Hungry Noplace

edoyakogane(江都屋黄金丸)Nyancoin Bakery/江都屋の続きブログでござる。 記事中の写真は、クリックすると別窓かタブで拡大表示されますよ。


「カボチャなんてメシのオカズにならねえよ」なんてことを力説する人がたまにおりますな。それを耳にするたびに「ならメシ(つまり米の飯ね)食わずに黙ってカボチャだけ食っとけ」と思うのだが、そういう奴は大抵、「カボチャなんてあんな甘いもの」とか言い出すのだ。なら最初から甘いのが嫌いだと言えばいいのだ。


そもそもその手の人物にかかればカボチャもサツマイモも同じことのようで、つまるところ食べ物とはメシのオカズになるかどうかというよりも酒のアテになるかどうかという感覚なのだね。そこにはまた「酒飲みは辛党」などというおかしな思い込みがあるのだね。これだから「自称酒飲み」は嫌いだ。酒飲みが甘いもの食べて何が悪い。


あるいはまた、おでんがオカズにはならない!と力説する人物も同類と言えよう。オカズにならんと思うならおとなしくオデンだけ食っとけ。


ところで日本の米の飯というものはだいたい何にでも合うようになっている。およそ人間が口にして美味いと思うものはゴハンと合うものだよ。なので、ゴチャゴチャ言わずに好きなもの食べてりゃいいのだ。


さて、味わい的なこととは別としてご飯と一緒に食べづらいものがありますな。たとえば串カツや焼き鳥の類いのもの。ああいうものは食べるスタイルとして、ご飯と合わせるものではない。お茶碗とお箸で両手が塞がっているので、串を持とうにも持てない。カツや焼き鳥を串から外して皿にとってから食べればいいではないかと思うかもしれないが(それが上品なマナーとされる向きもあろうが)、それはなんだか、串モノの存在意義が希薄になるようでいかんね。


さらに始末に困るのがお弁当に入ってる串カツだ。こちらは、テーブルなどないところで食べているかもしれないのだよ。左手には弁当箱、右手には箸。どうやって串を持てというのだ。故に、弁当を作る際には、如何に箸だけで食べやすくレイアウトするかということが肝要になるのである。


…なんて、先日久しぶりにカレーを作ったものだからこんなことを考えてしまったよ。

(以下、インスタグラムより引用)

貰い物のカレールーがあるので今夜は久しぶりにカレーを作っておりますよ。作り方は簡単。ニンニク、タマネギ、ナス、サツマイモ、鶏肉をザクザク切ってバターで炒め、うどんつゆと水を加え煮込んだところにカレールーを加える、というもの。辛口カレーにサツマイモの甘味が合うのですね。うどんつゆ(そばつゆでも可)を加えることでクロウト的な味わいになり、さらに残りを一晩寝かせるとシェフの味になってしまう。労力の割に返ってくるものが多いカレーなのであります。あ、シメジかなんか入れればもっと良かったかも。

(引用終わり)


ではまたね。


子供の頃には納豆が大嫌いだったが、それは15年ほど前に突然、食べられるようになった。今は好物なのだ。

さて、今年になって突然好物になったものがある。まずはモズク。居酒屋さんの突き出し(「お通し」とも言うね)にモズク酢が出てきたのだ。ありゃあ、モズクは苦手なんだよなと思いながら一口、食べてみるとこれが不思議に美味いではないか。嫌いなはずだったのにおかしいなあ。数日後にコンビニでモズクの3パックなんてものを生まれて初めて買ってみて、シラフでズルズルっと食べてみても、美味い。あぁ、とうとうモズクを美味いと感じるお年頃になったのね。

ならばトコロテンはどうだ。モズクがいけるならトコロテンなんぞ楽勝だろうと、またまたコンビニで買って帰り、付属のタレとカラシを混ぜ込んでズルズルっと啜ってみると…、なんだか美味い。美味いし、胃腸にも良さげだ。あぁ、トコロテンさえ美味いと感じるお年頃なのだねぇ。

ならばと数日後、メカブ3パック買って帰って食べてみたが、これはまだ好きにはなれなかったよ。たぶん10年後あたりには「メカブうまいうまい」とか言っているのかもしれないね。

パックだからいろいろ入ってんだろうけど…(以下略)

最近、ケーブルテレビのサービスチャンネル(契約していなくても見れる)で夜中に放送している鉄道番組をよく見ている。先日、岐阜県の明知鉄道というのが紹介されていて、なんだかとてもイイ感じの映像だったので、その週末にさっそく乗りに行ってみた。その前日まで二週間ほど連続で仕事だった(連日、社員研修の講師などしていたので…)反動か、知り合いなど絶対に居ないであろう場所に行きたかった。いつもの休日よりも遠くに。
 


名古屋からJR中央線で恵那まで行き、恵那からその明知鉄道に乗り、終点の明智まで(路線名は「明知鉄道」だが駅名は「明智」なのだね)。電車、とつい呼んでしまいがちだがここは非電化路線、おそらくディーゼル車なので汽車と呼ぶのが良いのかどうなのか、思いを巡らせつつ景色を眺めつつ…。
 
←動画

前日までの緊張感もいくらかほぐれたかな。程よいミニ旅でした。






104→88

何の数字かと言うと、ここ数か月で減量をした、その最高値と最低値。
3月の終わりごろからなので、約5カ月でマイナス16kg。全体的に一回り細くはなったが、まだお腹周りに贅肉アリ。なのでできればあと10kgは落としたいところだが、今はどうも停滞期のよう(ここ数週間は88~90kgの間で上下している)なので様子を見ながらゆっくりと落としていきましょう。

以上、経過報告でした。








参考までに:下は昨年(左)と今年(右)を比べたもの。同じ場所(浜名湖)で同じ帽子、同じサングラス…ではないけど自撮りしてみた。この時点(5/27)ではほぼ10kg減なので94kgだったかな。



「記憶」についての覚え書き。

ビッグコミック スペリオールの「味いちもんめ」という漫画で、主人公の二人が漫画家の小山ゆう氏に会いに行き話を聞くという回を立ち読みする。小山ゆう氏は高校三年間の記憶が無い、のだそうだ。

そういうこともあるのかなと自分の高校三年間を思い出そうとしてもなるほど、断片的に場面は出てくるけれど、一つ一つの出来事の一部始終を語れと言われたら充分に思い出せる自信はない。記憶が無いというほどでは無いが、俺はいったい、何を思い、何をして生きていたのだろう、という程度のアヤフヤな記憶しかないのだ。いや、高校三年間のことだけではなく、それ以前もそれ以後も含め、この生涯いったい何をしてきたのだろうかねえ。

なんて考えながらこんな文章を書いていると、普段は思い出すことのない高校生の頃の出来事がぽんぽんと浮かんできたりする。自分の心の中で「高校三年間」をキーワードにGoogle検索しているようなものだ。

記憶が無いように思うこともあろうけれど、それは単に何らかの理由で「思い出せなく」なっているだけで、「記憶が消えた」訳ではない。うまく探せば出てくるものだ。思い出すと不愉快になる記憶もあるだろうけれど、楽しい記憶もあるはずで、もしかして、人生観を変えるほどの発見があるかも知れない。

夜、目を閉じてから眠りに着くまでの間、自分の記憶を探る旅に出るのも悪くない、かもね(責任は持ちません)。

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