前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

February 2006

犯罪者になるよ

 今週もまた身も凍る出来事がありました。

 僕の一日の営業活動は、担当病院の医局(医者の控え室)にたち、ただただ挨拶をしまくる業務でしめくくられます。いっちょまえの営業マンやMRなら、そこで医者を捕まえて商品のPRをしたり、仕事の話を勧めていくのですが、商品の知識も、病院での顔もない僕は、内心なにやってんだろうと思い続けながら約2ヶ月むやみに挨拶を続けてきました。まあそれというのも尊敬する先輩は毎日それをやり続けて病院での顔を作り仕事の軌道にのせてきた事や、上司の指示もあったことからではありますが、無闇に頭を下げ続けてきました。

 そんなある日、担当病院の内外で最も恐れられている先生に冷たい鬼のような形相で詰め寄られ「君は毎日何のためにここにたってるの?」と問われました。あたふたしながら、「色々な先生に顔を覚えてもらうと・・・」と答えたら、「こんな遅くまで病院に残るのはルール違反。速やかに退出しなさい。気味が悪い。」といわれました。体に冷たい電流が走り、反射的にその日は病院から逃亡しました。そして今日たまたまその先生が病院での配達中に通りすがったので先日の件をわびると「以後気をつけるように。さもないと(不法侵入で)犯罪者になるよ。」とすらっと言われました。まあ許してもらったからいいものの、それはそれは怖い体験でした。

 別に悪気があってやっていたことではなく、一日の終わりの挨拶運動は自分との戦いでもあり、精神的な意味で軸となるような業務でしたが、あっさりと崩壊してしまいました。最近では、変な意味でちょっとした病院内での話題になっている事を感じていたのですが、それはあくまで悪い意味ということも感じていました。みんな気味悪がっていただけで、その活動が今となっては逆効果になっている事が明らかとなり、ショックというよりもしらけた気持ちになりました。でも色々なことをかんがえさせれる出来事でした。

 一つにその活動は意地でやっていたもののあくまで、他人(上司など)の指示に基づいてやったこと。天邪鬼を封印して、社会人1年生だからとにかく上の人の指示を素直にきいて吸収していこうと思って、内心変だなと思うことでも愚直にやり続けてきました。でもそろそろ、吸収してきたことを基盤に自分なりのスタイルを作らなければならないと感じました。営業のスタイルは、人それぞれの個性で合うやり方があるだろうし、それが病院のルールやシステムとも上手く適応していかなければなりません。怒られることで、自分のスタイルの重要性や、担当する病院仕様の営業の進め方の模索の必要性を本格的に考える時期が来た事を痛感しました。

 そして、もう一つは思考はいい意味でも悪い意味でも現実化するということ。やっぱり、自信がなかったり、不安があったりすると、その自信のなさ、不安さに基づく自己イメージが現実のものとなります。つまり上手くいくはずがないと思っていることはやはり上手くいかないということです。そして、そういったマインドは他人に反映されます。例えば俺はなめられているというイメージを自分で持っていると、本当になめられます。今回の一件でもいつか何か言われるだろうと思っていたけど、案の定いわれました。でも、反対に考えると、いいイメージを持っていれば、そのイメージどおりに事が運ぶことも多い。イメージは生まれてからの様々な経験で培われるため、子供の時から幸福な出来事や、努力した成果としての成功体験が沢山ある人はいい事がますます現実化します。

 めっきり負け癖がついているため、中々いいイメージが頭に沸きませんが、何とかいいイメージ、それにつながる感覚を掴まなければなりません。自転車にのれるようになるもので、乗れるまでが大変で乗れてしまえばたいしたことがないはずです。

ずれている

 久しぶりの更新。

 最近、ひょんなことからmixiをはじめました。ブログをはじめたとき同様何だか照れくさいメディアだと思い、敬遠してみたものの、中々使い勝手もよく面白いなあと感じました。でも、難点として、知り合いの知り合いのを見たときなど、痕跡が明らかになってしまい、バーチャルな世界でも人見知りな自分にとっては何か恥ずかしい気がするのと、考えすぎかもしれないけど友達増やしていきましょうね的なシステムが非社交的な自分にとって多少の重圧を感じさせます。でもまあブログ同様身の丈にあった運営をしていこうと開き直ってやる覚悟です。われながら重い。

 それにしてもmixyは体を現すというか、その人の人間性、社会性がよくでています。自分から輪を広げていく人、色々な輪にリンクする人、バランスよくやってる人、自然と輪が広がる人、輪というか点の人(俺みたいな人。招待してくれた方々には感謝してます)色々いるけど、やはり、点の人はなんでmixiやってるの?的な矛盾があります。たとえば、色々な人と知り合いたいという欲求があるのなら目的に適うけど、別にそういうわけでもない人がやる意味が果たしてあるのか自分でもよくわからない所です。でも結局やるのでずうずうしいのであります。

 mixiに限らず明確な意思や欲求、目的意識があるわけでもないのに何か生活の一部になっていることは結構多いです。社会人という枠組みで生活を始めたのも経緯としてはそれに近いけど、何とかやっていくためには、他人を使って使われて、競争してでも自分の意思を達する方向で動いていかないと、流れに飲み込まれてしまうということを最近感じています。なぜなら、ほかの大部分の人が自分の意思を達する方向で動いているから、そういう人たちにとって当たり前の意思に翻弄されます。mixiと同じでやはりシステムや流れ(流行)は強制力を持っていて、持っているがゆえにシステムであり流れなのでしょう。だから、システムから外れると、白い目で見られたり馬鹿にされたり、しなくてもいいような苦労や、感じなくてもいいストレスを感じなければならなくなる。

 もし、欲望、目的意識、意思といった生きていくために必要な要素の偏差値が低い自分に意思があるとすれば、そういう状況に対してとことん抗い、何らかの答えをだすことだと思い始めています。人並みに欲望や目的意識を一定もつべきかなとも思うけど、今それを無理やり持っても付け焼刃になってかえって疲れる気がしてます。だから地の部分として持っている部分を大事にしていくこと、その表現手段のひとつとしてわざわざ性格的に明らかに向いていないといわれている営業をしたり、笑い話の種にもならないような損くさい行動ばかりとったりしているのかもしれません。翻弄されつつもあまのじゃく的に別解を求めて。こういうことは馬鹿さ加減が人に知られるので賢い人はわざわざ表現しないけど、どうせ馬鹿なのでとことん表現します。眠たいのと疲れてるのでへんてこになりました。どうせへんてこだけど。

嵐をわざわざ呼ぶ男

 ここ数日、急に変な仕事の話が舞い込んできててんてこまいになっている。

 昨日は、消防士さんに貸してたレンタル品を急遽その日付で更に借りてたメーカーに返さなければならなくなり、福井と敦賀を2往復する羽目になりヘトヘト。

 今日はいきなり上司に「緊急事態発生。」という電話がかかってきた。担当病院のオペ中に、使用していた器具(手術の時に使う体に入れるカメラ)に異常が発生したため、すぐに向かって何とかしてくれとの指令。飛んで行っては見たが、ドクターが器具が壊れたまんま手術をしているので、調整も点検も出来ないし、うかつに声もかけれず呆然と足をガクガクさせながら手術の経過を見守っていた。何とか事なきを得たが、もしも何かあったり、大失敗していたらと思うと、かなり怖いことをしていると思う。明日は何もありませんように。

 以上の近況は枕で、これらの事態にあい、ダメ営業マンなりにかなりの反省をした。昨日今日の出来事は不可抗力ではない。昨日の例を挙げれば、前もってレンタル品の返却期日を、貸した人、借りた人と話をつけておけばバタバタせずに済んだし、今日のことでも、ドクターに一声かけて、手術中でも点検はできる状況だった。

 これがなぜできないか?それは自分のしみついた怠け癖、度胸のなさで、自分の意思を通せない弱さ、自分の意思のなさにある。昔から自分はこう思う、こうしたいと表現するのが苦手で、人の顔色を伺ってしまったり、めんどくさくなってどうでもよくなる。こんなこといったり、こんなことしたらどうなるだろうとかそんなことばっかり考えて時間が過ぎ逆に人に迷惑をかけてしまうことの繰り返しだ。こんなことでは、スピードが勝負で、商品を売り、自分を売る営業という仕事が回らなくなり、いずれ破綻してしまう。自分の意思を他人に伝える事をためらっていては一向に仕事のスピードは上がらないし、モノも売れるわけがない。人に仕事を頼めず物事が進まないし、モノを売る意思がお客さんに伝わらないからだ。

 そしてもう一つの問題が話し方。無駄に気を使うためかバカなのか端的な話し方が出来ない。どうしてもこのブログ同様文字数が多くなり、回りくどくなる。話し方は非常に重要だと最近思う。聞かれたことに過不足なく端的に答える、自分の意図を端的に伝えるというのは意識しだすと凄く難しい事だ。

 自分の意思を通すこと、そして意思を通す手段としての話し方は、営業、乃至は就活も含めて社会人としてやっていく上で、かなり基本的かつ重要なポイントだと思うのだが、言い換えれば2つが全くダメとなると営業に向いていないという結論になる。誰に聞いても自分は営業に向いていないといわれるし、自分でも向いていないというのは分かる。出来る人はそんなこと考えなくても出来る。ただ、それで向いていないからといって営業に見切りをつけたところでほかの業界、業種で上手くやっていけるとも思わない。だから、自分を高める上でも。やらなければ明日の食い扶持はないという意味でもやるしかないのだ。根性で。

 最後にその全ての行動の前提となる自分の意思はどこにあるのかという疑問がふと浮かんだが、それはまた今度考えよう。そして仕事以外のことも

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