2019年11月27日

山形新聞への投稿

オフロードパス

ラグビー・ワールドカップが南アフリカの歴史的勝利をもって終わった。「試合が終われば、敵味方なくノーサイドだ」などと言ういかにもイギリス的な偽善に対しては、そこからいつもの階級闘争が始まるのだろう、と皮肉も言いたくなるが、それでも戦争よりはるかにましである。

今回、にわかラグビー・ファンが憶えた真新しい言葉には、何か新鮮な響きがある。そのひとつがオフロードパス。タックルされて倒れかけても、道途絶え進退窮まった所に、味方を信じて最後のパスをつなぐ、それがオフロードパスだ。

ネルソン・マンデラ大統領が南アフリカ共和国の痛ましい人種分断を前に、国民和解という途方もなく困難な課題を掲げたとき、まさか白人上流社会の象徴であったラグビーを使おうとは、誰も思いもしなかった。まことに偉人の想像力は、我々凡人のリアリズムをはるかに超えている。果たして南アフリカ代表は、一九九五年の南アフリカ大会に奇跡の初優勝を遂げた。映画にもなったので、ご存じの方も多いだろう。これはマンデラが彼の祖国に贈った強烈なメッセージとなったのだが、同時に我々にとっても最後に贈られた彼のオフロードパスではなかったろうか? なぜなら、我々の世界は、国内でも隣国に対しても、今なお民族和解には程遠いからである。

我々はそのパスをしっかり受け止めなければならないが、かといって、それを自分の私有物であるかのように握りしめて、何かに(例えば国威発揚に)利用するようなことをしてはならない。そんなことは、ノット・リリース・ザ・ボールの反則を犯すことになろう。


Posted by easter1916 at 00:39│Comments(0)