前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

新たなるテーマ

 「悠久」ともいうべき無駄に長いインド旅行記がやっと終わった。およそ一年半も前の話で今は遠い昔のように思える。

 インドからの旅行を終えてからの一年半。自分の身辺では中々の変化が起きていて、その最たるトピックは仕事が変わったという点に尽きる。

 五年間務めた地元の市役所の臨時職を退職し、昨年(2015年)の4月から、これまた地元の社会福祉協議会に正職員として就職することとなった。社会福祉協議会とは大体各市町村にあり、行政からはみ出た地域の福祉サービスと担当する機関で、その具体的な業務は一言で中々説明しづらく、地域差もある。この社会福祉協議会において運営する、昨年4月施行の生活困窮者自立支援法という法制度に基づく相談機関の担当職員として働くことになった。生活困窮者自立支援制度とは、生活保護に至らない経済的に困窮した人々の相談支援を行うもので、既存の福祉制度と異なり具体的な支援フォーマットなども余りなく、各々の相談者に見合った支援方策を考えてやっていかなければならない上に、新たな制度の為参考になるような情報がとても少なく、毎日けもの道をさまよい歩くような取り組みを行っていて、人の助けになることならかなり特殊なこともやっている。その上、これまでの制度で支援しきれない部分については、新たな制度などを「作りなさい」という制度で、よく言えば自由、悪く言えばお上の丸投げで、求められているものの規模が地味に大きい。自分はこの係のチーママのようなポジションでいきなり働くことになった。幸い職場はいい人ばかりで溶け込むのに時間はかからなかった。

 これまで勤めていた市役所の生活保護の仕事とは関連性の深い制度で、自分のしがなくはあるが市役所で培ってきた経験が多少は生きている部分もある。また、地域に積極的に広報活動や他の機関との連携をしていく必要もあるため市役所以前のサラリーマン時代に身についた動き方も役に立っている。さらに言えば就職活動がうまくいかなかったこと、学生時代習った事や自治会活動での経験など、自分のこれまでたどってきたプロセスを総動員すべき場に、ある種必然的にたどり着いたという実感がある。インドでシンさんに教えてもらった「起きたことが最善」という言葉の重みを改めて感じさせられる。仕事自体は難題の連続で大変な仕事だねえと同情されることもしばしばあるが、やりたいことをやっているという感覚でストレスや虚無感は不思議なほどに少ない。

 この仕事を通じて、今この社会において「貧困」という問題はかなり多数の人にとって他人ごとにできない所にあるということをひしひしと感じている。気持ちとしては人並だが、実態は火の車で、そのギャップに苦しむ家庭や人があまりにも多い。もともと貧しいというのではなく、気づいたらお金がない、仕事がない、借金の山という怖さがある。まさに日本という国の縮図という感じで、今後日本では全社会的に迫りくる「貧困」という問題から目をそらすことはおそらくできないだろう。逆に言えば「貧困」というものに対して徹底的に考察し手を打っていく中にしかこの国の活路はないとすら思う。とりくむべきテーマは大きいが、そういう課題に取り組む場所にいることができるのはとても光栄なことだと思いながら、毎日を過ごしている。

 ということで、新年冒頭不穏な内容となりましたが、元気にやってます。今年もよろしくおねがいします。

エキセントリックガール(インド旅行記ファイナル)

 インドの旅の中で様々な人との出会いがあった。誰もが自分にとって予想外をプレゼントしてくれた。もうお腹一杯というところだが、もう一人だけ覚えておきたい人がいたので、その人について最後に触れて、旅行の時間よりはるかに長くかかったしまったこの旅行記を締めくくりたい。

 シンさんとは空港の入り口でお別れし、搭乗手続きも大きなトラブルなく終わった。免税店ではインド人最後の逆襲とばかりに、日本円を両替してくれなかったり、買いたいお土産をレジに持っていくと違うものをごり押しで進められるなど最後までインドはインド。出発時間が大幅に遅れるという最後っ屁までお見舞いされた。

 何とか搭乗となり飛行機に乗り込むと、隣は若い女の子。小柄でひどく痩せている。細い腕の裏側に十字架のタトゥーが入っていて、入れたばかりなのかしきりに撫でていた。機内食の時に、食べ物について野菜が食べられないとかだったかCAにあれこれめんどくさい注文をしていた。ああ中々めんどくさい子だなと思ってみて見ぬふりをしていた。

 夜になってひと眠りした後、どういうタイミングだったか、旅行帰りですかか何か尋ねると、どうやらインドの学校に留学しているらしい。日本の大学に入学したが、周りと全く合わずなんのために学校に行っているのかわからなくなり、インドの学校に留学することにしたらしい。しかし、インドの学校にはもう一人日本人がいてその人は競争心やら嫉妬心が強いらしく、何かとつっかかってくるのが不満らしい。初対面の人の、全く生活圏も異なる日頃の不満をまさか聞くことになるとは思わなかった。おそらく、この子は世界のどこへいっても周りと協調することなくツッパリながら生きていくんだろうと思うと、あまのじゃくな自分としては是非応援したい気持ちになった。如才なく周りと適応しながら生きている人より、話していても面白い。不満が生きるエネルギー。彼女にどんな未来が待っているかは分からないが、最後の最後に面白い人がいたなと妙に印象に残っている。

 わずか10日間の旅だったが、いろいろな経験を積んで日本に降り立った時には何となく達観したかのような心持がした。きっと日常に戻れば薄れていくのだろうが少し静かに物事を見れるようになったといえば大げさか。インドへ行くと世界観が変わるというが、自分の人生においては今回の旅は一つの区切りになったような気がする。

デリー残日(インド旅行記16)

 インド最終日。待ちに待ったデリー自由行動の日といったところなのかもしれないが、これまでの濃い旅程の中でもうお腹一杯という気持ちが多少あって、前年に行ったバルセロナのように何でも見てやろうという気持ちも沸かず、ゆっくりいける範囲でいいので回ろうと思った。

 割とゆっくりの時間にバジャージ家を出て、インド門近くの博物館へ行きだらだらとよく分からない展示物を眺め、ニューデリーの中心部コンノートプレイスにある日本料理店でわけの分からない焼うどんを食べた。海外で日本料理店に入るのはもはや安定のコースとなっている。その後地下鉄に乗って、オールドデリーへ。チャンドニー・チョーク駅を降りて、人の流れに沿って歩くと例によってリキシャの客引き。「20ルピー」という若者の人力リキシャに乗ることにした。目的地は世界遺産のラールキラーだったのでそこに行ってくれというと、他にもいろいろいいとこがあるから回ってやるみたいなことを言ってきたので俺が行きたいのはそこでなくラールキラーだというとふて腐れつつも言うことを聞いて目的地まで送ってくれたのだが、降りる段になって「20ダラー」とか言い出してきたので、腹が立ってインドルピーを無理やり払って歩いていくと追いかけてくることはなかった。最後の最後で不愉快な出来事が起きてラールキラー見物どころではなかった。というよりそもそもこのラールキラーという建物自体に大きな興味が湧かなかった。この旅を通じて、というよりここ数年いろいろな所に回ってきて旅というものに関する自分自身の感性が変わってきているらしく、どこに行き、何を見るかというより、誰と出会い、どんな話をして、どんな出来事に出会えるかということの方に完全に関心が移っている。

 オールドデリーから最後にガイドブックにあった石鹸を売っている店に行きたくて本と携帯情報を頼りに行こうとしたが結局店が見つからずタイムアップ。夜の飛行機に乗る準備のためバジャージ家へ帰還。ルートとしてはニューデリーのバザールが並ぶ地区にも行ければ良かったが又来るだろうということで今回はお預けとなった。
 時間になると、シンさんが空港への送迎で迎えに来てくれた。シンさんとは一つ約束をしていて、またインドに来るときには、シンさんの家へ遊びに行くこと、シーク教の総本山があるアムリトサルの黄金寺院に行くことだ。ホストファミリーのバジャージさんとシンさんとはメールアドレスの交換をした。もう会えないかもしれないが何だかそんな気がしない。きっとまた会えるだろう。また、お世話になったお礼に持ってきた地球の歩き方と、日本円3000円をシンさんにプレゼントした。ルピーの方が喜ぶのかもしれないが、今度東京オリンピックに行ってみたいと言っていたので、成田空港から都内への電車切符ということで貰う相手にとってはめんどくさいプレゼントだったろう。
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エボリューション(インド旅行記15)

 ジャイプールからデリーへの帰還。この日でシンさんのガイドは終了となる。デリーの主要な史跡(赤いタージマハルのような建物と、石でできた巨大な塔)巡りはシンさんの徹頭徹尾淡々としたガイドで締めくくられた。自分にとってはおそらく人生一度きりの旅程だが、シンさんは毎日のように同じ場所を巡り、同じことを語り続けている。これは考えてみると大変な仕事だと思うのだが、この繰り返しの辛さともいうべきことについて、シンさんは自分で色々な工夫をする。例えば写真のポーズのアイデアの考案とか解説の工夫とかをすることで常に新鮮な気持ちで仕事に取り組むように心がけているという。自分にとって仕事は他者、社会からの要請による作業の繰り返しでもあり、湧き上がる徒労感、空虚感を騙し騙しやり過ごしながらやっている側面は否めない。だからこそシンさんの仕事に取り組む姿勢には少なからず学ぶべきものがあるように思えた。

 デリーの史跡観光を終えて、その日の宿泊地はインド到着日に泊めてもらったバジャージさんのお宅に再度ホームステイということになっていた。シンさんにバジャージさん宅まで送ってもらい、明日の夕方空港までの送迎に来てもらうことを確認して解散となった。

 インド到着日は毒を盛られているのではないかと思うくらい緊迫感がある宿泊地だったが、バラナシ、アグラ、ジャイプールを巡る旅程の中での様々な試練?で鍛えられたのか、この時は慣れた所に無事戻ってこれたという安心感があった。そして、到着日には一家の主人のバジャージさんとしか日本語で話すことができなかったが、奥さんや大学生の娘さんとも英語で何となくスムーズに会話ができるようになっていた。レベルとしてはまだまだではあるが変な度胸がついて、自分の英語力でも何とかなるという自信を知らぬ間に身に着けていたのが実感できて何だか嬉しかった。バラナシで購入した織物を一家にプレゼントすると奥さんもとても喜んでくれていた。添乗員を生業とするバジャージさんはともかくとして、一般のデリー市民にとって、インドの他地域も異世界なのだと感じさせられた。

 最初の日はゆっくり眠れなかったベッドでも疲れからかぐっすり休むことができた。インド最終日はデリーの自由行動ののち、夜の飛行機で帰国となる。

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俺はマハラジャ(インド旅行記14)

 アグラからジャイプールに向かう車中でのシンさんの話は心にとても響き、結構な時間のドライブもあっという間だった。夕暮れに差し掛かったころ観光地的な雰囲気のアグラとはまた違う猥雑なジャイプールの街に到着した。

 実は車中、ジャイプールは占いが盛んな街という話をシンさんに聞き、今からでも占い師の予約が取れるという話だったので、もとより占いが興味がある自分としては是非ということでお願いすることにした。
車は街中に入りとてもきれいなホテルのロビーに到着。ここが今夜の宿かと思ったが、占いをロビーのラウンジでするだけで泊まる宿は別だというぬか喜び。

 しばしソファーで待つと割と普通の格好の占い師がやってきて、生年月日と手相を見せて鑑定が始まった。
結果として、仕事はしばらくは順調、恋愛については2015年の春ごろにいい相手が出てくるらしい、健康については目と胃が悪くなる傾向があり、怒りをためやすい性格だという。ラッキーストーンはエメラルドでゴールドとエメラルドを身に着けることで健康面などのネガティブ要素を補うことができるらしい。一年以上たった今どうなっているかというと、仕事と恋愛については「うーん・・・なんともいえん」という感じ。健康面については目が悪くなるというのも胃が強いというわけでもないから当たっているといえば当たっている。怒りをためやすいという性格は、個人的には今まであまり怒らない性格と思っていたが、年々気が短くなっている気もしなくもないし、親などを見ていると温厚な家系とは言えないのでそう言われてみるとという感じでもあった。結果としては当たるも八卦当たらぬも八卦というところだろうか。通訳のシンさんを通じて、占いの根拠を根掘り葉掘り聞いてみたがいろいろな理論の組み合わせで一口には説明できないとかわされてしまった。

 占いが終わり正規の宿泊先へ着くと、昔っぽい格好をしたベルマンが立っているホテルで、占いしてもらったホテルよりはクオリティは下がったがまずまずのホテル。この地域は治安が悪いので出歩かないでほしいとシンさんから忠告を受けたのちにその日は彼とも解散。ホテルで安定のカレー定食を食べたが味もまずまず。部屋に戻り早めの休息となったが、ホテル内で学生のダンスパーティーが開かれていて全く防音対策もないためうるさいことが半端ないことには閉口させられた。

 翌朝。朝食をすませるとシンさんがロビーで待っていた。今日はジャイプールのマハラジャの別荘のアンベール城と、市内の今も存在するジャイプールのマハラジャの宮殿をめぐり、その他所々お土産屋に強制連行というのが大まかなプラン。アンベール城では象に乗り、宮殿では優雅な気持ちで展示品を鑑賞。宮殿近くの天文台で当時の科学力に驚嘆し、風の宮殿の裏からジャイプールの街並みを見回した。途中で気が付いた。ジャイプールという街に入って以降、完全に自分の行動はマハラジャ(街の王様)であるということに。宮殿を出てからは、織物工場と宝石店を見学した。昨日の占い店でエメラルドを身に着けるといいと言われていたのは完全なる伏線で、シンさんもグルになってエメラルドを執拗に進めてくる。もう完全に自分はマハラジャだったので、普段なら絶対買わないであろうエメラルドのペンダントを結局購入!霊感商法もなんのその。なぜなら俺はマハラジャだから幸運の為なら金銭を惜しまない。しかし妥協がでてしまい、チェーンはケチってシルバーを購入すると、後でシンさんから占いではゴールドがいいと言ってたけどシルバー買ったんですねと指摘され、こいつ・・・とは思ったが、マハラジャに恥をかかせるな!とは流石にメンターには言えない。

 マハラジャは止まらない。一日のプログラムが早めに終わり、連日の酷暑と過剰に効きすぎの冷房のせいで少し風邪気味になっていた。シンさんがアーユルヴェーダというインドではとてもメジャーな民間療法を進めた来たので是非にということでお店へ行く。いわゆるオイルマッサージで体質にあった薬草を混ぜた暖かい油で体をマッサージしていく。寒気がしていた身体がポカポカあったまる。俺はマハラジャだから健康の為なら金銭は惜しまない。

 ホテルへ早めに戻り夕食。給紙をしているボーイとやり取りしていると日本の客が多いから日本語を教えてほしいと頼まれた。気前よく応じて、次の日の朝、よく使う日本語をメモに書いて渡すと大喜び。ちなみにこのボーイに夕食の際少し多めにチップを渡すとボーイはテンションが劇上がりしていたが、次の日この客はチップを多く渡すぞという噂がボーイ内に広がり、何人かのボーイが自分を取り囲みあれやこれやとサービスを買ってきたのがもの凄くわかりやすい人たちだと思った。インドに来てからというものチップの文化に徐々に慣れ始めている。気分的にあげる方が卑しいなというのもなくはないが、お互いに気持ちよくサービスを成立させる事や、ホテルや乗り物に乗る時などのセキュリティという部分では、「惜しまない」というのはある意味合理的という風にも考えられるようになった。

 狂気の沙汰とも言えるマハラジャ道中を終え、旅は終盤。デリーに戻り旅の締めくくりとなる。

メンター(インド旅行記13)

 タージマハルを見終えて、近郊にある赤茶色い煉瓦でできたアグラ城に向かう。城内でもシンさんは黙々としょうもない被写体=自分を撮り続けた。その次のアグラとジャイプールの間にあるファテブール・シクリという荒野にそびえる遺跡でも、シンさんは撮り続け、几帳面に建物の歴史を説明してくれた。実は何度も言うように写真を撮られるのが基本的に好きではない。そういう好きではないことに向き合って甘んじて写真を撮ってもらい続けることで、何か新しい発見でもできるかと思ったが、そんなことはなく正直ストレスに感じるようにもなってきた。
 
 ファテーブ・シクリへは、駐車場からシャトルバスが出ていてそれに乗って往復するのだが、行きも帰りも若い物売りの勢いが半端なく、建物以上にインパクトを感じた。バスに手をねじ込み、乗客に合わせて言語、英語、スペイン語、日本語など大声を張り上げブレスレットを売ろうとして、バスが動き出しても決して諦めようとしない。結局何も買わなかったが、そのタフさ、しぶとさ、スピリッツには感銘すら覚えた。

 アグラ観光も終わり、後はジャイプールへの移動のみ。ツアーの車には、ドライバーとシンさんと自分の3人。同じツアー客がいないというのも味気ないような気もするが、ある意味贅沢なドライブである。この車中でこのインドの旅で一番思い出深い出来事があった。

 先ほどのファテーブ・シクリでの物売りのエネルギー、それだけではない、この旅で出会ったインド人たちのしつこいまでのたくましさが頭を離れない。自分が仕事で目にしている主に日本の困窮した人たちの中には、ここまでエネルギーのある人はほぼ無く、むしろ心を病んでいる人が多い。同じ貧しい人でもこのエネルギーの差はどこからきているのか疑問になり、シンさんに満を持してではないが聞いてみた。

「インドには精神病の人はいますか?」

唐突ではあったがシンさんは答えてくれた。

「デリーなどで忙しく働く人たちの中にはそういった人たちが出てきているようだが、基本的にインドでは精神病の人はいません。」

衝撃の回答!シンさんは続けた。

「日本人を見ていると不思議に思うことがある。日本人は一生懸命働き裕福となったが、機械のように生活しているようだ。そして、精神病の関連でいうと日本には、宗教がない。宗教がないということは感謝の気持ちがないということだ。感謝の気持ちがないから心を病む。」

何気ない質問から頭をハンマーで殴られたような回答が繰り出される。シンさんは止まらない!

「心を病まない方法。それは瞑想することだ。別に宗教にとらわれなくてもいいから、朝起きたら感謝の気持ちを持って瞑想をすると心を病むことはない」

スピリチュアルすぎる!シンさんは感謝の意味について、助手席から後部座席へ身を乗り出し挿話を語り始めた。

 昔、王様と大臣がいました。王様は大臣をとても信頼していました。大臣は常々王様に「起きることは全てあなたにとっていいことだ」と話していました。
 ある日王様が狩りへ出掛けた時、けがをしてしまいました。あの大臣の言葉に腹が立ち,「起きることは全ていいこと」だとお前は話したが、全然そんなことはないじゃないかと、大臣を処罰し、幽閉してしまいました。
 その後、王様は近隣の部族と戦争を行いました。その際に、敵の部族に捕まってしまいました。部族は神への生贄に王様を捧げようとしましたが、王様がかつて狩りで負った傷を見つけて、傷のある者は生贄にできないというしきたりから、王様は解放されました。
 国へ戻った王様は、大臣を釈放し詫びました。
「あなたの言ったことは間違いではなかった。狩りでの傷のおかげで私は助かった。しかし私のせいであなたを幽閉してしまった。どうか許してほしい。」
大臣は答えました。
「いえ王様。私は王様に感謝しなければなりません。もし、幽閉して頂かなければ、私も王様とともに戦地へ赴き部族に捕まっていたでしょう。そして、傷を持たない私は生贄になっていたことでしょう。起きることすべては王様にとっても私にとってもいいことだったのです。」

シンさんは締めにかかった。

「いい言葉を教えましょう。”Whatever happens,happens for the best.”(何が起きても、起きたことが最善だ)」 

いい話すぎ、いい言葉すぎ、そしてシンさんかっこよすぎである。

インドに来ると人生観が変わるとは言い古された言葉だ。インドを訪れてもう一年も経つが、実際は人生観どころか相変わらず変わらない自分にやきもきし、悔しい思いをすることも多い。ただ、インドに行く前と後で少し変わったことがあるとすれば。シンさんの言葉にある通り、何が起きても、起きたことが最善だという鷹揚なメンタリティが多少身につき、前よりは自分や周りに対してまあいいかという感覚を持てるようになった気はする。それが、偉大な修行者の教えによるものでもなんでもなく、一介の寡黙なツアーガイドの言葉によるものだというのが旅の奇跡というか、まさしく起きたことが最善だったと思わざるを得ない。

この後もインドで見つけた「メンター」シンさんのありがたい話はジャイプールに至るまで尽きることなく続いた。

タージ・マハル(インド旅行記12)

 ターバンに髭というイメージ通りのインド的なガイドさんの名前はスクジード・シンさんといい、以後シンさんと呼ぶこととなった。シンという名前はシーク教徒の代表的なものらしい。徹底した不殺傷、平等主義を貫くシーク教徒は、動物を生涯口にすることなく、髪や髭も切らない。毎朝長く長く伸びた髪を丸めターバンに納めて例のスタイルが出来上がる。アグラに着いたのは夜遅くで、市内のバーのようなレストランに入り一緒にご飯を食べたが、シンさんは寡黙にベジタリアン使用のカレーをつまんでいた。本当に寡黙で不気味さすら漂う。ホテルに着き、例のごとくボーイに部屋に案内されると、ボーイが腕に彫られた自慢のタトゥーを見せてくれた。漢字で「麻美太」と彫られており、自分の日本人のガールフレンドの名を彫ったらしいが、そんな名前の日本人女性がいるのかとクエスチョンマークとおかしみがこみ上げた。

 朝起きて朝食を食べ準備を済ませると、シンさんとドライバーが迎えに来てくれた。この日はアグラ観光後にジャイプールに向かう。今日の目玉は何と言っても世界遺産タージマハルだが、ここへ向かう前にもはや定番の強制的にお土産屋連行となった。インドの伝統衣装が売られていて、これを着てタージマハルへ行けという話らしい。テーマパークでよくある形から入ってテンションを上げていくやつかと斜に構えたが、結局伝統衣装の上下を購入。バラナシに引き続き金銭感覚はもはや崩壊している。でも実際テンションが上がって、素材もとても涼しいのですっかり気に入ってしまった。天気は素晴らしく快晴で朝から暑さがはんぱない。毎日が夏休み。

 胡散臭いインドスタイルでタージマハルに向かう。茶色い門をくぐると巨大で壮大で美しい、テレビや写真で何度も見た白亜の建造物が雲ひとつない真っ青な空のキャンパスにくっきりと輝いていた。素晴らしいという他にない造形に息をのまれる。シンさんがぼそぼそと建物の成り立ちを話しながら記念写真を促していく。写真を撮られるのが正直好きではなく、自分で色々撮りたいのにという複雑な感情を持ちながら色々なポーズを求められ微妙な表情の日本人とワールドクラスの建造物の記念写真が撮られていく。撮られていくことで自分の中で何かが変わるかもしれないと思ったが、結果的にはそれほど変わらずやっぱり写真を撮られるのが嫌だというのは旅を終えても変わらなかった。それでも、被写体をさせられ続けて、最終的には下の一枚が自分としてはギリで気に入った一枚となった。ヤケクソ感と高揚感のハイブリッド。

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 自分のどうでもいい被写体話に矮小化しそうになってしまった。話を戻すとインドでは良くも悪くも何だか凄くて変なものも沢山見たが、ことタージ・マハルに関しては、その美しさ、スケール感、「ある意味」とか、「逆に」とか、「俺的には」とか、ねじれた見方が一切入り込む余地もなく誰に対しても一度見るべき!とお勧めしたい建造物だ。
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悠久のインド鉄道(インド旅行記11)

 サンティたちと解散してからは、晩御飯も食べずに早々に不貞寝を決め込んだ。疲れもあったし、前日同様の煮え切らない幕切れでイライラモヤモヤがあった。もの凄く早い時間に床に就いたが相変わらずよく眠れない。

 長い夜が明けた。朝にやっとお湯が出るシャワーを浴び、久方ぶりの食事をとって準備も整うと最初に駅に迎えに来たガイドがまた約束通りの時間に迎えに来てくれた。ホテルの外らへんで屯しているであろうサンティたちに最後に会えるかどうかと思ったがすんなりいいワゴン車に乗り込み、その姿を確認することもできなかった。

 この日は汽車に乗ってアグラへ向かう完全な移動日。アグラには予定では夕方到着らしい。ワゴン車で昨日渡ったガンジス河の鉄橋を渡り乗車の駅へ向かった。インドの駅は撮影禁止だが本当にインドという国の特徴がよく出ていて面白く、ニューデリーの駅同様、地べたに座る人や、野良犬、野良牛が無秩序に混在している。予定よりも若干遅れて汽車が到着し、ガイドともお別れ。車内は完全に一人になる。来た時と同様2階席だったが、すでに下の席の客が降りた後らしく、二人分の席を占領できたのはささやかなラッキーだった。

 車内ではバラナシでの出来事を回想し物思いにふけった。荒涼たる大地が延々と続き、駅に停車するたびに乗客が電車を降り線路端で用を足していた。自分はそこまでできなかったが、車内のトイレは便器に穴が空いていているだけで要するに線路に落としていくというシステムで部屋もとても汚く、確かに停車場で外に降りてしたほうが快適だと妙に納得した。これで腹を壊していたらと思うと結構ゾッとした。近くの席では少年が音楽プレイヤーを音量全開で聞いておりそのことに対しても特に誰も注意することが無い所に文化の違いを感じた。

 同じような風景が延々と続き日も傾いて、予定ではそろそろアグラについてもいい頃だが、停車した駅の名前を調べるとまだ距離的に三分の一も来ていない。乗客のトイレ休憩に合わせてダラダラ運行しているのが徐々に積み重なってそうなっているのか、運行速度がただただ遅いだけなのか分からないが、遅れるのが当たり前というインド鉄道の真髄を見た気がした。悠久の国とは本当によくぞ言ったものだと身をもって知ることができたた。そうなると先日の予定通りのバラナシ到着が奇跡のように思えてくる。
 
 日もとっぷりと暮れ、今どこを走っているか全く分からない状況になって俄然不安になってきた。自分が降りるタンドールという駅は終点ではないため乗り過ごす可能性がある。現にある駅に到着した時に電車に乗っていた警察官に「タンドール?」と尋ねるとそうだというので、あわてて降りると結局全然違う駅でまた更にあわてて乗車するという事態も発生した。ここは最終手段だと思い、成田で設定したドコモの一日単位の海外パケット利用のサービスを使うことにした。携帯がつながればGPSで位置も確認できる。サービス利用の設定をし、携帯の電波がつながると、普段全く音沙汰のない、大学時代の友人からフェイスブックの友達申請が2件あり何の因果かインドで友達申請とはねえと不思議な気持ちになった。普段は全く積極的な利用をしておらず、なにぶん心がお猪口なので人の記事を見ても全く「いいね!」とも思わないフェイスブックだがこういうことがたまにあるのは悪くない。

 位置情報も確保できたが、やはり多少心配なので車掌らしき人に何時にタンドールに着くか尋ねると「後30分で着く」との返答があった。しかし案の定30分たっても着かない。どこまでもいい加減。でもそれが成立する謎の懐の広さ。結局それから一時間くらいして真っ暗なタンドール駅にたどり着いた。駅を降りても迎えの人がおらずうろたえたが、初日にアグラとジャイプールを案内するのはターバンを巻いた人という情報があったのでそれらしき人を見つけると自分の名前の紙を持っていたので大いなる安ど感に包まれた。

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マネーウォーズ(インド旅行記10)

 日本食レストランでのランチタイムの後も、バラナシ観光は続いた。凶暴なサルがうろうろしているモンキーテンプル。色調が真っ赤なドゥルガー寺院では、賽銭代わりに糸を編んでできた首飾りと、これぞインドの額に朱をチョンと塗ってもらった。謎のからくり人形ショーに定評があるラマ寺院にも連れて行ってもらえた。余計だったのはサンティが個人的に提携しているであろうシルク屋に連れていかれて、見たくもない工場を見学させられ、欲しくもないシルク商品をつかまされそうになったが、いらんものはいらんと頑として買わなかった。同じ店には同じように日本人が連れてこられていて、このエリアでは日本人はほんとにマークされているんだなと思った。

 一通り寺院も巡り、昨日もこの日の朝も来たバラナシの細い路地を抜けてガンジス河を望むガートに腰を下ろした。夕方にはまだ少し早い時刻でこれからどうしようという半端な時間だった。夜になればアールティと呼ばれる行者の夜のお勤めがあり観光名物になっているので順当に行けばそれを見ることになるのだろうがここでサンティが余計なおせっかい発動。アールティを見るならボートを貸し切って川から見るのがいいから船頭に話をつけてやるといって次々に船頭を連れてきだした。俺は2700ルピー。もう一人の俺は2500ルピーと値段を次々に提示してくるが相場が分からないので返答のしようがない。それにサンティとドライバーの名前を忘れたオッサンのチャーター代が確定していないためそこを決着させないと出せるものも出せない。だから船頭たちとの交渉はいったん中断し、サンティに船に乗る前にあんたがたとの交渉をまとめなければならないと話した。ここからは完全にこれまでの刺激的で楽しかった道中は忘れお互いに戦闘モード。相手はいくら出すと自分からは金額を言わなかったが、リキシャで待っているドライバーの料金が5000ルピーと、自分のガイド料が別途に発生すると切り出してきた。5000ルピーは正直かなり高いと思った。完全にぼられているといっていい請求額という感覚だった。しかし日本円に直すと約10000円ちょっとで、冷静に考えればこの金額でとても貴重な体験ができたと思えばまあいいかという気にもなった。日本でだって京都や東京をタクシーで貸し切れば相応の金額はかかると客観的にみればぼられているこの状況のみじめさをごまかそうとした。

 次にサンティのガイド料である。これは金額設定を自分に委ねられた。ドライバーの金額を基準にすると決めたからには、安すぎず高すぎない料金設定が必要だし、サンティがガイドを買って出たのは6000ルピーかかるリキシャの修理代が必要なこと、一日に2、3組しか乗客がないこと、リキシャ1回の給油で500ルピーかかっていたことなどの彼らの現実的な状況と、よくも悪くもバラナシの街で一番濃い付き合いでいろいろ連れて行ってもらった事には感謝の気持ちもない訳ではないから3000ルピーという金額をメモ紙に提示した。すると金額を見てサンティはもの凄く悪い顔でニヤッと笑い握手を求めてきた。彼が想定していた金額より高かったかと何だか悔しかった。金額的には妥結したものの、昨日同様心のお猪口が決壊し、夜のお祭りも見る気が無くなり、疲れたから帰ると不機嫌に河を離れリキシャに戻ることにした。聖なるガンジス河のたもとで2回もお金のことでもめるとはなんたる因果か。しかし、今思えばたった一人でどこの馬の骨とも知らない船頭の船に乗り込むというのはもの凄く危険だったし、下手をすれば魚の餌になっていたかもしれない。単純に船代が高いか安いかだけで判断していたその時の精神状況はまともではなかったと思う。お寺で塗ってもらったおでこの朱は汗で流血したようになっていた。

 ホテルへ向かうリキシャの中でも何だかモヤモヤして憮然としていたらサンティが気を遣い何を考えているんだ?と声をかけてきたので何も考えていないと憮然と返す。その後しばらくしてあんたがたに払う金額は日本の基準の金額だからなと言うと、それにカチンときたのか、日本の基準だったらこの金額の倍だと返す刀で言われ更に車内のムードはより険悪になった。それでもホテルに着き、先にドライバーに約束通り5000ルピーを払った。その後サンティに指3本立てて金額を確認するとアチャーというリアクションをされた。お金の交渉がまとまった時にドライバーには自分のガイド料を絶対に教えるなとサンティに頼まれていたのだが、完全に自分の天然で金額がほぼ明らかとなってしまい。サンティは叔父のドライバーにもの凄い形相で睨まれていた。わざとではないが痛み分けだ。最後に彼らの写真を撮りお別れとなったが、「Are you happy?」と尋ねられたので超キレ声で「I'm very happy!」と悔し紛れに答えてやった。喜怒哀楽激しく入り混じったバラナシの珍道中は思ったよりも早い時間に終結した。

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こんな所に日本人(インド旅行記9)

 マハラジャの屋敷から再びバラナシ市街へ向かう。最初に渡った鉄橋とは別の橋を渡って行き着いた先はバラナシ・ヒンズー大学で市街の南端にあり、広大なキャンパスに木々が生い茂る。この大学はバラナシの先のマハラジャが創設者らしく、サンティ曰くノーポリューションと言う通り、敷地内は街の土ぼこりと排気ガスにまみれた喧騒とは程遠い穏やかさ静けさに満ちている。このキャンパスにはいくつもの学部の校舎の他に、大きなヒンズー教の寺院がキャンパス内にあり、観光客も多い。比較的新しい清潔な寺院で、建物の中は涼しく学生たちが寺院の中で寝そべりながら勉強しているのがとてもいい風景に思えた。本来の機能や役割を超えた利用法をされている建物を見ると何故だか嬉しくなる。余談としてこの大学の校舎でサンティはシタールの演奏会を海外の友達とするらしく、その話をにこやかにする彼の表情にはここ2日間の不思議な腐れ縁道中の中で、未だに胡散臭さをぬぐいきれない彼のビジネスを離れた素の一面が伺えた。

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 大学を離れると昼下がりの時間なので、日本食のレストランに案内してくれるという。再び市街地に戻りレストランに入ると客は2組位いてどちらも日本人。一組は割といい歳の日本人男性2人で怪しい儲け話をしていたが、いずれも外国崩れしたすれっからしに見える。もう1人は、インド人の男性と2人でニヤニヤしながら音楽のプレイヤーで音楽を聞いていた。民族服を着ていてまるで猫にマタタビを与えたようなフニャフニャした様子だったので、長いインド生活で大麻か何かを覚えて訳が分からなくなっているのかもしれないと思い勝手に同情したし、単純に怖いと思った。大して旨くもないラーメンをすすっているともう一人日本人がやってきて冷房が効いてているからと自分の席に相席を申し出てきた。社会人らしいが、休暇でインドに来ておりベイビーマザーハウスという慈善団体の活動に参加しているとの事。歳はあまり変わらない感じだがとても溌剌してこういう人もいるんだなと妙に感心したし、こう溌剌と人生を歩んでいる人には羨望を覚える。食べ終わるのを待っていてくれたサンティたちと店を出る時、胡散臭い2人組から話しかけられ、現地のリキシャをチャーターして観光案内してもらってると話すと「それは賢いやりかただ!」と妙に誉められたが、自分としては特に賢いとは思えなかった。なぜならこのチャーターの最大の問題点は未だに金額に関する交渉をしていないことで、当初サルナートまで頼むつもりだったのが、彼らの策略ともいえるオプションに次ぐオプションで金額についての部分があいまいになっている。かといって先に金額を設定すれば現金な彼らは相応のサービスしかしなくなる事は明らかなのでここら辺は微妙な駆け引きと許容範囲の金額で済むか自分の中でのギャンブルだった。これから起こるであろうサンティたちとのマネーウォーズが頭をよぎりながら、日本人のおっさん1人とインド人のおっさん2人の小汚いローマの休日のようなバラナシの旅はいよいよ佳境を迎える。

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