2017年02月23日
けものフレンズになったわたくし
忙しくて、ここ1年ばかりアニメ視聴からは事実上離れていた。録画だけしといて結局消すって感じ。
ところが今期は珍しくいくつか視聴している。中でもハマっているのが「けものフレンズ」だ。基本メディアミックス作品だが、コミックとゲームはアニメ放映前に終了している。その意味でけっこう「お気の毒」な、スタッフの落ち穂拾い的アニメになってしまっている。
コミック、ゲーム、アニメと、それぞれは共通の舞台設定を持つが、どうやら展開している「時代」が異なるようだ。
アニメに限って言えば、「けものフレンズ」という擬人化動物が跋扈する世界で、自分がなんの「けものフレンズ」かわからない「かばんちゃん」が、自分の出自・住むべき場所を求めて仲間と旅するロードムービー。――大枠だけ語れば、こんな感じ。展開はあくまで明るく、途中リアルの動物解説が入ったりして、幼児向けアニメっぽい「表面」を持つ。
このアニメ、なんとも言えない中毒性がある。世界観と結びついた謎。そしてそれを踏まえた上での向日性。そして脚本と演出の力だ。
まず謎の話から。
世界に謎が散りばめられていて、それが視聴に伴い、どんどん増え、しかも世界の背後の闇が広がってくる。ちょっとツインピークスっぽい感覚といえば、わかってもらえるだろうか。あれも田舎のありふれた殺人事件が、ついにはリアルの悪魔まで広がった話だった。
その謎がまあ、どれもこれも不穏というか不安を煽る。次第に明らかになってくるのだが、世界が荒廃し人類が「いなくなった」時代で、放置された擬人化サファリパーク「ジャパリパーク」が舞台になっている。
エンディングムービーは実写で、どこともわからない廃棄された遊園地が映し出される。オープニングムービーでは、シルエットで表現されるけものフレンズたちが、話数が進むに従って、サンドスターから生成されているように演出される。
実際、動物の擬人化は山から放出される「サンドスター」によるものらしいが、サンドスターの正体はまだ不明だ。
フレンズを「食べてしまう」敵セルリアンは、ふくろうちゃんの話では、どうやら人間となんらかの繋がりがあるようだ。きっとこれ、「食べる」とされる行為にも、なんか裏あるな。
ラッキービーストと呼ばれるロボット(的ななにか)が「ガイドモード」になったときの声は、かばんちゃんに似ている。かばんちゃんは本来、パーク運営のガイド的な仕事をしていた女性が「フレンズ化」した姿じゃないか――とかね。この類のついつい考察してしまう罠が、あちこちに張り巡らせてある。
橋は腐り果て、バスは破壊されていて、通路は溶岩で塞がれている。「かばんちゃん」の帽子には穴が開いており、なんらかの災厄から逃れてきたように見える。かばんちゃんの背負うカバンには、なにが入っているのかまだ語られていない。空なのかもしれないが、空なら空で、隠喩としてつい深読みしてしまったりする。(すっかり作り手の罠にはまってる)
オープニングにはまだ謎があって、海を前にかばんちゃんたちが木材やロープを持ってる。フレンズたちもロープを掴んでいるように見える。つまりこれ、最終的には「ノアの方舟」展開になるのではないか。それぞれのフレンズが一種ひとりずつしかいないらしいのも、ノアの方舟と考えれば納得がいく。女性型ばかりなのも、搭乗数を絞りつつ生殖を考えているのかも。単性生殖のSF設定は割と簡単に作れそうだし(というかリアルでも実験室レベルで実現しつつある)。
次に演出と脚本の力。基本低予算深夜アニメという枠で、CGはチープだし、特段凝った演出は施されない。ただ各話とも物語を丁寧に紡いでおり、たったひとつのネタを1話かけてしっかり描写している。今のアニメだとスピード感重視が基本だろうが、それに抗する粘り強さがある。予算に限りがあり大きな展開や動きを出せないがゆえの逆手といった面もあるだろうが、功を奏している。
7話で「かばんちゃんはヒトです」とふくろうちゃんが告知するシーンがある。1話冒頭から視聴者のほとんどが気づくことを今さら告知したわけで、ここで主人公たちが超驚愕すると、観ている側は多分白ける。だが6話終盤から上手に小出しにして繋いで時間を置き、かばんちゃんたちの驚きを極小に留めることで、視聴者とかばんちゃんの心理的距離が離れないように工夫している。うまい。加えてそれをギャグっぽい味付けにまで昇華している。職人だ。
そして向日性。こうした不安に満ちた世界観を背景に持ちながら、あくまで登場キャラたちは能天気といっていいほど前向きで、あっけらかんとしている。友達のために厳しい登山に挑もうが足こぎロープウェイでヘトヘトになろうが、やり遂げる。理由は打算ではないし、おそらく友情ですらない。ただただ「たっのしーい」からだ。
かばんちゃんをずっと助けるサーバルちゃん声優の、棒を押し出したような強く均一な声質が、またこの世界観やストーリーに合ってる。背景の不穏さを暴力的に押し隠す、異様なくらいの明度だ。演出意図というより、おそらく低予算を背景とした未熟さが原因だろうが、まさに奇跡のマッチングだ。
なぜこんなに(私だけでなく多くの人が)惹かれるのか。
やっぱり「災厄後」を示唆する世界で不自然なくらいピュアな繋がりを得て、しかも流浪する、ってのが、震災後を生きる心の琴線に触れるのではないか。
――とまあ、そんな風に分析したわけだが、本作の真の凄みは、そんなところを超えた中毒性にある。まあ私同様、フレンズになった方々なら先刻ご承知だろうが。
謎に惹かれて視聴を続けたとして、いずれ辿り着くのは、そんなものを超越した境地だ。この世界にずっと浸っていたい。悪意のかけらもないフレンズたちの行動を見て参加していたいと。微妙な表情ができない人形劇のようなCGキャラを見、サーバルちゃんの声を聴いていると、脳の奥が熔けてゆく感覚がある。奇妙だし不安定な感覚が共存しているが、心地よい。
きっとこれこそが、今の私に必要な「同時代の日常系」って奴なんだろう。凡百の日常系とは、響き合う魂の部位がきっと異なるのだ。
ところが今期は珍しくいくつか視聴している。中でもハマっているのが「けものフレンズ」だ。基本メディアミックス作品だが、コミックとゲームはアニメ放映前に終了している。その意味でけっこう「お気の毒」な、スタッフの落ち穂拾い的アニメになってしまっている。
コミック、ゲーム、アニメと、それぞれは共通の舞台設定を持つが、どうやら展開している「時代」が異なるようだ。
アニメに限って言えば、「けものフレンズ」という擬人化動物が跋扈する世界で、自分がなんの「けものフレンズ」かわからない「かばんちゃん」が、自分の出自・住むべき場所を求めて仲間と旅するロードムービー。――大枠だけ語れば、こんな感じ。展開はあくまで明るく、途中リアルの動物解説が入ったりして、幼児向けアニメっぽい「表面」を持つ。
このアニメ、なんとも言えない中毒性がある。世界観と結びついた謎。そしてそれを踏まえた上での向日性。そして脚本と演出の力だ。
まず謎の話から。
世界に謎が散りばめられていて、それが視聴に伴い、どんどん増え、しかも世界の背後の闇が広がってくる。ちょっとツインピークスっぽい感覚といえば、わかってもらえるだろうか。あれも田舎のありふれた殺人事件が、ついにはリアルの悪魔まで広がった話だった。
その謎がまあ、どれもこれも不穏というか不安を煽る。次第に明らかになってくるのだが、世界が荒廃し人類が「いなくなった」時代で、放置された擬人化サファリパーク「ジャパリパーク」が舞台になっている。
エンディングムービーは実写で、どこともわからない廃棄された遊園地が映し出される。オープニングムービーでは、シルエットで表現されるけものフレンズたちが、話数が進むに従って、サンドスターから生成されているように演出される。
実際、動物の擬人化は山から放出される「サンドスター」によるものらしいが、サンドスターの正体はまだ不明だ。
フレンズを「食べてしまう」敵セルリアンは、ふくろうちゃんの話では、どうやら人間となんらかの繋がりがあるようだ。きっとこれ、「食べる」とされる行為にも、なんか裏あるな。
ラッキービーストと呼ばれるロボット(的ななにか)が「ガイドモード」になったときの声は、かばんちゃんに似ている。かばんちゃんは本来、パーク運営のガイド的な仕事をしていた女性が「フレンズ化」した姿じゃないか――とかね。この類のついつい考察してしまう罠が、あちこちに張り巡らせてある。
橋は腐り果て、バスは破壊されていて、通路は溶岩で塞がれている。「かばんちゃん」の帽子には穴が開いており、なんらかの災厄から逃れてきたように見える。かばんちゃんの背負うカバンには、なにが入っているのかまだ語られていない。空なのかもしれないが、空なら空で、隠喩としてつい深読みしてしまったりする。(すっかり作り手の罠にはまってる)
オープニングにはまだ謎があって、海を前にかばんちゃんたちが木材やロープを持ってる。フレンズたちもロープを掴んでいるように見える。つまりこれ、最終的には「ノアの方舟」展開になるのではないか。それぞれのフレンズが一種ひとりずつしかいないらしいのも、ノアの方舟と考えれば納得がいく。女性型ばかりなのも、搭乗数を絞りつつ生殖を考えているのかも。単性生殖のSF設定は割と簡単に作れそうだし(というかリアルでも実験室レベルで実現しつつある)。
次に演出と脚本の力。基本低予算深夜アニメという枠で、CGはチープだし、特段凝った演出は施されない。ただ各話とも物語を丁寧に紡いでおり、たったひとつのネタを1話かけてしっかり描写している。今のアニメだとスピード感重視が基本だろうが、それに抗する粘り強さがある。予算に限りがあり大きな展開や動きを出せないがゆえの逆手といった面もあるだろうが、功を奏している。
7話で「かばんちゃんはヒトです」とふくろうちゃんが告知するシーンがある。1話冒頭から視聴者のほとんどが気づくことを今さら告知したわけで、ここで主人公たちが超驚愕すると、観ている側は多分白ける。だが6話終盤から上手に小出しにして繋いで時間を置き、かばんちゃんたちの驚きを極小に留めることで、視聴者とかばんちゃんの心理的距離が離れないように工夫している。うまい。加えてそれをギャグっぽい味付けにまで昇華している。職人だ。
そして向日性。こうした不安に満ちた世界観を背景に持ちながら、あくまで登場キャラたちは能天気といっていいほど前向きで、あっけらかんとしている。友達のために厳しい登山に挑もうが足こぎロープウェイでヘトヘトになろうが、やり遂げる。理由は打算ではないし、おそらく友情ですらない。ただただ「たっのしーい」からだ。
かばんちゃんをずっと助けるサーバルちゃん声優の、棒を押し出したような強く均一な声質が、またこの世界観やストーリーに合ってる。背景の不穏さを暴力的に押し隠す、異様なくらいの明度だ。演出意図というより、おそらく低予算を背景とした未熟さが原因だろうが、まさに奇跡のマッチングだ。
なぜこんなに(私だけでなく多くの人が)惹かれるのか。
やっぱり「災厄後」を示唆する世界で不自然なくらいピュアな繋がりを得て、しかも流浪する、ってのが、震災後を生きる心の琴線に触れるのではないか。
――とまあ、そんな風に分析したわけだが、本作の真の凄みは、そんなところを超えた中毒性にある。まあ私同様、フレンズになった方々なら先刻ご承知だろうが。
謎に惹かれて視聴を続けたとして、いずれ辿り着くのは、そんなものを超越した境地だ。この世界にずっと浸っていたい。悪意のかけらもないフレンズたちの行動を見て参加していたいと。微妙な表情ができない人形劇のようなCGキャラを見、サーバルちゃんの声を聴いていると、脳の奥が熔けてゆく感覚がある。奇妙だし不安定な感覚が共存しているが、心地よい。
きっとこれこそが、今の私に必要な「同時代の日常系」って奴なんだろう。凡百の日常系とは、響き合う魂の部位がきっと異なるのだ。