2019年10月03日

ことばの杜――ミル『自由論』から

その国の主なる能力者をすべて統治団体の内に吸収することは、遅かれ早かれ、統治団体そのものの精神的能動性と進歩性にとって致命的となる。(J.S.ミル『自由論』)

かつて、統治という大事なお仕事のためには、優秀な人々を選抜して充てるべきだと考えて、実施した国があった。それは実に賢明なやり方のように見えたが、結局は長い停滞と、常態と化した腐敗を招いただけである。威信と権力を二つながら与えられた役人たちやお偉方には、甘味な自惚れと惰性への埋没しか残されていないからである。

統治の水準を維持するためには、統治に携わらぬ人々や専門外の広範な人々による監視と批判が不可欠なのだ。同調という泥沼にどっぷりつかった社会は、あらゆる規範を弛緩させ、自画自賛の夢の中でゆっくりと融解していく。

科学技術を誇っていたさる国では、長年科学者がお墨付きを与えていた原子炉が爆発し、取り返しのつかぬ汚染公害をまき散らしたが、その責任者を裁いた司法の専門家は、そこには何の責任もないと宣(のたま)った。きっと法律家とか科学者とか経営者には、我々の批判を許さない何か高尚な知恵や権威があるのだろう。そうやって連中は、常にエリートたちの仲間内で守られてきたのだが、それで守られたものは結局、卑しい利権と阿呆の楼閣だけだったわけである。かくて、今でもえらいさんたちが、阿呆の楽園で飲めや歌えとばかりに、浮かれ騒いでいるのだ!「おもてなし」接待業で結婚にこぎつけたタレントや、オリンピックや賭博でがっぽり稼ぐつもりの政治家たちで宴もたけなわの折から、どんな大洪水が押し寄せても、どこ吹く風である。故郷を追われた人々、棄民として見捨てられた民草は、塗炭の苦しみをなめ続けているだけでなく、とことん舐められ、コケにされたものである。


Posted by easter1916 at 02:31│Comments(7)
この記事へのコメント
これって、反知性主義とかポピュリズムとか俗情との結託と何か違うんですかね
Posted by けん at 2019年10月03日 17:48
けんさま
 コメント恐れ入ります。私の理解では、「反知性主義」と「ポピュリズム」と「俗情との結託」とはそれぞれ全く異なる観念です。
 「反知性主義」とは、もともとのアメリカ思想史の文脈では、決して知性そのものに対する反対を意味するものではありません。むしろ、ブッキッシュな知識を権威主義的にありがたがる底の浅い教養主義に対する知的な批判(それも主として宗教的批判)を意味してゐました。「ポピュリズム」とは、憲法的原則をないがしろにして独裁的執行権力に全権をゆだねようとする大衆民主主義のことであり、「俗情との結託」とは、大西巨人の文脈では、ただ多数の、または社会的に有力な俗衆が持ってゐるだけの偏見に無批判に寄りかかる知的・倫理的怠惰のことを意味します。
 これらはいづれも、ミルの文脈とも私自身の文脈とも無関係です。
 ミソもクソも一緒にするやうな粗雑な「議論」で、何かを論じたやうな気になるのはやめませう。概念を違ふ文脈に転用するにしても、もともとの文脈をまったく無視したり、そもそも理解してゐないのであれば、それは比喩的転用としてさへ無価値なものとなります。
Posted by tajima at 2019年10月03日 18:45
ご教示恐れ入ります。
エリートクラブや上級国民のようなひと握りのバカがこの国を牛耳っており、その犠牲になっているのが我ら民草である、といったハリウッド映画のようなわかりやすい物語こそが「ミソもクソも一緒にするような粗雑な議論」に見えたのですけれども、勘違いでしょうか。
Posted by けん at 2019年10月03日 21:25
けんさま
 ハリウッド映画よりずっとわかりやすい物語(バカで無責任で強欲なエリートたちが、我々民草をめちゃめちゃに踏みつけてゐる)を、事実のかなり正確な解釈だとわたくしは主張してゐますが、それのどこが「ミソとクソを一緒する粗雑な議論」となるのですか? わたくしの議論で、何と何とを混同してゐると仰るのですか? ひょっとして「ミソとクソを一緒にする」といふ言葉を御存じないのですか? 自分がわからない言葉をお使ひになるより、自分に理解できる言葉で、率直にご自分の主張をしたらいかがですか? わたくしの解釈が間違ひだとお考へなら、妙にカッコつけないで、ただその根拠をお述べになればいいのです。
 今般明らかになった関西電力の贈収賄事件を見ても、何も悟らないやうな人は、一番単純なハリウッド映画を見ても、そのストーリーにさへついていけないでせう。
Posted by tajima at 2019年10月03日 22:53
これまたご教示恐れ入ります。
いま「ミソもクソも」をググってみましたが、だいたい思った通りの意味でした。
つまり、「エリート集団」なり「民草」なり「安倍政権」なり、まあなんでもいいですが、その中には「ミソもクソも」あるだろう、それを一緒にし、エリート集団はクソ、民草はミソとおっしゃっているように読めたのですけど?これは何かを理解あるいは解釈するときの基本認識ですので、そうでないなら仕方ないです。そういう「古い左翼的」なのが安倍政権なりそんなものを存続させているのだろうと思いますが、安倍政権がなくなると「古い左翼的」なものも一緒に無くなるので無意識に存続を望んでいるのかもしれません。無意識というのは困ったものですね。
Posted by けん at 2019年10月04日 08:11
けんさま
 気を付けてお読みいただければ明らかなやうに、これはミルの言葉をもとに論を起こしてゐます。ここでは、エリートが一元化される統治構造に焦点が当てられてゐるのです。天皇制でも、科挙でも何でもいいのですが、統治団体がエリートを一元的に吸収することの弊害を論じてゐる文脈で、わが国の現状を見てみると、政治も経済も司法も学会もプレスも、エリート同士がかばひあふ馴れ合ひ共同体を作ってしまってゐる――その構造を批判してゐるのです。エリートの中には、たまに良心的な人もゐるでせうが、そんなことは全体の論旨を反駁するものではありません。歴代の王たちの中には、善き王もゐたとしても、王制を打倒すべきでない理由にならないやうなものです。
 概念的思考は、個々の事実(たとへばエリート個人)をあげつらふのではなく、事態の構造を浮き彫りにしようとすることにかかはります。貴方はどうもこのやうに概念的にものごとを捉へることがお出来にならない。だから、まったく出自も意味も違ふ概念(「反知性主義」「ポピュリズム」…)を平気で並べて、ただ「悪」といふラベルとしてのみ使用できるとお考へなのでせう。そんな中で「古い左翼」も同様に使へるとお考へなのでせうが、そもそもそれを「新しい左翼」とまた「右翼」とどう区別するのか明らかでない文脈では、このやうなラベリングも無意味でせう。
 ちなみに、もちろんこの文章は「エリート一般」を否定したものではありませんし、「エリート主義」を否定するものでさへありません。このやうな自明なことも、わざわざことはらねばならないのは情けないのですが。
Posted by tajima at 2019年10月04日 12:26
「構造を批判」されているというお話ですが、そうは見えないという話です。
科学者や法律家や政治家や、そんなエリート集団は公害汚染を「撒き散らし」「なんの責任もないとのたまい」「卑しく」「阿呆で」「飲めや歌え」と「浮かれ騒ぎ」「がっぽり稼ぐ」輩だと単に煽っているのではありませんか?
これは「俗情との結託」を狙った物言いに見えるのですが。
ちなみにこちらの無知をとても気にかけて頂いているようで恐縮ですが、反知性主義についてはホーフスタッター、森本あんりさんのご著書、ポピュリズムについては大まかに2つの定義があるなどという話は一応存じております。定義は揺らぐものですので、お前はそんな言葉も知らないのかなどと言うのは端的にはしたないのではと思います。これは趣味の問題ですので、僕はそう言われることに特に感想はありませんけど世間的にはそうではないようです。
Posted by けん at 2019年10月04日 12:52