということに気づく。ひとはこの「なりけり」の中に万感のこもった息遣いを聞くだろう。
これこそが信仰の起ち上がる瞬間なのである。私のすべてを仏は見そなはし給ひ、仏の英知に先取りされていたということ、ここに仏の英知の中に私が存在し、またその私の中に仏が存在するというように、仏と私がさながら合わせ鏡のように無限に映現し合う華厳の宇宙が現れるのである。それはライプニッツのモナドの世界といってもよい。それ自身宇宙を映現する一個の鏡であるモナド――そのような無限のモナドによって構成された宇宙は、さながら華厳世界をなすであろう。そこでは、見失われていた自己と世界の絆が、ともに密接不可分の形で見出され、調和の中に輝いているだろう。
しかし、ラカンがそこから踏み出す決定的な一歩は、このような調和を打ち壊すものであった。法を支える法は存在しない。私を調和の中に包含する象徴界Aは存在しない。私の決断を支える神は存在しない。それゆえ全知のA・完全なAは存在しない。
カフカに描かれた処刑機械の管理人(将校)は、みずからが信仰する処刑機械の完全性に裏切られて、処刑機械もろともに自己崩壊する。彼の背中に刻まれたsei gerechtはそうすると、法の完全性を信じ、法の全体を支える法を信じた罪の名ということになるのではないか?
法の完全性を信じること、Aの完全性を信じること、いかにも全知全能の神の信仰そのもののようなことが、どうして罪になるのであろうか? 実はそのような信仰こそが、いかなる偶然の気まぐれをも一転して悪魔的なものに変えてしまうのである。
2026年02月18日
「イサクの犠牲」の言語哲学(2)
ラカンと言語習得
ここで、幼児の言語習得についてのラカンの所説を参照してみることにしよう。ラカンは、言語の全体と掟や法のすべてをひっくるめて象徴界と呼び、大文字のAで表す。それは他者AutreのAであり、言語や掟が主体にとって他者として出会われることを示している。また、それが掟を含むのは、言語の本質が単なる自然現象と違って、規範性を本質的特徴としていることを示している。
ラカンによれば、己れの鏡像を母(授乳者)の中に見て、己れの要求に応じて周りの大人を動かしてきた幼児(鏡像段階)も、やがて母の眼差しが自分にだけ向けられているわけではないことに気づく。してみると自分以外に、母の欲望の対象にあたるものが存在するわけだ。ここから、母の欲望の謎を解くというオイディプスまがいの幼児の探求の旅が始まるが、その経緯は男児と女児とではやや異なっている。しかしいずれにおいても、それが母の言語の謎に重ねられ、言語習得へとつながる点は同じである。
男児は、母のファルス(おちんちん)の欠如の発見というトラウマ的体験 から、母の欲望を、ファルスの欠如ゆえの父のファルスへの欲望と短絡的に解釈する 。ここから、母を得るために父を模倣するという戦略が生じる。これがエディプス・コンプレクスと呼ばれるものである。[★ちなみに母のファルスの欠如の発見がトラウマ的であるのは、主体にとってそれが去勢によると理解されるからである。その理解は、そのトラウマ性のために即座に抑圧され無意識に沈む。これを去勢コンプレクスと呼ぶ。以後ファルスは、もっぱら無意識を動かすシニフィアンとして働くことになり、意識に上るのはそれが他のさまざまのシニフィアンに代理されることによってである。例えばスカートの中に隠されたガーターベルトなど。いずれにせよ、男性の視線にとってスカート内部の空間が、不在のファルスによって、欲望の磁場の著しいゆがみを来たしているものと意識されるのはこうしてである。つまり、彼らは女性のスカートの中に絶えず母の不在のファルスを探し続けているのだが、抑圧されているため実際に自分が何を探しているのかを知らない。
★★「短絡的」と言うのは、この解釈は全面的に正しいわけではなく、むしろおおかたミスリーディングだからである。女児の欲望は、母の「女性性」(露わにすることによって隠し、隠すことによって露わにする欲望)を模倣することであるとすれば、母の欲望もそのようなものであろう。もっとも、チェーホフの『可愛い女』の主人公のように、父親の欲望を内面化した母親の女児は、自分の夫の欲望を模倣する形で欲望を習得するだろう。この場合、(男児と同じように)父のファルスへの模倣欲望に似たものとなる。しかし、それは男児におけるエディプス的欲望形成とはやはり違っている。彼らは男児のように父とライヴァル関係になる必要がなく、愛憎アンヴィヴァレンスに陥る必要がないため、その模倣に留保がなく「教条的」なものになりがちである(たとえば江青女史の場合)。それに対して男児は、父とのライヴァル関係を突破するため、父の「不純」を告発し、より理念化されたファルスへと向かう傾向を持つのに対し、女児の場合パートナーを替えるごとに全く新たな「理想」に乗り換えることになるのである。]
女児は、同様のトラウマを体験することはないが(それゆえ短絡的「解決」をすることはできないが)母の欲望の謎に直面する点は同じだ。精神分析学は、長らくエディプスの範型に従って自らの理論を基礎づけてきたが、父が欲望の対象を独占し、とりわけ言語の謎を握っているという威信を独占しているという考えには、家父長主義社会の特殊事情に基づく偏見に過ぎないのではないかという嫌疑が、フェミニストなどから投げかけられてきた。実際この理論では、女児の欲望をうまく説明できないという大きな欠陥がある。加えて、有名なヘレン・ケラーの言語習得には、サリバン先生が重要な役割を果たすのに、父の役割は皆無である。サリバン先生は、さながらオイディプスのスフィンクスのように、手のひらに暗号を残すが、ファルスの在・不在はそこでは何の役割も果たしていない。[ ★ギリシア神話には、スフィンクスの謎とは別に、ミノタウロスの迷宮という謎がある。こちらは、謎を解くのは実質的にはテーセウスというよりもアリアドネーである。]
しかしこれを、女児一般の状況と見なせば、特に不思議なことはない。女児は、男児のような短絡的「理解」によらないので、長らく母の欲望の謎にかかわらざるを得ない。これは、女性の方が他者の眼差しに敏感になるなどの付随的諸結果をもたらすが、いずれにしろ彼らもヘレンのように単独でスフィンクスの暗号を解いていかねばならない。スフィンクスの謎の前に立つという点では、男女とも同じなのだ。その結果男児と違って、母の欲望を、欲望の対象(例えば父のファルス)によって安直に解釈するのではなく、母は何か隠し持っている、つまり何か隠す欲望――それでありながら、隠していることをほのめかす欲望――ニーチェが言うように、真理(アレーテイア )であろうとする欲望であることを学んでいくのである。これが『盗まれた手紙』についてのラカンのセミネールで、王妃や大臣が次々にまとうことになると言われる女性性に他ならない。[★ハイデガーは、ギリシア人のアレーテイアを、露わであること(脱隠蔽性)と解釈した。ここで、覆われているとは、その事柄が別の何かによって覆われているということではない。なぜならハイデガーによれば、露わにするのは、それを隠している覆いを取り除けることによってではなく、(現象を取り集める)レゲインとしての語り(アポファンシス・ロゴス 見えさしめる語り)によって、だとされているからである。つまり、アレーテイアは、それ自身のうちに隠すことを同時に含んだ顕わさなのである。これがヘラクレイトスのロゴス解釈を参照しているのは明らかだ。つまりラカンは、このハイデガーの解釈を先鋭化して取り入れているのである。]
ラカンはそこで、二つの場面の構造的類似性に注目している。第一は王の面前で王妃がとっさに手紙を隠そうとして、さりげなく手紙をそのまま王の視線にさらす場面であり、第二は、手紙をまんまと奪った大臣が、それを取り返すことを命じられた警視総監の面前でそれを隠すために、暖炉の、目につく場所に置く場面である。いずれにおいても、隠すために露わにすることが反復されている。ここで王妃や大臣が取る「顕わにすることによって隠す」業が、女性的と言うのである。王妃はともかく、女性でもない大臣が女性性を帯びるのはなぜか? それは、彼らがシニフィアンの謎(暗号解読)の場面に立たされたとき、女児の言語習得と似たような経験をせざるを得ないからであろう。そして、苦労して解読に成功した暁には、ファルスを持つ代わりに、人に知られない秘密(暗号の意味)を隠し持つ悦びを、他者に対して演じたいという欲望にとらわれるからである 。[ ★長らくラカンのテクストと付き合った人なら、何よりラカン自身がかかる女性性を身に帯びていることに容易に気付くはずである。奇抜なファッションを次々に取り替えるように、次々に異なる理論を装うラカンの華麗な着こなしから、裸のラカンを射止めようとするような野暮で生真面目な態度では、彼女に接近することはおぼつかない。]
ラカンは「解明された謎」を、威信の源としてのファルス(手紙)そのものであるとして、オイディプス的に解釈しているが、女児の欲望からとらえ返せば、それはオイディプス状況の変種としてではなく、サリバン―ヘレン状況としてとらえるのが、はるかに自然であろう。
この帰結として、男児がファルス的な単一の原理によって、万象を説明し尽くしたいという強い傾向を免れないのに対して、女児は、解釈の多義性をたやすく受け入れ、むしろそれを享受する傾向を示すことになる(これがコケットリーと呼ばれるもの)。例えば眼差しの多義性――この眼差しは媚態なのだろうか、それとも軽蔑…?――ここから、どのような原理も、たとえそれをそれなりに尊重する場合にも、「それですべてではない」というユーモアが生まれるのである 。[★拙著『読む哲学事典』の中で上げた例:さる高名な学者夫妻がインタヴューに答えていた。妻が語るには、「我が家では大事なことはみな夫が決めてます。でも何が大事かは私が決めます」。夫の意見はおそらく原理に基づいて決定されているだろう。しかしそんな認識をも相対化する視点が存在する。それらはどれも単なる見方に過ぎないと見なす視点。しかしその認識自身は、何か単一の原理に支えられているわけではない。これは一種のサロン的認識である。それぞれの論者は己れの信念を語るが、それを聴いている女主人はどれに加担するでもない。これは例えば、北沢恒彦が描いたミシュレとタレーランの会話を思わせるところ(『隠された地図』参照)。タレーランの情人であったディノ夫人のサロンの様子である。彼女はいずれを支持するとも見せず、己れの欲望の本質をあいまいにする点で、典型的なコケットリーを演じている。その前で新旧ライヴァルがファルス的欲望に駆られて競い合うエディプス的構図。しかしディノ夫人自身は(江青女史のような)エディプス的欲望に従うわけではない。彼女から見れば、いずれの立場にもそれなりの合理性があるが、それですべてではないのだ。それは、カントが「視野を広げられた思考様式」と呼んだ(美的)判断力の立場に近いものである。]
大人たちの言葉の中には、各人のセリフとは別に、発話者がいないセリフが混じっている。それこそが、幼児に割り当てられたセリフなのだ。「ぼくちゃん、おなかがすいた」「ぼくちゃん、おねむ」…。幼児はそれに飛びつく。それによって、家族の中に彼のために空けてあった人格の仮面を引き受けるのだ。彼が、これらのセリフをオウム返しにすると、家族がそれを喜んで承認するからである。これは一見すると、排便の訓練と同じように、大人の掟に従うことであるかのように見えるかもしれない。いずれにおいても、その社会的賞罰は大きい。それらの修練に合格した主体には、家族の一員としての地位を獲得した大きな安心感がもたらされる。
しかしこれによって一人前に言語主体になったと考えるのは早計である。大人からあてがわれた言葉によって、象徴界Aが完成するように見えるが、それでは大人が与えた役割を完ぺきにこなす操り人形でしかない。主体は、それを自分の言葉であると感じているかもしれないが、実際は他者があてがったセリフを繰り返しているにすぎない。「ボクは、父のように医者になりたい」「ボクは、おじいちゃんのように東大法学部に入りたい」…。このように他人から吹き込まれた欲望によっては、決して欲望の主体になることはできないのだ。それは大人たちを喜ばし家族の承認をかちうるが、主体を満足させることはない。常にそこには幾分かの齟齬が生まれる。まれに、与えられた役割が主体を呑み尽くしてしまう場合があるが、ロボットのように役割をこなすだけでは済まなくなると、途端に人格的破綻に見舞われることになる。記者会見の場に臨んでも、横からプロンプターに囁かれなければ何一つ言うことが出来ない役割人間のようなものである(船場吉兆のささやき女将)。言語主体になることは、犬猫でもこなす排便の訓練とは違うことなのである。
やがて主体は、与えられた役割の桎梏を打ち破って、己れの欲望を起ち上げる瞬間がやってくる。そこで主体は、親たち、先生たちの言葉を利用しながら、それにひねりを加えて、彼らを出し抜くことになる。このとき主体は、自分に与えられたセリフだけでは象徴界Aは完結しないことに気づいている。受け継がれたAには穴と欠落が隠されていたのである。そうでなければ、鉄の檻と化した象徴界に埋め込まれたまま朽ち果てるか、それとも自分もろともAを破壊してしまうか二つに一つしかないだろう。
このように、習得した言語を使って、既存のAそのものの欠陥を突く「反抗期」のようのものが存在することこそ、言語を生きる人間が他の高等動物とは違うところなのだろう。他の動物にも、言語に似た記号を使って生存戦略にしているものはあるが、それが遺伝によって与えられたものにせよ、学習によって身についたものにせよ、その意味と役割は固定している。天使と相撲を取ったヤコブのように、象徴界Aを利用してAそのものと闘いを交えるようなものは、人間以外に存在しないのである。
ここで、幼児の言語習得についてのラカンの所説を参照してみることにしよう。ラカンは、言語の全体と掟や法のすべてをひっくるめて象徴界と呼び、大文字のAで表す。それは他者AutreのAであり、言語や掟が主体にとって他者として出会われることを示している。また、それが掟を含むのは、言語の本質が単なる自然現象と違って、規範性を本質的特徴としていることを示している。
ラカンによれば、己れの鏡像を母(授乳者)の中に見て、己れの要求に応じて周りの大人を動かしてきた幼児(鏡像段階)も、やがて母の眼差しが自分にだけ向けられているわけではないことに気づく。してみると自分以外に、母の欲望の対象にあたるものが存在するわけだ。ここから、母の欲望の謎を解くというオイディプスまがいの幼児の探求の旅が始まるが、その経緯は男児と女児とではやや異なっている。しかしいずれにおいても、それが母の言語の謎に重ねられ、言語習得へとつながる点は同じである。
男児は、母のファルス(おちんちん)の欠如の発見というトラウマ的体験 から、母の欲望を、ファルスの欠如ゆえの父のファルスへの欲望と短絡的に解釈する 。ここから、母を得るために父を模倣するという戦略が生じる。これがエディプス・コンプレクスと呼ばれるものである。[★ちなみに母のファルスの欠如の発見がトラウマ的であるのは、主体にとってそれが去勢によると理解されるからである。その理解は、そのトラウマ性のために即座に抑圧され無意識に沈む。これを去勢コンプレクスと呼ぶ。以後ファルスは、もっぱら無意識を動かすシニフィアンとして働くことになり、意識に上るのはそれが他のさまざまのシニフィアンに代理されることによってである。例えばスカートの中に隠されたガーターベルトなど。いずれにせよ、男性の視線にとってスカート内部の空間が、不在のファルスによって、欲望の磁場の著しいゆがみを来たしているものと意識されるのはこうしてである。つまり、彼らは女性のスカートの中に絶えず母の不在のファルスを探し続けているのだが、抑圧されているため実際に自分が何を探しているのかを知らない。
★★「短絡的」と言うのは、この解釈は全面的に正しいわけではなく、むしろおおかたミスリーディングだからである。女児の欲望は、母の「女性性」(露わにすることによって隠し、隠すことによって露わにする欲望)を模倣することであるとすれば、母の欲望もそのようなものであろう。もっとも、チェーホフの『可愛い女』の主人公のように、父親の欲望を内面化した母親の女児は、自分の夫の欲望を模倣する形で欲望を習得するだろう。この場合、(男児と同じように)父のファルスへの模倣欲望に似たものとなる。しかし、それは男児におけるエディプス的欲望形成とはやはり違っている。彼らは男児のように父とライヴァル関係になる必要がなく、愛憎アンヴィヴァレンスに陥る必要がないため、その模倣に留保がなく「教条的」なものになりがちである(たとえば江青女史の場合)。それに対して男児は、父とのライヴァル関係を突破するため、父の「不純」を告発し、より理念化されたファルスへと向かう傾向を持つのに対し、女児の場合パートナーを替えるごとに全く新たな「理想」に乗り換えることになるのである。]
女児は、同様のトラウマを体験することはないが(それゆえ短絡的「解決」をすることはできないが)母の欲望の謎に直面する点は同じだ。精神分析学は、長らくエディプスの範型に従って自らの理論を基礎づけてきたが、父が欲望の対象を独占し、とりわけ言語の謎を握っているという威信を独占しているという考えには、家父長主義社会の特殊事情に基づく偏見に過ぎないのではないかという嫌疑が、フェミニストなどから投げかけられてきた。実際この理論では、女児の欲望をうまく説明できないという大きな欠陥がある。加えて、有名なヘレン・ケラーの言語習得には、サリバン先生が重要な役割を果たすのに、父の役割は皆無である。サリバン先生は、さながらオイディプスのスフィンクスのように、手のひらに暗号を残すが、ファルスの在・不在はそこでは何の役割も果たしていない。[ ★ギリシア神話には、スフィンクスの謎とは別に、ミノタウロスの迷宮という謎がある。こちらは、謎を解くのは実質的にはテーセウスというよりもアリアドネーである。]
しかしこれを、女児一般の状況と見なせば、特に不思議なことはない。女児は、男児のような短絡的「理解」によらないので、長らく母の欲望の謎にかかわらざるを得ない。これは、女性の方が他者の眼差しに敏感になるなどの付随的諸結果をもたらすが、いずれにしろ彼らもヘレンのように単独でスフィンクスの暗号を解いていかねばならない。スフィンクスの謎の前に立つという点では、男女とも同じなのだ。その結果男児と違って、母の欲望を、欲望の対象(例えば父のファルス)によって安直に解釈するのではなく、母は何か隠し持っている、つまり何か隠す欲望――それでありながら、隠していることをほのめかす欲望――ニーチェが言うように、真理(アレーテイア )であろうとする欲望であることを学んでいくのである。これが『盗まれた手紙』についてのラカンのセミネールで、王妃や大臣が次々にまとうことになると言われる女性性に他ならない。[★ハイデガーは、ギリシア人のアレーテイアを、露わであること(脱隠蔽性)と解釈した。ここで、覆われているとは、その事柄が別の何かによって覆われているということではない。なぜならハイデガーによれば、露わにするのは、それを隠している覆いを取り除けることによってではなく、(現象を取り集める)レゲインとしての語り(アポファンシス・ロゴス 見えさしめる語り)によって、だとされているからである。つまり、アレーテイアは、それ自身のうちに隠すことを同時に含んだ顕わさなのである。これがヘラクレイトスのロゴス解釈を参照しているのは明らかだ。つまりラカンは、このハイデガーの解釈を先鋭化して取り入れているのである。]
ラカンはそこで、二つの場面の構造的類似性に注目している。第一は王の面前で王妃がとっさに手紙を隠そうとして、さりげなく手紙をそのまま王の視線にさらす場面であり、第二は、手紙をまんまと奪った大臣が、それを取り返すことを命じられた警視総監の面前でそれを隠すために、暖炉の、目につく場所に置く場面である。いずれにおいても、隠すために露わにすることが反復されている。ここで王妃や大臣が取る「顕わにすることによって隠す」業が、女性的と言うのである。王妃はともかく、女性でもない大臣が女性性を帯びるのはなぜか? それは、彼らがシニフィアンの謎(暗号解読)の場面に立たされたとき、女児の言語習得と似たような経験をせざるを得ないからであろう。そして、苦労して解読に成功した暁には、ファルスを持つ代わりに、人に知られない秘密(暗号の意味)を隠し持つ悦びを、他者に対して演じたいという欲望にとらわれるからである 。[ ★長らくラカンのテクストと付き合った人なら、何よりラカン自身がかかる女性性を身に帯びていることに容易に気付くはずである。奇抜なファッションを次々に取り替えるように、次々に異なる理論を装うラカンの華麗な着こなしから、裸のラカンを射止めようとするような野暮で生真面目な態度では、彼女に接近することはおぼつかない。]
ラカンは「解明された謎」を、威信の源としてのファルス(手紙)そのものであるとして、オイディプス的に解釈しているが、女児の欲望からとらえ返せば、それはオイディプス状況の変種としてではなく、サリバン―ヘレン状況としてとらえるのが、はるかに自然であろう。
この帰結として、男児がファルス的な単一の原理によって、万象を説明し尽くしたいという強い傾向を免れないのに対して、女児は、解釈の多義性をたやすく受け入れ、むしろそれを享受する傾向を示すことになる(これがコケットリーと呼ばれるもの)。例えば眼差しの多義性――この眼差しは媚態なのだろうか、それとも軽蔑…?――ここから、どのような原理も、たとえそれをそれなりに尊重する場合にも、「それですべてではない」というユーモアが生まれるのである 。[★拙著『読む哲学事典』の中で上げた例:さる高名な学者夫妻がインタヴューに答えていた。妻が語るには、「我が家では大事なことはみな夫が決めてます。でも何が大事かは私が決めます」。夫の意見はおそらく原理に基づいて決定されているだろう。しかしそんな認識をも相対化する視点が存在する。それらはどれも単なる見方に過ぎないと見なす視点。しかしその認識自身は、何か単一の原理に支えられているわけではない。これは一種のサロン的認識である。それぞれの論者は己れの信念を語るが、それを聴いている女主人はどれに加担するでもない。これは例えば、北沢恒彦が描いたミシュレとタレーランの会話を思わせるところ(『隠された地図』参照)。タレーランの情人であったディノ夫人のサロンの様子である。彼女はいずれを支持するとも見せず、己れの欲望の本質をあいまいにする点で、典型的なコケットリーを演じている。その前で新旧ライヴァルがファルス的欲望に駆られて競い合うエディプス的構図。しかしディノ夫人自身は(江青女史のような)エディプス的欲望に従うわけではない。彼女から見れば、いずれの立場にもそれなりの合理性があるが、それですべてではないのだ。それは、カントが「視野を広げられた思考様式」と呼んだ(美的)判断力の立場に近いものである。]
大人たちの言葉の中には、各人のセリフとは別に、発話者がいないセリフが混じっている。それこそが、幼児に割り当てられたセリフなのだ。「ぼくちゃん、おなかがすいた」「ぼくちゃん、おねむ」…。幼児はそれに飛びつく。それによって、家族の中に彼のために空けてあった人格の仮面を引き受けるのだ。彼が、これらのセリフをオウム返しにすると、家族がそれを喜んで承認するからである。これは一見すると、排便の訓練と同じように、大人の掟に従うことであるかのように見えるかもしれない。いずれにおいても、その社会的賞罰は大きい。それらの修練に合格した主体には、家族の一員としての地位を獲得した大きな安心感がもたらされる。
しかしこれによって一人前に言語主体になったと考えるのは早計である。大人からあてがわれた言葉によって、象徴界Aが完成するように見えるが、それでは大人が与えた役割を完ぺきにこなす操り人形でしかない。主体は、それを自分の言葉であると感じているかもしれないが、実際は他者があてがったセリフを繰り返しているにすぎない。「ボクは、父のように医者になりたい」「ボクは、おじいちゃんのように東大法学部に入りたい」…。このように他人から吹き込まれた欲望によっては、決して欲望の主体になることはできないのだ。それは大人たちを喜ばし家族の承認をかちうるが、主体を満足させることはない。常にそこには幾分かの齟齬が生まれる。まれに、与えられた役割が主体を呑み尽くしてしまう場合があるが、ロボットのように役割をこなすだけでは済まなくなると、途端に人格的破綻に見舞われることになる。記者会見の場に臨んでも、横からプロンプターに囁かれなければ何一つ言うことが出来ない役割人間のようなものである(船場吉兆のささやき女将)。言語主体になることは、犬猫でもこなす排便の訓練とは違うことなのである。
やがて主体は、与えられた役割の桎梏を打ち破って、己れの欲望を起ち上げる瞬間がやってくる。そこで主体は、親たち、先生たちの言葉を利用しながら、それにひねりを加えて、彼らを出し抜くことになる。このとき主体は、自分に与えられたセリフだけでは象徴界Aは完結しないことに気づいている。受け継がれたAには穴と欠落が隠されていたのである。そうでなければ、鉄の檻と化した象徴界に埋め込まれたまま朽ち果てるか、それとも自分もろともAを破壊してしまうか二つに一つしかないだろう。
このように、習得した言語を使って、既存のAそのものの欠陥を突く「反抗期」のようのものが存在することこそ、言語を生きる人間が他の高等動物とは違うところなのだろう。他の動物にも、言語に似た記号を使って生存戦略にしているものはあるが、それが遺伝によって与えられたものにせよ、学習によって身についたものにせよ、その意味と役割は固定している。天使と相撲を取ったヤコブのように、象徴界Aを利用してAそのものと闘いを交えるようなものは、人間以外に存在しないのである。
2026年02月15日
「イサクの犠牲」の言語哲学(1)
カルチャーセンターでの講演で言い残したところを補足する意味で、以下何回かに分けて詳しく再論しておく。
旧約聖書によると、神はアブラハムに対して、その愛し子イサクを燔祭にささげよと命じた(『創世記』22章)。レンブラントやカラヴァッジオの絵でご存じの方も多いだろう。それにしても理不尽な話。どう考えても神の真意はわからない。これはアブラハムの信仰を試す神の試練なのだ、といって理解したつもりになる人もいるかもしれないが、どうしてそんな試練が必要なのか?何よりそんなアブラハム本位の見方からは、イサクの立場は理解できない。しかしここでは、イサクの立場から見ることがとりわけ重要なのだ。ここで我々は、この不条理を十全に解明しようとするものではない。むしろただ、その置かれるべき文脈を与えようとするのである。
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旧約聖書によると、神はアブラハムに対して、その愛し子イサクを燔祭にささげよと命じた(『創世記』22章)。レンブラントやカラヴァッジオの絵でご存じの方も多いだろう。それにしても理不尽な話。どう考えても神の真意はわからない。これはアブラハムの信仰を試す神の試練なのだ、といって理解したつもりになる人もいるかもしれないが、どうしてそんな試練が必要なのか?何よりそんなアブラハム本位の見方からは、イサクの立場は理解できない。しかしここでは、イサクの立場から見ることがとりわけ重要なのだ。ここで我々は、この不条理を十全に解明しようとするものではない。むしろただ、その置かれるべき文脈を与えようとするのである。
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2026年02月05日
ランダウの奇跡
昔の原稿の中から、童話を一つ掲載することにする。昔の日記によれば、1972年9月擱筆とある(22歳)。どうにも稚拙であるのは致し方ないとして、時代の証言としての意味はあるかもしれない。おおかた粉飾や潤色を免れない回顧録などに比べて、詩作品の方がその程度は少ない。そうしようとしても、馬脚が現れやすいと思われるからである。
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2026年01月24日
イサクの犠牲(山形新聞への投稿)
「イサクの犠牲」 (『創世記』22章)
旧約聖書によれば、神はアブラハムに、高齢になってやっと授かった息子イサクを、燔祭としてささげよと命じた。レンブラントやカラヴァッジオの絵でご存じの方も多いだろう。最後は天使が現れてイサクは救われるのだが、何とも理不尽な話である。神はアブラハムの信仰を試したのだと言う人がいるかもしれないが、そんなアブラハム本位の理解でイサクは納得できるだろうか?
元来、啓示宗教は神から与えられた教義に基づいているが、神の言葉がどうして我々人間に理解できるのか?神はヘブライ語やアラビア語で語りかけているが、それがユダヤ人やアラブ人にたやすく理解できると考えるのは早計である、特にイサクにとっては!イサクは愛する父から言葉を教わった。それでもイサクには「お前を燔祭にささげる」という父の言葉が理解できなかったとすれば、その言葉にはすでにギャップが隠されていたのであり、それなら初めにアダムに神が与えた言葉にも、すでに大きなギャップがあったはず。バベルの塔でようやく発覚するようなものではなかったのである。
そもそも言葉が与えられたとき、神はそれを無償で与えたのであろうか?言葉によって、自然の中に真と偽、善と悪の分別(ふんべつ)が導入された。また言葉によって永遠が、あるいは(同じことだが)その観念が与えられた。それは人間の分を超えた何かしら罪深いことではないか?それは悪魔が教えた知恵の実に似たものではないのか?じっさい言葉は質札のようなもの、いっとき本物のように流通するが、やがては借金を返して請け出されるべきものだ。借金が大きければそれだけ利子もかさむ。神が与えた約束は、とこしえの繁栄という途方もないものであった。そのカタとしてイサクは大きすぎる犠牲とは言えまい。
言葉に実質(いみ)を与えるためには、時には身を差し出す用意がなければならない。通常は、空疎な言葉を操りながら身銭を切らず、それを右から左に売り抜けて涼しい顔。しかしこの滑らかな流通は幻想なのだ。例えばイエスは、この伝説をどう受け取ったであろうか?たぶん我々同様、不可解に思っていたであろう。ついに十字架上で「父よ、父よ、何ぞ我を見捨て給ひし」と叫ぶ時になって、やっとその意味の幾分かがわかったのである。
旧約聖書によれば、神はアブラハムに、高齢になってやっと授かった息子イサクを、燔祭としてささげよと命じた。レンブラントやカラヴァッジオの絵でご存じの方も多いだろう。最後は天使が現れてイサクは救われるのだが、何とも理不尽な話である。神はアブラハムの信仰を試したのだと言う人がいるかもしれないが、そんなアブラハム本位の理解でイサクは納得できるだろうか?
元来、啓示宗教は神から与えられた教義に基づいているが、神の言葉がどうして我々人間に理解できるのか?神はヘブライ語やアラビア語で語りかけているが、それがユダヤ人やアラブ人にたやすく理解できると考えるのは早計である、特にイサクにとっては!イサクは愛する父から言葉を教わった。それでもイサクには「お前を燔祭にささげる」という父の言葉が理解できなかったとすれば、その言葉にはすでにギャップが隠されていたのであり、それなら初めにアダムに神が与えた言葉にも、すでに大きなギャップがあったはず。バベルの塔でようやく発覚するようなものではなかったのである。
そもそも言葉が与えられたとき、神はそれを無償で与えたのであろうか?言葉によって、自然の中に真と偽、善と悪の分別(ふんべつ)が導入された。また言葉によって永遠が、あるいは(同じことだが)その観念が与えられた。それは人間の分を超えた何かしら罪深いことではないか?それは悪魔が教えた知恵の実に似たものではないのか?じっさい言葉は質札のようなもの、いっとき本物のように流通するが、やがては借金を返して請け出されるべきものだ。借金が大きければそれだけ利子もかさむ。神が与えた約束は、とこしえの繁栄という途方もないものであった。そのカタとしてイサクは大きすぎる犠牲とは言えまい。
言葉に実質(いみ)を与えるためには、時には身を差し出す用意がなければならない。通常は、空疎な言葉を操りながら身銭を切らず、それを右から左に売り抜けて涼しい顔。しかしこの滑らかな流通は幻想なのだ。例えばイエスは、この伝説をどう受け取ったであろうか?たぶん我々同様、不可解に思っていたであろう。ついに十字架上で「父よ、父よ、何ぞ我を見捨て給ひし」と叫ぶ時になって、やっとその意味の幾分かがわかったのである。
2026年01月14日
前橋市長選
前橋市長選挙で、小川晶氏が大差で再選された。そもそもホテルで仕事の相談をしたというだけで、何のために再選挙する必要があったのか、全く理解できなかった。小川氏の辞職を扇動した人々は恥じ入るがいい。相談相手が反社会裏社会の人間であったり、外国のエージェントであれば別であるが、市長の協力者であるとのことであるから、いったい何の問題があるというのか?ともかくも市民の常識が通った結果を、当然のことながら喜びたい。