TUNE UP SCHOOL
September 01, 2013
TUNE UP SCHOOL vol.60「鏡の中のショートラリー 」
「どうして中学生は髪を染めちゃいけないんですか?」
ちょっと赤めに染めた僕の髪を見ながらアイリがそう問いかけてきた。
彼女は僕がコーチする和田中テニス部の3年生部員。出会った中2の春頃の彼女は、まだちっちゃくって華奢で小学生と間違えられそうなあどけなさを残していたが、季節が変わるたびに、フィルムを早回しするように大人っぽくなってきていた。
「だって、まずお金がかかるじゃん。そういうことは自分でお金が稼げるようになってからすりゃあいいんじゃないのかな」
まずは学校現場に関わる者としての至って真っ当な返答をした。しかし、いちばん不機嫌な季節に漂う中学生たちは、こんな返答だけでは納得しない。
「まあ、それもあるけどさ、そんなにキレイな髪をわざわざ染めることないじゃん。どうせ大人になったら化粧もしなきゃいけなくなるし、髪だって染めなきゃいけなくなるんだからさ。スッピンノーメイクのツヤツヤ黒髪を楽しめるのなんて今のうちだけかもよ」
ショートボブでツヤやかなアイリの髪を見ながら僕はそうつけ加えた。子供を上手く言いくるめるつもりはなかった。本当にそう思っていたからそう言っただけだ。
加速度的な成長と比例して、大人に向ける疑心に満ちたまなざしも強くなっていく。ふぅーんと納得しかけたアイリだったが、すぐに我にかえって、「でもやっぱりキレイな色に染めてみたぁーい!」と至って真っ当な中学生らしくギャーギャーと騒ぎ始めた。
この娘が中2の時の職場体験で美容室に行っていたことは知っていたし、美容のことに興味があり、美容師になりたいと思っているのも知っていた。でもさすがに、その10年後、美容師になった彼女が僕の髪を切り、染めている光景なんて想像できるはずはなかった。
「どんな感じにしますか?」
アイリが勤務する美容室で、鏡の中にいる僕に、鏡の中いる美容師のアイリが問いかけてくる。なんか変な感じ。むこうもそんな感じ。
さらにお店の店長さんやら他のスタッフが、これから始まろうとしている、師弟のような、親子のような二人のバトルがどうなるのか興味深々な感じで見つめている。そんな視線にさらされたら、ぎくしゃくしない方がおかしい。
僕はもう20年近く、一人の男性美容師さんに髪を切ってもらってきた。押し付けがましくない、腕のいい美容師さんだ。彼にはなんの問題もない。ただ自分の中で何かを変えなければいけないと感じていた時に、たまたまそこにあったのが、仕事に就いて3年目で、やっとスタイリストとして客の前に立てるようになった教え子に髪を切ってもらうというアドベンチャーだった。
いつものように髪を切るだけの話である。たとえ思ったような仕上がりにならなかったとしても、どうせ髪は伸びてくる。ショートカットのこの髪は3週間もすれば雑草が茂ったようなってしまうのだから。そう、覚悟は決めていた。でも、いざとなると意外なほどに緊張してしまう。これがこの子じゃなかったら、こんなリスキーなことは絶対にしなかっただろう。
鏡を通して向かい合うふたりが醸し出す妙な空気。その空気が変な方向へ向かわないようにと、なんでもかんでも先回りして、ああしろこうしろと細かく指示を出してしまいそうになる。それじゃあ、ダメなんだ。それじゃあ、わざわざ彼女に髪をいじらせる意味がなくなってしまう。
この新米美容師がスタイリングした、テニス部の後輩たちの髪は見ていた。なかなかセンスのいい仕上げ方をしていた。だけどある程度の長さがある女性の髪と、僕のような短かめで、さらにクセがある男性の髪に鋏を入れるのでは勝手が違うはずだ。
ちょっと前に彼女と会った時に、男の短髪が一番難しいとポロリとつぶやいていた。その時に、彼女のキャリア向上に役立つんだったら僕が実験台なってみるってのもオモシロいのかなと思ったんだ。だからなにもうるさいことを言わずに、彼女が感じたままにやってもらおうと決めていたのだ…
「じゃあ、まずシャンプーしましょう!」
お店の中を包んだ妙な沈黙をうち破るように、アイリの明るい声が響いた。煮詰まったら場を変える。この判断は悪くない。
シャンプー台の椅子が倒されて、僕の顔の上にガーゼが乗せられてしまうと、お互いの表情が見えなくなる。まだアシスタントとしての仕事も多いのだろう、彼女はシャンプーという手慣れた作業をすることで、いつもの自分に戻れたみたいだ。
よく考えてみれば会話をするには奇妙な態勢だ。それがかえってふたりをリラックスさせて、他愛もない会話が始まる。そうなれば今まで通りの、あのテニスコートで培ったコミュニケーションの世界に入っていく。
テニスコートでは1年ちょっと、僕は彼女とその同級生たちに心を注いだ。3年生になったアイリを含めた3人のテニス部員は、夏休みの途中でブカツを引退してコートを去っていったが、3人とも僕が受け持つ音楽授業のギターコースも取っていたので、引き続き、定期的に音楽室で顔を合わせることなる。まるまる2年間、子供から大人へと、心身が劇的に変化していく様を目のあたりにしたことは、子供のいない僕にはセンセーショナルな体験だった。
彼女は高2から、親の転勤で東京を出た。そして高校を卒業すると美容学校でまた東京に戻ってきた。もう育った家はないのに、通った中学校の近くに戻ってきた。慣れ親しんだ街を一旦離れなければいけなかったことで、自分を育ててくれた街への愛着が深まったのかもしれない。職場も、そこからそう遠くもない街にある店を選んだ。自分の意志で育った街の地域住民であることを選んだ子だ。
シャンプーを終えて鏡の前に戻ると、もうさっきのような妙な感じは薄れていた。じゃあ、どんな感じにしましょうかとアイリがヘアカタログのような雑誌を手に取った。とっさに僕の声が出た。
「それは、いらない。もし、こんな風な仕上がりにしたいとかあったら絵に書いてよ。シャンプーしてみて、僕の髪がどんな感じで流れているかわかったでしょ?」
そう言われたアイリはノートと鉛筆を持ってきたが、うーん、うーんと唸るばかりだった。まあ、この長さの髪で劇的な変化を演出するには、染める色を激しくするか、もっと短く刈り込んでいくしかない。そういう方向を僕が望んでいないことだけは彼女もわかっているはずだ。ほとんど選択肢がないに等しい。じゃあ、とりあえず現在の形の方向で、短めなんだけど自然な遊びがあってサイドを切りすぎないことだけ確認して、あとは自由に切ってちょうだいなってことになった。
そしてついに僕の髪にアイリのハサミが入った。最初は動きにぎこちなさがあったけれど、髪が切り落とされるたびに立ち振る舞いも自然になってくる。ハサミを操る彼女はどんどんイキイキとしてくる。
鏡の中で次第に柔らかくなっていく表情を見ながら、中2のアイリとショートラリーをしている光景を思い出していた。出会った頃、この子は本当にちっちゃくってやせっぽっちで、テニスを始めて1年近く経っていたのに、ラケットにボールを当てることさえままならない状態だった。
ショートラリーというのは、ネットを挟んでコートの半分くらいの距離で行なうラリー練習である。普通はウォーミングアップとして行なう練習だが、相手との距離が短くてラリーがつなげやすいので、非力な初心者女子中学生がラケットコントロール感覚を覚えるにはためには効果的なプログラムである。なんて事実も、ブカツテニスコーチ初心者だった僕が、どうしたら初心者のアイリたちがテニスを楽しいと感じてくれるだろうかと試行錯誤した末に気づいたことだ。
とにかく、その頃、アイリだけじゃなくて部員全員が、このショートラリーが全然できなかった。できないことを責めない、できたことを褒める、これが新米ブカツコーチとして僕が最初に立てたポリシーだった。
アイリとショートラリーをしながら、上手く打てない彼女を励ましながら、彼女の動きを観察する。最初、上手く打てないのは腕の力が足りないからかと思っていたが、よく見るとまったく足が動いてなかった。ひょっとしたらと思い、ラリーしながら、足を動かして、足を動かして、と声をかけ続ける。すると少しづつボールがラケットの真ん中に当たり出す。
いいショットが打てた瞬間、カメラのシャッターを切るように「ナイスショット!」と褒める。褒めることで、いいショットが打てた時の身体の動きが彼女の頭の中のフィルムに定着する。表情が変わる。集中力が増す。それが次のいいショットを呼ぶ。
僕はひたすら相手が打ちやすいボールを返すことに気を配りながら、声をかけ続ける。足を動かして、ボールを見て、ナイスショット!ナイスショット!ボールがつながる。うれしい。そう、ただうれしいから褒め続ける。
3年生になる頃には、彼女は普通にショートラリーができるようになっていた。うれしい。だから、また次のステップでも褒め続けた。
できることをやろうとしない時もある。それは叱った。ギリギリまで待って、そして叱った。でも、できなかったことができるようになったことを身体は、心はしっかりと覚えている。だから、すぐに気づいてくれる。まずは励ます。そして褒める。
鏡の中で、スタイリストらしく髪を染めて、きれいにメイクを施したアイリと僕はショートラリーをしていた。もちろん声は出さない。でも心の中で、彼女が僕の髪にハサミを入れるたびにナイスショット!と僕は声をかけ続けていた。
まだまだ半人前のスタイリスト。この娘が本当の意味でのプロになるにはまだ時間がかかるだろう。どんなに好きなことでも、それが好きなことであればよけいに、それを仕事としてやっていくのは大変だ。楽しいことばかりじゃない。きっと乗り越えなきゃいけない壁にいくつも突き当たるのだろう。それは僕だって同じだ。今まさに乗り越えなきゃいけない壁に突き当たっているのだから。
技を磨け。そして心を磨け。
うん、うん、いいかも…アイリは時々ぶつぶつとつぶやきながらハサミを進める。さらに表情が柔らかくなり、その口もとにうれしさのようなものが漂っている。そう、それでいいんだ。それを続ければいいんだ。喜びは伝わる。喜びはつながる。
そして僕も心の中でつぶやき続ける、ナイスショット!と。
ちょっと赤めに染めた僕の髪を見ながらアイリがそう問いかけてきた。
彼女は僕がコーチする和田中テニス部の3年生部員。出会った中2の春頃の彼女は、まだちっちゃくって華奢で小学生と間違えられそうなあどけなさを残していたが、季節が変わるたびに、フィルムを早回しするように大人っぽくなってきていた。
「だって、まずお金がかかるじゃん。そういうことは自分でお金が稼げるようになってからすりゃあいいんじゃないのかな」
まずは学校現場に関わる者としての至って真っ当な返答をした。しかし、いちばん不機嫌な季節に漂う中学生たちは、こんな返答だけでは納得しない。
「まあ、それもあるけどさ、そんなにキレイな髪をわざわざ染めることないじゃん。どうせ大人になったら化粧もしなきゃいけなくなるし、髪だって染めなきゃいけなくなるんだからさ。スッピンノーメイクのツヤツヤ黒髪を楽しめるのなんて今のうちだけかもよ」
ショートボブでツヤやかなアイリの髪を見ながら僕はそうつけ加えた。子供を上手く言いくるめるつもりはなかった。本当にそう思っていたからそう言っただけだ。
加速度的な成長と比例して、大人に向ける疑心に満ちたまなざしも強くなっていく。ふぅーんと納得しかけたアイリだったが、すぐに我にかえって、「でもやっぱりキレイな色に染めてみたぁーい!」と至って真っ当な中学生らしくギャーギャーと騒ぎ始めた。
この娘が中2の時の職場体験で美容室に行っていたことは知っていたし、美容のことに興味があり、美容師になりたいと思っているのも知っていた。でもさすがに、その10年後、美容師になった彼女が僕の髪を切り、染めている光景なんて想像できるはずはなかった。
「どんな感じにしますか?」
アイリが勤務する美容室で、鏡の中にいる僕に、鏡の中いる美容師のアイリが問いかけてくる。なんか変な感じ。むこうもそんな感じ。
さらにお店の店長さんやら他のスタッフが、これから始まろうとしている、師弟のような、親子のような二人のバトルがどうなるのか興味深々な感じで見つめている。そんな視線にさらされたら、ぎくしゃくしない方がおかしい。
僕はもう20年近く、一人の男性美容師さんに髪を切ってもらってきた。押し付けがましくない、腕のいい美容師さんだ。彼にはなんの問題もない。ただ自分の中で何かを変えなければいけないと感じていた時に、たまたまそこにあったのが、仕事に就いて3年目で、やっとスタイリストとして客の前に立てるようになった教え子に髪を切ってもらうというアドベンチャーだった。
いつものように髪を切るだけの話である。たとえ思ったような仕上がりにならなかったとしても、どうせ髪は伸びてくる。ショートカットのこの髪は3週間もすれば雑草が茂ったようなってしまうのだから。そう、覚悟は決めていた。でも、いざとなると意外なほどに緊張してしまう。これがこの子じゃなかったら、こんなリスキーなことは絶対にしなかっただろう。
鏡を通して向かい合うふたりが醸し出す妙な空気。その空気が変な方向へ向かわないようにと、なんでもかんでも先回りして、ああしろこうしろと細かく指示を出してしまいそうになる。それじゃあ、ダメなんだ。それじゃあ、わざわざ彼女に髪をいじらせる意味がなくなってしまう。
この新米美容師がスタイリングした、テニス部の後輩たちの髪は見ていた。なかなかセンスのいい仕上げ方をしていた。だけどある程度の長さがある女性の髪と、僕のような短かめで、さらにクセがある男性の髪に鋏を入れるのでは勝手が違うはずだ。
ちょっと前に彼女と会った時に、男の短髪が一番難しいとポロリとつぶやいていた。その時に、彼女のキャリア向上に役立つんだったら僕が実験台なってみるってのもオモシロいのかなと思ったんだ。だからなにもうるさいことを言わずに、彼女が感じたままにやってもらおうと決めていたのだ…
「じゃあ、まずシャンプーしましょう!」
お店の中を包んだ妙な沈黙をうち破るように、アイリの明るい声が響いた。煮詰まったら場を変える。この判断は悪くない。
シャンプー台の椅子が倒されて、僕の顔の上にガーゼが乗せられてしまうと、お互いの表情が見えなくなる。まだアシスタントとしての仕事も多いのだろう、彼女はシャンプーという手慣れた作業をすることで、いつもの自分に戻れたみたいだ。
よく考えてみれば会話をするには奇妙な態勢だ。それがかえってふたりをリラックスさせて、他愛もない会話が始まる。そうなれば今まで通りの、あのテニスコートで培ったコミュニケーションの世界に入っていく。
テニスコートでは1年ちょっと、僕は彼女とその同級生たちに心を注いだ。3年生になったアイリを含めた3人のテニス部員は、夏休みの途中でブカツを引退してコートを去っていったが、3人とも僕が受け持つ音楽授業のギターコースも取っていたので、引き続き、定期的に音楽室で顔を合わせることなる。まるまる2年間、子供から大人へと、心身が劇的に変化していく様を目のあたりにしたことは、子供のいない僕にはセンセーショナルな体験だった。
彼女は高2から、親の転勤で東京を出た。そして高校を卒業すると美容学校でまた東京に戻ってきた。もう育った家はないのに、通った中学校の近くに戻ってきた。慣れ親しんだ街を一旦離れなければいけなかったことで、自分を育ててくれた街への愛着が深まったのかもしれない。職場も、そこからそう遠くもない街にある店を選んだ。自分の意志で育った街の地域住民であることを選んだ子だ。
シャンプーを終えて鏡の前に戻ると、もうさっきのような妙な感じは薄れていた。じゃあ、どんな感じにしましょうかとアイリがヘアカタログのような雑誌を手に取った。とっさに僕の声が出た。
「それは、いらない。もし、こんな風な仕上がりにしたいとかあったら絵に書いてよ。シャンプーしてみて、僕の髪がどんな感じで流れているかわかったでしょ?」
そう言われたアイリはノートと鉛筆を持ってきたが、うーん、うーんと唸るばかりだった。まあ、この長さの髪で劇的な変化を演出するには、染める色を激しくするか、もっと短く刈り込んでいくしかない。そういう方向を僕が望んでいないことだけは彼女もわかっているはずだ。ほとんど選択肢がないに等しい。じゃあ、とりあえず現在の形の方向で、短めなんだけど自然な遊びがあってサイドを切りすぎないことだけ確認して、あとは自由に切ってちょうだいなってことになった。
そしてついに僕の髪にアイリのハサミが入った。最初は動きにぎこちなさがあったけれど、髪が切り落とされるたびに立ち振る舞いも自然になってくる。ハサミを操る彼女はどんどんイキイキとしてくる。
鏡の中で次第に柔らかくなっていく表情を見ながら、中2のアイリとショートラリーをしている光景を思い出していた。出会った頃、この子は本当にちっちゃくってやせっぽっちで、テニスを始めて1年近く経っていたのに、ラケットにボールを当てることさえままならない状態だった。
ショートラリーというのは、ネットを挟んでコートの半分くらいの距離で行なうラリー練習である。普通はウォーミングアップとして行なう練習だが、相手との距離が短くてラリーがつなげやすいので、非力な初心者女子中学生がラケットコントロール感覚を覚えるにはためには効果的なプログラムである。なんて事実も、ブカツテニスコーチ初心者だった僕が、どうしたら初心者のアイリたちがテニスを楽しいと感じてくれるだろうかと試行錯誤した末に気づいたことだ。
とにかく、その頃、アイリだけじゃなくて部員全員が、このショートラリーが全然できなかった。できないことを責めない、できたことを褒める、これが新米ブカツコーチとして僕が最初に立てたポリシーだった。
アイリとショートラリーをしながら、上手く打てない彼女を励ましながら、彼女の動きを観察する。最初、上手く打てないのは腕の力が足りないからかと思っていたが、よく見るとまったく足が動いてなかった。ひょっとしたらと思い、ラリーしながら、足を動かして、足を動かして、と声をかけ続ける。すると少しづつボールがラケットの真ん中に当たり出す。
いいショットが打てた瞬間、カメラのシャッターを切るように「ナイスショット!」と褒める。褒めることで、いいショットが打てた時の身体の動きが彼女の頭の中のフィルムに定着する。表情が変わる。集中力が増す。それが次のいいショットを呼ぶ。
僕はひたすら相手が打ちやすいボールを返すことに気を配りながら、声をかけ続ける。足を動かして、ボールを見て、ナイスショット!ナイスショット!ボールがつながる。うれしい。そう、ただうれしいから褒め続ける。
3年生になる頃には、彼女は普通にショートラリーができるようになっていた。うれしい。だから、また次のステップでも褒め続けた。
できることをやろうとしない時もある。それは叱った。ギリギリまで待って、そして叱った。でも、できなかったことができるようになったことを身体は、心はしっかりと覚えている。だから、すぐに気づいてくれる。まずは励ます。そして褒める。
鏡の中で、スタイリストらしく髪を染めて、きれいにメイクを施したアイリと僕はショートラリーをしていた。もちろん声は出さない。でも心の中で、彼女が僕の髪にハサミを入れるたびにナイスショット!と僕は声をかけ続けていた。
まだまだ半人前のスタイリスト。この娘が本当の意味でのプロになるにはまだ時間がかかるだろう。どんなに好きなことでも、それが好きなことであればよけいに、それを仕事としてやっていくのは大変だ。楽しいことばかりじゃない。きっと乗り越えなきゃいけない壁にいくつも突き当たるのだろう。それは僕だって同じだ。今まさに乗り越えなきゃいけない壁に突き当たっているのだから。
技を磨け。そして心を磨け。
うん、うん、いいかも…アイリは時々ぶつぶつとつぶやきながらハサミを進める。さらに表情が柔らかくなり、その口もとにうれしさのようなものが漂っている。そう、それでいいんだ。それを続ければいいんだ。喜びは伝わる。喜びはつながる。
そして僕も心の中でつぶやき続ける、ナイスショット!と。
edge_etsuji at 07:18|Permalink│TrackBack(0)│
August 14, 2013
連載エッセイTUNE UP SCHOOL vol.59「区大会団体戦」
✳︎わたしなんかがAチームに…✳︎
「私なんかがAチームに入らない方が良かったんだ」
頭からタオルを被ったユカリが、コートサイドのベンチで泣いていた。
「誰も私がAチームに相応しいなんて思ってないよ。もし校内戦をやらなくてメンバーを選んだら、絶対に私はBチームだったはずだよ」
「ユカリ、そんなことを言っちゃダメだよ。それじゃBチームに入った子たちに失礼でしょ」
ユカリと仲の良い副キャプテンのクルミが、ユカリをたしなめるように肩に手を置いる。でも、そのクルミの言葉の80パーセント以上が同情であることがありありと伝わってくる。
そして ユカリがAチームに相応しくないなんて、チームメイトの誰ひとりも思ってはいなかった。でも、チームメイトの誰もがユカリの言葉をどこか否定し切れないでいた。
ついさっき終わったばかりの校内リーグ戦の結果、ユカリがレギュラーチームのAチームに入ることが決まり、これまでの個人戦ではずっとAチームに相応しい個人成績を残してきたハルミがセカンドチームのBチームに入ることになった。
夏休みに入ってすぐの7月の終わり、夕暮れのテニスコート。勝っても負けても、コートサイドでうなだれる中3の少女たち。
この日から、女子部しかない和田中硬式テニス部の、学校に1泊する恒例の学校合宿が始まろうとしていた。
練習後、部員たちは、地元商店街にある銭湯に出かけて汗を流し、お母さんたちが作ってくれたカレーライスを家庭科調理室で頬張り、薄暗い校舎内を彷徨う校内肝試しをして、そして3年生から1年生までの全員が、貸し布団を敷きつめた図書室に枕を並べて寝る。
これで7度目となる、ありそうでなさそうな特別な、忘れえぬような楽しい時間は、こんな切ないシーンから幕が開いたのだった。
この学校合宿が終わると、その翌日から、3年生にとっては引退試合となる杉並区大会団体戦が始まる。
✳︎引退試合の団体戦のチーム分け✳︎
中学テニス部の団体戦はダブルス2試合、シングルス3試合の5試合を7人で競い合う。一人の選手が出られるの1試合だけ。だから7人のメンバーが揃わないと大会には参加できない。
公立中のテニス部3年生たちにとって最後の大会となる区大会団体戦には、ひとつの学校から2チームがエントリーすることができる。もちろん実力的に上位の選手で組んだチームがAチームだ。
3年生が7人以上いたら、A、Bに分かれてでも、3年生全員が、学校の名前を背負ったチーム戦で一つでも多くの試合を経験するチャンスを作る。こうやって中学ブカツを終えるのが和田中テニス部が積み上げてきたブカツ系テニスの流儀だ。
今年の3年生部員は11人。そのうちの7人でAチームを、4人の3年生と3人の2年生でBチームを組むことにした。そしてAチームとしてエントリーする7人を決めるために、今年は3年生総当たりでシングルスのリーグ戦を行うことにした。
2年前のチームも3年生が11人だったが、この時のチーム編成は僕が決めた。校内戦の結果でチーム分けを決めるのは初めてだった。
✳︎一人ひとりの部員にとって最良の幕の下ろし方✳︎
ユカリが言うように、去年までと同じように校内戦をしないでチーム分けするとしたら、それは僕が決めることになる。
じゃあ、もしそうしていたとたらどうしたんだろう?うーん、なんとも言えなかった。確かにハルミをAチームに入れたかもしれない。
それは毎年のことだったが、今年もまた、3年生部員一人ひとりにとっての最良のブカツの幕の下ろし方ってどんな形なんだろうとずっと考えていた。
一人ひとりの技術的な成熟度、キャラクター、チームメイトととの関係性など、いろいろな要素を頭の中にインプットして、一人ひとりの役割りを見出していく。
今年も今までと同じように一人ひとりを見つめていた。見つめているうちに、今年のチームは最後の最後までテニスで競い合って、お互いの力を高め合っていくべきだと妙にクリアに思ったのだ。
みんな優しさがあって、お互いのことを思いやれる物分かりのいい子が揃ったチームだった。それが逆にお互いのことを思うが故に遠慮しあってしまっているようなところがあった。そういうメンタル面が試合の中の大事な場面での弱さにつながってしまうことが少なからずあった。
この子たちが1年生の時のチーム、現在高2の子たちが主力だったチームは、この区大会団体戦で優勝して引退していった。
前年のチームも、優勝は逃したものの決勝戦まで駒を進めた。そうやって先輩たちが中学ブカツにピリオドを打つ姿を見てきたこの子たちも、当然、先輩たちと同じようなピリオドを打ちたいというイメージを抱いているだろう。
さらには、このチームのキャプテンのリサの姉、現在大学2年生のマキのいた代のチームから数えると5年連続で決勝戦に進出していた。そういう目には見えないプレッシャーも知らず知らずのうちに彼女たちを覆っているはずだ。
今年のチームも区大会では決勝戦まで勝ち上がるだけの力はついてきているのを実感していた。でも、どんな大会でも、決勝戦まで勝ち上がることは簡単なことではない。
この子たちがそのステージまで登るには、もうひとつ、かぶりつくような強さを前面に出すことが必要だと感じていた。だから、外との戦いの前に正々堂々とチームメイトと競い合うべきだと。
正々堂々と戦い、勝った喜びも、負けた悔しさもすべてチームの力へと注ぎ込むのが、この子たちにとってのベストな形だろうと思ったから。
✳︎テニスの基礎固めはシングルス✳︎
僕はこれまで10年間このチームをコーチしてきて、この団体戦は絶対優勝とか、個人戦は何人以上都大会出場とかいう数値目標を掲げたことはない。
中学生になって初めてラケットを握った子たちが、一般的な部活動の活動時間の中で、引退するまでの2年3ヶ月の活動期間のうちに、個々の能力の中でテニスがちゃんとできるようになってくれればいい。
そして、そのテニスという道具を使って、ちゃんとしたコミュニケーションが取れるような社会性を身につけてくれればいい。そう思ってコーチしてきた。そうしていたら、たまたま毎年、行き着く先が杉並区団体戦上位というポジションだったというだけだ。
団体戦は一人だけ強い子がいても勝てない。毎年、最後の団体戦で安定した成績が残せているというのは、部員のみんながテニスをちゃんとできるようになっているという証だろう。順位とか成績とかではなく、それが僕にとっての大きな誇りだ。
そんなテニスの基礎は「シングルス」で固められると思っている。
あの広いコートを一人で守り、一人で攻めこまなければいけないシングルス。さらにシングルスの個人戦は、試合中の指導者やチームメイトからのアドバイス、コーチングが一切受けられないルールになっている。
しかも大きな大会にならない限り審判もつかない。ボールがラインの外に出たとかいうジャッジや、今のカウントがなんであるかとかいうジャッジは、コートにいる選手同士で行わなければいけない。
中学の部活動で主流であるスポーツ、例えば野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールなどは、審判はなんらかの形でつくし、試合中も指導者やチームメイトが事細かに指示を出したり、アドバイスをしたりできる。
でもテニスのシングルスの個人戦は、試合が始まったらとにかく一人きりで戦わなければいけない。とっても孤独で、自分の正直さが試される、ほとんど自分自身との戦いとなる種目なのだ。
そんなシングルスをしっかり戦い切れば、同じコートの中で喜びも苦しみも分かち合える仲間がいるダブルスのおもしろさが倍増する。
そしてチームで戦う団体戦となればベンチにコーチとして仲間が入ることができる。シングルスでもダブルスでも、コートチェンジの際の90秒間だけだけどアドバイスやコーチングが受けられる。
まずひとりでシングルスを戦い抜けば、ダブルスで仲間のいることの有難さを感じ、チームで戦うことの喜びを一層味合うことができる。
シングルスで自立心を育み、ダブルスで協調性を高め、チーム戦で仲間の大切さを感じ取る。この流れがあってこそ、硬式テニスが学校教育を基盤としたブカツとして成立するのだと僕は考えている。
だから僕はブカツテニスからシングルスを外して考えることができないのだ。
✳︎会場不足で個人戦エントリー数が減り続けるシングルス✳︎
でも、特に都市部の大会では、コート不足からくる運営の難しさから個人戦シングルスに出場できる選手数がどんどん少なくなってきてしまっている。
バスケや、バレーボールだったら一度に10人以上がコートに立てるスペースを、たった2人が占有してしまうのがテニスのシングルスだ。
しかも時間制限もなく、競り合いになってしまえば、中学生が戦うワンセット・マッチでも、決着がつくまで2時間近くかかってしまうことだってある。
さらに屋外スポーツであるため、雨が降れば試合はできない。天候が大会進行に大きく影響する競技だから、運営する側がシングルスの参加選手数を制限するのは仕方のないことなのかも知れない。
和田中が属している東京都第3ブロック(練馬/中野/杉並)では、2年前からシングルスは1校につき8人までのエントリーと制限された。それ以前は25人制限だったので、毎年、各学年10人くらいの部員数の和田中は全員がシングルスにエントリーできていた。
シングルスの大会運営の難しさは十分に理解できる。でも、せっかく硬式テニスを始めた子たちがシングルスを戦う機会を失うということは、本当のテニスの面白さと、ブカツテニスが担うはずの自立と協調のスピリッツを育む機会を狭めることだ。
だから僕は、たとえ大会には参加できなくても、せめて和田中の子たちにはテニスの真髄を感じてもらうためにもシングルスの校内戦を始めたのだ。
そんな意味合いも持って行われた校内シングルス戦を経て、それまでの個人戦ではこれといった成績を残していなかったユカリがAチームに入ることになった。
正直言って、ユカリはテニスに関して不器用な子だった。この春休みに行った校内戦では学年で9位くらいだったはずだ。
でも静かな一生懸命さがこの子にはあった。ミーティングで僕が言うことを、列の一番端でじっと耳をすまして聞いている子だった。
練習の終わりにはいつも、コートやグランドにボールが残っていないかをひとりででも最後まで確認している子だった。
こういうユカリのような子が、中学ブカツテニスの最後の最後に花を開かせる姿を何度も見てきた。そんな彼女の先輩たちも、最後の区大会のコートに立つまでは蕾のままだった、この時のユカリのように。
✳︎和田中コートでの最後の活動…雨✳︎
校内戦の重い空気も、学校に泊まるという、日常の中にある非日常な一夜が吹き飛ばしてくれた。2日目のグランドには、それまで以上に和気あいあいな空気が流れ、チームが自然に団結していくのが感じられた。
そして合宿の翌日が区大会の初日。合宿でテニスパーク状態になっていた和田中グランドが、そのまま会場となり、他校の選手たちもやってきて、昨日までとは一味違う華やかさと緊張感がグランドを包んだ。
しかし、最初の試合が始まってすぐに雨が降り出し、どんどん強まる雨脚に試合続行はできなくなり翌日に順延となった。
明日はグランドを野球部やサッカー部に返さなくてはいけない。このチームでの、和田中での最後の活動は、そぼ降る雨の中での会場撤収作業になってしまった。全員がびしょ濡れになりながら、合宿からテニスパーク状態だったグランドを元の状態に戻した。
✳︎名門テニスクラブでの緒戦
〜Bチーム、ほろ苦い幕切れ〜✳︎
2日目の会場は武蔵野ローンテニスクラブ。
当初の予定では、この会員制のテニスクラブに男女ベスト8が集結して、杉並チャンピオンを決める戦いが繰り広げられるはずだった。まあ天候に左右されるのもテニスの特性。前日から順延となった1、2回戦を行うことになった。
前日の雨で適度な湿り気を含んだクレイコート。都内でも数少なくなった土のコートは、早朝からのクラブの職員の方々による入念な整備が施されて最高の状態。
もし前日に敗退していたら、ここには来れなかった多くの選手たちが、こんなにも上質なクレイコートでのテニスを体験することができることになった。
地元の中学のブカツでテニスする子たちが、もっともっとテニスを好きになってもらいたいという願いが、民間の名門テニスクラブでの公式戦開催を実現させた。大きな視野でみれば、前日の雨はまさに天の恵みだったのかもしれない。
そんなクレイコートに、まずは和田中のBチームが登場する。
ハルミをキャプテンに置き、チカ、ノブカ、カナの4人の3年生と2年生たちで組んだチームの1回戦の相手は、杉森中Aチーム。相手は3年生中心で組まれたチームだったが、和田中3年生の4人でダブルス1本とシングルス2本の3本を取って緒戦突破と挑んだ。
ところがノブカとカナで組んだ第1ダブルスは、団体戦の重圧だろう、このところメキメキと腕をあげてきていた二人の動きにキレがない。
しかも前日の雨で生じた遅れを解消するため、1、2回戦はデュースなしの40-40からを1本でゲームを決めるノーアドバンテージ制で行なわれていて、競ったあげくの大事なポイントがことごとく相手側に転がってしまう。ノブカ、カナが本来持っているはずの力を出し切れないまま、試合を落としてしまった。
このポイントを取ることを前提に組んだオーダーだったので戦局はいきなり厳しくなってしまった。その後のコートに登場した2年生のダブルスとシングルスもポイントを奪えずに先に3敗となり、結局チカとハルミが力を発揮できないままに敗退が決まるという、4人の3年生にとっては、なんともほろ苦い幕切れ。
でもノブカもカナもチカも、入部当初は身体も華奢で、ラケットにボールを当てるのさえままならなかった。そんな子たちがこんなにキチンとテニスができるようになっただけでもすごいことだった。だからこそ、少しでも長くコートに立つ姿が見ていたかった。やはり団体戦はこわい。
特に、自分はAチームで戦うんだと思い込んでいただろうハルミには、この幕切れは納得がいかなかっただろう。サーブもストロークも、きちんと当たればチームではピカイチの威力を持っていた。その素材だけ取れば、当然Aチームのシングルスのエース・ポジションを務めるべき子だった。だけど、その一つひとつの能力をまとめ上げる心のコントロール力がまだ追いついていなかった。そのことが、最後の校内戦で出てしまった。
とにかく明るくてエネルギッシュな子だった。良くも悪くもチームのムードメーカーだった。そのムードメークがマイナス方向に向かいそうな時には思いっきり叱ったこともある。それだって、この子がその気になってくれたら区大会の優勝にぐっと近づくことができると思っていたから。
きっとクレイコートの神様は、この子に試練を与えたのだと思う。その与えられた才能を開花させるには、まずこの悔しさを乗り越えなければいけないのだと。これは「終わり」じゃない。これが「始まり」なんなんだと。
同じ日、2回戦からスタートしたAチームは、初戦の井荻中戦を難なく制して翌日の準々決勝に駒を進める。ここから和田中のチームとしての本領が発揮されることになる。
✳︎最後のウォーミング・アップ
〜試合に出る子も出ない子も
3年生も2年生も1年生も全員で〜✳︎
翌日も空は晴れ渡り、女子の会場は井草中に移る。今年の春に校舎の建て替え工事が終わったばかりの公立校で、グランドに6面のテニスコートを作ることができる設備がある。チーム数も絞られてきたので、試合前のウォーミングアップで1校につき1面のテニスコートが使えることになった。
さあ、泣いても笑っても、このチームで活動する最後の日だ。
他の中学は試合に出る選手だけがコートに入ってボールを打ち出している。そんな中で和田中は、前日に敗退して試合に出るチャンスがないBチームのメンバーも、2年生も1年生も全員で、いつもの練習と同じ形で、いつものウォーミングアップをする。
エール、ストレッチ、ランニング、ステップ、ダッシュ、アジリティー、そして素振り。スペースさえあれば、試合に出る子も出ない子も全員で一緒にこのウォーミングアップをするのが和田中テニス部の流儀だ。
3年生たちが1年生の時も同じことをやった。この循環がブカツテニスの骨格を形成していくのだ。
ウォーミングアップを終えると、残りの時間を使って3年生だけでボールを使ったラリー練習をする。
もちろんBチームの4人ノブカ、カナ、チカ、ハルミもボールを打つ。彼女たちのブカツはまだ終わっていない。彼女たちの打つボールにこめられた思いがチームに力を注ぎ込む。この11人でテニスができるという喜びが、必ずチームに勇気を与えてくれるはずだ。
西宮中との準々決勝が始まった。
団体戦には審判がつく。お互いのチームから1名づつ出された主審、副審が試合進行を助ける。和田中では2年生が審判をすることになっている。1年生はコート内でボールを拾うボールパーソンを務める。全員が役割りを持ち、試合に参加し、全員で戦う、これが和田中のブカツテニスだ。
準々決勝の相手の西宮中は、僕が2年前までの3年間、音楽の授業でギターを教えていた学校だ。そんなご縁もあって、今のチームの姉たちの代を1年間、授業のある日の放課後だけコーチをしたことがある。
その時のチームは、2年前のこの区大会団体戦で準決勝まで進み、優勝した和田中には敗れたものの、初めて3位のメダルを獲得した。今のチームもあの時のチームくらいの力を持っているはずだから、ドローの関係で準々決勝で当たってしまったのが残念だった。
2面のコートを使って、二つの試合が同時に進む形でゲームが始まった。
まずは和田中がダブルス2本を確実に取って優位に試合を進める。シングルスをあと1本取れば和田中の勝ちだ。しかし西宮中にはシングルスの上手い子が2人残っているから、このまますんなりとは終わらないと僕は読んでいた。
先にダブルスが終わったコートにシングルスの一番手が入った。
和田中は副キャプテンのクルミ。彼女は副キャプテンとして、キャプテンのリサをしっかり支えてくれた子だった。テニスのスタイルはまだまだ発展途上だったが、とにかくガッツがあり、苦しい場面でもなんとかボールをねじ込む精神力を持っていた。
西宮中はキャプテンのアスキ。彼女は身体はちっちゃいが足が早く、スタミナがあって、これといった決め球はないが、とにかく拾いまくる。この子のお姉ちゃんにギターを教えていたので、僕にとっては馴染みのある子だった。
どこか似たテニスをする2人がネットを挟んで、ひとつのボールを追いかける。僕はただ黙って試合を見つめた。とにかく二人がいいテニスをしてくれることだけを祈りながら。
クルミが4ゲームを先行したが、そこからアスキも粘って1ゲーム、2ゲームと取り返していく。
その頃、隣のコートではシングルス2番手のユカリの試合が始まっていた。
西宮中はエースのフミコ。去年の夏の個人戦シングルスのブロック予選で、和田中の子は誰も足を踏み入れることのできなかったベスト16に入った子だ。
そういうキャリアだけみればユカリが劣勢を強いられるはずだったが、この試合でユカリがいきなり開花した。まるで試合に出られないチームメイトの思いが乗り移ったかのように、相手の嫌がる場所にボールを打ち込み、確実にポイントを重ねていく。
隣のコートで西宮のアスキが勢いを取り戻して4-4のタイになった頃、あれよあれよという勢いでユカリは5-0とリードしてしまっていた。
相手のフミコは個人戦であれだけの成績を残した子だ。いくらなんでもこのまま終わるはずはないよなあという僕の懸念を蹴散らすように、ユカリはあっさりとマッチポイントも取って6-0で勝ってしまう。
先に始まっていたクルミとアスキの熱戦の決着を見ないまま、和田中が3勝となり試合が決まってしまった。
✳︎西宮中への切ない想い✳︎
西宮中を下した和田中は準決勝の井草中戦を難なく制して、決勝戦の準備に入っていた。すると帰り支度を済ませたアスキたち、西宮中の顔見知りの子たちが、僕のところにわざわざ挨拶にきた。そうだった、この子たちもこれで中学ブカツが終わったんだった。
「これまでご指導頂きありがとうございました!」
アスキの発声を受けて、全員が「ありがとうございました!」と深々とお辞儀をした。僕は思わず言葉を失った。
この子たちの先輩やお姉ちゃんたちには直接コートでコーチすることができた。でも、ゆとり教育の見直しでギターの授業がなくなってからは西宮中から足が遠のいてしまい、結局この子たちとは一度も一緒にボールを打つ機会が持てなかった。
去年の夏の新人戦や、その後の大会の会場でこの子たちに会うと、何時となく「どうしてもう西宮中にはコーチに来てくれないんですか?」と言われた。その度に胸が痛んだ。
西宮中も含めた公立中テニス部を集めた合同練習会は何度か催したが、この子たちが僕に望んでいたんだろう指導などしてあげられなかった。
僕が和田中テニス部で積み上げてきたブカツテニスの流儀は、特別な能力を持ったアスリートを目指す子たちのものではない。
和田中の子たちように、西宮中の子たちのように、中学生になり、ブカツに興味を持ち、いくつかの競技の中からテニスを選んだ、フツーな子たちのためのものだ。
だから、どの中学校のテニス部だってフィットできるはずのものだ。西宮中の子に限らず、ブカツでテニスをちゃんとやりたいと思っている子だったら、和田中テニス部と同じようなことをできたらいいと思うに違いない。
たまたまご縁のあった西宮中の子たちは、素直に和田中ようなブカツテニスをやりたいと僕に求めてきた。一時だけ、その気持ちを具体的に受け止めてあげられたことがあった。
その時からずっと、もっとたくさんの場所にブカツテニスを伝えたいと思ってきた。だけど、それぞれの学校にはそれぞれの事情があり、取り巻く大人たちの事情があり、僕ひとりの力ではそこに切り込むことはできないでいた。子どもたちの純粋な気持ちに応えてあげられない自分がもどかしくて仕方なかった。
でも、この健気な少女たちの目を見て思った。君たちにはそうしてあげられなかったけど、君たちの後輩たちがブカツをやって良かった、テニスをやって良かったと素直に思える状況になるようにがんばるから。
君たちの叶わなかった思いが、僕を突き動かしてくれたんだと君たちの後輩に伝えるから。
そして、もし将来君たちに子供ができて、その子たちが中学生になる頃に、一緒にまいた種が花を咲かせて実を結んでいるようにがんばるから、と。
そして僕は思った。まずは僕を信じてついて来てくれた和田中テニス部をもっともっと愛そうと。ここがなければなにもなかったのだから。
✳︎決勝戦〜ダブルス、逆境を乗り越えて〜✳︎
決勝戦が始まった。
相手は去年、和田中の連覇を阻んだ私立の日大二中。去年の優勝メンバーが残る日大二中は、この大会でも第1シードで、優勝候補の筆頭だった。
冷静に分析しても、戦力的には相手の方が上だったが、もしダブルス2本を和田中が取って先行できたら面白いことになると読んでいた。
3面が横に並んだコートでダブルス2試合、シングルス1試合が同時にスタート。
和田中の第1ダブルス(D2)はキャプテンのリサとカヤで、春の個人戦で6回戦まで進んだペアだ。
第2ダブルス(D1)はリコとマオのサウスポーペア。左ききの2人が繰り出すショットは切れ味が鋭く、2人とも右ききの相手ペアはかなりやりにくいはずだ。
そして第1シングルス(S3)はクルミ。相手シングルス3人はレベルが高く、厳しい戦いが予想されたが、こういうコート展開の試合では、なにが起こるかわからない。隣のコートでの展開がプレイに大きく影響したりする。
クルミのシングルスは、内容的には互角の勝負となったが、大事なポイントで相手のボールがコートに深く突き刺さって惜敗。敗れたとはいえ、クルミの粘り強くプレイする姿は、隣のダブルスのコートからも見えていたはずだ。
ダブルスの熱戦が続く中、クルミが戦い終えたコートに第2シングルス(S2)のユカリが入る。
第2ダブルスのリコとマオのペアが先にマッチポイントを握った。
リコは春の校内戦で3年生の最下位になってしまい、中学最後の個人戦のダブルスは、3年生でただ一人、2年生とペアを組んだ。それでも彼女は腐らず、後輩を盛り立ててがんばり、シングルスではチームでも上位な成績を上げた。
同級生と組むダブルスのありがたさを一番知っているはずの子で、その経験は必ず最後の団体戦で生きるはずだと期待していたが、この決勝戦でもマオとの絶妙なコンビネーションを見せて見事に接戦を制した。
リコとマオがマッチポイントを決めた時、隣のコートのリサとカヤのダブルスは一進一退でゲーム後半を迎えていた。
まず1勝目をもぎ取ったリコとマオが抱き合って喜んでいるのを見たリサは、大声で「私たちも絶対に勝つよ!」と叫んだ。こんなに強くてはっきりした彼女の声を聞いたのは初めてだった。この瞬間、この子は本当の意味でのチームのキャプテンになったと思った。
今までのリサは、勝利を目前して、考えすぎて最後のポイントが取りきれずに逆転負けすることが何度もあった子だった。
去年のこの大会、Bチームの第1シングルスで出場したリサは、5-2でリードしてから、何度も訪れるマッチポイントが取れずに5-7で敗れた。ゲーム全体が終わってみれば、そのリサが握ったマッチ・ポイントが取れていればチームも勝てていた。その敗戦で、3年生で一人だけBチームに入ったマリナの中学ブカツの幕が降されることになってしまったという苦汁を舐めている。そんな子に、そんな経験をした子だからこそキャプテンを任せた。
隣のコートがリコとマオの勝利で沸き返った瞬間、僕の頭の中で、去年のリサの逆転負けのシーンがよみがえってしまった。勝てる、勝たなきゃいけないという気持ちが逆に、リサにプレッシャーをかけてしまうのではないかという不安がよぎった。
でも、即座に「絶対に勝つよ!」と叫んだ彼女の声の艶が、その不安を吹き飛ばしてくれた。これぞ和田中テニス部のキャプテンの声だった。今日は大丈夫だと確信できた。
ペアのカヤはそもそも勝負強いメンタルを持った子だ。リサが乗ってくれればカヤの動きがさらに鋭くなる。そのまま2人は崩れることなく、しっかりとマッチポイントをもぎ取った。
✳︎決勝〜シングルス、
あきらめていない、全然あきらめていない〜✳︎
先にダブルスが終わった、リコとマオがいたコートで第3シングルス(S1)のトモミの試合も始まっていた。
トモミの相手は、相手チームのエースの子だった。このエースをこのポジションに置いたということは、相手も試合が第3シングルスまでもつれると予測したのだろう。最後のポイントがかかった試合は、当然それだけのプレッシャーがかかる。そこに安定感抜群のエースを持ってきたわけだ。
トモミはパワーはないが、確実にサーブとストロークが入れることができる、知的なテニスのできる子だった。最後のポイントがかかった試合ではスーパーショットを持っている子よりも、自分からミスをすることが少なく、つなぐボールが打てる子が生きる。でも、それは相手とレベルが同じな時の話だ。
相手のエースの子は、すべての面でトモミのはるか上をいくようなテニスをする子だったから、あっと言う間に決着がついてしまった。
これで双方2勝2敗のイーブンとなり、順番が入れ換わって隣のコートで第2シングルスを戦っていたユカリに、チームの勝敗を決するポイントがかかることになった。
ここでも、あきらかに相手の子の方がテニスのキャリアが長く、すでに5-1となっていたゲームカウントが相手とユカリのレベルの差を表していた。あと1ゲーム取れば向こうの優勝が決まる。
3面のコートに分散していた声援と視線がすべて第2シングルスのコートに注がれる。この急激な状況の変化がプレイする選手の上に石のようなプレッシャーとなって覆いかぶさる。急に相手の子の動きがおかしくなった。それでもなんとか40-0にこぎつける。あと1ポイントで優勝だ。
一方、0-40(ラブ・フォーティ)の絶体絶命な状態に追い込まれたユカリは、そんな状況だというのに、リターンに入る前にぐっと宙を見つめて、なにかブツブツつぶやきながら集中力を高めている。
あきらめていない。全然あきらめていない。
そしてリターンのポジションにつくと、それまでもずっと続けていたようにバタバタと激しく細かくステップを踏む。どんなボールでも打ち返して見せるという意志が、そのステップに表れていた。
まず1本、ユカリが相手のマッチ・ポイント、いやチャンピオンシップ・ポイントをしのいだ。40-15。
そしてまた宙を見つめて気持ちを落ち着け、バタバタとステップを踏む。またまたチャンピオンシップ・ポイントをしのいだ。40-30。
ますます相手の子の様子がおかしくなっている。
またユカリは宙を見つめステップを踏む。また取った。デュース。これで相手のチャンピオンシップ・ポイントが消えた。そして、そのままユカリがゲームを取り、ゲーム・カウント2-5。
「最後の1本まであきらめないで。相手よりも1本多く、相手のコートにボールを返せたら勝てるんだから」
いつも試合前に子供たちに伝えるメッセージだ。ユカリはそれをしっかりと実践していた。
この大事な場面で、この絶体絶命な場面で、チームメイトみんなが、後輩たちみんなが見つめる中で、彼女はあきらめてなかった。全然あきらめてなかった。
テニスの形は相手の子の方がカッコよかった。断然カッコよかった。
ユカリはただ、1本でも多く、相手のコートにボールを返そうと、ほわーんとした緩いボール、ムーンボールを何度も打った。
決してカッコいいテニスじゃなかった。だけど、それは逃げているんじゃなく、ユカリがこの状況で、この相手に対してできる精一杯の攻撃的なテニスだった。精一杯のあきらめないテニスだった。
ユカリはユカリのテニスを続ける。3-5、4-5とユカリがゲームを続けて取る。
どんどんのしかかってくるプレッシャーに相手の子はサーブさえもまともに打てなくなってしまっていた。完全にお互いにとっての敵が自分自身という領域に入っていた。
5-1、40-0からチャンピオンシップ・ポイントを3度も逃して、それから3ゲームを立て続けに取られ、ついには5-4まで詰め寄られた相手の子は過呼吸状態になってしまったらしく、コートチェンジで戻ったベンチの前ではあはあと苦しそうに立ち尽くしたまま泣き出してしまった。
そういえば、この試合の相手チームのベンチには誰もコーチが入っていなかった。思わず相手校の顧問の先生がコートに駆け出してきて、その子をベンチに座らせてアドバイスを始めた。
もちろん、これはルール違反ではない。登録された教員と選手だけがコートチェンジの90秒間だけベンチでコーチができる。
ちなみに僕は外部コーチだからベンチには入れない。そういうチームだから和田中は団体戦を大人の力に頼らず、部員がベンチコーチに入ってずっと戦ってきた。
ベンチに腰を下ろしても泣き止まないその子の両肩に手を乗せた先生が、気持ちを落ち着かせようと話しかけている。すでに規定の90秒はゆうに越えていた。
あまりにブレイクタイムが長いので、和田中の子たちが、あれはルール違反じゃないかと僕に問いかける。確かに、90秒で相手の子がコートに戻り、さっきのままの状態で試合に入っていたら、それはユカリには圧倒的に有利な状況だった。
でもプロの試合でも、怪我や体調不良を治療する場合は、ワンセットに1回だけ3分間のインジュアリー・タイムが取れることになっている。
中学校の団体戦にそういうルールがあるのかどうかはわからなかったが、このケースはそのインジュアリー・タイムに相当すると思い、子どもたちを鎮まらせた。和田中は正々堂々と戦うんだ。
ようやくなんとか落ち着きを取り戻した相手の子がコートに戻り、試合が再開された。
ユカリはあいかわらず1ポイント、1ポイントを集中し、バタバタと細かくステップを踏み、今、ユカリができるテニスを続けようとした。だけど落ち着きを取り戻した相手の子も自分のプレイを取り戻していく。相手が再びチャンピオンシップ・ポイントを握った。
ユカリがホワーンと空高くボールを打ち上げた。
南風に乗ったボールは、ネットを越え、そしてわずかにベースラインも越えてバウンドした。その瞬間、和田中3年生11人の中学ブカツテニスの幕が降りた。
✳︎
試合が終わった直後、ネット際に転がるボールを拾うボールパーソンをしていた和田中の一年生の子が、泣きべそをかきながら、コートの外で応援していた同級生のところへ戻ってきた。
彼女のいたネットのポール際は、コートの中で繰り広げられた激戦の熱気がダイレクトに伝わってくる場所だったはずだ。彼女の目から溢れ出した涙に中学ブカツテニスの未来が映し出されている、そんな気がした。
edge_etsuji at 07:27|Permalink│TrackBack(0)│
August 04, 2013
TUNE UP SCHOOL vol.58「8度目の学校合宿」
土曜日の正午過ぎ。ラケットとバックを抱えた女子中学生たちが、学校指定の体育着を着て学校へやってくる。
いつものブカツの風景だが、なんだか様子が違うのは、一人ひとりがバッグの中からビニール袋に入ったお米を取り出して、キャプテンに渡していること。
部員たちが持参したお米は夕食のカレーライス用。これから校舎内の家庭科調理室で部員保護者のお母さんたちが夕食の準備に入る。そう、この日と翌日で、今年で8回目になる学校合宿が行われるのだ。すっかり和田中名物となっている女子テニス部の合宿の、自分が食べる量のお米を家から持って来るルールは8年前から変わっていない。
僕が和田中テニス部のコーチになって3年目の夏に始まった学校合宿。なんでこんなことやろうと思ったのか、なんでこんなことができることになってしまったのかは、僕の著作「オレがコーチかよ!?」に詳しく書いた。だからあえてここでは深くは触れないが、簡単に言うのであれば、自分の住む街にある公立中学校に通う子供たちと、彼らの成長を見守る大人たちが一緒になって、学校という日常空間を、一年に一晩だけ非日常で異次元空間な時間を作り出す、公立中学校だからこそできる夏祭りのような手作りイベント、みたいなことになるのか。
お米をキャプテンに渡した部員たちは、常設のテニスコートの他に、普段は野球部とサッカー部が使っているグランドに、陸上ハードルをネット替りにした特設コートを4面作る。他の学校ではあまり見かけないこの光景も、ここでは珍しくもない日常になっている。
コートが出来上がると、いつものように練習が始まる。3年、2年、1年の3学年、総勢34人の少女たちが、キャプテンの号令に従っていつも通りの基礎練習から入る。
5月に14人の新入部員が加わったこのチームでする練習は、残すところ、この合宿での2日間だけとなってしまった。合宿の翌日から始まる区大会団体戦で3年生は引退する。2年3ヶ月前に入部した時からずっとやってきたこの基礎練習。11人の3年生たちにとって、このメンバーでこれが出来るのは今日と明日しかない。あとたった2回という思いが日常を非日常にする。
練習も後半、1年生は先に練習を上がって、荷物を持って宿泊場所となる図書室へ向かう。この図書室で3学年34人が枕を並べて一夜を過ごすのだ。練習の途中で業者に頼んであった貸し布団が学校に届くと、1年生たちは練習を中断して担当のお母さんたちの指示で寝床作りをした。机と椅子を廊下に出し、床の雑巾掛けをして布団を運び込む。こうやって自分たちの寝床を作るのは、8年前から変わらずの1年生の仕事。
そんな合宿に、OGのアコがコーチとして来てくれた。8年前に初めて合宿が行われた時、彼女は図書室の寝床作り作業をした1年生部員だった。
現在、大学2年生のアコは中学校の体育の先生を目指していて、今季から、大学の講義がない日に、母校の和田中で先生たちのお手伝いをするボランティアをしている。自ら進んで教職実習を名乗り出て定期的に学校にいるアコは、現役部員たちにとっての顔なじみなお姉さん的存在になっていた。
そんなアコに1年生の世話役を頼む。練習を終えて荷物を図書室に置いた部員たちは、6時からのカレーライスパーティーに間に合うように近くの商店街にある銭湯に行って汗を流す。1度に34人の中学生が銭湯に押しかけたのでは他のお客さんに迷惑がかかるので、学年ごとで時間差で入湯する。初めてで勝手のわからない1年生の付き添いをアコに頼んだのだ。
快く引き受けてくれたアコが付き添ってくれると聞いた1年生は狂喜乱舞。お風呂屋さんの前まで連れていってくれればいいと頼んだのに、1年生たちに熱望された彼女は結局、一緒にお風呂に入ることになってしまったらしい。
アコに引きつられた1年生がグランドを去り、2年生、3年生と時間差で引き上げていくと、その時を見計らって来ていた高校生のOGたちや、現役や卒業生のお父さんたちが、空いたコートに入っていく。娘たちが青春の時を過ごした場所でテニスをしたお父さんたちはさらに銭湯にも行き、高校生たちは自分たちが青春の時を過ごした場所にギリギリまでいて、そしてみんながカレーパーティーに参加する。いつも通りの学校が、どんどんアミューズメントパークへと変貌していく。
顧問の先生の「いただきます」の発声でカレーパーティが始まる。現役もOGも学年ごとにテーブルを囲み、先生、コーチ、お父さんもひとつのテーブルで向き合い、そして大量のゴハン作りに奮闘してくれたお母さんたちも一息つきながら、みんな和気あいあいにカレーライスを頬ばる。
総勢70人近くが入った家庭科調理室にはエアコンはない。むせ返るような暑さの中で何台もの扇風機が回っている光景は、まさに昭和だ。昭和の夏だ。iPadを使った授業を行うなど公立校では先進の教育を実践する学校で、時代物のレトロな鉄筋校舎に寝泊まりする手作り合宿をやっているというアンバランスが実にいい。
お腹も落ち着くと、子供達が一人づつ、この合宿を作ってくれたお母さん、お父さんたちに感謝の言葉を述べるという恒例のセレモニーが始まる。
まずは2年生からスタート。去年、すでに合宿を経験して流れを知っている彼女たちは、たぶん心構えはできていたはずだ。みんなスムーズに言葉が出てくる。次は1年生。2年生たちのあいさつを真似をしながら、たどたどしく、でも初々しく感謝の念を表す。
そして3年生。すぐに始まる引退試合の区大会団体戦への意気込みも交えたあいさつが続く。現役部員のあいさつが終わるとOGが近況報告も含めたあいさつをする。この時、1年生たちの目に、同じ時間軸をたどって大人になろうとしている卒業生たちの姿がしっかりと焼き付けられる。
そして最後のあいさつが、今回参加したOGでは最年長のアコだった。アコは僕の隣の席、大人テーブルの中でベテランの先生たちやお父さんと会話しながらカレーライスを食べていた。
「8年前、この子が1年生だった年に、この合宿が初めて行われました。そして、初めて3回の合宿を経験したこの子が、今、中学校の先生を目指して、ここに戻ってきてくれました」
進行役の僕が軽く状況を説明して目配せすると、すくっと背筋を伸ばして立ち上がり、そしてしっかりした口調であいさつするアコ。やっと20歳になったばかりで、ついこないだまで自分も中学生だったアコにとっても、中学生という物体は理解不能な存在らしい。
より良い教員になるために、現場を知り、向き合う対象を理解し、目指す職業のイメージをリアルにしようと自らの意志で踏み出したアコ。そんな先輩の姿が、後輩たちの目にどう映っていたのだろう。そしてこの凛々しい卒業生の姿は、思春期の子供を持って、難しい子育てに奮闘する親たちの励ましにもなったに違いない。こうやってこの場所に戻ってきてくれた彼女の存在が、この合宿の意味を何より的確に伝えてくれていた。同じ場所に10年もいて、人とのつながりを保ち続けていると、こんなサイクルを目にすることになるんだ。
ごちそうさまの後はこれも恒例の校内肝試し。初回の合宿では、ただ薄暗い校舎の廊下を歩いてくるだけの出し物だった。ところが回を重ねるごとに、卒業生と3年生がおどかし役になり、2年、1年生が校舎内を巡るという形へと子供たちが勝手に進化させていた。こういう他愛もない遊びの中で、小学生の時とは微妙に違う先輩と後輩という縦のつながりの密度を子供たちは深めていく。
一方、子供たちが校舎内ではしゃぎ回り始めた頃、お父さんたちは学校を出て近所のおそば屋さんへ移動する。そこに何人かのOG保護者も合流して、合宿の成功とテニス部の活発な活動が続くことを祈願して祝杯をあげる。この合宿初年度から開催されているオヤジの会も、年を追うごとに形を変えながらも継続されている。
肝試しで精一杯はしゃいだ子供たちは、今度はエアコンの入った視聴覚室に入って、興奮気味の頭と身体をクールダウンしてスリープモードへとつなげるテニス勉強会を行う。
2日後から始まる団体戦の心構えなどについて話した後、錦織選手が大活躍した今年のフレンチオープンのダイジェスト番組の録画を観ながらテニスを学ぶ。約1時間、だいたい授業の一コマと同じくらい。これくらいの時間、おとなしく椅子にすわって、ただ耳と目と頭をだけを使っていれば、子供は絶対に眠くなる。案の定、ビデオも後半頃には船を漕ぐ子が何人もいた。
お父さんたちはおそば屋さんで祝杯を上げ、子供たちが教室で僕のテニス講義に耳を傾けている頃、調理室の後片付けを終えたお母さんたちは、そのまま茶話会へと入る。お母さんの中には、姉妹を通じて計6回の合宿のお世話をしてきたベテランもいれば、妹が今年入部して、少し間を置いて2度目のサイクルに入った人もいる。その一方で初めてのお子さんで初めてブカツを経験する人もいる。こういう小さなコミュニケーションから生まれる大人たちの笑顔や安心は子供たちに確実に伝染する。
10時消灯。子供たちは布団が敷き詰められた図書室に戻り、寝間着に着替えて眠りにつく…わけがない。なんとか勉強会で興奮を鎮めたとしても、部屋の灯りが落とされることで、集団となった子供たちの野性が呼び起こされてしまう。この限りなく日常に近い非日常な空間だ。先輩と後輩が入り乱れて小さな空間で枕を共にするのだ。興奮しない訳がない。
僕と先生たちなど大人たちは、図書室の並びの視聴覚室が宿泊場所だ。そこで僕はひとりで書き物をしていた。消灯から30分くらい経って、どうしてもキャプテンに聞いておかなくてはならないことがあったのを僕は思い出した。子供たちと一緒に図書室で寝てくれることになっていたお母さんはまだ調理室から戻ってなかったし、先生たちはまだ職員室にいるようだった。仕方なく僕は図書室の扉をそっと開けた。どうせまだ寝ちゃあいないだろうと。
ちょっとだけ開けた扉の隙間からキャプテンの名前を呼ぼうとした時、薄暗い部屋の中に見えたのは、子供たちが作る大きな輪だった。すき間なく敷き詰められた敷布団に上に34人の部員全員が腹這いになり、顔が向き合うように両手で頬杖をついている。なんの話をしていたのはわからなかったが、誰かがその輪の中心に向かってヒソヒソ声で何かを言うと、みんなが声を抑えてクスクスと笑いながら足をバタバタさせる。まるで大輪のヒマワリが、穏やかな風に吹かれて気持ち良さそうに揺れているような光景だった。
大きな「輪」だった。そしてその中心には穏やかな「和」が漂っていた。子供たちはいつからこんなことをしていたのだろう。これも、どこかの代の子たちが始めて、継承されてきたことなのか。
大きな「輪」だった。そしてその輪の中心に、かつてこの中学校が求めた、そして今も求め続けているはずの大切なものが凝縮されているような気がした。単純に、ごくごく単純に続けてきて良かったと思った。
いつものブカツの風景だが、なんだか様子が違うのは、一人ひとりがバッグの中からビニール袋に入ったお米を取り出して、キャプテンに渡していること。
部員たちが持参したお米は夕食のカレーライス用。これから校舎内の家庭科調理室で部員保護者のお母さんたちが夕食の準備に入る。そう、この日と翌日で、今年で8回目になる学校合宿が行われるのだ。すっかり和田中名物となっている女子テニス部の合宿の、自分が食べる量のお米を家から持って来るルールは8年前から変わっていない。
僕が和田中テニス部のコーチになって3年目の夏に始まった学校合宿。なんでこんなことやろうと思ったのか、なんでこんなことができることになってしまったのかは、僕の著作「オレがコーチかよ!?」に詳しく書いた。だからあえてここでは深くは触れないが、簡単に言うのであれば、自分の住む街にある公立中学校に通う子供たちと、彼らの成長を見守る大人たちが一緒になって、学校という日常空間を、一年に一晩だけ非日常で異次元空間な時間を作り出す、公立中学校だからこそできる夏祭りのような手作りイベント、みたいなことになるのか。
お米をキャプテンに渡した部員たちは、常設のテニスコートの他に、普段は野球部とサッカー部が使っているグランドに、陸上ハードルをネット替りにした特設コートを4面作る。他の学校ではあまり見かけないこの光景も、ここでは珍しくもない日常になっている。
コートが出来上がると、いつものように練習が始まる。3年、2年、1年の3学年、総勢34人の少女たちが、キャプテンの号令に従っていつも通りの基礎練習から入る。
5月に14人の新入部員が加わったこのチームでする練習は、残すところ、この合宿での2日間だけとなってしまった。合宿の翌日から始まる区大会団体戦で3年生は引退する。2年3ヶ月前に入部した時からずっとやってきたこの基礎練習。11人の3年生たちにとって、このメンバーでこれが出来るのは今日と明日しかない。あとたった2回という思いが日常を非日常にする。
練習も後半、1年生は先に練習を上がって、荷物を持って宿泊場所となる図書室へ向かう。この図書室で3学年34人が枕を並べて一夜を過ごすのだ。練習の途中で業者に頼んであった貸し布団が学校に届くと、1年生たちは練習を中断して担当のお母さんたちの指示で寝床作りをした。机と椅子を廊下に出し、床の雑巾掛けをして布団を運び込む。こうやって自分たちの寝床を作るのは、8年前から変わらずの1年生の仕事。
そんな合宿に、OGのアコがコーチとして来てくれた。8年前に初めて合宿が行われた時、彼女は図書室の寝床作り作業をした1年生部員だった。
現在、大学2年生のアコは中学校の体育の先生を目指していて、今季から、大学の講義がない日に、母校の和田中で先生たちのお手伝いをするボランティアをしている。自ら進んで教職実習を名乗り出て定期的に学校にいるアコは、現役部員たちにとっての顔なじみなお姉さん的存在になっていた。
そんなアコに1年生の世話役を頼む。練習を終えて荷物を図書室に置いた部員たちは、6時からのカレーライスパーティーに間に合うように近くの商店街にある銭湯に行って汗を流す。1度に34人の中学生が銭湯に押しかけたのでは他のお客さんに迷惑がかかるので、学年ごとで時間差で入湯する。初めてで勝手のわからない1年生の付き添いをアコに頼んだのだ。
快く引き受けてくれたアコが付き添ってくれると聞いた1年生は狂喜乱舞。お風呂屋さんの前まで連れていってくれればいいと頼んだのに、1年生たちに熱望された彼女は結局、一緒にお風呂に入ることになってしまったらしい。
アコに引きつられた1年生がグランドを去り、2年生、3年生と時間差で引き上げていくと、その時を見計らって来ていた高校生のOGたちや、現役や卒業生のお父さんたちが、空いたコートに入っていく。娘たちが青春の時を過ごした場所でテニスをしたお父さんたちはさらに銭湯にも行き、高校生たちは自分たちが青春の時を過ごした場所にギリギリまでいて、そしてみんながカレーパーティーに参加する。いつも通りの学校が、どんどんアミューズメントパークへと変貌していく。
顧問の先生の「いただきます」の発声でカレーパーティが始まる。現役もOGも学年ごとにテーブルを囲み、先生、コーチ、お父さんもひとつのテーブルで向き合い、そして大量のゴハン作りに奮闘してくれたお母さんたちも一息つきながら、みんな和気あいあいにカレーライスを頬ばる。
総勢70人近くが入った家庭科調理室にはエアコンはない。むせ返るような暑さの中で何台もの扇風機が回っている光景は、まさに昭和だ。昭和の夏だ。iPadを使った授業を行うなど公立校では先進の教育を実践する学校で、時代物のレトロな鉄筋校舎に寝泊まりする手作り合宿をやっているというアンバランスが実にいい。
お腹も落ち着くと、子供達が一人づつ、この合宿を作ってくれたお母さん、お父さんたちに感謝の言葉を述べるという恒例のセレモニーが始まる。
まずは2年生からスタート。去年、すでに合宿を経験して流れを知っている彼女たちは、たぶん心構えはできていたはずだ。みんなスムーズに言葉が出てくる。次は1年生。2年生たちのあいさつを真似をしながら、たどたどしく、でも初々しく感謝の念を表す。
そして3年生。すぐに始まる引退試合の区大会団体戦への意気込みも交えたあいさつが続く。現役部員のあいさつが終わるとOGが近況報告も含めたあいさつをする。この時、1年生たちの目に、同じ時間軸をたどって大人になろうとしている卒業生たちの姿がしっかりと焼き付けられる。
そして最後のあいさつが、今回参加したOGでは最年長のアコだった。アコは僕の隣の席、大人テーブルの中でベテランの先生たちやお父さんと会話しながらカレーライスを食べていた。
「8年前、この子が1年生だった年に、この合宿が初めて行われました。そして、初めて3回の合宿を経験したこの子が、今、中学校の先生を目指して、ここに戻ってきてくれました」
進行役の僕が軽く状況を説明して目配せすると、すくっと背筋を伸ばして立ち上がり、そしてしっかりした口調であいさつするアコ。やっと20歳になったばかりで、ついこないだまで自分も中学生だったアコにとっても、中学生という物体は理解不能な存在らしい。
より良い教員になるために、現場を知り、向き合う対象を理解し、目指す職業のイメージをリアルにしようと自らの意志で踏み出したアコ。そんな先輩の姿が、後輩たちの目にどう映っていたのだろう。そしてこの凛々しい卒業生の姿は、思春期の子供を持って、難しい子育てに奮闘する親たちの励ましにもなったに違いない。こうやってこの場所に戻ってきてくれた彼女の存在が、この合宿の意味を何より的確に伝えてくれていた。同じ場所に10年もいて、人とのつながりを保ち続けていると、こんなサイクルを目にすることになるんだ。
ごちそうさまの後はこれも恒例の校内肝試し。初回の合宿では、ただ薄暗い校舎の廊下を歩いてくるだけの出し物だった。ところが回を重ねるごとに、卒業生と3年生がおどかし役になり、2年、1年生が校舎内を巡るという形へと子供たちが勝手に進化させていた。こういう他愛もない遊びの中で、小学生の時とは微妙に違う先輩と後輩という縦のつながりの密度を子供たちは深めていく。
一方、子供たちが校舎内ではしゃぎ回り始めた頃、お父さんたちは学校を出て近所のおそば屋さんへ移動する。そこに何人かのOG保護者も合流して、合宿の成功とテニス部の活発な活動が続くことを祈願して祝杯をあげる。この合宿初年度から開催されているオヤジの会も、年を追うごとに形を変えながらも継続されている。
肝試しで精一杯はしゃいだ子供たちは、今度はエアコンの入った視聴覚室に入って、興奮気味の頭と身体をクールダウンしてスリープモードへとつなげるテニス勉強会を行う。
2日後から始まる団体戦の心構えなどについて話した後、錦織選手が大活躍した今年のフレンチオープンのダイジェスト番組の録画を観ながらテニスを学ぶ。約1時間、だいたい授業の一コマと同じくらい。これくらいの時間、おとなしく椅子にすわって、ただ耳と目と頭をだけを使っていれば、子供は絶対に眠くなる。案の定、ビデオも後半頃には船を漕ぐ子が何人もいた。
お父さんたちはおそば屋さんで祝杯を上げ、子供たちが教室で僕のテニス講義に耳を傾けている頃、調理室の後片付けを終えたお母さんたちは、そのまま茶話会へと入る。お母さんの中には、姉妹を通じて計6回の合宿のお世話をしてきたベテランもいれば、妹が今年入部して、少し間を置いて2度目のサイクルに入った人もいる。その一方で初めてのお子さんで初めてブカツを経験する人もいる。こういう小さなコミュニケーションから生まれる大人たちの笑顔や安心は子供たちに確実に伝染する。
10時消灯。子供たちは布団が敷き詰められた図書室に戻り、寝間着に着替えて眠りにつく…わけがない。なんとか勉強会で興奮を鎮めたとしても、部屋の灯りが落とされることで、集団となった子供たちの野性が呼び起こされてしまう。この限りなく日常に近い非日常な空間だ。先輩と後輩が入り乱れて小さな空間で枕を共にするのだ。興奮しない訳がない。
僕と先生たちなど大人たちは、図書室の並びの視聴覚室が宿泊場所だ。そこで僕はひとりで書き物をしていた。消灯から30分くらい経って、どうしてもキャプテンに聞いておかなくてはならないことがあったのを僕は思い出した。子供たちと一緒に図書室で寝てくれることになっていたお母さんはまだ調理室から戻ってなかったし、先生たちはまだ職員室にいるようだった。仕方なく僕は図書室の扉をそっと開けた。どうせまだ寝ちゃあいないだろうと。
ちょっとだけ開けた扉の隙間からキャプテンの名前を呼ぼうとした時、薄暗い部屋の中に見えたのは、子供たちが作る大きな輪だった。すき間なく敷き詰められた敷布団に上に34人の部員全員が腹這いになり、顔が向き合うように両手で頬杖をついている。なんの話をしていたのはわからなかったが、誰かがその輪の中心に向かってヒソヒソ声で何かを言うと、みんなが声を抑えてクスクスと笑いながら足をバタバタさせる。まるで大輪のヒマワリが、穏やかな風に吹かれて気持ち良さそうに揺れているような光景だった。
大きな「輪」だった。そしてその中心には穏やかな「和」が漂っていた。子供たちはいつからこんなことをしていたのだろう。これも、どこかの代の子たちが始めて、継承されてきたことなのか。
大きな「輪」だった。そしてその輪の中心に、かつてこの中学校が求めた、そして今も求め続けているはずの大切なものが凝縮されているような気がした。単純に、ごくごく単純に続けてきて良かったと思った。
edge_etsuji at 06:05|Permalink│Comments(0)│
July 22, 2013
TUNE UP SCHOOL vol.57「10代目のキャプテン」
校舎の壁にかかった時計の針は7時20分を回っていた。
グランドにいるテニス部員たちの顔を見渡す。うーん、やっぱりリサがいない。おいおいキャプテンが遅刻かよ。
この日は、この和田中が会場となって、中学テニスの東京都総合体育大会(都総体)団体戦の第3ブロック予選が行なわれる。この日に予定されている3回戦までを勝ち抜いて、明日の準決勝も勝って決勝まで残れば、月末に有明テニスの森で行なわれる本大会に出場できる。
和田中テニス部3年生部員11人にとって、中学ブカツテニスの公式戦でコートに立つことのできるチャンスは、この都総体団体戦予選と、2週間後に行なわれる杉並区大会団体戦だけになってしまった。
そんな貴重な大会の、しかもホームで行われる大会のスタートにチームのキャプテンがいない。同級の3年生たちにリサからなにか聞いてないかと訊ねてみるが、みんな、なにも知らないという。
コート作りは昨日のうちに済ませてあるから問題ないが、もうすぐにでも1回戦のオーダーを発表してウォーミングアップに入らなきゃ8時30分の試合開始に間に合わなくなってしまう。グランドにいた部員たちを集めてミーティングを始める。号令は副キャプテンのクルミが務める。
「団体戦だからね、キャプテンだからといって遅刻した子を試合には出せられない。今日のゲームはリサ無しで戦うと思っていてくれ」
目の前にいる3年生たちの顔を見ながら、リサを軸に考えてあったオーダーを、彼女を外して頭の中で組み直してみる。
団体戦はダブルス2本、シングルス3本の7人で戦う。今年の3年生は11人。どうやってもひとつの試合で4人が出られない。こういう場合、2回戦に進んだら、1回戦で出られなかった4人を必ず出す。ひとつの大会で上級生全員が一度はコートに立てるようにオーダーを組む。チームを背負って戦うことを3年生全員が体験する。これが僕がこの場所で育んできた和田中テニス部の流儀だ。
今年の3年生は例年以上に実力的に上と下の差が小さい。11人全員が、このブカツで初めてラケットを握った子ばかりだ。テニススクールに通うでもなく、一般的なブカツの活動時間の範疇で、生涯スポーツとしてのテニスの基礎を身につけるという目的は全員が申し分なくクリアーしている。圧倒的なエースもいないが、圧倒的に劣る子もいない。
そんなチームだから、リサがいなくてもチーム力がそんなに落ちるわけでもない。リサが出ないとなれば、他の子の出場機会が増えるということだ。でも、そんな単純な話しではない。それは3年生みんながわかっているはずだ。
もちろん1回戦と、それに勝つという前提での2回戦のオーダーはすでに決めていた。だから、とっさに変更することは難しくはなかった。でも、一瞬だけ思いとどまる。こういうキャリアのない子たちで構成するチームは、ひとつの駒をずらしたことで起きる精神的な化学反応が、大事なポイントがかかった時に影響を及ぼしたりする。もう一度、素早く全員の顔を見渡して、自分の判断が間違っていないことを確認する。そうしてから、1回戦に出場する7人の名前を告げる。そこに名前のなかった3人にも、2回戦に進んだら必ず出番があることを再度確認する。その3人のためにも、まずはみんなで1回戦に全力を注げ、と。
3年生の後ろで、この日の試合に出場することはない2年生、1年生も、この緊張した空気に神妙な顔をしている。こういうプロセスを共有することが、いずれ彼女たちが自分たちが中心になるチームを作っていく上での礎となる。
3年生中心のチームで、2年生は先輩たちの試合の審判を務め、1年生は先輩たちの試合と同じコートの中でボール拾いをするボールパーソンを務める。全員がなんらかの役割りを持って試合に臨む。こういう形で下級生たちにも団体戦の戦い方を、チームだからこそできる大切な瞬間の作り方を身体にしみこませていく。
1回戦の準備をするために部員たちはグランドに散っていった。それにしてもリサはどうしたんだろう?
僕はこういう事態も想定して、いつも携帯電話をポケットに入れている。子供達にも保護者にもその番号は伝えてある。でも、まだなんの連絡もない。途中で事故にでも遭ったりしてないか、そんな心配が頭をよぎる。こちらからリサの家に電話してみる。
母親が出た。思いっきり慌てている。
「コーチ、申し訳ありません!私の目覚まし時計が壊れちゃってたみたいで…、リサも今起きたばかりなんです!」
リサの姉もこのテニス部にいた。大学2年になる姉のマキが中1の時からだから、もう7年近くも、この家族との付き合いがある。このテニス部の今を、一緒に築いてきてくれた家族である。キャプテンに指名された娘の母として、保護者のまとめ役も献身的に務めてくれている。細かいところにも気のまわる、完璧な母という印象の女性が、電話の向こうで思いっきりあたふたしている。きっとリサにも、お母さんのせいだ!って責められているんだろう。そんな光景を想像して、こんな時に不謹慎とは思いながら吹き出しそうになってしまった。
「リサは、とりあえず1回戦のメンバーから外したから、エントリーに間に合うように来ればいいからね。学校にくる途中、慌てて事故に遭わないように言っといてください」
誰にだって思いがけないミスはある。そのミスをリカバリーして力に変えるのもチームワークだ。
ウォーミングアップを終えてベンチに戻った3年生たちの中に、いつの間にかリサの姿があった。何もなかったような顔をしてチームメイトとおしゃべりしている。遅刻したのは私のせいじゃない、お母さんのせいなんだからとでも言わんばかりに。それで3年生を集めた。
誰かを諭したりしなければいけない時は1対1の方がいい。でもこの話しはコートに立つ3年生全員としたかった。グランドの隅に3年生を整列させ、リサの顔を見た。
「リサ、事情はお母さんから電話で聞いた。自分のせいじゃないって言いたいんだろうけど、それは違うぞ。もう中3にもなったら、こんな日くらい自分で起きなきゃダメだろ。自己責任ってやつだよ。それよりなにより、約束を破ったんだから、まず真っ先に先生や僕のところに来て謝るのが礼儀だろう」
歯をぐっと噛みしめるように表情を歪めて、リサは「はい」と小さくつぶやいた。
「事情はどうであれ、君はチームに迷惑をかけた。だから今日の試合には出られない」
それはもうわかってます、仕方ないです、そんな顔でリサは宙を見つめた。
「でもな、みんな…」
ほんの一瞬だけど言葉が詰まってしまった。
「でも僕は、自分からなりたいと思ってなったんじゃないキャプテンという役をリサはがんばってやってきたと思う。まだ今でも時々、声が小ちゃくなっちゃって頼りないところはあるけどね。だけど、その大変さは、たぶんキャプテンをやった子にしかわからない」
そう言いながら、僕の脳裏には、僕がこのチームのコーチになって4代目のキャプテンで、今、大学3年生になっているマユの顔が浮かんでいた。
ちょっと線は細かったけど、キャプテンのお手本みたいな優秀な子だった。現在のテニス部の基礎は、マユのキャプテンシーがあったから定着させることができた。そんな子なのに、チームをうまくまとめられないといつも悩んでいた。
ブカツが終わり、受験も終わり、卒業式間際に行われたテニス部のお別れの会で場で、僕は彼女のチームメイトや後輩たちの前で言った。本当にそう思っていたから自然に言葉が出た。
「キャプテンの大変さは、キャプテンを任された子にしかわからない。マユがキャプテンじゃなかったら、このチームはこんなにいいチームにはなってなかったかもしれない。マユは最高のキャプテンだったよ」
その数日後、卒業式の日にマユが僕に手紙をくれた。
「コーチはキャプテンが上手くできなくて悩んでいた私のことをちゃんと見ていてくれていたんですね」
僕は彼女が潰れちゃわないように、ずっと気遣っていたつもりだった。そんな眼差しにも気づけないくらいに、たえず彼女にはキャプテンという重圧がのしかかっていたことを、改めて僕は知った。
中学校のブカツで、最初からしっかりとキャプテンができる子はいないと思う。まだブカツに関して未経験な中学生が、どうやったら自分たちの力だけでチームを動かすことができるのか分かるはずがない。たまたまこのテニスコートに集まった子供たちの中で、自分たちの力でチームを動かす力の第一波を起こすのに向いていそうな子をキャプテンに指名する。
進むべき道筋は僕たち大人が示す。それをキャプテンが、チームの代表として自分の声でチームメイトたちに伝える。そのキャプテンの声が、それに応えるチームメイトの声が、ただ大人に押しつけられてやるんじゃなく、自分たちでやるんだという意志表示となる。急激に大人に向かって成長していく中で、そういう小さな積み重ねの一つひとつが子供たちの自立心を養っていく。そしてチームの成長とともにキャプテンもキャプテンらしくなっていく。
リサは僕にとっての10代目のキャプテンだ。リサがキャプテンとなったチームが始まった時、それまでの9年間で、僕がこのテニスコートで向き合った子供たちの数が108人だった。さらにこの春、14人の新入部員が加わった。たくさんの子どもたちと僕は向き合ってきた。そしていつも彼女たちにとって最高のブカツって何なのかを考え続けてきた。そして今もずっと考えている。
ふと、もう一度リサの顔を見る。そして3年生たちみんなの顔を見る。この子たちは、この子たちの先輩たちがそうであったように、自分たちにとって最高のブカツを作り上げようとしている。そんなチームにとって最高な終わり方をさせてやるのがコーチとしての僕の役目だ。そのためにも、今日、なんとしてもキャプテンのリサもコートに立たせなきゃいけない。
「だからね、キャプテンのリサが、みんなが1回戦、2回戦と戦っている間、今まで以上にチームのために尽くしてくれたのなら、それで3回戦までいけたとしたら、僕は3回戦の試合にリサを出したいと思っているんだけど、みんなはどう思う?」
その問いかけに、リサの目元がキリッと締まった。同時に他の子たちの表情がふっと緩んだ。みんなわかってくれている、このチームがなにを目指しているのかを。
「よし、じゃあ、そうしよう。チームのためにがんばってきたキャプテンが試合に出られるように、絶対に3回戦まで勝ち上がるぞ、いいね」
1回戦は苦しい場面もあったが、結局全勝で勝った。2回戦のオーダーはリサと二人で考えた。僕の中では、ほぼ決めていたが、あえて彼女の意見を聞きながら一緒に考えた。チームを少し離れたところから見て、自分の役割りを見直して欲しかった。そしてリサと考えた、1回戦には出なかった3人の入ったオーダーで2回戦も全勝で勝ち、3回戦へと駒を進めた。
3回戦の相手は、早くからスクールでテニスを始めた経験豊富なジュニア選手を擁する、練馬区のシード校。中学の大会だけではなく、年代別ジュニアランキングを競う大会にも出ているような選手が何人もいるチームだ。こういうチームを、僕は「ジュニア系チーム」と呼んでいる。
一方、和田中のように、中学のブカツでテニスを始めて、ブカツの練習だけで技を磨いている選手たちのチームのことを「純ブカツ系チーム」と呼んでいる。
対外試合の機会が少ない「純ブカツ系」が、キャリアも長く経験豊富な「ジュニア系」に勝つことは難しい。でも、公式戦という真剣勝負の中でジュニア系選手に立ち向かい、彼女たちが放つ強いボールを打ち返すことで純ブカツ系選手はまた新たなテニスを身につけることができる。ジュニア系選手のような、自分たちよりも強い選手たちと対戦できるところまで勝ち上がることが、個人戦でも団体戦でも純ブカツ系の目標のひとつだ。
テニスを始めて2年ちょっと、大人の筋肉も出来上がってくるこの時期、もう、あとちょっとで中学ブカツを引退して、しばらくコートを離れなければならないこの時期に、純ブカツ系の子たちは急にテニスがテニスらしくなる。
ジュニア系対ブカツ系の戦い。約束通りリサはコートに立った。春の個人戦でチームで一番の成績を上げた、カヤと組んだダブルスでジュニア系ダブルスに挑んだ。
やっぱり勝てなかった。でも、簡単には負けなかった。リサだけじゃなくコートに立ったみんなが、もし半年前だったら吹っ飛ばされていたようなジュニア系選手が放つボールを堂々と打ち返していた。このラリーのイメージを、チームメイトとする練習の中に持ち帰れば、チーム内のレベルが上がる。引退試合まであと2週間で、必ずもうひとつレベルを上げられるはずだ。
そう、このチームの最終目標は、2週間後に行われる杉並区大会団体戦で、引退する3年生全員がみんなでテニスをやって良かったと本気で思える終わり方をすること。「純」とは言えなくても、ほぼ「ブカツ系チーム」で構成されるこの団体戦トーナメントは、「純ブカツ系チーム」の成長を確かめるのには絶好の機会だ。
もう時間はない。でもまだ時間はある。最後の最後の瞬間まであきらめない気持ちがあれば、今年も最高のチームが完成するはずだ。
頼むぜ10代目のキャプテン。もう寝坊するなよ^_^
グランドにいるテニス部員たちの顔を見渡す。うーん、やっぱりリサがいない。おいおいキャプテンが遅刻かよ。
この日は、この和田中が会場となって、中学テニスの東京都総合体育大会(都総体)団体戦の第3ブロック予選が行なわれる。この日に予定されている3回戦までを勝ち抜いて、明日の準決勝も勝って決勝まで残れば、月末に有明テニスの森で行なわれる本大会に出場できる。
和田中テニス部3年生部員11人にとって、中学ブカツテニスの公式戦でコートに立つことのできるチャンスは、この都総体団体戦予選と、2週間後に行なわれる杉並区大会団体戦だけになってしまった。
そんな貴重な大会の、しかもホームで行われる大会のスタートにチームのキャプテンがいない。同級の3年生たちにリサからなにか聞いてないかと訊ねてみるが、みんな、なにも知らないという。
コート作りは昨日のうちに済ませてあるから問題ないが、もうすぐにでも1回戦のオーダーを発表してウォーミングアップに入らなきゃ8時30分の試合開始に間に合わなくなってしまう。グランドにいた部員たちを集めてミーティングを始める。号令は副キャプテンのクルミが務める。
「団体戦だからね、キャプテンだからといって遅刻した子を試合には出せられない。今日のゲームはリサ無しで戦うと思っていてくれ」
目の前にいる3年生たちの顔を見ながら、リサを軸に考えてあったオーダーを、彼女を外して頭の中で組み直してみる。
団体戦はダブルス2本、シングルス3本の7人で戦う。今年の3年生は11人。どうやってもひとつの試合で4人が出られない。こういう場合、2回戦に進んだら、1回戦で出られなかった4人を必ず出す。ひとつの大会で上級生全員が一度はコートに立てるようにオーダーを組む。チームを背負って戦うことを3年生全員が体験する。これが僕がこの場所で育んできた和田中テニス部の流儀だ。
今年の3年生は例年以上に実力的に上と下の差が小さい。11人全員が、このブカツで初めてラケットを握った子ばかりだ。テニススクールに通うでもなく、一般的なブカツの活動時間の範疇で、生涯スポーツとしてのテニスの基礎を身につけるという目的は全員が申し分なくクリアーしている。圧倒的なエースもいないが、圧倒的に劣る子もいない。
そんなチームだから、リサがいなくてもチーム力がそんなに落ちるわけでもない。リサが出ないとなれば、他の子の出場機会が増えるということだ。でも、そんな単純な話しではない。それは3年生みんながわかっているはずだ。
もちろん1回戦と、それに勝つという前提での2回戦のオーダーはすでに決めていた。だから、とっさに変更することは難しくはなかった。でも、一瞬だけ思いとどまる。こういうキャリアのない子たちで構成するチームは、ひとつの駒をずらしたことで起きる精神的な化学反応が、大事なポイントがかかった時に影響を及ぼしたりする。もう一度、素早く全員の顔を見渡して、自分の判断が間違っていないことを確認する。そうしてから、1回戦に出場する7人の名前を告げる。そこに名前のなかった3人にも、2回戦に進んだら必ず出番があることを再度確認する。その3人のためにも、まずはみんなで1回戦に全力を注げ、と。
3年生の後ろで、この日の試合に出場することはない2年生、1年生も、この緊張した空気に神妙な顔をしている。こういうプロセスを共有することが、いずれ彼女たちが自分たちが中心になるチームを作っていく上での礎となる。
3年生中心のチームで、2年生は先輩たちの試合の審判を務め、1年生は先輩たちの試合と同じコートの中でボール拾いをするボールパーソンを務める。全員がなんらかの役割りを持って試合に臨む。こういう形で下級生たちにも団体戦の戦い方を、チームだからこそできる大切な瞬間の作り方を身体にしみこませていく。
1回戦の準備をするために部員たちはグランドに散っていった。それにしてもリサはどうしたんだろう?
僕はこういう事態も想定して、いつも携帯電話をポケットに入れている。子供達にも保護者にもその番号は伝えてある。でも、まだなんの連絡もない。途中で事故にでも遭ったりしてないか、そんな心配が頭をよぎる。こちらからリサの家に電話してみる。
母親が出た。思いっきり慌てている。
「コーチ、申し訳ありません!私の目覚まし時計が壊れちゃってたみたいで…、リサも今起きたばかりなんです!」
リサの姉もこのテニス部にいた。大学2年になる姉のマキが中1の時からだから、もう7年近くも、この家族との付き合いがある。このテニス部の今を、一緒に築いてきてくれた家族である。キャプテンに指名された娘の母として、保護者のまとめ役も献身的に務めてくれている。細かいところにも気のまわる、完璧な母という印象の女性が、電話の向こうで思いっきりあたふたしている。きっとリサにも、お母さんのせいだ!って責められているんだろう。そんな光景を想像して、こんな時に不謹慎とは思いながら吹き出しそうになってしまった。
「リサは、とりあえず1回戦のメンバーから外したから、エントリーに間に合うように来ればいいからね。学校にくる途中、慌てて事故に遭わないように言っといてください」
誰にだって思いがけないミスはある。そのミスをリカバリーして力に変えるのもチームワークだ。
ウォーミングアップを終えてベンチに戻った3年生たちの中に、いつの間にかリサの姿があった。何もなかったような顔をしてチームメイトとおしゃべりしている。遅刻したのは私のせいじゃない、お母さんのせいなんだからとでも言わんばかりに。それで3年生を集めた。
誰かを諭したりしなければいけない時は1対1の方がいい。でもこの話しはコートに立つ3年生全員としたかった。グランドの隅に3年生を整列させ、リサの顔を見た。
「リサ、事情はお母さんから電話で聞いた。自分のせいじゃないって言いたいんだろうけど、それは違うぞ。もう中3にもなったら、こんな日くらい自分で起きなきゃダメだろ。自己責任ってやつだよ。それよりなにより、約束を破ったんだから、まず真っ先に先生や僕のところに来て謝るのが礼儀だろう」
歯をぐっと噛みしめるように表情を歪めて、リサは「はい」と小さくつぶやいた。
「事情はどうであれ、君はチームに迷惑をかけた。だから今日の試合には出られない」
それはもうわかってます、仕方ないです、そんな顔でリサは宙を見つめた。
「でもな、みんな…」
ほんの一瞬だけど言葉が詰まってしまった。
「でも僕は、自分からなりたいと思ってなったんじゃないキャプテンという役をリサはがんばってやってきたと思う。まだ今でも時々、声が小ちゃくなっちゃって頼りないところはあるけどね。だけど、その大変さは、たぶんキャプテンをやった子にしかわからない」
そう言いながら、僕の脳裏には、僕がこのチームのコーチになって4代目のキャプテンで、今、大学3年生になっているマユの顔が浮かんでいた。
ちょっと線は細かったけど、キャプテンのお手本みたいな優秀な子だった。現在のテニス部の基礎は、マユのキャプテンシーがあったから定着させることができた。そんな子なのに、チームをうまくまとめられないといつも悩んでいた。
ブカツが終わり、受験も終わり、卒業式間際に行われたテニス部のお別れの会で場で、僕は彼女のチームメイトや後輩たちの前で言った。本当にそう思っていたから自然に言葉が出た。
「キャプテンの大変さは、キャプテンを任された子にしかわからない。マユがキャプテンじゃなかったら、このチームはこんなにいいチームにはなってなかったかもしれない。マユは最高のキャプテンだったよ」
その数日後、卒業式の日にマユが僕に手紙をくれた。
「コーチはキャプテンが上手くできなくて悩んでいた私のことをちゃんと見ていてくれていたんですね」
僕は彼女が潰れちゃわないように、ずっと気遣っていたつもりだった。そんな眼差しにも気づけないくらいに、たえず彼女にはキャプテンという重圧がのしかかっていたことを、改めて僕は知った。
中学校のブカツで、最初からしっかりとキャプテンができる子はいないと思う。まだブカツに関して未経験な中学生が、どうやったら自分たちの力だけでチームを動かすことができるのか分かるはずがない。たまたまこのテニスコートに集まった子供たちの中で、自分たちの力でチームを動かす力の第一波を起こすのに向いていそうな子をキャプテンに指名する。
進むべき道筋は僕たち大人が示す。それをキャプテンが、チームの代表として自分の声でチームメイトたちに伝える。そのキャプテンの声が、それに応えるチームメイトの声が、ただ大人に押しつけられてやるんじゃなく、自分たちでやるんだという意志表示となる。急激に大人に向かって成長していく中で、そういう小さな積み重ねの一つひとつが子供たちの自立心を養っていく。そしてチームの成長とともにキャプテンもキャプテンらしくなっていく。
リサは僕にとっての10代目のキャプテンだ。リサがキャプテンとなったチームが始まった時、それまでの9年間で、僕がこのテニスコートで向き合った子供たちの数が108人だった。さらにこの春、14人の新入部員が加わった。たくさんの子どもたちと僕は向き合ってきた。そしていつも彼女たちにとって最高のブカツって何なのかを考え続けてきた。そして今もずっと考えている。
ふと、もう一度リサの顔を見る。そして3年生たちみんなの顔を見る。この子たちは、この子たちの先輩たちがそうであったように、自分たちにとって最高のブカツを作り上げようとしている。そんなチームにとって最高な終わり方をさせてやるのがコーチとしての僕の役目だ。そのためにも、今日、なんとしてもキャプテンのリサもコートに立たせなきゃいけない。
「だからね、キャプテンのリサが、みんなが1回戦、2回戦と戦っている間、今まで以上にチームのために尽くしてくれたのなら、それで3回戦までいけたとしたら、僕は3回戦の試合にリサを出したいと思っているんだけど、みんなはどう思う?」
その問いかけに、リサの目元がキリッと締まった。同時に他の子たちの表情がふっと緩んだ。みんなわかってくれている、このチームがなにを目指しているのかを。
「よし、じゃあ、そうしよう。チームのためにがんばってきたキャプテンが試合に出られるように、絶対に3回戦まで勝ち上がるぞ、いいね」
1回戦は苦しい場面もあったが、結局全勝で勝った。2回戦のオーダーはリサと二人で考えた。僕の中では、ほぼ決めていたが、あえて彼女の意見を聞きながら一緒に考えた。チームを少し離れたところから見て、自分の役割りを見直して欲しかった。そしてリサと考えた、1回戦には出なかった3人の入ったオーダーで2回戦も全勝で勝ち、3回戦へと駒を進めた。
3回戦の相手は、早くからスクールでテニスを始めた経験豊富なジュニア選手を擁する、練馬区のシード校。中学の大会だけではなく、年代別ジュニアランキングを競う大会にも出ているような選手が何人もいるチームだ。こういうチームを、僕は「ジュニア系チーム」と呼んでいる。
一方、和田中のように、中学のブカツでテニスを始めて、ブカツの練習だけで技を磨いている選手たちのチームのことを「純ブカツ系チーム」と呼んでいる。
対外試合の機会が少ない「純ブカツ系」が、キャリアも長く経験豊富な「ジュニア系」に勝つことは難しい。でも、公式戦という真剣勝負の中でジュニア系選手に立ち向かい、彼女たちが放つ強いボールを打ち返すことで純ブカツ系選手はまた新たなテニスを身につけることができる。ジュニア系選手のような、自分たちよりも強い選手たちと対戦できるところまで勝ち上がることが、個人戦でも団体戦でも純ブカツ系の目標のひとつだ。
テニスを始めて2年ちょっと、大人の筋肉も出来上がってくるこの時期、もう、あとちょっとで中学ブカツを引退して、しばらくコートを離れなければならないこの時期に、純ブカツ系の子たちは急にテニスがテニスらしくなる。
ジュニア系対ブカツ系の戦い。約束通りリサはコートに立った。春の個人戦でチームで一番の成績を上げた、カヤと組んだダブルスでジュニア系ダブルスに挑んだ。
やっぱり勝てなかった。でも、簡単には負けなかった。リサだけじゃなくコートに立ったみんなが、もし半年前だったら吹っ飛ばされていたようなジュニア系選手が放つボールを堂々と打ち返していた。このラリーのイメージを、チームメイトとする練習の中に持ち帰れば、チーム内のレベルが上がる。引退試合まであと2週間で、必ずもうひとつレベルを上げられるはずだ。
そう、このチームの最終目標は、2週間後に行われる杉並区大会団体戦で、引退する3年生全員がみんなでテニスをやって良かったと本気で思える終わり方をすること。「純」とは言えなくても、ほぼ「ブカツ系チーム」で構成されるこの団体戦トーナメントは、「純ブカツ系チーム」の成長を確かめるのには絶好の機会だ。
もう時間はない。でもまだ時間はある。最後の最後の瞬間まであきらめない気持ちがあれば、今年も最高のチームが完成するはずだ。
頼むぜ10代目のキャプテン。もう寝坊するなよ^_^
edge_etsuji at 16:06|Permalink│Comments(0)│