2019年07月17日

「伏線」誤用が多くない? ――けものフレンズ2編

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最近、「伏線」という用語の誤用が多いなあと感じる。


定義すれば、小説や映画などのフィクションで、「重要な事を、あらかじめ些細な形でほのめかしておく」ことだ。

たとえば、雑談で出てきた主人公の趣味が、クライマックスで殺人事件解決の鍵となるとかさ。そんな奴のことよ。

上手に伏線を張ると、読者なり視聴者を感動させることが可能。「そういやあんとき、なんか態度がおかしいと思ってたんだ。この伏線だったか」とか頷き、印象に強く残るからだ。


見事な伏線の例としては、シャマラン監督の「シックスセンス」とか。これ、精神科医と少年が心を通わせて救いを得るサスペンス映画。

仕事に熱中するあまり、結婚記念日のディナーに主人公が遅れるシーンがある。慌てて席に着くも、奥さんは怒ってガン無視、「いい結婚記念日ね」とか嫌味を残して帰っちゃう。

誰が見ても夫婦喧嘩のシーンだが、これが伏線。ラストの衝撃の展開を目にした視聴者は、「ああ、あのシーン、そういうわけだったのか! シャマランすげえ」と、目から鱗が落ちる。「ヤバいもう一度見て確認しないと」とか大興奮するわけよ。私もそうなったし。

この映画、クライマックスを見た後に、あちこち伏線が張り巡らせてあったと気づく。もう超絶傑作なので、未見の人はぜひご覧あれ。あーわかると思うけど、事前に情報集めたらもったいないよ。とにかく買って、観て、必要ならそれから情報探すといい。

ちなみにシャマラン監督は「これだけの人」であって、彼の他の作品は、いいもので「微妙」、悪い奴は「駄作」な出来。そっちは観なくてもいいとは思うわ。

あと、サスペンスホラー「ソウ」シリーズなんかも、伏線で見せる映画。クライマックスで伏線をいちいち再放映してくれる親切設計なので、面倒がなくていい。


本題に入るが、伏線の誤用。目立つのは、サブプロットのことを「伏線」と表記する人。

サブプロットとは、メインプロット(テーマ)とは別の、副次的なテーマのこと。たとえばミステリーで、メインプロットが「密室殺人解決」だとする。それだけで小説を書くと、広がりのない単調なものになってしまう。そこで「主人公の過去の謎」とかなんとか、副次的なテーマを投入して複雑さやグルーヴを与えるわけよ。

TVドラマ「24」で言えば、ご存知のとおりメインプロット(テーマ)は、「米国を襲うテロリストを排除する」こと。そこに「誘拐された娘を救う」「CTU(同僚)内部の裏切り者を探す」」といったサブプロットを入れて、あちこち振り回される主人公の大活躍(だか大苦労だか)を視聴者に楽しませる。

娘の誘拐は「伏線」ではない。なにせ「気づかせないほど些細」でもなんでもなく、あからさまに大きな問題として立ち塞がるから。


この手の誤用に気づいたのは、けものフレンズ2大炎上のときだ。

けものフレンズ2のメインプロットは、「主人公キュルルが帰るべきお家探し」。

これに、「海底火山爆発」「巨大船型セルリアン(敵)の跋扈」「キュルルの正体」「前作主人公達の離別・記憶喪失の理由」「ビーストの謎と救済」といった、他の問題を大量に投入してある。

ここまでの記述でわかるとは思うが、これらは皆、サブプロットであって伏線ではない。このサブプロットは最終話を観終わってもほとんどが未解決という惨状。それもあって、けものフレンズ2は大炎上した。

このとき「伏線を全部ぶん投げた」とお怒りになる方々が多かったわけさ。でもそりゃ伏線じゃないだろと。


実際のところ、けものフレンズ2に伏線など、実はほとんど存在しない。そう言えなくもないのは、一話での「キュルルの細い溝飛び」のシーン。なぜなら最終話で同様のシーンを入れ、「ジャンプを嫌がっていた主人公が成長し、無事怖がらずに跳べるようになった」と、制作者が言い張っていると思われるからだ。

ただこれは伏線としては非常に稚拙だった。まず一話の時点で不自然に尺を取って挿入してあるので、誰が見ても「これなんかの伏線だろ」と気づく点。次に、一話も最終話も溝の幅は狭く(最終話では靴幅もない始末)、そもそも怖がるのが不自然であった。さらに、あろうことか最終話の溝のほうが狭く、成長を語ることすらできないという有様。

前作の「木登り伏線」の見事さと対照的。正直、脚本もコンテ切った奴もどうかしている。この伏線を使うにしても、いくらなんでももう少しなんとかなっただろうに。最終話はもっと幅広くして(どう見ても危険なレベルに)、それに主人公はあえて挑戦。落ちかけるところを鳥のフレンズが助けてくれて友情表現に繋げるとかなんとか。いろんなパターンが考えられる。


ちなみにメインプロット「お家探し」すらも最終話でぶん投げて、「もう探すの止めた」とか主人公が口走る始末だ。そんなんありかあ? まさかとは思うが、「青い鳥」的な教訓エンドのつもりなのかw

「24」で言えば、最終話でテロリストがニューヨークで核兵器爆発させて1000万人死んで任務失敗みたいなことだろ、これ。それか「もうテロリスト探すの止めた。彼らなりの正義や理屈があるから」と主人公が口走るレベル。いやもちろんそういうドラマがあってもいい。だが、それならそれで、そういう展開を徐々に挟むべき。最終話まで24時間掛けて主人公の戦いを追ってきた視聴者が期待するのは、この結末じゃないだろ。

最終話までついてきた視聴者を伏線で感動させるどころか、テーマ捨てて呆れさせるとはどういうことw 「ホーリー・マウンテン」か「幕末太陽傳(幻のエンディング)」かという……。


伏線はないが、けものフレンズ2には大げさなほのめかしは結構ある。フレンズ型セルリアン(敵)ひとつとっても、「強敵だ」「コピー元のフレンズが倒さないと」「思い入れの強さで敵の強さが変わる」とか、いろいろ。だが実際の戦闘シーンでは、コピー元無関係の味方が一回殴るだけで敵は消えてしまう始末で、これらと矛盾している。正直、そこらの犬ころより弱いね。大体、ほのめかし同士がコンフリクトしてるし。

フィクションで「強敵だ」と発言させるのは、実は作り手の力量が問われる難しい手法だ。力量がないと安易にしか思えず読者や視聴者は白ける。敵の言動や戦闘シーンから、自然に視聴者なり読者なりがそう思うように持っていくのが基本だろう。

そもそも彼らがなぜ襲ってくるか自体が謎だしなあ……。前作の敵であれば「フレンズを食べることでエネルギー的なものを吸収。食べられたフレンズは人型を失い元の動物に戻る」という理屈付けがあった。だからこそ戦闘にも緊迫感がある。

だが2のフレンズ型セルリアンはコピー元と同じ大きさなので「食べる」ことは事実上不可能。ならなぜこちらを「敵」と考え、襲ってくるのか。襲ってきてなにをしたいのか。これに関して、劇中で納得のいく説明は皆無だ。ゾンビだって「人間の肉食べる」って理屈付けがあるぞ。

いやそういう「謎の存在が襲ってくる恐怖」でドライブする映画とかはある。ただけもフレの場合は前作でセルリアンが襲ってくる理由を語っている。新作でそれに反する存在とするなら、物語の中で説明しておかないと、視聴者は混乱するばかりだろう。

正直、脚本も監督もどうかしていると思うわ(アゲイン)。基礎的な作劇術の本はもちろん読んでいるとは思うが、なぜだろうか。単に能力の問題なのかな。


editors_brain at 08:34│Comments(0) 雑記 

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