前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

December 2009

エクセレント!(西日本旅行記ファイナル)

九州最後の目的地は宮崎。ここ最近で言えば東国原知事のタレント活動で名を上げてきているが、ここは知る人ぞ知る、日本のサーフィン愛好家にとって憧れの地。温暖で一年中波に恵まれる、文字通りサーファーのメッカ、サーファーのガンダーラ、サーファーのシャングリラである。当初九州へ行こうと思ったのも、下手糞のクセにミーハー心が働いて宮崎でサーフィンがしてみたいというのが実は主たる動機だったりもする。そのくせ、邪魔になるからと板やウェアは車に積まず、地元のショップでレンタルしようという算段だ。

佐多岬からは、とろとろ解らない農道を突き進み、都井岬という野良馬の生息地を見て、日南海岸をひたすら北進した。この日もあいにく土砂降りで、「るるぶ」に載っているようなトロピカルな雰囲気など一切無し。全素通り。気持ち的には、福井で言うところの越前海岸、新潟で言うところの笹川流れを走っているようなものだ。さらに北進し鵜戸神宮という海岸端の絶壁にある神社により、道の駅でチキン南蛮を食べた。チキン南蛮も道の駅とはいえうまかった。タルタルソースの味加減が絶妙。

いよいよ宮崎市内にさしかかり、地図で調べて市内の主要ポイントの一つ木崎浜を視察。この日は入る気も準備も無かったので見ただけだが、人もそこそこいるにも関わらず海岸が広くてキレイで波が割れている場所も多いのでサーフィンしやすそうな感じがした。

最終的には日向市内でやってみようと思っていたので、宮崎を去り、日向市内で宿泊。次の日に備えた。

次の日は昨日の雨がうそのような超快晴。朝早く起きて、日向のメジャースポットお倉ヶ浜をチェック。朝から車の数はやはり多い。でも、基本的に人が多いところでサーフィンをするのは苦手だ。いかにもというごつい兄ちゃんとかにも遠慮してしまうので楽しめないし、接触のトラブルがまだ赤子の域の自分には十分回避できない。当然ごつい兄ちゃんはうようよいて、そこかしこで準備しながら仲間とだべっている。それに本場感ビリビリ。ちゃんにーこわい。海岸はやはりキレイで広いのだが、イマイチ気が乗らない。

日向のもう一つのメジャースポット金が浜というところへ移動してチェック。アウェー(基本どこ行ってもアウェーだが)というのと、さっきのお倉ヶ浜の雰囲気で少しびびっていたのもあって、やめとこうかなという弱気が働く。しかし、やはり来たからにはということで、意を決して、開店時間と同時に海岸の目の前のサーフショップに電話しレンタルを予約する。

ショップの人は非常にスナイデル(オランダ)似のいい人そうな感じで、流れの方向とかを丁寧に教えてもらい、送り出してもらう。遠浅な海岸はキレイな砂浜で人も少ない。波は腹ぐらいでそれほど高くはないが十分にパワーはあってきれいに割れる。なにより水が温かい。11月も終わりの頃だったのにどうやら25度くらいあるらしく、外気より断然温かい。天気も奇跡的な快晴で、まさに今の自分にとって完璧なコンディション。来てよかったと心底思ってにやけた。レンタルのボードも普段使っているぼろぼろのマイ中古板と違い、浮力があってテイクオフも容易。これまでの不様なサーフィン人生で、もっとも乗れて、もっとも楽しめた。腕が千切れるほど漕いで、笑えるほど立った。

帰る時間はあっという間にやってきた。糞暇ニートのクセに翌々日に用事があり敦賀に戻らなければならない。帰りは下道を通る余力がもうない為に大分から神戸までフェリーを使おうと思っていた。夕方までに大分まで行かなければならないので泣く泣く昼過ぎには海を上がった。

スナイデルさん(仮)に返却の声をかけた。「乗れたと?」とにこやかに九州弁で問われた。無論、この旅、いや今年最大級の笑顔で「最高でした!」と応じた。もう、これ以上の言葉はない。晩秋の時期に、職も無く木枯らしが吹くような思いを引きずったまま出発した今回の旅。当然、心は風景を反映して、所々不完全燃焼な所もあったが、またこれからがんばれよと最後に神様がおまけしてくれたようだ。どうもありがとう。これでまた、頑張れる。

海の向こう(西日本旅行記5)

知覧からまた鹿児島市内へ戻り、西郷隆盛とか大久保利通とか薩摩の偉人の博物館へ行く。面白かったのは、西郷の親戚のおばあさんの生前の西郷どんについてのインタビューと、西郷を見出した島津斉彬に関する資料が面白かった。早い時期から西洋の文物を研究し、工場なども作っていたという先見性、行動力、まさに名君とはこういう人の事をいうのだろう。

その後は鹿児島のもう一つの目的地、佐多岬を目指す事となるのだが、正直この際迷っている事があった。特攻隊の博物館を教えてくれた先輩が、もう一つ沖縄はいいぞーという事を言っていた。鹿児島からは那覇に向けてフェリーが出ている。このまま沖縄に行きたいという衝動がこみ上げてどうしようも無くなって頭がのぼせた。旅行の時のテンションはやはり日常のそれを逸脱する。でも冷静になって、その費用を調べると車を載せる運賃は往復で軽く10万を越えてしまう事が判明し、これは払える金額ではないと泣く泣く諦めた。

佐多岬へは桜島へフェリーを使って渡るルートが近い。沖縄とは規模が違うが、桜島へ行くフェリーもよい。立ち食いうどんが船内で売られていて、それを頼んで食べる。うどん自体は普通だが、ちょんと乗ってるさつま揚げがうまい。さつまあげってこんなにうまかったっけというくらい驚いた。桜島に上陸し、長渕剛がオールナイトコンサートをした跡地を見た。ほんと只のゴツゴツした採石場だったが、長渕を模した記念モニュメントみたいのが、桜島を見上げて叫んでいた。

ゴツゴツした真っ黒な溶岩と松の木ばかりの桜島を抜け、大隈半島へ。後は海岸沿いをダラダラ走るだけ。岬で日没を見たいと思ってできる限り急いだが、岬に入るのは有料で、着いた頃には営業時間が終わっていた。少し途方に暮れたが、やっぱりここまで来たからにはと岬近くの公共旅館に飛び込み宿を確保し次の日に再チャレンジすることにした。

翌日あいにく天候はくもり。展望台へは、トンネルを通り文字通りジャングルの山道を通って向かった。展望台は結構いい加減なつくりで、受付のばあさんに入場料を払うと親切にもレクチャーを始めてくれた。あっちの方向には晴れれば種子島が見える、こっちの方向には晴れれば屋久島が見える。あの船はあのルートを通っているから多分どこそこへ向かう船だなどと同じ海知識を3〜4回くらい繰り返して教えてくれた。でも、天気は曇りで、屋久島も種子島も見えやしなかった。おばあさんの鋼鉄のように鍛え上げられた知識を事実として確認する事はできなかった。海の向こうは雲ばかり。結局何があるのだろう。どんな場所でどんな人が住んでいるのだろう。今はダメでも、いつかこの雲を跳び越えて、遠い海の彼方に行って確かめてやりたいと旅の果てでまた強く思った。

記念写真(西日本旅行記4)

鹿児島の街はまず見た目にファンタスティックだった。沖縄を除くと日本の南の果てとは思えないくらい、街は活気に溢れきれいで、目の前には海がそびえ、火山がぽっかりくすぶりながら浮いている。鹿児島についた日に入ったラーメン屋やホテルの従業員など、働く人の緊張感のある礼儀正しさもいい意味での士風を残しているというか、ぽくていいなと思った。

鹿児島で最低限行こうと思っているところは二つあった。まず一つは一番端っこの佐多岬。もう一つは旅の途中で、九州で生活経験のある元会社の元先輩から電話があって、その時行ってみるといいと紹介された特攻隊の博物館である。涙無しでは見れないそうだ。それまで、全くそういう博物館があるとは知らなかったし、余り戦争関連の施設は好きじゃないというのもあったので気は進まなかったのだが、折角紹介してもらったのと、こういう偶然が旅行を充実させるんじゃないかという期待というか賭けから行ってみる事にした。

その博物館は知覧特攻平和会館という名称で、もう一つの目的地である佐多岬のある大隈半島とは逆の薩摩半島の南部の知覧という町にあって、鹿児島市内から40分位だった。施設の外観からはからっとした台地に、寺や神社、墓地などの故人を祀るスポット特有の清潔感が感じられる。施設に入ろうとすると入り口前の通路に、特攻隊の兵隊さんと特攻の母と呼ばれて出撃する前の彼らを世話していたおばさんの集合写真のようなものが展示されていた。その写真に写っている兵隊さん達とおばさんの顔がとても、今から死を約束されている出撃を控えている人、あるいはそれを見送る人とは思えないくらいに、穏やかで爽やかな表情をしていた。この写真は悲しすぎた。理屈ぬきに悲しい。館内に入る前から泣きそうになってしまっている。

館内に入ると、特攻で無くなった兵隊さんの写真がズラーッと館内両サイドに展示されていて、この方々の写真も一様に凛として清々しい顔だった。もうその清々しさが悲しすぎてちゃんと見れなかった。館内中央に展示されている実際に特攻で使われたという飛行機の前で語り部のおじいさんが飛行機が水冷式エンジンだのなんだのと見物者に講釈をはじめた。もうこれは何千回と語られているであろう立て板を流すように流暢な講釈で、そのなれている感に対する白々しさが悲しさを若干和らげた。その他に兵隊さんの服などの装備品や、表向き胸を張って「御国のために〜」とか「天皇陛下万歳」とか書かれた家族へ向けた遺書が展示されていた。こんな悲しい博物館はやはり初めてだった。と同時にこれほど見ていて腹の立つ博物館も初めてだった。

この怒りとはこういう事だ。特攻で無くなった兵隊さん達は皆一様に若く、20台前半が多い。つまり、世が世ならこれから楽しい事も辛い事もたっぷり味わう事ができる年頃だ。でも、死なざるを得なかった不条理。みな一様に矜持をもって敵に向かっていったのだと思うが、死ななくてもいい状況でさえあれば、わざわざ死のうとは思わないだろうし死ぬ必要も無かった。特攻隊という状況を作り上げた原因や考え方、人、組織、あるいは国に腹が立って仕方がない。勝つも愚劣負けるも愚劣。一部の人や組織が戦争によって愚劣な欲求のパイを奪い合う事で、家族や故郷、仕事や財産、そして将来を引き裂かれ悲しい思いをする人ばかりが生み出された。

軍隊や、軍隊的なもの、軍隊的な考え方が大嫌いだ。殺されるのも嫌だし殺すのも嫌だ。訳も分からない上官に威張られるのも嫌だし、訳も分からない上官になって無様に威張るのも嫌だ。勝った人間に威張られたり馬鹿にされるのも嫌だし、負けた人間に威張ったり馬鹿にするのも嫌だ。戦争とか軍隊とかは歴史の遺物として石器とか縄文土器とか豪族とかサムライみたいな扱いでとっとと葬り去られるべきだ。何まだ幅利かせてるんだという話だ。戦争や軍隊の存在の必要性が無くなる事、これが文明の進歩というものだろう!

というような様々な感情を抱かせるのに、この南の果ての小さな博物館がもつインパクトは大きかった。すでに旅を終えて2週間位経つが、色々周った中で印象が一番強かったのはこの博物館だったかもしれない。決していい気分にはなれなかったが、行ってよかったとは思った。

このブログを書いているのは奇しくも12月8日。日米開戦の日である。悲しい爽やかな記念写真はもう増えるべきではない。

麺街道をゆく(西日本旅行記3)

九州に上陸してからはまず博多を目指す。交通量も格段に多くなり、景色に気を取られる余裕はなかったが、今まで通ってきた道とは違い、明らかに賑やか。門司から2〜3時間位かかって博多に到着。博多駅から10分位の所に宿を取る。そして、夜の博多の街へ徒歩で繰り出すが、全く土地勘が無くやや不安。地図を頼りに、中洲→天神方面をぶらぶら目指す。途中川沿いに屋台が何軒か並んでいるゾーンを発見。これが有名な屋台かと思うが、思ったより店の数も少なく、観光客相手っぽい感じがしたので入らず、そこいらの客で込み合うラーメン屋に入る。そして博多といえばの豚骨ラーメンを食べる。豚骨ラーメンって言うほど好きでも無かったのだが、本場のラーメンは今まで食べていたのとは全く違って凄くおいしい。麺が超細いが、濃厚なスープと不思議とマッチしている。今までの博多ラーメンってフェイクだったんだと気付く。そして、また徘徊。博多美人というように妙に美人が多い気がした。かといってそういう系の店に入る経済力も度胸もないので素通り。結局博多巡りは夜の散歩だけだったのだが、活気もあって食べ物もおいしいのでいい街だと思った。機会があればまた行って見たい。

夜は明け、ホテルを出て次は長崎へ向かう。高速道路を使えばすぐ着くのに、下道をズーッと走っているものだからどうも時間に余裕が無く、次の目的地とか考えてるとじっくり観光ができない。結局長崎に着いても、十分に回れず駅前でちゃんぽんを食べただけだった。こちらもおいしかったが、これはほぼ想定内、なるほどこんなもんか位のおいしいだった。長崎はほんとに坂が多く道も細いので車で回りづらい。今度は時間をとってじっくり回れればと思った。

長崎を出て島原へ。島原は観光ではなく、熊本へ行くフェリーが出ているのでそれに乗る為だ。その最終便の時間の兼ね合いもあり、長崎は十分回れなかった。島原といえば火山だが、明らかに見たことないようなえぐれた山があって、自然の驚異を車窓から目の当たりにした。

フェリーは存外便利で、確か一時間とかからず熊本に到着。熊本どうしようかなと思ったが、夜で何も見えない。血迷った結果熊本カットでもう鹿児島を目指すことにする。下道で南へ目指していたのだが、福岡らへんと違い、だいぶ田舎っぽくなってきて道も暗く細い。それまで結構な距離を走ってきたのでだいぶ疲れもたまっている。だからもういいやと思って再度血迷い禁を破り高速に乗る。さすがに高速は超快適であっという間に鹿児島に到着。繁華街のホテルを予約し途中のラーメン屋で遅い夕食。多分鹿児島ラーメンというカテゴリーだが、濃い博多ラーメンといった感じでうまい。とりわけチャーシューが凄く旨い。九州で食べたものは今のところはずれが無く旨い。しかし、観光という意味では、無方針さが災いし、十分に楽しめていない。少し余裕を持って翌日からは回ろうと思い床に着く。

上陸ス(西日本旅行記2)

鳥取砂丘を去り、次の目的地は距離と時間を勘案し、出雲大社に設定したが、もう夕方で暗がりに差し掛かっているので、この日は出雲市内で宿泊して、翌朝参拝の段取りにした。悪天候は相変わらずで道は暗くて、分からない道なので結構恐かった。鳥取の道中は海沿いに風力発電のタービンがズラーッと並んでいたりして結構近未来的な雰囲気が意外だった。

結局砂丘から真っ暗な道を4〜5時間くらいかかって出雲に到着。飛び込みで電話をかけて宿を探すが中々見つからずやや焦ったが、何とか見つけて無事宿泊。寒いビジネスホテルだった。

次の日は出雲大社に早朝から参拝。神社の朝は爽やか過ぎると思いながら歩いていると、折悪しく本殿の遷宮とやらで神社が改修中でやや興ざめだった。しかも朝早く行き過ぎて博物館的な施設は一切回れず・・・興味がない訳ではないのに、古代から続くらしい出雲の歴史の事は一切分からないまま、待つのが厭だから次に向かうことにした。何しに来たんだろう。

出雲を出て国道を西へ西へ。ずっと海沿いだったのが山口県に入る辺りで山道に。日本の道の何割かはこういう道なんだろうなというような田舎っぽい道をダラダラ進む。しかし本州の西の果て下関に近づくにつれ、道が近代的になっていく。そして下関。多少悩んだが、下関観光はせず、一気に九州に上陸しようと決した。しかし、下道ルートの関門トンネルが工事中通行止めで行きたいのに行けないのでカーナビが混乱してしまい、下関市内に結局迷い込んでしまう。何とか高速の橋を渡るルートに辿り着き、壇ノ浦PAだったかSAで休憩。海の向こうに九州が見える。わくわくする気持ちと何故か言い知れない恐怖感が交錯する。何故恐いのかは分からない。

そんな思いを抱えたまま、橋を渡りすぐ高速を降りる。料金所でいかつい九州おっさんが値段を言ってくれたが聞き取れず聞き直したらキレ気味で「150円!(怒)」と言われたので一層萎縮した。九州こえー。九州こえー。と思ったりした。一体何がこの先待ち構えているんだろう・・・今のところいい事はほとんどない。

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