前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

疑心の一服(インド旅行記2)

2014年9月18日未明

 空港で旅行会社のインド人係員の車に乗り、夜のデリー市内を走る。見るもの全てが新しい、はずだがもはや現地時間でも真夜中の時間帯で闇は深くそのような感慨も沸かない。ただただどこに連れられて行くのだろうという不安しかない。込み入った団地のような場所で車が停まると、外には目を光らせた野良犬。インドでは狂犬病にも気をつけないといけないと事前情報で知っていたので尚更ビビる。集合住宅の2階へ登り、ブザーを押すと、小太りのインド人女性が玄関から顔を出す。ここが今夜の宿、ホームステイ。ついて早々ホームステイとかよくよく考えるとハードル高いなとこのプランを選んだ事に少し後悔する。ここで空港まで迎えに来てくれた係員の人とは解散で、翌日の夕方、バラナシに向かう夜行電車に乗る為又迎えに来るとの事だった。

 リビングのソファに座るよう促され、見ず知らずのインド人女性も座ると沈黙の時間が流れる。気まずくなり女性に事前に準備しておいた日本のお菓子ハッピーターンと柿の種を渡すと微笑しながら合掌される。その後女性はキッチンから黄色い飲み物を持ってきた。飲めという事らしい。味はCCレモンのような感じで、女性はニヤニヤしながら飲み干す様子を見つめている。今思えばどうかしていたが、シチュエーションが怪しすぎてこの時毒を盛られたと半分くらい真面目に思っていた。その後も静かな時間は続いた後、寝たいと切り出すと、彼女は日本語が話せないので英語でトイレやシャワーの使い方の説明を受け寝室へと通される。明日何時に起きるか問われたので8時位と適当に答えると「そんなに早いの!?」みたいなリアクションだったので少し遅らせ9時位と慌てて答えた。日本語に直すとこれで済むが、この間英語による意思の疎通に困難を極めたのは言うまでもなく、発語の度に?につぐ?のナイーブな日本人に対する蔑みの目がチクチクと突き刺さる。

 寝室に通されると、部屋はコンクリートが日中の厳しい暑さを十分に吸いこみかまどのようだった。シャワーを借りた後床に就く。エアコンと南国仕様の天井吊りの扇風機を全開にすると、かまど内の熱気は多少収まったが騒音が半端ない上に、風量の調節も上手く行かず体感が気持ち悪い。ベッドに横たわり耳栓を持ってこなかった事を激しく後悔しつつ、不快な風を浴びながらそろそろさっきの毒がまわってきた頃かとかもはやこれまでかとか考えていると頭がグルグルしてきた。ブログなので大げさに脚色していると思われるかもしれないがこの時の精神状態を表現するとやはりこうならざるを得ない。初めてのインド、見ず知らずの民家に連れてこられ謎の飲み物を飲まされ、寝室はかまど。おかしくなる条件は十分整っている。結局長旅による疲労があったにも関わらず、ほぼ一晩頭がグルグルしたまま深い眠りにつく事はできずに朝を迎えた。どうやら毒は盛られていなかったようで無事に夜明けを迎える事ができ、少しほっとした。

すでにインドは始まっていた(インド旅行記1)

2014年9月17日

 インドに向け出発。夕方の成田発デリー行の飛行機に乗る為、10時頃自宅を出て父に新潟駅まで送ってもらう。旅に出る前、カバンをどうしようか考えた結果スーツケースではなく大きいリュックを購入し今回はツアーであるにも関わらず、形だけバックパッカーというダサさ抜群のスタイルで新潟駅に降り立つ。今回のツアーの行程は成田→デリー(ホームステイ先で1泊)→独りで夜行列車に乗ってバラナシへ(ホテルで2泊)→独りで汽車に乗りアグラへ、到着後ツアーガイドと合流(ホテルで一泊)→旅行会社の車でジャイプールへ(ホテルで2泊)→デリーへ(ホームステイ先で再び1泊)→帰国というちょっと特殊なスケジュールで、人任せにできない状況が大分組込まれており、日程を考えるだけで緊張が漲る。未知の国でいきなりホームステイなんて大丈夫?電車乗れるの?とかやってみなければ解決しようのない自問が頭をよぎり続ける。

 そんな感じで悶々としながら新幹線に乗りこんでも一向に発車しない。東京駅で原因不明の発煙が発生し、原因究明のため出発が遅れるというアナウンスが入りいつになっても新幹線は動かない。こんなことってあるか!?電車の遅れに焦り苛立ったが同時に直感した。ここは日本であるにも関わらず、家を出た瞬間から既にインドは始まっているのだと。そしてその直感はほぼほぼ当たり、過去にない悪戦苦闘の旅は予想外に早く幕を開けた。

 2時間遅れでやっとこさ東京駅に到着し、乗るはずだった成田エクスプレスの乗車券を変更してもらい、待ち時間に大急ぎで駅近くの書店へ向かった。前々から買おうと思ってた『現実脱出論、坂口恭平著』を旅先に持っていきたかった。内容はこの時読んでいないから分からないとしても書名が自分の心境とリンクしているような気がした。固定化された現実から「脱出」し物理的に距離を置く事で、現実を違う角度から見る事、自分の置かれた現実と全く異なる現実に遭遇する事に期待していた。大げさだが茶化す事無く割と真剣に。

 空港に到着後はスムーズに手続きが進み、今はこんなものもあるのかと御茶漬け屋で腹ごしらえし、飛行機に乗り込み、大きなトラブルもなくデリーのインディラ・ガンジー国際空港に到着した。この後の最初の難関はデリーの空港に着いた後に現地の送迎係員と無事に落ち合う事ができるかだったが難なく自分のネームプレートを持ったゴリゴリのインド人係員を見つけてホームステイ先へ向かう自動車に乗り込んだ。当初の予想通りこのツアーの参加者は犀の角のように自分ただ独りだけだった。なんだか風が生温い。
 

犀の角のようにただ独り歩め

 地球の歩き方〜インド〜の一番最初のページに書いてあるブッダの言葉の一節だ。わかったようなわからないような喩えだがエッジがなぜだか効いている。これは、自分が今度行く事になるインドの印象に近い。身近に「インド」は沢山ある。カレーを始めとした食材やインドを源流とする宗教、文化も中々にこの日本にも溶け込んでおり、他の国に比べてイメージしやすい反面、得体のしれない所も多い。そこに何故だか憧れる。

 地元の新潟に帰りもうすぐ5年になる。成り行きに任せる部分もありつつ何とかやってきたが、そんな中でもぶれずに一つの目標として人知れずずっと持っていた事の一つが「インドへ行く」だった。他の事には余り執着できないが、この点だけは執着した。今思えばインドへ行くなんて気持ち一つだったのかもしれないし旅慣れた人にとってはどうという事でもないのかもしれないが、それでも自分の環境や、タイミングや経験などの兼ね合いで結局5年もかかった。去年スペインに行った事、社会福祉士の資格を取れた事により多少今後の仕事の目処がつきそうになった事による自信からか飛躍的にインドへの障壁は低くなり、思っていたよりもすんなりと事は運び、契約の関係上仕事を強制的に一ヶ月休まなければならないこの9月中に行ける事となった。

 本来であればカッコつけて航空機のチケットだけ手配して、出たとこ勝負のバックパッカーできればいいのだが、そこまでやるには力量と時間に制約がある為、添乗員なしのツアーに申し込んだ。タイトルとは異なり知らない人と一緒になる可能性もあるがおそらく一人ツアーになりそうな気がしている。大体旅行の前はワクワクが強いが、今回はワクワクと同じくらい不安が大きい。インドの話題でよく聞くトイレは手で拭く問題、いい加減な人間ばかりじゃないのか問題、それに伴うトラブルの対処法、そして何よりも変な病気にならないかなど、考え出すと不安材料が多すぎる。頼れる人もおそらくいない。だから行き当たりばったりはさすがに今回はやめて、事前のリサーチや準備に相当時間を割いている。それでも準備からすでに旅は始まっている感じが楽しい。

 最近色々な事が固定化されてきているというか、よく言えば安定しているが、悪く言えば退屈な毎日が続いていた。年もそれなりに重なり、体力や気力の面でも限界が見えてきているようにも最近少し感じる。だからこそ今回の旅行では、言い古された感もあるが「自分探しの聖地」であるインドで、自分とは何か?とか自分を見つめ直すという意味での自分探しではなく、なし崩し的に何物でもない状態となっている現状の中から飛び出して、自分の新しい引き出しであるとか発見ができて、今後の生活の新たな指針ができればいいなという過大な期待を持っている。そして、需要もユーモアのかけらもなく、又グダグダと旅の顛末をこのブログに記したい。

それから

 結局10日にも満たないスペイン旅行をダラダラと記録するのに1年もかかってしまった。それだけ1年におけるあの数日間は自分にとって密度の濃いものだったと言える。

 それからの1年、ごくごく薄味に毎日は過ぎた。今まで通りの宮仕えと、目標だった社会福祉士の気持ちばかりの試験勉強で粛々と時は流れた。浮いた話もなく、無関心、無感動の心地蔵に拍車はかかった。それでも何とか社会福祉士の試験には合格し、久しぶりの「勝利」に多少浮かれた。知識や人間性は変わらないのに資格一つで他人から持ち上げられるのには不思議な気持ちがした。

 今年の3月。取得した資格を生かして次の仕事場を探して就職活動もしたが敢え無く玉砕した。今までより大分給料もよく、今までやってきた仕事ともリンクする所だったので是非採用されたかったのでが、自分の弱さが面接に出てしまいものの見事にしくじってしまった。落ちた事そのものより、またやってしまったというのが本当に悔しい。日々の積み重ねで知らぬ間にできた悪い部分が表面化したように思えた。

 そんな感じでいい事も悪い事もあった紆余曲折の末、4月からは結局今までの職場で契約更新となった。就業時間と給料が資格のおかげで少し上がり、多少業務量は増えたが大きな役割の変化は無く淡々と毎日をまた過ごしている。3月の失敗を乗り越える、地蔵から解放される、新たな目標ややりたい事が見つかる、ここら辺が当面の関心事と言えるが、焦らず毎日を丁寧にしていければ少しでもましな方向に行けると決め込んでやっている。

!Hasta la vista!(スペイン旅行記最終回)

 一日バルセロナを歩き回りぐったりして部屋にいた所、ハモンさん(同じツアーの参加者の人。生ハム=ハモン好きであることから勝手に命名)からホテルの部屋に内線電話が。それぞれの一日の観光話をそこそこに次の日の昼までのホテル出発までの時間を一緒に観光する約束をした。

 最終日。まず、前の日に回れなかったガウディの有名な建築物の一つであるカサ・パトリョに行ったのだがまだ開館しておらず入り口で断念。ハモンさんが行きたいとのことでランブラス通りにあるボケリア市場と、市内随一のデパート、エルコルテイングレスがカサパトリョの割合近くにあるのでそこで日本へのお土産をそれぞれに調達した。観光者向け以外の商品が充実しているので、市販の調味料や、猫の餌など面白いお土産を買う事ができた気がする。

 そして観光の締めに、前の日行けなったモンデュイックの丘に行きバルセロナ市内を一望。丘の上に発着場があるロープウェイに乗ってホテルに近い港までを空中散歩した。時間に限りがあり、まだ行きたい所や食べたいものもあったが、2日間で最低限見るべき程のものは見れたような気がした。何とか時間とお金を作ってまた来たいと思った。

 ホテルから空港、そして往路と同じくドーハ経由で成田へ。時間はほぼ変わらないが、行きとは違い楽な服装で乗り込む事ができた事や、ハモンさんを始めこの旅でそれなりにツアー参加者の人とも仲良くなり、周りにも気を遣いすぎる事無く過ごせたので、ストレスは随分と軽減された。添乗員さんの配慮で窓側に座ることもでき、往路では堪能できなかった空の旅も味わえた。

 長いフライトの後成田へ着くと驚くほどあっさりと同じツアーの参加者の人たちはそれぞれの荷物を受け取るとそれぞれに帰って行った。おそらくこの数日行動を共にしたこの人たちとも一生会う事は無いだろうなと思うと感傷的な気分になる。同じ場所には行く事はできても、同じ時、同じ人とは二度とは旅はできない。とはいえ、この旅で一番仲良くなったハモンさんとは連絡先を交換し、成田空港で記念に一緒に写真を撮った。勝手にネット上でハモンさん呼ばわりしているのは申し訳ないと思いながらも、色々な事を教えてくれたいい先生であり、旅という共通の趣味で話のあういい仲間になれたと勝手に思っていて本当に感謝しているし、ハモンさんのおかげでいい旅になった。お互いのこれからの幸運を願いながら、次の旅路へ別れた。又会おう!(了)

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遠き異国の夕暮れに我が祖国を思う(スペイン旅行記15)

 バルセロナの自由行動日。紆余曲折はあったがほぼ目的地には辿りつくことはでき、時間はもう夕方6時位となっていた。もう少し時間があれば港とモンジュイックの丘をつなぐロープウェイに乗りたかったが最終便には間に合いそうもなかったので、一度ホテルに戻って少し休憩した後、夕食を食べにもう一度外に出る事にした。特にあてもなかったが、歴史あるバルセロナの街並みの中では毛色が変わって近代的な建物が並ぶ港の方に出る事にした。港には大きな複合商業施設があり、その中に水族館があったので入ってみる事にした。外国の水族館がどんな感じか興味があったのだが、入ってみると至って地味な中堅クラスの水族館で、規模でいえば地元のマリンピア日本海@新潟くらいで、イルカショーとかがない分だけ@新潟のが勝っているような気もする。規模、エンターテイメント性でいえば水族館のクオリティは明らかに日本に軍配が上がった。

 そろそろ本格的に腹も空き、もはや動き回るのも面倒くさかったので水族館のエリアのショッピングモールに入って食べれそうな所を探したが、そこに一軒の「UDON」なる看板の店を発見。折角遠くに来たのだからその土地のもの食べればいいものの完全に魔がさしてこの店に入ってしまった。雰囲気は日本におけるうどんの大衆的なイメージとは異なり随分とスタイリッシュ。ローマ字で書かれたなじみある品々の中から「UDON」と「NORIMAKI」をチョイスした。久しぶりの箸で「UDON」をすすると思ったよりも「うどん」で少し驚いた。しかしもっと驚いたのは「NORIMAKI」で、コメの代わりに茹でたそうめんでサーモンを包んだのり巻きが登場。無意識的にコメを求めてこの店に入ったのにこの顛末。食の選択についていえばこの旅は反省すべき点が多すぎる。

 珍妙な日本の味に冴えない舌鼓を打ちながら思った。今回の旅で日本には無い有形無形のものを沢山観る事ができたが、一方で日本の方が優れているものも沢山ある事に気付いた。水族館も然りだが、このショッピングモールも市街中心地にあったバルセロナ一のデパートも、スケールでいうと日本の片田舎の新潟のイオンの方が大きい。食べ物も国籍を問わず安くてもおいしい店が日本には山ほどある。娯楽もバラエティに富んでいて、歴史や自然景観もそれなりで治安もまずまず。GDPは中国に抜かれたとはいえ、世界に冠たる経済国家日本の物量、サービスのボリュームは他国(スペインしか比較対象がないが)を圧倒している。もし、自分が日本人ではないとしても、今の時代一番行きたい国の一つとして日本と挙げたい位の観光資源を実は持っているのではないかと思った。しかし、当の日本人の多くはその事に気づいておらず、実り少ないドメスティックな町おこしを延々と続けている。それはそれでクールジャパンとかいって見当違いの評価を得ることもあるかもしれないが、いずれにせよ今後益々外国人旅行者が増えた時、最低限、案内表示やサービスの多言語対応くらいはもう少し力を入れた方が身のためなのではないかと遠い異国で大した脈絡もなくふと考えた。いよいよ明日はスペインを発つ。

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木鷄(スペイン旅行記14)

 グエル公園に辿りつくのに予想以上に難航し、体力と時間を大きくロスしてしまった。とはいえ最低限度見て回りたい場所はクリアしたので、市街の中心部であるカタルーニャ広場へ出て、周辺のデパート、公設市場などをあてどもなく、ブラブラと見て回り、次の目的地を歩いて行ける距離にあるピカソ美術館に定めた。この美術館は市内ゴシック地区の古く趣のある石造りの町並みの中にあり、思ったよりもひっそりとしているが、観光客はさすがに多かった。例によって絵の知識などは無く、ぼんやりと眺めて回ったがほぼこの美術館のコレクションで記憶にあるものがない。プラド美術館同様疲労のピーク時に絵など見るものではない。とにかく椅子に座りたくて、絵をじっくり見るふりをしながら疲労の回復にただただ努めるだけの場所になってしまった気がする。

 美術館を出ても疲労が回復しない。もう気づけば夕方近い時間。朝マクドナルドでハンバーガーを食べて以降時間を惜しんで何も食べておらず空腹でもあったので、アイス屋さんでアイスを買った。街角のベンチで一心不乱にアイスを貪り喰っているときにこの旅最大の事件?は起きた。

 地元の大学生くらいの男女グループが通りがかり、その中の男一人がこちらへ近づいてきて「YAHHH!」と空手のファイティングポーズを取った。味方が大勢いるから調子に乗ってみすぼらしくアイスを食っている日本人をからかおうとしたのだろう。しかし、疲労で頭が働いていない為、びっくりする事もできず、かといって無視する事もなく、挑発に怒りもせずただただその男をぼおっと見る事しかできなかった。すると予想外のリアクションに相手が勝手にびびってしまったのか「SORRY!SORRY」と慌てて謝って去って行った。ほぼ数秒の出来事。このような事態に全く動揺する事は無かった。実態はただ疲れていただけだったのだが。後になって振り返ると、かわいそうになって謝ってきたのかもしれないが、見ようによっては外国人相手の挑発に全く動じず謝らさせた事が、戦わずして勝利したような感じで何だか嬉しかった。

 中国の故事で木鷄という話がある。平たく言えば最強の鶏は、闘う相手に対してまるで木彫りの鶏のように動じないという話だ。あろうことか、海外旅行先でヘトヘトになっている状況の中、偶発的ではあるがこの「木鷄」の境地を垣間見ることができた事が何とも不思議で強く印象に残っている。しかし、この状況に達する事ができたのはこの一回きり。我未だ木鷄たりえずという事だ。些細な事で動揺ばかりしている。

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迷宮攻略(スペイン旅行記13)

 早くこの旅行記も完結させてしまいたいが、あと少し。

 カンプノウを出て、次に定めた目的地はグエル公園。サグラダファミリアと並ぶガウディデザインの代表的な観光地。しかし、そこに至る道のりには予想外の困難が待ち受けていた。まずカンプノウから最寄りの駅へ戻る道のりで元来た道を戻ればいいものの、調子こいてあてにならない勘に頼って別の道を通ったら、一向に駅が見つからず大きな時間のロスとなった。これが第一のミス。やっと駅に戻り、グエル公園最寄りの駅へ向かったのだが、ガイドブックに書いてある一般的な最寄り駅ではなく、観光地仕様ではない別の駅に降りてしまった事でまるでランドマークがない。手持ちの地図と方角を頼りに進んでみたがそれらしき目印は一向に見つからない。

 仕方がないのでバス停で待つ現地の人に拙い英語でグエル公園の場所を聞くとどうやら丘の上らしく、訪ねた場所からは結構入り組んだ行程になる様子だった。それでもまた、得た情報を基に進むも、住宅街の真っただ中で全然観光地の匂いが感じられない。その住宅街で歩いていた別の人にもう一度公園の場所をうざく尋ねると、親切にも一緒に公園の入り口まで案内してくれた。外国人とコミュニケーションが取れたのが嬉しくテンションが上がってしまい、「I’m from Japan.I live in near Tokyo.」と中学校レベルで、300km以上も離れたnear Tokyoという大分話を盛った自己アピールをしてしまったが、道案内させられている上に聞きたくもない日本人のどうでもいい情報を聞かされてさぞ迷惑なことだっただろう。案内してくれた道の入り口には確かにグエル公園内の地図があったが、どうも自分が思っていた感じとも違うし全く人気がない。

 それでもその入り口から公園内に入ると随分とツイ坂道が続く。朝から休みなく歩き回っていた為、そろそろ足も痛くなっていた。坂を登っても一向に人気がなかったが。坂もやっと終わり踊り場のような地形の所に噴水場を発見した。そこにはガタイのいい、おそらくアラブ系のいかにも悪そうなゴロツキ系の男が2、3人位でヒップホップを聞きながら寝そべっている。助けを呼ぶには余りにもひっそりとしており、さすがにこれは完璧にやばい、追剥ぎにあってしまう直感したので気づかれる前にダッシュでその場を立ち去り事なきを得た。考えすぎだったかもしれないが用心に越したことは無い。まさか世界的観光地でこんな思いをするとは。

 それでも、目の前の道を黙々と進むと、ようやく沢山の観光客が見られるようになったが、自分の進んでいる方向とは逆にみんな歩いていく。薄々感じてはいたがどうやら自分はグエル公園の裏口から進入してきたらしい。テレビや本で見るTHE グエル公園のエリアにやっと到着したが、その造形美に対する感慨よりも、やっとたどり着いてやったという達成感の方がむしろ強い。なんだったんだ一体と充実と自分に対する呆れた感じがあいまった感情に胸を満たしながら、小高い丘の上に立つグエル公園から、バルセロナの街を改めて見晴らした。おもちゃのような建築でも、トカゲの像でもなくヘトヘトで歩き回った公園周りの住宅街が一番心に残っているというのが、目的に一直線に進めない紆余曲折の自分の人生となぜか重なって思える。

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MES QUE UN CLUB(スペイン旅行記12)

 サグラダファミリア近くのマクドナルドで遅い朝食を取り、地下鉄でカンプノウ最寄りのコイブラン駅へ向かった。駅から地上に上がると、大都市のやや都心から離れた静かすぎず、うるさすぎない日常感が漂いいい感じだ。こういうとこで生活してみたい。駅から10分くらい歩くと次のカンプノウに到着。試合日ではないが、スタジアム内、ミュージアムの見学に訪れる観光客で賑わいを見せていた。

 入場チケットを買いスタジアムへ。ピッチに続く順路がミュージアムとなっており、バルサの歴史や、トロフィーなどの記念品、レジェンドプレイヤーの写真などが飾られていた。イヤホンで聴けるバルサの歌みたいなやつは阪神タイガースの六甲おろしを連想させる。字が読めないので展示物をさらっと眺めて、肝心のピッチサイドへ。選手が使う半地下の通路からピッチに繋がる階段を昇るとよく手入れされたピッチが眼前に広がる。この階段を昇って、満員の観客に囲まれたフィールドに飛び出すときの高揚感は想像するに余りある。

 観客席を見上げると「MES QUE UN CLUB」の文字が。どういう意味なんだろうと帰国後調べると、「クラブ以上の(存在)」という意味らしい。うろ覚えだが独裁政権時、カタルーニャ地方は地元の言語を話す事が禁じられるなど多くの政治的制限を受けてきたらしいが、このスタジアム内ではその制限が緩かったらしく、まさに地方のアイデンティティを名実ともに支える施設であるこのスタジアム、そしてホームチームであるFCバルセロナは文字通りクラブ以上の存在なのだろう。ピッチ内には入れないが、選手が座るベンチも間近に見る事ができ、順路は上階の観客席へと続くが、意外とスタジアムが古く、観客用のベンチも結構傷んでいる。それでも、世界最高峰のチームのスタジアムの雰囲気を感じる事が出来た。惜しむらくはこのスタジアムでの観戦が叶わなかったことだ。ちなみにスタジアムを訪れた次の日は試合日でバルセロナ×マラガの一戦が予定されており、中々の好カードだった事が益々惜しまれる。

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石の樹(スペイン旅行記11)

 バルセロナ一日自由行動の日。早めに起きて準備をして、朝食も食べずにホテルを出発した。目指すはバルセロナのシンボルとも言えるサグラダ・ファミリア。ツアーの同行者の方の情報によればチケットを購入し入場するまでに運が悪いと大分行列ができて時間がかかるらしいので、開門時間前までに素早くチケット売り場に並ぶプランを立てた。善は急げと朝食も取らず、この旅で大分世話になっているハモンさんには声もかけずに単独行動を取ることにした。旅は道づれと言うかもしれないが、やはり今回の目玉ともいえるバルセロナ観光は自分が100%納得できる行動が取りたかったし、たかだか一日だが自分ひとりで海外の地でどれだけやれるかを試してみたかった。

 地下鉄を乗り継ぎ、分かりやすくサグラダファミリア駅から地上に上がるとほんの目の前にサグラダファミリア教会は聳えていた。ついにここまで来たという感慨もそこそこにチケット売り場に並ぶ。割合早めに着いたはずだったが、すでに世界中の観光客によってインターナショナルな感じで行列は出来上がっていた。こういう所が自分の悪い所だが、実際に「あの」サグラダファミリアを目の前にしてもいまいち感慨が沸かない。テレビで何回も見てるし。みたいな感じで意外性に欠けるというような自分の乾いた感性が恨めしい。建物の一部をなす彫刻も本当に沢山あるが、一つ一つの意味も調べず、調べていった所で何かが変わったかというとそうでもないように思える。それでも他の人の例に倣ってまじまじと見てみると、建築年代が古いと思われる彫刻や建築部位の方が素材も上等でクオリティも高いような気がした。

 教会の中に入る。割と最近内部が完成したようで非常に新しい。大きな何本もの柱を見上げると、樹の枝のように天井近くで柱が枝分かれし、建築を支えている。ぱっと見ややグロテスクなこの柱を見上げつつ、ピンと来たが、要するにサグラダファミリアの最大の魅力は一つの建築を何代もの造り手が造り続けて、成長を続けている、生命体のような建築物というコンセプトにあるのだなと思った。それはおそらく設計者のガウディのアイデアで、曲線的なデザインや、先に触れた樹のような柱や生き物をモチーフにした彫刻、それらを「造り続ける」ことで、土と石で形成される建築物に生命を与えている。個々の建築部位のクオリティでは他に劣るかもしれないが、コンセプトによって世界中の観光客を引きこんでいるのだなと、まるでガイドブックに腐るほど書いてあるような事をさも大発見のような体で感慨にふけった。サグラダファミリアに限らず、バルセロナにおける「コンセプト」の在り方は、FCバルセロナのスタイルにも通づるものがある。攻撃、ポゼッションに徹底的にこだわるスペクタクルなサッカーは唯一無二で世界中のサッカーファンを魅了する。サッカーも建築もコンセプトの勝利である。という訳で、話は繋がりサグラダファミリアを離れた次なる目的地はFCバルセロナのホーム、カンプノウ。

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