前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

発展(インド旅行記供櫚◆法

 どうやら嵐だったらしい。夕立の乱雲を何とか突き抜け、飛行機はからがら着陸した。ゲートを潜り抜ける時には、ごってりと何層にも塗りこめられたような暑さに、3年間の時を経て迎え入れられた。

 空港の赤茶色い絨毯を延々と歩き大きな問題がなく出国も完了。いつでも心配になるが、自分のガイドは待ってくれているのだろうか?予約した旅行会社の旗を見つけ声をかけたがどうやら違うツアーらしい。でもそのガイドの他にもう一人いて、どうやら自分のガイドらしいが向こうが自分の客じゃないような雰囲気をだしている。それでも自分の名を名乗るとガイドの資料と合致している。どうやら会社の手違いで、自分の名前は女性の名前でも通じるので、女性が来るものだと思っていたらしく、ホテルも電車も全部女性で予約していたようだ。

 なんにせよ無事にガイドと合流できた。自分より年が若いが小太りで、眉毛が濃い典型的なインド人の男性ガイドだった。前回のツアーとは違いほぼ一緒にガイドしてくれることになるようで日本語もうまい。空港を出るとさらにもやっとした熱気と、成長する国特有の排ガスのすすけた空気に包まれる。軽ワゴンで何分も走らぬうちに、空港近くに最近できたばかりのようなビジネス街のきれいなホテルへ到着した。この日はここでガイドと解散し、出歩いても何もなさそうなのでホテルのレストランでゴリゴリのニンジンがたくさん入ったパスタを食べた。カレーはきっと付きまとうから避けた。特に大掛かりな準備もせずに今回はやってきたから気持ちがまだ海外いることに追い付いておらず、言葉が通じない事を通じないままに来てしまった。気持ちの高まりや大きな不安はないが寝起きのようなままならなさを思った。それにしても思ったのは、何年かぶりだがインドは確実に発展している。みんながスマホを持ち、きれいなホテルが立ち並んでいる。しかし詰めの甘さのようなものもあって、水の悪さ、下水の未発達からくるかすかな水回りのにおいはいくらきれいにしててもぬぐい切れていないが、これはインドに限らない話だろう。日本の水環境がおそらく抜けているのだ。

変な人たち(インド旅行記供櫚 

4月28日。11時のフライトだったが、早々にホテルを出て成田空港第二ターミナルへ向かった。もう何度目かの海外旅行で空港での流れもおおよそ分かってきていて、余りバタバタせずにしようと思ったものの、やはりテンションは上がってしまい、読みもしない本とか荷物になるような余分なものを購入してしまった。GWの出国ラッシュで空港はかなり混みあっているダラダラと出国の列に並んだが、その後は割とスムーズにぬらぬらとインド国旗のあしらわれたエアインディアの飛行機に搭乗した。


インドに行く人は変な人が多い。隣の席はおばちゃんのグループだったが、ずっと数学の問題みたいなものを解いていて、ものすごく胡散臭い「先生」のような男が時折席にやってきてこの解き方はあってないみたいなやり取りをしている。グループ内で「〜マントラは中々覚えるのが難しい」とかそんな話をしていて、このグループはインドに何をしにいくんだろうと物凄く気になったが、怖くて話しかけられなかった。その他にもスピリチュアルにかぶれたような女のグループが「今回のネイルはチャクラ色なんです♪」みたいな話をしていたり、インドには変人を誘う何かがあるのだなと思いつつ、そういう自分はシク教、チベット仏教、ヒンズー教の聖地めぐりというゴリゴリのスピリチュアルスポットをこれから旅するというのだから、全く人のことは言えないだろう。


機内食は日本にはないようなカレーでこれはこれでうまいが、似たようなカレーばかりこれから食べることになるのだろう。9時間余りのフライトで、着陸前はどうやら嵐の中にあったようで飛行機が急降下した時には機内が悲鳴に包まれこれまでかと思ったが、無事着陸し何とか生涯2度目のインドの地にたどり着くことができたようだ。

再び望む悠久の大地(インド旅行記供.廛蹈蹇璽亜

本当に随分とこのブログも放置状態だった。前回の更新以降もはや3年以上立っており、月日の流れの速さを感じさせられる。

3年間。幸か不幸か自分の身辺についてはそれほど大きな変化もなく、まずまず環境に適応しながらやってきたように思える。今の職場に移ってから3年がたち、毎日それなりに仕事面では充実していたような気もするが、4年目に差し掛かり、一緒に頑張ってきた同僚が退職したり、自分は変わらなくても周りの人の環境が変わることで、仕事のやり方の変更が迫られ、急に何かと自分で何とかしなければならない状況が生じてしまった。自分は変わらないのに周りがどんどん変わっていく。そこはかとない取り残され感。焦る気持ちに反してこれまでの慣れ、マンネリ化が自分の中であって、今いちやってやるという気持ちになれない。

こんなときどうするか。これまで自分が何度かやってきた息詰まった時の黄金パターン。
”どこかへ行こう”
現実を全部ぶっ飛ばして。どこへ?前回のインド旅行以来、折に触れては他の面白そうな国を探してはいるが今いち琴線に触れる場所がない。だとすればもう一回インドはどうか?前回のガイドさんが教えてくれた黄金寺院へは行ってみたいという思いが残っていた。ネットで黄金寺院のあるアムリトサルのツアーを検索してみると”インド3大聖地周遊の旅☆ヒンズー教・シーク教・チベット仏教☆3つの宗教の聖地を巡礼” !?これは何やら面白そうだ。

これまで逡巡が嘘のように決めてしまうと早い。幸い今年はGWが中日2日仕事を休めば9連休になるからその日程で行こう。割高なのは仕方ない。大人は時間を金で買うのだ。とはいえすでに時期は3月の終わり。GWの旅行予約などは普通の人はとっくに終わっている。ネットで予約したが、希望日の予約はできず希望日の一日遅れで飛行機も国内の航空会社ではなくエアインディアがぎり予約できると担当者から連絡がきた。追加料金もかかる。しかし、今を逃せば次はないような気がした。だから大人は時間を金で買うのだともう一度自分に言い聞かせ旅行会社の口座に滑り込みでそれなりの金額を振り込んだ。


申し込んでからの4月。自分は何も変わらないのに、周りの人が変わることで生じた新たな環境は、思った以上にバタバタだったが、4月が終われば俺はインドへ行くんだということだけをモチベーションに何とかかんとか一か月を乗り切った。


4月27日。ついに出発の日が来た。エアインディアは午前出発で新潟からの当日出発はかなり厳しいので成田で前泊することにした。上野駅を降り立ち、大河ドラマでおなじみの西郷隆盛像を仰いでから京成スカイライナーで成田空港へ向かう。更にそこから少し戻って成田駅前のビジネスホテルへ泊った。西郷どんに触発されてか成田駅近くのイオンのうなぎ屋でそれなりの値段のするうな丼を食べた。新潟県人の癖に心のなかで「うまか〜!」と薩摩弁で叫んだ。思い返せば今回の旅で一番うまかったのは断トツでこのうな丼だった。


4月28日。今日が終わるころには再びあの悠久の大地に足を踏み入れているだろう。

新たなるテーマ

 「悠久」ともいうべき無駄に長いインド旅行記がやっと終わった。およそ一年半も前の話で今は遠い昔のように思える。

 インドからの旅行を終えてからの一年半。自分の身辺では中々の変化が起きていて、その最たるトピックは仕事が変わったという点に尽きる。

 五年間務めた地元の市役所の臨時職を退職し、昨年(2015年)の4月から、これまた地元の社会福祉協議会に正職員として就職することとなった。社会福祉協議会とは大体各市町村にあり、行政からはみ出た地域の福祉サービスと担当する機関で、その具体的な業務は一言で中々説明しづらく、地域差もある。この社会福祉協議会において運営する、昨年4月施行の生活困窮者自立支援法という法制度に基づく相談機関の担当職員として働くことになった。生活困窮者自立支援制度とは、生活保護に至らない経済的に困窮した人々の相談支援を行うもので、既存の福祉制度と異なり具体的な支援フォーマットなども余りなく、各々の相談者に見合った支援方策を考えてやっていかなければならない上に、新たな制度の為参考になるような情報がとても少なく、毎日けもの道をさまよい歩くような取り組みを行っていて、人の助けになることならかなり特殊なこともやっている。その上、これまでの制度で支援しきれない部分については、新たな制度などを「作りなさい」という制度で、よく言えば自由、悪く言えばお上の丸投げで、求められているものの規模が地味に大きい。自分はこの係のチーママのようなポジションでいきなり働くことになった。幸い職場はいい人ばかりで溶け込むのに時間はかからなかった。

 これまで勤めていた市役所の生活保護の仕事とは関連性の深い制度で、自分のしがなくはあるが市役所で培ってきた経験が多少は生きている部分もある。また、地域に積極的に広報活動や他の機関との連携をしていく必要もあるため市役所以前のサラリーマン時代に身についた動き方も役に立っている。さらに言えば就職活動がうまくいかなかったこと、学生時代習った事や自治会活動での経験など、自分のこれまでたどってきたプロセスを総動員すべき場に、ある種必然的にたどり着いたという実感がある。インドでシンさんに教えてもらった「起きたことが最善」という言葉の重みを改めて感じさせられる。仕事自体は難題の連続で大変な仕事だねえと同情されることもしばしばあるが、やりたいことをやっているという感覚でストレスや虚無感は不思議なほどに少ない。

 この仕事を通じて、今この社会において「貧困」という問題はかなり多数の人にとって他人ごとにできない所にあるということをひしひしと感じている。気持ちとしては人並だが、実態は火の車で、そのギャップに苦しむ家庭や人があまりにも多い。もともと貧しいというのではなく、気づいたらお金がない、仕事がない、借金の山という怖さがある。まさに日本という国の縮図という感じで、今後日本では全社会的に迫りくる「貧困」という問題から目をそらすことはおそらくできないだろう。逆に言えば「貧困」というものに対して徹底的に考察し手を打っていく中にしかこの国の活路はないとすら思う。とりくむべきテーマは大きいが、そういう課題に取り組む場所にいることができるのはとても光栄なことだと思いながら、毎日を過ごしている。

 ということで、新年冒頭不穏な内容となりましたが、元気にやってます。今年もよろしくおねがいします。

エキセントリックガール(インド旅行記ファイナル)

 インドの旅の中で様々な人との出会いがあった。誰もが自分にとって予想外をプレゼントしてくれた。もうお腹一杯というところだが、もう一人だけ覚えておきたい人がいたので、その人について最後に触れて、旅行の時間よりはるかに長くかかったしまったこの旅行記を締めくくりたい。

 シンさんとは空港の入り口でお別れし、搭乗手続きも大きなトラブルなく終わった。免税店ではインド人最後の逆襲とばかりに、日本円を両替してくれなかったり、買いたいお土産をレジに持っていくと違うものをごり押しで進められるなど最後までインドはインド。出発時間が大幅に遅れるという最後っ屁までお見舞いされた。

 何とか搭乗となり飛行機に乗り込むと、隣は若い女の子。小柄でひどく痩せている。細い腕の裏側に十字架のタトゥーが入っていて、入れたばかりなのかしきりに撫でていた。機内食の時に、食べ物について野菜が食べられないとかだったかCAにあれこれめんどくさい注文をしていた。ああ中々めんどくさい子だなと思ってみて見ぬふりをしていた。

 夜になってひと眠りした後、どういうタイミングだったか、旅行帰りですかか何か尋ねると、どうやらインドの学校に留学しているらしい。日本の大学に入学したが、周りと全く合わずなんのために学校に行っているのかわからなくなり、インドの学校に留学することにしたらしい。しかし、インドの学校にはもう一人日本人がいてその人は競争心やら嫉妬心が強いらしく、何かとつっかかってくるのが不満らしい。初対面の人の、全く生活圏も異なる日頃の不満をまさか聞くことになるとは思わなかった。おそらく、この子は世界のどこへいっても周りと協調することなくツッパリながら生きていくんだろうと思うと、あまのじゃくな自分としては是非応援したい気持ちになった。如才なく周りと適応しながら生きている人より、話していても面白い。不満が生きるエネルギー。彼女にどんな未来が待っているかは分からないが、最後の最後に面白い人がいたなと妙に印象に残っている。

 わずか10日間の旅だったが、いろいろな経験を積んで日本に降り立った時には何となく達観したかのような心持がした。きっと日常に戻れば薄れていくのだろうが少し静かに物事を見れるようになったといえば大げさか。インドへ行くと世界観が変わるというが、自分の人生においては今回の旅は一つの区切りになったような気がする。

デリー残日(インド旅行記16)

 インド最終日。待ちに待ったデリー自由行動の日といったところなのかもしれないが、これまでの濃い旅程の中でもうお腹一杯という気持ちが多少あって、前年に行ったバルセロナのように何でも見てやろうという気持ちも沸かず、ゆっくりいける範囲でいいので回ろうと思った。

 割とゆっくりの時間にバジャージ家を出て、インド門近くの博物館へ行きだらだらとよく分からない展示物を眺め、ニューデリーの中心部コンノートプレイスにある日本料理店でわけの分からない焼うどんを食べた。海外で日本料理店に入るのはもはや安定のコースとなっている。その後地下鉄に乗って、オールドデリーへ。チャンドニー・チョーク駅を降りて、人の流れに沿って歩くと例によってリキシャの客引き。「20ルピー」という若者の人力リキシャに乗ることにした。目的地は世界遺産のラールキラーだったのでそこに行ってくれというと、他にもいろいろいいとこがあるから回ってやるみたいなことを言ってきたので俺が行きたいのはそこでなくラールキラーだというとふて腐れつつも言うことを聞いて目的地まで送ってくれたのだが、降りる段になって「20ダラー」とか言い出してきたので、腹が立ってインドルピーを無理やり払って歩いていくと追いかけてくることはなかった。最後の最後で不愉快な出来事が起きてラールキラー見物どころではなかった。というよりそもそもこのラールキラーという建物自体に大きな興味が湧かなかった。この旅を通じて、というよりここ数年いろいろな所に回ってきて旅というものに関する自分自身の感性が変わってきているらしく、どこに行き、何を見るかというより、誰と出会い、どんな話をして、どんな出来事に出会えるかということの方に完全に関心が移っている。

 オールドデリーから最後にガイドブックにあった石鹸を売っている店に行きたくて本と携帯情報を頼りに行こうとしたが結局店が見つからずタイムアップ。夜の飛行機に乗る準備のためバジャージ家へ帰還。ルートとしてはニューデリーのバザールが並ぶ地区にも行ければ良かったが又来るだろうということで今回はお預けとなった。
 時間になると、シンさんが空港への送迎で迎えに来てくれた。シンさんとは一つ約束をしていて、またインドに来るときには、シンさんの家へ遊びに行くこと、シーク教の総本山があるアムリトサルの黄金寺院に行くことだ。ホストファミリーのバジャージさんとシンさんとはメールアドレスの交換をした。もう会えないかもしれないが何だかそんな気がしない。きっとまた会えるだろう。また、お世話になったお礼に持ってきた地球の歩き方と、日本円3000円をシンさんにプレゼントした。ルピーの方が喜ぶのかもしれないが、今度東京オリンピックに行ってみたいと言っていたので、成田空港から都内への電車切符ということで貰う相手にとってはめんどくさいプレゼントだったろう。
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エボリューション(インド旅行記15)

 ジャイプールからデリーへの帰還。この日でシンさんのガイドは終了となる。デリーの主要な史跡(赤いタージマハルのような建物と、石でできた巨大な塔)巡りはシンさんの徹頭徹尾淡々としたガイドで締めくくられた。自分にとってはおそらく人生一度きりの旅程だが、シンさんは毎日のように同じ場所を巡り、同じことを語り続けている。これは考えてみると大変な仕事だと思うのだが、この繰り返しの辛さともいうべきことについて、シンさんは自分で色々な工夫をする。例えば写真のポーズのアイデアの考案とか解説の工夫とかをすることで常に新鮮な気持ちで仕事に取り組むように心がけているという。自分にとって仕事は他者、社会からの要請による作業の繰り返しでもあり、湧き上がる徒労感、空虚感を騙し騙しやり過ごしながらやっている側面は否めない。だからこそシンさんの仕事に取り組む姿勢には少なからず学ぶべきものがあるように思えた。

 デリーの史跡観光を終えて、その日の宿泊地はインド到着日に泊めてもらったバジャージさんのお宅に再度ホームステイということになっていた。シンさんにバジャージさん宅まで送ってもらい、明日の夕方空港までの送迎に来てもらうことを確認して解散となった。

 インド到着日は毒を盛られているのではないかと思うくらい緊迫感がある宿泊地だったが、バラナシ、アグラ、ジャイプールを巡る旅程の中での様々な試練?で鍛えられたのか、この時は慣れた所に無事戻ってこれたという安心感があった。そして、到着日には一家の主人のバジャージさんとしか日本語で話すことができなかったが、奥さんや大学生の娘さんとも英語で何となくスムーズに会話ができるようになっていた。レベルとしてはまだまだではあるが変な度胸がついて、自分の英語力でも何とかなるという自信を知らぬ間に身に着けていたのが実感できて何だか嬉しかった。バラナシで購入した織物を一家にプレゼントすると奥さんもとても喜んでくれていた。添乗員を生業とするバジャージさんはともかくとして、一般のデリー市民にとって、インドの他地域も異世界なのだと感じさせられた。

 最初の日はゆっくり眠れなかったベッドでも疲れからかぐっすり休むことができた。インド最終日はデリーの自由行動ののち、夜の飛行機で帰国となる。

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俺はマハラジャ(インド旅行記14)

 アグラからジャイプールに向かう車中でのシンさんの話は心にとても響き、結構な時間のドライブもあっという間だった。夕暮れに差し掛かったころ観光地的な雰囲気のアグラとはまた違う猥雑なジャイプールの街に到着した。

 実は車中、ジャイプールは占いが盛んな街という話をシンさんに聞き、今からでも占い師の予約が取れるという話だったので、もとより占いが興味がある自分としては是非ということでお願いすることにした。
車は街中に入りとてもきれいなホテルのロビーに到着。ここが今夜の宿かと思ったが、占いをロビーのラウンジでするだけで泊まる宿は別だというぬか喜び。

 しばしソファーで待つと割と普通の格好の占い師がやってきて、生年月日と手相を見せて鑑定が始まった。
結果として、仕事はしばらくは順調、恋愛については2015年の春ごろにいい相手が出てくるらしい、健康については目と胃が悪くなる傾向があり、怒りをためやすい性格だという。ラッキーストーンはエメラルドでゴールドとエメラルドを身に着けることで健康面などのネガティブ要素を補うことができるらしい。一年以上たった今どうなっているかというと、仕事と恋愛については「うーん・・・なんともいえん」という感じ。健康面については目が悪くなるというのも胃が強いというわけでもないから当たっているといえば当たっている。怒りをためやすいという性格は、個人的には今まであまり怒らない性格と思っていたが、年々気が短くなっている気もしなくもないし、親などを見ていると温厚な家系とは言えないのでそう言われてみるとという感じでもあった。結果としては当たるも八卦当たらぬも八卦というところだろうか。通訳のシンさんを通じて、占いの根拠を根掘り葉掘り聞いてみたがいろいろな理論の組み合わせで一口には説明できないとかわされてしまった。

 占いが終わり正規の宿泊先へ着くと、昔っぽい格好をしたベルマンが立っているホテルで、占いしてもらったホテルよりはクオリティは下がったがまずまずのホテル。この地域は治安が悪いので出歩かないでほしいとシンさんから忠告を受けたのちにその日は彼とも解散。ホテルで安定のカレー定食を食べたが味もまずまず。部屋に戻り早めの休息となったが、ホテル内で学生のダンスパーティーが開かれていて全く防音対策もないためうるさいことが半端ないことには閉口させられた。

 翌朝。朝食をすませるとシンさんがロビーで待っていた。今日はジャイプールのマハラジャの別荘のアンベール城と、市内の今も存在するジャイプールのマハラジャの宮殿をめぐり、その他所々お土産屋に強制連行というのが大まかなプラン。アンベール城では象に乗り、宮殿では優雅な気持ちで展示品を鑑賞。宮殿近くの天文台で当時の科学力に驚嘆し、風の宮殿の裏からジャイプールの街並みを見回した。途中で気が付いた。ジャイプールという街に入って以降、完全に自分の行動はマハラジャ(街の王様)であるということに。宮殿を出てからは、織物工場と宝石店を見学した。昨日の占い店でエメラルドを身に着けるといいと言われていたのは完全なる伏線で、シンさんもグルになってエメラルドを執拗に進めてくる。もう完全に自分はマハラジャだったので、普段なら絶対買わないであろうエメラルドのペンダントを結局購入!霊感商法もなんのその。なぜなら俺はマハラジャだから幸運の為なら金銭を惜しまない。しかし妥協がでてしまい、チェーンはケチってシルバーを購入すると、後でシンさんから占いではゴールドがいいと言ってたけどシルバー買ったんですねと指摘され、こいつ・・・とは思ったが、マハラジャに恥をかかせるな!とは流石にメンターには言えない。

 マハラジャは止まらない。一日のプログラムが早めに終わり、連日の酷暑と過剰に効きすぎの冷房のせいで少し風邪気味になっていた。シンさんがアーユルヴェーダというインドではとてもメジャーな民間療法を進めた来たので是非にということでお店へ行く。いわゆるオイルマッサージで体質にあった薬草を混ぜた暖かい油で体をマッサージしていく。寒気がしていた身体がポカポカあったまる。俺はマハラジャだから健康の為なら金銭は惜しまない。

 ホテルへ早めに戻り夕食。給紙をしているボーイとやり取りしていると日本の客が多いから日本語を教えてほしいと頼まれた。気前よく応じて、次の日の朝、よく使う日本語をメモに書いて渡すと大喜び。ちなみにこのボーイに夕食の際少し多めにチップを渡すとボーイはテンションが劇上がりしていたが、次の日この客はチップを多く渡すぞという噂がボーイ内に広がり、何人かのボーイが自分を取り囲みあれやこれやとサービスを買ってきたのがもの凄くわかりやすい人たちだと思った。インドに来てからというものチップの文化に徐々に慣れ始めている。気分的にあげる方が卑しいなというのもなくはないが、お互いに気持ちよくサービスを成立させる事や、ホテルや乗り物に乗る時などのセキュリティという部分では、「惜しまない」というのはある意味合理的という風にも考えられるようになった。

 狂気の沙汰とも言えるマハラジャ道中を終え、旅は終盤。デリーに戻り旅の締めくくりとなる。

メンター(インド旅行記13)

 タージマハルを見終えて、近郊にある赤茶色い煉瓦でできたアグラ城に向かう。城内でもシンさんは黙々としょうもない被写体=自分を撮り続けた。その次のアグラとジャイプールの間にあるファテブール・シクリという荒野にそびえる遺跡でも、シンさんは撮り続け、几帳面に建物の歴史を説明してくれた。実は何度も言うように写真を撮られるのが基本的に好きではない。そういう好きではないことに向き合って甘んじて写真を撮ってもらい続けることで、何か新しい発見でもできるかと思ったが、そんなことはなく正直ストレスに感じるようにもなってきた。
 
 ファテーブ・シクリへは、駐車場からシャトルバスが出ていてそれに乗って往復するのだが、行きも帰りも若い物売りの勢いが半端なく、建物以上にインパクトを感じた。バスに手をねじ込み、乗客に合わせて言語、英語、スペイン語、日本語など大声を張り上げブレスレットを売ろうとして、バスが動き出しても決して諦めようとしない。結局何も買わなかったが、そのタフさ、しぶとさ、スピリッツには感銘すら覚えた。

 アグラ観光も終わり、後はジャイプールへの移動のみ。ツアーの車には、ドライバーとシンさんと自分の3人。同じツアー客がいないというのも味気ないような気もするが、ある意味贅沢なドライブである。この車中でこのインドの旅で一番思い出深い出来事があった。

 先ほどのファテーブ・シクリでの物売りのエネルギー、それだけではない、この旅で出会ったインド人たちのしつこいまでのたくましさが頭を離れない。自分が仕事で目にしている主に日本の困窮した人たちの中には、ここまでエネルギーのある人はほぼ無く、むしろ心を病んでいる人が多い。同じ貧しい人でもこのエネルギーの差はどこからきているのか疑問になり、シンさんに満を持してではないが聞いてみた。

「インドには精神病の人はいますか?」

唐突ではあったがシンさんは答えてくれた。

「デリーなどで忙しく働く人たちの中にはそういった人たちが出てきているようだが、基本的にインドでは精神病の人はいません。」

衝撃の回答!シンさんは続けた。

「日本人を見ていると不思議に思うことがある。日本人は一生懸命働き裕福となったが、機械のように生活しているようだ。そして、精神病の関連でいうと日本には、宗教がない。宗教がないということは感謝の気持ちがないということだ。感謝の気持ちがないから心を病む。」

何気ない質問から頭をハンマーで殴られたような回答が繰り出される。シンさんは止まらない!

「心を病まない方法。それは瞑想することだ。別に宗教にとらわれなくてもいいから、朝起きたら感謝の気持ちを持って瞑想をすると心を病むことはない」

スピリチュアルすぎる!シンさんは感謝の意味について、助手席から後部座席へ身を乗り出し挿話を語り始めた。

 昔、王様と大臣がいました。王様は大臣をとても信頼していました。大臣は常々王様に「起きることは全てあなたにとっていいことだ」と話していました。
 ある日王様が狩りへ出掛けた時、けがをしてしまいました。あの大臣の言葉に腹が立ち,「起きることは全ていいこと」だとお前は話したが、全然そんなことはないじゃないかと、大臣を処罰し、幽閉してしまいました。
 その後、王様は近隣の部族と戦争を行いました。その際に、敵の部族に捕まってしまいました。部族は神への生贄に王様を捧げようとしましたが、王様がかつて狩りで負った傷を見つけて、傷のある者は生贄にできないというしきたりから、王様は解放されました。
 国へ戻った王様は、大臣を釈放し詫びました。
「あなたの言ったことは間違いではなかった。狩りでの傷のおかげで私は助かった。しかし私のせいであなたを幽閉してしまった。どうか許してほしい。」
大臣は答えました。
「いえ王様。私は王様に感謝しなければなりません。もし、幽閉して頂かなければ、私も王様とともに戦地へ赴き部族に捕まっていたでしょう。そして、傷を持たない私は生贄になっていたことでしょう。起きることすべては王様にとっても私にとってもいいことだったのです。」

シンさんは締めにかかった。

「いい言葉を教えましょう。”Whatever happens,happens for the best.”(何が起きても、起きたことが最善だ)」 

いい話すぎ、いい言葉すぎ、そしてシンさんかっこよすぎである。

インドに来ると人生観が変わるとは言い古された言葉だ。インドを訪れてもう一年も経つが、実際は人生観どころか相変わらず変わらない自分にやきもきし、悔しい思いをすることも多い。ただ、インドに行く前と後で少し変わったことがあるとすれば。シンさんの言葉にある通り、何が起きても、起きたことが最善だという鷹揚なメンタリティが多少身につき、前よりは自分や周りに対してまあいいかという感覚を持てるようになった気はする。それが、偉大な修行者の教えによるものでもなんでもなく、一介の寡黙なツアーガイドの言葉によるものだというのが旅の奇跡というか、まさしく起きたことが最善だったと思わざるを得ない。

この後もインドで見つけた「メンター」シンさんのありがたい話はジャイプールに至るまで尽きることなく続いた。

タージ・マハル(インド旅行記12)

 ターバンに髭というイメージ通りのインド的なガイドさんの名前はスクジード・シンさんといい、以後シンさんと呼ぶこととなった。シンという名前はシーク教徒の代表的なものらしい。徹底した不殺傷、平等主義を貫くシーク教徒は、動物を生涯口にすることなく、髪や髭も切らない。毎朝長く長く伸びた髪を丸めターバンに納めて例のスタイルが出来上がる。アグラに着いたのは夜遅くで、市内のバーのようなレストランに入り一緒にご飯を食べたが、シンさんは寡黙にベジタリアン使用のカレーをつまんでいた。本当に寡黙で不気味さすら漂う。ホテルに着き、例のごとくボーイに部屋に案内されると、ボーイが腕に彫られた自慢のタトゥーを見せてくれた。漢字で「麻美太」と彫られており、自分の日本人のガールフレンドの名を彫ったらしいが、そんな名前の日本人女性がいるのかとクエスチョンマークとおかしみがこみ上げた。

 朝起きて朝食を食べ準備を済ませると、シンさんとドライバーが迎えに来てくれた。この日はアグラ観光後にジャイプールに向かう。今日の目玉は何と言っても世界遺産タージマハルだが、ここへ向かう前にもはや定番の強制的にお土産屋連行となった。インドの伝統衣装が売られていて、これを着てタージマハルへ行けという話らしい。テーマパークでよくある形から入ってテンションを上げていくやつかと斜に構えたが、結局伝統衣装の上下を購入。バラナシに引き続き金銭感覚はもはや崩壊している。でも実際テンションが上がって、素材もとても涼しいのですっかり気に入ってしまった。天気は素晴らしく快晴で朝から暑さがはんぱない。毎日が夏休み。

 胡散臭いインドスタイルでタージマハルに向かう。茶色い門をくぐると巨大で壮大で美しい、テレビや写真で何度も見た白亜の建造物が雲ひとつない真っ青な空のキャンパスにくっきりと輝いていた。素晴らしいという他にない造形に息をのまれる。シンさんがぼそぼそと建物の成り立ちを話しながら記念写真を促していく。写真を撮られるのが正直好きではなく、自分で色々撮りたいのにという複雑な感情を持ちながら色々なポーズを求められ微妙な表情の日本人とワールドクラスの建造物の記念写真が撮られていく。撮られていくことで自分の中で何かが変わるかもしれないと思ったが、結果的にはそれほど変わらずやっぱり写真を撮られるのが嫌だというのは旅を終えても変わらなかった。それでも、被写体をさせられ続けて、最終的には下の一枚が自分としてはギリで気に入った一枚となった。ヤケクソ感と高揚感のハイブリッド。

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 自分のどうでもいい被写体話に矮小化しそうになってしまった。話を戻すとインドでは良くも悪くも何だか凄くて変なものも沢山見たが、ことタージ・マハルに関しては、その美しさ、スケール感、「ある意味」とか、「逆に」とか、「俺的には」とか、ねじれた見方が一切入り込む余地もなく誰に対しても一度見るべき!とお勧めしたい建造物だ。
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