前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

December 2006

まっとうな願い事

 今日はクリスマス・イヴ。キリストの誕生前夜であることを感謝し、祈りをささげる日であると同時に世界中の多くの人々(主に若年層)がサンタクロースに願いをかける一日でもある。いつからこの日が人々の欲望を満たす日になっていったかは謎である。

 これまでの人生で、色々なものを不可思議な老人に願ってきた。子供の時に、プレゼントをもらえる日を間違えて、24日の朝になんの贈り物もないことに愕然とし、何故だ何故だ大騒ぎした記憶がある。そして、次の日に枕元に置かれていたのは、どう見ても見覚えがある湿気でグシャグシャのクラッカーと、どう見ても家にあったと思われる「ガメラ大百科」であった。子供ながらに苦笑いするよりなかった。家財を移動しただけじゃんと・・・

 時は過ぎて大人という年頃にもなった今、特にサンタに願をかけてまで欲しい「もの」はない。ただ一つ願いをかけるとすれば、悪業が栄えない世の中になって欲しいと本気で思う。戦争や、貧富の差、環境問題など、世界規模での悪業は勿論だが、身近にはびこる悪業をことごとく一掃してもらいたい。大きな社会悪の源泉は、個人個人に潜む悪業にあると感じ始めている。自分さえよければいい。自分さえよければ他人を陥れてもかまわないという連鎖は大いなる悪業をはびこらせる。安全な場所にいれば見なくてもいいことを、この一年で沢山見ることになってしまった。その渦中の中で、自らも悪業を犯してしまってきた、そして進行形で犯してしまっているという思いがある。そうしなければ生きていけないのだと誰かは言う。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。現実がそうだとしても、そうあるべきことなのだろうか。

 悪業は栄えずという言葉がある。しかし、現状悪業ばかりが栄えている。それほど栄えていないとしても、それほど損しているわけでもない。ずるい奴がのさばっている。まっとうに生きようと日々頑張っている人の方がむしろ損ばかりしている。それがまんまとひっくり返る事を心の底から祈願している。誰かがやってくれないのならば、自分にひっくり返せるだけの器量を是非ともお願いしたい。お願いするようなものでもないのかもしれないが、今の自分にはお願いするよりしょうがない切実な問題の一つでもある。もっとお互いが、慎ましく、そして気分良く接していける世の中になってもらいたいものだ。

雀鬼

最近「雀鬼」桜井章一にはまっている。

この人は凄い。プロの代打ちとして20年間無敗の伝説を持ち、現在は、麻雀を通じて人間力を高める「雀鬼会」を主宰している。

彼を始めて知ったのは、会社の先輩が貸してくれた劇画調の漫画で、漫画の中では北斗の拳みたいな風貌をしていた。そこで名前を知り、麻雀会では知る人ぞ知る存在であることを知る。その後、会社の違う同僚の家で桜井章一の雀鬼流の掟のDVDみたいなのを見せてもらった。このDVDの中で北斗の拳とはかけ離れたインチキ臭い身なりのこのおっさんは意味不明な発言を連発し、我々の笑いを誘っていた。

しかし、先日、古本屋で偶然彼の著書を見つけたので興味本位で購入。この本に書かれていることは中々深い哲学(非論理的という意味では哲学とは言いがたいが)に基づいている事に気付かされる。詳しく説明する事が中々難しいが、非常に人間として高い境地にいる人ではないかと考え出した。どちらかというと思考より感性が勝った考え方で、思考を放擲し、大まかに言うとスピードと一体感の中で感性と決断力を磨いていくのである。ここでいうスピードとは牌を切る速さから何からとにかく判断を早める。失敗してもいいから早くという発想。一体感とは、自然、周りの人間、勝負、運などと自分を一体化させることで流れを読む感覚。勝ち負けを超えて一つ一つの出来事を現象に止まらず意味を求める。無敵とは誰にも負けないのではなく、敵がいない、つまり敵をも味方にする事なのである。そして、そういった力は、日々の生活の様々な面倒なことから逃げずに、きちんとこなしていく事で身に付くらしい。ここが一番の白眉。俺には無理。もはや仙人の域!意味不明な点も多々あるがとにかく凄い人なのである。目から鱗もちょちょぎれる点多し。

桜井章一の考え方は別に麻雀に限らず、広く人生において為になる考え方の宝庫である。色々本が出ているみたいなので、もう少し色々読んでみたいと思った。でも、やはり存在がインチキかもしれないと少し思いつつ・・・

 

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