前科無き日常

気づけば開設9周年。。。

ふるさと迷走記

それから

 結局10日にも満たないスペイン旅行をダラダラと記録するのに1年もかかってしまった。それだけ1年におけるあの数日間は自分にとって密度の濃いものだったと言える。

 それからの1年、ごくごく薄味に毎日は過ぎた。今まで通りの宮仕えと、目標だった社会福祉士の気持ちばかりの試験勉強で粛々と時は流れた。浮いた話もなく、無関心、無感動の心地蔵に拍車はかかった。それでも何とか社会福祉士の試験には合格し、久しぶりの「勝利」に多少浮かれた。知識や人間性は変わらないのに資格一つで他人から持ち上げられるのには不思議な気持ちがした。

 今年の3月。取得した資格を生かして次の仕事場を探して就職活動もしたが敢え無く玉砕した。今までより大分給料もよく、今までやってきた仕事ともリンクする所だったので是非採用されたかったのでが、自分の弱さが面接に出てしまいものの見事にしくじってしまった。落ちた事そのものより、またやってしまったというのが本当に悔しい。日々の積み重ねで知らぬ間にできた悪い部分が表面化したように思えた。

 そんな感じでいい事も悪い事もあった紆余曲折の末、4月からは結局今までの職場で契約更新となった。就業時間と給料が資格のおかげで少し上がり、多少業務量は増えたが大きな役割の変化は無く淡々と毎日をまた過ごしている。3月の失敗を乗り越える、地蔵から解放される、新たな目標ややりたい事が見つかる、ここら辺が当面の関心事と言えるが、焦らず毎日を丁寧にしていければ少しでもましな方向に行けると決め込んでやっている。

踏破の志未だ已まず

 JAXA採用試験の現実逃避的空騒ぎからはや数か月。長い冬もいつの間にか終わり、桜散りもはや五月も下旬。気づけばまた年を一つ重ねもう32歳...堂々たる中年領域に達している。精神年齢は一向に実年齢水準に達することなく、気は張っているつもりでも、無意識に少しずつ動きも鈍くなり、疲れないよう疲れないようしている自分に恐怖を感じる。家でも部屋で生産性のないネットにかじりつきの毎日。こたつにノートパソコンの最凶コンビ。近くで丸くなっているネコが眠気を誘発し更なる堕落へ誘う。ネコの常在菌に感染すると男は非社交的、非活動的になる(女は逆に活動的、社交的になる)らしいという情報を見つけて、思い当たる節があり戦々恐々としている。菌が脳をコントロールするそうだ。とはいえ非社交的、非活動的なのは今に始まった事ではない。

 話変わって結局、昨年度に引き続き今の職場の臨時職員として4月からも雇ってもらえる事となった。もはや4年目で全く臨時でも何でもない状態で、これ以上居座り続ける訳にもいかないから今年度が最後となるだろう。方針としては、今年度で社会福祉士の資格をきっちり取る事、就労支援員という肩書に恥じぬよう、しっかりどこへ行っても話せるような実績をつくる事を仕事上の目的にしていきたい。そこに注力しつつ次の仕事探しに移行したい所存だ。

 そして、すっかり恒例となってしまったが臨時職員の規定上一年間のうち一ヶ月休まなければならない決まりがあるため、実はこの5月も丸々休みとなっている。大の大人が病気でも育児でもなく一ヶ月休む仕事なんてプロスポーツ選手かヨーロッパの金持ちくらいな気もするが、ド貧乏な自分が明らかに世間からは無職でプラプラしている人間を見るように怪訝な視線に晒されながら毎日過ごしている。五月の前半は先に述べた社会福祉士の通信教育のレポート締め切りがかかっていて1600字のレポートを8本もつくらなければならなかった。時間は十分にあったのだが、結局後回しになり、締め切りの約半月前にやっと取りかかり始め、締切日までほぼそればかり考えて、中々筆が進まず難渋したが、何とか間に合い苦しみから解放された。

 そして休みの後半戦。これからが本題だが、24日から海外旅行に行く事にした。スペインに9日間一人でツアーに参加する狂気の旅だ。行き先としてインドかスペインが良かったのだが、インドはビザの申請が必要で手続きがややこしく、旅行を本格的に思い立った日から出発日の間までに申請が滞りなくできるか心配だったため、もう一つの選択肢として日程も予算も合うスペインにした。本来であれば自分で飛行機も旅先の交通手段や宿泊先も決めていきたいのだが、海外の経験値がないに等しく、一人で行くのは初めての為情けないかなヒヨッてツアーに申し込んだ。ツアーはツアーで、もはや自分の行く所に付き物といってもいい人の輪に上手く溶け込めない状態という不安もあるが、そこについてはなるようにしかならないから極力先案じしないよう自分に言い聞かせている。今回の旅行の位置づけ(レジャーに位置付けがあるのもおかしな話だが)は海外旅行の経験値を上げることといってもよく、とにかく手段を問わず海外に行くことに重きを置いた。

 自分の人生の主要なテーマの一つは世界中のいろんな場所を踏破することで、ベタな入りかもしれないが中学生くらいにテレビの電波少年や沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで以来抱き続けている。できれば、もう5〜10年早くから動けていれば良かったのだが、のっぴきならない諸事情や、自分の経済力不足、決断力不足などもあり実現できていなかった。とはいえもはや30歳を過ぎ始めるには遅すぎるかもしれないが、始める事なしにこれ以上ダラダラと年を取り死んでいく訳にもいかない。この休みのタイミングを逃せば厳しくなる一方だとやっとこさ決断し、行動した。今の所とくに躓きもなく準備できている。

 便利になった今の時代、他の人からすれば海外行くなんて容易い事だし重くとらえる程の事でもない。ガキでも行ける。でも自分にとっては難しく、重要なテーマだ。できること、行ける所から少しずつ進めて、次は自分で計画と段取りをする、その次は複数の国を周遊、最終的には世界一周と、自分の実生活と調和を図りながら旅のスケールを大きくしていければと考えている。日本ですらしどろもどろなのに、言葉を始め何もかも分からず右往左往するにちがいない。でもそれを味わいに行くのだ。そして、帰ってきたら例によって需要もない右往左往の顛末をこのブログに挙げていく事になるだろう。

ネジのゆるみ(アポロ31号)

 JAXAからの留守電の内容は、書類選考の発表日時についての案内及び書類選考の結果をメールで知らせたいのだがエラーでメールが送れないため、空メールを送ってほしいという内容だった。留守番電話の短い時間の中でで伝えたい内容が漏れなく無駄なく表現されており、さすがと思わされた。しかし、この出来事は結果としてあまりいい事ではなかった。

 数日後改めてメールが来て、残念ながら選考は不合格だった。色々とタイミングが合ったから流れに乗って上手い事いくかなと思ったが、まあそんなに甘くはなかった。思い返せば、応募書類についてもレベルが低いものだったし、何よりメールでエラーの出るような書き方ではいいはずがない。

 多少のネタばれを容赦してもらいたいが、「宇宙兄弟」で主人公がJAXAの宇宙飛行士試験の面接を受けた際、面接で座ったイスのネジのゆるみが気になるというシーンがあり、このゆるみに気づくかどうかが選考のポイントとなったというくだりを思い出した。宇宙開発は確かに夢がある。一方で少しのミスが大きな事故をもたらす為、シビアさも同時に求められる。おそらく、メールアドレス一つとっても緊張感を持ってミスを出さないようにしなければならなかったのだ。不合格の理由は実際は聞いていないので分からない。そもそもの採用基準に満たなかったのかもしれないが、自分としてはささいなミスを出してしまう「ネジのゆるみ」を一番反省しなければならないと感じた。今に始まった事ではなく、昔からそそっかしい所があり今でも細かいミスがよくあるが、腹を据えて改善する必要を感じた。結果的にこの度のJAXA騒動は例によってのから騒ぎに終わったが、新しい世界に触れたり、今の自分の課題を見つめなおすいい機会となった。仕事やその他大事な事、もっと正確さや丁寧さを高めたいと真剣に思った。

 この度の教訓をもとに新たな決意を持って気持ちも新たに仕事に臨んだのだが、今週はいつも以上につまらないミスを連発してしまい、中々うまくいかないものだと思い疲れた。でもまあ決意だけで変われたら今頃超人だし、そもそもいつも決意ばかりしてるので決意のありがたみがもはやない。決意のインフレ状態。今回の別の教訓。もし神様がいるとしても、神様は自分には何の容赦もない。世の中にはふわーっとなんとなく上手くいく人がいるが、やっぱり自分はそうではない。ゲーム的にいえば自分の人生は難易度が高い。運に期待せず地道にやるよりないのだろう(これも決意だ・・・)。

 

LIFTOFF!(アポロ31号◆

 JAXAのHPで真っ先に確認したのは「JAXAで働きたい人向け」というリンクだった。本来であれば何の知識もない一見さんであれば、概要やら事業やらを見るのが筋なのだろうが、すっ飛ばした。すると事務支援職員が現在募集中となっている。どうやら任期のある非常勤の事務補助職員の募集らしい。

応募の要件としては
(1)短大・専門学校卒業以上の学歴又は同等の専門知識・技能を有すること
(2)実務経験:企業等における社会人経験が3年程度以上あること
(3)事務・管理等に関連する業務経験があることが望ましい。
(4)スキル:Windowsによるワード、エクセル等による文書作成ができること。
とあり、要件はすべてクリアしている。そして給料は今より良く勤務時間も9:30〜16:15までで今より短い。
新潟に事業所などないので当然東京に引っ越さなければならないが、直感が動機を追い越した。
宇宙なんて全く畑違いもいい所だが、何も知らないからこそ面白そうという好奇心が働いた。今回の案件は、曇天に覆われた新潟の退屈な日常を突き抜け、新たなステージへと向かう「アポロ計画」そのものだ。応募締め切りが迫っていたので、速攻で応募書類を作成し、誰にも相談もなく後先考えず書類を郵送してしまった。選考は書類選考を通過したら、東京で面接がある。

 応募書類を送った後は、少し冷静になって色々考えた。今の職場や家族にどう説明すればいいのかをあれこれ考えた。職場にも家族にも社会福祉士の資格をとるというスタンスでいるから、急に宇宙開発関係の仕事につくなんて言ったら狂気の沙汰と思われかねない。しかも過去の自分の言動から一切予想はつくまい。一週間前は自分ですら宇宙の「う」の字もなかったのだから、若くもないし、多分もめるんだろうと覚悟した。もし書類選考が通ったらその時点で話す事にした。それに加えそんな最先端な職場に田舎の役所でちんたら下っ端やってる人間が果たして通用するんだろうかというのが不安にもなってきた。でも、やっぱり新しい生活がどうなるのかとか、どういう人と仕事するのかとか、JAXAで働くことで自分がどういう感じになっていくのかとかを考えるとやっぱりワクワクした。四六時中そのことばっかり考えて「上の空」だった。宇宙だけに。そして、しばらくのあいだベタに脳内BGMとしてこれが流れ続けていた。




 そんな感じでこれから起きるかもしれない事に対する期待感、高揚感と、これから周囲の人と起きるであろう衝突への緊張感の狭間で書類選考の結果を待つ事となった。そんなある日、携帯に一件の留守番電話が入っていた。JAXAからだった。(まだまだ続く)

アポロ31号

アポロ計画をご存じだろうか?

 「冷戦下の米ソ宇宙開発競争のさなかの1961年、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1960年代中に人間を月に到着させるとの声明を発表した。1969年7月20日、宇宙飛行士ニール・アームストロングおよびバズ・オルドリンがアポロ11号で月面に着陸したことにより、その公約は実現される。アポロ計画ではその後5回の月面着陸が行われ、1972年にすべての月飛行計画は終了した」(Wikipediaより抜粋)
 
 
 

 今からおよそ50年前、人類は月面着陸を志し、10年のうちにその大いなる一歩を記す事となった。月面着陸はウソだったという説もあるが、ここでは深く言及はしないでおこう。

 2013年1月初旬、俺はモヤモヤさま〜ず2を見た。大江アナっていいなあと思い、得意のWikipediaで彼女の人となりを調べたら宇宙が好きとの記述があった。宇宙には全然興味がない。移り気で幼少時代から色々な職業に憧れた俺でも、人気職業である宇宙飛行士になりたいと思った事はただの一度もなかった。ちなみに小学校の卒業文集に書いた自分の将来の夢は)念彎Ν∨匸譴覇くE畸談蠅世辰拭B進何の脈略もなく不誠実かつ無節操に夢を複数挙げたのは学年で俺だけだった記憶がある。その後遺症で今でも夢が多すぎて未だに何になりたいのか定まっていないし何物にもなりえていない。ちなみに幼稚園の時は将来ウルトラマンタロウになりたく、中学の時は世の中にある職業を上げる質問を先生に問われ「世捨て人」と答えたら、授業の後ふざけてるんじゃねえと自衛官上がりの先生に出席簿で頭を殴られた。今はやりの体罰だが、殴られたくらいで人の性根は変わらない。先生最初笑ってたじゃんと不信が逆に募った。話は戻るが大江アナ、何で宇宙になんて興味があるんだろうと訝しんだ。

 2013年1月中旬、ツタヤ水原店で俺は、宇宙兄弟のコミックスをレンタルした。売れていたのは知っていたが、宇宙に興味がなかったのでスルーしていたが、このところの自分の頭の中にある宇宙に関するモヤモヤした感じが宇宙兄弟を手に取らせた。ストーリーも面白いし、所々のネーム(台詞)もカッコいい。そして何より30歳を過ぎてから弟と子供のころに誓った宇宙飛行士という夢を目指す主人公ムッタに、自分の年齢も近いことから親近感を感じ、結果として激はまりした。そして、ムッタが宇宙飛行士となるために応募したJAXA(宇宙航空研究開発機構)は実在の機関であり、PCでホームページへ飛んでみた。

 ここから唐突に、俺のアポロ計画は始まった。(つづく)

青い携帯電話の話

初めてスマホに買い替えた。

料金が高いと思っていたが、今までの料金とさして変わりないのが判明したため、素早く決断した。

家に帰ってからというもの、ずっと慣れない操作で買ってきたスマホを夢中でいじっていた。

一息ついて、部屋の机を見ると、ほんのさっきまで使っていた先代の携帯が置いてある。

さっきまで使っていたその携帯は、通話の機能を抜かれ電波は圏外となっていた。

随分と長い付き合いだった。

思い出してみると先代の携帯は2006年の初めから使っていた。もはや2012年も終わりなのでおよそ7年間使っていた事になる。青い塗装ははボロボロに禿げて傷だらけだ。

多分、擬人化すればこの肌身離さず持ち歩いた携帯は、自分の社会に出てからの大部分である7年間を一番身近に見てきた存在だ。

この電話で、友達とかとの楽しい話、仕事の場でのシビアで嫌な話を山ほどした。沢山のメールで時に事務的に、時に軽快に、時に生々しく多くの人と交信を行ってきた。

この電話は自分の7年間のほとんど全てを知っている。まだ、中には自分の撮った写メや、ダウンロードした着メロ、送受信したメールの数々がまさに生きた記録として残っている。

楽しい事も辛いことも沢山あったが、この青い携帯と歩んだ歳月は、トータルでいえばいい7年間だった。

待ち受けに映る圏外の文字を見た時、その役目を終え、過去の物になってしまったという事に今更ながら気づかされた。形は残っているが、魂は抜けている。

携帯が代替わりする事で、この7年が完全に過去となったような気がした。

色々な事を思い出してもの凄く寂しい気持ちと、何だか、裏切ったような気持ちが混ぜこぜになって申し訳なくて泣きそうになった。人との別れはいつも悲しいが、慣れ親しんだ物との別れもやっぱり悲しかった。

言わなければならない。長い間、ありがとう。今度は新しいスマホとともに、これまで以上に楽しく、熱く生きていきます。

焦燥の嵐

月日が過ぎるのは早いものでもう4月。先日吹き荒れた春の嵐同様に自分の身の回りにも久々に嵐が巻き起こっている。

前々回位の記事で今の職場を離れる時期が近付いているという風に書いた。臨時職員の決まりで一年のうち一ヶ月は仕事を休まなければならないため来月(5月)は丸々休みとなるが、また6月からもうしばらく今の職場で残留することになりそうだ。

興味がある業種も2、3あったので結構悩んだのだが、社会福祉士の資格を取るための専門学校の通信課程を受講することにしたため、今の福祉全般に関わる生活保護の現場でいる方が資格取得のためにはプラスになると考えた事が理由の一つ。もう一つは職場で2年間お世話になり直属の上司ともいえる人が4月から異動となった事も大きい。とても信頼できる人で、フォローを受けつつ色々と仕事を任せてもらっていた。その人のおかげで今の仕事に対する多少の自信ややりがいもできたまさに恩人なのだが、悪く言えば頼っていた部分も大きかった。だからこそ、進歩するために人を頼りにしづらい環境でもう少し頑張ってみようと思った。臨時職員という立場は社会的に見ても安定的ではないし給料もいいわけではなく昇給も昇進もない。年齢だってけして若いわけではないから今の環境に留まる事に対する不安もある。やっている仕事はそれ程変わらないのに正職員との見えない「壁」を感じて、誰が悪いという訳でもないがやり場のない憤りに駆られる時もある。こういう思いは自分がその立場に立ってみないと分からない。でもあえて環境を変えず、ここ2年の経験を活かした上で確実に力をつける事を最優先した。この判断が吉と出るか凶と出るかはこれからの過ごし方次第。

という訳で新年度となりまた同じ職場で4月を迎えた。異動で先述した恩人も別部署となり、入れ替わりで新しい人が自分の部署に入ってきた。資格(社会福祉士)を取るため、仕事のレベルを一つ上げ、表層的に事務を片付けるのではなく、しっかり一つ一つ理解を深めながら取り組もうという思いと、新しい人も分からない事が多いだろうから自分がされてきたようにできる限りのフォローをしたいという思いを持って新年度に臨んだ。一方でこういった気持は裏を返すと、頼りにしていた人がいない不安とか虚しさ、このままでは駄目だという危機感とか焦りの表れでもあった。4月に入って以降、それをかき消すためにがむしゃらにやりすぎてそれがかえって裏目になってしまい、ここ数日空回り状態になっている。

今週はこういう状態で終始イライラ悶々していたのだが、さらに追い打ちをかける出来事が起きる。木曜日。両親の留守中に祖母が倒れ、たまたま家に寄った親戚が見つけて大慌てで連絡が入る。両親は携帯を持っていないため自分のところに電話が来たのだが、すぐに家に帰り救急車に同乗して病院に向かう。命に別条はなかったが軽度の脳出血を起こしていたらしい。しばらく祖母は入院する事となった。今までは家族がみんな病気も無く過ごしていたが、今回の一件で家族内の生活バランスも変わってくるだろうし、自分の役割の変更も余儀なくされてくるだろう。4月になってから焦りや不安の要素が立て続けに増えているが、そういう時こそ現実にしっかり適応して乗り越えていきたい。

歳月不待人

更新しよう更新しようと思いながら早4ヶ月。3分の1年が経過してしまった。日に日に自分に関する色々が気づかぬうちに衰えていく。
もはや長年の付き合いとなっているこのブログが更新できなかった理由は多分2つある。
いつもこのブログではちょっと変わった事があったり、嫌な事がある度に更新してきたような気がするが、更新が滞っていたのはそういう事があまりなく、良く言えば無難、悪く言えば停滞した毎日を送っていて書くようなことが余りなかった事が原因の一つと思われる。

そしてもう一つ。以前は沢山書いていた仕事についてのことだが、コンスタントに珍事件、珍イベント的な面白いことがあっても、生活保護という個人のプライバシーを鷲掴みにするような業務内容の為、軽いノリでこのような全世界に開けた媒体で公表できないということもある。だから必然的にブログの更新頻度が減っている。ただ、今の仕事は本当に勉強になっているし、やりがいもあるから嫌いではない。

需要の少ないこのブログの必要のない更新停滞の言い訳に無駄な字数を費やした。

話題を改めてこのブログ停滞の間にあった主だった出来事は

仝務員試験、教員試験に立て続けに落ち続ける。
同時並行的に遅ればせながらモンハン3ポータブルにはまる。
新潟に来たAKB48(チームB)のコンサートに行くが敗北感を味わう。
さ戮澆鬚箸辰徳綾蚕蠅瞭慍譴僕靴咾帽圓海Δ箸垢襪、台風の影響で道路が通行止めになり足止めを食らう。

といった所。この4つだけ。心が揺れ動いたことといえば。

,砲弔い討話偲に努力不足、低能によるもの以外の理由なし。
△砲弔い討呂呂泙襪箸い辰討盒力プレイとかそういうのはなく、黙々とCPUのネコの子分だけ連れてやっている。
についてはいい年こいて8月に連れと一緒に行ったのだが、ケチってサイリウム(コンサートとかでよく見る光る棒)を買わず丸腰で行ったら、手持無沙汰でどうして良いかわからず、結果直立不動。さらに大半の曲が分からず余計に直立不動という不覚を味わってしまった。周りの人々の盛り上がり方は半端なく、自分は武器無しで戦場に放り込まれた兵士のよう。その惨状に自分の悪い癖である「斜に構えた苦笑い」が出てしまった。今思えばもっとなりふり構わなければ良かった。このせいで人生の30%、いやそれ以上楽しい出来事を逃しているような気がする。本当に悪い癖。踊る阿呆と見る阿呆とでは、踊る阿呆の方が笑顔で死ねるはず。これからのテーマだ。
い砲弔い討老覿蒜颪蠅けで敦賀に到着し、久しぶりに好条件でのサーフィンを楽しんだ。前の職場の仲間たちも元気そうで、彼らは結婚したり子供ができたりといった経験を経て人間的に成長している気がした。自分も頑張らないなと思い、いい刺激になった。
 銑ぐ奮阿六蠅辰栃針沺7茲泙辰浸間に仕事して、決まった時間にネット見てテレビ見て寝て次の日も同じ感じの繰り返し。これではよくない。

これから始まる下半期。時間を大切に、停滞せず進歩していきたいものだ。折角長く続いているのだから、このブログも需要に関係なく更新をコンスタントにしていきたい。

なんて灰色な近況報告だろう

大震災から約一月。何かしなければという焦りとは裏腹に、職場でも別段何も特別な業務を任されることもなく、いつも通りの事をいつも以上にやろうとしてかえって空回りしたのと、心ばかりの募金位しかできることはなかった。余りに訳がわかんなくなって、首相官邸やテレビ局に特に原発関係で状況が悪くても絶対嘘をつくなと釘を刺すメールを送ったりもしたが、結局独りよがりで何かをして安心したいという自己慰安にすぎない。どうしようもない無力、行動力不足を改めて痛感するばかり。いつも通りが許されている人には、いつも通りをちゃんとやっていくよりないと言い訳しながら、嵐のように3月は過ぎて行った。

年度も改まり4月。今は職を解かれ何の動揺もなく再びニートの身に落ち着いている。わが市の役所は臨時職員は何の理由か知らないが、連続で1年以上の勤続ができないため、それでも続けて働く場合には名目上1か月間解雇されて、再び翌月任用される。辞めて別の職場を探すという選択肢は当然あったが、適当な別の仕事があるわけでもなく、かといって収入が途切れるのも嫌なので、今年も同じ所で働きながら本格的な進路を模索することにした。よって4月は一次的な無職者となっているが、実質は春休みのような状態。

1ヵ月も休みがあれば何ができるだろうとウキウキしそうなものだが、来年以降の進路確定の為、当面は公務員系の受験勉強を黙々進めるはずだったが、どうも根が不精ではかどらない。気分を一新して見聞を広げるべく旅行なんぞも考えたが、地震の後はそんなことを考える気持ちもわかない。職場を離れている間の引き継ぎ事項もバタバタで不十分であり呼び出される事も考えられるため尚更遠出もしづらい。結果パソコン(主に動画と将棋ゲーム)、飯、睡眠の繰り返しに近い電脳的家畜生活を送っている。もはや人として下の下。人外。このままではいけないので、何か少しでも自分の糧になるようなことが残りの休み期間でできればと考える。

ちなみに5月から再開される仕事は、旧年度と同じく市役所の生活保護の仕事で、今までは事務仕事の手伝いと、業務のITシステム化移行の仕事が主だったが、新年度は「就労支援員」という肩書で職のない生活保護の人々が仕事につけるように職安に連れていく仕事も任されるらしい。根本的に自分が職安に行って仕事を探さなければならないような境遇の人間が、自分の事をさておいて他人を職安に連れて行って仕事探しをさせるというへんてこな状況となる。しかし、一筋縄ではいかない人たちと深く向き合う今度の仕事がちゃんとこなせれば、自分の糧になるだろうし、今後数年間の課題である生涯の仕事を見つける上での指針となる気がするので結構わくわくもしている。下を向いていても過去の向こう傷を思い患っていても仕方がないので、ワイルドに前へ前へと進みたい。そして、長年冬の日本海ばりにモノクロな事ばかり綴っていて閲覧者の過疎化が進む当ブログにも、光が差し込むようなカラフルな内容が増えればいいと思う。目指せ印象派ブログ。

緊急事態発生

昨日の午後から急転直下の事態!職場が大きく揺れ慌てて外に出る。自分の職場である市役所は災害対策の緊急本部であり、慌ただしく緊急体制が敷かれ、援護者の安否確認が行われ始める。その他職員は指示があるまで庁舎待機ということだったが、あくまで自分は臨時職員。定時になっても残るつもりだったが帰宅を促される・・・何もできない自分に苛立つ。

自宅は無事で安堵したが、テレビで被害の状況を改めて確認。想像をはるかに上回る事態となっていることに愕然とする。津波が怪物のように町を車を大地を呑み込む。アニメや映画しか見たことのない画が現実となっている・・・寒気がする。しかし心のどこかで自分のところでなくて本当によかったという他人事の気持ちが自分の中にあることに気づき、それが嫌になる。仕事場からもなんだかんだ帰ってきたことといい、結局ことごとく利己的、ことごとく無力な自分。

情報が流れ続けているが、あまりに広大で甚大な被害の全貌がまったく掴めない。局所局所の被害状況が断続的に流れるが、まだまだ伝えられていない被害が沢山あるような気がしてかえって不安になる。

そして今日の夕方、被害が他人事ではないことを予感する。福島の原発の炉心融解の可能性が出てきた。新潟県は福島の隣県であり、風向きによっては放射能もれの被害が予測される事態となる。完全に目の前にある日本災害史上最大級の危機である。しかし、それでも日常的な感覚と現実で起きていることのギャップが大きすぎて凄く変な感じでうまく対応できていない。

冷静に考える。人工の構築物、人工のシステムを悉く破壊する自然の脅威に対して余りにも無力な自分が今できることは何だろうか。とにもかくにも生き延びることが第一。死んでしまえば誰も助けることはできない。生きる為に必要な事を適切に行う必要がある。第二に自分のできる限りにおいて被害の大きな地域、人に対して支援を行う。正規の職員ではないが幸いにも今の職場は部署こそ違うが災害対策の指揮の責任を負っており、やれることは限られているかもしれないが、まずは自分の立場でできる限りの事をできればと思う。そして最後に祈ること。祈るとか趣味ではないのだが、被災地域に住んでいるであろう友人知人もいる。彼らの無事、その他多くの人たちの無事、拡大する被害のいち早い終息。こればかりは祈るよりしょうがない。

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