2012年01月29日

好きになるってどんなこと?

昨年、『ドリーム・ナビ』12月号に「好きになるってどんなこと?」という題でエッセーを書いたが、その時発表しなかった別ヴァージョンの原稿を貼りつけておくことにする。

―好きになるってどんなこと?―
「大きな愛と小さな愛」
 オスカー・ワイルドの童話に『幸福の王子』というのがある。北の国のある街に、幸福の王子と呼ばれる彫刻があった。至る所、宝石や金銀で飾られた実に立派なものだ。その彫刻の王子様が、街の方々にある貧しい家の事を、ツバメから聞く。そこで彼は、自分を飾っている宝石を一つづつ取って分け与えるように、ツバメに命じるのだ。やがて夏が終わり、ツバメが南の国への渡りに出発しないといけない季節が来ても、王子の使いとしての働きは果てることがない。それだけ世の中には不幸な人が多いのである。やがて、王子の像は惨めにぼろぼろになってしまうが、ツバメは王子のために勤めを果たしたあげく、その足元で凍えて死んでゆく。
 あまねく惜しみなく不幸な人々に注がれる幸福王子の愛は、自分を分かち与え、自分を犠牲にして多くの人たちを救うけれど、この童話を読む人は、彫刻だけに何か冷たい感じがしないだろうか? その心は大きく気高いが、血の通ったものではない。
 この物語を救っているのはツバメの存在だ。本当の主人公はツバメなのだ。彼こそは王子様のことを、その小さな身体と心の全部で愛している。
 王子様の自己犠牲的な愛にも、それなりの事情があったのかもしれない。貧しく不幸な多くの人々の中にあって、一人きらびやかに飾り立てられて立ち尽くすのも、きっと楽ではなかったろう。いっそ裸同然にまで落ちぶれても人々に尽くしたい、そう思うようになったとしても不思議ではない。それをも理解して、ツバメは王子を愛している。ところが、王子の方は自分の大きな愛にばかり気を取られていて、足元に凍えているツバメの小さな愛に気づかないのだ。
 だけど、ツバメの方が本物で、王子の方はニセモノだというわけじゃない。もしそうなら、ニセモノを愛したツバメの愛もニセモノになってしまうだろう。大きなものを恵まれた者は大きなものを与えることができるし、小さなものを恵まれた者は小さなものを与えればいい。どちらも立派なことだ。王子様の贈り物は、多くの人々を喜ばせたが、ツバメのことには誰も気を留めない。ツバメは誰知ることもなく、ただ一途に王子様への小さな愛を貫いて死んでゆく。
 おそらく神様から見れば、愛に大きいも小さいもないのだろう。だがそれよりも大事なことは、ここで救われているのが、貧しい人々ばかりでなく、王子様でもあり、またツバメでもあるということだ。王子様にもツバメにも、やり遂げた幸福の微笑みがあったにちがいない。
 人を好きになることには、王子様の愛のように、どこまでも広がるとらわれない雄大さがあると同時に、また一方ツバメのように、人知れずただ人を理解し、その小さな胸いっぱいに憧れる、秘められた小ささもあるということだ。おそらくそのどちらも、大切なことなのだろう。


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