Craving for chocolate

英語学習などを扱っています。


日本各地に牛丼屋があり、牛丼が好きな人は多いかと思います。そして現在では、日本だけではなく海外にも牛丼店があります。

今回はその牛丼とTOEICについての記事です。

牛丼チェーン店で牛丼を注文するときには、牛丼のサイズを指定します。一般的にそのサイズは、「並盛」・「大盛」・「特盛」に分類されています。

「並盛」で満足する人が多いかと思いますが、もっとお腹いっぱい牛丼を食べたい人は「大盛」や「特盛」を注文します。

そして、その牛丼の「特盛」に該当するTOEICの模試が発売されました。

それがこちらの模試です。








こちらの模試はYBMという韓国でTOEICを運営する企業が作成した模試になります。3月にリスニング版が出て、6月にリーディング版が発売されました。各10回分の模試が収録されています。

回数の多い模試としては、『メガ模試』というのがかつてありましたが、2016年5月に現在の形式へとTOEICがリニューアルして以降、そのような模試は出版されていませんでした。

以前『でる模試 vs 精選模試』という記事で紹介した『でる模試』は7セット、そして『精選模試』は5セットの収録数となっています。もちろんこれでも十分なのですが、もっと問題を解いてスコアアップを目指す人もいると思います。

そのような人のために、『でる模試』と『精選模試』に続きおすすめしたいのが、質と量を兼ね備えた今回の『YBM超実戦模試』です。

この模試の特徴は、やはりリスニングとリーディング、それぞれ10回分ずつあるというのが大きな点です。本屋で見かけるTOEICの模試のほとんどは、たいてい3回分しかありません。公式問題集は2回分だけです。量をこなすこともTOEICでは大切な学習方法なので、『YBM超実戦模試』はその要望に応えてくれる問題集となっています。

解説の丁寧さで比較すると、この『YBM超実戦模試』は『精選模試』より解説が簡潔です。そのため、詳細な解説の方がいいという人は『精選模試』を選択したほうがいいかもしれません。しかし、解説の充実さよりも問題をもっと解きたいという人は、この『YBM実戦模試』で積極的に学習していくのもおすすめです。

また、この『YBM超実戦模試』の問題の難易度や質は、韓国でTOEICを運営する企業のYBMが作成しただけあって、本番の試験(公開テスト)に近いと思います。ちなみに日本の公式問題集もアメリカのETSではなく、YBMが作成していると言われています。それを踏まえると、『YBM超実戦模試』は公式問題集10回分の内容に匹敵すると言えるかもしれません。

すなわち、この『YBM超実戦模試』は10回という「量」、そして公式問題集同様の「質」の両方を兼ね備えた問題集だと思います。

そして、TOEICの模試を牛丼で表すと以下のようになります。

  • 並盛:公式問題集
  • 大盛:でる模試・精選模試
  • 特盛:YBM超実戦模試

「並盛」・「大盛」・「特盛」の違いは模試の収録数の差だけです。牛丼の味が老若男女問わず多くの人に愛されているように、これらの模試もTOEICを受ける人にとっては初心者から上級者まで幅広く受け入れられるものだと思います。

あなたはどれを選びますか?

もちろん「全部解く」というのも歓迎です。

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財務省、決裁文書改ざん報道の経緯

朝日新聞は3月2日、財務省が森友学園との契約に関する決裁文書を書き換えて国会に提出した疑いがあると報じました。

そして3月9日、近畿財務局で学園の案件に関わっていた職員が7日、神戸市内の自宅で自殺していたことが判明しました。また同日、国会で同学園との価格交渉を一貫して否認してきた元財務省理財局長の佐川宜寿国税庁長官が辞任を発表しました。

その翌日、決裁文書に書き換えがあったことを財務省が認める方針という報道があり、財務省は12日、森友学園への国有地売却に関する決裁文書に書き換えがあったことを正式に認めました。


なぜこのような事件が起きたのかは、今後いろいろと検証されていくことと思われます。

このブログでは、2017年6月に『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』という記事で、森友・加計学園の問題について言及しています。今回はそれを踏まえながら、問題点について少し考えてみたいと思います。


不透明なプロセス

問題が長期化し、そして深刻になった原因の一つとして、プロセスの不透明さが挙げられます。これは以前、『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』という記事でも説明してあります。

意思決定のプロセスが不透明であるがゆえに疑惑が増大し、たとえ矛盾点が生じてもそれを解決しないでやり過ごしてきたところに今回の事件の原因の一つがあるのかもしれません。

行政のプロセスは検証できるようにするため、特に透明化が求められます。プロセスの透明化は、民主主義の発展のためには不可欠なものです。そのために必要なことは、情報公開とマスコミの機能強化です。

まず情報が公開されなければ、マスコミは問題について報道ができないので、情報公開は問題を把握するためには必須です。黒塗りの資料がしばしば提出されることがありますが、情報公開という観点からは意味がありません。

そして、マスコミの能力も問われています。政治家の顔色をうかがうような質問は意味がありません。似たような質問ばかりしていても真実は分かりません。緊張感を持った報道をもっとするべきです。

より正確な情報が提供されることにより、より正確な意思決定ができます。そのためにはプロセスの透明性が求められ、情報公開とマスコミの質の向上がそのためには必要不可欠です。


官僚組織

官僚の正義の方向性

官僚は批判されることもありますが、正義感の強い人が多く、国家のために働いています。しかし、今回の事件では、財務省の国会での答弁なども含めて、国民に対する正義感が欠けていたと思われます。

改ざん前の公文書には「本件の特殊性」という文言が何度も使用されており、官僚がこの問題を特例で取り扱わなければならなかったことがうかがえます。財務省は、この理由を明らかにしなければなりません。

官僚の過酷な労働状況などを例に挙げて官僚を擁護したりする人もいますが、どのような理由を挙げようが、今回の文書の書き換え問題の免責にはなりえません。官僚の正義感は政治家にではなく、国民に向けるべきです。立身出世や省益など大切なのかもしれませんが、そのようなことは国民には関係ありません。


内閣人事局

では、なぜ正義感が間違った方向へと向いてしまったのでしょうか。

一般的に、組織は財務と人事を握っているところが強いです。財務省は予算を握っており、特に主計局はその中心のため、財務省が官庁中の官庁と呼ばれていることはよく知られています。

一方の人事は、内閣人事局が握っています。この制度は「政治主導」を実現するために導入されました。かつての官僚人事は各省大臣にあるものの、大臣が官僚を敵に回すと業務に影響が出ることを恐れて、官僚人事は官僚組織が行い、それを大臣が追認していました。しかし、官僚は民主的に選ばれていないという批判や、官僚主導では大きな改革はできないという批判が大きくなり、その声を受けて内閣人事局が創設され、官僚の人事を政治家が握るようになりました。

官僚の人事権は官邸が握っているので、官僚は出世するために政治家に対して忖度しなければならなくなったと言われています。現在の安倍政権は長期政権なので、官邸の意向に沿う行政をしなければ出世が難しいと思われます。そのため、政治家からの直接的な指示がなくても、政治家の意思を暗黙の了解でその思いをくみ取り、官僚は様々な問題を処理していたのかもしれません。

従って、内閣人事局が弊害になっていた可能性があります。そこで、内閣人事局を廃止するという考えが出てくるかもしれません。しかし、もし内閣人事局を廃止すれば、大きな改革ができないなど以前の官僚主導に戻り、天下りなどの問題などで官僚の間違いを正そうとしても、官僚が徹底して抵抗することなどが考えられます。そのため、見直す必要があるのは、内閣人事局の制度かもしれません。そこで、英国の官僚人事について少し見ていきます。


英国の官僚人事

日本の政治主導は、英国政治をモデルにしたものです。英国では首相の力が強く、官僚に大きな影響を与えますが、官僚の人事に対する影響は日本のものと比べると小さいです。

英国では事務次官や局長は公募となっており、中立機関の国家公務員人事委員会が各省の事務次官などの人事を決めます。候補者を選定し、それを首相に推薦する仕組みとなっています。

官邸が候補者の選定や任命をする日本とは異なり、中立の機関が人事を決めているところに英国の官僚人事制度の特徴があります。故に、政治家が官僚の人事に対して与える影響は、英国の方が日本より小さいと言えます。

もちろん英国の人事制度も完璧ではなく、英国でも通称「回転ドア」と呼ばれる天下りの問題はあります。しかし、英国の人事制度では政治家の影響力が小さいため、「忖度」ということが生じにくい仕組みになっています。政策のためには大臣と官僚は協力し合いますが、政治家は官僚の人事にあまり関与しないというのが英国の官僚人事の特徴と言えます。

日本では官邸が官僚人事を握っており、その力が強くなりすぎたため官僚が忖度しなければならなかったと言われています。人事権は強い力なので、それを振りかざすと官僚は委縮したり政治家の顔色をうかがったりするようになることは想像できます。政治家が官僚の人事権を握りすぎるのはやはり問題があると思うので、人事の仕組みは見直すべきかもしれません。


与党の機能不全

反省を知らない自民党

森友学園への土地取引の問題と財務省の決裁文書改ざんの問題については、野党主導で問題解決への取り組みが行われてきました。与党は防戦一方で、積極的に問題解決への姿勢を示しませんでした。この与党の姿勢が問題を長期化させ、そして悪化させた原因の一つだと考えられます。

与党がこの問題に取り組めば、政権にダメージが生じる懸念があったから取り組まなかったという可能性がありますが、与党にダメージが生じようが生じまいが、それは国民にとって無関係なことです。

国民が政治家に望むことは、誠実に問題に対処し、住みやすい社会を構築してくれることです。そのためには政党など関係ありません。実際、世論調査で自民党を選択する理由として、「他に選択肢がないから」という理由が高い割合を占めています。自民党は消去法で選ばれているだけです。つまり、適切に国家を運営できる政党が他にあるのなら、国民は自民党でなくてもいいと思っているのです。

国会議員が国民の代表なのであれば、国民にとって重要な問題は与野党関係なく、たとえ政権のダメージになろうとも問題解決に向けて取り組むべきでした。それが国民のための政治です。国会議員も官僚と同様、国民のために存在しているということを再認識すべきです。

しかし残念ですが、今の自民党には自浄作用は期待できません。安倍政権以降、組織の不正事件が頻発しています。南スーダンの日報隠蔽問題、森友学園と加計学園の問題、ペジー社のスパコン詐欺事件、厚生労働省の裁量労働のデータ捏造事件など、様々な官僚機構が関係する事件が起きています。これらのどの問題も、自民党は高い支持率と野党の弱さに甘えて、問題解決のための主導的役割を果たしてきませんでした。

2017年9月、安倍総理は「国難突破解散」として衆議院を解散しましたが、森友・加計学園問題の追及から逃れたいから解散したのではないかとメディアなどで報じられました。解散前の2017年8月、関西テレビが佐川氏の国会答弁を覆す音声データを入手して報道し、森友学園の問題が大きく展開しました。「国難」と表現して解散したのにもかかわらず、選挙後の特別国会も短期で終わり、臨時国会も開かないという姿勢で与党は臨みました。安倍総理は何度も「説明責任を果たす」と口では言うものの、まともな説明はこれまでにされていません。

そして、ここまで問題を大きくさせた原因の一つとして考えられるのは、安倍総理が「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく私は総理大臣や国会議員も辞めることははっきり申し上げたい」と、国会で明言したことにあります。この発言の問題点は、『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』でも言及しています。安倍首相の昭恵夫人の名前が決裁文書から削除されたことも明らかになり、この発言が影響していた可能性は否定できないと思われます。

自民党が率先して問題を解決する機会、そして安倍総理が説明責任を果たす機会はこれまでに幾度となくあったはずです。しかし、その機会を故意に逃してきました。今更事態の重さに気付いても、もうすでに遅いです。このような政党、あるいは大臣に、残念ながら自浄作用は期待できません。


存在価値ゼロの公明党

自民党に問題解決能力が無いことが証明されましたが、その一方で、公明党も存在価値が無いことが証明されました。自らを「自民党のストッパー役」だと称してきた公明党ですが、今回の事件でも存在感は発揮できませんでした。

公明党の山口那津男代表は、3月6日の記者会見で、疑惑文書の財務省の説明に対して、「言及を控える対応は妥当」と述べました。

ところが、財務省が文書の書き換えを認めるという報道が出た3月10日、山口代表は「財務省には立法府の側から説明責任を尽くせと申し上げてきた」と記者団に対して述べています。180度内容の違うことを言っています。

さらに山口代表は、佐川氏が国税庁長官時代のときも、そして民間人になっても、佐川氏の国会招致に否定的でした。公文書改ざん問題で世論の高まりを受けてようやく方針転換したので、問題解決へ向けて非協力的な態度であることを国民に対して示しました。

公明党の支持母体である創価学会の人たちは、この発言や態度を知っても山口代表、そして自民党に対して異議を一つも唱えず、自民党と一緒にこの問題を放置してきた公明党を支援できるのでしょうか。

『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』という記事でも触れていますが、公明党はストッパー役を果たせていません。公明党には政権与党の資格はありません。野党になるべきです。そもそも、与党の行動に対してブレーキをかける役割は野党の仕事です。

いつまでも人から言われたままに投票する時代はすでに終わっています。学会員は公明党を支持している理由を説明できますか?自分の頭で考えて投票する時代です。


先入観と偏見

コメンテーターの質

今回の決裁文書の改ざんを報じた朝日新聞に対しては、過去の従軍慰安婦の記事の捏造問題などにより、先入観や偏見を持っている人が少なからずおります。

確かに財務省が決裁文書を改ざんしたという朝日新聞の記事は衝撃的で、その内容はいろいろと憶測を呼ぶものでした。しかし、朝日新聞だからといって、記事の内容を否定できるものではありませんでした。

メディアに登場するコメンテーターの中には、財務省がこんな不祥事をする理由が見当たらず、朝日新聞が本件についての立証責任があると主張していた人が弁護士を含めており、財務省や朝日新聞に対する先入観や偏見を持ってコメントをしていました。

一般的に考えれば、財務省が公文書を改ざんするメリットはありません。そのため、メディアで発言する人の中には「財務省がそんなことをするわけがない」と主張して、その後も財務省の不正の可能性を否定する人がいました。しかし、これは思考の停止です。財務省で勤務する人も人間であり、人間なら過ちを犯すこともあります。たとえ強固な組織でもいったん不正の方向へと流れたら、その動きは止められなくなります。官僚が間違えるわけがないという考えは「官僚の無謬性」であり、この思考から脱却する必要があります。

そもそも疑惑は財務省にあったため、説明責任があったのは財務省です。朝日新聞の記事の立証責任は、財務省が疑惑について無実を説明した後のことです。結果として財務省が不正を認めたため、朝日新聞の記事が正しかったことになりました。

財務省が不正の有無に関して説明したことにより、事件が前進しました。コメンテーターの主張のように、朝日新聞が記事についての説明をすれば、それについての疑惑が一層膨らんだりして物事が前進しなかった可能性があります。

いずれにせよ、最終的には財務省が改ざんの有無をはっきりさせなければならなかったのには変わりがないため、朝日新聞の記事に対する疑惑の説明責任は財務省にありました。

コメンテーターの問題は、財務省の決裁文書に関する朝日新聞の記事だけではありません。メディア上でこの問題について発言するコメンテーターの見解には、問題の本質を理解していないと思えるものが散見していたように思われます。

森友・加計学園の問題では、疑惑が残されたままなのに「他に重要な問題が多くある」などと言って、問題を収めようとする発言をしている人がいました。確かに他にも重要な問題は多くあります。しかし、発生当初からこの問題は行政のプロセスに関する問題でもあり、民主主義の根幹にもつながる問題です。離合集散を繰り返して弱い状態の野党を非難するだけではなく、与党に対しても厳しく批判し続けるべきでした。

問題の本質を指摘できなかったコメンテーターは必要ありません。また、意見を即座に変更するコメンテーターも必要ありません。そして、コメンテーターだけではなくメディアで発言する人は、一度自身の発言の整合性を検証してみるべきです。


世間の認識

この問題の重要性の認識に欠け、先入観と偏見を持っていたのはコメンテーターだけではなく、一般の人にもそのような人がいました。「この問題より他に重要な問題はたくさんある」という意見や、あるいは「野党はいつまでこの問題をしているのだ」などと、メディアに登場するコメンテーターと同じような内容を主張している人がいました。

2016年のアメリカ大統領選で、接戦だったのにもかかわらず「絶対」という言葉を使ってヒラリー・クリントン氏が当選すると予想した人(詳細は『「絶対」という言葉の危険性』『知識力と思考力』)は、「野党はいつまでこんなくだらない問題をしているのだ」などと言い、この問題の深刻さに気付いていませんでした。

確かに、多くの一般の人にとって大切な問題はやはり経済や社会保障とかなので、野党も攻め手を欠いてまともな質問ができず、そして与党も非協力的な姿勢で堂々巡りを続けたこの問題は、もう終わらせてしまったほうがいいと思っていたのは理解できます。

しかし、森友学園の事件は不透明な土地取引の問題から波及して、公文書改ざんの問題まで発生してしまいました。当初から行政のプロセスが不透明であったため、本件は民主主義の根幹に影響を及ぼす問題です。もちろん経済対策などの問題も大切ですが、この問題も発生当初から重要なものだったのです。


知識力と思考力

政治の問題は難しい部分が多くあります。専門家でも意見が異なることは多くあります。しかし、いつも専門家に頼るわけにはいけません。物事を見極めるためには、専門家などの意見を参考にしつつ自分で考える必要があります。そのためには、知識力と思考力を駆使する必要があります。詳細は『知識力と思考力』という記事に記載してあります。

森友学園の問題は、発生当初から様々な疑惑がありました。その疑惑や問題点などについて、私たちはメディアなどからの情報により毎日知識として蓄えていました。そして、その仕入れた知識について考えるためには、思考しなければなりません。そのためには、この学園の問題に加えて政治の知識も求められます。そして、政治の問題について考えるときに求められるのは、自身のイデオロギーの排除です。政治問題ではイデオロギーが問題になることが多々あり、この森友学園の問題もイデオロギー色の強い部分がありました。無意識のうちに政治色や偏見などに支配されて物事を見てしまいがちですが、そうなると真実を見失ってしまいます。真実を求めるときには、イデオロギーは邪魔なだけです。

この問題では佐川氏の国会答弁の矛盾や財務省の音声データなど、疑惑が深まる証拠が次々と出てきました。しかし、それでも「これより他にも重要な問題がある」などと主張して、この問題を矮小化しようとしていた人たちは思考が停止していたと思います。新たな証拠が出てくると、問題についてより踏み込んで考えることができるようになりますが、確定的な証拠がなければ、その考えはまだ推測の域を出ません。しかし、疑惑から少しでも真実を見つけるためには、考え続ける必要があります。思考を停止するのは、疑惑が無くなったときです。疑惑があるうちは考えなくてはなりません。それが、特にメディアで発言する人たちの責務ではないかと思います。この森友学園の問題では疑惑が多くあり、思考する重要性を認識させた事件だとも思います。


最後に

この事件は辞職をして終わりという問題ではありません。辞職しても免罪符にはなりえません。原因究明と再発防止策の構築が求められます。そして、大いなる力には大きな責任が伴います。国家を運営する人たちは、そのことを自覚してほしいです。

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なぜ英語を勉強するのか?

これまでにそのような疑問を持たれた人は、少なからずおられるかと思います。

その疑問に答えてくれる一つの解が、『男女の争い』と呼ばれるものです。この『男女の争い』は、ゲーム理論というものに登場します。


ゲーム理論とナッシュ均衡

ゲーム理論は意思決定や行動などにおいて、読み合いが必要な相互依存関係を分析する学問です。「戦略的状況」という自分にとって最適な行動が周囲の人たちによって変わってくる状況を分析します。

数学者のジョン・フォン・ノイマンと経済学者のオスカー・モルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』により、ゲーム理論の歴史が始まったと言われています。このゲーム理論は様々な分野に応用されており、その範囲は政治学から経営学、社会学、心理学、生物学、工学など幅広い分野で活用されています。

ナッシュ均衡とは、経済学のゲーム理論の分野に登場する概念です。「全員がお互いに自分だけ行動を変えても得にはならない状況」のことを、ナッシュ均衡と言います。アメリカの数学者でノーベル経済学を受賞した、ジョン・フォーブス・ナッシュにちなんで名付けられました。

ナッシュの天才数学者としての成功と、統合失調症に苦しむ彼の人生を描いた映画『ビューティフル・マインド』は、アカデミー賞を受賞したことでも有名です。


ビューティフル・マインド [DVD]
ラッセル・クロウ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2012-09-14



A Beautiful Mind
Sylvia Nasar
Faber & Faber
2002-02-01






ナッシュ均衡の例

カップルがデートをすることになり、男性はスポーツ観戦、女性はディズニーランドに行きたいと考えています。

目的地が違うからといって、男性はスポーツ観戦、女性はディズニーランドへ行き、デートの日をお互い別々に過ごせば、それはデートの意味をもはや失っています。同様に、意見がまとまらず、デートが中止になっても二人にとっては最悪の結果となります。デートはカップル二人がそろって同じ場所で過ごすから意味があります。

そこで、各人にとって一番良い結果に対して2点、二番目の結果に対して1点、お互いが別々の目的地に行くという最悪の結果の場合には0点の満足度とします。

・二人でスポーツ観戦
彼氏 2点 彼女 1点

・二人でディズニーランド
彼氏 1点 彼女 2点

・男性がスポーツ観戦、女性がディズニーランド
彼氏 0点 彼女 0点

・男性がディズニーランド 女性がスポーツ観戦
彼氏 0点 彼女 0点

これにより、カップルが同調的な行動をとろうとしていることがわかります。なぜなら、お互いの意見が食い違っても、デートでは二人が協調して行動するため、デートで物事が一方に決まれば相手はその決定に従い、行動を共にするからです。これはデートで飲食店(和食とイタリアンなど)を決めることにも当てはまります。

従って、この例では二人そろって同じ場所でデートをする、すなわち「二人でスポーツ観戦」と「二人でディズニーランド」がナッシュ均衡となります。自分だけ行動を変えても得にはならず、二人一緒に同じ場所で過ごすことが合理的な行動となります。そして、これが『男女の争い』と呼ばれています。

この場合、双方にとって最良、あるいは最悪の均衡というのは存在しません。また、スポーツ観戦とディズニーランド、どちらの均衡が実現するかは分かりません。一般的には、慣習や文化、規範などにより、どちらかが選ばれることになります。カップルの場合、主導権を握っている方の意見が採用されやすいかもしれません。


男女の争いと英語

この『男女の争い』は、英語についても当てはまります。

苦労して私たちが英語を学んでいるのは、英語が国際共通語(English as a lingua franca)としての地位を現在築いているためです。

世界各地で旅行だけではなくビジネスや研究など、言語が違う人たちの共通のコミュニケーション手段として英語は利用されています。そのため、外国語教育の筆頭として英語教育を行っている国は、日本を含めて多数あります。

世界を見渡せば、中国語やスペイン語など利用者の数が多い言語はあるものの、現時点でこれらの言語は世界の共通語とは言えません。

英語が国際共通語として利用されているのは、母国語が違う者同士のコミュニケーション手段として使われている言語が英語だからです。様々な国籍の人が集まる国際社会の舞台では、それが顕著になります。

もちろん、英語が通じない国や地域はまだ多くあります。日本でも英語が満足に通じない場所は多いです。しかし、日本国内でも英語を使用する機会や環境は増えてきており、母国語が違う人たちの意思疎通の手段としては、英語が主な共通言語として活用されています。この認識を世界中で共有し、そして同調している背景があります。

この同調行動の背景には、英語と世界との結びつきが関係してきます。歴史的観点では過去の植民地政策などが影響しておりますし、経済面では世界的な企業が英語圏に多数あることが関係しています。また、学問や研究においても、英語圏の大学や研究機関などがその中心となっています。さらには、ヨーロッパの言語に特徴的な名詞の性が英語にはなく、動詞の変化も複雑ではないなど、非英語圏の人にとって英語は他の外国語と比べて学習に取り組みやすい言語であることも挙げられます。

共通言語の選択では、コミュニケーションが取れるように周りと同じ言語を選択します。しかし、外国語を勉強するのは多大な労力がかかるなど、全員が自分の言語を選択してほしいという思いがあります。これは、お互いが同じ場所に行きたいと思う一方、各人が自分の希望する場所へ行きたいと考えているデートの事例と似た構造をしています。つまり、お互い同じ選択をしたいが、各人の優先順位が異なる状況です。

英語の現在の使用状況を踏まえれば、共通言語として英語以外の言語を選択しても「自分だけ行動を変えても得にならない状況」になっており、英語を国際共通語として使うのが安定的な状況になっています(英語以外の外国語学習を否定しているわけではありません)。

デートでは、お互いが別々の目的地へ行くことが意味をなさないように、言語でもお互いが違う言語を使用していても意思疎通を図ることが出来ないので意味がありません。母国語が違う者同士が協調してコミュニケーションを取るためには、国際的には共通言語として英語を使用しなければならなず、そしてこれに同調せざるを得ない力が働いています。

国際共通語が英語のため、英語圏の人は非英語圏の人より有利な立場ですが、非英語圏の人も英語が出来ると母国語が違う人とコミュニケーションが取れるという利益を享受できるので、損をしているとは言えません。また、コミュニケーションが取れるだけではなく、英語学習は異文化理解などにも貢献するため、その効果は大きいです。

英語が国際共通語として使用されていますが、だからといって英語が最も優れた言語ではありません。そもそも優れた言語である基準や定義などを決めることはほぼ不可能です。英語が国際共通語として使用されているのは、英語が使用される背景を踏まえた集団の同調による力が働いているためであり、この力により一度方向性が決まった行動はその良否を問わず、それが固定化して習慣化していく傾向があります。そのため、現在英語が国際共通語として使用されており、学習する必要があります。

ゲーム理論を使えば、今回の共通言語としての英語以外にも、現実社会の様々な現象について統一的に説明できます。身近な例では企業の価格競争や、エスカレーターの列が東京と大阪で左右違うことなどが挙げられます。また、核軍縮の問題についても説明できます。さらに、囚人のジレンマを応用して、独占禁止法ではリニエンシー(課徴金減免)制度が導入されました。

「なぜ英語を勉強するのか?」という問いに対する答えは、一人ひとり異なると思います。しかし、共通言語の選択についてゲーム理論を通じて見ていくと、国際共通語として英語が選択されているのには理由があることが分かります。そして、そこから英語の必要性を導き、学習の重要性へとつなげることが出来ます。もちろん今回のアプローチ以外にも英語を勉強する理由は説明できると思いますので、一度考えてみるのもいいかもしれません。

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ニュース編、財務諸表編と続いて、最後は判例編です。

判例も知識力と思考力を鍛えることができる素材だと思います。判例を理解するには法律の知識と思考力が必要になります。


判例の理解

法律を勉強する上で、判例の学習は欠かせないものです。条文を読んでいても分かりにくかったりしますが、判例では裁判所が事案だけではなく、条文をどのように適用したのかが分かります。詳細を理解するためには法律の知識が必要になるため、知識力を身につけることになります。


判例の思考

法律の文章を作成するときは、瑕疵がないように詳細まで突き詰めて精巧にします。法律の文言に慣れていないと、回りくどいと感じたり難解だと思ったりしますが、論理はしっかりしています。その中でも判例の学習は有益で、この学習を通じて法的思考力も養われます。もちろん、判例が必ずしも正しいわけではありません。判例に対する批判も多くあります。判例の論理、それに対する批判の論理など、これらを学ぶことで少しずつ思考力が身についていきます。


思考力

どの学問でも学習する上で、必要最低限の暗記や知識は求められます。しかし、どの段階においても、物事に取り組む際には思考することが大切です。思考しなければ理解度は浅くなります。また、思考力は将来のことを考える力です。未知の問題に遭遇した場合には、この思考力が問われることになります。

以前、日本の大学院とアメリカの大学院、どちらも難関で有名な大学院で学問を修めた法学者がいましたが、その人は集団的自衛権の問題に対して、「憲法学者は思想的に偏っている人が多い」とだけ答えていました。

確かにその人が主張するように、憲法学者は思想的に偏っている人が多いのかもしれません。しかし、論点は憲法の条文や判例の解釈と集団的自衛権の法案の内容の問題であり、憲法学者の思想信条ではありません。法律についての意見を言うべきなのにもかかわらず、その法学者は憲法学者の思想のことしか言及しませんでした。たとえ憲法が専門ではなくても、法学者であれば自身の思考力を駆使して、合憲でも違憲でも自分の考えを述べるべきでした。思考の放棄です。

大切なことは、自分の考えを持つことです。しかし、自分なりでいいので深く考えなければいけません。高学歴で知識があるように思える人でも、短絡的な思考をしたり思考することを放棄していたりする人は、上記の学者を含めて少なくはありません。

ある問題について考えるためには、そのための学習をしたりして大変な部分があったりしますが、その過程を楽しめるようになると知識を身につけて思考することが面白くなってきます。試験などの勉強では答えがありますが、実社会では正解がないものが多くあります。その時に思考力を駆使すると、道が見える時があると思います。知識を身につけるだけではなく、それを駆使して思考していくことが今の時代には求められます。


最後に

ニュースや財務諸表に限らず、判例の学習を通じても知識力と思考力を鍛えることができます。判例の学習の重要性は、偉大な民法学者である我妻榮先生の『民法案内1 私法の道しるべ』という著書の中で言及されておられます。

判例の学習は、知識力や思考力を鍛えるだけではなく、もちろん各種法律の試験においても有益です。法律も会計と同様、難しいと思い敬遠しがちですが、一歩ずつ学習を進めていけば少しずつ理解できるようになってきます。

これまでに紹介したもの意外にも知識力と思考力を鍛える方法はあると思いますので、みなさんも独自の方法で学習してみて下さい。

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ニュース編に続いて、今回は財務諸表編です。

財務諸表は、知識力と思考力を鍛えるにはいい素材だと思います。財務諸表を理解するためには会計学の知識が必要であり、そして意思決定をするためには思考力が問われます。


会計学の知識の重要性

会計はビジネスをする上で欠かすことのできない要素です。会計の素養を身につけておくと、業種を問わず多かれ少なかれその知識は役に立つと思います。財務諸表は海外の国の企業も当然作成しますので、語学の勉強にもなります。


思考力と意思決定

企業が作成した財務諸表は、これに基づいていろんな人たちが利用して意思決定を行います。意思決定には財務諸表から得られる情報はもちろん重要ですが、それ以外にも毎日報道されているニュースについての知識も必要です。特に国際情勢や政治経済、そして企業に関する情報は大切です。このような情報の入手において、英語力は大いに貢献します。

様々な要素を勘案して意思決定を行わなければならないため、思考力が問われます。『知識力と思考力』という記事で以前説明しましたが、思考力は将来のことを考える力です。このように財務諸表を読むことにより、思考力を鍛えることもできます。


財務諸表を読むための方法

財務諸表を読むことにより、知識力と思考力を鍛えることができます。しかし、ある程度の勉強が必要になります。

会計学の知識を身につける方法の一つとして、簿記があります。会計は言葉で説明されても分かりにくいですが、テキストや問題集などを利用して実際に自分で問題を解いたりして、一つ一つの取引について理解していけば、やがて貸借対照表や損益計算書などについて少しずつ理解できるようになっていきます。

現在簿記の勉強をされている人もおられるかと思います。簿記の問題を解く際に注意すべきことは、理解しているだけでは不十分だということです。時間内に、そして正確に問題を解けるようにするまで頑張る必要があります。これは簿記に限らず、TOEICなどの試験にも当てはまります。TOEICは特に時間制限が厳しい試験なので、時間管理が重要になります。

そして、問題を解いて満足するだけではなく、財務諸表を利用する意識を持って勉強する姿勢も大切です。以前、「キャッシュフローなんて簡単ですよ」と発言していた女性がいました。キャッシュフローの問題は、簡単な論点と難しい論点がはっきりしていることが多いですが、難問の作成は可能です。果たしてその女性は、難問を目の当たりにして「時間内に、そして正確に」問題を間違えることなく解くことが出来るのでしょうか。

それだけではありません。キャッシュフローは意思決定においても重要な判断材料となります。ただ問題を解くだけではなく、それを有効に活用できてこそ意味があります。実務で利用している人ほど、「簡単ですよ」などの発言は軽々にはできません。財務諸表を学ぶ際には、それぞれの項目を詳細に見ていき、それが具体的にどのような役割や効果があるのかを考えていく姿勢が大切です。

また、懐疑心を持つことも必要です。情報に接する際には懐疑心を保持することが求められます。監査を受けて適正意見のついた財務諸表や情報源の確かな報道などは信頼度が高いですが、それでも100%確実とは言い切れない場合もあります。そのような場合には懐疑心が重要になります。

2016年のアメリカ大統領選は接戦であったにもかかわらず、ある人は懐疑心を欠いてメディアの情報を鵜呑みにして、「絶対」トランプ氏が大統領になると予想しました。自分でしっかり考えたうえでの結論なら問題ないのですが、メディアの情報を疑いなく信じていました。

もしこのような人が会計士になって懐疑心を欠いたままでいれば、粉飾を見逃す可能性があります。大切なことは、何事も不確実な場合は懐疑心を持って、徹底的に自分で調べることです。そうすれば、難しいことも少しずつ理解できるようになっていくと思います。

さらに、財務諸表を比較することにより、いろいろなものが把握できます。例えば、過去と現在の状況を比較することで、経営の違いが見えてきたりします。具体例としては、話題となった大塚家具が挙げられます。親子による経営の違いなどが大きくニュースで扱われました。財務諸表や従業員に関するその他の資料などを見ると、父と娘による経営の違いが見えてきます。また、自分の会社の財務諸表を同業他社のものと比較したり、あるいは同じ規模の会社と比較してみたりするのも面白いと思います。


最後に

簿記の学習を通じて財務諸表を学ぶことも大切ですが、財務諸表がどんなものか知りたい人は、財務諸表の読み方の本はたくさん出版されているので、そちらで学習するのも一つの方法です。

財務諸表を学ぶことにより、会計の知識だけではなく、将来のことを考える思考力を鍛えることができます。それだけではなく、普段のニュースについても注意を払うようになります。

会計は難しいということで、会計の勉強を避ける人もおられるかと思いますが、一歩ずつ学習を進めていけば少しずつ理解できるようになってきます。海外の情報を仕入れる際には英語も役に立ちます。会計と英語の学習の波及効果は大きいので、気になった人は始めてみることをおすすめします。

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