2021年11月18日

アレントのスターリン主義批判

アレントの『全体主義の諸起源』は、歴史的起源を偶然の産物として描く。ここで、ブローデルらによる歴史社会学の方法に触れておこう。出来事は、ふつうそのまま社会構造の変革を生み出すことはない。技術革新は、その分野の生産性を高め、大きな収益を生み出すが、その変化はやがて市場によって安定価格に導かれ、総じて構造に変化をもたらすことはない。
 しかし、18世紀のイングランドにおけるように、紡績機と紡織機の改良が、互いに互いの技術開発を刺激し合うことが起こると、その周辺に工具や部品製造の産業が集積し始める。簡単に部品がそろう市場の集中が、次の技術革新を可能にするのである(例えば秋葉原のことを考えるだけでよい)。どのような所に需要の拡大と供給のひっ迫が起こり、どのような技術革新が起こっているかを知らせる業界情報誌などの存在も、技術革新を準備するには必要な社会的インフラとなる。こうして持続的な技術革新を可能にする構造が生まれる。このように、複数の出来事が重合して、構造の変化につながる事態、ちょうど出来事と構造という時間的持続の中間の持続を持つ重合局面(conjoncture)という過程が出来事から構造変化への媒介として重要になる。
 資本主義の成立史において、16世紀イングランドの国王ヘンリー8世による宗教改革と修道院の接収並びにその土地の民間払い下げという出来事が起こった。ちょうどその頃、新大陸で豊富な銀が発見され、大量の銀がヨーロッパに流入してインフレが起こった。この二つの出来事の重合が、土地の投機を生み出した。ブローデルによれば、これが土地という生産手段の市場を生み出し、資本主義生成の出発点になったという。それ以前には、土地の商取引は慣習的に忌避されていたのである。
 アレントは、反ユダヤ主義と帝国主義という二つの要素の重合によって、全体主義が発芽したというシナリオを描いた。しかし、このシナリオにうまくあてはまるものは、たかだかナチズムのみであり、もう一つの全体主義であるスターリニズムには当てはまらない。実際、アレントの『起源』は、ナチズムはともかく、スターリン主義の分析に関してはお粗末なものである。アレントはそのことに気づいていて、以後マルクス主義の研究に没頭した。以後の主要著作、『人間の条件』『革命について』『過去と未来の間』『精神の生活』などは、その成果である。それらがいかなる意味でマルクス主義批判、とりわけスターリニズム批判になっているかについて考察しておこう。
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easter1916 at 22:02|PermalinkComments(0) 哲学ノート 

2021年10月29日

最高裁判事の国民審査

期日前投票に行ってきた。衆議院選挙についても言いたいことはあるが、ここで書きたいのは最高裁判事たちの審査についてである。私自身は、たいていはほとんどの判事に×をつけてきた。あまり関心がない人も多いかもしれないが、たとえば「選択的夫婦別姓」にさえ反対の裁判官たち(多数意見)を許せるのか? この問題は、決して国民の多数意見の問題ではない。基本的人権の問題である。したがって、国会の多数決による立法の問題ではなく、憲法判断の問題のはずである。こんなことも理解できない裁判官の存在を許せるのか? 私は許さない。

easter1916 at 03:44|PermalinkComments(0) 日記 

2021年10月19日

子規における批評

正岡子規が『歌よみに与ふる書』において、伝統的和歌観に挑戦する鋭い批判を展開したことは有名だ。我々はそこに、近代の芸術批評の模範を見ることができる。明治期にわが国に近代文学を導入した先人たちの様々な苦労についてはさまざまに論じられてきた。言文一致運動や新体詩の試みなどはその一部だろう。その中で子規の貢献も忘れることはできない。
 その貢献は、有名な写生の理論などではない。何より文学に批評を導入したこと、そのことに意味があった。狭い流派の文化圏の内部では、師匠からの添削はあっても、批評というものはなかった。そこでは、常に古歌が参照され、決まりとなった言葉遣いや花鳥風月といった題材にとらわれていたと言ってもいいだろう。子規はそこに、因習にとらわれぬ批評的態度で挑戦し、近代芸術として短歌の世界を一新したのである。「写生」は、その為のいかにも便利なイデオロギーにすぎない。「写生」であれば、古歌への参照は意味を失うからである。
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easter1916 at 20:03|PermalinkComments(0) 哲学ノート 

2021年10月15日

道徳の系譜

 ニーチェはキリスト教道徳の起源の問いを立て、それをルサンチマンであると暴いた。力において圧倒的に優位にあるものに対して、劣位にある者たちは容易に勝利を得ることができないとわかると、ゲームのルールを変更して、現実の勝利とは違う「精神の勝利」をかすめ取ろうとしたのである。それは、現実をはるかに超越する絶対者をでっち上げ、それに比べれば勝者も敗者も取るに足らぬ違いに過ぎないと見なすことによってである。こうなると、つまらぬ優位を言い立てる者どもは愚かであり、それを認めぬ者は傲慢ということになる。かえって、自分の無知を知り、自分の無力をわきまえることこそが謙虚ということになる。かくて、弱者は善悪の尺度を変更することで、まんまと勝利を手にしたのである。これをニーチェは「奴隷の反乱」と呼んだ。かくて、勝者・有力者に対する恨みで結集し、いずれは到来する神の怒りを頼んで復讐心を満足させる。
 ここで、勝者はニーチェによって貴族的存在と描かれるが、それが実際の歴史的現実に合致、または近似するものであるかどうかはなはだ怪しいが、弱者の方は明確な社会的リアリティを反映している。たとえば、D.H.ローレンスは、『アポカリプス論』においておい育った炭鉱労働者たちが、教区の牧師たちの説教で復讐心の留飲を下げるありさまを活写している。これに基づいて黙示録文学がルサンチマンに基づくと、ニーチェと同様の結論を導くのだ。
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easter1916 at 04:44|PermalinkComments(0) 哲学ノート 

2021年10月01日

我はこれ 塔建つるもの

宮澤賢治学会の会報の巻頭エセーを投稿した。

手は熱く足はなゆれど
われはこれ塔建つるもの


 お釈迦さまの入滅後、その埋葬に弟子たちは加わらなかった。その遺骸などに執着してはならないと教えられていたからである。そんなわけで埋葬に携わったのは仏教徒以外の人々であった。サンガと呼ばれた弟子たちの共同体の外にも、彼を遠くから仰ぎ見ていた人々がいたのである。サンガの掟は厳しかったので、多くの人はそこに加われなかった。それでも何とかブッダの恩沢のおこぼれにあずかろうとして、彼らは仏舎利の周りに集まった。これが仏塔の始まりである。やがて信者が増えるにつれて、仏舎利を次々に分骨して、いくつもの塔が立てられることになる。
 ところがそのうちに信者のあいだにイデオロギー闘争が激化し、仏教は多くの分派に分かれた。その中でもひときわ異端視されたため、仏舎利さえ分けてもらえない分派があった。それで仕方なく、仏典を中心に組織化をはかった。それが法華教徒であり、その経典が法華経である。
 こうして通覧してみると、仏教の歴史が、異端から異端へと分化し、いつもその異端の末においてその活力を復元してきたことがわかる。キリスト教でも、常に異端の挑戦は見られたが、「正統」は異端との緊張関係を維持し続け、場合によってはそれを自分の内部に取り込みながら、自らの同一性を確認しつつ存続した。清貧の原点に繰り返し立ち返った修道会運動と、何とか概念操作を凝らして妥協をはかろうとした公会議の議論を見ればそれがわかる。彼らはよほどのことがない限り、異端をまったくの敵に回そうとしなかったのだ。
 それに対し仏教史では、「正統」はそれぞれの時点で、異端を無視してそれ自体で「完結」し、それ以上の発展を止める傾向がある。仏教史上稀な美しい完成をみた空海の高野山に対して、後のすべての鎌倉仏教が比叡山から出たのは、比叡山がいつまでもそのような「完成」に至らなかったからである。
 さて、周知のように宮沢賢治は敬虔な日蓮宗徒でありながら、「われはこれ、塔建つるもの」と唄った。仏舎利のない身で、どのような塔を建てようとしたのか? 若いころ東京に出て、国柱会の布教活動に従事した彼には、法華経の経典も、確信と団結を与えるに十分でないことはわかっていただろう。現実の仏塔は言うに及ばず、理念としての仏塔でさえ、血を血で洗う党派闘争を止めることはできない。強く繋がろうとして、かえって激しく発散した。父政次郎の真宗と激しく対立した純粋の情熱の中にさえ、いくばくかの我執が含まれていなかったであろうか? おそらくは賢治も、そんなことは承知していたに違いない。知っているからといって、逃れられるとは限らないのだ。
 とはいえ、無理にまとまる必要も、まとめる必要もない。我々の中に無数の因果が流れ込み、また無数の因果へと発散してゆくとき、そのどれがどの地に根付き、どのような実を結ぶことになるか誰が知ろう。
 死の床に呻きつつ、自ら宇宙の微塵と散らばろうとしていた賢治の魂は、賢治というたまゆらの現象を結んだ奇(くす)しき縁をかみしめていた。そこにさえ我執は存在しただろう。因果の糸と糸とがたまたま出会い、魂を結び、トシと出会い、北上川と出会い、ブナの葉やあかつきの露と出会った。どうしてそれらに激しく愛恋せずにいられよう。どうして執着しないでいられよう。
 それでも、それらのいとしいものすべてに、今こそ別れを告げよう。「幸多かれ」と。
 今しも嫋(たお)やかに、木々の梢をぬって、最期の風が吹きすぎてゆく。


easter1916 at 20:50|PermalinkComments(0) 日記 

2021年09月12日

デカルト的なもの(つづき)

前回、概念的理解には誤りの可能性が付きまとうこと、したがって自己知に関しても、直接的確実性は保証されないことを見てきた。それゆえ、概念的理解には弁証法的吟味が必要なのである。たとえば、自分の感情が「愛」と言えるかどうか、さまざまの現象を取り集めて判断するしかない。これは「愛」という概念的認識にかかわるからである。
 デカルトのコギトは、懐疑という概念的思考にかかわっている。それゆえ、それが真の思考(真の懐疑)であるか、それとも思考の想像に過ぎないのか吟味が必要である。一見有意味に見えるがその実無意味な思考内容を持つものでも、思考といえるのかどうかについては、考慮の余地があるが、その問題をいったん迂回して、非概念的な自己知というものがないかどうかを考えてみよう。非概念的な直接知があるかもしれない。そうすれば、デカルト的明証性を、非概念的自己知の方向に探す余地があることになる。
 たとえば痛み。痛みは直接的感性的に与えられるように見えるが、果たして認識と言えるか?痛みを感じるとは痛がることであるとすれば、痛がる主体つまり痛がる身体なしには存在し得ない。痛みを感じる、ゆえに我あり、と言えそうである。しかし、痛みは身体の認識であると言えるのか?痛みについては真偽の区別が存在しない。痛みを感じることがすなわち痛みがあることである。
 しかし、夢の中でけがをしていたいと感じている場合、それは本当に痛がることではないだろう。単に痛いと想像しているにすぎないと見なすべきであろう。もとよりデカルトの懐疑は、身体の存在などは疑いが可能だと見なしていた。自分の痛みの体験が本当の痛みであろうと、夢の中の痛みであろうと、それを疑っている自分の疑いだけは確実だというのが、デカルトの懐疑ではなかったか? 
 痛みのような現象を身体の認識と言えるのかどうも怪しい。少なくとも認識の限界事例であろう。このような現象をデカルト的明証の一つと見なすのは無理だろう。デカルト的な自己知としては、非概念的認識を考えるにしても、別の道を考えるべきである。
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easter1916 at 21:57|PermalinkComments(0)

2021年08月25日

書を読んで羊を失う

山形新聞「ことばの杜」への投稿

「まことにものを知らない人間には知る喜びがある。」(鶴ヶ谷真一『書を読んで羊を失う』)


 偽書ともいわれるが、ショスタコーヴィチの自伝にも、これに似た言葉がある。作曲家の若い頃、ペトログラード音楽院のグラズノフ教授が、ブラームスの交響曲を知らなかった若者に向かって「君たちは何と幸せなのだろう。君たちはこの先、まだまだたくさんの美しいものに出会えるのだから」と言ったというのだ。
 中国の故事が語られる。どこかで聞いたことのある話だと思って読んでいると、『雨月物語』の菊花の約(ちぎり)の本歌(もとうた)だ。あるいはまた、栃木県の龍紅寺という寺に貨狄(かてき)像と伝わる妙な木彫があるという。それが、夜な夜な出歩くという噂が立った。ある晩それを狩人が撃ったので、その跡が像の腰についている。その後、その彫刻を詳しく調べると、十六世紀オランダの艦船エラスムス号の船尾を飾っていたエラスムスの像だったということが判明した。それがどうした、と言う勿れ。そのほか、漱石が稲を知らなかったとか、三島由紀夫が松を知らなかったとか、どうでもいい話が詰まっている。これら何の役にも立たぬ話を暇に任せて読み進むことは、何という快楽であろうか!まさに本読みの冥利に尽きる。
 そういえば、この本を私に勧めてくれた亡き友も、大の読書家であった。本好きが嵩じて、ついには自分で出版社を始めた。まだ一冊の本も出版しないうちに、自社用の原稿用紙を特注した。大方、誰か文士のひそみに倣ったのであろう。どこといって奇を衒ったとこのない用紙に、「千年社」という社名がつつましく印(しる)されていた。やがて出版社は、千年はおろか十年もしない内につぶれた。主のいなくなったアパートを訪ねると、いかにもゆかしい上品な文机(ふづくえ)が一つ残されていた。


easter1916 at 16:10|PermalinkComments(0) 日記 

2021年07月14日

デカルト的なもの

カルチャーセンターで「デカルト的なもの」について講義することになったのをきっかけに、デカルトについて再考してみた。再考を通じて次第にわかってきたのは、私があらゆる直接性の敵であるということである。つまり、私はデカルトの懐疑さえも、ソクラテスのギリシア的伝統の中に置いて考えているということである。続きを読む

easter1916 at 15:16|PermalinkComments(0) 哲学ノート 

2021年06月29日

山形新聞「ことばの杜」――マルタとマリア

「マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかしなくてはならぬものは…一つだけである。マリアはそのよい方を選んだのだ。」(『ルカによる福音書』第10章41)

 イエスはマルタとマリアの姉妹に招かれる。そのときマリアは、イエスの傍に座ってその話にただ耳を傾けていた。イエスを接待する仕事に忙しくしていたマルタは、イエスに不服を申し立てる。「マリアに手伝うように言ってください」。これをたしなめてイエスが言ったというのである。
 このイエスの言葉に納得できるだろうか? マリアは精神労働に専念し、マルタは肉体労働にかまけて精神をないがしろにしたと言うなら、明らかに不当であろう。いかなる肉体労働も、それが誠実に行われる限り、極めて多くの精神労働を伴わずにはいない。
 私自身、四十年ほど前に大切な人の看病をしていたとき、このエピソードの意味をかみしめたものである。病人の看病には、マルタの仕事もマリアの仕事も不可欠だ。その多くはマルタの仕事、額の汗を拭くとか、寝返りを打たせるとか、シーツを代えるとか…。でもマリアの仕事も大事。病人の寝息やふと漏らす片言に耳を澄ませるとか…。けっしてその優劣を競えるものではない。
 しかしそんな中で、汚れたシーツを取り換えるマルタは、マリアにも手伝わせよと文句を言うだろうか? たまたま自分がシーツの汚れに気づけたことを喜ばないだろうか? また、夜中に水を欲しがる病人の訴えに気づいたマリアは、それを聞き逃さなかった自分の幸運を喜ばないだろうか? 私たちはいつまでも看病を続けていくことができるわけではないのだ。それならどうして、その貴重な一瞬を味わおうとしないのか? 押し寄せる絶望と哀しみのただ中で、なおもその喜びを汲み尽くそうとしないのか? ひっきょうマルタの唯一の思い違いは、彼女が自分の仕事に真の充足を感じていないところにあるのだ。


easter1916 at 20:14|PermalinkComments(2) 日記 

2021年06月15日

現代芸術の存在証明

佐伯啓思氏編集の雑誌『ひらく』(5)が刊行の運びとなった。
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F-5-%E4%BD%90%E4%BC%AF-%E5%95%93%E6%80%9D/dp/4909355251/ref=sr_1_1?dchild=1&qid=1623686476&s=books&sr=1-1
そこに私も「現代芸術の存在証明」という短いエセーを寄せている。ご高覧いただければ幸いである。


easter1916 at 01:11|PermalinkComments(0) 日記 
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