2018年08月22日

勝海舟(山形新聞 ことばの杜)

「誰を味方にしようなどというから間違うのだ、みんな敵がいい。」(勝海舟『海舟座談』)

かつて職場で労働組合をつくったことがある。きょうび組合と言っても、親睦を深め、労使協調を図るものばかりだが、私のは闘う組合だ。私たちの要求は、「表現の自由」とか「性差別撤廃」とか慎ましいものばかりであったが、そんな最小限の人権のためにさえ、どれほど徹底的に闘わねばならないか痛感させられたものだ。職場の大ボス・小ボスとことごとく対決したので、危惧を感じた同僚は次第に遠ざかり、やがて私は完全に孤立した。

だが、みんな敵になってみると、それが存外心地よいことに気づく。とことん嫌われているので、愚劣な懇親会に出る必要も、スモール・トークに付き合う義理もない。もはやそれ以上嫌われることがないので、自分を曲げて人に合わせることはない。いかなる忖度も気兼ねも一切不要。よどんだ空気を読むこともさらにない。思えば、人に嫌われたくないばかりに、いかにしばしば不本意なことをやらされ、あらずもがなの愚行に手を貸すことだろう!

あるとき、職場の皆を集めて大ボスの訓話を拝聴する会を、私が例のごとく欠席すると伝えると、「どうしてか?」と訊かれる。「愚劣だから。愚行には手を貸すな、というのが死んだ親の言いつけです」と答えたら、周囲が凍り付くのがわかった。気の毒なことである。

最悪の奴だと思われていると、まれに気まぐれから親切をするだけで、「意外にいい人!」となる。それに対して、「いい人」という評判を維持し続けることは難しく、またやりがいもないことだ。一度でも期待を裏切ると、たちまち評判を落としてしまうからである。

周りがみな敵である状態は、まるで希薄な山嶺の空気にさらされるような爽快な孤独と自由をもたらし、幸福とは言わないまでも、少なくとも矜持を与える。

  

Posted by easter1916 at 00:53Comments(13)