女優イェー・ジウォンさんのあかし讃美の力 ~朝鮮戦争中の奇跡~

2010年12月15日

北朝鮮の武装スパイが牧師になるまで

 韓国の忠清南道禮山郡にあるキリスト教会「禮山聖楽教会」のキム・シンジョ(金新朝)牧師(68歳)は、元北朝鮮工作員で、みずからの過去を以下のように振り返っています。

 

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1968116日午後10時、北朝鮮の黄海北道延山郡にあった第124軍の基地から、私(当時26歳)をはじめとする対南浸透工作員31人を乗せたバスが静かに出発しました。気温は氷点下25度、バスの目的地は開城市南東部にある工作員招待所でした。この31人は数日前、対南浸透の指令を受けると同時に重さ24kgのリュックサックを手渡され、ほとんどの者が下士官から少尉に昇進しました。中には大尉や中尉に昇進した者もいました。リュックサックの中には、師団マークの入った韓国軍の軍服、バーバリーのコート、スーツ、スニーカー、腕時計、望遠鏡、トランジスタラジオ、韓国の地図、アスピリン系やペニシリン系の薬、するめいか、飴、機関短銃、拳銃、手榴弾など、実にさまざまな物が入っていました。この対南浸透工作は当初、青瓦台(韓国の大統領府)、在韓国米国大使館、韓国陸軍本部、ソウル刑務所、西氷庫スパイ収容所の5か所が攻撃対象となっていたため、武装スパイ76人が韓国に派遣される予定だったのですが、後に攻撃目標が青瓦台(韓国の大統領府)1か所に絞られたため派遣する武装スパイは31人に減らされました。115日に行われた歓送パーティで、31人は、ビール、ウォッカ、人参酒、生姜酒、ハッカ酒など、ありとあらゆる酒を飲みましたが、杯を手にしながらも、自分たちの指令された任務が「南朝鮮を解放し南朝鮮の傀儡政権を処断する重大任務」であることを決して忘れませんでした。当時の第124軍の部隊長は、過去に対南浸透して京畿道の松湫で韓国定住スパイと接触しようとした際、当局に発見されて包囲網を張られ、腹部に銃創を負いながらも逃走を続けて臨津江を渡り、命からがら北朝鮮へ戻ってきた経験を持つ男でした。その部隊長は韓国との境界付近まで私たちについてきて、私たち全員に「首領同志の命令どおり任務を遂行することを誓います」という血書を書かせ、任務の最終確認をしました。「第1組は青瓦台の本庁舎2階、第2組は1階、第3組は警護室、第4組は秘書室を攻撃し、その間に第5組が正門の歩哨を除去して車を奪取し、脱走の準備をする。君たちが無事北朝鮮に戻ってきたときに哨所で言うべき暗号は611だ」と。私は第2組の班長でした。

 

ついに対南浸透を決行する日が来ました。私たち武装スパイ31人は午後9時頃に北方分界線を越えました。かなり雪が積もっていました。31人は、非武装地帯に設けられた「安全通路」を静かに進んでいきました。2人が斥候として先行し、残り29人が後からついていくわけですが、最後尾の2人は後ろ向きに歩きながら松の枝で懸命に全員の足跡を消しました。韓国軍の第25師団と米軍の第2師団の管轄地域の境目が警備の死角になると読んだ私たちは、そこを狙って歩き続けました。午前0時頃、南方分界線を越え、私たちは鉄条網を切断しながら慎重に前進しました。夜が明ける前、遅くとも午前5時頃には宿営地を確保しなければなりませんでした。私たちは、日が昇っている間はひたすら潜伏し、日没後に移動をしました。また、昼夜を問わず絶対に音を立てることができなかったため、31人のうち咳が出る者や下痢をする者が1人でも現れたら、その者が完治するまで作戦を延期することになっていました。私たちは凍りついた臨津江を見下ろせる山の中腹に宿営地を確保しました。常に2人が見張りに立ち、残りの者は休憩しました。その夜、私たちは目立たぬようにしゃがんだまま臨津江を渡りました。ミシミシッと氷にひびが入る音が聞こえることもありましたが、幸い氷は割れませんでした。私たちは5m間隔で1列になって走り続けました。対南浸透要員として鍛えあげられた私たちの移動速度は驚異的に速く、“行軍”というより“疾走”でした。私たちは坡平山を越え三峰山に登り、次の宿営地を確保しました。

 

 ところが翌朝10時頃、まずいことが起こりました。偵察に出かけた2人が山中で民間人男性と遭遇してしまったのです。私たち31人は韓国軍の制服を着ていましたが、正規の韓国兵が2人組で人気のない山中をうろついているはずはありません。偵察の2人は、その民間人男性に北朝鮮のスパイと見破られたに違いありません。こういう場合、北朝鮮のスパイの鉄則では、通報されることを防ぐため、そうした民間人を「すぐに殺して地中に埋める」ことになっていました。偵察の2人は、その民間人を木に縛りつけて、残りの29人の所へ戻り、どう対処すべきかについて意見を求めました。すると29人は、凍りついた地面に大きな穴を掘るのが面倒くさかったこともあって、「我々が次の宿営地へ移動するときに、その民間人をそのまま帰宅させよう」ということで意見が一致しました。

 

 しかし、その後、私たちは不安になり、無線機を使って北朝鮮にいる上官に指示を仰ぎました。しかし、若い女性兵士の声で伝えられる数字の暗号文を、誰も解読することができませんでした。後で韓国の捜査機関が解読したところによると、その時の上官からの支持は「原隊復帰」、つまり北朝鮮へ帰って来いということでした。しかし、暗号を解読できなかった私たちは南へ南へと全力疾走で進み続けました。そして、1968120日午後5時頃、私たちはソウル市北郊にある北漢山の碑峰に到着しました。気温は氷点下20度でした。予定では、翌21日(日曜日)の早朝までに青瓦台に隣接する北岳山に到着し、同日夜に青瓦台を襲撃することになっていました。

 

 ところが、ここで再びまずいことが起きてしまいました。北漢山から北岳山へ移動するはずだった20日夜、私たちは雪の積もった岩場を歩いているうちに方向感覚を失ってしまい、夜が明けてもまだ北漢山の中にいました。空が明るくなってくると、北漢山の名刹「僧伽寺」が見えました。そのうち、私たちの頭上をヘリコプターが旋回し始めました、雪の積もった岩場で体力を消耗していた私たちは、私服に着替えてバーバリーのコートに身を包み、機関短銃と拳銃と手榴弾だけを持って、残りの荷物を地中に埋めました。私たちは、そこから青瓦台までバスを乗っ取って移動するか歩いていくかで少し揉めましたが、結局、歩いて行くことにしました。途中、ジープから降りてきた1人の男性が私たちの前に立ちはだかりました。鍾路警察署長を名乗るその男性は、私たちに身分証の提示を要求しました。それに対し、私たちは、「自分たちは防諜隊員で、これから隊にもどるところであり、あいにく身分証は携帯していない」と説明しました。その男性が「鍾路警察署長を知らない防諜隊員がどこにいる?」としつこく食い下がってきたので、私たちは彼を射殺して全力疾走で逃げました。そして、北へ引き返そうと考えて仁王山に登りました。

 

私は、護身用の手榴弾1個を除いてすべての武器を捨て、よりすばやく移動できるようにしました。午前3時頃、私は仁王山の北西斜面の8合目あたりにいました。空には三日月がかかっていました。「事が成功していれば今頃は意気揚々と臨津江を渡りながら北朝鮮を目の前にしていたはずなのに」と残念さを噛みしめながら歩を進めていたその時、私の前に幽霊が現れました。それは、岩陰に隠れていた韓国軍兵士でした。私はとっさに手榴弾を手に取りました。自殺をするためです。北朝鮮のスパイは絶体絶命の瞬間には自殺をせよと教え込まれています。しかし、その時、私の脳裏に、もう3年間も会っていない妻や子供たちの顔が浮かんできました。「妻や子供たちにもう一度会いたい」という気持ちが猛烈に湧きあがってきました。「投降して生き延びよう」と思った瞬間、私の手から手榴弾が滑り落ちました。私はその場で韓国軍兵士に逮捕されてソウル市西大門区弘恩洞の警察署へ連行されました。警察署の中が非常に暖かかったことを今でも覚えています。その後の捜査の中で、私の手から滑り落ちた手榴弾は不良品で起爆しないものであることがわかりました。私は、決して自殺できない運命にあったのです。

 

 結局、北朝鮮から韓国へ潜入した武装スパイ31人のうち、29人が射殺され、1人(私)が逮捕され、1人が北朝鮮へ逃げ帰りました。この逃げ帰った1人は北朝鮮で英雄の称号を与えられ、後刻、対南工作の指揮官になったと聞いています。私の人生は、山中で韓国軍兵士に逮捕された日から180度変わりました。韓国の捜査官は常に紳士的な態度で私に接しました。射殺された29人の遺体を捜査官とともに1体ずつ確認している間、私は非常に複雑な思いでした。それでも私は生きていてよかったと思いました。しかし、取調べを受けながら北朝鮮での26年間を語るとき、胸の詰まるような思いが何度も込み上げてきました。また、妻や子供たちが北朝鮮当局から拷問を受けていないか、非常に気がかりでした。

 

 私の意志とは無関係に始まった韓国での生活。私に人生計画にまったく描かれていなかった新しい生活。北朝鮮という根を失った私にとって、もはや自分の力でできることは何一つありませんでした。そうした中で、私は救い主イエスと出会いました。その方は、限りなく私を愛し、限りなく私を赦してくださる方でした。私は、その方にすがるよりほかに心を落ち着けて生きていく方法がありませんでした。そして、かなりの年月が流れ、私はキリスト教会の牧師になりました。「こんな私をも神は愛してくださった」というあかしを、私はこれからも続けていきたいと思います。

 
Korea

 キム・シンジョ牧師


北朝鮮のスパイ31人は約20kgの装備を背負ったまま、開城からソウルまで時速12kmで走りつづけた



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