2020年01月08日

中東三十年戦争の悪夢

トランプ大統領の無分別によって、またもや世界は崩壊へ向かって一歩進めることになってしまった。これは、これから長らく続く戦争の序曲に過ぎない。どれだけ続くのだろうか?おそらくは三十年というところだろう。17世紀の三十年戦争も、ヴェトナム戦争も、我が国の昭和の戦争もおよそ三十年くらい続いて、大きな破局をもたらして終焉した。それ以上は、人間には持続するのが難しいのであろう。その間にはそっくり世代が代わってしまうから、憎悪の持続にも限界があるのだ。
 
トランプ氏は、ブラフに近い「取引」が得意で、破局をのぞまない相手からなら、有利な妥協を引き出すことも稀ではなかったろう。しかし、彼の狭隘な経験を超えたことが、歴史にはしばしば起こったのであり、それから何も学ぶ意志のない彼は、今回のことも高をくくっていたのであろう。我が国の知米派知識人も、強大な米国に対して本気で反抗する政治勢力があることは信じられないらしく、いずれイランが妥協に出るはずだと楽観している向きが多い。

実際、湾岸・イラク戦争はその後の混乱はさておき、思いのほかあっさり米国の勝利に終わったではないか?米ソ冷戦に勝利した米国に軍事的に勝てるはずがない、従って妥協しないはずがない、というわけだ。

四度に及ぶ中東戦争でも、ソ連に見捨てられたアラブ連合共和国は、アメリカとイスラエルの前に完全に敗北した。

しかし、イランと他の中東諸国とを同一に見ることはできない。他の中東諸国は、トルコを除けばいずれも軍事独裁国家であり、帝国主義諸国の植民地経営の産物として、帝国主義諸国の都合でつくられた国家にすぎず、近代国家としての体をなしていないものである。

『アラビアのロレンス』で描かれていたように、イギリスに利用されてトルコ軍に勝利したアラブ人たちは、たちまち部族対立を引き起こし、結局イギリス人たちの支配に服してしまったのである。サウジアラビアなどはそうやって帝国主義者の利権のために生まれた部族国家に過ぎない。それらの国は、民族的・政治的基礎が極めて脆弱であるため、非常に不安定である。

アラブの連帯を訴えたナセルのアラブ民族主義は、中東戦争でのみじめな敗北によって馬脚をあらわにした。フセインのイラクにしても、アメリカ軍に立ち向かうような実力にはほど遠かった。これらの敗北は独裁者の軍事政権が、見かけ以上に脆弱であることを示している。ちなみに、この点では日本帝国も同様であった。民主主義でないところでは、軍事力にはおのずから大きな限界があるのだ。実際、ペルシア戦争を記録したヘロドトスは、記している。

かくてアテナイは強大となったのであるが、自由平等ということが、単に一つの点のみならず、いかに重要なものであるか、ということを実証したのであった。というのも、アテナイが独裁下にあったときは、近隣のどの国をも戦力でで凌ぐことができなかったが、独裁者から解放されるや、断然他を圧して最強国となったからである。(『歴史』巻五78章)

この点で、イランこそ中東で唯一市民革命を経験した国であることを肝に銘じなければならない。それが可能であったのには、それなりの理由が存在するに違いない。何よりイランは、古代ペルシアのながれを汲む民族国家であり、誇り高い文化とペルシア語という由緒ある国語を持つ国家である。そのような国を相手にすることは、他の部族国家とは根本的に違うことを忘れてはならない。その点では、同様の市民革命を実現したヴェトナム民主共和国と類比される(ここで私が市民革命というのは、近代化にとって不可欠の農地革命のことである)。

こうした民主国家としての強靭さが忘れられているのは、石油利権に目がくらんだ米英諸国のプロパガンダがそれなりに奏功しているからである。彼らは、19世紀以来中東でしてきた数々の悪事を隠蔽し、今なおそこから吸い上げている利権を手放そうとはしないのである。そのようなイデオロギー工作にとって不可欠のものがイスラエルの存在である。イスラエルこそは、植民地帝国主義とアラブの王侯たちにとってのイチジクの葉にほかならない。

この戦争が、小康状態を挟みながらも、中東全域を巻き込み、コントロール不可能な長期戦になるのは明らかである。ちょうど、満州事変以後の三十年戦争のように。その過程で、サウジアラビアなどの湾岸王族国家が生き残ることはまず不可能であろう。そして、サウジ崩壊のさいには、いよいよアメリカ軍が総撤退することになろう。サイゴン陥落の時のような光景がまた再現されるのだ。もちろん、米軍将兵とイランその他の諸国に何百万もの人的被害を出した挙句の果てのことである。

イラン、イラクの歴史的遺跡などは、すべて灰燼に帰するであろう。それでもイランがアメリカに屈することはあり得ない。アフガニスタンやイエメンでさえ、米軍の敗退必至であるのに、民主国家イランを相手に勝てるはずがないのだ。

米軍が、威信も名誉も振り捨てて中東全域から撤退するときには、イスラエルはどうなるのであろうか? 米軍抜きで生き残ることは不可能である。その場合も、イスラエルはむざむざと降伏するはずはないと思う。必ずやイスラエルは狂気のような核攻撃に訴えるであろう。アメリカは、もはやそれを阻止することはできない。そのころは、イスラエルとアメリカの信頼関も地に落ちてしまっているからである。もちろんそれは、イランから直ちに核攻撃で報復されるほかない。恐ろしいことであるが、エルサレムは、この地上から消え去るであろう。ソドムとゴモラのように神の火がエルサレムの上に下る。人々はみな塩の柱に変身する。

アメリカ国民がありそうもない自制心を発揮する以外に、このシナリオの実現を阻むことは難しい。

我々に何かできることはあるだろうか? 中東への自衛隊派遣を我々の力で阻止できたとしても、そんなことで、この戦争を止めることはできない。もはや我々の力の及ばぬところまで、事態は悪化してしまっているのである。我々に残されているのは、ただ祈ることだけである。

(補足)
その後、イランの自制によって当面の危機が回避されたのは周知のこと。

ただ意外だったのは、ウクライナ航空機撃墜事件とその後に起こった諸事件である。この事故自体は、戦時の緊迫下において時々生じる不幸な出来事に過ぎない。サハリン沖の大韓航空機撃墜事件(1983)、イラン航空機撃墜事件(1988)など記憶に新しいところ。意外だったのは、イラン当局が時を置かず責任を認めたことである。ウクライナにおけるマレーシア航空機撃墜事件(2014)では、いまだにロシア政府は責任を認めていないし、真相究明に協力してもいない。

私の勝手な推測を記せば、イランの異例な自制の背景には、この撃墜事件による政権内部の狼狽があったのではないか?たとえそうでないにしても、この自制はアメリカにとってもイランにとってもよいことであった。

トランプにとっては命拾いの僥倖であったが、イランにとっても長い目で見れば幸運であった。というのは、スレイマニー司令官の暗殺は、一挙にイラクの反米世論を賦活し、この地域での米国の威信は決定的に傷ついたからである。この情勢をイラン自体が武力的に変える必要はない。時間がたつにつれて、この地におけるアメリカのプレゼンスはますます後退するからである。せいぜいサボタージュやゲリラ戦で米軍をてこずらせるだけで、彼らはいずれは目的を達成できるのである。

今般、イランに諸都市で、政府の情報隠蔽に対する批判のデモが起こったのにも、少し驚かされた。このような批判の存在は、もちろんその国の弱さではなく、健全さと強さの現れである。これも、彼らの市民革命の経験によるものだろう。

Posted by easter1916 at 20:08│Comments(0)