2019年07月14日

山本太郎氏の政治(その後)

先日、品川駅前で行われた山本太郎氏とその仲間たちの選挙演説会に行ってみた。駅の階段に至るまで、聴衆でびっしり詰まった会場の熱気は、とても他の選挙運動の類ではない。何が聴衆をそれほど熱狂させるのだろうか?
  
私は前に、この運動にそれほどの信頼は置いていない、と語った。それでも、一抹の希望を託して少額の寄付をしたと記した。その後、この政治運動を観察して気づいたことを記しておきたい。

まず、長らく待たされたうえで発表された他の候補者の面々、その異色の経歴にも驚かされたが、この間しみじみ感じているのは、候補者一人一人の発言が、まるでバラバラだということである。しかも、一人一人が自分の言葉を持っている。このことは、この社会で生きる者としては、実に例外的なことではなかろうか? 政治においても他の場所でも、クリシェを繰り返すのが一般的だからである。誰かの口真似、借りもののお題目、管理されたお仕着せの表現でないものはほとんどない。

「れいわ新選組」のひとたちは、てんでバラバラに自分が言いたいことを語っている。しかも自分自身の生きた言葉で!コンビニのオーナーとしての怒りをぶつける人がいる。派遣切りにあったシングルマザーがいる。しかしその声はなぜか明るい。ずっと辛酸をなめているのに、彼女はほとんどはしゃいでいるといってもいい。それほど自分自身の心の叫びの言葉を発することができるのが楽しいのであろう。 淡々と静かな口調で自然保護を訴える人がいる。子供を守れとしか言わない大学教授がいる。それは政策であろうか? かと思うと、何やらいかがわしい金融の専門家がいる。ただし彼は、大学教授のように理路整然と金融の錯誤を厳しく指摘している。

常識的に考えて、この人たちの間で意志一致ができているのであろうか?たとえば、山本代表は大胆な投資と強力な消費喚起を唱え、それによる経済成長を目指している。それと、環境を保護し身の丈に合ったつつましい暮らしを説く候補者の間に、対立はないのか? あるいは、特定の福祉政策だけを掲げるシングルイシューの候補者は、その政策と全体とのバランスをどう図るつもりなのか?

突っ込みどころは満載のようにも見えるが、このようなことは、いずれも枝葉末節のことに過ぎないことがわかってくる。この国は、そんな政策論議がもはや無効になるほど、徹底的に破壊されつつあるではないか? 政治の原点がそんなことにないことは、もはや明らかだ。

政策提言で見れば、山本氏の主張は、日本共産党の主張に似ている。私は、共産党の政策も、議会における活躍も高く評価する点で、人後に落ちないと思う。だが、共産党の選挙運動は山本氏の政治運動ほどの熱気が生まれているとは思えない。これはなぜか? 共産党の候補者の発言が、誰を取っても一律のように感じられることも理由の一つかもしれない。

山本氏たちは、それに対して、生活者の怒りの声を掬い取っている。いや、生活者の声を「代弁する」のではない。彼らは誰かをrepresent(代理)するのではない。自分自身をpresent(呈示) しているのだ。自分自身が生活者として登場しているのである。

とりわけ私が評価するのは、消費税を廃止すると言い出したことだ。もちろん共産党も昔から言っていたことではある。しかし、山本氏が本気で言い出して初めて、それが本当に現実的な課題であるということが、浸透したのではないだろうか? 大事なのは、この本気かもしれない。今や、「立憲」や「国民」までが、消費税凍結を言わずにはすまなくなっている。たった一人の国会議員が、政治的議論の地平を一新したのである。なんという力量であろうか!

山本氏は、公務員をもっと増やせと主張している。これには、私自身の盲点を気づかされた。私も気づかないうちに、公共部門の非効率性という神話に惑わされ続けてきたのだ。部門によっては、もちろん市場化によって効率化が実現するセクターも存在するが、それが根本的に適合しない分野、たとえば教育とか医療とか水道事業とか、また部分的にしか適合しない分野、たとえば農業とか都市開発とかが存在することを忘れてはならない。

高度に複雑化する現代社会において、公共的分野は当然拡大する傾向にあるのに、それを削減することばかり考えてきた結果、我が国の教育や福祉の現場は、見るに堪えないほど荒廃し続けているのではないか? この点に共感する人はまだ少数であろうが、これまでの我が国の論壇の盲点を突く議論であることは明らかである。学界がペダンティックなひけらかしに走ったり、流行を追ううちに次第に白痴化していく中にあって、このような言説は、大胆に公論の地平を変えるインパクトを持つものと言えるだろう。

個々の候補者の政策に様々のヴァライエティがあること、異論があることも問題ではない。どれがほんとに正しいのかなど誰にも分らないのだから、初めからきっちり決めておいてもどうなるものでもあるまい。そんなことは、ただのお体裁にすぎないのである。このようなことこそ、松下政経塾以来わが国の政治文化において忘れられていることである。おしなべて政経塾出身者たちは、見掛け倒しの体裁屋にすぎないではないか!野田、前原、松沢、玄葉… (自民党が少ないのは、政経塾が世襲自民党に足場のない立身出世主義者=権力亡者の温床に過ぎないからである)

大局を見なければならないのだ。政治の大局とは、問題設定の地平を支配することである。山本氏の消費税廃止は、それによって大局を動かしつつある。この度の参議院選挙には、ひょっとして間に合わなくても、確実に次の衆議院選挙にはつながるだろう。


ご参考までに、福島における山本候補の演説を紹介しておこう。特にこの後半部分に、山本候補に真剣に反論する紳士が声を上げる部分があるので、それをめぐる火花の散るような討論に注目していただきたい。ここにこそ、生きた言論がある。官僚が準備した原稿を見なければ何もしゃべれない(しかも、しばしばその原稿の漢字を誤読する)連中と、際立った違いがここにある。

https://www.youtube.com/watch?v=cnPy-YfT6DU





Posted by easter1916 at 04:52│Comments(0)