お姐実家酒亭三四郎に、定期的においでになる初老の米国人がいました…日本語は流ちょうとまではいかないですが完璧。
学生さんを連れてきては「ごんべんのつく漢字をあげよ!」と漢字合戦に興じ、必ず日本人学生を負かしていらっしゃいました。
商家の子どもならもれなくついてくる(-_-メ)店の手伝いをしておりましたお姐@女子大生は「なんだなんだ?!なんなんだ?!このメリケンじーさんは?!」と舌を巻いてました。
著名人に疎い縄のれん三四郎。すべてのお客様をフツーにもてなす三四郎
お馴染みさんとなりずいぶんと経ってから、ひょんなきっかけで英語のリーダーでの教材でさんざん手を焼いた執筆者ご本人だと知ったわけで…それまではどうでもいいヨタ話ばっかりして(日本で飼っている黒猫の話を伺うのが好きでした←当時先生は暑い季節は本国秋から春先まで日本でお過ごしでした)
早く気付けば英語の成績も上がったろうに!(嘘です)
やがて年を重ねられた先生は一人でカウンターで飲まれることが多くなりました。今年年明けたまたま三四郎で飲んでいたら元気な姿をお見かけしてホッとしたところでした。
三四郎は東京湯島は下町の店。朝顔市のシーズンは朝顔が、ほおずき市のときはほおずきが店の前を飾ります。10年前に播いた夕顔がやがて自生となりビルの屋上まで弦を伸ばし大きな白い花を咲かせ一杯加減で帰るお客さんを白い花が見送るのです。
ちょっと前に三四郎に行った時
母「先生が毎年夕顔を楽しみにしてるのに今年は咲かないのよヘンね。」
娘「源氏物語の夕顔を踏まえた上でこの花が好きって言ってたよねぇ…さすが先生だよねぇ。」
と二人夕顔の弦を見上げていたのですが…
今年の夕顔を見ることなく先生は天に召されてしまったようです。
夕顔の種を蒔いてくれたその先生の名はエドワード・ジョージ・サイデンステッカー
敗戦国にあった日本の
タニザキをカワバタをミシマを
世界に広めたことがどれほど日本と欧米社会にあった溝を縮めたことでしょうか。
日本と日本人の本当の姿が映し出される文化と芸術の語る力は武器よりも強く大きい。
先生の翻訳本を手にしたかの国の人々の日本への偏見が理解へとどれほど変わったことでありましょうか。
ヘボな外交政策よりも一冊の本。ひとりの人間
日本を日本人よりも知り、愛した日米の架け橋はこれからも虹となって私たちを見守ることでありましょう。
先生の残してくれた虹を守っていく、それが日本人であり、そして先生の愛してくれた下町の居酒屋の娘であるお姐のせめてできることであります。
心からの冥福を祈るとともに親交を深めた日本の文豪先生と「生ビールと肉じゃがネ」とウィンクしながら天国で一献交えている姿をちょっと悲しくちょっとさびしく胸に描きます。
日米の戦前戦後を生き抜き享年86歳
先生、日本のいいところをたくさんたくさん教えてくれてありがとう。
合掌