火災でも駆け込み寺に・・・。

  みなさんこんにちわ 大江戸文化振興ネットワークです。
 
 江戸幕府は全国的な主要道路として、日本橋を基点に東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道の五街道を設置しました。甲州街道は、甲府を過ぎ、下諏訪で中山道に合流します。

 府中は、江戸から7里余り、4番目の宿場でした。丁度現在の大国魂神社を中心として、甲州街道沿いに立派な「府中宿」がありました。

 府中郷土の森博物館には、この「府中宿」の大きな模型が、展示されています。甲州街道をはさんで、本陣。脇本陣。旅籠。茶屋。今で言う運送や。換え馬を用意する所。等々、宿場らしいたたずまいを再現しています。

 さはさりながら、明かりは行灯、提灯、台所は竈の時代。また燭台など、なにかの拍子に倒れれば、建具は障子襖の事とてすぐ火事になる恐れがあります。火の始末には十分の注意が必要でした。それでも、時々大火に見舞われたのです。

 江戸時代1646年の大火、1835年の大火、このときは、約2時間で、府中宿のほとんどを焼き尽くしてしまいました。

 府中にも火消し組は、居ました。「宿鳶」「火掛り」と言う組織があって、地域を守っていたのです。また火事についての定めがありまして、火がでると太鼓を打って知らせました。太鼓を聞いたら、15歳から60歳までの男子は、すぐ駆けつけて消火に勤める事。となっておりました。

 でも、当時の火事の火消し作業は、水鉄砲と変わりない竜吐水しかないので、結局は、火止めの破壊作業しかできなかったわけですから、その恐ろしさと言ったらなかった事でしょう。「火の用心」がいかに大切か良くわかりますね。

 焼土と化した宿場再建のため、幕府から85両の資金を借り、10ねん割賦で返済すると言う証文が、ありました。学芸員の解説によると、半分は、再建の費用に使い残りを運用してその利益で、返済をしたとか。頭のいい人がいたのですね、またそのような経済の仕組みが出来ていたことが想像される、面白いエピソードだた思いました。

 また不注意あるいは、事故などで、火元になってしまった場合は、すぐに自分の菩提寺に駆け込んで謹慎すればよいと言うことになっていたようです。

 3月9日に入寺した清蔵について、3月11日に農業に差し支えるので、帰宅を許可して欲しいと言う願書(ねがいがき)を出しています。
 農業に差し支えれば、当時の米経済は成り立たないので、幕府はこのような願書 に弱いのでしょうか。名主他4名計5名でのサインがありました。
 女性が出火した場合は、お寺でなく、親類の監視のもとで、神妙にしていれば許されたようです。でも自分の不注意で失火したら、世間さまに申し訳ない気持ちになりますね。火には重ねて注意をしようと自戒しました。
         ITO Mariko

火消し組はなぜ府中に来たのか?

  みなさんこんにちわ 大江戸文化振興ネットワークです。

 ところで、この素晴らしい・・・、ではなく、厳粛で、敬虔な祈りの行事をなぜ、この府中でなさったのでしょうか。

 全国から集まってする行事としたら、神社庁のある明治神宮。でも良かったのではないでしょうか。または、鎌倉の八幡宮。も考えられます。

 もっともここ、大国魂神社は、全国ではないけれど武蔵の国総社で、関東一を誇るお社ですから大変立派でおわします。

 ただ、下町で生まれた、い組とか、ろ組とか言う名前から考えても、粋で男っぽいこの火消し組の皆さんがなぜ、こんなに遠い、府中に来て下さったのか不思議です。一体どういう関係があると言うのでしょう。

 私が考えるとすれば、やはり浅草の浅草寺か、神田明神ですよね。しかしこの全国から集まった火消し組みを受け入れるのは、どちらも無理ですね。神田明神に至っては、小高い岡の上にありますから、拝殿まで長い階段があります。上り詰めたとしてもさして広い所では、ありませんから、あれだけの梯子を林立させての梯子乗りは出来ないでしょう。

 だとすれば、広いのは明治神宮ですが・・・。解った!!!やっぱり、本当は、神田明神でやりたかったのです。・・・と思います。で。なぜ府中?

 皆さん。その秘密は。・・・私の想像をお許し頂けるなら、勿体無くも畏くも神田明神の御神体は、大国主の命でした。大国魂神社も大国主の命。それで此処になったのでしょう。・・・か?。

 ちなみに神田明神の祭礼は、大国魂神社が終わるとすぐ、5月7日から始まります。これは超華麗。日本一のお祭りです。

 ちなみに、府中郷土の森博物館で、火消しの資料を展示していました。面白いお話もありました。次回にお話しましょう。

     ITO Mariko

粋で華麗な火消し組 その2

  みなさん こんにちわ。大江戸文化振興ネットワークです。

 大国魂神社での、華麗な火消し組の続きです。

 あの長い梯子。10メートル以上ある、あの美しい緑色の梯子にするするつと、登っていくカッコイイお兄いさま。そもそも、あすこまで登る事だけでも驚異です。なんたって梯子は直立しているのですから。そして登り方にも、ねずみ返しとやら、逆さになったりして独楽のように回りながら登る人もいるのです。

 そして頂上に到着してムササビみたいな形を腹筋の力で支えたり、旗のように両足だけを梯子につけて真横になって万歳したり、あわや落下かと思えば両足で体を支えたり、もう、人間技とは思えないような、華麗な技が、繰り広げられました。

 見ている人々は、ため息を吐いたり、大拍手を送ったり、身も心もすっかり惹きつけられておりました。

 終わって皆「すごい。」「これ、宣伝したのかしら」「勿体無い。」「みんなに見せてあげたかった。」と感動さめやらぬ気持ちで、話合っておりました。これは、もし宣伝したら、物凄い混雑になったと思います。

 命がけで仕事をなさる皆様は、これを宣伝してイベントにしようと思ったのではない事がわかります。50年の歴史ある組の方々が、これからも無事仕事が出来るようにとの願いで、感謝と安全祈願にお出でになったのでしょう。謙虚な、シャイな方々です。たまたま神社に来た人や、近くに買い物に来た方だけが見る事ができたのです。私としましても生涯二度と見る事の出来ない行事を、拝見させて頂いた訳です。

 昔の版画に見る事の出来る、華麗な錦絵そのままでした。

 でも、不思議な事が、ひとつあります。     つづく
  
            M ITO


粋で華麗な火消し組

  みなさん こんにちわ。大江戸文化振興ネットワークです。

 去る10月10日体育の日。大国魂神社で、荒井紫峰先生の書道展が、ありまして、お伺いして書を拝見いたしました。「魂」と言う字はいかにも情熱あふれんばかりの闊達さ。と思えば、やわらかい美しいながれるようなかな文字。久しぶりに心洗われる思いでした。

 さて、紫峰先生の書を拝見するために出かけた大国魂神社でしたが。なんと神社にはいってすぐの所から、拝殿の前にある門のところまで、150メートルほどの参道にずらりと勢ぞろいした火消しの男たち。な、なんだ。今日は出初式か?まさか・・・。

 300?500人?も居たのでしょうか。全員法被で、紺のパッチ同じく紺の足首が見えないほどの足袋。そして、役員の雪駄以外は、一人残らずほんもののわらじをはいて。決まってる!カッコイイ男たち。そして、100本位ならんだ梯子と纏。

 法被のうしろの印を見て想像するに、千葉、茨城、茅ヶ崎、東京、等々、そして様々のデザインの纏の波。うーーん。これは一体どうしたのだ???。

 近くのお一人に伺いましたところ、「組(鳶なのか、火消しなのか確かめなかった)結成50年なので。・・・全国からきています。これだけ集めるのは大変なんです。」と言うお話でした。

 そうでしょう。こんな華麗なイベント見たことありません。東京の出初式だって恐らく、無理でしょう。

 やがて神主さんが現れ、式典もおわり、なんと。100本以上の梯子が一斉に立てられました。それを、長い鳶口4本。短い鳶口4本で、確りと支え、梯子乗りが、はじまりました。神社の拝殿の近くにいたのですが、遠く、大欅のある、神社の入り口まで、遠くはもう見えないのです。その梯子一本づつにそれぞれ、法被の男たちが、軽々と登っていきました。
 
 つづく     M ITO

こうもりのお話その2

  みなさん今日は。大江戸文化振興ネットワークです。

 さてまた、こうもりの続きです。Aさんにこうもりを見たことがあるか聞きましたら、なんとある!と言うお返事です。ただし戦前満州の大連で。川の両脇の壁面にいっぱいいた・・・。はー、なるほど。

 Bさんのお話。いまでも見ます。夕方に飛んでますよ。でもとても早いから、よく気をつけないと、解らないかも。ほー。で、どこで?なんと調布でですって。

 いやいや、こうもりは、こうもり穴の洞穴にすんでいるのかと思ったら、結構身近な生き物だったのですね。

 驚いてパソコンで調べたら、中国では幸福のシンボルですと。日本も西洋から、吸血鬼などの話が、入るまでは中国の影響の方が強くて、そんなに毛嫌いされてはいなかったのだそうです。

 思い出した!!父が吸ってたタバコの名前「ゴールデンバット」緑色の包装紙にこうもりの絵が描いてありました。あれ。まだあるのかしら・・・。

 アメリカの西部開拓の折には、こうもり小屋という三角錐風の建物を建てて、こうもりに住んでもらい、蚊を食してもらってから開拓をし、少しでも蚊の被害から身を守ったのだそうです。蛾や蚊、夜行性の昆虫、を食べていたのですね、蚊取線香のお役目をはたしてくれる、有難い存在だったのですね。さらに、糞という良質の肥料をプレゼント。

 こうもりを研究する方がほとんど居ないらしく、アマチュアの方が、ブログなど書いていらっしゃるくらいしか、情報が、ないのですね。

 幼友達のやんちゃな男の子が、鳥もちのついた竹竿をもって、こうもりにむかつていた姿が、やっと納得できるイメージになりました。

 こうもりさんが絶滅したりする事のない様、願っております。

            M ITO


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