江戸東京博物館で催されていた
「江戸の学び−教育爆発の時代展−」
館内で一人お姐が
腫れ上がるほど(嘘)膝を叩き
お腹がよじれるほど笑ったものは…
現在の埼玉県白岡町で1852年〜寺子屋を開いていた
大野雅山先生による
問題児文吉の行状日記
#江戸東京博物館の皆様資料ファックスありがとうございますm(__)m
文吉の目にも手にも余る
とてつもない(笑)
問題行動を前に
これを看過していてはならじ、
「後々本人も親も自分も後悔しないために
文吉の行状を文書で残す」とその悪行観察日記(笑)は
始まります。
ところで「文書で残す」
これがいいではないですか。
お姐は保育園学童学校始め公的機関には何かと
「文書で回答願います」
「議事録をつけますorください」
とやってイヤ〜な顔をされてしまうことが多かったのですが
#最近はさすがにそういうことも減りましたが…
#民間だったらこれやらないと話にならない(^^;
江戸時代の先生でも文書で残すことを率先的に行っていた!
これで軽いジャブ
そして注目の文吉の行動とは!
ある日の文吉(国文科卒(一応な!:笑)お姐による現代語訳)
「今日は小刀をもって裏庭の植木を切り歩いていて、それを咎めると、(師匠にむかって)悪口を吐いたかそばから友達の持ち物を切りつけ、気がついたら机の下で昼寝をしておる。ようやく起きたかと思えば机を重ねてその上に座り、厳重注意するも少しも従わずハナハダもって困り果てた。」
これでけっこうなボディーブロー
とある日の文吉
「この日も一字も習わず読まず」
さらにとある日の文吉
「年少の女子を泣かせるなど言語道断、さっそく咎め勉強しろと厳しく叱責したりなば自分(師匠)のところにやってきてなにをするかというと目前で尻をまくり、挙げ句ふて寝して大の字になっている。まったくこんな子どもは見たことがない」
また別の日の文吉
「本当に師匠を師匠と思わぬ態度に困るどころの話ではなく言語を絶する。稽古所にてちん○を出し(失敬!だが原文ママ)幼い子どもに見物させ、いくらやめさせようったってやめやしない。
ここまでヒドイのは
百人に一人もなし」
…大爆笑カウンターパンチ ノックアウト!
_| ̄|○ ヾ(@^▽^@)ノ
とうとう
半月後雅山先生は「師匠の不運である」と嘆き果て(笑)
しまいにゃ
「千人にひとりもなし!!」
とまで断言する始末。当時その地域の知識人の名も高く
冷静沈着であったハズの雅山先生を追い詰めた唯一の存在
それが文吉
春先から梅雨時までの数ヶ月間この悪行日記(爆)は続き
終わっているのですが
その後の気になる文吉のその後は杳として知れないのが残念(^^;
きっと、江戸の問題児文吉カーチャンも師匠番付とにらめっこしながら
孟母三遷したに違いないでしょう!
あるいは…( ̄∇+ ̄)v
ここまで書き連ねたんだから最後に
「とうとう堪忍袋の緒が切れて破門した!」とか
一筆あってもいいでしょうから…
お姐としてはもう文吉に慣れちゃった雅山先生がわざわざ日記に書く
までもなし!と淡々と受け止めて導いていったのではないかと
思いたいです。
文吉が教えてくれたことは今は病名をつけられてしまうような問題行動、
やっぱり昔からあったわけでビョーキじゃないんだよぉ〜てこと。
この日記を読みながら問題の多い豚児二人の母は涙が出るほど笑ったけど
それって先生と自分の姿が重なるからであり…
#なんでそんな所に乗ってるの!!(←箪笥の上)
#ってなんで鼻血が出てるの
#って前歯グラグラ(←生え変わりの時期ではない!!)じゃない!!
#あーーシャツ後ろ前!!
#バタッ(背後の箪笥の上から不用意に飛び降りられ倒れるお姐の音)
#ゴンッ‥(ひざに乗せてた豚児が急に立ち上がったヘディング音)
#って行ってるそばからどこ行くの!!
#お入学まで一週間切って「ち」と「さ」で悩むな〜〜(▼▼)χ
(以下壮絶すぎて略っ!)
文吉日記(←勝手に命名)で何より救われたのは
この子がなんとか今日、1字書いてくれぬものか
いやせめてじっと座っていないものか
オロオロし、ホトホト困りながらも雅山先生の
行間に流れる暖かな師匠の子どもへの愛情が感じられたこと。
文吉、こんなに問題起こしていても
毎日来ていた
文吉にとって寺子屋は居心地よくてきっと雅山師匠のことも大好きだったに
違いないと。表現の仕方が普通と違うだけ(笑)
文吉みたいな子どもはいつの世もいるけど、今は
文吉みたいな子が喜々として通える雅山先生の寺子屋がない…
つかそもそも先生番付表がないのよ!
先の出馬の演説中も話しましたが
子どもの情報が学校・教師間で共有されるのと同様に
公立小中学校の先生方の過去の実績
賞罰も情報公開(=現代の番付表)して欲しいものデス!
でないと
孟母三遷したくてもできないであります!( ̄^ ̄ゞ !
#Z会のSNSでも入ろうかのう…(ひとりごと)
「江戸の学び−教育爆発の時代展−」
館内で一人お姐が
腫れ上がるほど(嘘)膝を叩き
お腹がよじれるほど笑ったものは…
現在の埼玉県白岡町で1852年〜寺子屋を開いていた
大野雅山先生による
問題児文吉の行状日記
#江戸東京博物館の皆様資料ファックスありがとうございますm(__)m
文吉の目にも手にも余る
とてつもない(笑)
問題行動を前に
これを看過していてはならじ、
「後々本人も親も自分も後悔しないために
文吉の行状を文書で残す」とその悪行観察日記(笑)は
始まります。
ところで「文書で残す」
これがいいではないですか。
お姐は保育園学童学校始め公的機関には何かと
「文書で回答願います」
「議事録をつけますorください」
とやってイヤ〜な顔をされてしまうことが多かったのですが
#最近はさすがにそういうことも減りましたが…
#民間だったらこれやらないと話にならない(^^;
江戸時代の先生でも文書で残すことを率先的に行っていた!
これで軽いジャブ
そして注目の文吉の行動とは!
ある日の文吉(国文科卒(一応な!:笑)お姐による現代語訳)
「今日は小刀をもって裏庭の植木を切り歩いていて、それを咎めると、(師匠にむかって)悪口を吐いたかそばから友達の持ち物を切りつけ、気がついたら机の下で昼寝をしておる。ようやく起きたかと思えば机を重ねてその上に座り、厳重注意するも少しも従わずハナハダもって困り果てた。」
これでけっこうなボディーブロー
とある日の文吉
「この日も一字も習わず読まず」
さらにとある日の文吉
「年少の女子を泣かせるなど言語道断、さっそく咎め勉強しろと厳しく叱責したりなば自分(師匠)のところにやってきてなにをするかというと目前で尻をまくり、挙げ句ふて寝して大の字になっている。まったくこんな子どもは見たことがない」
また別の日の文吉
「本当に師匠を師匠と思わぬ態度に困るどころの話ではなく言語を絶する。稽古所にてちん○を出し(失敬!だが原文ママ)幼い子どもに見物させ、いくらやめさせようったってやめやしない。
ここまでヒドイのは
百人に一人もなし」
…大爆笑カウンターパンチ ノックアウト!
_| ̄|○ ヾ(@^▽^@)ノ
とうとう
半月後雅山先生は「師匠の不運である」と嘆き果て(笑)
しまいにゃ
「千人にひとりもなし!!」
とまで断言する始末。当時その地域の知識人の名も高く
冷静沈着であったハズの雅山先生を追い詰めた唯一の存在
それが文吉
春先から梅雨時までの数ヶ月間この悪行日記(爆)は続き
終わっているのですが
その後の気になる文吉のその後は杳として知れないのが残念(^^;
きっと、江戸の問題児文吉カーチャンも師匠番付とにらめっこしながら
孟母三遷したに違いないでしょう!
あるいは…( ̄∇+ ̄)v
ここまで書き連ねたんだから最後に
「とうとう堪忍袋の緒が切れて破門した!」とか
一筆あってもいいでしょうから…
お姐としてはもう文吉に慣れちゃった雅山先生がわざわざ日記に書く
までもなし!と淡々と受け止めて導いていったのではないかと
思いたいです。
文吉が教えてくれたことは今は病名をつけられてしまうような問題行動、
やっぱり昔からあったわけでビョーキじゃないんだよぉ〜てこと。
この日記を読みながら問題の多い豚児二人の母は涙が出るほど笑ったけど
それって先生と自分の姿が重なるからであり…
#なんでそんな所に乗ってるの!!(←箪笥の上)
#ってなんで鼻血が出てるの
#って前歯グラグラ(←生え変わりの時期ではない!!)じゃない!!
#あーーシャツ後ろ前!!
#バタッ(背後の箪笥の上から不用意に飛び降りられ倒れるお姐の音)
#ゴンッ‥(ひざに乗せてた豚児が急に立ち上がったヘディング音)
#って行ってるそばからどこ行くの!!
#お入学まで一週間切って「ち」と「さ」で悩むな〜〜(▼▼)χ
(以下壮絶すぎて略っ!)
文吉日記(←勝手に命名)で何より救われたのは
この子がなんとか今日、1字書いてくれぬものか
いやせめてじっと座っていないものか
オロオロし、ホトホト困りながらも雅山先生の
行間に流れる暖かな師匠の子どもへの愛情が感じられたこと。
文吉、こんなに問題起こしていても
毎日来ていた
文吉にとって寺子屋は居心地よくてきっと雅山師匠のことも大好きだったに
違いないと。表現の仕方が普通と違うだけ(笑)
文吉みたいな子どもはいつの世もいるけど、今は
文吉みたいな子が喜々として通える雅山先生の寺子屋がない…
つかそもそも先生番付表がないのよ!
先の出馬の演説中も話しましたが
子どもの情報が学校・教師間で共有されるのと同様に
公立小中学校の先生方の過去の実績
賞罰も情報公開(=現代の番付表)して欲しいものデス!
でないと
孟母三遷したくてもできないであります!( ̄^ ̄ゞ !
#Z会のSNSでも入ろうかのう…(ひとりごと)