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カテゴリ:オカルト本大集合

中岡俊哉著『水子供養で救われた』

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今回取り上げるのは、中岡俊哉著『水子供養で救われた』(二見書房)。初版は1987年、手元の本はその初版。内容としては、水子による霊障と、供養の仕方、水子供養をしてくれるお寺の紹介など。先生はこの本の前に『水子霊の秘密』を刊行されていて、当時かなり話題になったようで、その続編ということになります。
水子霊の問題については、ASIOS代表さんによるこちらの記事が参考になります。ASIOSの検証というと通常は理系なのですが、この記事は水子供養の歴史をたどっており、いわば文系。水子霊の霊障という発想は古くからのものでもなんでもなく、1970年代に入ってから唱えられるようになったとのことで、それが一部の寺院にとっては大きなビジネスチャンスになったとかなんとか。
『水子霊の秘密』は1980年の刊行のようなので、先生が火付け役というわけではないんでしょうけど。デリケートな問題ではありますが、評者は水子も水じゃない子も縁がないので、フラットに見ていけるかと思います。

それでは本文を見ていきましょう。最初は、家に次々と不幸が起こった、水子霊の仕業だと判明した、供養したら救われた、とかいった話が続きます。要は霊障編ですね。
最初の記事の産婦人科医夫婦は、1386回の中絶手術を手がけただけでなく、自分たちも中絶をしたことがあった。すると、息子や娘が難病にかかったりトラブルを起こすように。
ある日、他の患者の付き添いをしていた老婆に「奥さん、失礼だけど、あんたにゃたくさんの水子さんがついているねえ、障りを受けるよ」と言われてしまう。そこで先生のもとに相談に、というわけです。
これまで仕事上のもプライベートのも水子は一切供養してこなかったという話を聞いて先生は、次のような反応。
「それだけの人殺しをしていて、よくまあ平気ですねえ、子供がおかしくなってあたりまえでしょうね」
私の悪いクセが出てしまった。
中々過激なことを言うものですが、ともかくこの夫婦は水子供養したら家庭の問題も改善されたそう。

これに続くのが、お寺の跡取り娘が妊娠して中絶してしまうという話。
実家のお寺では、「宗派の教義からして、水子霊を認めることはできなかった」。
うちの宗派の教義からしたら、水子霊はないということなんです。ご本尊にお祈りすることによって、すべてが浄化され、成仏されるという教えなんです
先に貼ったページによれば、水子供養というものを始めたのは17~18世紀に活動した浄土宗の祐天上人だそうですが、供養自体を認めていない宗派も多いんでしょうね。
ともかくこの跡取り娘は苦悩の末に尼僧となり、教義に反しながらも水子供養を続けているそう。この話はよく見ると、霊障のような記述はありません

次の話は霊障ネタ。ある日、父親の本棚にある辞書の間から、娘がこんな手紙を発見してきた。
俺は弘子が好きだ。妻も子も捨てたっていい。(中略)弘子は女としては最高だ。俺の知っている八人の女のうちで、弘子にまさるやつはいない。(中略)弘子を抱いていると、俺は生きている幸せを痛感する。生きていてよかった!(中略)弘子を俺のものにするためならば、俺はなんでもしてやる(後略)」
かいつまんでの引用となりましたが、原文ではこの手紙は長く、1ページ近いものとなっています。手紙とはいうものの誰かに読ませるために書いたのではなさそうで、自分の想いを綴ったものといったところでしょうか。それにしても頭の悪い文章だなあ。中岡先生は何を思って手紙の全文を引用したのでしょう。
この娘は勉強のために父親の本棚から辞書を拝借しようとして、こんな悲劇に見舞われたんでしょうか。父親もシュバイツァーの伝記だとか、誰も手に取らないような本に挟んでおけばよかったのに。
ともかく手紙を読んで母親は激昂。家庭不和に。やがてその娘も、男のもとに外泊するように……。これも水子の霊障であり、供養したら平和が戻った、というわけです。
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19歳同士のカップルができてしまい、結婚して産もうとしたところ、親の許しを得られず中絶させられるといった話も。
チエさんは、自分の部屋に駆けこむと、大声をあげて泣いた。昭和五十八年九月十七日、東京でのことである
当時は19歳はまだ未成年で、未成年者の結婚には親の同意が必要でした。それはともかく中岡先生のこういう本で日時を正確に記されると、なんか創作くさい気がしてくるんですけど。
チエさんは、病院のベッドにのせられても、必死になって中絶を拒みつづけた。だが、最後まで拒みつづけることはできなかった
こういった手術って、患者が抵抗しながらでもできるものなんでしょうか。医院の側としても、帰ってくれと言いたくなるでしょうし。このあたりの記述は先生のスプラッタ趣味が垣間見えるような気がしないでもないところ。
ともかくこの2人も寺をたびたび訪れて水子供養したところ、2人とも大学に合格、やがて親に結婚を許してもらえたのだそう。許してもらって喜ぶのではなく、成人したのならそんな親とは縁を切った方がいい気もしますが。

第3章は、水子供養を行なっている寺の紹介。境内の様子や供養の方法、料金などを載せています。
評者の近くだと府中市の慈恵院が大きく取り上げられているのですが、この寺、現在はほぼペット供養専門のお寺みたいになっているようで……。機を見るに敏なお寺といったところでしょうか。
大阪の来迎寺の住職は次のように語っております。
うちへ来られる方のほとんどが、どこかで見てもらったら水子のたたりがあるといわれた人たちです。私は、それをまったく否定するんです。たたりは絶対にないのだと
中岡先生の主張を真っ向から否定するようなことを。

秩父市の光明寺の住職もまた、法話では次のように述べているそう。
霊障などはない。自分の良心のとがめが潜在意識に沈潜しており、それが障害として出てくるのだ。霊能者にはその潜在意識が投影して語られる。潜在意識の薫陶しかない
実に合理的な解釈ですねえ。霊能者もコールドリーディングしているだけということになります。こんなしっかりした見解を中岡先生の本で見ることになるとは。
このご住職、「マスコミは、祈祷仏教的坊主どもの先棒をかつぐ必要はない。水子供養で稼ぐ坊主どもは、いちばん先に地獄行きである」と述べていたりも。実に素晴らしい。このご住職は立派な方ですね。

この本、色々な寺にインタビューしたりしているだけあって、霊障を否定する寺も多い一方、もちろん肯定する寺の声も載っております。
霊障があると明言はせずとも、四百数十万の不渡り手形をつかまされたが、水子供養をしたら380万円帰ってきた、というケース(京都市・西福寺のエピソード)などは、水子霊が不渡り手形をつかませたと解釈できます。そうでないなら、水子を作っても供養さえすれば逆に加護が得られるといった、それはそれで悪用されかねない問題になってきますし。
費用についても、この西福寺などは、「どこやらの寺では、四万円などという話も聞いています。うちは、そんなにいりません。千円か二千円あれば……」と語っています。
前述した光明寺の住職も水供養で稼ぐ坊主は地獄行きなどと述べていましたが、一方では「お地蔵さまを建てる場合は二体で三万円と七万円の二種類」などというところも載っていたり(評者が何度かお参りしたところだ)、そうしたお寺同士の考え方の違いというのも面白いところです。

また中岡先生、責任を女性だけに押し付けるのではなく、「いとも簡単に水子をつくらせているのは男性の側に原因があると私は考えている。ごく一部の人たちを除いては、女性が自ら水子をつくることを望んではいないはずだ」と、男性の責任を指摘するのも忘れてはおりません。
なお巻末には、切り取って組み立てる地蔵護符が付いております。
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さてこの本、前半はいつものおどろおどろしいノリながら、中盤以降はお寺の紹介やお寺側の声が続いたり、世相の乱れを嘆いたりと、中々バラエティに富んだ一冊でした。怪談パートの霊障がおとなしめだったのは、水子は力が弱いということなのか、デリケートな問題だけに配慮したのか……。ともかく先生の憤りは伝わってきました。

中岡俊哉著『空飛ぶ円盤と宇宙人』

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今回取り上げるのは、中岡俊哉著『空飛ぶ円盤と宇宙人』(小学館)。初版は1975年、手元の本は83年発行の第17刷。小学館入門百科シリーズなる児童書シリーズの一冊となっております。
中岡先生でUFO本というと、以前『世界のUFO』を取り上げました。これは、秘境を舞台とした聞いたことのない目撃談や、中国の古伝承、地球に滞在している宇宙人のインタビューから、SETI計画の話や、アレン・ハイネックの論文の翻訳まで、硬軟取り混ぜた一冊でした。児童書のこちらははたして……。
なお先生、著者紹介では「超能力研究家」という肩書きとなっています。当時は心霊研究よりそっちの方がメインだったのですね。
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最初のカラーページには、UFOや宇宙人の写真やイラストだけでなく、ポストカードなるものが付いております。ページの裏が郵便番号記入欄その他となっていて、切り取って使えというわけですね。
瞑想している男がいかにも当時のニューエイジ思想っぽくて少し苦笑してしまいますけど、もしかして本文にも登場する横尾忠則先生の作品なんでしょうか。
なお本書、タイトルだけでなく本文でも「UFO」という語は使わず、一貫して「円盤」と表記しております。
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それでは本文を見ていきましょう。
最初は、UFOや宇宙人についての基礎知識から。上の宇宙人写真は、伝承ではドイツまたはメキシコで撮影されたもののはずなんですが(実際にはコラ写真)、カリフォルニアで捕えられたことになっています。本文では、
1957年にアメリカのCIAが西ドイツで発ぴょうした宇宙人の写真は、人間のかたちをした数十センチの小人で、これは現在もアルコールづけとなって保存されている
写真が世に出たのはその頃のケルンの地方新聞ですから合っていますけど、別にCIAが発表したわけでは。それにアルコール漬けにして保存というのもひどくローテクですねえ。
右側の挿絵、「メンジャーさん」というのはハワード・メンジャーのことかと思われますが、「撮った宇宙人」とかいいながら写真ではなく挿絵というのも困ったもの。「外見はほとんど人間と変わらない」とあるもののロボットにしか見えませんし。なお本物のメンジャーの写真は、本書のカラーページにも載ってますけど、アダムスキー円盤の前に黒いシルエットが写っているだけだったりします。
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元となった目撃談があるイラストはまだいい方で、こちらのイラストは特に対応するような目撃談もなく、ひどい仕上がりとなっています。
左側のはロボットではなくヒューマノイドのつもりみたいですが西洋鎧がモチーフなのかなんなのかひどくレトロですし、右側のも脳が露出していて胴体が機械だったり……なんだこりゃ。こうやって見ると実際に目撃された宇宙人というのはデザインが洗練されていたんだなと思わされます。

挿絵は置くとして本文の方を見ていくと、基礎知識の次は「日本にも来ている円盤〔実話30〕」という章。
昭和48年12月9日、東京西部上空で不思議な飛行物体が目撃されている。時間は午後4時14分から16分にかけて」といった風に具体的な日時と、目撃者の本名を明記した目撃談がひたすら30話も続きます。その目撃談も要約すれば、不思議な光が飛んで消えていくのを見ました、終わり、といった地味なものばかり。この章は創作したりせず、実際の記事を使っているのでしょう。

続くのが「円盤を見る方法・呼ぶ方法」という章で、最初に紹介されている話が中々面白いものとなっています。
「円盤をこの目で見てみたい!」
北海道小樽市に住んでいた苅屋瑞夫さんが、そう考えたのは、昭和32年ころのことである。
その日から、円盤に関する書物や雑誌を読みあさり、どうすれば円盤を目撃することができるかと考えつづけた。
「そうだ、テレパシーで円盤を呼べるかもしれない!」
そのことに気づいて、じっさいに実験を開始したのは、昭和43年9月28日のことである。
1957年の段階でUFOに興味を持つというのは中々先見の明(?)がありますが、そこからテレパシーという方法を考えつくまでの11年の歳月を思うと、なんともいえない気持ちにさせられます。独学でチャネリングという方法に辿り着いたのは凄いのかもしれませんけど。
で、午後11時40分に家を出ると、「こちらは地球の苅屋、応答をねがいます!」というメッセージを午前3時になるまで繰り返し送ったのだそう。苅屋さんは独学で始めたので、ベンドラベンドラ……というのは使いません。宇宙人に日本語は通じるのかという疑問はあるものの、本家CBAだって「ベントラベントラスペースピープル……」と英語が続きますし。
今よりずっと涼しかった当時、それも北海道で深夜3時まで屋外でそんなことしてたら風邪ひかないか心配にはなりますけど。
翌日以降も毎日30~60分テレパシーを送り続けたところ、11月12日と13日になってようやく謎の発光体を目撃。14日にはついに宇宙人からのテレパシーが送られてきた。
“2500年前、われわれはエジプトで地球人とはじめて協定を結んだ”“地球人類とあらゆるものは、地球ができたときに、すでにどうなるか決まっている”“宇宙と地球を守るものをつくりなさい”
これがテレパシーの内容だそう。BC530年頃というとエジプトは末期王朝で大分衰退していた頃なんですけど、宇宙人はそれに付け込んで不平等条約でも結ばせたんでしょうか。地球が出来たときに運命が決まっているというのも何のことなのか不明ですし、何の権力もない一市民に対し、地球だけならまだしも宇宙を守るものを作れとか要求するのも……。
まあ、宇宙人が明らかに不適当な相手に過大な要求をするのはいつものことですが。

ちょっと長い記事としては、少年が宇宙人に襲われたというものも。
その日、チャゴ少年は農業高校の農園に働きに来ていた
するとUFOが着陸。身長1.3m、左右の目が段違いにずれている奇怪な宇宙人が降りてきた。
「エンバウーラ」
びっくりしているチャゴ少年にむかって、宇宙人が声をかけた。その声はとても低く、スピーカーから聞こえてくるような、金属的な声だった。
「エンバウーラ」
たしかに宇宙人はそういった。だが、意味はわからない。
このエンバウーラというの、もしや円盤から降りてきたからという安直な発想なのでは……。
ともかく宇宙人は光線銃で撃ってきて、少年は倒れてしまう。
少年は抵抗するつもりで、ポケットにあったたばこの箱をやっとのことで宇宙人に投げつけた
少年なのになんでそんなもの持ってるんですかね……。まあ、中岡先生がチャゴ少年にインタビューしている写真を見た限り、少年といってもハイティーンくらいみたいですけど。
タバコの箱は宇宙人の手に吸い付いたものの、村人が助けに来たので宇宙人は立ち去ったそう。

この本では後半の記事でも、宇宙語と称するものが載っています。
宇宙人がしゃべったことばで、これまでに数百語が確認されている。「アグウトッベッ」(こんにちは)、「テポッタガ」(よろしく)、「アプウーガッ」(さようなら)などは、意味がほぼ解明されている。
そんな報告まったく聞いたことないんですが……。ていうか目撃されている宇宙人って大抵は、目撃者の母語で喋るかテレパシーで伝えるかしてくれてるはずですけど。
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これが円盤132種だ!」という記事では、これまでに目撃されたUFOを132種類に分類して、目撃地や年月日とともにイラストを掲載するというもの。
アダムスキー型やシンプルな円盤型といったおなじみのものから、なんだこりゃ本当にこんなもの目撃されたの?と疑問に思ってしまうような変てこなものまで、色々掲載されています。
この16番のものなどはどういう形状なのかさっぱりわかりませんが、しかし17番は明らかにギル神父の有名な事件で目撃されたもので、すべてがでたらめというわけではないようです。

終盤の小ネタ集みたいなコーナーでは、こんな話が。
江戸時代の随筆集“梅の塵”という本にのっている記録によると、「享和3年(1803年)3月24日、いまの茨城県の原舎浜に円盤らしい物体と宇宙人が来た」というような意味のことが、書かれている。
後に有名になった「うつろ舟」の話ですね。こんな古い本でもすでにUFOネタとして取り上げられていたというのは注目に値します。
あくまで「というような意味のことが」であって引用や要約ではないとはいえ、宇宙人と決めつけるのは曲解の範疇に入る気もしますけど。

さてこの本、珍しい中岡先生のUFO本、それも児童書ということで、荒唐無稽な創作などを期待したところ、そっちの方はわりと控えめでした。宇宙語とか変なのはありましたけど。それより日本のUFO目撃例を集めたり、意外と真面目な印象でしたかね。

中岡俊哉著『ピラミッド・パワー』

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今回取り上げるのは、中岡俊哉著『ピラミッド・パワー』(二見書房)。初版は1978年、手元の本はその初版。内容としてはタイトル通り、ピラミッドパワーを扱ったもの。本来はカバーの間など色々付録があったようなのですが無くなっていました。

それでは本文を見ていきましょう。
最初は、中岡先生のピラミッド・パワーとの出会いから。1971年秋、テレビの取材でイギリスを訪れた際、心霊研究家の家で実験風景を見せてもらったのだそう。そこではピラミッド型の模型の中に使い古したカミソリの刃を入れておくとまた切れるようになるとか説明されたとのこと。
私は思った。切れなくなったカミソリの刃が切れるようになったところで、たいしたことではないではないか。それにカミソリの刃などというものは安いものであって、そんなにムキになって研究することでもなかろう……
いやはや、ごもっともです。中岡先生、意外とこういうところは妙に冷静というか現実的なんですね。もっとも、「いま考えてみれば、じつに恥ずかしい、お粗末のかぎりのことである」と、その時の感想を反省してはいるのですが……。
その後、「アメリカの有名な超心理学者ライン博士」や「ポーランドの世界的に有名な物理学者マンジャルスキー博士」など、名だたる学者たちの研究室にピラミッドの模型が置かれているのを見ていくうちに、考えを改めたのだそう。
ライン博士というのはジョゼフ・バンクス・ラインかと思われますが、マンジャルスキー博士だとか、その協力者のステファンスキー氏とか、「国際サイコトロニクス研究連合の会長であるチェコスロバキア人のレイダク博士」とか、検索してもヒットしない研究者が大勢登場するんですよね。先生はそういった研究者のもとを訪れてピラミッドパワーの話を聞かされたのだそう。
評者などは、中岡先生の創作を疑いたくなるんですが。ただ「レイダク博士の考え方についての私見はともかくとして」と、その博士の説に異論があるのを匂わせたりと、一筋縄ではいきません。
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あとは、ピラミッドを使った実験の結果を紹介したり。
テレビレポーター一谷伸江氏による実験では、肉や花がうまい具合に乾燥したそう(上の画像参照)。
ミッキー・カーチスの実験では、「枯れかけた蘭は四日後に生き生きしてきて、いまでは花もりっぱに咲いている」とのこと。花は乾燥するのか生き返るのか……。
そこから、著者自身による実験パートへと進みます。
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肉だとか牛乳だとか物品をピラミッドの中と外に置き、比較できるようにして進めたそう。
中岡先生の場合、ピラミッド・ジェネレーターなる聞きなれない器具を使ったりもしております。四角錐をびっしり並べた形状の板で、足ツボ刺激用の器具にこんなのあったような……。
スタッフの一人・大原が都合よく足の指をケガしたので、ジェネレーターを患部に乗せたらすぐ良くなったそう。
ジェネレーターから放射されるピラミッド・パワーと大原君自身の足から放射されるビオエネルギー・パワーがその治療効果を現わしているものと私は考えた
このビオ(生体)エネルギーというのもこの本のキーワードだったりします。
ともかく牛乳を使った実験では、ピラミッド内のものはヨーグルト状になり、75時間経過でチーズ状に固まったものの匂いはほとんどなし。外に置いたのはドロドロになってひどい腐敗臭がしたとのこと。
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ここまでは骨組みだけのピラミッドを使用していますが、食パンについては画像のようなプラスチックの覆いが付いたものを使用。牛肉についても蓋みたいな複合ピラミッドを使用しております。
72時間経過すると、ピラミッドの外の食パンは堅くなってカビも生えていたものの、中の食パンは表面だけ乾燥したもののまだ柔らかかったとか。
牛肉は一週間見て、外のものは乾燥してカチカチに。中に置いたものは表面が堅くなっただけで内部はまだ柔らかかったそう。
それはピラミッド形状ではなく、蓋(覆い)の影響でしょ、と誰もが疑問に思うはずですが、その辺は中岡先生も一応断ってはおります。
しかしながら、ピラミッドそのものはプラスチックによって全体がつつまれていて、なかの実験物に外気が当たっていないため、前述パイプ・ピラミッドを使った実験ほどの厳密さは得られなかったと思う
わかってるんだったら、もっと実験の方法を考えるべきでは……。たとえば比較対象にはピラミッド型ではない覆いを被せるとか。
なお、煙草や酒はピラミッドに入れておくと味がまろやかになったりするそう。

その後、ピラミッドはどのように建造されたのかとか、呪いがどうとかいった話を挟み、ピラミッドパワーについての研究へと話は進みます。
また、ピラミッド形状の中で瞑想すると効果があるといわれているとか。集中力が高まったり、落ち着きのない子どもも落ち着いたりするとのこと。しかし中岡先生は次のように釘を刺します。
ただ、ピラミッドだけを使っての瞑想の場合に、あまり長時間、再三にわたって利用することは危険なように思う。それは、ピラミッド・パワーのもつ脱水化促進に起因するからだ
別のページでも、瞑想での使用に疑問を呈しております。
なぜならば、ピラミッド・パワーそのものが脱水化促進に使われる以上、あまり長時間ひんぱんにピラミッド・パワーを身体に受けることは、その人の脱水化をもたらすことになり、有害作用を起こしかねないからである
そもそもピラミッドパワーなるものが注目されるきっかけとなったのは、ピラミッドの中にあった猫の死体が腐敗せずミイラ化していたという話だったわけで、花や肉が乾燥していたという一谷伸江氏の実験結果を考え合わせても、このような懸念を持つのは当然といえます。
レモンエキスなどをまろやかにする実験についても中岡先生は、「この場合、甘味の嫌いな人には適さなくなるので、そういう人はジェネレーターにのせないことである」と断っております。
ピラミッドパワーが本当に存在すると考えるからこそ、パワーがマイナスに作用した場合を想定しているわけで、むしろ、ピラミッドパワーが常に人間に都合良く働くと考える研究者連中の方が能天気すぎるのでしょう。
実際にはそんな力など存在せず、効果と称するものはすべてプラシーボのような思い込みだったからこそ、常に人間というか実験者に都合良い方向に働いていただけとも推測されます。
ピラミッド内に限らず長時間放置することによる品質の変化みたいなことはあるでしょうけど。
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ピラミッドの効能や使用法の中にはこんな挿絵も。これってキャンプでは……?
四角錐型のテントに入っていたらピラミッドパワーで知らない間に干からびてた、なんてことがあったら面白いんですけど。
ただパワーは、ピラミッドの四辺を東西南北に正確に置かないと発揮されないのだそう。
なお、磁石が手もとになく、実験を開始せざるをえない場合は、太陽の位置によって東西南北を確認するか、北極星によってその位置を確認するかの方法でまにあわせることもできるだろう
また、ピラミッド頂上に五円玉を吊るしても南北を知ることができるとのこと。太陽の位置と時刻から正確な方位を割り出すのは難易度が高い気もしますが。
ともかく正確な方位が必要なのであれば意図せずパワー発動という確率は低そうです。

さて、このパワーの正体はなんなのか。その説明のために、マンジャルスキー博士やレイダク博士の説が何度も引用されていたりするわけですが、先生は次のようにまとめております。
再三にわたって指摘しているように、私は三つのエネルギー・パワーが存在しているという考えで研究を進めている。すなわち、①ピラミッド・エネルギー・パワー、②ビオエネルギー・パワー、③宇宙エネルギー・パワーの三つである
宇宙エネルギーとビオ(生体)エネルギーについては本文中にもたびたび触れられていたのですが、てっきりピラミッドの形状が宇宙エネルギーを集約して放射するのかと思ったら、ピラミッド専門のエネルギーが存在するのですね。

さてこの本、内容としては良くも悪くも真っ当にピラミッドパワーを扱った一冊でした。理論から実験結果、実戦方法まで網羅。本来はピラミッドを作るための型紙も本に付属していたみたいで……。真っ当な分、荒唐無稽な魅力みたいなのは欠けてますかね。むしろ、実験結果を受けて、人体に使用した場合の危険性を指摘したりと、先生らしからぬ真面目さが印象的だったような。

中岡俊哉著『吸血鬼のふるさと』

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今回取り上げるのは、中岡俊哉著『吸血鬼のふるさと』(秋田書店)。初版は1972年、手元の本は74年発行の6版。秘境シリーズの3冊目で、北米・欧州編となっております。こんなタイトルですが吸血鬼ネタオンリーというわけではなく、内容は土俗色強めのオカルトネタ全般ですかね。
最初のカラー口絵1ページ以外はすべて白黒で、その貴重なカラーページは、なぜか闘牛の写真に使われていたりします。
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それでは本文を見ていきましょう。
第1部は書名と同じ「吸血鬼のふるさと」。吸血鬼ドラキュラに血を吸われた人はどうなるかとか、ニンニクや十字架が弱点とかそんなことが書かれております。そこから具体的なエピソードに入っていくわけですが……。
最初は「イギリスの吸血鬼」というタイトルの記事。
ここは、イギリス北部のダンフリース。一九六七年七月二十八日のことである
いいですねこの、刊行から近い年代で日付のはっきりした導入。ラーフなる少年が苦しむ描写から始まります。
少年の祖母が、祈とう師のシャーマンの手をひいてかけこんできた
しかし祈祷の甲斐なくラーフ少年は死亡。午後11時、ラーフの墓の前で母が泣いていると(埋葬早いな)、不気味な影が。
ギラギラと光る怪しい大きな目! 顔いっぱいに裂けた口! 赤黒くただれたほお! ふり乱した長い髪の毛!
「ヒヒヒッ!」
この世の人間とは思えないような、恐ろしい形相をした女は、背すじの寒くなるような笑い声をあげながら、ラーフ少年の墓を掘りはじめた。
感嘆符を多用したおどろおどろしい描写、実に素晴らしいですね。とはいえ、てっきり死んだ少年が吸血鬼になるのかと思ったら墓をあばかれるだけですか。っていうか吸血鬼は女だったんですか。挿絵(上の画像)だと明らかに男性として書いてありますけど。
吸血鬼は舌なめずりをしながら(中略)ラーフ少年の死体にかぶりつき、その肉を食べはじめた
この行動って吸血鬼ではなくグールでは? 当時はこういうのも吸血鬼扱いされてたんでしょうか。
ともかく駆けつけた村人によって吸血鬼は取り押さえられた。その正体は村一番の美女・クララだった。当人は吸血鬼になっていた間の記憶はない。
この村のおきてでは、墓掘りをした者、その死体に手をふれた者は、みんな死刑にきまっていた
……1967年ですよね? 法治国家なのに刑法より村の掟が優先されるんですか?と疑問に思ったものの、しかしイギリスだしなあ。成文憲法がなくて慣習の集積が権威を持つような国だと、村の掟で死刑になってもおかしくないかもしれません。
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これに続くのがドイツの吸血鬼。「私生児ユルゲンスと名のる二十八歳の男」が、寝ていた女性やらその辺の子どもやらを次々と犠牲にして血を吸うという、普通の吸血鬼らしい話。オチはというと……。
ユルゲンスは、刑務所のなかで、普通の食事のかわりに二本のキバをむき出しながら、動物の生き血をうまそうに吸っている
文中では少なくとも4人を殺害してるんですが、死刑にはならないんですか。動物の生き血で満足するというのは微笑ましいですし、刑務所の人たちも優しいですね。
ハンガリーの吸血鬼」は、アニータという18歳の少女が子どもを次々と襲って血を吸うという話。最後は警察に捕まるものの、吸血鬼になった理由は不明とか。
吸血鬼ネタは、この最初の3エピソードだけ。それ以降は中岡先生お得意の奇談がひたすら続きます。

1963年8月、ニューヨーク州のブラジット湖。冷たい湖底で女性の死体が発見された。
死体は、首に綱をつけていた。その綱のはしには、重いおもしがついていた
首におもしをつけた、異様な死体ではあったが、解ぼうの結果は、三十年前の自殺体と認められた
他殺の可能性もありそうな状況の気もするんですけどそれは置くとします。
死体の身元は、キャサリン・ブランシュットという女性だと判明。ところがそのキャサリン・ブランシュットはニュージャージー州では高名な教育家で、しかし2年前に亡くなって埋葬されているという。
つまり、ひとりの死体が、二つ出てきたことになるわけだ
子どもの頃、女史と親しかった女性によると、女史の左腕付け根には銀貨大のアザがあったという。そして湖底の死体にも同じアザがあったとのこと。墓の死体の方は腐敗していてアザの判別は不能。
推理小説の元ネタになりそうな話……というかむしろどっかの推理小説が元ネタかもしれません。問題はこの後。
わたしは湖底から死体を発見したジャックくんと、ニュージャージー警察にいって、真相を調べてみたのだが、このなぞをとくことはできなかった
中岡先生、現地取材してたんですか……。実際にはジャック君もブランシュット女史も実在が激しく怪しい、というのはいわないでおきましょう。
この本では他にも、四次元生物に襲われたとされる少女について、「その後、私がマローちゃんを病院に見まったとき、彼女はとても元気で、もう退院の日も近いということだった」と書いたり、現地取材した上で記事を書いているかのようなアピールを繰り返しております。
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ソ連の「生きていたオオカミ少女」も興味深い話。
バンガローにいたミルソワたち6人の少女が、オオカミの群れに囲まれるところから始まります。そのオオカミの中に、人間の少女が。
しかも、その少女の目は、オオカミのような鋭さの中にも、なにか、親しさをこめてミルソワを見つめているようだった
恐怖に耐えかねた少女の1人が外に飛び出したところ、オオカミに襲われて犠牲に。次いでミルソワが肩を噛み砕かれたが、例のオオカミ少女が攻撃をやめさせ、ミルソワの傷口を舐め始めた。しかしオオカミが立ち去った後、ミルソワはそのまま死亡。
ここはソ連キルギス共和国のナリン。一九六八年八月十七日のことだ
ミルソワの家には不幸が続いていた。
十年前、ミルソワの姉のタチェワが、わずか二歳でなにものかにさらわれ、四年前には、ミルソワの母親が事故死していたのだ。そして、今度はミルソワが……
敵討ちを誓った父親は猟銃を手に山に向かうことに。二週間後、巣を発見したので次々とオオカミを殺していき、例のオオカミ少女にも遭遇。
すると、「あなた、撃ってはだめ!」という妻の声、「おとうさん、撃たないで!」というミルソワの声が聴こえてきた。それでも少女を射殺したところ、
その少女の首には、十年前にさらわれたミルソワの姉タチェワの首かざりが光っていたのだ
オオカミ少女アマラとカマラのエピソードから考えついたエピソードかと思われます。オオカミ少女が親しみを込めてミルソワを見つめていたというのは誰が先生に伝えたのかとか、妻やミルソワの声が聴こえてくるのは演出過剰とか、言いたいことはないではありませんが、面白いストーリーに仕上がっております。

ハンガリーのカロイチャには、7種の果物が実る木があるそう。
1本の木に、「毎年五月になると、季節には関係なく、リンゴ・ナシ・モモ・カキ・レモンなどが、七本の枝にそれぞれみのるというのだ」。
7種実るというのなら、残り2種の果物がなんなのかも書いて欲しいところ。
ハンガリーでは「これはゆかい! あべこべの村」という記事も。
シゲトバールの南、テロウィンズ村では、男女のすることがすべて、ふつうの世の中とはあべこべだ。
男の人が髪を長くのばし、食事のしたくや洗たく、そうじ、子もりなどをうけもち、女の人が、あたまを丸坊主にして、作物づくりや道路なおしなどの重労働をしているのだ。
ジェンダーフリーならぬジェンダー逆転の村ですね。作物づくりはこの村でなくとも、女性が主要な労働力というケースは多いようですが。わざわざ髪を丸刈りするのは逆転を通り越している感が。

こんな感じの記事がひたすら載っているわけですが、ネス湖の記事では、565年に聖コロンバがとか、外科医の写真がどうとか、普通の話が載っているのには逆に面食らいます
それでも、ネッシーについて「その大きさは五〇メートル近くもあるようで」とか変なことも書かれてますけど。
ポンペイ遺跡やピサの斜塔なども登場しており、創作100%というわけでもないようです。
最後の章は世界各地に眠る財宝となっており、この時代は宝探しもオカルト扱いだったんですね。

さてこの本、類書では見ないような話のオンパレードで、いかにも中岡先生らしい一冊でした。出典がどうとか考えずに自由に作ったような話の数々は、まさにこの時代のオカルト本ならではといったところ。類書で見かける話も、部分的に変だったりしますし。やはり中岡先生はこうでなくては。

中岡俊哉著『京都ミステリーの旅』

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今回取り上げるのは、中岡俊哉著『京都ミステリーの旅』(みき書房)。初版は1984年、手元の本はその初版。内容としては京都の怪奇スポット……だけでは本が埋まらなかったらしく、名所にまつわる伝説や、歴史などについても述べたりしております。
前書きによると、「このシリーズでは、日本全国を北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄の七ブロックに分け、さらに「京都」、「東京」「浄身の旅」を独立させて加え、計10冊にすることになっている」。
とはいえwikiの著作リストを見た限りだと、このシリーズは「京都」「東京」「東北」「中国・四国」の4冊が出たきりのようです。北海道~沖縄のところは9ブロックあるように見えるんですけど、「中国・四国」「九州・沖縄」をセットにすることで7ブロックということなのでしょう。

それでは本文を見ていきましょう。最初に載っているのは、深泥ヶ池を舞台とした、いかにもな恐怖話。
個人タクシー運転手の鈴木さんが、深泥ヶ池近くの家に行く女性客を乗せた。バックミラーでその客を見たところ、「なんともいえない不気味な感じがして、背筋が冷たくなるのを感じたのである」。
目的地に着き、「鈴木さんが声をかけると、うなずきながらお金を払って、車を降りた」。
そこから2キロほど走ったら、先ほど下ろした女性が前方を歩いていた。そんなはずはないのに……!とのこと。
鈴木さんはそれまでにも深泥ヶ池で2回、乗せた客が途中で消えるというよくある恐怖体験をしていたそう。最初に消えられたときは、「料金メーターは三千円近くになっていた」。
三回目の体験は、それまでの二回とはまったく違っていた。だが、乗せた客が消えてなくなるという以上に、三回目の体験のほうが怖かった
最初の幽霊では3000円の損害が出たのに対し、3回目の場合はちゃんとお金を払ってくれたというのに、そっちの方が恐かったんですか……。霊(?)が払ったお金が後で消えたりしていなかったかは気になるところ。

その次に載っているのが「京都市伏見区(祟られた家)」というタイトルの話。
工藤初枝さんという浮気性の人妻がいた。耐えかねた夫は口紅で怨みのメッセージを残して自殺。夫の霊が出るようになって初枝は実家に帰ってしまう。その後、空き家となった家に越してきた家族に次々と祟りが……というストーリーとなっています。
中岡先生の本だと、『世にも不思議な怪奇譚』にも、工藤初枝さんのまったく同じ話が載っていましたが、舞台がどこかは書かれてませんでした。京都市だったんですね。
恐怖の百物語 第2弾』にも同じストーリーが掲載されており、そちらでは人妻や夫の名前は伏せられ、報告者の名前も仮名になっています。タイトルは「呪われた公営住宅」で、やはり都道府県などは書かれていません。なんにしても中岡先生としてはお気に入りの話だったようです。
この本の描写では、ちょっと面白い部分も。
と……、ロウソクの炎が妖しくゆれ、風もないのにフッと消えた。だが、男との電話に身もだえる初枝さんは、その奇怪な現象にまったく気がつかなかった
初枝さんも気づかなかった現象を、中岡先生はなんで知ってるんでしょうか。
それと旧工藤家、観光客が訪れたりできるような場所でもないのに、こういう本に載せるのもどうかと思うところです。
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最初に恐怖話を2つ載せた後は、京都の盆行事がどうとか普通の観光ガイドみたいな話が続きます。
縁切り寺として知られる法雲寺については、こんな堂守りの老婆の談話が。
近年は、両親が娘や息子が勝手に決めた結婚を破談にさせようとして見えているようです。ここでも時代の変化が見られるようですね
この両親には日本国憲法第24条を読ませたい。大体結婚なんて当人が決めることで、「勝手に」もなにもないでしょうに。

ネコ寺として知られる上京区の称念寺にはこんな記述。
最近では、“キャッツ”などという芝居もたいへんな人気を呼び、ペット・ブームのなかで猫がトップの座にあるともいわれる
ミュージカルのキャッツをご存知だったとは。ペットしての猫人気とリンクするようなものかは疑問ですけど。キャッツといえば日本でも2020年に公開されたホラー映画が記憶に新しいところです。
清林寺の髪が伸びる稚児如来については、
また“怪談ばなし的”に扱ってもらいたくないといわれる。たしかにそうだと思う
どうやら寺の人間に釘を刺されたらしいことがうかがえます。
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京都市内の七不思議、洛中の七不思議といった風に、京都各地の七不思議を紹介した章も。
ちゃんと説明されているのは最初の方だけで、途中からは画像のページのように、「これらのことについては何も紹介されていない」「これらいずれのものに対して何ら紹介されていない」などと、ひたすら名称を列挙するだけとなっています。
京都に土地勘のない読者にとっては何がなにやら。

しかし後半ページでも、名所案内の中に普通の恐い話が挟まったりもしています。
山陰線、京都~米子間の無人の踏切」は、地縛霊が人を呼び込むせいで自殺者が多発しているとか。
大場さんが軽自動車を運転していたところ、老婆を見かけたがすぐ消えた。すると老婆に呼ばれているような気がして車を踏切の中に進めようとしたが、乗せていた犬が異常な吠え方をしたので正気に戻り、助かったそう。
まあなんというか、よくある話ですね。
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面白い伝承も見ていきましょう。
西京区の天台宗金蔵寺には、三井寺の美少年・梅若丸と延暦寺の僧・桂海の悲しい恋の話が伝わっているそう。
境内で紅顔の美少年が遊んでいるのを見た。桂海は、この世にこんな美しい少年がいたとは、と胸をときめかせた。(中略)やがて二人は、運命の糸に操られるかのように、結ばれる
凄いことがさらっと流されてるような気もしますが、それは置くとしましょう。
桂海に会うため比叡山に向かった梅若丸は、途中で山伏にさらわれてしまう。
三井寺では、寺の美童が消えて大騒ぎになった。桂海のしわざだと、信徒たちは延暦寺に攻め寄ったが、僧兵の前にむなしく敗れてしまった。しかも寺まで焼かれてしまった
延暦寺の僧兵、凶悪強力ですねえ。原因は山伏ですから、すれ違いの悲劇ということになるんでしょうが、梅若丸が無事目的地に着いていたとしても同じ展開になった気もします。
ともかく責任を感じた梅若丸は身投げ。ショックを受けた桂海は放浪と修行の末に金蔵寺に辿り着く。
そして瞻西上人と名を改め、梅若丸の墓をつくり、百三十歳で亡くなるまで、それをずっと守り通してきたというのである
また凄まじいことをさらりと……。豊臣秀頼が薩摩に逃れた後、137歳まで生きたなんていう話もありましたが、なんでこういう極端な寿命を設定するんでしょうねえ。
それはともかく美少年の取り合いで寺を攻撃しあって燃やしたりとか、武装集団みたいな当時の寺院の様子が伝わってきます。

さてこの本、京都の怪奇スポットだけで一冊埋めるのは少々厳しかったか……といったところでした。もしかしたら版元から、怪奇スポットだけでなく歴史や伝承も織り込んで欲しいとか要望があったのかもしれませんけど。ちなみに評者は京都には行ったことなく、土地勘もまったくないので、掲載されているスポット同士の位置関係とかまったくわからなかったりします。多摩地区だったら詳しいんですけどねえ。

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