前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

December 2015

エキセントリックガール(インド旅行記ファイナル)

 インドの旅の中で様々な人との出会いがあった。誰もが自分にとって予想外をプレゼントしてくれた。もうお腹一杯というところだが、もう一人だけ覚えておきたい人がいたので、その人について最後に触れて、旅行の時間よりはるかに長くかかったしまったこの旅行記を締めくくりたい。

 シンさんとは空港の入り口でお別れし、搭乗手続きも大きなトラブルなく終わった。免税店ではインド人最後の逆襲とばかりに、日本円を両替してくれなかったり、買いたいお土産をレジに持っていくと違うものをごり押しで進められるなど最後までインドはインド。出発時間が大幅に遅れるという最後っ屁までお見舞いされた。

 何とか搭乗となり飛行機に乗り込むと、隣は若い女の子。小柄でひどく痩せている。細い腕の裏側に十字架のタトゥーが入っていて、入れたばかりなのかしきりに撫でていた。機内食の時に、食べ物について野菜が食べられないとかだったかCAにあれこれめんどくさい注文をしていた。ああ中々めんどくさい子だなと思ってみて見ぬふりをしていた。

 夜になってひと眠りした後、どういうタイミングだったか、旅行帰りですかか何か尋ねると、どうやらインドの学校に留学しているらしい。日本の大学に入学したが、周りと全く合わずなんのために学校に行っているのかわからなくなり、インドの学校に留学することにしたらしい。しかし、インドの学校にはもう一人日本人がいてその人は競争心やら嫉妬心が強いらしく、何かとつっかかってくるのが不満らしい。初対面の人の、全く生活圏も異なる日頃の不満をまさか聞くことになるとは思わなかった。おそらく、この子は世界のどこへいっても周りと協調することなくツッパリながら生きていくんだろうと思うと、あまのじゃくな自分としては是非応援したい気持ちになった。如才なく周りと適応しながら生きている人より、話していても面白い。不満が生きるエネルギー。彼女にどんな未来が待っているかは分からないが、最後の最後に面白い人がいたなと妙に印象に残っている。

 わずか10日間の旅だったが、いろいろな経験を積んで日本に降り立った時には何となく達観したかのような心持がした。きっと日常に戻れば薄れていくのだろうが少し静かに物事を見れるようになったといえば大げさか。インドへ行くと世界観が変わるというが、自分の人生においては今回の旅は一つの区切りになったような気がする。

デリー残日(インド旅行記16)

 インド最終日。待ちに待ったデリー自由行動の日といったところなのかもしれないが、これまでの濃い旅程の中でもうお腹一杯という気持ちが多少あって、前年に行ったバルセロナのように何でも見てやろうという気持ちも沸かず、ゆっくりいける範囲でいいので回ろうと思った。

 割とゆっくりの時間にバジャージ家を出て、インド門近くの博物館へ行きだらだらとよく分からない展示物を眺め、ニューデリーの中心部コンノートプレイスにある日本料理店でわけの分からない焼うどんを食べた。海外で日本料理店に入るのはもはや安定のコースとなっている。その後地下鉄に乗って、オールドデリーへ。チャンドニー・チョーク駅を降りて、人の流れに沿って歩くと例によってリキシャの客引き。「20ルピー」という若者の人力リキシャに乗ることにした。目的地は世界遺産のラールキラーだったのでそこに行ってくれというと、他にもいろいろいいとこがあるから回ってやるみたいなことを言ってきたので俺が行きたいのはそこでなくラールキラーだというとふて腐れつつも言うことを聞いて目的地まで送ってくれたのだが、降りる段になって「20ダラー」とか言い出してきたので、腹が立ってインドルピーを無理やり払って歩いていくと追いかけてくることはなかった。最後の最後で不愉快な出来事が起きてラールキラー見物どころではなかった。というよりそもそもこのラールキラーという建物自体に大きな興味が湧かなかった。この旅を通じて、というよりここ数年いろいろな所に回ってきて旅というものに関する自分自身の感性が変わってきているらしく、どこに行き、何を見るかというより、誰と出会い、どんな話をして、どんな出来事に出会えるかということの方に完全に関心が移っている。

 オールドデリーから最後にガイドブックにあった石鹸を売っている店に行きたくて本と携帯情報を頼りに行こうとしたが結局店が見つからずタイムアップ。夜の飛行機に乗る準備のためバジャージ家へ帰還。ルートとしてはニューデリーのバザールが並ぶ地区にも行ければ良かったが又来るだろうということで今回はお預けとなった。
 時間になると、シンさんが空港への送迎で迎えに来てくれた。シンさんとは一つ約束をしていて、またインドに来るときには、シンさんの家へ遊びに行くこと、シーク教の総本山があるアムリトサルの黄金寺院に行くことだ。ホストファミリーのバジャージさんとシンさんとはメールアドレスの交換をした。もう会えないかもしれないが何だかそんな気がしない。きっとまた会えるだろう。また、お世話になったお礼に持ってきた地球の歩き方と、日本円3000円をシンさんにプレゼントした。ルピーの方が喜ぶのかもしれないが、今度東京オリンピックに行ってみたいと言っていたので、成田空港から都内への電車切符ということで貰う相手にとってはめんどくさいプレゼントだったろう。
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エボリューション(インド旅行記15)

 ジャイプールからデリーへの帰還。この日でシンさんのガイドは終了となる。デリーの主要な史跡(赤いタージマハルのような建物と、石でできた巨大な塔)巡りはシンさんの徹頭徹尾淡々としたガイドで締めくくられた。自分にとってはおそらく人生一度きりの旅程だが、シンさんは毎日のように同じ場所を巡り、同じことを語り続けている。これは考えてみると大変な仕事だと思うのだが、この繰り返しの辛さともいうべきことについて、シンさんは自分で色々な工夫をする。例えば写真のポーズのアイデアの考案とか解説の工夫とかをすることで常に新鮮な気持ちで仕事に取り組むように心がけているという。自分にとって仕事は他者、社会からの要請による作業の繰り返しでもあり、湧き上がる徒労感、空虚感を騙し騙しやり過ごしながらやっている側面は否めない。だからこそシンさんの仕事に取り組む姿勢には少なからず学ぶべきものがあるように思えた。

 デリーの史跡観光を終えて、その日の宿泊地はインド到着日に泊めてもらったバジャージさんのお宅に再度ホームステイということになっていた。シンさんにバジャージさん宅まで送ってもらい、明日の夕方空港までの送迎に来てもらうことを確認して解散となった。

 インド到着日は毒を盛られているのではないかと思うくらい緊迫感がある宿泊地だったが、バラナシ、アグラ、ジャイプールを巡る旅程の中での様々な試練?で鍛えられたのか、この時は慣れた所に無事戻ってこれたという安心感があった。そして、到着日には一家の主人のバジャージさんとしか日本語で話すことができなかったが、奥さんや大学生の娘さんとも英語で何となくスムーズに会話ができるようになっていた。レベルとしてはまだまだではあるが変な度胸がついて、自分の英語力でも何とかなるという自信を知らぬ間に身に着けていたのが実感できて何だか嬉しかった。バラナシで購入した織物を一家にプレゼントすると奥さんもとても喜んでくれていた。添乗員を生業とするバジャージさんはともかくとして、一般のデリー市民にとって、インドの他地域も異世界なのだと感じさせられた。

 最初の日はゆっくり眠れなかったベッドでも疲れからかぐっすり休むことができた。インド最終日はデリーの自由行動ののち、夜の飛行機で帰国となる。

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