2014年10月25日

『近代日本の公と私、官と民』出版

京都の日本文化研究所での共同研究会の成果が、このたびNTT出版から論文集として出版された。参加した一員として、この友情の実りを喜びたい。
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002323


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この記事へのコメント
田島先生
「公共性を支える非政治的論理」を拝読しました。これまで先生が本の中でおっしゃっていたことや、あるいは通ずる問題が随所に見られ、それは最近のものだけでなかったので(例えば「教育者としての丸山真男」)、まさにインテグリティだと感じました。私としましても、この間先生にお薦めいただいた「柴五郎」やこれまで学んだことどもが、自分自身の気づかないうちにつながっていたことがわかり、さながら満天の星空の中に星座を発見した思いです。ただ、あることがわかったということは新たな問題が見つかったということでもあり、いずれにせよ勉強し続けねばならないと改めて思った次第です。ありがとうございます。
Posted by ナジャ at 2014年11月19日 20:28
ナジャさま
 拙論をご高覧いただき恐縮です。おっしゃるやうに、今回の論文は、たとへば『正義の哲学』の後半、特に「ライプツィヒ革命と音楽家」とか「非政治的人間の政治」あたりと重なるところがあり、当初一つだったものですが、発表機会が時間的に離れたために、二つの表現になったといふ由来があります。
 丸山眞男については、私には以前から「近代主義者」とか「リベラルな論客」「平和と民主主義の論客」といった評価にはかなり違和感を感じてきたものです。私にとっては、彼の神髄はむしろ「弁証法」といふところにあります。「近代主義」とかの決めつけは、それが一面的なものであるかぎり、いづれにせよ反弁証法的なものとなります。「合理主義的」といふ点でさへ、それが「非合理的なもの」と弁証法的関係において捉へられなければ、生きたものとはなりにくいと思ひます。福沢諭吉が自ら「数理」を重んじる一方で、「独立」や「やせ我慢」などを重視して弁証法的バランスをとってゐたことも同様です。
 わが国には、「弁証法」を振りかざしたり、表立って論じたりする人は多いのですが、自ら血肉化し体現して生きる人は極めて少ないので、なかなかその真髄が理解されにくいと思はれます。取り急ぎ、お礼まで
Posted by tajima at 2014年11月20日 00:07