2013年11月28日

丸山真男の緑会論文

秘密保護法について前に書いたが、補足しておこう。

政府自民党は、この法案で、自分たちの権力を強化できると思っているのだろう。それに反対する人たちも、多くは同様に思っているだろう。確かに、これによって国民の監視を逃れて、政府が好き勝手にやっても、秘密にされ保護されるということはあろう。それが人権の侵害を招くことは、言うまでもないことだ。

 
しかし、前に強調しておいたように、人権侵害などにはさほど留意しないような人々、人権感覚の鈍い国家主義者たちにとってさえ意外なことが、確実に生ずるということなのである。

 
反対する人の中には、これが戦争への道だと主張する人もいるが、私はそんな風には考えない。先日の反対デモにおいても、「戦争準備の秘密保護法反対!」というスローガンが叫ばれていた。しかし、アメリカの強力なイニシアティヴが、日本政府にそんな事を許すはずがない。日本近海における偶発的有事は、日本の国益と対面を大きく毀損した上で、日本外交の屈辱的敗北に終わらざるを得ない。その場合、アメリカは日本に対し表向きは「強い自制」をうながし、その裏ではあらゆる手段で戦争の抑止と日本政権の交代に動くに違いない。日米安保の想定に従って、米軍が我が国につくなどという夢物語が実現する可能性は、万に一つもない。なぜなら、それは端的にアメリカの国益に反するからである。

 
それでも、日本を中国に敵対させたうえ、アメリカが間を取り持つ仕方で、停戦を実現し、極東における米国のプレゼンスを強化するという選択を米国が取ることはないのか?つまり、いわば米国が日本をだしに使って、日本の国益を犠牲にする形で、中国に対する抑止力を強化しようとするということはないのだろうか?

 
私の考えでは、そんな事は有り得ない。日本と中国両国が保有しているおびただしい米国債を考えると、日中の間の決定的対立によって米国が益することは何もないのは明らかである。それは直ちにドルの破綻につながりかねないからである。米国にとっては、中国の日本に対するある程度の脅威は必要だが(それこそが表向き米軍基地の存在理由)、その脅威は決して決定的対立にまでなってはならない。米軍は、日本の戦争遂行に参加するなどということはまっぴらごめんであり、そんな火遊びをしている余裕は今のアメリカにはない。もちろん対中軍事行動に耐えうる米国ではない。

 
したがって、問題はそんなところにはない。

 
民権と国権の対立は、明治の民権運動以来の論争の的であるが、丸山真男が戦前から認識していたように、両者は必ずしも相反するものではない。むしろ補完の関係にある。丸山が彼の緑会論文を書いた頃意識していたのは、人権よりむしろ国権の方だったと言ってもよいだろう。戦前の体制は、不在地主階級という近代化にとっての桎梏が、社会に鈍重な重しとなって付きまとい、それと裏腹の関係にある大陸経営の難問が存在していた。つまり、小作農たちを陸軍と大陸へと動員する強い動因があり、日本の外交を歪めるとともに、経済の近代化を阻み続けていた。市場経済のもとでの自由闊達な私的活動が、こうして強力な官僚制と地域主義(地域ボス支配)のもとに阻害される結果として、地域エゴ、組織のセクト主義がはびこり、社会の各部署の間に不信と敵対性がふつふつと醸成されつづけたのである。

 
ここでは、社会の各部署は互いに他を顧みず、自己の組織防衛に走り、情報は共有されず、したがって公開の議論も不十分であり、方針決定には、裏取引と暴力によらざるを得ない。暴力団をはじめ、各種暴力装置(軍、警察、自警団…)が最後の頼みとなる。このようなヤマタノオロチ的多頭権力は、軍官僚制にもっとも顕著な姿を見せる。そこは機密が最も多く、暴力がむき出しの形で至る所行使される。2・26事件など、反乱のような極端な形を取ることもあるが、永田軍務局長の事件のような暗殺とか、表に出ないリンチや殺害は日常的に存在した。松根油の配分を巡って、陸軍と海軍の部隊が銃口を向けあい、すんでのところで衝突するなどといったことさえ起こっている(永野護『敗戦真相記』p−69)。

 
緑会論文を書いた丸山真男の問題意識は、このような我が国の権力の分裂状況を克服する中央集権化された国家を、一種の国家社会主義的な統制経済とともに構想していたのである。このような国家主義と社会主義の鵺的混合体制は、三木清など当時の知識人や企画院や満州鉄道調査部といったところで活躍した「革新的官僚」などにも、共有された理念であったのかもしれない。それは、今日顧みてそう見えるほど、荒唐無稽なものとは思われなかったということである。もちろんその後、丸山は自らに欠けていた自由主義を、本格的に自分の中に取り入れて行った。それは、丸山が時間をかけて南原繁から学んでいったものでもあった。

 
ここで学ぶべき教訓は、我が国の権力機構の欠陥は、一見そう見えるように権力集中が欠如していたことではなく、自由の欠如であったということである。丸山真男他多数の人にとって、戦前の体制が、およそ集権制の体をなしていなかったということ、そのための処方箋は、一見する所とは違って、自由しかなかったということである。国家権力を強化するためには、個人の自由の尊重と情報の共有が不可欠なのだ。未だに我が国の国家主義者たちは、このことに気づいていない。
  

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2013年11月26日

水村美苗氏の洞察

山形新聞のコラム「ことばの杜」へ寄稿 

「女は何よりまず、男が「女は何をのぞんでいるか」という問いを問うてくれるのをのぞんでいる」    水村美苗

最近離婚を経験した友人と話していたら、「家にはただ安らぎの場を求めていたのに、妻はそれを与えてくれなかった」と言う。このとき思い出したのが、この水村氏の言葉だ。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の解説(河出文庫版)にある。

この小説は十九世紀英国の典型的女流小説で、すべては若い女の幸せな結婚をめぐっている。何の欠点もない高貴な身分のダーシー卿のプロポーズを、主人公リジーが拒絶する所から、物語は動き始める。水村氏によれば、ダーシー卿こそ理想の結婚相手だ。それは、リジーに拒絶された後、彼が真剣に「女は何を望んでいるのか」と問い続けるからである。女の欲望は「女にとっても自明ではない」。しかしともかく女は「自分が何を望んでいるのかを問うてもらうこと」を望んでいるのだ。ここには、さすがに深い洞察がある。

ここで男は常に読み間違える。金であれ、セックスであれ、結婚であれ、これこそ女が求めているものだと性急に決めつけるあまり、この問いを忘れてしまう。だからこそ、家では何も考えず安心できる場を得ようとするのだ。しかしそれこそ、女が決して望まないことなのである。結婚したからといって、家を買ったからといって、男に安心して欲しくはないのだ。

我々がその謎に対して提出するいかにもトンチンカンな答え、愚かしい間違いは、たいてい大目に見てもらえる。「そんな風に考えたの、バカね」。しかし、この問いそのものを忘却することは決して許されない。それは、愛そのものの不在を意味するだろう。なぜなら、「『女は何を望んでいるのか』を問おうとすることこそ、女を愛すること」だからである。

  
Posted by easter1916 at 21:35Comments(3)TrackBack(0)

2013年11月19日

秘密保護法反対署名

特定秘密保護法に対する反対署名をしました。
https://www.facebook.com/
国会議員へのメッセージを書く欄があり、それに次ぎのようなメッセージをつけた。

構成要件のあいまいな法律は、一人歩きを始めます。それが結果として当初は思ひもよらないやうな官僚支配を招くことは十分にあり得ることでせう。政治家が膨大な情報の細部まで通暁することは難しく、秘密の特定はほぼ官僚に任されるでせう。すると、膨大な情報が秘密に分類され、政治主導そのものが危うくなってしまひます。戦前は、陸軍と海軍の間においてさへ互いに情報の機密化によって不透明性や壁が出来上がり、戦争行動に大きな制約が置かれてしまったことが思ひ出されるべきでせう。官僚による情報の秘匿化は、官僚組織の自閉とセクト化を招き、行政そのものにとってさへ閉塞をもたらすものです。

相手が国会議員であり、そこにはもちろん与党議員や右翼政党の議員も含まれているので(しかも彼らの賛同をも期待する必要があるので)、左翼やリベラルだけに通じる価値観に訴えるだけでは十分ではない。むしろ、ここでは与党議員の権力さえ、官僚の壁によって大きく削減されることを強調したわけである。

実際、戦前の体制では、戦争遂行という国家の一大事業すら、まともに遂行できるような規律や組織性が、その官僚制に欠けていたことが知られている(岸内閣で運輸大臣をつとめた永野護氏の手記『敗戦真相記』バジリコ出版にその詳しい実態が報告されている)。

日米戦争において明らかになったのは、単に物量や経済力において我が国が米国に劣っていたわけではなく、組織や体制が米国よりずっと硬直したものであり続け、情報の共有やその扱い方においても、決定的に見劣りしていたことである。つまり自由こそがその社会の底力を支えるものだということに、国民も為政者も気づかなかったということである。問題は、民主主義ではなく、自由主義である。
  
Posted by easter1916 at 17:45Comments(0)TrackBack(0)

2013年11月16日

特定秘密保護法反対

「平成の治安維持法」と言われる「秘密保護法」に反対する最後の闘いが、来る21日、日比谷野音で行われます(18時半から)。基本的人権の中核的価値である自由権を守るため、各人、自分にできることをして、後世に対する責任を果たしましょう。http://www.himituho.com/  
Posted by easter1916 at 03:30Comments(2)TrackBack(0)