連日雨続きでしたが、4月の26日、27日は、恒例の、どっぷり羊毛手仕事講座を開催しました。
講座第一日目は幸いにも晴れでした。
この日は、最年長のメス羊モコちゃんの毛刈りと刈った毛を洗いました。モコちゃんはすっきりヤギさんのようにスマートになりました。
今年の毛は、今までで一番細くてやわらかくふかふかでした。
歳とったからかなあ(7歳)。
講座第二日目は、まず、刈ったモコちゃんの毛を梳いたり、アナンダさん直伝のレインボー染めにしました。
続いて、それを使って、フェルトマットを作ったり、糸を紡いだり、織ったりしました。
2010年04月
それを1週間前から水に浸け、取り出しました。
ぽちぽち少し発芽しかかっています。
(軸の長いものは芽ではなく、種籾に最初からついていた茎です。)
植物の種にはじめて水を与えてから発芽するまでの時間は、積算温度が目安となります。積算温度とは、毎日の平均気温×日数であらわされる数値です。
この数値が植物の種類ごとに決まっているんでしょう。
お米の場合、積算温度がだいたい100度になると発芽するとされています。で、我が家では実際にそうだったわけです。
この一週間、毎日の平均気温が14度くらいでしたから、14×7日=積算温度98度です。だいたい100度となっていて理論値と同じです。面白いというか不思議ですね。
このようにして発芽しかかった種籾、田んぼ2反5畝(2500㎡、25アール)分を、今日はこのように苗箱に蒔く作業をしました。
苗箱とは、写真のような平べったいケースです。
ここに種籾を成長させ、田植えの苗をたくさん生やすための箱です。
この苗箱を、今年は60箱(普通の米48箱で2反分、もち米12箱で5畝分)用意しました。
苗箱になえソイルという商品名の栄養価の高い、濃いこげ茶色の人工土壌を、空の苗箱の底に敷きます。
その上に写真のように、木の枠を置いて外にこぼれないように、さらさら均一に種籾を350ccくらいずつ蒔きます。
そして、蒔いた種の上に、なえソイルをまたぱらぱらと敷いて種籾を隠します。
それから、苗箱を写真のような専用の棚に入れていきます。
全体をビニールシートで覆って、下の電熱器で内部を一定温度・高湿度で暖める仕組みです。
味噌のこうじ作りにも使えます。
藍のすくも作りにもいけますかねえ。
稲は熱帯性の植物ですから、発芽してから苗として力強く成長するまで大体25度以上35度以下が最適とされています。
この装置はその状態を人工的に作り出して、この寒い異常な年でもしっかりした稲の苗を育てることを可能にしてくれます。
ところで、40年くらい昔は、水を張った水田に直接ぱらぱら種籾を蒔いて、水温の積算温度が100度になると発芽して、いつになるかわからないけれど、夏になるころ苗になっていきました。背の高い苗、細い苗、いろんな苗ができていました。
田植えは本来、村の共同体による共同体のための共同の作業で、しかも手植えだったので、このことはなんら問題はありませんでした。
余談ですが、もともと穀物を作るということは、個別の家族では到底無理で、組織立った共同体でこそ可能でした。ですから洋の東西を問わず、穀物生産のプロセス自体が、大勢の人々の間に連帯を創出して、はては国家を形成していく原動力となったわけです。
しかし、米作りは、近年になって、個々の農家による個々の農家の作業となりました。また、農事に関わる人が極端に減少しました。
そうなると、以前の方法では、
①発芽してから苗になるまでの時間が長くかかり、苗の出来具合が自然の天候に翻弄される、
②苗になる時期を予測することが難しいために作業日程をあらかじめ計画することが困難、
③苗の背丈、太さが均一にならないので、田植え機など、個人農業に欠かせない機械化にとって不適切、
・・・・・などということが強烈なマイナスとして意識されるようになってきました。
で、今では、ほとんどの場合、このような苗箱と温度管理の知識と技術を使って見事に均一化した苗を短期間で効率よく育て、田植え機を決まった日にうまく動かせるようにするわけです。農業の工業化ですね。
僕の家でも、昔のように近所の人々が大勢繰り出してきて田植えを手伝ってくれるわけではありませんから、田植え機を使用します。
さらに、年度始めに田植えの日程をきちっと決めることができ、田植え機で手早く田植えをして時間的余裕を生み出せるからこそ、親子自然体験教室の田植えイベントで、みんなで手植えをすることがいかに本来的で楽しいかを味わうひとときが成立します。
う~ん。大きな矛盾をかかえているなあ。
できるだけ速やかに、巣箱上下満遍なく働き蜂を拡散させて働かせないといけません。
で、今日は、下の箱の中の10枚の巣礎のうち5枚と、継ぎ箱の中の巣礎の5枚を入れ替えました。
下の巣箱の巣枠は、一枚一枚いっぱいに蜜蜂が取り付いておのおの割り振られた仕事を整然としています。
巣穴の掃除、幼虫の世話、蜜や花粉を受け取って巣穴に詰める仕事、蜜の水分を飛ばして凝縮するために羽でぶんぶん風を扇ぐ仕事、それから、産卵を続ける女王蜂をガードする仕事です。
この作業の第一段階は、下の段の巣箱を開けて、10枚の巣枠を一枚一枚取り出して、歩き回って卵を空き巣穴に産んでいるはずの女王蜂を探し出すことです。
その中から、聞き耳を立てて、「びーーーぴ、ぴ」という女王蜂のかすかな産卵の歌声を聞き取るようにしながら、一枚一枚、裏表を見ながら女王蜂を探します。春のこの歌声にはいつも感動します。
一般に、巣箱の中身を開けるときは、必ず、女王蜂の生存を確認しなければなりません。一群れの蜂たちの卵を産むのはたった一匹の女王です。そして、働き蜂の寿命はだいたい一月です。ですから、女王がいないとその蜜蜂の群れは一月くらいで死滅してしまうことになります。
ちなみに、女王の不在が確認されると、その群れを存続させるためには、ただちに業者から新女王蜂を一匹購入することになります。新女王蜂を小さな檻に入れて巣箱に入れ、1週間かけて群れとお見合いをさせることで、新女王を群れ全体が承認するようにさせることが可能です。
歌が聞こえてきたのでその方向を探してついに発見。わかりますか?
彼女です。
これで、継ぎ箱に移し替えてはならない巣枠を特定でき、女王を継ぎ箱の方に移さないですみます。なぜ女王を継ぎ箱に入れちゃいけないかというと、蜜貯蔵専用の巣穴に卵を産み付けられてしまうからです。
あとは、残りの巣枠9枚のうちどれでもいいから5枚を抜いて、継ぎ箱の5枚の巣枠と差し替えました。
そして、下の箱も継ぎ箱も、空の巣枠と蜂がいっぱいの巣枠が交互になるようにしたので、すべての働き蜂たちは、目の前にまったく未完の作業課題を突きつけられたことになりました。
今日は、まだ少し寒かったですが、ひさびさのお日様が明るく輝いていました。
蜂の箱に2段目を取り付ける作業には、最近に無い絶好の日和でした。
この、継ぎ箱を取り付ける作業は、時期的には今どうしてもしないといけないことです。
これからますますいろんな春の花が盛んに咲き乱れます。
蜂が集める花粉や蜜が、巣箱の中にますます貯まっていきます。
女王蜂が一日最大1000個の働き蜂の卵を産みつけるようになります。
現在、蜂は一箱につき3万匹あまりですが、6万匹近くに増加していきます。
貯める蜜も、産まれる蜂もこのままではあふれあぶれてしまいます。
・・・・・・という状況に対応するため、蜂たちの生活スペースを一挙に増やすのが、継ぎ箱設置の第一の目的です。
用意したものは、継ぎ箱(底が無い)と、隔王板(かくおうばん:ステンレス格子がついてる)。
まず、バーナーで継ぎ箱と隔王板をまんべんなくあぶって、殺菌・殺虫します。
この継ぎ箱は自作で、1センチ前後ほど形がゆがんでますが、写真じゃわかりませんね。片側に巣礎を入れにくいです。
隔王板は、女王が下から上にいくのを阻止するための道具です。
もとからあった下の巣箱と継ぎ箱との間に置きます。
働き蜂は余裕で通りぬけることができる格子の幅です。
つまり、隔王板で女王が継ぎ箱に行くのをさえぎることで、
下の巣箱を働き蜂の孵化用専門にして、
継ぎ箱を蜂蜜貯蔵庫オンリーにするのです。
人工的に。
隔王板がないと大変めんどうなことになります。
6月の蜂蜜搾りのときは、巣礎(すそ:板状にした蜂の巣)を一枚一枚遠心分離機にかけます。
そのとき、巣礎の6角形の穴の中に、蜂蜜だけでなく、蜜蜂の幼虫やさなぎまで混在していると、搾った蜂蜜は白濁し、蜂の子だらけのどろどろのものが出てきます。
栄養的には、こっちの方がいいですがね。
いずれにせよ、継ぎ箱を設置する第2の目的は、蜂蜜を採集しやすくするため、です。
継ぎ箱に入れる巣礎は一箱10枚です。
その半分は、去年貯蔵しておいたものが、ショック、完全に蛾の幼虫に食い荒らされていましたから、今年は業者から購入しました。
天然抗菌物質であるプロポリスで真っ黒ですね。
もう半分は、蜂に作らせることにしました。
働き蜂に巣礎を作らせるためには、人間が少し手伝わないといけません。
蜂の巣のハニカム構造の土台となる蜜蝋板(みつろういた)を、巣枠(すわく)に取り付けます。
専用の台の上で、専用の半田ごてで少しずつ蜜蝋板を溶かしながら巣枠の針金を埋没接着させて作ります。
継ぎ箱に、完成巣礎、自作巣礎を交互に入れて完了。
あとは取り付けです。
スモーカーです。
巣箱を開けたりすると蜂が怒ります。
作業前に、蜂の怒りを煙に巻くための道具です。
隔王板を乗せ、そして、その上に継ぎ箱を置いて作業終了です。
しばらく、蜂たちが乱舞する様にぼおっと見とれてました。
うっかり、優しさの権化のようなIさんのピアノコンサートを忘れるところでした。
あわてて着替えをして、車を飛ばして14キロ離れた呉の中心街の会場に駆けつけましたが見事に遅刻!!
演奏の前半は、小学校時代の、廊下にたっとれ!、を思い出しました。
ドヴォルザークのスラブ舞曲46全曲連弾で、来てよかったなあ。
ものすごくいろいろと勉強になりました。
Iさんの高校時代の恩師の方がいらっしゃってて、この人がとにかくすごい人でした!!! 知り合えて感謝です。
なんというか、生き辛い世の中との戦いを前に、沁み通るような慰めと励ましをそばにいるだけで味わえるような、というか、とにかく、いろんな人にだれかれ無しに引き合わせたい人がまた一人増えました。
で、お二人と一緒に写真をいただきました。
僕の母が担当しています。
和菓子というものは、なにか敷居の高いもので、一流お菓子屋さんのお店で長年熟練した職人技によって作られる高価なものだ、とばかり僕は思っておりました。
確かにそういう面もあります。
作り方ですが、たしかにこれがちょっと簡単にはいきません。
レシピを見て作ろうとしたところで、和菓子作りの色んな局面で、力の入れ加減、タイミングの取り方、目の配り手配りなど、それぞれ色んな技法があって、それぞれ独特で、実際誰か熟達した人に導いてもらわないと、和菓子を作ることはほぼ不可能みたいです。
ですが、僕が驚いたのは、まず、材料は、主として身近に採れるものだということです。
小麦、牛乳、バターを主体とするお菓子とは異なって、ヘルシーにも、小豆、白インゲン豆、米粉!!
それに加えて四季折々に収穫される野菜の数々。
使用する砂糖はさすがに身近な地域には存在しませんが、米作りをしている農家であれば和菓子材料の自給はいたって簡単です。
次に僕が驚いたことは、和菓子は、古くから一般庶民が自ら作り、日本の四季をかわいらしく彩り豊かに味わい親しむものだったということです。
知らなかったです。
和菓子づくりは、お菓子を使ったスワデーシかもしれないです。
最後にうちの母のメッセージをご紹介します。
lllllllllllllllllllllll
おかげさまで去年はこの教室でたくさんの方々とお会いできて大変嬉しく思っております。4月からまた和菓子を皆様と楽しみながら郷土の四季を心行くまで味わっていきたいと思いますので、どうぞお気軽にお越しください。
百花の先駆けとして春の到来を告げ知らせてくれる雪中梅、春を彩る桜などなど、あでやかな豊かな自然を愛でて表現する日本の伝統文化をご家庭に持ち帰って楽しんでくださいね。
日時と場所:月1回、第四火曜日午前10時から正午まで、山小屋アトリエにて。
受講料:毎回2,000円(材料費、光熱費込み)
たんなる一回限りのイベント体験ではなく、自分が蒔いたり植えたりして、見守りつつ育てつつ、ついに実ったものを収穫し、自分で加工して表現したり味わったり分け合ったりするリアリティーのある豊かさを、是非、子どもたちとお父さん、お母さんに味わっていただきたい、という願いからはじめて、今年で3年目になりました。
いや今日はほんとに久々の快晴でした。
ちょっと肌寒い風が吹いていましたが、すがすがしかったなあ。
今日の親子自然体験教室には、子どもたち19名、保護者の方々16名が参加してくださいました。
午前中は、農園の様子を一渡りみなさんに紹介、説明して、かしこいカラスの眼を警戒しながら、藍の種、さとうきびの苗、落花生の種、それからさつま芋の種芋を、苗床にみんなで蒔きました。
みんなが今日蒔いた種が、これからどうなっていくか、ほんとうに楽しみだよ~。
昼前に、山小屋の方に移動して、羊さんたちの様子を見学して、それから、いっしょにお弁当を食べました。
昼食後、みんなで山を登って散歩して、池のそばの森林で楽しく遊びました。
みんな思い思いに思いっきり遊び始めました。
← この子は、最近見たという鳳凰のイメージで夢中になって。
← 枯れ柴と小枝と蔓で。
川遊び。
池のほとりにも行って見ました。
遠く子どもたちが立っている場所に船着場とデッキを作るつもりです。
シイタケの種菌の植え付けもみんなでしました。みんなでやれば、あっという間に46本のほだ木全部に種菌を植え付けることができました。
はじめてシイタケの傘が出てくるのが、来年の秋深まる頃です。遠い未来ですね。
ちなみに、そのほだ木の準備を昨日、三吉谷家の3人が夜を徹してしました。
雨のため、準備が夕方からにずれ込んだからです。
でも、家族の息が合って楽しかったです。
山小屋にもどってから、うちの母と今日の行事にお手伝いをしてくださった、おやイストのIさんが作った和菓子とお茶でおやつの時間。
臨時の和菓子教室にもなりました。
みなさん、ありがとうございました。
お疲れ様でした。
ここのところ、まだまだ曇りがちな寒い日々が続きますねえ。( ´,_ゝ`)
あさって親子体験教室、午前の部では、子どもたちとその保護者の方々といっしょに、さつま芋の種芋伏せ、落花生の種まき、藍の種まき、さとうきびの苗植えをしますが、そのための農園会場の準備を今日しています。
これがうちの農場です。
いちおう川土手の東側から早生のブルーベリー畑を手前にして見た全景です。
地図でも見てみてくださいね。
トラクターで綿畑のところを耕して畝(うね)をつくっています。
東側のフロリダスターブルーベリーの畑です。
花が咲き始めています。
ですが、寒いせいか、数が減少してしまったせいか、このごろ蜂がほとんど来ません。
今日は午前中までは一匹も来ていません。
これがフロリダスターの花です。
花ひとつにつき、極大ブルーベリーが一粒生ります。
この奥行きのある釣り鐘状の形態ゆえに、受粉は主として日本蜜蜂、マルハナバチ、足長蜂などが蜜を吸うときに行われます。もちろんうちの蜜蜂たちも本来ならば蜜と花粉を集めるために来てくれるはずですなのですが・・・・。作柄はどうなるか、不安です。
ここが西側のティフブルーという品種のブルーベリー畑です。こっちはまだ全部つぼみ状態です。
←綿畑。
綿の収穫も楽しみですが、きれいな綿の花を鑑賞できるのが最高です。
↓ 小麦畑。
今年の1月から2月にかけて、子どもたちに麦踏みをばんばんしてもらいました。お陰で勢いがいいです。
おいしい醤油ができればいいですね。
麦畑の真ん中にたまねぎとか、別のもの植えたりしました。
← イチジクはまだまだこんな具合ですがね、
あっというまに青々と枝葉が大きく高く茂りますよ。
← 各種かぼちゃ、きゅうり、スイカ、ひょうたんの、惑星栽培をここでします。
この中で、ぽっかり浮かんでだんだん大きくなる野菜や果物が間近にしっかり観察できますよ。僕の母の発案です。
↓農場向い側の河川敷です。
川遊びが思う存分できる数少ない貴重な場所です。
農作業が退屈な子どもたちは嬉々としてここで遊びます。
夏が近くなるにつれて、真っ白い大きな川サギのつがいが3,4組ほど、川上の農家から大量に逃げ出した合鴨たち、石亀や草がめ、フナやハヤ、川タナゴなどが姿を現します。
バッタやゲンゴロウや蟷螂やアメンボやてんとう虫たちもたくさんいます。
カミキリムシとか、蛾の幼虫とか、みのむし、カイガラムシとか、その他さまざま、作物にとっては不都合な昆虫もたくさんいます。
この郷原の農業地帯の中で、ここだけ農薬、殺虫剤はもう9年間使っていません。見つけるたびに、年間を通していちいち手づかみで取り除きます。
蛍やめだかは残念ながらいません。あ、アメリカザリガニもいないなあ。
ヘビはいます。
毎年2回くらいは、ブルーベリーを採集してると、目の前数センチのところで青大将やシマヘビとにらめっこ状態になっているのに気づいて、気が遠くなって尻餅をつくようなことがあります。
ブルーベリーには不都合な虫を食べてくれているので、
ていうか、不都合な虫も含めて、雑草も含めて、農園にいる生き物の全部が小宇宙を構成しているかけがえの無い存在なので、
感謝こそすれ、文句は言えません。
ただしどれか一方的に増えすぎないで欲しいです。
毎日間断のない東奔西走(だいたい半径25キロ)の生活ですが、そのすき間を縫っての作業です。
まずは、今年のうちの目玉であるさとうきびの苗の準備!
ほんとうに、むふふです。うれしいです。
うちは、とくに『衣食の文化の基本をしっかり味わう』、ということを、ぶれることなく目指していますが、砂糖を今年は育ててみんなで作ろう、を企画いたしました。
さしあたって、この屋久島から取り寄せたさとうきびの苗を、4月17日の親子体験教室で子どもたちと保護者の方々といっしょに植えてみようと思います。
蜂は最近は堅実に花粉や蜜を集め、孵化、羽化を重ね、徐々に増加しています。
雨がしきりと降るこのごろですが、元気です。
この一年何もかもどうなるかわかりませんが、蜂たちの活発な動きを見ていると、何かしら希望が沸いてきますね。
← うちの山から伐採して4メートルに切った大量の杉の木ですが、枝を落としただけでまだ手付かず! 蟲がつく前に、早く皮を剥がないといけないのですがその時間がない。誰か手伝ってくださあああい。
さて、春の農事の準備のなかで、我が家でもっとも重要なのが、水稲の種もみの準備です。
現在僕の家ではブルーベリーが主力生産物となっていて、米は以前ほど作りません。しかし、僕の感覚としては、米を作ってこそ農家。
とくに麦・米は、洋の東西を問わず、有史以来、あらゆる民族の人間共同体の栄枯盛衰を共にしてきました。
今日は、去年種籾用として残しておいた籾を「塩水選」という作業によって、良質なものだけ選り抜きました。
まず、我が家の、おそろしく年代ものですがまだまだ現役で頑張ってる「とうみ」という道具で、風力を利用して、中の米が未熟な種モミを吹き飛ばして大雑把に選別します。
次に卵が浮かんで横になるくらいの濃度の塩水を作って、そこにさっきとうみで選別した種籾を入れます。
すると、中身の充実していないモミが比重差によって浮いてきます。
浮いたモミを手ざるですくい取って、沈殿した良質の種モミだけをえり分けます。
升バケツにその種籾を2升入れましたが、これがきっかり、田んぼ5畝(ごせ)分の種籾です。
5畝とは、半反。500平方メートルです。
この5畝の田んぼでできる米で、3世代そろった一家族が一年生活できるそうです。
てことは、この写真は、一家一年分の米の種籾だということですね。すごいですね。たったのこれだけで・・・、という感じです。
ちなみに牛一頭一年間育てるのに、1ヘクタールの草地が必要です。
米の場合、1ヘクタールあれば、さっきの計算では、20家族が養えますが、牛一頭ではひとりも一年間生存させることはできません。
肉食って壮大な無駄な贅沢という気がします。インドにゆくと穀類や野菜が中心で、肉料理はほとんどありませんが、10億人を超える人々が普通に肉食のために家畜を増やした場合、一気に世界が飢えるわけですね。
さてと、より分けた種籾をネットに入れて、塩を洗い落とします。
で、ひとつのネットに2升の種籾が入っていますから、全部で10升です。
今年我が家では、2反5畝作ります。
午後には、私の団体の理事をしていただいている広島聖文舎社長Nさんとご友人のヨガインストラクターのYさんが来訪され、歓談の機会を持ちました。