2018年07月15日

フレーゲ周辺

カルチャーセンターの講義で、フレーゲについて語る機会に、改めてフレーゲやその周辺について自分の考えを整理してみた。以前に書いたことも多いが、まとめてみるのもいいと考えるのである。  続きを読む
Posted by easter1916 at 01:50Comments(0)哲学ノート

2018年07月04日

命題的態度の自己帰属

「私は考える」「私は見る」「私は信じる」「私は意図する」…など、これらはいずれも、命題内容を志向的内容として持つ命題的態度の自己帰属である。かかる志向的経験の自己帰属が確実な知識となることこそ、デカルト的コギトの主張の一つの眼目であった。その点について、あらためて批判的に論じてみたい。  続きを読む
Posted by easter1916 at 23:12Comments(0)哲学ノート

2018年06月28日

山形新聞ことばの杜(大森荘蔵先生)

ことばの杜(山形新聞)への投稿

私たち〔ホワイト夫妻〕を名前で呼ぶように、またその逆も許してくれるようにという申し出を、彼〔大森荘蔵〕は断固拒んだ…多くの他の日本人はこの問題に関しては柔軟になっていたが、大森は違っていた。私たちは彼のことを、一皮むけば一種のサムライであると考えるようになった。(ホワイト『日本人への旅』)

著者モートン・ホワイトは、戦後日米アカデミズムの懸け橋として活躍したプリンストンの哲学者である。本書は、戦後間もない頃から三十年ほどにわたる交流の思い出を記したものだ。その中に、何人か私自身面識のある先生方が出てくるが、とりわけ印象的なのが大森荘蔵先生の姿。先生は、ファーストネームで呼び合おうというホワイトの申し出を断固として退け、最後まで敬称を外そうとはなさらなかった。これは、他の日本人にはないところで、ホワイトに特に印象深く映ったのであろう。そこに、誇り高いサムライの礼儀作法を感じていたのだ。まさに先生の面目躍如たるところである。

時あたかも敗戦直後で、彼我の間に経済的・政治的・学術的に大きな格差が感じられていたという背景を忘れるべきではない。米国との親しさを誇示すること自体が、社会的威信のしるしとなり得た時代なのである。いまでも、誇りのかけらもない政治家たちが、米国大統領とファーストネームで呼び合い、ともにゴルフに興ずることを自慢するしまつである。何をか言はんや。

思えば大森先生は、我々とるに足らぬ学生に対しても、「あなたの仰ることは無意味なたわごとです」といったふうに常に敬語でお話しになり、御自身にも我々にも、決して馴れ馴れしさを許そうとはなさらなかった。しかも、酒に酔えば酔うほど、どんなに崩そうとしても崩せない身に付いた端正な礼儀作法が、ついつい現れてしまうといったふうであった。私は、自由な精神というものが、厳格な形と古風な作法に守られて初めて可能になることを、つくづく教えられたものである。

  
Posted by easter1916 at 01:17Comments(5)日記

2018年05月18日

パレスティナの勝利とイスラエルの破滅

私はかつて次のように書いた。

イスラエルはいずれ消滅するだろう。私は、イスラエルが何らかの形で共存する道もあるかもしれないと、以前は期待していたが、もはやそんなことは不可能である。もうこうなっては、この国家が出来るだけ速やかに歴史から消えてゆく事が、人類にとってもユダヤ人自身にとっても最善の道である。

今やこの「国家」の体を為さない暴力装置が、最後のあがきを繰り返しながら、中東やその他の地域で恐ろしい殺戮と暴力を繰りかえしている。私は、今ではこの鋼鉄製の暴力の嵐が、できるだけ速やかに、できるだけ犠牲を最小限にとどめながら、この地上から永遠に消え果ることをただ祈っている。そうして初めて、ユダヤ人同胞にも法の下の平和が与えられるであろう。「二国家共存」とか、アパルトヘイトさながらの棲み分けなど、言語道断である。そんな平和秩序の可能性は、とっくに踏みにじられているのであり、そんな幻想にすがるのは、シオニストに原則で妥協することでしかない。

この問題は決して根深い宗教対立でなく、単なる土地所有の問題にすぎない。土地を暴力で巻き上げた盗人たちと、全てを失って曠野へと駆り出された被害者の群れがあるばかりである。

かつてのオスマントルコの法秩序に似た、緩やかなイスラム法支配のもとに、多様な宗教が共存する生活圏を実現するしか、正義と平和への道はないのではあるまいか。それ以外はすべて根本的に正義に反するゆえに、おびただしい流血を生み出すだけであり、決して安定解に導くこともないであろう。

いずれこの地域から、イスラエルやサウジアラビアを含む全ての帝国主義勢力は駆逐されていくだろう。欧米は、結局極めて不名誉な役割を果たしながら、全ての利権を失ってしまうだろう。

何故そのようなことを断言できるのか? 正義に反するからである。

長々と時は流れるが、まことのことは起こる。(ヘルダリン)
  
Posted by easter1916 at 06:09Comments(0)時局

2018年05月13日

ベルクソン批判

カルチャーセンターの講義でベルクソンを取り上げたので、その点で思いついた点を記しておきたい。  続きを読む
Posted by easter1916 at 03:42Comments(0)哲学ノート

2018年05月06日

ベンヤミン『歴史哲学テーゼ将検

山形新聞「ことばの杜」への投稿

「フランス革命はローマの自覚的な回帰だった。それは古代ローマを引用した――ちょうど、流行が過去の衣装を引用するように。」(ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』将検

どうして、過去の歴史が引用できるのか? 過去のどの出来事も、その細部もろとも、それが埋め込まれた文脈につながっており、そこから切り離されれば、もはや全く別物になってしまうのではないか? 実際ベルクソンは、時間の持続を構成する出来事の「相互浸透」について語り、それを旋律に似た生命の流れと見なした。

美しくしなやかな野生動物たちなら、そのように持続の時間に身を任せ、悔いることもなく一生を全うするのかもしれない。しかし、人間が歴史を持つということは、それを引用可能な物語にすることなのである。それは古い言葉でつづられ、今の世にはもう有り得ない遠い神話の世界を描くように見える。しかし、突然それが、今まさに眼の前のことを歌っていたことに気づく。してみると、ローマの民会とは国民公会のことであり、護民官とはジャコバン派のことであり、シーザーとはナポレオンのことだったのだ…。

そのとき、歴史の法廷へと市民一人一人が召喚される。共和国の敵と戦う使命と栄光が各人に与えられる。「起て、祖国の子らよ、栄えある日は来ぬ…」(ラ・マルセイエーズ)。息を吐くように嘘を吐き散らし、税金をかすめ取って仲間うちに融通する圧政者を、いよいよ撃つときが来たのだ!今や、隠蔽改竄を繰り返す役人たちの文書に代えて、引用された過去こそが法となる。引用されてはじめて、歴史は謎の碑文であることをやめ、その真の意味を見出すのだ。同時代としての今を鮮やかに照らし出す燈火となりながら。

ナチスに追われ、ピレネー山中に果てたベンヤミン(1892〜1940)の言葉は、その引用が我々自身の燈火になる瞬間を、今も待ち続けている。
  
Posted by easter1916 at 21:34Comments(0)日記

2018年04月07日

トロツキスト

「トロツキスト」というのは、ロシア革命でレーニンに次ぐ活躍をしたレオン・トロツキー(本名ブロンシュタイン)の思想と行動に単に共鳴する人のことを指すのではない。それ自体極度に論争的な文脈と含意を持つ言葉であったし、また今でもそうである。今日、そのような文脈がほぼ消滅している中にあって、それについて論じるアクテュアリティは少ないと思われるが、私自身、一時トロツキストとして活動した時期があるし、今日でも一部そのような運動にある種のノスタルジーを感じる人もいるので、私自身の今のスタンスを明らかにしておきたいと思うのである。

私は、政治的伝統とか政治的権威というものには大きな意義を認めるものであるが、ノスタルジーのような感傷は、政治という領域においては極めて有害であると思っている。それゆえ、特定のイデオロギーの政治的意義とその欠陥を明瞭にしておくことは、今なお重要であると思う。
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Posted by easter1916 at 17:37Comments(0)哲学ノート

2018年04月06日

存在への驚嘆

ギリシアに始まる「存在への問い」とは、いかなる経験に基づくものであろうか? 哲学がそこから始まったと言われる「存在への驚き」とは、何に対する驚きであったのだろうか?

その後の歴史で付け加わったキリスト教的伝統、とりわけ中世神学的伝統においては、それは「神の創造」への驚きと解釈されることになったが、ギリシア的タウマゼイン(驚嘆)は、もともとそのような本質と区別される実存に対する驚嘆であったはずはない。中世の神学では、神の知性が観想する本質と対比して、実存の方は神の(創造への)意志に基づくとされたのである。

タウマゼインとはむしろ、ギリシア悲劇にも通底する洞察であったろう。それは、それ以前は普通のもの、当たり前のものと思われていたこの世界が、突然中心を失って瓦解するような認知逆転に対する驚きであったはずだ。アンチゴネのコロスの合唱に歌われたような人間存在の深淵(驚嘆すべきもの、デイノンとしての人間)についての認識こそが、存在へのタウマゼインの源であったのだ。

つまり、その驚きは、本質とは区別されるはずの現実存在に対する驚きなんかではあったはずがない。いったい何が出来したのか、という驚きは、いったい何が存在していたのかという問いや認知と一体のものであり、世界に対する己れの理解枠組みそのものの崩壊の認知なのである。

したがって、ここでも意味の生成変化、流動化、運動が問題なのだ。この変化と運動をどう理解すべきか、ということに存在論は発している。

それ故、もっとも単純な反応は、それは存在しない、そう見えるのは仮象にすぎないとするエレア派的ないしはプラトン的立場である。

ギリシア的タウマゼインは主として自己の理解枠組みの崩壊に対する驚きであり、とりわけ言語的存在としての自己の再発見への驚きなのである。

サリヴァン先生によって手のひらに「水」と書かれ、水という存在へと開かれたヘレン・ケラーは、ただ水が実在することに驚いたわけではない。水を「水」という文字で表現することができるという理解の枠組みに驚嘆したのだ。水の存在が真に驚嘆すべきものとして立ち現れるのは、このように意味理解の総体を引き連れて現れるときである。

私は以前から、アリストテレスの「中庸の倫理学説」を、このような意味理解を開くはずの存在者の発見として理解すべきだと言ってきた(拙著『古代ギリシアの精神』p−149以下参照)。

危険を好む性格とそれを嫌う性格とだけが、「向こう見ず」と「憶病」として知られている段階では、それらは連続している。それらはいずれも程度差にすぎない。

勇気という存在がその中間のどこかに絶妙なバランスを達成した美徳として、その積極的内実とともに発見されると、そのようなバランスを欠くものとして、「向こう見ず」と「憶病」とはそれぞれ悪徳として見えてくる。

ここでアリストテレスは、それぞれの悪徳を混ぜ合わせたり、否定したりすることで、「勇気」を規定しているのではない。勇気という一点が発見されて初めて、その欠如として、両極端が(悪徳として)規定されるのである。勇気が見いだされる前と後とでは、概念の枠組みが一変しているのである。一者(勇気の存在)こそが、多者(向こう見ずと臆病)をその否定(欠如)として規定するのであり、その逆ではない。

このようにして我々の理解枠組みを一変するような存在者の発見こそが、真に驚嘆すべきものなのである。このような発見(実存と本質双方の一変)に比べれば、本質と実存のすり切れた区別立てなど、ほとんど無意味に等しい。
  
Posted by easter1916 at 03:36Comments(13)哲学ノート

2018年03月21日

エミリー・ディキンソン

山形新聞「ことばの杜」への投稿

「傷ついた鹿こそ、最も高く跳ぶ」 (エミリー・ディキンソン)

エミリー・ディキンソン(1830−1886)の名は、今も神秘に包まれている。生前はわずか数編の詩を編集者に送って助言を求めただけだ。詩を見た男は、その風変わりな言葉に魅せられはしたが、田舎に埋もれた名もなき少女が、世紀を代表する大詩人であることなど思いもよらず、いくつか親身の「指導」を与えただけだった。エミリーが、その慎ましい55年の生涯を閉じた後、親族が千七百編もの詩編を発見した。それがやがてアメリカ随一の詩人と称えられるきっかけである。

保守的で厳格な宗教の掟のがんじがらめの制約の中で、鍛えられ磨かれたエミリーの魂は、詩の中にのみ自由な翼を得た。結婚も恋愛もない平坦な生活の中でも、エミリーは自分の値打ちを十分に知っていたに違いない。周囲に抜きんでて高貴な、冷たいダイヤモンドのような誇り高い魂が、平凡な女性に身をやつしながら、激しく熱く燃えていたのである。

彼女の詩句は、取るに足らぬものたちの中に崇高なものを、また自然の時の移ろいの中に永遠を感じさせる。そして、苦悩や死を歌うとき、そのまま形而上学的な意味へと跳ね上がるのだ。猟師は語る「撃たれたとき、鹿は高く跳ねる」と。この詩句は、それ自身が傷を受けた人のように、深く苦しんだ詩人自身のように、また脇腹に傷を受けた磔のキリストのように、普段の生活では決してとどいたことのない高みに向かって、たちまち駆け上っていく。命を切り裂く致命傷が、それを可能にするのだ。それは既に、鈍く永遠の光を放つ星座になってしまったかのようではないか? 今でもまたこれからも、それは、この地上で傷つきあえぐ人々を、はるかな高みからほのかに静かに照らしている。
  
Posted by easter1916 at 03:48Comments(0)日記

2018年02月26日

正岡子規の歌論

先日プラトンについて書いたおり、子規の歌論について批判的に書いたが、その点についていくらか補足しておく。  続きを読む
Posted by easter1916 at 02:42Comments(0)批評