財務省、決裁文書改ざん報道の経緯

朝日新聞は3月2日、財務省が森友学園との契約に関する決裁文書を書き換えて国会に提出した疑いがあると報じました。

そして3月9日、近畿財務局で学園の案件に関わっていた職員が7日、神戸市内の自宅で自殺していたことが判明しました。また同日、国会で同学園との価格交渉を一貫して否認してきた元財務省理財局長の佐川宜寿国税庁長官が辞任を発表しました。

その翌日、決裁文書に書き換えがあったことを財務省が認める方針という報道があり、財務省は12日、森友学園への国有地売却に関する決裁文書に書き換えがあったことを正式に認めました。


なぜこのような事件が起きたのかは、今後いろいろと検証されていくことと思われます。

このブログでは、2017年6月に『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』という記事で、森友・加計学園の問題について言及しています。今回はそれを踏まえながら、問題点について少し考えてみたいと思います。


不透明なプロセス

問題が長期化し、そして深刻になった原因の一つとして、プロセスの不透明さが挙げられます。これは以前、『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』という記事でも説明してあります。

意思決定のプロセスが不透明であるがゆえに疑惑が増大し、たとえ矛盾点が生じてもそれを解決しないでやり過ごしてきたところに今回の事件の原因の一つがあるのかもしれません。

行政のプロセスは検証できるようにするため、特に透明化が求められます。プロセスの透明化は、民主主義の発展のためには不可欠なものです。そのために必要なことは、情報公開とマスコミの機能強化です。

まず情報が公開されなければ、マスコミは問題について報道ができないので、情報公開は問題を把握するためには必須です。黒塗りの資料がしばしば提出されることがありますが、情報公開という観点からは意味がありません。

そして、マスコミの能力も問われています。政治家の顔色をうかがうような質問は意味がありません。似たような質問ばかりしていても真実は分かりません。緊張感を持った報道をもっとするべきです。

より正確な情報が提供されることにより、より正確な意思決定ができます。そのためにはプロセスの透明性が求められ、情報公開とマスコミの質の向上がそのためには必要不可欠です。


官僚組織

官僚の正義の方向性

官僚は批判されることもありますが、正義感の強い人が多く、国家のために働いています。しかし、今回の事件では、財務省の国会での答弁なども含めて、国民に対する正義感が欠けていたと思われます。

改ざん前の公文書には「本件の特殊性」という文言が何度も使用されており、官僚がこの問題を特例で取り扱わなければならなかったことがうかがえます。財務省は、この理由を明らかにしなければなりません。

官僚の過酷な労働状況などを例に挙げて官僚を擁護したりする人もいますが、どのような理由を挙げようが、今回の文書の書き換え問題の免責にはなりえません。官僚の正義感は政治家にではなく、国民に向けるべきです。立身出世や省益など大切なのかもしれませんが、そのようなことは国民には関係ありません。


内閣人事局

では、なぜ正義感が間違った方向へと向いてしまったのでしょうか。

一般的に、組織は財務と人事を握っているところが強いです。財務省は予算を握っており、特に主計局はその中心のため、財務省が官庁中の官庁と呼ばれていることはよく知られています。

一方の人事は、内閣人事局が握っています。この制度は「政治主導」を実現するために導入されました。かつての官僚人事は各省大臣にあるものの、大臣が官僚を敵に回すと業務に影響が出ることを恐れて、官僚人事は官僚組織が行い、それを大臣が追認していました。しかし、官僚は民主的に選ばれていないという批判や、官僚主導では大きな改革はできないという批判が大きくなり、その声を受けて内閣人事局が創設され、官僚の人事を政治家が握るようになりました。

官僚の人事権は官邸が握っているので、官僚は出世するために政治家に対して忖度しなければならなくなったと言われています。現在の安倍政権は長期政権なので、官邸の意向に沿う行政をしなければ出世が難しいと思われます。そのため、政治家からの直接的な指示がなくても、政治家の意思を暗黙の了解でその思いをくみ取り、官僚は様々な問題を処理していたのかもしれません。

従って、内閣人事局が弊害になっていた可能性があります。そこで、内閣人事局を廃止するという考えが出てくるかもしれません。しかし、もし内閣人事局を廃止すれば、大きな改革ができないなど以前の官僚主導に戻り、天下りなどの問題などで官僚の間違いを正そうとしても、官僚が徹底して抵抗することなどが考えられます。そのため、見直す必要があるのは、内閣人事局の制度かもしれません。そこで、英国の官僚人事について少し見ていきます。


英国の官僚人事

日本の政治主導は、英国政治をモデルにしたものです。英国では首相の力が強く、官僚に大きな影響を与えますが、官僚の人事に対する影響は日本のものと比べると小さいです。

英国では事務次官や局長は公募となっており、中立機関の国家公務員人事委員会が各省の事務次官などの人事を決めます。候補者を選定し、それを首相に推薦する仕組みとなっています。

官邸が候補者の選定や任命をする日本とは異なり、中立の機関が人事を決めているところに英国の官僚人事制度の特徴があります。故に、政治家が官僚の人事に対して与える影響は、英国の方が日本より小さいと言えます。

もちろん英国の人事制度も完璧ではなく、英国でも通称「回転ドア」と呼ばれる天下りの問題はあります。しかし、英国の人事制度では政治家の影響力が小さいため、「忖度」ということが生じにくい仕組みになっています。政策のためには大臣と官僚は協力し合いますが、政治家は官僚の人事にあまり関与しないというのが英国の官僚人事の特徴と言えます。

日本では官邸が官僚人事を握っており、その力が強くなりすぎたため官僚が忖度しなければならなかったと言われています。人事権は強い力なので、それを振りかざすと官僚は委縮したり政治家の顔色をうかがったりするようになることは想像できます。政治家が官僚の人事権を握りすぎるのはやはり問題があると思うので、人事の仕組みは見直すべきかもしれません。


与党の機能不全

反省を知らない自民党

森友学園への土地取引の問題と財務省の決裁文書改ざんの問題については、野党主導で問題解決への取り組みが行われてきました。与党は防戦一方で、積極的に問題解決への姿勢を示しませんでした。この与党の姿勢が問題を長期化させ、そして悪化させた原因の一つだと考えられます。

与党がこの問題に取り組めば、政権にダメージが生じる懸念があったから取り組まなかったという可能性がありますが、与党にダメージが生じようが生じまいが、それは国民にとって無関係なことです。

国民が政治家に望むことは、誠実に問題に対処し、住みやすい社会を構築してくれることです。そのためには政党など関係ありません。実際、世論調査で自民党を選択する理由として、「他に選択肢がないから」という理由が高い割合を占めています。自民党は消去法で選ばれているだけです。つまり、適切に国家を運営できる政党が他にあるのなら、国民は自民党でなくてもいいと思っているのです。

国会議員が国民の代表なのであれば、国民にとって重要な問題は与野党関係なく、たとえ政権のダメージになろうとも問題解決に向けて取り組むべきでした。それが国民のための政治です。国会議員も官僚と同様、国民のために存在しているということを再認識すべきです。

しかし残念ですが、今の自民党には自浄作用は期待できません。安倍政権以降、組織の不正事件が頻発しています。南スーダンの日報隠蔽問題、森友学園と加計学園の問題、ペジー社のスパコン詐欺事件、厚生労働省の裁量労働のデータ捏造事件など、様々な官僚機構が関係する事件が起きています。これらのどの問題も、自民党は高い支持率と野党の弱さに甘えて、問題解決のための主導的役割を果たしてきませんでした。

2017年9月、安倍総理は「国難突破解散」として衆議院を解散しましたが、森友・加計学園問題の追及から逃れたいから解散したのではないかとメディアなどで報じられました。解散前の2017年8月、関西テレビが佐川氏の国会答弁を覆す音声データを入手して報道し、森友学園の問題が大きく展開しました。「国難」と表現して解散したのにもかかわらず、選挙後の特別国会も短期で終わり、臨時国会も開かないという姿勢で与党は臨みました。安倍総理は何度も「説明責任を果たす」と口では言うものの、まともな説明はこれまでにされていません。

そして、ここまで問題を大きくさせた原因の一つとして考えられるのは、安倍総理が「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく私は総理大臣や国会議員も辞めることははっきり申し上げたい」と、国会で明言したことにあります。この発言の問題点は、『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』でも言及しています。安倍首相の昭恵夫人の名前が決裁文書から削除されたことも明らかになり、この発言が影響していた可能性は否定できないと思われます。

自民党が率先して問題を解決する機会、そして安倍総理が説明責任を果たす機会はこれまでに幾度となくあったはずです。しかし、その機会を故意に逃してきました。今更事態の重さに気付いても、もうすでに遅いです。このような政党、あるいは大臣に、残念ながら自浄作用は期待できません。


存在価値ゼロの公明党

自民党に問題解決能力が無いことが証明されましたが、その一方で、公明党も存在価値が無いことが証明されました。自らを「自民党のストッパー役」だと称してきた公明党ですが、今回の事件でも存在感は発揮できませんでした。

公明党の山口那津男代表は、3月6日の記者会見で、疑惑文書の財務省の説明に対して、「言及を控える対応は妥当」と述べました。

ところが、財務省が文書の書き換えを認めるという報道が出た3月10日、山口代表は「財務省には立法府の側から説明責任を尽くせと申し上げてきた」と記者団に対して述べています。180度内容の違うことを言っています。

さらに山口代表は、佐川氏が国税庁長官時代のときも、そして民間人になっても、佐川氏の国会招致に否定的でした。公文書改ざん問題で世論の高まりを受けてようやく方針転換したので、問題解決へ向けて非協力的な態度であることを国民に対して示しました。

公明党の支持母体である創価学会の人たちは、この発言や態度を知っても山口代表、そして自民党に対して異議を一つも唱えず、自民党と一緒にこの問題を放置してきた公明党を支援できるのでしょうか。

『官僚 vs 政治家 プロセスの透明性』という記事でも触れていますが、公明党はストッパー役を果たせていません。公明党には政権与党の資格はありません。野党になるべきです。そもそも、与党の行動に対してブレーキをかける役割は野党の仕事です。

いつまでも人から言われたままに投票する時代はすでに終わっています。学会員は公明党を支持している理由を説明できますか?自分の頭で考えて投票する時代です。


先入観と偏見

コメンテーターの質

今回の決裁文書の改ざんを報じた朝日新聞に対しては、過去の従軍慰安婦の記事の捏造問題などにより、先入観や偏見を持っている人が少なからずおります。

確かに財務省が決裁文書を改ざんしたという朝日新聞の記事は衝撃的で、その内容はいろいろと憶測を呼ぶものでした。しかし、朝日新聞だからといって、記事の内容を否定できるものではありませんでした。

メディアに登場するコメンテーターの中には、財務省がこんな不祥事をする理由が見当たらず、朝日新聞が本件についての立証責任があると主張していた人が弁護士を含めており、財務省や朝日新聞に対する先入観や偏見を持ってコメントをしていました。

一般的に考えれば、財務省が公文書を改ざんするメリットはありません。そのため、メディアで発言する人の中には「財務省がそんなことをするわけがない」と主張して、その後も財務省の不正の可能性を否定する人がいました。しかし、これは思考の停止です。財務省で勤務する人も人間であり、人間なら過ちを犯すこともあります。たとえ強固な組織でもいったん不正の方向へと流れたら、その動きは止められなくなります。官僚が間違えるわけがないという考えは「官僚の無謬性」であり、この思考から脱却する必要があります。

そもそも疑惑は財務省にあったため、説明責任があったのは財務省です。朝日新聞の記事の立証責任は、財務省が疑惑について無実を説明した後のことです。結果として財務省が不正を認めたため、朝日新聞の記事が正しかったことになりました。

財務省が不正の有無に関して説明したことにより、事件が前進しました。コメンテーターの主張のように、朝日新聞が記事についての説明をすれば、それについての疑惑が一層膨らんだりして物事が前進しなかった可能性があります。

いずれにせよ、最終的には財務省が改ざんの有無をはっきりさせなければならなかったのには変わりがないため、朝日新聞の記事に対する疑惑の説明責任は財務省にありました。

コメンテーターの問題は、財務省の決裁文書に関する朝日新聞の記事だけではありません。メディア上でこの問題について発言するコメンテーターの見解には、問題の本質を理解していないと思えるものが散見していたように思われます。

森友・加計学園の問題では、疑惑が残されたままなのに「他に重要な問題が多くある」などと言って、問題を収めようとする発言をしている人がいました。確かに他にも重要な問題は多くあります。しかし、発生当初からこの問題は行政のプロセスに関する問題でもあり、民主主義の根幹にもつながる問題です。離合集散を繰り返して弱い状態の野党を非難するだけではなく、与党に対しても厳しく批判し続けるべきでした。

問題の本質を指摘できなかったコメンテーターは必要ありません。また、意見を即座に変更するコメンテーターも必要ありません。そして、コメンテーターだけではなくメディアで発言する人は、一度自身の発言の整合性を検証してみるべきです。


世間の認識

この問題の重要性の認識に欠け、先入観と偏見を持っていたのはコメンテーターだけではなく、一般の人にもそのような人がいました。「この問題より他に重要な問題はたくさんある」という意見や、あるいは「野党はいつまでこの問題をしているのだ」などと、メディアに登場するコメンテーターと同じような内容を主張している人がいました。

2016年のアメリカ大統領選で、接戦だったのにもかかわらず「絶対」という言葉を使ってヒラリー・クリントン氏が当選すると予想した人(詳細は『「絶対」という言葉の危険性』『知識力と思考力』)は、「野党はいつまでこんなくだらない問題をしているのだ」などと言い、この問題の深刻さに気付いていませんでした。

確かに、多くの一般の人にとって大切な問題はやはり経済や社会保障とかなので、野党も攻め手を欠いてまともな質問ができず、そして与党も非協力的な姿勢で堂々巡りを続けたこの問題は、もう終わらせてしまったほうがいいと思っていたのは理解できます。

しかし、森友学園の事件は不透明な土地取引の問題から波及して、公文書改ざんの問題まで発生してしまいました。当初から行政のプロセスが不透明であったため、本件は民主主義の根幹に影響を及ぼす問題です。もちろん経済対策などの問題も大切ですが、この問題も発生当初から重要なものだったのです。


知識力と思考力

政治の問題は難しい部分が多くあります。専門家でも意見が異なることは多くあります。しかし、いつも専門家に頼るわけにはいけません。物事を見極めるためには、専門家などの意見を参考にしつつ自分で考える必要があります。そのためには、知識力と思考力を駆使する必要があります。詳細は『知識力と思考力』という記事に記載してあります。

森友学園の問題は、発生当初から様々な疑惑がありました。その疑惑や問題点などについて、私たちはメディアなどからの情報により毎日知識として蓄えていました。そして、その仕入れた知識について考えるためには、思考しなければなりません。そのためには、この学園の問題に加えて政治の知識も求められます。そして、政治の問題について考えるときに求められるのは、自身のイデオロギーの排除です。政治問題ではイデオロギーが問題になることが多々あり、この森友学園の問題もイデオロギー色の強い部分がありました。無意識のうちに政治色や偏見などに支配されて物事を見てしまいがちですが、そうなると真実を見失ってしまいます。真実を求めるときには、イデオロギーは邪魔なだけです。

この問題では佐川氏の国会答弁の矛盾や財務省の音声データなど、疑惑が深まる証拠が次々と出てきました。しかし、それでも「これより他にも重要な問題がある」などと主張して、この問題を矮小化しようとしていた人たちは思考が停止していたと思います。新たな証拠が出てくると、問題についてより踏み込んで考えることができるようになりますが、確定的な証拠がなければ、その考えはまだ推測の域を出ません。しかし、疑惑から少しでも真実を見つけるためには、考え続ける必要があります。思考を停止するのは、疑惑が無くなったときです。疑惑があるうちは考えなくてはなりません。それが、特にメディアで発言する人たちの責務ではないかと思います。この森友学園の問題では疑惑が多くあり、思考する重要性を認識させた事件だとも思います。


最後に

この事件は辞職をして終わりという問題ではありません。辞職しても免罪符にはなりえません。原因究明と再発防止策の構築が求められます。そして、大いなる力には大きな責任が伴います。国家を運営する人たちは、そのことを自覚してほしいです。