前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

March 2005

STAYGOLD〜戦場に架ける橋

 アユタヤ観光を終えた我々一行は、昼食でビール片手に手長海老と中華料理を食べて第二の観光地カンチャナブリを目指す。ちなみに我々一行はその時の昼食までろくにコミュニケーションをとっていなかったのでギクシャクしながら若干の自己紹介。俺と86岡さん以外のメンバーは、大学の修士課程を終え、卒業旅行の佐々木さんと木下さん。理工系の賢そうなコンビ。そして、関東の大学の4回生小池さんと高安さんのコンビ。大学は違うのでどういうつながりかは良く分からないけど、仲が良い今時の大学生。毎食酒を飲む酒豪コンビ。

 昼食を終え、ワゴンに乗り3時間の車中。最初は一つの景色も見逃すまいと窓の外を見ていた。アユタヤ郊外からは、タイの延々と続く荒野が延々と続く。地平線が途切れることなく、タイの田舎らしく時折牛の群れ、高床式の住居の一階の風通りのいい柱にハンモックをかけて昼寝するおっさん。時間がゆっくりと流れる。スローな景色、変化する事の無い景色にも飽き、いつの間にか車中は運転手以外昼寝の時間。

 昼寝も終わり、日も暮れかけてきた時間に宿泊地に到着。そこで、我々はビビルことになる。なんとそこは・・・

地上の楽園でした。

 風通しの良いロビーで過剰なホスピタリティのスタッフがお出迎え。ロビーからはキレイなプールが見え、プールを中心にコテージ?のような部屋が円形に連なり、いかにも南方系の木々が程よく生い茂り楽園ムードを演出。プールサイドには外人が寝そべっていて絵になる。日本人が寝そべっていると何だか調子こいてるみたいで嫌らしいけど、外人は格好良いから悔しい。部屋もすごく広く、ベランダから見える景色は、ワニのいそうな河と、うっそうと茂る緑、鳥のさえずりが聴こえる。

 思いがけないホテルの素晴らしさに昼寝テンションもすっかり上がりきった勢いで、ホテルの敷地内を自転車を借りてチンチン走り回る。入っていいのかというとこまで走り回る。その後楽園の象徴プールへ直行!!旅の恥はかき捨てとばかりに棒切れのように惨めな裸体をさらけ出しクロールで泳ぎまくる。プールは思いのほか深く、水が気管に入って溺れそうになる。プールサイドで寝そべっていた禿げた外人のおっさんは苦々しそう。休憩してたら、おっさんはどうだとばかりにプールにドボン。優雅に泳ぎ回る。くそっ。格好いいぜ。おっさんは後から来た他の外国人と気さくにトークを交わしている。話しかけりゃ良かったと後悔。多分英語で馬鹿な日本人の悪口を言っていたのだろう。

 ひとしきり遊びまわって夕食を食べ、やあ幸せだったとばかりに8時には就寝。酒豪コンビは閉店までホテル内のバーで酒を飲んでたらしい。何でも信じられないくらい酒が安かったのだとか。朝起きて朝食を食べたらもう出発。短い滞在でもっと居たかったという思いがある。けど、十分に楽しめたし、豊かな気分を満喫できた。このような思いが出来たのには、おそらくホテルの従業員の人たちの心遣いや、日ごろの働きがあるからだろう。感謝。これからも良いホテルであり続けて欲しい。

 3日目。ホテルを出て今日はカンチャナブリの観光。カンチャナブリは、「戦場にかける橋」という映画の舞台になったところで、第2次大戦中、日本軍がビルマ攻略をもくろんでいた際に、補給のための鉄道建設を捕虜を用いて行っていた。一年余りかけて建設された橋が戦場にかける橋のモデルとなっている。その橋は結局破壊され、補給路を断たれた日本軍は戦況が傾く。現在橋は再建され、観光鉄道も走り、多くの観光客が訪れている。

 

カンチャナブリ4橋に向かう前にカンチャナブリの戦争博物館へ。そこには、捕虜の兵士の生活がリアルに描写された写真や捕虜が書いた絵など多くの資料が並んでいる。捕虜の悲惨な生活が目に浮かぶ。食事は一日に一回のおかゆで兵士はみなガリガリにやせており、不衛生な宿舎で、次々に捕虜は、病気にかかって死んでゆく。戦争の傷跡は世界各地に存在しているのだ。不幸にもなくなった捕虜たちの墓地を見学した後、いよいよ橋に向かう。そこから観光鉄道に乗ることになるが、列車が着くまでの間、橋のたもとでうろうろ。

カンチャナブリ3

橋も渡る事が出来、早速橋を渡る。橋は、隙間だらけで、ワニのいそうな河が良く見える。セーフティーネットなどはなく、今にも落ちそうな線路を歩いた。気分はスタンドバイミー。ただ橋を渡るだけなのに、それが一つの観光になるのが、海外の魅力といえるのだろうか。日本とは違い、タイは、観光は重要な産業であり、旅人を満足させる意識が本当に高いとつくづくおもう。

 

列車も到着し観光鉄道で河を渡り上流へ向かう。鉄道の一番の難所のトンネル付近に食堂があり列車を降りてそこで昼食。バイキングだったが、初めて食べたタイのカレーは結構旨かった。風光明媚なリバーサイドでお土産屋を冷やかして、カンチャナブリ観光は終了。迎えに来ていたワゴンで旅の終着点バンコクへの旅路に着く。

カンチャナブリなんて、タイに行くまで分からなかったけど、タイ旅行で一番印象に残っているのがここ。ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイドだが人生で初めてのリゾートは本当にいいところ。戦場にかける橋も色々な思いを味わいつつも、戦争の惨禍を乗り越えた記念碑として多くの観光客が訪れている。日本人も他より少なく、思いがけない名所だった。

おもしろき こともなき世を おもしろくできるのか?

タイ旅行記ばかり書いていたのでたまには、近況も書きます。
タイ旅行記は書くことが多すぎて手詰まりです。でも完結させます。
 
 最近は、卒業式が終わってからというもの、結構自由でした。
ただし、自由といっても今後の指針が明確でないままの自由は結構しんどいもので、朝まで、パソコンいじって、将来どうしようかをウダウダ検索しながら考えて、夜明けと共に寝て、いいとも始まるくらいに起きて、冬の輪舞見て、おもむろに三国志を始めて、気が付いたら夜、という日が三日くらい続きました。そうです。僕は明らかに数日間引きこもりでした。社会に出たい、あるいは出なければならないのに何か気が進まない、体が動かないという心理が良く分かりました。
 
 しかし、このままじゃいけないと思い、おもむろに要らなくなった本を整理し、古本屋に売却しに行くと、8000円くらいになり少しテンションが上がりました。
その調子で、昨日は京都府の若年者就業支援センターというとこに行ってきました。僕のようなごろつきが仕事探しや、就職にまつわるカウンセリング、スキルアップのプログラムを無料で受けられるところで、利用方法の説明を丁寧に受けてきました。まあ、徒手空拳で闇雲に就活して変な会社に行くよりかは、色々スキルアップのフォローを受けつつやった方がいいと思われるのでしばらく利用してみようかなと思います。
 
 まだどういう結果になるかは分からんが、とりあえずいえるのは、就活失敗しても働き口って結構あるもんだなという事です。その事をしって少し楽になりました。
 
 最近考えるのは、気持ちが動かないときは体を無理やりでも動かすと、結構気持ちも動くもんだなという事で、人の「こころ」が過剰に溢れる社会の中で、タフに生きる技術としては重要なのかなとぼんやり考えています。一方で、現実というのは、引きこもったり、旅行行ったりして現実から離れると、結構退屈なものかなとも考えたりします。働く事が人間の本質と、強欲な大学の理事長が卒業式で説教たれてたけど、それが人間の本質だったら、余りにも退屈かなとも思います。同じ場所で同じ事をジジイ、ババアになるまでやって、それが良い人生と言えるか。たとえ、ポジションや仕事の内容が変わったところで、大して変わりは無いんじゃないか。ほんとは大して変わりないことを、変わってるって思い聞かせてごまかしてるんじゃないか。実際やってみないとわからないんだろうが色々考えます。
 
 引きこもるといらない妄想ばかりします。とにかく、今自分が生きるためには働き口を探さなければならないのでまずは、そこを頑張るのみ。

STAYGOLD◆素冱劼叛弧拭

 タイ2日目。今日の目玉はアユタヤ観光。アユタヤはタイの古都。色々な遺跡があるという予備情報のみ。むっくりと朝起きて朝食へ向かう。ホテルの朝食はバイキングで、ベーコンやウインナーといった定番のほかに、いかにもタイっぽい野菜炒めやピラフなどが並んでいる。後で気づくのだが、タイの朝食バイキングはどこもかしこも同じメニュー。日本も余り変わらないのかも知れないけど。タイの食べ物は何ともいえない匂いがあって、受け付けない人には受け付けないんだろうなと思いつつ、暑さでバテルのも嫌だしガツガツ食う。おかゆがダシ効いてて一番おいしかった。
 
 朝食を食べ終え出発。昨日と同じワゴンで最初の目的地「涅槃寺」へ。車窓からはアユタヤの人たちの生活の風景が見える。埃っぽい道路を二人乗りのバイクがブイブイ走り、街並の建物の一階のほとんどは吹き抜けの商店になっていてダラーっと店の人が座っている。商売する気が全く見受けられず、しかもそれはそれで成り立っているようでその放埓さがうらやましい。エコノミックアニマルとして子供から大人まで時間に追われる生活を強いられる日本人の暮らしとは全く違う悠長さ、自由な風景がそこにある。かっこよく言えば悠久の雰囲気、端的に言えばまあいいよ的な空気に今まで凝り固まっていた自分の心は一気に自由になる。現地の人にしてみればその日その日を頑張って暮らしているだろうし、もっといい暮らしがしたいのだとも思うが、えてして人は自分に無いものを求めるものなのだろう。
 
 そんな事を考えつつ第一の目的地「涅槃寺」へ。ここには、涅槃仏という肘枕をして寝そべっている仏像が奉っている。寝そべっているというところがいかにもタイっぽい。敷地内は、キレイに芝生が生え揃っていてレンガ造りの大きな仏塔(ドラゴンボールのカリン様の家みたいな形の建造物)が聳え立っている。日本の寺とは違ってカラッとしており、公園のような居心地のよさがある。そういやサガットの面ってこういう感じだなと思いつつ見て回る。ガイドのターさんは非常に詳しくこのお寺のガイドをしてくれ、寺の本堂でタイのお参りの仕方なんかも教えてもらい、みようみまねでマスターする。本堂の中には無駄に良く出来た高僧の蝋人形があり、本物かと思ってびっくりした。境内の中には沢山捨て猫や捨て犬がいた。タイでは動物は寺に捨てられるらしい。お坊さんなんかがしっかり面倒見てくれて広い主が現れるまでの環境としては安全でベストなのだとか。猫が大好き86岡さんは、仏像そっちのけで捨て猫探索に没頭していた。日本の野良猫と違ってすごく人懐こくて逃げようともしない。涅槃寺には、生と死が共存しているのである。
 
 次にアユタヤ王朝の遺跡を見て回る。長い年月でクビが木にめり込んでる仏像や、アユタヤ王朝の遺跡群、クビの無い仏像やレンガの崩れた王宮跡を見学。そこいらの看板にはしっかり日本語のガイドがある。日本人ほんとによくくるんだなと実感。日本人はアユタヤの遺跡とか寺とかに代表される歴史的な名所によく来るらしく、他の国の人は、パタヤとか、先日津波の被害を受けたプーケットとかのリゾートに多く来るらしい。タイの名所という名所にはことごとく物売りがおり、飲み物、果物、大阪のおばちゃんが着そうなTシャツ、エキゾチック小物が売っている。大半はやる気のないような人ばかりだが、子供の物売り、インチキ臭い日本語で観光客をだまそうとするタイチンピラも数多い。遺跡の中でも、「コレナンバーツ?」500円玉を差し出して両替してくれという人が詰め寄ってきた。外国初心者だもので丁寧に答えようとしたら、他の人に相手にすんなといわれた・・・常套的な手口なのだろう。
 
 ひとしきり、史跡、寺院観光を終えた先に待っていたのは像ならぬ象たちである。アユタヤには象に乗れるアトラクションがあり、確か100か200バーツ(300円か600円)で象に乗る事となる。かつては、象は木材の輸送などで働いていたらしいが、時代の変遷と環境の変化により、役割が無くなった。そういった象たちが観光の目玉として新たに調教され、観光客を乗せているのだという。象の上に鞍を嵌め、日よけと二人乗りの椅子が乗せられている上は思ったよりも揺れて結構スリリング。象のクビあたりに若い象使いが乗り、鎌のような物で象をたたいたりして巧みに操る。象使いは「ゾーサン ゾーサン オーハナガナガイノネ ソーヨ カーサンモ ラーララララー」とボカシ気味に日本語でゾウさんを唄うサービスを披露。タイの人は観光客に対するホスピタリティが高い。我々の乗った象はのんびり屋で何匹も追い抜かれたり、いう事聞かないで象使いに引っ叩かれたりしていた。象を降り、小象と写真を撮ったりし、アユタヤで一番貴重な時間を過ごす。
 
 アユタヤの観光の目玉は「廃墟」である。それは一つの美であり歴史の足跡としての意味を持っているのだろう。でも、タイで一番最初に訪れた感想はむしろ廃墟に対するそういった感慨よりも、現地に生きる人々や生き物の風景である。観光客をターゲットにしたたかに生きる人、悠長に生きる人、どこぞへバイクで向かう若者たち。象や猫や犬。大げさに言えば廃墟ある都市に息づく全ての生命に、狭く、暗く、寒い、日本で縮まった魂が開放されていく感覚を覚えた。アユタヤの人にとっては当たり前の生活なのだろうが、隣の芝生はやはり青くて逞しい。現地のレストランで手長エビやら中華的炒め物やらビールやらを詰め込んだ後、我々一行は次の目的地「戦場に架ける橋」カンチャナブリを目指す。そこには、想像を絶する「恩寵」が待ち受けていた(続く)。
 
 思ったより無駄に長くなってしまっている・・・文章だけでは良く分からないので写真は早めにアップ予定。 

STAYGOLD(黄金旅程 

 という訳でタイ旅行編をダラダラ書こうと思います。
 
 タイトルの由来はステイゴールドという競走馬が数年前に走っていて、国内ではG1レースでいつも2着だったんだけど、海外のレースで、当時世界ナンバー1ホースだった馬に勝ったり、香港のG1レースで信じられない距離から差し切り勝ちをした何やら個性派の馬の名前からとりました。黄金旅程は馬名の香港語訳です。
 
  2005年3月14日。現実を取り巻く全てをなげうって旅に出た。現実を取り巻く全ての人たちにとりあえず申し訳ないと思います。本当に申し訳ありませんでした。しかし、悪い事続きだった流れを断ち切るために思い切って、不断と全く違う環境に身を投じた。行き先はタイ。タイなんて今まで自分の人生の関心事に全く無く、サガットとベガがいる国ぐらいの認識しかない。サガットは嫌なやつだった。ムエタイボクサーの癖に上に下に飛び道具ばっか使うし。同行者はミス猪突猛進こと86丘氏。
 
 準備をなにやらはじめ、夕方の特急で関西国際空港へ。空港は海の上に聳え立ち、電車で夕焼けの海を渡る景色にテンションが上がりまくる。海外初体験の為、荷物検査や出国審査にもたもたしながらも何とかパス。途中の免税店は秘密の空間のようで香水の良い匂いが漂っている。しかし免税とはいえ、社会的弱者の自分には手の届かない代物ばかりで気分は傍観者。空港内を走るモノレールで搭乗口へ。関空は未来都市を連想させる。
 
 飛行機に乗りテイクオフ。飛行機は5度目だがいつも離陸の時はどきどきする。キーンと飛び立つ。機内でも飛行機の胴体がボキッと折れたらどうしようとか、羽がボキッと折れたらどうしようとかそんな事ばかり考えて手に汗握る。上空の強い向かい風により終始機体はガタガタ揺れる。手からにじみ出る汗も底をつき仕方が無いから、タイ人らしきホスピタリティあふれるFAの人から何杯もコンソメスープをねだりガブガブ飲み干す。本を持ってこなかったので6時間もする事が無く、暗算とか、無我の境地で考え事ばかりする。ちなみにミス猪突はぐっすり眠る。タフネス。
 
 段々機内が暑くなってきていよいよタイに近づいていると実感。そして着陸。蒸し暑くて不思議な匂いがする。何かのトラブルで空港の出口付近までシャトルバスで輸送される。刑務所の車みたいなのに乗せられて変な出口までトロトロ載せられる。外国の人や我々と同じ学生の分際がズラズラ乗る。入国審査の前にタイの初トイレ。紙が詰まって前任者の小便が蓄積している。これがタイか!入国審査を無難に受け、荷物を受け取り、空港内をウロウロ。言葉通じないし、他の日本人はもうどっか行ってしまったしいよいよ不安が増す。空港の出口に差し掛かったとき、ツアーのマークを持った女性が看板抱えて待っていてくれた。何とかたどり着いたらしい。
 
 バスツアーと聞いていたのでさぞ大きなバスが待っていて、ドリフの笑い声みたいなおばさんが沢山待っているのだろうと思いきや、待っていたのは、地味な11人乗りくらいのワゴン。トヨタ製のその車は色をピンクに塗っていればラブワゴンを連想させる。しかし、先に乗っていたのは、男四人と現地人運転手(男)。未来の地図もくそも無い。スーツケースをトランクに載せ、出発。b201ae26.JPG
 (左)われらが爆走ワゴン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 助手席に乗ったコンダクターの女性がマイクをもって後ろを振り返る。女性の名前はTAさんといってとても明るい。年齢は最初20歳くらいといっていたのでエー!!となったがそれは嘘。IT’S A THAI JOKE。40歳くらいらしいが日本語がものすごく上手い。しかも3ヶ月専門学校で日本語を学んだだけというからスゴイ。 いろいろ懇切丁寧に説明してくれてよきコンダクター。車は、明日の観光地アユタヤのホテルへ向かう。高速道路に乗るが、運転主は超スピードでことごとく前方の車を抜き去る。料金所の狭いゲートもノーブレーキで突破するので飛行機より恐怖だったが、運転は抜群に上手い。日本でもこれだけの腕を持つドライバーは少ないだろう。車窓はタイの夜の風景。やたらと二人乗りのバイクが多い。しかもノンヘル。みんな戦隊もののバイクみたいのに乗っている。おおらかな国柄が伺える。
 
 
 ホテルへの80キロくらいの道のりもハイスピードであっという間に到着。不思議なつくりのホテル。部屋はそこそこ広く、冷房も効く。シャワーが少しぬるいのが難点だが、ひとしきり明日からの準備を終え就寝。初の海外にも関わらず、疲れのせいかすぐに就寝。明日は古都アユタヤ観光。(つづく)

門出の日

 昨日は卒業式でした。その前日まで安らぎと癒しの国タイに安らぎと癒しとサガットを求めて旅にでていて(その顛末はまた後日UP予定)、その次の日に卒業式という事で若干バタバタしていました。自治会の新たなる拠点セントラルアークに顔を出し、色々な人と写真を撮り、久々の友人たちとの再会を懐かしみ、式では、一番付き合いが古い後輩の立派な挨拶に感動しという感じであわただしくも良い卒業の日を迎えました。
 
 とまあ、卒業式の日の流れについてはこんな感じで、ある意味自分らしく淡々と過ごしたのでこれだけ見てもあんまり面白くありません。そこで感じた事なんかを今日は徒然と書き連ねたく思います。
 
 大学に入学してからというもの、高校までとは違い本当に色々なことがあったと思います。
1回生の時には夏休みに自転車で家に帰ったり、友達と京都を遊びまわったりとまあ、高校浪人時代にしたかったことが出来ました。2回生の時には「根性組織」自治会にはいって、多くの先輩や友人と知り合い「虎の魂」を伝授されました。当時はあんまり陽の目を見ない活動でしたが、楽しくも頼れる先輩の覇気につられていつの間にやら変な看板作ったり、機関紙作ったり、ダンボールで棚作ったり、真剣にBKCの学生の未来なんかを分際をわきまえず考えるようになって、いつの間にやら根性組織の一員となっていました。人が弱点の自分にとって、人間関係を築き維持していくのは時に苦痛でもありました。しかし、今となっては、自治会を通じて沢山の友人や先輩、後輩に恵まれ、そんな思いを感じる頻度も少なくなっていきました。とても大事な人たちです。
 
3回生になると、BKCのノアの箱舟「交流拠点施設」を本気で建てる活動が加速し、多くの先輩や学生の思いの結晶は今では堂々とBKCの中央に聳え立っています。インスというへんてこなコースの先生方に散々文句をつけたのも3回生の時でした。
 
そして、4回生になると、何故か根性オブ根性の委員長を任せられる事となります。人を引っ張る立場に立った事の無い自分にとっては困難の連続でした。いろんな人に迷惑ばかりかけてきた気がします。しかし、大切なパートナーも出来、多くの仲間たちと文字通り運命共同体となってやってきた一年は、人は人、自分は自分という感じで生きてきた自分にとってはまさに奇跡、自分以外の人と一体となった生活でした。そして、一年間の終わりには、憧れの海外旅行もできました。
 
困難や後悔も沢山あります。4回生となり、委員長となっても、委員長らしい事、先輩として友人としてそれらしきことは事は余り出来てないと思います。そこには委員長としてのあり方、友人や先輩としての有り方を積極的にイメージしていない事もあるのかなと思います。委員長、先輩はかくあらねばならぬとかこういう役割を果たさなければならないという意識は正直余り無く、とにかく、自分がどんな立場にあろうと、役割を越えて、やるべきことは何でもやるというスタンスは持っていました。やるべきことが出来ていないのに人を先輩あるいは上司がましく説教したりするのは、一番したくありませんでした。人に働きかけるのには条件があって、その条件をクリアできない限り、すべきではないという考えは今でも持っています。やったとしても余り意味や効果は付きまとわないとも思います。そんな調子で必然的に僕はよく人に謝ります。その事をよく「謝りすぎだ」といわれるのですが、その背景には、「自分がやるべきこと、やれたことができなかった」という前提があるのではないかと自己分析します。それがいいのか悪いのかは分からないし、人に働きかけること自体が、やるべきことだったのかなとも少し思います。色々な重圧や実力不足でやるべきことが十分に出来ていないという後悔もあるので、なんにせよ、その答えは今後も探し続けなければいけないのでしょう。
 
こんな感じで酸いも甘いも色々な経験を得た四年間でした。しかし振り返るとつくづく思うのは、自分が望むこと、やりたいことというのは、思い続けていれば必ず叶うということ、いい友達が欲しいと思い続ければ必ずできるし、大学をこういう風にしたいと思い続ければかなう。そのことは、今4年間を振り返ると実際に歩んできた道のりは自分の中で時に明確に、時にぼんやりとイメージしてきた事ばかり。不思議なものだけど事実がその事を自分が思っている以上に明確に実証しています。
 
卒業を迎えた今になってやっと思います。夢というのは叶うために有るのだと。だから卒業を迎え、人とは多少違う軌道で生きていかざるを得ない状況にあっても全く不安はありません。進路が在学中に決まらなかったのも何かの兆しなのだと思います。しかし、心配してくれる皆にはほんとに申し訳ないと思います。でも、まあ何とかなるのでご安心ください。
長くなってしまいましたが最後に4年間の間で支えてくれた多くの人たちに感謝します。
ありがとう
 
次回からは「タイ旅行編」を書いていくつもりです。
 
〜今日の格言〜
「私には夢がある」(キング牧師の言葉)
 
 

ハーモニカ

 ここ数日は、根性オフィスの掃除や、86岡さんちの掃除を無理やり張り切ってこなしてきました。何でもかんでもぽいぽい捨てて捨て癖がついてしまい、根性オフィスの冊子とか沢山封印廃棄してしまいました。先祖の書とダンボールに書いてあるのは、過去の先輩たちの文書なので、必要があったら開封して資料をとっていってくれたらいいと思います。
 
 それはさておき、先日86岡さんちの掃除を現実逃避気味に手伝っていると、一つのハーモニカをたんすの引き出しから発見しました。86岡さんは見つけるなり、とうもろこしにかじりつくようにハーモニカをブーブー吹いていました。そんなのを見ながら僕のさび付いた脳みそは去年の春のある出来事を思い出します。
 
 それは、去年のさくら咲く季節。我が大学では、新入生を歓迎するさくら祭りというお祭りが開かれています。毎年、そのお祭りを目当てに、大学外から企業の宣伝ビラをまきに来る、大人たちがいて、それを追い出す仕事を毎年やっていました。その任務のために大学の正門から続く道をパトロールしていたときの事。若い人に車椅子を押されたおじいさんがハーモニカを吹きながら正門の通りに咲くさくらを見ながら散歩していました。
 
その時吹いていた曲の題名は良く分かりませんが(多分黒人霊歌っぽい)メロディが何ともいえない切なさをかもし出していて、えらく感傷的になりました。多分おじいさんは近くの介護施設に住んでいる人で、職員の人と、BKCのさくらを見に散歩がてらやってきていたのでしょう。車椅子のおじいさんの背景(推測)とハーモニカの音色、さくらの無常のはかなさが一つの映画のワンシーンのような情景を作り出していました。それは美しくそして悲しく寂しいメロディです。
 
春は、あらたな出発であると同時に別れの季節ですね。しんみりします。
 
「花に桜の例えもあるさ さよならだけが人生だ」(昔読んだ本に書いてあった格言)

デブ猫物語

最近ブルーな話題ばかりなのでたまには心温まる話題を連ねたいと思います。
今日の主役は前回のブログで紹介した、実家の猫です。
 
<実家の猫のプロフィール>
 

 
名前:猫、にょん、にょにょちゃん、にょん玉
年齢:2歳
性別:オス(未去勢)
性格:デブ、弱虫、のんびり、善良
趣味:昼寝、猫集会に参加すること
 
<出会い>
 実家の猫との出会いは、俺が3回生の夏休みだった。休暇がてら、実家に帰っているとき、庭に子猫が住み着いているという情報を耳にする。そして、その子猫は、庭にある小屋を寝床に、何かにおびえながら、日々暮らしているのだった。どうやら捨て猫だったのだろう。
 数日間食べ物を食べていないらしく、酷くやせており、家の親が必死に餌付けを行ったが中々、心を開かず、どんどん衰弱していった。しかし、2、3日したら餌付けにも徐々に慣れ、母親が始めて接触に成功。その後立て続けに俺も接触に成功。餌も沢山食べるようになり、ガリガリだった体も徐々に成長をはじめる。家には入れず、小屋の中で飼育を続けていたため、夜は、孤独と野良猫の恐怖と戦わなければならない。田舎である実家近辺は、凶暴かつ戦闘能力の高い野良猫が生息しており、そいつらが夜になるといじめにやってきて、怖いよ怖いよとばかりに玄関のあたりでミーミー鳴いていた。今を思うと、ルックスは余り可愛くはないがとても小さく弱弱しく、ほっておけない猫だった。
 夏休みの休暇も終え、実家を離れるころには、すっかり人間にもなれ、俺の背中に飛び乗るくらい仲良くなった。かねてから、人間より、動物と仲良くなりたいと思っていた俺は、動物とは何とかうまくやっていけるという自信を胸に実家を後にする。
 
(成長期)
 半年後の正月、実家に帰っていたころには、すっかり成長し大きくなっていた。遊びたい盛りらしく、家中を駆け回り(そのころには家の中で飼われていた)、飯もがつがつ食っていたが、俺の顔を忘れたらしく、顔を見合わせるなり、一目散に逃げるようになった。少し寂しい。
 
(一歳)
 去年の夏休み、猫はさらに成長していた。縦にでなく横に。デブ猫と化した彼は、一方でたくましく成長し、肥大化したCAN玉をぶらぶらさせながら、毎夜猫集会のため家を出て行った。夜遊びするようになったかと思い感慨ひとしお。
 
(こないだ)
 さらに肥大化した猫は、終始茶の間で寝ていた。外は雪だったということもあるかも知れないが、夜出歩きもせず明らかに運動量が低下している。さらに皮膚病でかさぶたがあちこちにできていて、少し小汚くなっている。でもまあ家族と完全に溶け込み幸せそうにしているのでよし。ちなみにこないだは俺の顔を見ても逃げもせずうつらうつらしてた。大人になったなあ

ねこ3

やや北の国から’05迷路(後半)

(前回のあらすじ)
大学院入試に失敗した俺は、傷心の中DECNO BOWと対談し
大学との交渉を終え、一人故郷へと旅立つ。容疑者と間違えられ
見知らぬ老婆からチョコレートをもらうなどの珍道中。それから・・・
 
家についた待っていたのは、家族の暖かい出迎え、ではなく、僕の所業をなじる、両親の言葉の数々でした。大学四年間何をやっていたんだ。そんな髪型してるから容疑者に間違えられるんだ。はきはきしゃべれ。動きが遅い。お金を使いすぎだ。何が一体やりたいんだ。
など、やることなすことけちをつけられ、どれも耳に痛い事ばかり。しかし、一方で地元の友達の進路の状況、親戚や知人、そして両親の人生の歩み方など、多くの人たちの人生の話をこれまでになく聞く事が出来ました。そして年末に帰ったときは、自分自身不安定でちゃんと親と向き合って話す事ができなかったのですが、今回は割合きちんと向き合って話す事ができました。これも一つの成長か
 
そのなかでも重要と思うのが、僕が海外に放浪したいという本音を話したときに、人生における基礎(スキルとか経験)がないままにそんな事をしてもしょうがない。どんなとこでも生きていけるだけのスキルや自信を身につけてからでも遅くはないといわれたことです。親によると、大学でて、人生に迷うひとは、NPOに走ったり、俺のように海外に放浪したりする事にあこがれるが、それは、新興宗教に入る人の心理とあまり変わりがないらしい。宗教に走る人というのは、素直に、まじめに今まで生きてきた人が多い。でもそれだけでは生きられない現実にぶち当たり極端な理想に走るのだという理論を展開していました。
 
かなり極論とは思うが、確かに自分がどこでも生きていけるだけのスキルや経験を持っているかといえばまだまだだし、優先順位としては、自分自身を高めるというか、どこでも生きていけるだけの甲斐性を身につける方が重要なのかも知れないと思いはじめました。
 
で、今、そういった条件を満たす事が出来る進路は、,箸砲く一回働いてみる。公務員や、教員目指して必死に勉強する。そのほかの資格や再度院に向けて頑張る、といったところが考えられます。これらの順位付けをするには、自分自身ほんとにやりたいことは何かを再度整理する事と、現実に動く際に必要な情報を集める事が大きいと思いますが、それとともに、大学で出来た、友人や、大事な人と向き合って進めていくことも必要かと思います。家族や友人、恋人もなく自分ひとりならば、どんな道だって選ぶ事が出来る。だけど、自分はそうではない。そういう人たちは足かせではなく財産だと思います。そういう人たちとの関係性の中でよりよい答えを出す事も今の自分には求められているのだと思います。
 
まあいろいろ考えなければいけないのだけど、とにかく、今回のしなければならない決断は、この一年自分が越える事が出来なかった大人への大きな一歩、決断の一歩だと思います。慎重かつ大胆に、決断し、決断の地平にある大きな目標に向かって、地に足つけた一歩一歩を歩んでいきたいです。
 
そんなこんなで、新潟での滞在を終え、新たなスタートを切るべく滋賀に帰ってきましたわけで。また来週から色々回って模索していきます。
 
(番外)
実家にはデブで憎たらしいルックスながらも、もっそり可愛い猫がおり、随分と癒されました。ねこ

やや北の国から’05迷路(前半)

ブログ更新が遅れてしまいました。
2月28日に更新しようと思って書いてたんだけど
編集ミスで消えてしまいそのままだったわけで。
 
そう・・・2月28日以降僕の人生は急転回する事に
なってしまいました。知ってる人もいくらかいるかと
思いますが、先日受けた大学院入試の結果が
不合格。今思い返してみれば、自分の甘さが招いた
結果と思いますが、さすがにへこみ、途方にくれました。
一体これからどうしたら良いんだろうと思ったわけで・・・
 
そんな心境の中、大学の新入生向けの広報誌のインタビュー
に臨んだのですが、終始上の空で思うは明日からどう生きていこうか
ということばかり。大学日本一のアメフト部の主将も同席しましたが、
何の感慨も沸く事もありません。巨大な物体(DECNO BOW)がぶつ
ぶつ音を出しているようなものです。
 
その日はうつむき加減で86サンと居酒屋に行き、苦い人生の酒をちびちび
飲んで帰りました。勝利の美酒が飲みたかったです。
 
次の日も、現実はただクールに時を刻むわけで、昼から、大学との折衝があり、
それが終わって京都府主催の就職イベントに行ってきました。教授が情報を
教えてくれたのですが、今後の身の振り方を考える上での手がかりは掴めた
ような掴めないような・・・
 
何だかわけの分からない就職活動が終わったら、僕は夜汽車に乗って、悲しみ
本線日本海とばかりに新潟の実家に一足飛びにガタンゴトン帰りました。なんの
方針もなく用という用は取り立ててなかったのですが(秘密任務はあったがここで
は伏せます)とりあえず今後のことを考えて帰りました。暗闇の中を列車で8時間。
自分と向き合う夜汽車の旅は気づけば夢の中。目を覚ますと、東映漫画祭りのような
冬の荒波と雪に覆われた白い世界がぼんやりと車窓に広がっています。
 
電車を降り、家へ帰るバス停に向かう道すがら、なんと警察に職務質問されました。
歩いていたあたりで傷害事件がおきたらしく、犯人が黒い服を着ていたので、
同じく黒い服を着ていた僕に容疑がかかったのです。
僕はある意味容疑者ですがほんとの容疑者ではないので疑いは晴れましたが、
弱り目に祟り目とはこのことです。しかし、その一部始終を見ていたおばあさんに声をかけられ何故かチョコレートをもらいました。よく分からないけどおばあさんありがとう。
 
ここまででやっと半分くらいなので、いったん切ります。続きはまた後日。こんなどう
しようもないことばかり書いてどうするんだという気もしますが、気持ちを整理する意味も
こめていま少し、この間の顛末、思いを書き連ねていきたいと思います。
 
とにかく、色々相談に乗ってもらったり応援してもらった、自治会やゼミの根性仲間や先輩の皆さん、先生や家族、そしていつも一緒に悩んで励ましてくれた86岡さんには感謝の気持ち、そして、言いようもなく申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。
だがしかし落ち込みはしたけど今は何とかやってこうという気持ちなので、ご心配なく!!
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