2019年08月22日

キム・サン『アリランの歌』

私は以前学生の頃、韓国の留学生と話していた時、この『アリランの歌』をぜひ読んでほしいと勧められたことがあった。そのころ手ごろに入手できなかったためか、長い間読まずにきた。

しかしこの度手にとってみて、これまで読まずにきたことが悔やまれる。そのとき彼がどんな気持ちで「読んで見てくれ」と話したのか、その気持ちをいまさら考えてしまうのである。

本書は、アメリカ人ジャーナリストのニム・ウェールズ(エドガー・スノーの元妻)が、中国革命の聖地延安に乗り込んでいたとき、偶然に巡り合った朝鮮革命の闘士の身の上話を聞き、それを克明に書き留めたものである(こんな所にもアメリカ人ジャーナリストたちの底力を見るべきだろう)。キム・サンというのはその闘士の偽名(のひとつ)である。


1919年3・1独立決起の時、キム・サンはわずか14歳の中学生だった。キリスト教系の学校に通っていたのだが、先生が突然ウィドロウ・ウィルソン大統領の民族自決の原則とヴェルサイユ講和会議の動きを受けて、平和裏に独立を宣言する。生徒も市民も口々に独立万歳を叫びながら走り出す場面はまことに感動的である。彼らは無邪気にウィルソンの「理想主義」を信頼していたのだ。

彼らの理想のほんの一部でも実現するために、いかに多くの血が流されねばならなかったか、思えば暗澹たるものがある。

キム少年は、朝鮮における過酷な弾圧を避けて国を出る。植民地の治安警察は、宗主国における彼らの活動よりはるかに暴力的であるのが普通なのである。そのため、周恩来やホー・チミンのように植民地となった自国を離れて宗主国で独立運動を進める革命家もまれではない。

キム・サンは最初は東京で働きながら学校へ通うが、次第に共産主義に接近し、満州で活動していた軍事学校に入ることになる。広州コンミューンの敗北の後、延安にたどり着くまでの死線をくぐる経験は波乱万丈で飽きさせないが、相次いで殺害されていく同志たちや、中国・日本双方にわたる留置拘留における陰惨な拷問のありさまには、思わず目をそむけたくなる。

朝鮮の民族運動は、かくて中国の抗日運動に一体化されつつ展開されたことがよくわかる。しかし中国における抗日運動は、蒋介石の反革命によって結局国民党が主導権を次第に失い、共産党にその主導権を譲っていくのである。

この過程は、レーニンのロシア革命の過程とよく似た部分がある。すなわち、ロシア、中国などの後進地域になればなるほど、ブルジョワジーが市民革命を担うことができず、民族独立運動のイニシアティヴも、初めはブルジョワ自由主義やキリスト教人道主義から始まったとしても、革命に対する恐怖から反動的大地主階級と妥協を重ねることになり、民族独立運動から脱落していくのである。

中国には、プロレタリアートと言える階層がほとんど存在しないにもかかわらず、プロレタリア革命の党が民族独立運動の中心を担うことになるのである。このような逆説が生じたのは、大地主階級と非妥協的に闘う意志を持ち続けたのが共産党だけであったからである。

中国革命のその後、毛沢東による大躍進や文革などの諸政策の悲惨な結末や、朝鮮労働党とスターリンによる朝鮮戦争の謀略、並びにその後の悲劇を知っている我々から見ると、中国・朝鮮地域の民主化と近代化が共産党主導で行われたことの暗黒面ばかりを見がちであるが、共産党(スターリン主義者)主導でしか、民族独立運動が成功し得なかった事実の重みを見過ごすべきではないのである。たとえその中には多くの虚妄が含まれていたとしても、彼らが戦い抜いた抗日闘争の歴史的意義自体は明白である。我々は、日本帝国を打倒したこの偉大な闘争の意義を否認しようとするあらゆる歴史修正主義者に対して、一ミリも譲ってはならない。今日、我が国のこの地域における貢献も、たえずその認識に立ち返って出発すべきものである。

さてその上で、いくつか印象的な点を記せば、キム・サンのような朝鮮の共産主義者が、中国共産党の一部として抗日パルチザン闘争を戦ったとはいえ、決して同質でも一体でもなかったということである。たとえば、1930年北京で他の中国人共産党員とともに拘束された彼は、刑事たちのすきを見て逃亡しようとしたが、他の中国人党員は、協力せず傍観していたと記している。

「なぜあほうみたいに突っ立っている?卑怯者め!なぜ逃げないんだ?」「私たちには教養があるのだ!」という返事だった。(同p−269)

いずれにせよ、朝鮮人共産主義者(初めは、多くの民族主義者、アナーキストなどを含んでいた亡命闘士)はかなりの数に上り、中国共産党の重要部分を担っていたことがわかる。ちょうど初期のロシア共産党におけるユダヤ人党員のようなものである(彼らは後にスターリン体制下で粛清された)。

朝鮮人は中国人にまじってあらゆる分野で活発に働いた。あるものは顧問として、あるものは黄埔軍官学校や中山大学の教官として、あるものは革命軍の幕僚として、他のものは軍隊に入って戦った。(p−161)

日中戦争における日本帝国の敗北の結果、中国の独立とともに朝鮮の独立がかなえられたのも当然である。キム・サンのような朝鮮人共産主義者の中国革命への貢献がなければ、朝鮮(北部)は中国の一部に併合されていたかもしれない。しかし朝鮮の独立に関しては、アメリカ軍による部分もあることから、アメリカは南に関しては自国の権益を主張することができた。李承晩政権である。

つまり、日本帝国からの朝鮮半島の解放は、一方では中国軍、他方では米軍の貢献によるとされ、当初から両国の権益が錯綜する結果となり、のちの分断につながるわけである。

朝鮮戦争を挟んだ内戦の悲劇については、すでに様々に語られているから、あらためて述べる必要はない。ただ、李承晩に関しては、ほぼアメリカで活躍したのち、戦後に反共主義者としてアメリカに見込まれて首相についたので、おおよそ傀儡政権と言ってもよかった。大国の権益対立の渦巻くこの地において、独立を維持することの地政学的困難は、長く朝鮮半島の歴史を彩ってきたものである。

李承晩政権を倒し、朴政権を倒し、全斗煥政権、朴槿恵政権を次々に倒した韓国における民主化闘争の長い歴史が、ついには今日のムンジェイン政権に至って、市民革命と民族独立を成し遂げたことは、朝鮮民族の不滅の栄光である。

しかし、キム・サンのような共産主義者の努力が、長い闘争を経て結局ブルジョワ市民革命を成し遂げたことは、一見するほど逆説的なことではないのである。なぜなら、当初から、革命の目標は共産主義社会の建設よりも、民族の独立にあったからである。ただ、日本帝国と非妥協的に闘う意志を持っていたのが、中国でも朝鮮でも、大土地所有者に一切妥協しない共産主義者だけであったということである。

かくて、中国においても朝鮮においても、革命を通じて結局は農地改革が実現し、そののちの経済発展につながった。つまり、革命の前後を見比べてみれば、成し遂げられたことは民族独立と農地改革を通じての自由市場経済の大発展というわけであり、これこそ市民革命の成果に他ならない。

近代化において、常にネックになるのは軍部(農村部に基礎を置く権力)の存在である。実際、蒋介石政権では、たとえ抗日独立を果たせたとしても、他の多くの開発独裁政権や軍事政権と同様、土地改革に手を付けることはできなかったであろう。中国の貧農たちはそのことを見抜いていたからこそ、共産党を支持したのである。

キム・サンは、繰り返しアリランの歌を参照する。アリランとはソウル近郊にある山であり、その頂上にあった松の大木が李氏朝鮮時代から政治犯たちの刑場として使われていたのである。12の峠を越えて刑場に引かれてゆく囚人たちに口ずさまれた歌がアリランの歌である。

アリラン アリラン アラリ オ
アリランの丘をゆく
アリランの十二の丘の
いま 最後の丘をゆく

再度逮捕されたキム・サンは、北京の日本領事館で取り調べを受けるが、そのときの領事館つき警官は大学卒のインテリで、朝鮮独立運動に同情的であった。

私と同行する私服警官は早稲田大学出身でかなり感傷的な男だった。私を賛美する様子をありありと見せ、私の自作の詩を欲しがり、また獄中での感想を聞きたがった――中国の監獄での経験が尊敬に値することだと言いたげに。日本人は誰もが勇気ある生を賛美し、たとえ革命家に敵意を持っていても、内心ひそかにそれを尊敬するところがある。中国人なら、まず阿呆か金をもらってやっている手合いと考えるところだ。(p−281)

打ち続く過酷な弾圧の描写の中で、思わずほろりとさせられるところである。



easter1916 at 19:21│Comments(4) 書評 

この記事へのコメント

1. Posted by BLOG BLUES   2019年08月29日 00:23
こんばんは。ご無沙汰しております。その本の主人公は、五味川純平原作、山本薩夫監督の映画「戦争と人間」で、地井武男が演じていたような存在ですね。フランス映画「影の軍隊」にしても、韓国映画「密偵」にしても、レジスタンス運動を描いた作品を鑑賞するたびに、身が震えます。命を賭して抗う、という行為にです。仮に、日本が他国から侵略され支配下に置かれたとき、民族独立運動に挺身する日本人がいるでしょうか。少なくとも僕にはできません。マッカーサーは善政を敷いてくれた、だから万々歳だったわけですが、スターリンが厚木に降り立ったとしても、一億総揉み手で迎えたのではないでしょうか。反共軍事政権でありながら切羽詰まった途端、恥も外聞もなく、ソ連に終戦の仲介を求めるような民族なんですから。現在の異様なまでの嫌韓風潮は「脱米」に一歩踏み出した、民主革命を成し遂げた韓国民と、そのリーダーである文在寅に対する、日本人のルサンチマンではないでしょうか。
2. Posted by tajima   2019年08月30日 19:15
BLOG BLUESさま
 わたくしのあいまいな記憶では、『戦争と人間』では、朝鮮人共産主義者が中国共産党員に比べて、何か劣ったもの、やや感情的にすぎるものとして描かれてゐたやうな気がします。つまりすでにそこでも朝鮮人差別のやうなものが紛れ込んでゐたやうな気がするのです。しかし実際には、亡命革命家なのですから、中国の党員より少なくとも平均的には政治意識が高かったはずです。
 外交関係は、ある強い連続性を持たねばなりませんが、いったん日韓基本条約を結んだなら、その一言一句変更できないなどといふことはあるはずがない。日米安保条約はサンフランシスコ講和条約と同時に締結されましたが、その後協議を重ねた末に改定されました。ヴェルサイユ条約で決められた途方もないドイツの賠償金は、ナチス崩壊以後も結局支払はれませんでした。そもそもヴェルサイユ講和の内容が、正義と公正に反するものであったといふ歴史的反省がなされた結果、阻却されたわけです。日韓条約で決められた請求権放棄が合理的で公正なものであったかどうか、その後の歴史的検証を通じて日韓双方で見直していくのは当然のことであろうと思います。
 我々は、歴史的沿革を絶えず振り返り、建設的な対話を続けなければならないと思ひます。
3. Posted by ミヤシロ   2019年09月07日 00:44
「アリランの歌」をいま読んでいます。まるで自分がキム・サンであるかのように思いながら。この本を紹介してくださって、ありがとうございました。
4. Posted by tajima   2019年09月07日 01:24
ミヤシロさま
 『アリランの歌』お読みとのこと、ようございました。わたくしも大変感動しつつ読みました。とりわけ感心したのは、キム・サンが非常に冷静に過去の経験を振り返ってゐる点です。感傷とかノスタルジーのごときものが全くないのです。これは彼が行動的な人間で、とりわけ厳しい活動を経てきたことを意味するものでせう。活動家にとっては、感情的になることはただ不利を招くだけです。怒りのやうな感情でさへ、しばしば致命的なミスにつながります。彼らは、狩人のやうに敵を追ひ詰めなければならないのであり、獲物に対して決して怒ったり憎んだりしてはならないのです。このやうな点に、私は彼の強い自制心を感じます。

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