2009年03月
2009年03月30日
樹の世界へ24
冬が過ぎ春が来て、再び挨拶回りへと旅立つ時期になる。
行き先は、懐かしの故郷のある実りの大陸だ。ガッツーサに塔がなければ、過去にきたと確信をもつことができる。
去年と同じように見送りは盛大に行われた。そして例の如く先発隊は先に出た。陽平もその先発隊に混ざっている。
行列メンバーのほとんどは前回大神殿に留守番していた者たちだ。、変わっていないのは親衛隊とレグスンとユイの世話役と陽平くらいだ。
先に出発した先発隊は港までの道の安全を確保する。港町についたあとは、船内の安全確認や積荷の確認で時間を潰していく。用意された船は最新型なのだろう。他の船と比べるまでもなく立派な外装をしている。大樹の使者のために最新技術を使い、わざわざ作り上げたようだ。船乗りや船大工が世界最高の船だと胸を張っていた。だが陽平が以前乗った快速船よりも古臭い。
港町にユイたちが到着し、一泊したのち船に乗り込む。港には見送りにきた人々が溢れ、数人は人に押されて海に落ちていた。
純白の帆をはった船は声援に押されるように動き出す。いくつも突き出たオールを動かして港を威風堂々と出る。目指すは、実りの大陸。
航海は二ヶ月以上に及ぶ。移動用魔法装置を使えばもっと短縮できる。だがそれをしないのは、設置されたばかりで事故なく動く保障がないからだ。少しでも危険のあるものなど使えないということで従来通り船を使っての移動となっている。
船旅と言うことで警戒する必要のない兵たちは暇を持て余している、というわけではなかった。少しでも早く実りの大陸に着くため交代しながらオールをこいでいたり、甲板掃除をしたり、帆の上げ下げをしているのだ。こういった労働力を兵が担当しているので、肉体労働担当の船員はほとんどいない。少しはいるのだが、仕事の仕方を教えることが主な仕事となっている。
船は少しのハプニングにみまわれながらも順調に進む。
王鮫や大王いかや島亀といった危険な魔物に遭遇しないため、同行してる魔法使いが魔物避けの結界を船にはっていた。けれどそれは大物用なため、牙ヒトデや突剣魚といった小物にたいしては無意味でいくどか小物の群に遭遇したのだった。それらの対処は親衛隊がこなし、兵が出るまでもなく、陽平も参加することはなかった。結界を破れるような超大物がでてくると出番があったのかもしれない。魔法使いが船酔いで結界をはるだけで精一杯だったからだ。
日差しが徐々に強くなり、季節が初夏に入った頃、船は港に到着した。
さすがに出発したときと違い、正確な到着日時がわからないため港に人だかりができているなんてことはなかった。おかげで下船時に余計な気を使うこともなくスムーズに上陸できた。立派な船が港に入り、大樹の使者一行が入港したと気づいた人々が集まってきたが、警備兵がバリケードとなり余計な騒ぎは起きず、少しだけ騒がしい程度で宿へと入ることができた。
先発隊は事前に頼んでおいた情報を受け取り早速港を出て行き、港町でユイたちは五泊し出発する。情報と同じく、旅支度も頼んでいたので先発隊は早く行動を起こせたのだ。
その先発隊の中に陽平の姿はなかった。
船旅をしているとき陽平はレグスンに一度故郷に帰っていいかと聞いていて、良しと許可をもらったのだった。
陽平の言う故郷がないと知っているレグスンは、陽平に当然の如く見張りをつけている。相変わらず陽平は気づかずに馬車を乗り換えガッツーサに入る。見慣れぬ道を歩き、ローカスたちが住む町があるはずの荒地を通り、森だったはずの草原を歩いて、帰ってきた場所にはなにもなかった。
「なにもなしか」
崩れ去ってなくなった、そんな跡すら見えない故郷を見て、ようやくここが過去だと確信を得た。
予想はしていたので、特に思うことはない。送った手紙はどうなったのかなと思うくらいだ。
ここにきて十分もせず陽平はユイたちに合流しようと立ち去った。
そんな陽平を不思議に思うのは見張りとしてついてきた者だ。彼も陽平が手紙を出した場所にはなにもないと知っている。そこに行ってなにをしたいのか知りたかったのだが、なにもしないで通り過ぎるだけだった。そこからさらに歩き、またなにもない草原にきた。そこで少しだけ立ちつくす姿を見て、誰かと合流するのかと思ったがなにもせず誰とも会わず立ち去った。いったいなにをしたいのか。さっぱりわからないままだ。もしまったくの無駄足と知ったらどう思うだろうか。尾行することに慣れていても、やはり神経を使い疲労は溜まるのだ。それが無駄な作業と知ると、きっとやるせない思いと多少の怒りが沸くのではなかろうか。ここになんの目的できたのか、陽平は誰にも言わないし聞かれないので、見張り役が知ることはなかった。この謎は見張りが一生抱く謎になってしまった。
陽平はゆっくり進む。興味があったのだ。住んでいるところの昔に。緑に溢れた森だった塔の周囲。しかし今は草原でしかなく。木は小さなものがちらほらと見えるだけ。あれだけたくさんの木々に溢れるまでどれだけ時間がかかるのか。たくさんの木々を育てた時間というもののすごさに関心していた。
目的を果たした陽平は、行列の向かう都市に先回りし合流する。予定を聞いていたし、大樹の使者がくるというのは大きめの都市ならばどこでも噂になっていたのでどこら辺にいるかという情報は手に入れやすかったのだ。
行列は順調に都市を回っていく。その行列が安らぎの大陸ではしなかった寄り道をした。
大陸内を円を描くように回っていたのだが、途中でその円からはずれたのだった。
その疑問を恒例となった侵入したときに聞く。
「なんで寄り道したんだ?」
「根晶を受け取るためなんだよ。
輸送してもらうと途中で山賊に襲われるかもしれないから、今回は直接受け取りにきたの」
口の中のクッキーを飲み込んでから、ユイは口を開く。
テーブルの上には昼のうちに買って、お土産としたクッキーが広がっている。
「根晶の鉱山があるんだ、この町?」
「正確には、あった、なんだよ」
「過去形?」
「ここ二年でね、急に採れる量が減ってきてたんだって。それが一ヶ月前からなくなって。欠片すら採れない。
もう一ヶ月掘ってでなかったら枯れたって判断するって聞いたよ」
「そっか。でもそこが駄目でも他の場所があるんだろう?」
「あるにはあるらしいけど、そこは他国の所有地だからね。
根晶って採れる量が少ないらしいよ。そんな状況だから買い取るにも苦労するだろうし、ましてやその鉱山を頂戴って言ってもくれるわけない。
ここは大神殿の所有地で、神殿で使う根晶もここから採れるものだったんだ。
だからこれからどうしようって神官長たちは頭を悩ませてた」
「神殿でも根晶って使ってたのか。どんなことに使ってるのか知ってる? やっぱり魔法関連?」
「そうだね、結界維持に使ってるらしいよ。
ほかには大樹様とお話するときにも使う」
「お話? できんの?」
「私は大樹の使者だよ? それが主な仕事だよ」
「へーどんな人? 人っていうのもおかしいか? どんな人格?」
「えっとね……包み込んでくれるような包容力を持った人、あと少し抜けてるところがある」
大雑把に性格を表す。
「抜けてんの?」
「らしいよ。私は知らないんだけどね」
「らしいってことは、前任の大樹の使者、リスティっていったっけ? その人から聞いた?」
「リスティ様からじゃなくてね。もう少し前の人がそういった場面に出くわしたらしい」
「……えっと、もしかして大樹の使者も魔法使いと同じで長寿? そういった話は聞いたことないけど」
ユイの言葉から陽平は、今も生きている大樹の使者がいるのかと思った。
しかしユイは首を横に振る。
「たしかに私たちは普通の人より長寿だけど、魔法使いほどは長生きしない」
そう言ってユイはいつも腰に下げている宝珠を手に取る。
「これにね、代々の大樹の使者の記憶が込められてて、この中にさっきの抜けてる場面があったんだ」
「掌に収まるほど小さいそれにねぇ。すごいな。
もし盗まれて悪用されたら大変だ」
内部情報漏洩とかの騒ぎじゃなくなるだろう。
「盗まれたら大変だけど、使えないよ。
私たち大樹の使者にしか使えないから。
昔、ほかの人が使おうとしたことがあるんだって。そのときは宝珠が汚れて大樹の使者でも使えなくなったらしいよ。
浄化するのに十年以上かかったってさ」
「大樹の使者にしか使えないなら、ほかの人には綺麗な宝珠って意味しかないか」
「だねぇ」
本来ならば常に見につけるものでもない。多くの大樹の使者は自室に保管していた。常に身につけていると、ちょっとした拍子で誰かに触れてしまう可能性もあるのだから。
ユイがいつも持っているのは、宝珠の中にある今は亡き前任の気配を感じていたいからだ。
「あ、記憶が見れるなら、根晶のある場所ってわからない?」
「無理だと思うよ、昔のことがわかるだけだし、根晶について記憶があってもそれはすでにみつかっているものだもん。
未知の情報がわかるってわけじゃない。
探し物をしたいなら大樹様に聞いたほうが早い。知らないことはないらしいし」
「じゃあ、悩むことないのか、聞けばいいんだし」
いやいやと、ユイは手を振る。
「それがね、そんなことで手を煩わせるわけにはいかないって言って聞かない方針になってる」
「確実な手段があるのに、それを使わないのか。
なに考えてんだろう」
「ほんとにね」
いろいろと思惑が絡んでいるのだ。
簡単にいうと権力だ。根晶は大神殿にとって必要なもの。一応根晶なしでも大樹と会話はできるが、とても疲れるらしい。結界維持にはなくてはならないもの。根晶なしだと魔法使いを使い潰すようなことになりかねない。その大事なものを今後継続的に提供できる鉱山をみつけることは、大きな手柄を立てることになる。手柄を立てれば顔が広まるし、褒美で地位をより強固により高くすることが可能。大神殿内での地位はほかの国でも通じる。地位が高ければ、他国でも多少の無茶は通る。
此度のことは権力者にとって絶好の機会なのだ。そんな機会をわざわざ見過ごす気はないのだろう。神官といえど人間だ。欲もある。だから確実な手段は最後の手段とすることで全員の意見が一致したのだ。
大神殿に所属せず一時的な関係者となっている陽平に地位など興味はない。だから興味なしの一言で、裏を考えることを放棄して、ユイと一緒にわからないと言っている。
そんな陽平だから神官たちの思惑を壊す発言をする。
「根晶のある場所知ってるけど聞く?」
これによってレグスンとベルガの仕事が増えるのだが、陽平にはわからないことだった。
根晶の在り処を知っていることで怪しまれるというわけではない。鉱脈が枯れることを読んでいて、役立つ情報を提供し地位を高めようと考えているなどと怪しむわけはない。さすがに根晶の情報は偶然だと考える。
今現在の仕事は動きを見張ること。だが見張りは、なにも陽平が怪しげなことをしないか見張っていただけではないのだ。陽平にほかの権力者が近づかぬように見張っていて、権力者の部下が近寄るそぶりを見せると追い払っていた。ほかの権力者に取り込まれややこしい事態になって、仕事がさらに増えるようなことになってほしくなかったのだ。
だが陽平が根晶鉱山を提供するという手柄を立てると、レグスンたちが上手く動かないと陽平という存在は上層部には隠し切れない。運が悪いと魔法使いだということもばれる。レグスンは陽平が魔法使いだと隠している。今現在でも陽平関連で仕事はある。ばれるといろいろと面倒なことになり、さらに仕事は増える。
そうならないように動くため仕事が増えてしまう。結局は仕事が増えているが、仕事量からいってばれたときのほうが多いため、陽平を隠す方向で動いていた。
「知ってるの?
あ、そう言えば最高品質の根晶を使った魔法を失敗したって会ったとき言ってたっけ」
「おーよく覚えてたね、えらいえらい」
わしわしとユイの頭を撫でる。
「レグスンさん以外に撫でられたの久しぶりな気がする」
照れた様子で撫でられた箇所に手を当てる。
軽々しく触れられる存在ではないので、撫でるものが少なくて当然だろう。むしろ撫でる陽平やレグスンがおかしい。といっても陽平はまだ理解できる。宗教観念や王族貴族といった地位に関する力をあまり理解していないが故に触れることができるのだ。それらを理解して触れるレグスンが一番おかしいのかもしれない。ただ陽平と同じように子供や孫といった感覚で接している、だけではなく打算もある。そう接したほうが心象がいいとわかっている。こんな下心全開というわけではないが、少しはそんな考えもあるという話。
「こんなことでいいならお爺ちゃんがいつでもしたるよ」
冗談めかして言う。
「見た目が若いからお爺ちゃんって感じじゃないけどね」
「幻をかぶれば見た目は変わるさね」
「そのときはよろしくお爺ちゃん」
「まかせとき」
遮音結界の中で二人はおおいに笑いあった。
「ふぃー、笑った笑った。
それで根晶の鉱山ってどこにあるの?」
「成長の大陸に、蟲隠れの洞窟ってとこがあるのさ。そこには虫人が住んでいて、その住居にたくさんの根晶がある。
あれ見たら驚くよ、壁中にたくさんの根晶がくっついてるし」
根晶のことで悩んでいるので、蟲隠れの洞窟のことは知らないのだろうと予想して言った。洞窟のことを知っていたら悩まないだろう。
案の定、ユイは初めて聞いたという顔をしている。
「虫人かぁ、私会ったことないよ。樹人はあるけど」
「俺は樹人に会ったことがないな。鳥人もないけど」
「私もない」
このあとはたわいもない話しへと変わっていった。
根晶の問題が発覚したほかはたいしたことなく一行は挨拶回りを終える。
帰りの航海では行きに出会わなかった超大物とすれ違うなんてこともあった。緊張する一行を尻目に船よりも大きな一角鯨は悠々と泳いで去った。小物を相手する気分ではなかったようだ。ほっと胸をなでおろす者が多い中で、ユイは初めて見た巨大生物に感動していた。
雪がちらつく頃、無事に大神殿に戻り、冬をユーフィアンで過ごす。
帰ってきてしばらくしたとある日、陽平はレグスンに呼び出される。
「なんの用ですか?」
「根晶のことだ。嬢ちゃんに在り処を教えたんだろ? 虫人の住処だとか」
「実りの大陸にいるときに教えたけど?」
「正確な場所まで案内できるのかい?」
「うろおぼえだけどなんとかなる。洞窟に入ってから長いけどね。五日くらい洞窟の中を歩き続けた記憶が」
「案内できるならいい。
んでその手柄だが、嬢ちゃんのものにしてもいいか?」
「どういうこと?」
「ぽっとでのお前さんがそんなこと知っているといらない注目集めるんだ。
この手柄は偉い方にとっちゃチャンスでもあったんだけどね、動き出す前に終っていたということになる。
利益はないが損害もでていない。それでも横取りされたと思う奴はいて、制裁なんかされることもありうる。
変死体なんかで発見されたら嬢ちゃんが悲しむだろ。
それに死ぬならまだしも、薬かなんか利用されたら厄介きわまりない。嬢ちゃんとの距離が近いってことを利用して、嬢ちゃんすら薬で傀儡化なんてこともあるかもな」
レグスンが陽平をフォローする理由がここにある。陽平とユイの距離が近いため、陽平への害意がユイにも飛び火しかねない。可能性は低いがないともいえず、何事もないように動かざるを得ない状況なのだ。
ユイから遠ざければいいのだが、息抜きになっているという点から難しく、いっそのこと大神殿から放り出したくとも陽平の疑いが完全にはれていないので無理。
「大樹の使者にそこまですんの?」
「欲に狂った人間は、ときとして非常識なことをやってのけるもんだよ」
思い当たる節があるのか陽平は納得した表情で一つ頷いた。
「厄介ごとは面倒だから、手柄を譲るってことに否はないよ」
「助かる」
「でも俺が話したって知ってる人いるんじゃない? そこから情報漏れるってことは?」
「そこらへんは大丈夫。
嬢ちゃんが根晶のことを話したとき俺やベルガもいて、その時点では誰が嬢ちゃんに教えたかはわからなかったがこのまま名前を言わせると碌なことにならないと判断して、嬢ちゃんが大樹様に聞いたと誘導しておいた。
最後の手段となっていたけど、皆の役に立ちたいから先走ったという設定になっているから覚えておくように」
「表向きは一番偉いからチャンスを潰されても文句は言えないか」
「そういうこと。
それで手柄を譲るとはいえ、手柄は手柄。秘密裏に褒美を与えることにした。
金でいいか? 最近貯めてるだろう?」
「知ってたの?」
「見張りはつけたままだし。
口止め料が含まれるから大金も用意できる」
「そうだね、お金がいいか……いや、高価な物でもいいの?」
「かまわないけど? なにか欲しい物でもあるのか?」
「銀狼の牙と竜涙花がほしい」
帰るために必要な材料だ。
毎年、大神殿に奉納していると獣人が言っていたことを思い出したのだ。ここで思い出さなければもう一度山を登って交渉しに行っただろう。
竜涙花はなさそうだが、一応言ってみただけだ。
「竜涙花? 聞いたことないな」
案の定レグスンは首を傾げている。
「じゃあここにはないんだ。
まあ、ないとは思ってたけど」
「ちなみにどんなものなんだ?」
「竜の涙で育った花」
「貴重すぎてないわっそんなもの!
銀狼の牙もすごい高価だったような気がするんだけど。まあいい、根晶に比べたら安いほうか。
それが褒美でいいな?」
陽平は頷く。
このあとの会話で、銀狼の牙はすぐに渡されず、陽平が大神殿を出るときに与えられることになった。手元に置いていると、なくしたり盗まれたりする可能性があるからだ。
なぜ銀狼の牙が必要なのかも聞かれたが、帰還のためといってもいまいち信じられないだろうと考え、以前から欲しくてチャンスだから提案してみたと誤魔化す。魔法関連は素人なレグスンはそれに納得する。一応、大神殿に害なすために必要ではないなと聞くことは忘れない。それに頷いた陽平を信じた。彼らが出会って一年以上経つ。見張り続けたこともあり陽平の大体の人柄は理解していたので、嘘は言っていないと判断した。
話しは終わり、陽平は仕事のため部屋を出て行った。
陽平のおかげで増えた仕事をこなすため、レグスンも書類仕事に戻る。
25へ
行き先は、懐かしの故郷のある実りの大陸だ。ガッツーサに塔がなければ、過去にきたと確信をもつことができる。
去年と同じように見送りは盛大に行われた。そして例の如く先発隊は先に出た。陽平もその先発隊に混ざっている。
行列メンバーのほとんどは前回大神殿に留守番していた者たちだ。、変わっていないのは親衛隊とレグスンとユイの世話役と陽平くらいだ。
先に出発した先発隊は港までの道の安全を確保する。港町についたあとは、船内の安全確認や積荷の確認で時間を潰していく。用意された船は最新型なのだろう。他の船と比べるまでもなく立派な外装をしている。大樹の使者のために最新技術を使い、わざわざ作り上げたようだ。船乗りや船大工が世界最高の船だと胸を張っていた。だが陽平が以前乗った快速船よりも古臭い。
港町にユイたちが到着し、一泊したのち船に乗り込む。港には見送りにきた人々が溢れ、数人は人に押されて海に落ちていた。
純白の帆をはった船は声援に押されるように動き出す。いくつも突き出たオールを動かして港を威風堂々と出る。目指すは、実りの大陸。
航海は二ヶ月以上に及ぶ。移動用魔法装置を使えばもっと短縮できる。だがそれをしないのは、設置されたばかりで事故なく動く保障がないからだ。少しでも危険のあるものなど使えないということで従来通り船を使っての移動となっている。
船旅と言うことで警戒する必要のない兵たちは暇を持て余している、というわけではなかった。少しでも早く実りの大陸に着くため交代しながらオールをこいでいたり、甲板掃除をしたり、帆の上げ下げをしているのだ。こういった労働力を兵が担当しているので、肉体労働担当の船員はほとんどいない。少しはいるのだが、仕事の仕方を教えることが主な仕事となっている。
船は少しのハプニングにみまわれながらも順調に進む。
王鮫や大王いかや島亀といった危険な魔物に遭遇しないため、同行してる魔法使いが魔物避けの結界を船にはっていた。けれどそれは大物用なため、牙ヒトデや突剣魚といった小物にたいしては無意味でいくどか小物の群に遭遇したのだった。それらの対処は親衛隊がこなし、兵が出るまでもなく、陽平も参加することはなかった。結界を破れるような超大物がでてくると出番があったのかもしれない。魔法使いが船酔いで結界をはるだけで精一杯だったからだ。
日差しが徐々に強くなり、季節が初夏に入った頃、船は港に到着した。
さすがに出発したときと違い、正確な到着日時がわからないため港に人だかりができているなんてことはなかった。おかげで下船時に余計な気を使うこともなくスムーズに上陸できた。立派な船が港に入り、大樹の使者一行が入港したと気づいた人々が集まってきたが、警備兵がバリケードとなり余計な騒ぎは起きず、少しだけ騒がしい程度で宿へと入ることができた。
先発隊は事前に頼んでおいた情報を受け取り早速港を出て行き、港町でユイたちは五泊し出発する。情報と同じく、旅支度も頼んでいたので先発隊は早く行動を起こせたのだ。
その先発隊の中に陽平の姿はなかった。
船旅をしているとき陽平はレグスンに一度故郷に帰っていいかと聞いていて、良しと許可をもらったのだった。
陽平の言う故郷がないと知っているレグスンは、陽平に当然の如く見張りをつけている。相変わらず陽平は気づかずに馬車を乗り換えガッツーサに入る。見慣れぬ道を歩き、ローカスたちが住む町があるはずの荒地を通り、森だったはずの草原を歩いて、帰ってきた場所にはなにもなかった。
「なにもなしか」
崩れ去ってなくなった、そんな跡すら見えない故郷を見て、ようやくここが過去だと確信を得た。
予想はしていたので、特に思うことはない。送った手紙はどうなったのかなと思うくらいだ。
ここにきて十分もせず陽平はユイたちに合流しようと立ち去った。
そんな陽平を不思議に思うのは見張りとしてついてきた者だ。彼も陽平が手紙を出した場所にはなにもないと知っている。そこに行ってなにをしたいのか知りたかったのだが、なにもしないで通り過ぎるだけだった。そこからさらに歩き、またなにもない草原にきた。そこで少しだけ立ちつくす姿を見て、誰かと合流するのかと思ったがなにもせず誰とも会わず立ち去った。いったいなにをしたいのか。さっぱりわからないままだ。もしまったくの無駄足と知ったらどう思うだろうか。尾行することに慣れていても、やはり神経を使い疲労は溜まるのだ。それが無駄な作業と知ると、きっとやるせない思いと多少の怒りが沸くのではなかろうか。ここになんの目的できたのか、陽平は誰にも言わないし聞かれないので、見張り役が知ることはなかった。この謎は見張りが一生抱く謎になってしまった。
陽平はゆっくり進む。興味があったのだ。住んでいるところの昔に。緑に溢れた森だった塔の周囲。しかし今は草原でしかなく。木は小さなものがちらほらと見えるだけ。あれだけたくさんの木々に溢れるまでどれだけ時間がかかるのか。たくさんの木々を育てた時間というもののすごさに関心していた。
目的を果たした陽平は、行列の向かう都市に先回りし合流する。予定を聞いていたし、大樹の使者がくるというのは大きめの都市ならばどこでも噂になっていたのでどこら辺にいるかという情報は手に入れやすかったのだ。
行列は順調に都市を回っていく。その行列が安らぎの大陸ではしなかった寄り道をした。
大陸内を円を描くように回っていたのだが、途中でその円からはずれたのだった。
その疑問を恒例となった侵入したときに聞く。
「なんで寄り道したんだ?」
「根晶を受け取るためなんだよ。
輸送してもらうと途中で山賊に襲われるかもしれないから、今回は直接受け取りにきたの」
口の中のクッキーを飲み込んでから、ユイは口を開く。
テーブルの上には昼のうちに買って、お土産としたクッキーが広がっている。
「根晶の鉱山があるんだ、この町?」
「正確には、あった、なんだよ」
「過去形?」
「ここ二年でね、急に採れる量が減ってきてたんだって。それが一ヶ月前からなくなって。欠片すら採れない。
もう一ヶ月掘ってでなかったら枯れたって判断するって聞いたよ」
「そっか。でもそこが駄目でも他の場所があるんだろう?」
「あるにはあるらしいけど、そこは他国の所有地だからね。
根晶って採れる量が少ないらしいよ。そんな状況だから買い取るにも苦労するだろうし、ましてやその鉱山を頂戴って言ってもくれるわけない。
ここは大神殿の所有地で、神殿で使う根晶もここから採れるものだったんだ。
だからこれからどうしようって神官長たちは頭を悩ませてた」
「神殿でも根晶って使ってたのか。どんなことに使ってるのか知ってる? やっぱり魔法関連?」
「そうだね、結界維持に使ってるらしいよ。
ほかには大樹様とお話するときにも使う」
「お話? できんの?」
「私は大樹の使者だよ? それが主な仕事だよ」
「へーどんな人? 人っていうのもおかしいか? どんな人格?」
「えっとね……包み込んでくれるような包容力を持った人、あと少し抜けてるところがある」
大雑把に性格を表す。
「抜けてんの?」
「らしいよ。私は知らないんだけどね」
「らしいってことは、前任の大樹の使者、リスティっていったっけ? その人から聞いた?」
「リスティ様からじゃなくてね。もう少し前の人がそういった場面に出くわしたらしい」
「……えっと、もしかして大樹の使者も魔法使いと同じで長寿? そういった話は聞いたことないけど」
ユイの言葉から陽平は、今も生きている大樹の使者がいるのかと思った。
しかしユイは首を横に振る。
「たしかに私たちは普通の人より長寿だけど、魔法使いほどは長生きしない」
そう言ってユイはいつも腰に下げている宝珠を手に取る。
「これにね、代々の大樹の使者の記憶が込められてて、この中にさっきの抜けてる場面があったんだ」
「掌に収まるほど小さいそれにねぇ。すごいな。
もし盗まれて悪用されたら大変だ」
内部情報漏洩とかの騒ぎじゃなくなるだろう。
「盗まれたら大変だけど、使えないよ。
私たち大樹の使者にしか使えないから。
昔、ほかの人が使おうとしたことがあるんだって。そのときは宝珠が汚れて大樹の使者でも使えなくなったらしいよ。
浄化するのに十年以上かかったってさ」
「大樹の使者にしか使えないなら、ほかの人には綺麗な宝珠って意味しかないか」
「だねぇ」
本来ならば常に見につけるものでもない。多くの大樹の使者は自室に保管していた。常に身につけていると、ちょっとした拍子で誰かに触れてしまう可能性もあるのだから。
ユイがいつも持っているのは、宝珠の中にある今は亡き前任の気配を感じていたいからだ。
「あ、記憶が見れるなら、根晶のある場所ってわからない?」
「無理だと思うよ、昔のことがわかるだけだし、根晶について記憶があってもそれはすでにみつかっているものだもん。
未知の情報がわかるってわけじゃない。
探し物をしたいなら大樹様に聞いたほうが早い。知らないことはないらしいし」
「じゃあ、悩むことないのか、聞けばいいんだし」
いやいやと、ユイは手を振る。
「それがね、そんなことで手を煩わせるわけにはいかないって言って聞かない方針になってる」
「確実な手段があるのに、それを使わないのか。
なに考えてんだろう」
「ほんとにね」
いろいろと思惑が絡んでいるのだ。
簡単にいうと権力だ。根晶は大神殿にとって必要なもの。一応根晶なしでも大樹と会話はできるが、とても疲れるらしい。結界維持にはなくてはならないもの。根晶なしだと魔法使いを使い潰すようなことになりかねない。その大事なものを今後継続的に提供できる鉱山をみつけることは、大きな手柄を立てることになる。手柄を立てれば顔が広まるし、褒美で地位をより強固により高くすることが可能。大神殿内での地位はほかの国でも通じる。地位が高ければ、他国でも多少の無茶は通る。
此度のことは権力者にとって絶好の機会なのだ。そんな機会をわざわざ見過ごす気はないのだろう。神官といえど人間だ。欲もある。だから確実な手段は最後の手段とすることで全員の意見が一致したのだ。
大神殿に所属せず一時的な関係者となっている陽平に地位など興味はない。だから興味なしの一言で、裏を考えることを放棄して、ユイと一緒にわからないと言っている。
そんな陽平だから神官たちの思惑を壊す発言をする。
「根晶のある場所知ってるけど聞く?」
これによってレグスンとベルガの仕事が増えるのだが、陽平にはわからないことだった。
根晶の在り処を知っていることで怪しまれるというわけではない。鉱脈が枯れることを読んでいて、役立つ情報を提供し地位を高めようと考えているなどと怪しむわけはない。さすがに根晶の情報は偶然だと考える。
今現在の仕事は動きを見張ること。だが見張りは、なにも陽平が怪しげなことをしないか見張っていただけではないのだ。陽平にほかの権力者が近づかぬように見張っていて、権力者の部下が近寄るそぶりを見せると追い払っていた。ほかの権力者に取り込まれややこしい事態になって、仕事がさらに増えるようなことになってほしくなかったのだ。
だが陽平が根晶鉱山を提供するという手柄を立てると、レグスンたちが上手く動かないと陽平という存在は上層部には隠し切れない。運が悪いと魔法使いだということもばれる。レグスンは陽平が魔法使いだと隠している。今現在でも陽平関連で仕事はある。ばれるといろいろと面倒なことになり、さらに仕事は増える。
そうならないように動くため仕事が増えてしまう。結局は仕事が増えているが、仕事量からいってばれたときのほうが多いため、陽平を隠す方向で動いていた。
「知ってるの?
あ、そう言えば最高品質の根晶を使った魔法を失敗したって会ったとき言ってたっけ」
「おーよく覚えてたね、えらいえらい」
わしわしとユイの頭を撫でる。
「レグスンさん以外に撫でられたの久しぶりな気がする」
照れた様子で撫でられた箇所に手を当てる。
軽々しく触れられる存在ではないので、撫でるものが少なくて当然だろう。むしろ撫でる陽平やレグスンがおかしい。といっても陽平はまだ理解できる。宗教観念や王族貴族といった地位に関する力をあまり理解していないが故に触れることができるのだ。それらを理解して触れるレグスンが一番おかしいのかもしれない。ただ陽平と同じように子供や孫といった感覚で接している、だけではなく打算もある。そう接したほうが心象がいいとわかっている。こんな下心全開というわけではないが、少しはそんな考えもあるという話。
「こんなことでいいならお爺ちゃんがいつでもしたるよ」
冗談めかして言う。
「見た目が若いからお爺ちゃんって感じじゃないけどね」
「幻をかぶれば見た目は変わるさね」
「そのときはよろしくお爺ちゃん」
「まかせとき」
遮音結界の中で二人はおおいに笑いあった。
「ふぃー、笑った笑った。
それで根晶の鉱山ってどこにあるの?」
「成長の大陸に、蟲隠れの洞窟ってとこがあるのさ。そこには虫人が住んでいて、その住居にたくさんの根晶がある。
あれ見たら驚くよ、壁中にたくさんの根晶がくっついてるし」
根晶のことで悩んでいるので、蟲隠れの洞窟のことは知らないのだろうと予想して言った。洞窟のことを知っていたら悩まないだろう。
案の定、ユイは初めて聞いたという顔をしている。
「虫人かぁ、私会ったことないよ。樹人はあるけど」
「俺は樹人に会ったことがないな。鳥人もないけど」
「私もない」
このあとはたわいもない話しへと変わっていった。
根晶の問題が発覚したほかはたいしたことなく一行は挨拶回りを終える。
帰りの航海では行きに出会わなかった超大物とすれ違うなんてこともあった。緊張する一行を尻目に船よりも大きな一角鯨は悠々と泳いで去った。小物を相手する気分ではなかったようだ。ほっと胸をなでおろす者が多い中で、ユイは初めて見た巨大生物に感動していた。
雪がちらつく頃、無事に大神殿に戻り、冬をユーフィアンで過ごす。
帰ってきてしばらくしたとある日、陽平はレグスンに呼び出される。
「なんの用ですか?」
「根晶のことだ。嬢ちゃんに在り処を教えたんだろ? 虫人の住処だとか」
「実りの大陸にいるときに教えたけど?」
「正確な場所まで案内できるのかい?」
「うろおぼえだけどなんとかなる。洞窟に入ってから長いけどね。五日くらい洞窟の中を歩き続けた記憶が」
「案内できるならいい。
んでその手柄だが、嬢ちゃんのものにしてもいいか?」
「どういうこと?」
「ぽっとでのお前さんがそんなこと知っているといらない注目集めるんだ。
この手柄は偉い方にとっちゃチャンスでもあったんだけどね、動き出す前に終っていたということになる。
利益はないが損害もでていない。それでも横取りされたと思う奴はいて、制裁なんかされることもありうる。
変死体なんかで発見されたら嬢ちゃんが悲しむだろ。
それに死ぬならまだしも、薬かなんか利用されたら厄介きわまりない。嬢ちゃんとの距離が近いってことを利用して、嬢ちゃんすら薬で傀儡化なんてこともあるかもな」
レグスンが陽平をフォローする理由がここにある。陽平とユイの距離が近いため、陽平への害意がユイにも飛び火しかねない。可能性は低いがないともいえず、何事もないように動かざるを得ない状況なのだ。
ユイから遠ざければいいのだが、息抜きになっているという点から難しく、いっそのこと大神殿から放り出したくとも陽平の疑いが完全にはれていないので無理。
「大樹の使者にそこまですんの?」
「欲に狂った人間は、ときとして非常識なことをやってのけるもんだよ」
思い当たる節があるのか陽平は納得した表情で一つ頷いた。
「厄介ごとは面倒だから、手柄を譲るってことに否はないよ」
「助かる」
「でも俺が話したって知ってる人いるんじゃない? そこから情報漏れるってことは?」
「そこらへんは大丈夫。
嬢ちゃんが根晶のことを話したとき俺やベルガもいて、その時点では誰が嬢ちゃんに教えたかはわからなかったがこのまま名前を言わせると碌なことにならないと判断して、嬢ちゃんが大樹様に聞いたと誘導しておいた。
最後の手段となっていたけど、皆の役に立ちたいから先走ったという設定になっているから覚えておくように」
「表向きは一番偉いからチャンスを潰されても文句は言えないか」
「そういうこと。
それで手柄を譲るとはいえ、手柄は手柄。秘密裏に褒美を与えることにした。
金でいいか? 最近貯めてるだろう?」
「知ってたの?」
「見張りはつけたままだし。
口止め料が含まれるから大金も用意できる」
「そうだね、お金がいいか……いや、高価な物でもいいの?」
「かまわないけど? なにか欲しい物でもあるのか?」
「銀狼の牙と竜涙花がほしい」
帰るために必要な材料だ。
毎年、大神殿に奉納していると獣人が言っていたことを思い出したのだ。ここで思い出さなければもう一度山を登って交渉しに行っただろう。
竜涙花はなさそうだが、一応言ってみただけだ。
「竜涙花? 聞いたことないな」
案の定レグスンは首を傾げている。
「じゃあここにはないんだ。
まあ、ないとは思ってたけど」
「ちなみにどんなものなんだ?」
「竜の涙で育った花」
「貴重すぎてないわっそんなもの!
銀狼の牙もすごい高価だったような気がするんだけど。まあいい、根晶に比べたら安いほうか。
それが褒美でいいな?」
陽平は頷く。
このあとの会話で、銀狼の牙はすぐに渡されず、陽平が大神殿を出るときに与えられることになった。手元に置いていると、なくしたり盗まれたりする可能性があるからだ。
なぜ銀狼の牙が必要なのかも聞かれたが、帰還のためといってもいまいち信じられないだろうと考え、以前から欲しくてチャンスだから提案してみたと誤魔化す。魔法関連は素人なレグスンはそれに納得する。一応、大神殿に害なすために必要ではないなと聞くことは忘れない。それに頷いた陽平を信じた。彼らが出会って一年以上経つ。見張り続けたこともあり陽平の大体の人柄は理解していたので、嘘は言っていないと判断した。
話しは終わり、陽平は仕事のため部屋を出て行った。
陽平のおかげで増えた仕事をこなすため、レグスンも書類仕事に戻る。
25へ
2009年03月26日
感謝の6
ウェブ拍手と感想ありがとうございます
》毎日更新チェックしています 歴史のところどころに関わっていますね
ありがとうございます
いい方向にも悪い方向も関わっています
衣服や薬学や料理や建国に関わり名前だけ出ているので、後世には賢人として名が残っていたり。でも指名手配されて悪人と勘違いされてもいたりです
少し前に空き巣に入られかけた
それを次の日の昼に知って驚いた
夜、車庫にはだしで入りかけた男を目の前にあるアパートに住む夫婦が発見し、追い払ったらしい
それが一枚隔てた壁の向こうで起きてたらしい、まったく気づかなかった
というか被害受けていないので、いまだに実感なし
ご近所さんには感謝。少しは近所づきあいしようかなと思いました
樹の世界へ23
赤く染まっていた山がうっすらと白く染まる頃、安らぎの大陸での挨拶回りは終った。
魔法使い討伐以外には大きなハプニングはなく、順調に各都市を回っていった。一度、旅の疲れからか都市に入る前にユイが寝込むなんてこともあったが、陽平以外に同行していた魔法使いが、幻の魔法があると覚えていたベルガの提案により、幻を被りユイの代わりに人々へと笑顔を振りまきことなきを得た。
ユーフィアンへと戻ってきた一行は、日常へと戻り旅の疲れを癒している。
季節は冬。雪の中旅する者は少ない。よほど緊急の用事がなければ旅をしようなどと思わないだろう。都市外からの来訪者も少なく、都市住民も家の中で冬が過ぎるのを待つものが多い。そうするのは多くが大人で、子供たちはいつでも元気に走り回り、都市中に楽しそうな声が響いている。警備も比較的楽で寒さに耐えることが一番困難なのかもしれない。
仕事が警備のままの陽平も寒さに耐える一人だ。魔法を使えば楽に過ごせるのだが、周囲に知られるつもりのない陽平は自室でしか魔法は使っていない。地球で過ごしたときよりも厳しい冬を過ごす羽目になっている。
警備に勤しむ陽平の首にはマフラーがまかれている。これはユイからもらったものだった。ほかの季節に比べて訪問客が減り、自由な時間が少し増えたユイが暇だというので編み物でもしたらどうかと、それ関係の本を貸し与えたのだった。その本を参考にユイは時間ができるとちくちくと毛糸を編んでいき、自分用のマフラーを作ったあと、陽平用の物も作ったのだった。付き人が裁縫に慣れていて編み物にも早くに順応し、その人に教えてもらいながら作ったため完成が早かった。少し不恰好なできだが、陽平はありがたく使っていた。
次の挨拶回りは雪が解け春になってからだ。それまでに陽平はいろいろとすることが決まっていた。始めは警備の仕事と魔法習得と調べものくらいしかすることがなかったのだが、頼まれごとをされたのだ。おかげでそれなりに忙しい日々をすごすことになっていた。
今日は忙しい日の間にできた休み。陽平はのんびりと起きだす。寝る前に魔法で部屋を温めていたが、すでに効果はきれて寒い。小さな火球を浮かべて暖をとり着替えだした。休みといっても仕事がないだけで、用事はすでに決まっている。
身支度を整え、まずは腹ごしらえのため食堂へ。その際に本を鞄に入れ持っていく。この本は地球から持ちこんだものではなく、地球にいる間に魔法の勉強をしようと持っていったもの。この中には魔法のほかに少しだけだが他の知識も載っていた。それが用事に必要なのだ。
サンドイッチとスープで朝食をすませる。サンドイッチのほかに陽平が教えたハンバーガーやベーグルも置いてあった。陽平は仕事は警備へと移ったが、料理長に乞われてときおり食堂へと足を運んでいた。料理長が自分の知らない料理を知りたがったのだ。断る理由もないので陽平は食材的にできるできないにかかわらず、知っているものを列挙していっている。作り方を知っているものは作り方まで教えている。料理長のレシピは増え、そのおかげか加速度的に食堂のメニューが増えていっている。だがわりと雑食な地球人の味覚についていけないものもあるらしい。虫の調理はその筆頭だった。陽平も知識だけで実際に食べたことはないのだが。幼虫は無理だが、イナゴの佃煮ならばいけそうだと考えている。
朝食を終えるとタイミングよく待ち人が現れた。
「おはよ。今日も寒いわ」
セリが白湯の入ったコップを温かそうに持って対面の椅子に座る。
「おはよう。雪降ってるしねぇ」
「日が照るとましなんだけど。このぶんだとくもり続けるかな」
「出かける予定あるから辛いな」
「出かけるの?」
「ちょっと用事があってね」
「私に教えたあと?」
「そう」
陽平は使った食器を皿洗い場に持って行き、白湯を貰いテーブルへと戻る。
「さて始めようか」
「よろしくお願いします」
陽平は持ってきた本を開く。
「今日は虫除けの香を教えるつもり」
教えることとは薬学だ。
セリに渡した軟膏が上々の効果を出したことがきっかけだ。効果の高さに感動したセリはまた作ってもらえないかと陽平に頼み、陽平は承諾した。その際に陽平は毎回自分が作るのは効率が悪いから、作り方教えるから自分で作ったらと提案した。たしかにいつでも使えるよう、自分で作れたほうがいいとセリは納得し提案を受けた。そして軟膏を作っていくうちに薬学に興味が出たセリはほかにも薬を知らないかと言い、陽平は自分が知っているものを教えることになった。といっても陽平が作ることができる薬は手荒れ治療の軟膏のほかにもう一つだけだった。ほかは地球では材料が揃わず、作り方を知ってるだけだったのだ。二つの薬を教えたあとは教師と生徒という関係ではなく、協力者のような関係で薬を作っている。それでもセリは教えてもらっている立場と言って、薬学関連では敬意を持って陽平に接していた。
陽平にもセリにも仕事があるので、この授業は一月に四回行えればいいほうだ。貴重な時間だと自覚しているセリの態度は真剣そのもの。それにつられるように陽平も真剣になる。
「使う草は春の終わりから秋に生えるものだから、今日は座学だけになる」
「それは仕方ないね」
実戦に勝る練習はないので、二人は冬でも生える草を使った薬を優先して作っているが、早々都合よくいかず二回前から座学のみになってきている。
「使う材料はネココロ草とヤガシネ草とユユタラの木の葉と蜂蜜もしくはシロップと水」
本の挿絵を一つ一つ指差しながら話していく。セリはそれを持ってきた紙に書き写していく。
セリの作業が終ったことを確認し、陽平は調合方法をセリが書き写していけるペースで話していく。
書き写す作業が終わり、セリはもう一度始めから読んでいく。そしてわからないところを陽平に聞く。陽平はわかるものは答え、わからないものはセリと一緒に考える。
座学が終ると実習に移るわけだが、材料がないので無理だ。よって今日はこれで終わり。
「ありがとうございました」
セリが礼を言って授業は終わりとなる。
絵と情報を書き込んだ紙をバッグにしまい、セリは口を開く。
「こうして習ってみるとつくづく不思議に思うわ、あの軟膏の完成速度。
どの薬も手間がかかるのに、あれは速すぎ」
「サニィ家秘伝の技法だからねぇ」
魔法を使ったとは言わずに誤魔化す。
「やっぱり教えてくれないんだ?」
「そうだね、教えない」
残念そうにセリは唸り、ケチだと呟く。
それに陽平は苦笑を返した。
授業を終えた陽平は神殿外に出るため、レグスンとベルガを探す。この頃は付き添いがなくとも自由に外に出ることができる。外に出ると告げる必要はあるが、半年前に比べたら格段の対応だ。見張りも目に見える範囲にはいない。まだ見張りはいるのだが、陽平には気づかれない程度に気配を殺している。
部下に指導してたベルガをみつけ出かけることを告げ、自室へと戻る。しっかり着込んで財布を持ち部屋を出る。挨拶回りについていったことでまとまった給料が出たので、文無しではなくなった。レグスンに借金を返しても手元には三分の一残った。そのほかにも収入源があるので懐は潤っている。もっとも使う予定があるので無駄遣いはできないのだが。
すれ違う顔見知りの警備兵に軽く挨拶をして神殿の外へと歩いていく。
冷たい空気に震え、まずは昼食だと目に入った食堂に入る。出された白湯が体内からじんわりと温かくしてくれた。ウェイトレスにシチューとパンを頼む。出されたシチューを平らげ体はさらに温かくなった。
食堂を出た陽平が向かうのは、目的地である衣服店。以前ユイを連れてきた店だ。浴衣を一般販売し、珍しさからかそれなりに儲かったようだ。
店内には客がそれなりにいて商売は上々のようだ。女性客が多く、マネキンに着せられた冬物の服を楽しげに見ている。
「こんにちはー」
「あ、いらっしゃい」
いくどか通い顔見知りとなった店員が出迎える。
「店長ー! レイクさん来ましたよー」
呼ばれ店奥からエプロンを身につけた男が出てきた。
「おーいらっしゃい。こっち来てくれ」
店長と一緒に店の奥へと向かう。針子がいる作業場で店長は机に置かれていた三着の服を手に持ち、ここで少し待ってくれと陽平に言って店長室へ入る。すぐに戻ってきた店長は針子の一人にお茶を持ってくるように頼む。そして二人は客室に入る。
「座ってくれ」
店長に進められるまま陽平はソファーに座る。
「これが今回の契約料と試作品だ」
置かれた袋からはチャリンと音がした。
「毎度あり」
お金の入った服ををバッグに入れ、服は一枚一枚広げて確認する。
「相変わらず、いいできだね」
「あたぼうよ! 手を抜くつもりなんか少しもない!
そんなことしたら職人魂が泣くってもんだ」
「次はこっちだね、今日は二枚のデザインを持ってきたよ」
バッグから服の絵を描いた紙を取り出し店長に渡す。それを店長は嬉しげに受け取った。
陽平は服のデザインを売っている。冬服を買いにきたとき浴衣が売れたと聞いて、これは商売になるかもと思いアイデアを買わないかと持ちかけたのだ。デザインを見てからでないと判断できないと考えていた店長もデザインが描いた紙を見て興味が湧き、提案を受け入れたのだ。プロである店長が素人の提案を受け入れたのは、デザインが優れていたからだ。デザインが優れていて当然だ、陽平は地球から持ってきた本を丸写ししているのだから。元手は紙だけ、考える苦労もする必要のないボロイ商売だ。アイデアを渡すというのは料理のときと同じだ。同じ商売を料理のときにしないのは、食べ慣れたものを食べることができる、ということで満足しているからだ。
提出したデザインは店長が好きにいじっている。そのままでは流行にずれていることがあるからだ。そのへんは陽平は素人なのでプロの好きなようにしてもらっている。陽平は少しデザインがおかしくとも着れればいいという実用性を優先させる人種だ。
「今回も見たことないな。うんうん、いい刺激になる」
今回のデザインも気に入り店長は満足そうだ。そんな反応が面白く、アイデアを売り出した当初は少し暴走してしまった陽平だ。
店のあちこちにある巫女服、ナース服、ミ二スカートウェイトレス服、婦警服がそのなごりだ。表には出ていないがボンテージなんかも渡している。どんな世界でも男には通じるものがあるのか、これらを買っていくのは彼女持ちの男だったりする。そんな男を見て陽平は、自分のことも含めてつくづく馬鹿だと思う。
冷静になった最近は普通なデザインを渡している。
「気に入ってくれたようでなにより。
そういえばあれはどうなった?」
あれだけで通じた店長は、難しげな顔になる。
「あれか。俺も一緒に一着作ってはみたが、凝ってるから難しいな。もう二着くらい試しに作ればどうにかなると思う」
「失礼します」
お茶を持った針子が入ってくる。二人の前にお茶を置き、部屋を出て行こうとする針子に店長が声をかける。
「ちょっと聞きたいんだが、ウェディングドレスの出来はどうだ?」
「あれですか。最初に作ったときよりもいいできで進んでますが、一度見たものには程遠いと。
もう一回絵を見て、イメージを掴みたいです」
ウェディングドレスはさすがに絵に描いてもいまいちイメージが伝わらないだろうと、ページを破って持ってきて見せたのだ。
それを見た女性陣の反応は高かった。これを着た自分の姿を想像したのかうっとりとした者もいた。純白のドレスはどこか神聖な雰囲気を漂わせ、女の心を掴むのだろう。
「そうか。悪いんだが、もう一度見せてくれないか?」
「いいよ。そうだね……五日の間に持ってくると思う」
都市内警備のときに立ち寄ればいいだろう、と考え引き受ける。
「しかしあれは手間暇と材料費がかかって、高く値段つけざるを得ないな。
それでも金持ちとかには売れそうだが。そこらへんいいアイデアないか?」
「私たちも着てみたいとは思うんですけど、そうそう手が出せませんからね。
給料が飛んで消えます。そのわりに着る機会はすごく少なさそうだし」
「だったら貸衣装にしたらどう? 俺の故郷でも高い値段ついてるから借りて着るって人は多かったよ」
「あ、その手があったか」
「それだったら値段抑えることができますね!
私たちでも着ることができます」
針子が嬉しそうにするのを見て、いけるとふんだ店長も上機嫌に笑う。
衣服店での用事が終ると陽平は神殿に帰る。外での用事はこれだけだ。あとは神殿での用事のみ。神殿の書庫で調べものをするのだ。
もう一度レグスンとベルガを探し、ユイへのお土産としてもらった試作品を渡す。自分で渡せればいいのだが、簡単に会える立ち位置ではないのでいつも二人に届けてもらっている。
光が入らないように閉め切られた書庫の本棚から目的の本を探し出す。
挨拶回りをして疑問に思ったことがある。旅の途中では調べることが難しかったことをユーフィアンに帰ってきてから調べている。
疑問に思ったことはいくつかある。魔剣だったり、技術だったり、都市だったりだ。それらの疑問は陽平にもしかしてという思いを芽生えさせた。調べものが進んでいる今、確信を持つまで後一歩というところまできている。
開いていた本を閉じ、背もたれに体重をかける。
「やっぱりないか」
見ていた本は地理関連のものだ。エルネデズについて調べたが、載っていなかった。載っていないはずないのだ。なにせ世界で一番大きな根晶を保有する世界有数の都市なのだから。
安らぎの大陸にあるはずの魔法使いに対して厳しいその都市。挨拶回りに行くのなら必ず寄ると思い、どうやって入らないようにするか考えていたのだが、結局寄ることはなかった。
さすがにおかしいと思った。これまで大きな都市には寄っていたのだ、寄らないはずがない。疑問に思いそれとなく仲間になぜエルネデズには寄らなかったのかと聞いてみたところ、そこはどこだと言われた。その反応に戸惑いながらも説明すると、聞いたことないと返ってきた。ほかの人に聞いても同じ反応で、それどころか目立つ場所ではないという証言すら得た。エルネデズ出身者がいたのだ。エルネデズは都市ではなく大きめの鉱山街でしかないのだという。その証言が調べものをして証明された。
ほかにも魔剣の本数についても証明されている。
建物だってそうだ。妙に古いのはこの大陸の特徴なのだと思っていたが、挨拶回りで大陸中回ってみてもどこも似たようなもの。まるでこの状況が技術の最先端のようだった。
調べてみると次々におかしなところは出てきた。それらが解決するたびに、思い浮かんだ疑問は確信へと変わっていく。
この確信が正しいとすると、エストから何の音沙汰がないことにも納得できた。
何度も手紙は出していた。一度くらいは返事があってもいい。
「いないんだとしたら、反応しようもないしな」
そう陽平はようやく気づいたのだった。地球から帰ってくるときに時代にずれがでたことに。
地球に帰ったときにも若干ではあるが、ずれがでたことを思い出し、塔にある陣になにかあれば大きな時間のずれもありえると考えられた。
完全に確信を持てるのは塔がないことを自分の目で確認したときだろう。それまでは一%の疑いを持ち続ける。
時間がずれたかもしれないことに驚いた陽平に、さほど慌てた様子はない。帰るための手段はすでにある。もう一度地球に帰ったときと同じ魔法を使えばいいのだから。材料集めで動き回る必要はあるものの、確実に帰ることがきるとわかっているので慌てることこともない。一番厄介な根晶も蟲隠れの洞窟に行けばどうにかなる。
お金を集めだしたのは、材料集めのために必要な旅費を貯めているのだ。
レグスンたちからの疑いが晴れて、自由に動くことができればすぐにでも材料集めの旅に出ることが可能だ。今後も挨拶回りについていくことになっているので、あと二年弱は神殿に縛られるのだが。
少しずつ準備していけばいいとのんびり構える、これが陽平の出した結論だった。
24へ
魔法使い討伐以外には大きなハプニングはなく、順調に各都市を回っていった。一度、旅の疲れからか都市に入る前にユイが寝込むなんてこともあったが、陽平以外に同行していた魔法使いが、幻の魔法があると覚えていたベルガの提案により、幻を被りユイの代わりに人々へと笑顔を振りまきことなきを得た。
ユーフィアンへと戻ってきた一行は、日常へと戻り旅の疲れを癒している。
季節は冬。雪の中旅する者は少ない。よほど緊急の用事がなければ旅をしようなどと思わないだろう。都市外からの来訪者も少なく、都市住民も家の中で冬が過ぎるのを待つものが多い。そうするのは多くが大人で、子供たちはいつでも元気に走り回り、都市中に楽しそうな声が響いている。警備も比較的楽で寒さに耐えることが一番困難なのかもしれない。
仕事が警備のままの陽平も寒さに耐える一人だ。魔法を使えば楽に過ごせるのだが、周囲に知られるつもりのない陽平は自室でしか魔法は使っていない。地球で過ごしたときよりも厳しい冬を過ごす羽目になっている。
警備に勤しむ陽平の首にはマフラーがまかれている。これはユイからもらったものだった。ほかの季節に比べて訪問客が減り、自由な時間が少し増えたユイが暇だというので編み物でもしたらどうかと、それ関係の本を貸し与えたのだった。その本を参考にユイは時間ができるとちくちくと毛糸を編んでいき、自分用のマフラーを作ったあと、陽平用の物も作ったのだった。付き人が裁縫に慣れていて編み物にも早くに順応し、その人に教えてもらいながら作ったため完成が早かった。少し不恰好なできだが、陽平はありがたく使っていた。
次の挨拶回りは雪が解け春になってからだ。それまでに陽平はいろいろとすることが決まっていた。始めは警備の仕事と魔法習得と調べものくらいしかすることがなかったのだが、頼まれごとをされたのだ。おかげでそれなりに忙しい日々をすごすことになっていた。
今日は忙しい日の間にできた休み。陽平はのんびりと起きだす。寝る前に魔法で部屋を温めていたが、すでに効果はきれて寒い。小さな火球を浮かべて暖をとり着替えだした。休みといっても仕事がないだけで、用事はすでに決まっている。
身支度を整え、まずは腹ごしらえのため食堂へ。その際に本を鞄に入れ持っていく。この本は地球から持ちこんだものではなく、地球にいる間に魔法の勉強をしようと持っていったもの。この中には魔法のほかに少しだけだが他の知識も載っていた。それが用事に必要なのだ。
サンドイッチとスープで朝食をすませる。サンドイッチのほかに陽平が教えたハンバーガーやベーグルも置いてあった。陽平は仕事は警備へと移ったが、料理長に乞われてときおり食堂へと足を運んでいた。料理長が自分の知らない料理を知りたがったのだ。断る理由もないので陽平は食材的にできるできないにかかわらず、知っているものを列挙していっている。作り方を知っているものは作り方まで教えている。料理長のレシピは増え、そのおかげか加速度的に食堂のメニューが増えていっている。だがわりと雑食な地球人の味覚についていけないものもあるらしい。虫の調理はその筆頭だった。陽平も知識だけで実際に食べたことはないのだが。幼虫は無理だが、イナゴの佃煮ならばいけそうだと考えている。
朝食を終えるとタイミングよく待ち人が現れた。
「おはよ。今日も寒いわ」
セリが白湯の入ったコップを温かそうに持って対面の椅子に座る。
「おはよう。雪降ってるしねぇ」
「日が照るとましなんだけど。このぶんだとくもり続けるかな」
「出かける予定あるから辛いな」
「出かけるの?」
「ちょっと用事があってね」
「私に教えたあと?」
「そう」
陽平は使った食器を皿洗い場に持って行き、白湯を貰いテーブルへと戻る。
「さて始めようか」
「よろしくお願いします」
陽平は持ってきた本を開く。
「今日は虫除けの香を教えるつもり」
教えることとは薬学だ。
セリに渡した軟膏が上々の効果を出したことがきっかけだ。効果の高さに感動したセリはまた作ってもらえないかと陽平に頼み、陽平は承諾した。その際に陽平は毎回自分が作るのは効率が悪いから、作り方教えるから自分で作ったらと提案した。たしかにいつでも使えるよう、自分で作れたほうがいいとセリは納得し提案を受けた。そして軟膏を作っていくうちに薬学に興味が出たセリはほかにも薬を知らないかと言い、陽平は自分が知っているものを教えることになった。といっても陽平が作ることができる薬は手荒れ治療の軟膏のほかにもう一つだけだった。ほかは地球では材料が揃わず、作り方を知ってるだけだったのだ。二つの薬を教えたあとは教師と生徒という関係ではなく、協力者のような関係で薬を作っている。それでもセリは教えてもらっている立場と言って、薬学関連では敬意を持って陽平に接していた。
陽平にもセリにも仕事があるので、この授業は一月に四回行えればいいほうだ。貴重な時間だと自覚しているセリの態度は真剣そのもの。それにつられるように陽平も真剣になる。
「使う草は春の終わりから秋に生えるものだから、今日は座学だけになる」
「それは仕方ないね」
実戦に勝る練習はないので、二人は冬でも生える草を使った薬を優先して作っているが、早々都合よくいかず二回前から座学のみになってきている。
「使う材料はネココロ草とヤガシネ草とユユタラの木の葉と蜂蜜もしくはシロップと水」
本の挿絵を一つ一つ指差しながら話していく。セリはそれを持ってきた紙に書き写していく。
セリの作業が終ったことを確認し、陽平は調合方法をセリが書き写していけるペースで話していく。
書き写す作業が終わり、セリはもう一度始めから読んでいく。そしてわからないところを陽平に聞く。陽平はわかるものは答え、わからないものはセリと一緒に考える。
座学が終ると実習に移るわけだが、材料がないので無理だ。よって今日はこれで終わり。
「ありがとうございました」
セリが礼を言って授業は終わりとなる。
絵と情報を書き込んだ紙をバッグにしまい、セリは口を開く。
「こうして習ってみるとつくづく不思議に思うわ、あの軟膏の完成速度。
どの薬も手間がかかるのに、あれは速すぎ」
「サニィ家秘伝の技法だからねぇ」
魔法を使ったとは言わずに誤魔化す。
「やっぱり教えてくれないんだ?」
「そうだね、教えない」
残念そうにセリは唸り、ケチだと呟く。
それに陽平は苦笑を返した。
授業を終えた陽平は神殿外に出るため、レグスンとベルガを探す。この頃は付き添いがなくとも自由に外に出ることができる。外に出ると告げる必要はあるが、半年前に比べたら格段の対応だ。見張りも目に見える範囲にはいない。まだ見張りはいるのだが、陽平には気づかれない程度に気配を殺している。
部下に指導してたベルガをみつけ出かけることを告げ、自室へと戻る。しっかり着込んで財布を持ち部屋を出る。挨拶回りについていったことでまとまった給料が出たので、文無しではなくなった。レグスンに借金を返しても手元には三分の一残った。そのほかにも収入源があるので懐は潤っている。もっとも使う予定があるので無駄遣いはできないのだが。
すれ違う顔見知りの警備兵に軽く挨拶をして神殿の外へと歩いていく。
冷たい空気に震え、まずは昼食だと目に入った食堂に入る。出された白湯が体内からじんわりと温かくしてくれた。ウェイトレスにシチューとパンを頼む。出されたシチューを平らげ体はさらに温かくなった。
食堂を出た陽平が向かうのは、目的地である衣服店。以前ユイを連れてきた店だ。浴衣を一般販売し、珍しさからかそれなりに儲かったようだ。
店内には客がそれなりにいて商売は上々のようだ。女性客が多く、マネキンに着せられた冬物の服を楽しげに見ている。
「こんにちはー」
「あ、いらっしゃい」
いくどか通い顔見知りとなった店員が出迎える。
「店長ー! レイクさん来ましたよー」
呼ばれ店奥からエプロンを身につけた男が出てきた。
「おーいらっしゃい。こっち来てくれ」
店長と一緒に店の奥へと向かう。針子がいる作業場で店長は机に置かれていた三着の服を手に持ち、ここで少し待ってくれと陽平に言って店長室へ入る。すぐに戻ってきた店長は針子の一人にお茶を持ってくるように頼む。そして二人は客室に入る。
「座ってくれ」
店長に進められるまま陽平はソファーに座る。
「これが今回の契約料と試作品だ」
置かれた袋からはチャリンと音がした。
「毎度あり」
お金の入った服ををバッグに入れ、服は一枚一枚広げて確認する。
「相変わらず、いいできだね」
「あたぼうよ! 手を抜くつもりなんか少しもない!
そんなことしたら職人魂が泣くってもんだ」
「次はこっちだね、今日は二枚のデザインを持ってきたよ」
バッグから服の絵を描いた紙を取り出し店長に渡す。それを店長は嬉しげに受け取った。
陽平は服のデザインを売っている。冬服を買いにきたとき浴衣が売れたと聞いて、これは商売になるかもと思いアイデアを買わないかと持ちかけたのだ。デザインを見てからでないと判断できないと考えていた店長もデザインが描いた紙を見て興味が湧き、提案を受け入れたのだ。プロである店長が素人の提案を受け入れたのは、デザインが優れていたからだ。デザインが優れていて当然だ、陽平は地球から持ってきた本を丸写ししているのだから。元手は紙だけ、考える苦労もする必要のないボロイ商売だ。アイデアを渡すというのは料理のときと同じだ。同じ商売を料理のときにしないのは、食べ慣れたものを食べることができる、ということで満足しているからだ。
提出したデザインは店長が好きにいじっている。そのままでは流行にずれていることがあるからだ。そのへんは陽平は素人なのでプロの好きなようにしてもらっている。陽平は少しデザインがおかしくとも着れればいいという実用性を優先させる人種だ。
「今回も見たことないな。うんうん、いい刺激になる」
今回のデザインも気に入り店長は満足そうだ。そんな反応が面白く、アイデアを売り出した当初は少し暴走してしまった陽平だ。
店のあちこちにある巫女服、ナース服、ミ二スカートウェイトレス服、婦警服がそのなごりだ。表には出ていないがボンテージなんかも渡している。どんな世界でも男には通じるものがあるのか、これらを買っていくのは彼女持ちの男だったりする。そんな男を見て陽平は、自分のことも含めてつくづく馬鹿だと思う。
冷静になった最近は普通なデザインを渡している。
「気に入ってくれたようでなにより。
そういえばあれはどうなった?」
あれだけで通じた店長は、難しげな顔になる。
「あれか。俺も一緒に一着作ってはみたが、凝ってるから難しいな。もう二着くらい試しに作ればどうにかなると思う」
「失礼します」
お茶を持った針子が入ってくる。二人の前にお茶を置き、部屋を出て行こうとする針子に店長が声をかける。
「ちょっと聞きたいんだが、ウェディングドレスの出来はどうだ?」
「あれですか。最初に作ったときよりもいいできで進んでますが、一度見たものには程遠いと。
もう一回絵を見て、イメージを掴みたいです」
ウェディングドレスはさすがに絵に描いてもいまいちイメージが伝わらないだろうと、ページを破って持ってきて見せたのだ。
それを見た女性陣の反応は高かった。これを着た自分の姿を想像したのかうっとりとした者もいた。純白のドレスはどこか神聖な雰囲気を漂わせ、女の心を掴むのだろう。
「そうか。悪いんだが、もう一度見せてくれないか?」
「いいよ。そうだね……五日の間に持ってくると思う」
都市内警備のときに立ち寄ればいいだろう、と考え引き受ける。
「しかしあれは手間暇と材料費がかかって、高く値段つけざるを得ないな。
それでも金持ちとかには売れそうだが。そこらへんいいアイデアないか?」
「私たちも着てみたいとは思うんですけど、そうそう手が出せませんからね。
給料が飛んで消えます。そのわりに着る機会はすごく少なさそうだし」
「だったら貸衣装にしたらどう? 俺の故郷でも高い値段ついてるから借りて着るって人は多かったよ」
「あ、その手があったか」
「それだったら値段抑えることができますね!
私たちでも着ることができます」
針子が嬉しそうにするのを見て、いけるとふんだ店長も上機嫌に笑う。
衣服店での用事が終ると陽平は神殿に帰る。外での用事はこれだけだ。あとは神殿での用事のみ。神殿の書庫で調べものをするのだ。
もう一度レグスンとベルガを探し、ユイへのお土産としてもらった試作品を渡す。自分で渡せればいいのだが、簡単に会える立ち位置ではないのでいつも二人に届けてもらっている。
光が入らないように閉め切られた書庫の本棚から目的の本を探し出す。
挨拶回りをして疑問に思ったことがある。旅の途中では調べることが難しかったことをユーフィアンに帰ってきてから調べている。
疑問に思ったことはいくつかある。魔剣だったり、技術だったり、都市だったりだ。それらの疑問は陽平にもしかしてという思いを芽生えさせた。調べものが進んでいる今、確信を持つまで後一歩というところまできている。
開いていた本を閉じ、背もたれに体重をかける。
「やっぱりないか」
見ていた本は地理関連のものだ。エルネデズについて調べたが、載っていなかった。載っていないはずないのだ。なにせ世界で一番大きな根晶を保有する世界有数の都市なのだから。
安らぎの大陸にあるはずの魔法使いに対して厳しいその都市。挨拶回りに行くのなら必ず寄ると思い、どうやって入らないようにするか考えていたのだが、結局寄ることはなかった。
さすがにおかしいと思った。これまで大きな都市には寄っていたのだ、寄らないはずがない。疑問に思いそれとなく仲間になぜエルネデズには寄らなかったのかと聞いてみたところ、そこはどこだと言われた。その反応に戸惑いながらも説明すると、聞いたことないと返ってきた。ほかの人に聞いても同じ反応で、それどころか目立つ場所ではないという証言すら得た。エルネデズ出身者がいたのだ。エルネデズは都市ではなく大きめの鉱山街でしかないのだという。その証言が調べものをして証明された。
ほかにも魔剣の本数についても証明されている。
建物だってそうだ。妙に古いのはこの大陸の特徴なのだと思っていたが、挨拶回りで大陸中回ってみてもどこも似たようなもの。まるでこの状況が技術の最先端のようだった。
調べてみると次々におかしなところは出てきた。それらが解決するたびに、思い浮かんだ疑問は確信へと変わっていく。
この確信が正しいとすると、エストから何の音沙汰がないことにも納得できた。
何度も手紙は出していた。一度くらいは返事があってもいい。
「いないんだとしたら、反応しようもないしな」
そう陽平はようやく気づいたのだった。地球から帰ってくるときに時代にずれがでたことに。
地球に帰ったときにも若干ではあるが、ずれがでたことを思い出し、塔にある陣になにかあれば大きな時間のずれもありえると考えられた。
完全に確信を持てるのは塔がないことを自分の目で確認したときだろう。それまでは一%の疑いを持ち続ける。
時間がずれたかもしれないことに驚いた陽平に、さほど慌てた様子はない。帰るための手段はすでにある。もう一度地球に帰ったときと同じ魔法を使えばいいのだから。材料集めで動き回る必要はあるものの、確実に帰ることがきるとわかっているので慌てることこともない。一番厄介な根晶も蟲隠れの洞窟に行けばどうにかなる。
お金を集めだしたのは、材料集めのために必要な旅費を貯めているのだ。
レグスンたちからの疑いが晴れて、自由に動くことができればすぐにでも材料集めの旅に出ることが可能だ。今後も挨拶回りについていくことになっているので、あと二年弱は神殿に縛られるのだが。
少しずつ準備していけばいいとのんびり構える、これが陽平の出した結論だった。
24へ
2009年03月22日
樹の世界へ22-2
先行隊から周辺警備へと移り、少しは仕事が楽になった。警戒する人数が多いというのと、すでに先行隊が危険を排除しているからだ。
急ぎすぎずされどゆっくりすぎず行列は次の目的地へと進んでいく。アクシデントは皆無といってよかったが、天候にずっと恵まれるというわけにはいかなかった。雨に晒され風に吹かれ進んでいく。夏も終わりかけ、昼間はいいが夜になると冷えだした。雨に濡れっぱなしにして体調管理を怠り、風邪を引く者もいた。自然に翻弄される者はいたが、行列は順調といっていい速度で都市を回っていった。
そして次の都市まであと一日といったある日、行列が止まった。止まること自体は珍しくもない。ただ先頭が騒がしい。
陽平がいたのは先頭から少し離れた場所。だからかかろうじて話し声が聞こえてきた。
「お願いします! 私の町を助けてください! お願いします!」
行列を止めたのは、そう言いながら土下座する初老の男だ。
川そばの斜面にできた広くはない道を通っているので迂回もできない。右も左も斜面だ、ここならば確実に行列を止められると知っていて待ち受けていたのだろう。
「大樹の使者様をお守りする列と知っての無礼か!」
何人もの兵が馬から下り、剣を抜き放ち男に問う。
「私の命なぞいくらでも差し上げます! だからどうかっ町をお助けください!」
「お前の願いなど聞いている暇はないっそこをどけ!」
問題なくユイを守護し移動し続けなければならないので、彼らは少々気が立っている。そのせいで普段は落ち着いて対応できることにも粗が出ていた。
「嫌でございます! 願いを聞き入れてもらえるまでは動きませぬ!」
「ならば力づくでどかせるまでだ!」
剣を握ったまま兵たちが男に近づいていく。男は体を強張らせるも動くことはない。斬り捨てられる覚悟ができているのか。
「何をしている!」
男を立たせているときにベルガが馬を走らせ先頭に来た。
「この者が道を塞いでいましたので、どかせています。すぐに終わりますので少々お待ちを」
「どうかお願いしますっ町をお救いください」
「うるさいぞ!」
兵に引きずられながらも男は、ベルガを見ながら懇願する。兵の態度から地位の高い人だと見抜いたのだ。
「手を離してやれ。詳しい話を聞きたい」
「しかし、行列を止めるなど言語道断! 斬られて当然の行為です!」
「それはきちんと処罰する。
だが困っている者をほおっておくことなどできぬよ。
老人、こちらへ」
ベルガは馬を連れ行列から少し離れていく。後から追いつくから先に行けと指示を出していたので行列は動き始めている。
ベルガが男の話を聞こうと思ったのは言葉通り困っている人を助けるためではなく、大神殿の評判を落とさないようにするためだ。大神殿といえど困っている者すべてを助けることは不可能なのだが、かといってむげに断るのも威信に関わる。
それと気になったのだ。町村で困ったことがあれば、通常は依頼を出すものだ。そして荒事専門のロータスなような人種が解決する。だがこの男は死すら覚悟して懇願している。そうしなければならないだけの事態ならば、無視するのはまずいかもしれない。だからどのようなことが起きているのか話しだけでも聞くことにしたのだ。深刻な事態でなければ、神殿の名で依頼を出すだけでいいだろうと考えて。
陽平が話しを聞くベルガの横を通る。しかし止まることなく進んだ。ベルガも気づいたがちらりと見ただけで話しかけることはしなかった。困ったことがあるならベルガから話してくるとわかっているからだ。
かわりといってはなんだが、馬車を止め窓から顔を出したユイがベルガに話しかける。
「なにがあったのですか?」
馬車の中から付き人と思われる女の声で、窓をお閉めください、と聞こえる。
「この者が大神殿に依頼したいことがあるというので聞いていました」
「どのようなことを?」
「詳しいことは後ほど知らせに参ります」
「わかりました。
ベルガならばきっといいようにしてくれるでしょう。だから安心してください」
ユイが男に声をかける。そして窓を閉めて馬車を走らせる。
その馬車にむかって男は勢いよく頭を下げる。髪と目の色で今の少女が誰なのかわかったのだ。直接声をかけられた感激とこれで大丈夫だという早すぎる安心感から自然に頭が下がった。
ベルガは渋い顔をしていた。ユイが話しかけたことで他人任せにするにはいかなくなったのだ。大樹の使者が大丈夫だと言ったのだ、庶民からすれば絶対の信を置ける言葉。それを覆すような事態にするわけにはいかなくなった。全力で解決にあたるしかなくなった。
誰にも聞かれないようにベルガは小さく溜息を吐いて、再び話しを聞き出し始めた。そしてもう一度溜息を吐くことになった。
夕日の中、野営の準備をしていた陽平を親衛隊員が呼びにきた。以前と同じ親衛隊員だ。
連れられて行ったのは大き目の簡易テントだ。テントの中にはベルガとユイがいる。以前とは違い親衛隊員は去らずにこの場に残る。
ユイの付き人も残ろうとしたのだが、ベルガに追い出されていた。
全員揃ったところで、渋い顔のベルガが口を開く。
「行列を止めた男の話では、ここから徒歩で三日の距離にある小さな町で行方不明者が頻発している、とのことです。
男は町長で、すでに事件の解決を依頼してはいるそうです。
最初に依頼を受けた者が事件を調べ、犯人はわかりました。彼らはそこで依頼を断りました。なぜなら犯人は魔法使いだったからです。
魔法使いとことを構えるには彼らは力不足だったようですし、解決以前に魔法使いの住む屋敷に近寄ることすら不可能だったからだと言っていました」
「結界か」
自身の塔にも同じように、人を寄せ付けない結界をはっている陽平にはすぐわかった。
「だろうな。
この依頼は必ず解決しなければなりませんが、人をそろえてもどうにかなるようなものではありません。
そこで私とレイクの二名で今日中にここを発つつもりです」
「待ってください! 副隊長もそうですが、この男を連れて行く必要はないのではありませんか!?
副隊長にはここで皆をまとめるという役割があります!
ほかの者に任せるべきなのでは!?」
「魔法使いをどうにかするには、暗殺者以外ならば凄腕を揃えなければならない。それはわかるな?」
「わかります。副隊長が大神殿で一番の使い手だということもわかっています!
しかしこの男は役に立ちそうではありません!」
「レイクの剣の腕は親衛隊員とでは比べようがない。それは当然だ。剣を使う者ではないのだから。
魔法使いに対するには、暗殺者や凄腕の戦士が適任だが、それ以上の適任がいることも忘れてはならない。
それは魔法使いだ」
親衛隊員はすぐになにが言いたいのか思い当たったようだが、陽平を見る目は疑わしそうだ。それはそうだろう。陽平自身はわりと魔法使いに会っている。けれど本来はそう簡単に出くわすものではない。それほどに魔法使いの数は少ない。大神殿でもマダンのほかに二名いるだけだ。世界中に影響力を持つ大神殿でも三名しか魔法使いを集めることができていない。
ベルガが付き人を追い出したのは陽平が魔法使いだと知らせないようにするためだ。大神殿に属していない魔法使いを擁していると知られると、痛くもない腹を探られることになりかねない。
ちなみにユイを守るため、陽平とは別に魔法使いが一人挨拶回りに同行している。その魔法使いを連れて行かないのは、貴重な魔法使いに何事かあったら大変だからだ。陽平ならば、員数外なので使い潰しても平気だとベルガは考えている。
「集水」
論より証拠と式符もいらない初歩の魔法を使ってみせる。
陽平の掌に集まった水の塊を見て、親衛隊員は認めざるを得ない。確固たる証拠がそこにあるのだから。
「この男が行く必要があるのはわかりました。
けれど副隊長が行くのはどうかと」
「私が行くのは、事態を早急に終らせるためだ。始めから最高戦力で持って潰す。
挨拶回りの途中なのだ。時間をかけるわけにはいかん。
それに私のほかに適任がいない。
以前マダン殿に聞いたことがある。結界には魔力を持った者か魔力を持った道具を持つ者しか入れないものがあると」
「確かにそういう結界がある」
陽平が追従する。
「私にはこれがあるからな。
そういった類の結界ならば入ることができるのだ」
そう言って持ち上げるのは、常に腰に帯びている剣だ。
「もしかして魔剣?」
「ああ。曽祖父が手に入れたものだ。特別な効果はないがな」
「たしか現存するのは五十本くらいで、使用に耐えるのが二十本だっけ?」
ローカスが参加した魔剣大会のことを思い出しながら聞く。
「もっと多い。現存するものは百七本。使用に耐えうるものは六十一本だ」
「あれ? そうだっけ?」
うろ覚えながらも百は超えてなかったはずだと思うが今は気にすることではないと記憶の隅に置く。
「私がいない間は、セルス、お前に親衛隊の指揮は任せる。
できるだけ早く戻ってくるつもりだが、都市での業務もしっかりとこなすように。
必要書類はこの机の上においていくからあとで取りに来るように」
近衛隊隊長は大神殿に残っている。なので外に出ている間、近衛隊を指揮しているのはベルガなのだ。だから書類の類は多く、仕事も多い。
仕事の大変さを知っていながらもセルスは、
「わかりました。持てる限りの力を使い業務に励みます」
と引き受けた。
「頼む。それとレグスン隊長への説明もしておいてくれ」
「はい」
「では下がってくれ」
セルスは一礼しテントから出て行く。
「そういうわけで私たちはこれから魔法使い討伐へと向かいます」
「私もついていってみたいなーなんて。
ごめんなさい。無理だってわかってます」
ベルガの一睨みでユイは意見を翻した。もとより無理だとわかっていたのだ。各地に顔を見せるためユイはここにいるのだから、その役目をほおって勝手に動けない。それに危険な場所へとベルガが連れて行くはずもない。
「気をつけて帰ってきてね。二人とも」
「相手によるけどね。戦闘思考の魔法使いでしかも長生きしてたら手に負えない可能性が」
「行ってみないことにはわからないだろう。
慢心するつもりはないが、心配しすぎることもない。
お前が一時離れることについての書類を作っておくから準備してこい」
「わかった。
じゃあユイ、次の都市でね」
「うん」
陽平もテントから出て、荷物をおいてある場所へと向かう。
荷物をまとめ、馬に乗せる。仲間がどうしたのかと聞いてくるが、それには急用ができたと答えた。きちんと許可をもらっていると言うと一応納得したように引き下がる。
馬を連れて親衛隊のテントへと向かうと、その途中でこちらにくるベルガに会う。
ベルガも準備を終えたようで、二人はすぐに出発する。
馬を飛ばしたおかげか、次の日の夕刻前に町に到着できた。人口千人を超すか超さないかの小さな町だ。
町長の家に行くと、途中で追い抜いたかいまだ帰ってきていないとのこと。二人は町長を待つことはせず、魔法使いの屋敷の在り処を聞くと保存食などを補充しすぐに向かった。
草原の中を二人は歩く。周囲には朽ちた家らしきものがちらほらと見える。
「あれかな」
陽平の視線の先には古びた石造りの大きめの建物がある。夕日に照らされ茜色に建物が染まっている。町長補佐から聞いた話だと魔法使いは昔からある建物を住居としているらしい。おそらく二人の目の前の建物で間違いないのだろう。
百年以上前の地震が原因の火事で村が壊滅したらしい。違う場所に村を作り直し、それが発展したのが二人が通ってきた町だ。この建物は昔ここに村があったという証拠だそうだ。しかし今は村の誰も寄り付かず放置されていたのを、いつの間にか現れた魔法使いが勝手に使い出した。
「これからどうする? 正面突破?」
「気づかれずに忍び込めればそれがいいのだがな」
「結界の種類によっては、誰かが侵入するとわかるようになってるから」
それは難しいと言う。
「……なにがあっても対応できるようにしておいたほうがいいか」
「ですね」
二人は馬を木につなぎ逃げないようにして、剣を抜き、式符を取り出して建物へと近づいていく。
微かな違和感を感じたが、何事もなく入り口までたどりつけた。違和感を感じた箇所が結界のあった場所なのだろう。
「そう言えばここにいるらしい町民のことはどうすれば?」
「町長の話では魔法使いのことを優先するようになっていた。
出会えば建物から出るように言うだけでいいと思うが」
疑問が解消された陽平は建物へと足を踏み入れる。
入り口はホールになっていて、ここから奥へと繋がる三つの通路と扉ある。
手入れされていないのだろう。天井からは光が差し込み、石畳の床には雑草が生えてきている箇所がある。
「どこから行く? 部屋の配置がわからないから、どこにいるかさっぱりだ。
いばり散らかしてるなら奥でふんぞり返ってそうなんだけど」
「一部屋一部屋行くしかないだろう」
二人は近くにある扉に入る。壊れた椅子と机らしきもの、空の棚があるだけでなにもない。誰かが隠れるようなスペースもなく、ただの空き部屋だった。
次の部屋も似たようなもので、ホールに接している部屋はどこも似たようなものだ。
「なんか生活感がない……ような」
「たしかに」
掃除していないのはどこも同じ。捕まった人がいるはずなのに話し声一つ聞こえてこない。思い出してみると、見えた範囲で洗濯物を出している様子もなかった。
二人が侵入したことに気づき静かにさせているのかもしれないが、結界に触れてそんなに時間は経っていない。そんなに素早く命令を伝えることができるものなのだろうか。反感とかもあり、逆に助けて騒ぐ声が上がってもよさげなのだ。しかしそんな声はまったく聞こえてこない。
「皆どこかに捕まって閉じ込められてんのかね」
「最悪死んでいるという可能性もあるな」
「あ、そうかその可能性もあるのか。
なんのためにさらったのかわかったらいいんだけど」
「同じ魔法使いだろう、なにかわからないのか?」
「無理言わんでくれ。
せめて使う魔法系統がわかれば、少しはわかりそうだけど」
ヒントとなるものはなにもなく、わかりようがない。
「慎重に進むしなかないよ」
「結局はそこか」
わかりきっていたことだった。
二人は奥へと繋がる通路を進む。ここら辺は掃除されていてわりと綺麗だ。
そして無造作に開いた扉の向こうに魔法使いがいた。
今まで見た中で一番広い部屋、その端に置かれたソファーに座り本を読んでいたらしい。魔法使いのそばには女が二人静かに立っている。女たちは表情がなく精巧な人形のようにも見えたが、瞬きをしていて生きている人間だとわかる。
「だ、誰だ!?」
魔法使いは読んでいた本を落とし怒鳴る。
「大人しく捕まるというのならばよし、抵抗するのなら命はないものと思え」
質問には答えず、ベルガは一方的に要求をつきつける。本当にとっとと済ませたいのだろう。
「捕まえろ!」
魔法使いはどこかへと向かい怒鳴る。部屋外から足音が聞こえてくる。
大人しく捕まる気がないとわかったベルガは斬りふせるために魔法使いとの距離をつめる。
「ひぃっ。ま、守れっ」
悲鳴を上げる魔法使いの前に二人の女が守るように立つ。
「ちっ」
勢いよく振り下ろした剣を止めたため隙ができる。そのできた隙に女二人はベルガに抱きつき動きを阻害する。
陽平は扉を氷付けにしていたので、ベルガの援護が出来ない。
「魔法使い!?」
氷付けの作業は当然のごとく魔法なので、陽平が魔法使いだとわかる。
驚きながらも魔法使いは式符をポケットから抜き出し魔法を使う。慣れているのか陽平が防御用の魔法を使うよりも速く発動させる。
現れた五つの光球が、女二人を振りほどいたばかりのベルガへと飛ぶ。
陽平は光球を受けるベルガを思わず想像してしまうが、実際にはそうはならなかった。
向かってくる光球を見据え、横に半歩移動。それで二つは当たらなくなる。そして残りの三つは、正直陽平には目に捉えることができなかった。だから推測になるのだが、斬り捨てたのだろう。陽平に見えたのは銀の閃光といつのまにか真っ二つになって消えていく光球だ。
「な、ななななんで!? そうか!? 魔剣だな! 魔法使いに魔剣の所有者の組み合わせなんて相手できるか!
お前たちっ動けっ」
魔法使いの命令に従い女たちは動き出すが、その動きは鈍い。
「ちっ剥がれかけてるのか!?」
これを好機と見たベルガは再び魔法使いへと走ろうとする。
そのときドアを破壊し男たちが部屋に入ってきた。普通に開けるのを阻害するために凍りつかせたので、力ずくでこられると簡単に開く。男たちにも表情がない。付け加えると女と違い衣服も体もボロボロだ。動きにもばらつきがある。比較的身なりのいい男は動きがよく、身なりの悪い者は動きが鈍い。扉そばにいた陽平は男たちから離れ、魔法使いとは反対の部屋に隅に動く。ベルガは魔法使いに近づくも、捕まえる前に逃げられる。魔法使いの近くにドアがもう一つあったのだ。
扉に入った魔法使いは鍵をかけたようで、ベルガが扉を開けようとしている。
そうしている間も男たちはぞくぞくと入ってきている。今や十人以上だ。
さらわれた町民なのは間違いない。ならば殺すような傷を負わせるわけにはいかないだろう。ベルガもそう考えて女二人に当たりそうになった剣を止めたのだろうから。陽平もそれはわかっていた。
だから使った魔法は威力を弱めた扇雷。痺れさせ一時的に動きを止めることを目的としていた。
ベルガを巻き込まないように範囲を指定し言葉を紡ぎ、魔法を発動する。
目論見は成功し、男たちは言葉もなく倒れていく。伏したままうめき声一つ上げない様は異様といってもよかった。
扉からはまだ男たちが入ってくるが、数は多くはないし、陽平でも避けることができるくらいの動きだった。
男たちを避けつつ陽平は、扉を蹴破ったベルガの元へと向かう。
「いない……か?」
隣の部屋を見渡したベルガが呟く。
「あそこから廊下へと出たのか」
ベルガの視線の先には開いた扉があり、廊下が見える。
「外に逃げられでもしたら厄介だ。追うぞ」
「いいけど。外に逃げても帰ってきそうだけどな」
この短時間で旅支度を終えるわけはない。それにここにはあの男の研究資料も残っているだろう。それを残して他の場所に行くとは考えにくい。
魔法使いを追いながら二人は話し合う。時々出くわす人間はベルガが転ばせた。擦り傷くらいはできるだろうが、斬られるよりましだろう。
「少しだけでも見ただろう。あれがどんな魔法を使うのかわからないか?」
「あれだけじゃな。
整理してみようか。使ったのは二つ。攻撃とたぶん操作。
攻撃は見たとおり、光の玉を飛ばして攻撃するもの。それなりの速度で飛んでくる。移動は直線だけで自由に動かすのは無理そうだ。威力は不明。
次に操作。これもたぶん魔法だと思う。式符を使ってないから確証は持てないんだ。あいつオリジナルの魔法なんじゃないか? 事前に魔法を使っておいて魔力を注ぐと命令を聞くように効果発動とか、始めから効果が持続し続けて命令を出せるとか。
あ、女の人の動きが鈍ったときに剥がれたとか言ってたから、魔法を込めた紙を張って操ってるのかも。
そうだとしたらその紙を剥がせば、元に戻るか?」
「あれを転ばせて手早く試してみるか」
二人の目の前にボロボロな風体の五十才ほどの男がいた。
今までと同じようにベルガが転ばせる。陽平は手早く服を脱がせる。肉が薄くあばらが浮き出ており、肌もかさかさ、健康とはいいがたい。もしかするともっと若いのかもしれない。
予想と違ってどこにも紙はなかった。かわりに背に赤い染料で描かれた紋様をみつけた。
これが町民を操っている原因と推測し、染料を落とすことにした。
どんな染料を使っているのか、濡らした布で軽くこすっても染料が落ちることはなかった。肌に赤みが出るまで念入りに擦り、ようやく色が落ちる。
じたばたと弱弱しく動いていた男は染料が落ちると動きを止めた。
「どうしたんだ?」
「寝てる」
男は疲れからくる強制的な睡眠へと落ちていた。
そんなこととは知らない二人は少しでも情報を得ようと男を起こそうとする。しかしよほど眠りが深いのか男が起きることはなかった。
「移動しながら次を探すか」
「そうだね」
眠り続ける男を廊下の端に寄せ二人は歩き出す。
次に出会ったのは中年の女だったが、さすがに服をはぐのは不味かろうと転ばせて次へ。比較的元気のいい三十才ほどの男に出会ったので服をはぎ、背中にあった紋様を消す。疲れた様子ではあったが眠ることなく話を聞くことができた。
あの男は呪いを専門に使う魔法使いらしい。さらった人に呪いをかけて操り、身の回りの世話をさせている。呪いには二種類あって、人体に負担をかけず人体を強化する特別製と人体に負担がかかる従属のみの呪いで操っている。話している男にかけられたのは負担がかかるほうだ。さらわれた人の多くは負担がかかる呪いで使い潰されている。動けなくなったら治療せず放置し、新しくさらってくるのだという。綺麗どころやがたいのいい者は特別製の呪いをかけられ、一応大事にされているという。
呪いをかけられるとほとんど意識がなくなる。かろうじてぼんやりとなにをやっているのか判別できるだけで、体の動きを止めることは無理なのだそうだ。
「どうかお願いします! あの魔法使いを殺してください!
弟がっううぅっ」
二人に懇願し泣き崩れた。
それで義侠心に燃えるような二人ではないが、魔法使いを殺しておく理由の一つにはなった。生かすとまた同じようなことをする可能性があるので、生かす理由はない。
ベルガはもちろんだが、陽平も人を殺せる。進んで殺すようなことはなく、いまだ嫌悪感はあるが。地球で事件に巻き込まれ殺したことがあるのだ。このことから土壇場で躊躇うようなことはなくなっていた。初めて殺したときに後悔も恐れも喪失感も経験し、なんとか自分で立ち直った。立ち直るという言い方はおかしいのかもしれない。正当化したわけではなく、拙いながらも消化したのだ。
屋敷の中を探し回り、時折窓から外を見て逃げ出していないか確認しながら、入り口のホールへと戻ってきた。ここに戻るまでに数人の町民に出会い、話を聞き得た情報に間違いがないことが確定した。
「止まれ」
ホールにまでもう少しというところでベルガが陽平を止める。
「ホールに何人かいる。
うっすらとした気配の中に一人通常の気配を放つ者がいる。おそらくあの男だ」
気配を感じ取ったのだろう。陽平にはそんな細かい気配どころか、だいたいの気配も感じ取れていない。
「どうする?」
「先ほど使った魔法でいっきに殲滅するのがいいと思うが」
「じゃあ、それで」
陽平も同じことを考えていた。
静かに移動し、ホールへの入り口そばで式符を取り出し、扇雷を使う準備をする。
ホールへと踏み込み魔法使いを視認し、扇雷を発動させる。
同時に鎧を着込んだ屈強な男たちに囲まれた魔法使いも魔法を使う。魔法使いはその魔法を使い慣れているのか、陽平よりも遅れて使ったにもかかわらず発動は同時だった。
「扇雷」
「上げろ!」
陽平の持つ式符から扇状に雷が広がる。しかしその雷は陽平の狙いをそれて魔法使いたちの頭上へと進み、壁にぶつかりはじけた。石造りの壁はぱらりと石片を落とし、黒くこげを残している。
狙いがそれたのは陽平の腕が上げられたからだ。陽平の意思とは関係なく勝手に動いた。
「なにしている!」
「いや、勝手に腕が」
「ふ、ふは、ははははははっ!
やはり、やはりな!
お前から呪いの気配がしていたんだ!
賭けに近かったが上手くいった!」
魔法使いが笑い、陽平たちには意味のわからないことを言っている。
「今のうちにもう一度撃てっ」
言われるまま陽平は扇雷の式符を取り出す。
「無駄だっ無駄なんだよ!
お前が呪われている以上、お前の魔法が俺に当たることはない!
誰が呪ったかは知らんが、それを媒介にしてお前を操ることが可能なんだからな!」
「呪いって、俺は呪いなんか」
思わず記憶を探る陽平。古い、古い記憶が掘り起こされる。
「あ」
思い出してみると確かに陽平は呪われていた。
それは日常から非日常へと足を踏み入れた日のこと。初めてオーエンに出会ったとき、言葉が通じるように魔法をかけられたとき、オーエンに害をなすことがないようにかけられた従属の呪いに近いもの。
オーエンに掴みかかったことしかなく、そのあとは接点が少ないままオーエンが死んでしまい、呪いのことなんか忘れてしまっていたのだ。
「ごめん、俺は戦力外に近いかもしれない。
それどころか敵に回る可能性もある」
最悪、町民と同じように操られる可能性もあるのだ。
「そのときは斬って捨てる」
それだけ言ってベルガは男たちに突っ込んでいく。
「その男を止めろ!」
男たちは命令に従い、ベルガを止めようと動く。
陽平はどう動こうかと考え、魔法使いはさらなる魔法を使う。
「従え!」
陽平を動かすために使った魔法のようで、体が勝手に動こうとする。さほどに強制力の強くないそれを止めることに集中するため、動きようがない。だが体を押さえつけるだけでいいので、思考的な余裕はある。よってどう動こうか考えることができた。
「従え!」
魔法使いのほうも従わせることに集中するため動けないでいる。
今のこの場で動けているのはベルガと町民たちだ。
ベルガは剣の腹で町民を殴り、気絶させていく。斬るつもりはないようだ。それとなく陽平へと町民が近づかないようにフォローをする余裕も持ち合わせていた。だが町民の数の多さとしぶとさから魔法使いに近寄れないでいる。
町民はベルガに翻弄されっぱなしだが、操られていることで気絶しにくくなっているのか、一度二度殴られたところで気絶はしない。
「従え!
ちっ呪いの効果が薄いのか!」
どうやら陽平に呪いをかけられ時間がずいぶんと経っていることで、効果が少しずつ薄れているらしい。上手い具合に媒介として効果を発揮せず、従わせることができていない。
陽平を従わせることに集中しているうちに動ける男たちの数が減る。それに魔法使いは気づき、一度陽平への魔法を中止する。
「動け!」
新たに式符を取り出し、魔法を使う。
呪いを通して体に刺激を与え強制的に覚醒させたのか、気絶していた男たちが再び起き上がりベルガを追う。肉体的な損傷を無視することにしたのか、男たちの動きが若干早くなっている。
この隙に陽平は新たに式符を取り出し魔法を使う。
取り出したの式符は扇雷ではない。混戦となっているところに撃ち込めない。取り出したのは朱金炎槍の式符だ。
「朱金炎槍!」
「上がれ!」
魔法使いが再び陽平の腕を操り狙いをそらす。
それを読んでいた陽平は勝手に上がる腕を少しだけ動かして、方向修正する。狙うは扇雷が当たった場所。式符から飛び出た炎の槍はこげた箇所目掛けて飛び、命中した。
扇雷を受けて強度が落ちていた壁は、朱金炎槍を受けて轟音を立て崩れ落ちた。その破片が魔法使いと男たちとベルガに降り注ぐ。これでよろよろだった男たちの多くは倒れる。
魔法を使った目的は魔法使いと男たちに隙を作ることだった。
轟音に負けないよう大声で陽平は叫ぶ。
「ベルガ! 今のうちにあいつを!」
言いながらもベルガが動けなかったときのため、氷散弾の式符を取り出しておく。
声が聞こえたらしいベルガは体勢を立て直し、男たちを踏み分け魔法使いへと接近し剣を突き出した。
男が出せるのかというくらい甲高い悲鳴が上がった。
ベルガは剣を抜き、もう一度剣をふるった。今度は悲鳴が上がることはなかった。肺からの息が声帯を震わすことがなかったからだ。
オーエンが死んでも呪いが残り続けたように、魔法使いが死んでも町民の呪いは残り続けたようで元に戻ることはなかった。命令を守り続け、ベルガを追い続ける。
二人は男たちの服を剥ぎ紋様を消そうと動く。けれどもここにいる者たちは特別製だったようで、紙を剥ぐだけでよかった。
次々と剥いでいき解放していく。床にはぐったりとした男たちが倒れている。
「町に戻って人を呼んできたほうがよくない? 女の人もいるんだし」
「そうだな」
急いで行列に戻りたいのだ。ここの後始末のことも考えると二人だけだと時間がかかりすぎる。
倒れていても意識のある者に町民を呼んでくると言って二人は急いで戻る。町長はまだ戻ってきていないが、代理に事情を説明し人を借りる。
馬車や台車などを持って二人と町民たちは魔法使いの住処へと戻る。
紋様を消し紙を剥ぐことで解放できると説明し、さらわれた人のことを任せる。
二人は数人の町民を連れ、魔法使いの研究資料を運ぶために建物内を探索する。時間がかからずそれは終わる。
このときに町民の一人が欲にかられて、研究資料の一部を隠し持つ。その町民は、ほかの魔法使いや貴族に売ればお金になると知っていたのだ。
二人は一応集められた研究資料にぱらぱらとだが目を通した。だが陽平は呪いは門外、ベルガにいたっては魔法自体門外だ。少々資料が減ったところで気づけなかった。
この流出した資料は流れ流れて、今から二百年後とある王族の目に止まることになる。この資料をヒントに魔法が作られ、魔法使いが起こした事件で史上で三番目に最悪の事態を引き起こすことになる。一日で都市住民が干からびて死ぬという最悪の事態。それをナイネール全滅事件といった。
二番目の事件はオーエンが起こしたもので、一番目は魔王暴乱といった。
こんなことが起きるとは知らない二人は、これで資料は全てだと思い急いでユイたちのいる都市へと馬を走らせる。
焦りによって知らないうちに、後の世に大きな災厄を残し依頼は終ったのだった。
23へ
急ぎすぎずされどゆっくりすぎず行列は次の目的地へと進んでいく。アクシデントは皆無といってよかったが、天候にずっと恵まれるというわけにはいかなかった。雨に晒され風に吹かれ進んでいく。夏も終わりかけ、昼間はいいが夜になると冷えだした。雨に濡れっぱなしにして体調管理を怠り、風邪を引く者もいた。自然に翻弄される者はいたが、行列は順調といっていい速度で都市を回っていった。
そして次の都市まであと一日といったある日、行列が止まった。止まること自体は珍しくもない。ただ先頭が騒がしい。
陽平がいたのは先頭から少し離れた場所。だからかかろうじて話し声が聞こえてきた。
「お願いします! 私の町を助けてください! お願いします!」
行列を止めたのは、そう言いながら土下座する初老の男だ。
川そばの斜面にできた広くはない道を通っているので迂回もできない。右も左も斜面だ、ここならば確実に行列を止められると知っていて待ち受けていたのだろう。
「大樹の使者様をお守りする列と知っての無礼か!」
何人もの兵が馬から下り、剣を抜き放ち男に問う。
「私の命なぞいくらでも差し上げます! だからどうかっ町をお助けください!」
「お前の願いなど聞いている暇はないっそこをどけ!」
問題なくユイを守護し移動し続けなければならないので、彼らは少々気が立っている。そのせいで普段は落ち着いて対応できることにも粗が出ていた。
「嫌でございます! 願いを聞き入れてもらえるまでは動きませぬ!」
「ならば力づくでどかせるまでだ!」
剣を握ったまま兵たちが男に近づいていく。男は体を強張らせるも動くことはない。斬り捨てられる覚悟ができているのか。
「何をしている!」
男を立たせているときにベルガが馬を走らせ先頭に来た。
「この者が道を塞いでいましたので、どかせています。すぐに終わりますので少々お待ちを」
「どうかお願いしますっ町をお救いください」
「うるさいぞ!」
兵に引きずられながらも男は、ベルガを見ながら懇願する。兵の態度から地位の高い人だと見抜いたのだ。
「手を離してやれ。詳しい話を聞きたい」
「しかし、行列を止めるなど言語道断! 斬られて当然の行為です!」
「それはきちんと処罰する。
だが困っている者をほおっておくことなどできぬよ。
老人、こちらへ」
ベルガは馬を連れ行列から少し離れていく。後から追いつくから先に行けと指示を出していたので行列は動き始めている。
ベルガが男の話を聞こうと思ったのは言葉通り困っている人を助けるためではなく、大神殿の評判を落とさないようにするためだ。大神殿といえど困っている者すべてを助けることは不可能なのだが、かといってむげに断るのも威信に関わる。
それと気になったのだ。町村で困ったことがあれば、通常は依頼を出すものだ。そして荒事専門のロータスなような人種が解決する。だがこの男は死すら覚悟して懇願している。そうしなければならないだけの事態ならば、無視するのはまずいかもしれない。だからどのようなことが起きているのか話しだけでも聞くことにしたのだ。深刻な事態でなければ、神殿の名で依頼を出すだけでいいだろうと考えて。
陽平が話しを聞くベルガの横を通る。しかし止まることなく進んだ。ベルガも気づいたがちらりと見ただけで話しかけることはしなかった。困ったことがあるならベルガから話してくるとわかっているからだ。
かわりといってはなんだが、馬車を止め窓から顔を出したユイがベルガに話しかける。
「なにがあったのですか?」
馬車の中から付き人と思われる女の声で、窓をお閉めください、と聞こえる。
「この者が大神殿に依頼したいことがあるというので聞いていました」
「どのようなことを?」
「詳しいことは後ほど知らせに参ります」
「わかりました。
ベルガならばきっといいようにしてくれるでしょう。だから安心してください」
ユイが男に声をかける。そして窓を閉めて馬車を走らせる。
その馬車にむかって男は勢いよく頭を下げる。髪と目の色で今の少女が誰なのかわかったのだ。直接声をかけられた感激とこれで大丈夫だという早すぎる安心感から自然に頭が下がった。
ベルガは渋い顔をしていた。ユイが話しかけたことで他人任せにするにはいかなくなったのだ。大樹の使者が大丈夫だと言ったのだ、庶民からすれば絶対の信を置ける言葉。それを覆すような事態にするわけにはいかなくなった。全力で解決にあたるしかなくなった。
誰にも聞かれないようにベルガは小さく溜息を吐いて、再び話しを聞き出し始めた。そしてもう一度溜息を吐くことになった。
夕日の中、野営の準備をしていた陽平を親衛隊員が呼びにきた。以前と同じ親衛隊員だ。
連れられて行ったのは大き目の簡易テントだ。テントの中にはベルガとユイがいる。以前とは違い親衛隊員は去らずにこの場に残る。
ユイの付き人も残ろうとしたのだが、ベルガに追い出されていた。
全員揃ったところで、渋い顔のベルガが口を開く。
「行列を止めた男の話では、ここから徒歩で三日の距離にある小さな町で行方不明者が頻発している、とのことです。
男は町長で、すでに事件の解決を依頼してはいるそうです。
最初に依頼を受けた者が事件を調べ、犯人はわかりました。彼らはそこで依頼を断りました。なぜなら犯人は魔法使いだったからです。
魔法使いとことを構えるには彼らは力不足だったようですし、解決以前に魔法使いの住む屋敷に近寄ることすら不可能だったからだと言っていました」
「結界か」
自身の塔にも同じように、人を寄せ付けない結界をはっている陽平にはすぐわかった。
「だろうな。
この依頼は必ず解決しなければなりませんが、人をそろえてもどうにかなるようなものではありません。
そこで私とレイクの二名で今日中にここを発つつもりです」
「待ってください! 副隊長もそうですが、この男を連れて行く必要はないのではありませんか!?
副隊長にはここで皆をまとめるという役割があります!
ほかの者に任せるべきなのでは!?」
「魔法使いをどうにかするには、暗殺者以外ならば凄腕を揃えなければならない。それはわかるな?」
「わかります。副隊長が大神殿で一番の使い手だということもわかっています!
しかしこの男は役に立ちそうではありません!」
「レイクの剣の腕は親衛隊員とでは比べようがない。それは当然だ。剣を使う者ではないのだから。
魔法使いに対するには、暗殺者や凄腕の戦士が適任だが、それ以上の適任がいることも忘れてはならない。
それは魔法使いだ」
親衛隊員はすぐになにが言いたいのか思い当たったようだが、陽平を見る目は疑わしそうだ。それはそうだろう。陽平自身はわりと魔法使いに会っている。けれど本来はそう簡単に出くわすものではない。それほどに魔法使いの数は少ない。大神殿でもマダンのほかに二名いるだけだ。世界中に影響力を持つ大神殿でも三名しか魔法使いを集めることができていない。
ベルガが付き人を追い出したのは陽平が魔法使いだと知らせないようにするためだ。大神殿に属していない魔法使いを擁していると知られると、痛くもない腹を探られることになりかねない。
ちなみにユイを守るため、陽平とは別に魔法使いが一人挨拶回りに同行している。その魔法使いを連れて行かないのは、貴重な魔法使いに何事かあったら大変だからだ。陽平ならば、員数外なので使い潰しても平気だとベルガは考えている。
「集水」
論より証拠と式符もいらない初歩の魔法を使ってみせる。
陽平の掌に集まった水の塊を見て、親衛隊員は認めざるを得ない。確固たる証拠がそこにあるのだから。
「この男が行く必要があるのはわかりました。
けれど副隊長が行くのはどうかと」
「私が行くのは、事態を早急に終らせるためだ。始めから最高戦力で持って潰す。
挨拶回りの途中なのだ。時間をかけるわけにはいかん。
それに私のほかに適任がいない。
以前マダン殿に聞いたことがある。結界には魔力を持った者か魔力を持った道具を持つ者しか入れないものがあると」
「確かにそういう結界がある」
陽平が追従する。
「私にはこれがあるからな。
そういった類の結界ならば入ることができるのだ」
そう言って持ち上げるのは、常に腰に帯びている剣だ。
「もしかして魔剣?」
「ああ。曽祖父が手に入れたものだ。特別な効果はないがな」
「たしか現存するのは五十本くらいで、使用に耐えるのが二十本だっけ?」
ローカスが参加した魔剣大会のことを思い出しながら聞く。
「もっと多い。現存するものは百七本。使用に耐えうるものは六十一本だ」
「あれ? そうだっけ?」
うろ覚えながらも百は超えてなかったはずだと思うが今は気にすることではないと記憶の隅に置く。
「私がいない間は、セルス、お前に親衛隊の指揮は任せる。
できるだけ早く戻ってくるつもりだが、都市での業務もしっかりとこなすように。
必要書類はこの机の上においていくからあとで取りに来るように」
近衛隊隊長は大神殿に残っている。なので外に出ている間、近衛隊を指揮しているのはベルガなのだ。だから書類の類は多く、仕事も多い。
仕事の大変さを知っていながらもセルスは、
「わかりました。持てる限りの力を使い業務に励みます」
と引き受けた。
「頼む。それとレグスン隊長への説明もしておいてくれ」
「はい」
「では下がってくれ」
セルスは一礼しテントから出て行く。
「そういうわけで私たちはこれから魔法使い討伐へと向かいます」
「私もついていってみたいなーなんて。
ごめんなさい。無理だってわかってます」
ベルガの一睨みでユイは意見を翻した。もとより無理だとわかっていたのだ。各地に顔を見せるためユイはここにいるのだから、その役目をほおって勝手に動けない。それに危険な場所へとベルガが連れて行くはずもない。
「気をつけて帰ってきてね。二人とも」
「相手によるけどね。戦闘思考の魔法使いでしかも長生きしてたら手に負えない可能性が」
「行ってみないことにはわからないだろう。
慢心するつもりはないが、心配しすぎることもない。
お前が一時離れることについての書類を作っておくから準備してこい」
「わかった。
じゃあユイ、次の都市でね」
「うん」
陽平もテントから出て、荷物をおいてある場所へと向かう。
荷物をまとめ、馬に乗せる。仲間がどうしたのかと聞いてくるが、それには急用ができたと答えた。きちんと許可をもらっていると言うと一応納得したように引き下がる。
馬を連れて親衛隊のテントへと向かうと、その途中でこちらにくるベルガに会う。
ベルガも準備を終えたようで、二人はすぐに出発する。
馬を飛ばしたおかげか、次の日の夕刻前に町に到着できた。人口千人を超すか超さないかの小さな町だ。
町長の家に行くと、途中で追い抜いたかいまだ帰ってきていないとのこと。二人は町長を待つことはせず、魔法使いの屋敷の在り処を聞くと保存食などを補充しすぐに向かった。
草原の中を二人は歩く。周囲には朽ちた家らしきものがちらほらと見える。
「あれかな」
陽平の視線の先には古びた石造りの大きめの建物がある。夕日に照らされ茜色に建物が染まっている。町長補佐から聞いた話だと魔法使いは昔からある建物を住居としているらしい。おそらく二人の目の前の建物で間違いないのだろう。
百年以上前の地震が原因の火事で村が壊滅したらしい。違う場所に村を作り直し、それが発展したのが二人が通ってきた町だ。この建物は昔ここに村があったという証拠だそうだ。しかし今は村の誰も寄り付かず放置されていたのを、いつの間にか現れた魔法使いが勝手に使い出した。
「これからどうする? 正面突破?」
「気づかれずに忍び込めればそれがいいのだがな」
「結界の種類によっては、誰かが侵入するとわかるようになってるから」
それは難しいと言う。
「……なにがあっても対応できるようにしておいたほうがいいか」
「ですね」
二人は馬を木につなぎ逃げないようにして、剣を抜き、式符を取り出して建物へと近づいていく。
微かな違和感を感じたが、何事もなく入り口までたどりつけた。違和感を感じた箇所が結界のあった場所なのだろう。
「そう言えばここにいるらしい町民のことはどうすれば?」
「町長の話では魔法使いのことを優先するようになっていた。
出会えば建物から出るように言うだけでいいと思うが」
疑問が解消された陽平は建物へと足を踏み入れる。
入り口はホールになっていて、ここから奥へと繋がる三つの通路と扉ある。
手入れされていないのだろう。天井からは光が差し込み、石畳の床には雑草が生えてきている箇所がある。
「どこから行く? 部屋の配置がわからないから、どこにいるかさっぱりだ。
いばり散らかしてるなら奥でふんぞり返ってそうなんだけど」
「一部屋一部屋行くしかないだろう」
二人は近くにある扉に入る。壊れた椅子と机らしきもの、空の棚があるだけでなにもない。誰かが隠れるようなスペースもなく、ただの空き部屋だった。
次の部屋も似たようなもので、ホールに接している部屋はどこも似たようなものだ。
「なんか生活感がない……ような」
「たしかに」
掃除していないのはどこも同じ。捕まった人がいるはずなのに話し声一つ聞こえてこない。思い出してみると、見えた範囲で洗濯物を出している様子もなかった。
二人が侵入したことに気づき静かにさせているのかもしれないが、結界に触れてそんなに時間は経っていない。そんなに素早く命令を伝えることができるものなのだろうか。反感とかもあり、逆に助けて騒ぐ声が上がってもよさげなのだ。しかしそんな声はまったく聞こえてこない。
「皆どこかに捕まって閉じ込められてんのかね」
「最悪死んでいるという可能性もあるな」
「あ、そうかその可能性もあるのか。
なんのためにさらったのかわかったらいいんだけど」
「同じ魔法使いだろう、なにかわからないのか?」
「無理言わんでくれ。
せめて使う魔法系統がわかれば、少しはわかりそうだけど」
ヒントとなるものはなにもなく、わかりようがない。
「慎重に進むしなかないよ」
「結局はそこか」
わかりきっていたことだった。
二人は奥へと繋がる通路を進む。ここら辺は掃除されていてわりと綺麗だ。
そして無造作に開いた扉の向こうに魔法使いがいた。
今まで見た中で一番広い部屋、その端に置かれたソファーに座り本を読んでいたらしい。魔法使いのそばには女が二人静かに立っている。女たちは表情がなく精巧な人形のようにも見えたが、瞬きをしていて生きている人間だとわかる。
「だ、誰だ!?」
魔法使いは読んでいた本を落とし怒鳴る。
「大人しく捕まるというのならばよし、抵抗するのなら命はないものと思え」
質問には答えず、ベルガは一方的に要求をつきつける。本当にとっとと済ませたいのだろう。
「捕まえろ!」
魔法使いはどこかへと向かい怒鳴る。部屋外から足音が聞こえてくる。
大人しく捕まる気がないとわかったベルガは斬りふせるために魔法使いとの距離をつめる。
「ひぃっ。ま、守れっ」
悲鳴を上げる魔法使いの前に二人の女が守るように立つ。
「ちっ」
勢いよく振り下ろした剣を止めたため隙ができる。そのできた隙に女二人はベルガに抱きつき動きを阻害する。
陽平は扉を氷付けにしていたので、ベルガの援護が出来ない。
「魔法使い!?」
氷付けの作業は当然のごとく魔法なので、陽平が魔法使いだとわかる。
驚きながらも魔法使いは式符をポケットから抜き出し魔法を使う。慣れているのか陽平が防御用の魔法を使うよりも速く発動させる。
現れた五つの光球が、女二人を振りほどいたばかりのベルガへと飛ぶ。
陽平は光球を受けるベルガを思わず想像してしまうが、実際にはそうはならなかった。
向かってくる光球を見据え、横に半歩移動。それで二つは当たらなくなる。そして残りの三つは、正直陽平には目に捉えることができなかった。だから推測になるのだが、斬り捨てたのだろう。陽平に見えたのは銀の閃光といつのまにか真っ二つになって消えていく光球だ。
「な、ななななんで!? そうか!? 魔剣だな! 魔法使いに魔剣の所有者の組み合わせなんて相手できるか!
お前たちっ動けっ」
魔法使いの命令に従い女たちは動き出すが、その動きは鈍い。
「ちっ剥がれかけてるのか!?」
これを好機と見たベルガは再び魔法使いへと走ろうとする。
そのときドアを破壊し男たちが部屋に入ってきた。普通に開けるのを阻害するために凍りつかせたので、力ずくでこられると簡単に開く。男たちにも表情がない。付け加えると女と違い衣服も体もボロボロだ。動きにもばらつきがある。比較的身なりのいい男は動きがよく、身なりの悪い者は動きが鈍い。扉そばにいた陽平は男たちから離れ、魔法使いとは反対の部屋に隅に動く。ベルガは魔法使いに近づくも、捕まえる前に逃げられる。魔法使いの近くにドアがもう一つあったのだ。
扉に入った魔法使いは鍵をかけたようで、ベルガが扉を開けようとしている。
そうしている間も男たちはぞくぞくと入ってきている。今や十人以上だ。
さらわれた町民なのは間違いない。ならば殺すような傷を負わせるわけにはいかないだろう。ベルガもそう考えて女二人に当たりそうになった剣を止めたのだろうから。陽平もそれはわかっていた。
だから使った魔法は威力を弱めた扇雷。痺れさせ一時的に動きを止めることを目的としていた。
ベルガを巻き込まないように範囲を指定し言葉を紡ぎ、魔法を発動する。
目論見は成功し、男たちは言葉もなく倒れていく。伏したままうめき声一つ上げない様は異様といってもよかった。
扉からはまだ男たちが入ってくるが、数は多くはないし、陽平でも避けることができるくらいの動きだった。
男たちを避けつつ陽平は、扉を蹴破ったベルガの元へと向かう。
「いない……か?」
隣の部屋を見渡したベルガが呟く。
「あそこから廊下へと出たのか」
ベルガの視線の先には開いた扉があり、廊下が見える。
「外に逃げられでもしたら厄介だ。追うぞ」
「いいけど。外に逃げても帰ってきそうだけどな」
この短時間で旅支度を終えるわけはない。それにここにはあの男の研究資料も残っているだろう。それを残して他の場所に行くとは考えにくい。
魔法使いを追いながら二人は話し合う。時々出くわす人間はベルガが転ばせた。擦り傷くらいはできるだろうが、斬られるよりましだろう。
「少しだけでも見ただろう。あれがどんな魔法を使うのかわからないか?」
「あれだけじゃな。
整理してみようか。使ったのは二つ。攻撃とたぶん操作。
攻撃は見たとおり、光の玉を飛ばして攻撃するもの。それなりの速度で飛んでくる。移動は直線だけで自由に動かすのは無理そうだ。威力は不明。
次に操作。これもたぶん魔法だと思う。式符を使ってないから確証は持てないんだ。あいつオリジナルの魔法なんじゃないか? 事前に魔法を使っておいて魔力を注ぐと命令を聞くように効果発動とか、始めから効果が持続し続けて命令を出せるとか。
あ、女の人の動きが鈍ったときに剥がれたとか言ってたから、魔法を込めた紙を張って操ってるのかも。
そうだとしたらその紙を剥がせば、元に戻るか?」
「あれを転ばせて手早く試してみるか」
二人の目の前にボロボロな風体の五十才ほどの男がいた。
今までと同じようにベルガが転ばせる。陽平は手早く服を脱がせる。肉が薄くあばらが浮き出ており、肌もかさかさ、健康とはいいがたい。もしかするともっと若いのかもしれない。
予想と違ってどこにも紙はなかった。かわりに背に赤い染料で描かれた紋様をみつけた。
これが町民を操っている原因と推測し、染料を落とすことにした。
どんな染料を使っているのか、濡らした布で軽くこすっても染料が落ちることはなかった。肌に赤みが出るまで念入りに擦り、ようやく色が落ちる。
じたばたと弱弱しく動いていた男は染料が落ちると動きを止めた。
「どうしたんだ?」
「寝てる」
男は疲れからくる強制的な睡眠へと落ちていた。
そんなこととは知らない二人は少しでも情報を得ようと男を起こそうとする。しかしよほど眠りが深いのか男が起きることはなかった。
「移動しながら次を探すか」
「そうだね」
眠り続ける男を廊下の端に寄せ二人は歩き出す。
次に出会ったのは中年の女だったが、さすがに服をはぐのは不味かろうと転ばせて次へ。比較的元気のいい三十才ほどの男に出会ったので服をはぎ、背中にあった紋様を消す。疲れた様子ではあったが眠ることなく話を聞くことができた。
あの男は呪いを専門に使う魔法使いらしい。さらった人に呪いをかけて操り、身の回りの世話をさせている。呪いには二種類あって、人体に負担をかけず人体を強化する特別製と人体に負担がかかる従属のみの呪いで操っている。話している男にかけられたのは負担がかかるほうだ。さらわれた人の多くは負担がかかる呪いで使い潰されている。動けなくなったら治療せず放置し、新しくさらってくるのだという。綺麗どころやがたいのいい者は特別製の呪いをかけられ、一応大事にされているという。
呪いをかけられるとほとんど意識がなくなる。かろうじてぼんやりとなにをやっているのか判別できるだけで、体の動きを止めることは無理なのだそうだ。
「どうかお願いします! あの魔法使いを殺してください!
弟がっううぅっ」
二人に懇願し泣き崩れた。
それで義侠心に燃えるような二人ではないが、魔法使いを殺しておく理由の一つにはなった。生かすとまた同じようなことをする可能性があるので、生かす理由はない。
ベルガはもちろんだが、陽平も人を殺せる。進んで殺すようなことはなく、いまだ嫌悪感はあるが。地球で事件に巻き込まれ殺したことがあるのだ。このことから土壇場で躊躇うようなことはなくなっていた。初めて殺したときに後悔も恐れも喪失感も経験し、なんとか自分で立ち直った。立ち直るという言い方はおかしいのかもしれない。正当化したわけではなく、拙いながらも消化したのだ。
屋敷の中を探し回り、時折窓から外を見て逃げ出していないか確認しながら、入り口のホールへと戻ってきた。ここに戻るまでに数人の町民に出会い、話を聞き得た情報に間違いがないことが確定した。
「止まれ」
ホールにまでもう少しというところでベルガが陽平を止める。
「ホールに何人かいる。
うっすらとした気配の中に一人通常の気配を放つ者がいる。おそらくあの男だ」
気配を感じ取ったのだろう。陽平にはそんな細かい気配どころか、だいたいの気配も感じ取れていない。
「どうする?」
「先ほど使った魔法でいっきに殲滅するのがいいと思うが」
「じゃあ、それで」
陽平も同じことを考えていた。
静かに移動し、ホールへの入り口そばで式符を取り出し、扇雷を使う準備をする。
ホールへと踏み込み魔法使いを視認し、扇雷を発動させる。
同時に鎧を着込んだ屈強な男たちに囲まれた魔法使いも魔法を使う。魔法使いはその魔法を使い慣れているのか、陽平よりも遅れて使ったにもかかわらず発動は同時だった。
「扇雷」
「上げろ!」
陽平の持つ式符から扇状に雷が広がる。しかしその雷は陽平の狙いをそれて魔法使いたちの頭上へと進み、壁にぶつかりはじけた。石造りの壁はぱらりと石片を落とし、黒くこげを残している。
狙いがそれたのは陽平の腕が上げられたからだ。陽平の意思とは関係なく勝手に動いた。
「なにしている!」
「いや、勝手に腕が」
「ふ、ふは、ははははははっ!
やはり、やはりな!
お前から呪いの気配がしていたんだ!
賭けに近かったが上手くいった!」
魔法使いが笑い、陽平たちには意味のわからないことを言っている。
「今のうちにもう一度撃てっ」
言われるまま陽平は扇雷の式符を取り出す。
「無駄だっ無駄なんだよ!
お前が呪われている以上、お前の魔法が俺に当たることはない!
誰が呪ったかは知らんが、それを媒介にしてお前を操ることが可能なんだからな!」
「呪いって、俺は呪いなんか」
思わず記憶を探る陽平。古い、古い記憶が掘り起こされる。
「あ」
思い出してみると確かに陽平は呪われていた。
それは日常から非日常へと足を踏み入れた日のこと。初めてオーエンに出会ったとき、言葉が通じるように魔法をかけられたとき、オーエンに害をなすことがないようにかけられた従属の呪いに近いもの。
オーエンに掴みかかったことしかなく、そのあとは接点が少ないままオーエンが死んでしまい、呪いのことなんか忘れてしまっていたのだ。
「ごめん、俺は戦力外に近いかもしれない。
それどころか敵に回る可能性もある」
最悪、町民と同じように操られる可能性もあるのだ。
「そのときは斬って捨てる」
それだけ言ってベルガは男たちに突っ込んでいく。
「その男を止めろ!」
男たちは命令に従い、ベルガを止めようと動く。
陽平はどう動こうかと考え、魔法使いはさらなる魔法を使う。
「従え!」
陽平を動かすために使った魔法のようで、体が勝手に動こうとする。さほどに強制力の強くないそれを止めることに集中するため、動きようがない。だが体を押さえつけるだけでいいので、思考的な余裕はある。よってどう動こうか考えることができた。
「従え!」
魔法使いのほうも従わせることに集中するため動けないでいる。
今のこの場で動けているのはベルガと町民たちだ。
ベルガは剣の腹で町民を殴り、気絶させていく。斬るつもりはないようだ。それとなく陽平へと町民が近づかないようにフォローをする余裕も持ち合わせていた。だが町民の数の多さとしぶとさから魔法使いに近寄れないでいる。
町民はベルガに翻弄されっぱなしだが、操られていることで気絶しにくくなっているのか、一度二度殴られたところで気絶はしない。
「従え!
ちっ呪いの効果が薄いのか!」
どうやら陽平に呪いをかけられ時間がずいぶんと経っていることで、効果が少しずつ薄れているらしい。上手い具合に媒介として効果を発揮せず、従わせることができていない。
陽平を従わせることに集中しているうちに動ける男たちの数が減る。それに魔法使いは気づき、一度陽平への魔法を中止する。
「動け!」
新たに式符を取り出し、魔法を使う。
呪いを通して体に刺激を与え強制的に覚醒させたのか、気絶していた男たちが再び起き上がりベルガを追う。肉体的な損傷を無視することにしたのか、男たちの動きが若干早くなっている。
この隙に陽平は新たに式符を取り出し魔法を使う。
取り出したの式符は扇雷ではない。混戦となっているところに撃ち込めない。取り出したのは朱金炎槍の式符だ。
「朱金炎槍!」
「上がれ!」
魔法使いが再び陽平の腕を操り狙いをそらす。
それを読んでいた陽平は勝手に上がる腕を少しだけ動かして、方向修正する。狙うは扇雷が当たった場所。式符から飛び出た炎の槍はこげた箇所目掛けて飛び、命中した。
扇雷を受けて強度が落ちていた壁は、朱金炎槍を受けて轟音を立て崩れ落ちた。その破片が魔法使いと男たちとベルガに降り注ぐ。これでよろよろだった男たちの多くは倒れる。
魔法を使った目的は魔法使いと男たちに隙を作ることだった。
轟音に負けないよう大声で陽平は叫ぶ。
「ベルガ! 今のうちにあいつを!」
言いながらもベルガが動けなかったときのため、氷散弾の式符を取り出しておく。
声が聞こえたらしいベルガは体勢を立て直し、男たちを踏み分け魔法使いへと接近し剣を突き出した。
男が出せるのかというくらい甲高い悲鳴が上がった。
ベルガは剣を抜き、もう一度剣をふるった。今度は悲鳴が上がることはなかった。肺からの息が声帯を震わすことがなかったからだ。
オーエンが死んでも呪いが残り続けたように、魔法使いが死んでも町民の呪いは残り続けたようで元に戻ることはなかった。命令を守り続け、ベルガを追い続ける。
二人は男たちの服を剥ぎ紋様を消そうと動く。けれどもここにいる者たちは特別製だったようで、紙を剥ぐだけでよかった。
次々と剥いでいき解放していく。床にはぐったりとした男たちが倒れている。
「町に戻って人を呼んできたほうがよくない? 女の人もいるんだし」
「そうだな」
急いで行列に戻りたいのだ。ここの後始末のことも考えると二人だけだと時間がかかりすぎる。
倒れていても意識のある者に町民を呼んでくると言って二人は急いで戻る。町長はまだ戻ってきていないが、代理に事情を説明し人を借りる。
馬車や台車などを持って二人と町民たちは魔法使いの住処へと戻る。
紋様を消し紙を剥ぐことで解放できると説明し、さらわれた人のことを任せる。
二人は数人の町民を連れ、魔法使いの研究資料を運ぶために建物内を探索する。時間がかからずそれは終わる。
このときに町民の一人が欲にかられて、研究資料の一部を隠し持つ。その町民は、ほかの魔法使いや貴族に売ればお金になると知っていたのだ。
二人は一応集められた研究資料にぱらぱらとだが目を通した。だが陽平は呪いは門外、ベルガにいたっては魔法自体門外だ。少々資料が減ったところで気づけなかった。
この流出した資料は流れ流れて、今から二百年後とある王族の目に止まることになる。この資料をヒントに魔法が作られ、魔法使いが起こした事件で史上で三番目に最悪の事態を引き起こすことになる。一日で都市住民が干からびて死ぬという最悪の事態。それをナイネール全滅事件といった。
二番目の事件はオーエンが起こしたもので、一番目は魔王暴乱といった。
こんなことが起きるとは知らない二人は、これで資料は全てだと思い急いでユイたちのいる都市へと馬を走らせる。
焦りによって知らないうちに、後の世に大きな災厄を残し依頼は終ったのだった。
23へ
2009年03月15日
樹の世界へ22かきかけ
大樹の使者が世界中を巡ることは、ユーフィアンだけではなく他の町村、さらには他の大陸の都市にも知らされていた。その出発の際に見送りと称し、一目ユイを見ようと人が集まるのは当然のことで、出発当日に近づくにつれユーフィアンには人が溢れ、祭のような様相を見せていた。
普段から賑やかではあるが、その賑やかさを明らかに超える賑わいが街を包み、活力に満ち溢れた光景がどこでも見られる。元気が溢れすぎて周囲に迷惑かけている人もいるが、そんな人は大神殿の巡回兵や街の自衛団に取り押さえられている。
集まってきた人を標的としてあちこちから客引きの声が響き、許可を得ていない露店が当たり前のように並び、取り締まる側が仕事をこなしても何もなかったように再び無許可の露店が並ぶ。それを飽きることなく繰り返す。
子供も大人もお祭り騒ぎに浮かれ、今日と言う日を楽しんでいる。その雰囲気は大神殿にまで届き、建物内部にいる人々も忙しそうにしながら少しだけ浮かれた様相を見せている。
陽平もその一人かというと違う。今陽平は神殿にいない。ではどこか、ユーフィアンの外だ。なにをしているかというとレグスン率いる先行隊に混ざって、ユイたちが通る道の安全を確保しているのだった。
先行隊が人間を警戒する必要はない。盗賊もさすがに大樹の使者を狙わない。敬っているからというわけではなく、世界中に指名手配書を出され様々な国から兵を出されるような真似は避けたいからだ。大神殿は簡単にそんなことをできる権力を持っている。
先行隊の役割は、がけ崩れや川の増水などで通行ができない箇所をみつけること。もう一つは魔物の駆除だ。大樹の使者に万が一のことがないように、事前に追い払うか殺しておくのだ。
ユイたちがユーフィアンで盛大に見送られ出発した頃には、先行隊三十人は役割を無事こなしながら三日ほど先の工程を進んでいる。事前に近場の情報は調べていたので、不意の事態さえなければ滞るはずもなかった。全員馬に乗っているので、警戒はしていても進みは速い。陽平も以前旅したことを思い出しつつ、なんとかついていけている。
一行はさらに十五日ほど進み、第一の目的地へと到着した。そこはユーフィアンには及ばないがそこそこ大きな都市。ここにも大樹の使者が来ると知って多くの人々が集まっている。
先行隊は大神殿関係者用に用意された宿泊施設に入り、旅の疲れをとる。半日の休暇を終えた彼らはこれから先の情報を求める者、旅の間に消費した者を補充する者、書類仕事に励む者と別れ動き出す。
陽平は補充組についていく。紙に書かれているものを仲間と一緒に買っていくだけなので楽なものだ。
レグスンは書類仕事を部下に任せ、都市のトップたちと会議だ。大樹の使者訪問の最終調整を話し合っている。どのように進行していくかは手紙のやりとりで決められているので、話していることは決めたことの最終確認だ。話しはそれだけだが、大神殿のお偉いさんとの繋がりを得ようと頑張る人たちがいるので楽には終らない。それらを雑にならない程度になんとかあしらっていく。
そんな日々を過ごす五日目の昼前、大樹の使者を連れた行列が都市に到着した。街を進む行列を見て、陽平は地球の観光地で見たパレードを思い出す。
都市のあちらこちらから歓迎の大歓声がユイへと送られる。その歓声にユイは笑顔で手を振り返す。笑顔がつくり顔だと気づいたのは何人だろうか。確実に気づいているのは、レグスンやベルガといった身近にいる者たちだ。陽平も浴衣を贈ったときと違った笑顔だと気づいている。
これから始終あの笑顔でいなければいけない、と思い至った陽平はお疲れさんと遠くから声無き声援を送る。
ユイたちが都市のお偉いさんと会談をしている最中、先行隊は出発の準備をしていた。今日中にここを発つのだ。レグスンが書類や連絡事項を行列の責任者に渡し、ユイに挨拶を終えると出発となる。
これから先もこの二十日間の繰り返しだ。
違うのは、先行隊メンバーがレグスンを除き二度交代すること。何事もなければ、大体一ヶ月半に一度の頻度で交代することになっている。交代する理由は先行隊のメンバーも大樹の使者のそばで仕事したいからだ。大神殿にいるときは親衛隊が守っているが、今回のような場合は自分たち一般兵も大樹の使者を守っていると実感できるのだ。自己満足といえばそれまでだが、無視すると士気にかかわりかねないのでローテーションを組んでいる。
ローテーションが一周する頃には、安らぎの大陸での挨拶回りは終る。大陸の隅々まで回ることはしない。各主要都市を回っていくのだ。隅々まで足を運ぶと時間がかかりすぎるので昔から主要都市を回るようになっている。
第一の目的地での挨拶は無事に終わり、ユイたちも先行隊に遅れること三日で出発した。
先行隊たちはたいした異変もなく進んでいる。たまにいる魔物も皆で追い払うことができている。主要街道には魔物もあまり近づいてこないし、数は力とよくいったもので陽平が魔法を使う必要もない。
そして二十日ほど進み、第二の目的地に到着する。
ここで以前と同じように休暇と情報収集と補充を行っていく。レグスンも最終調整のためお偉いさんと話し合っている。
そして五日ほどたち、ユイたちが到着する。
先行隊はここで交代だ。陽平も一緒についていくことになっている。
陽平と元先行隊はこれからの仕事の説明をうけたあと、一日の休暇をもらい警備の仕事が始まることになっている。
巨大浴場があるというので、夕飯後仲良くなった先行隊メンバーと一緒に行ったあと、陽平は宿泊施設で談笑しつつのんびりとしていた。与えられた部屋は大部屋なので、話し相手にはことかかない。
「おーいレイク呼ばれてるぞ」
「レイクなにかしたのか?」
「そんな覚えはないけど、なんだろうな?」
入り口近くにいたメンバーの一人が陽平を呼ぶ。
部屋の外に行くと、そこにいたのは青の鎧をまとった親衛隊の一人。
「レイク・サニィだな?」
頷くとついてこいと言って歩き出した。
泊まっている宿を出て親衛隊員が向かった場所は、一般兵が泊まっているところとは比べ物にならない宿泊施設。
いいところに泊まっているなと感心していると、親衛隊員はある部屋の前で止まりノックする。
「入れ」
部屋の中からはベルガの声がした。
「レイク・サニィを連れて来ました!」
「ご苦労、下がっていい」
「はっ」
親衛隊員は陽平を残し部屋から出て行く。
「何の用?」
仕事をサボってはいないし、手を抜いてもいないので呼び出される要因が思いつかない。というか仕事に問題があれば呼び出すのはレグスンだろう。陽平にはベルガに呼ばれる理由がわからない。
「ユイファシィ様の相手をしてもらいたい。本当ならばレグスン隊長に行ってもらえばいいんだが、忙しく時間がとれないからな」
「ユイがどうした?」
「疲れ気味なのだ。
始終心とは関係なく笑顔を浮かべ、大樹の使者としての役割を果たさなければならない。心休まる時間が大神殿にいるときより少ない」
たしかにレグスンならばユイを大樹の使者と切り離せて接することができるので、会話などで溜まった心労を減らすには適任かもしれない。ベルガには無理だろう。ユイのことを考えていないわけではないが、どうしても大樹の使者として接してしまう。
「なるほど、気晴らしになればいいと。
でも旅している間は、世話係がつきっきりだろう? 誰か見ているところだと俺も相応の態度で接するしかないぞ?」
「それは大丈夫だ、寝るときは部屋入り口に警備が立つだけで一人になる。
そのとき行ってもらえばいい。
言っておくが私が連れて行くことは無理だ。ただの兵を大樹の使者に会わせるところを見られると、いらぬ疑いを招くからな。お前にとっても面倒なことになるだろうな」
「思春期の娘さんの寝所に忍び込めと?
悲鳴上げられて警備たちにばれて斬り捨てられる未来が見える」
正面からいっても今の陽平はただの下っ端。警備に追い返されて終る。ならばばれないように侵入するしかないが、寝る前に忍び込めば誰でも驚く。驚くなというほうが無理だ。
「ユイファシィ様には話してあるから心配するな」
「それなら安心だ。
一瞬だけ、俺を殺したいのかと疑ったよ」
「理由もないのに殺しはしない」
「そうだね、理由あれば首が飛ぶんだよねぇ」
「……もし不埒を働こうものなら」
「するわけないだろうっ。大神殿公認の犯罪者にはなりたくないっ」
「ならばいいんだが」
こんなこと言いながらも陽平を一人で行かせるのを止めようとしないのは、少しは信頼するようになったということか。
「まったく。それでいつ頃行けばいい? 今から?」
「もう少し待て」
「なら一度宿に戻るよ。式符とってくる」
「それも待ってもらいたい。
ただの兵が親衛隊に呼ばれている時点で疑問に思われているだろうからな、動いて注目を集めてもらいたくはない」
「じゃあここで式符を作ったほうがいいのか、細かいところ忘れてなけりゃいいけど。
ペンと紙くれ」
「どんな紙でもいいのか?」
「いいよ」
受け取ったペンと紙をテーブルに置いて、飛翔用の式を思い出そうと記憶を探る。
たいした用事はないだろうと思っていたので式符は置いてきたのだ。置いてくるんじゃなかったと少し後悔しつつ、書き上げていく。
「あ、もしユイが外に散歩出たいっていったら連れて行っていいのか?
もちろん魔法で変装はさせるけど」
「それは駄目だ。この宿の周辺には人が多すぎる。変装させて出ても、神殿関係者だと思われ人が集まるだろう。そこでもし魔法が解けたら大混乱だ。
混乱の際にユイファシィ様の身になにかあるかもしれない。そんな事態は避けたい」
「了解」
話しを聞きながらも陽平は念のために幻の魔法の式を書き上げている。使う気はないが、備えあればというやつだ。
一時間ほど、巡回兵のことを聞いたり、旅のことを話したりして陽平はベルガの部屋を出る。そこからは誰にも見つからないように慎重に進む。ユイの部屋に忍び込むところを見られでもすると、人生そこでジエンドになりかねない。ユイの部屋を目指しながらそのことに思い至り、今更ながら陽平は少し震えた。
事前に聞いた情報を駆使して陽平はユイの部屋が見える庭にたどりついた。周囲にだれもいないことを入念に確認し、空を飛び窓をノックする。誰かにみつからないかという緊張で、窓が開くまでがすごく長い時間に感じられた。
「レイクさん!」
パジャマに着替えたユイが嬉しそうに顔を出す。
「早く入れて誰かにみつかるっ」
小声でユイを急かし部屋に入れてもらう。部屋の床に座り込むと、体中に嫌な汗をかいていることに気づいた。
「レイクさん久しぶり!」
「はいな、久しぶり。ストレスたまってんだって?」
「うん。いつも笑顔でいるってきついよっ」
「警備兵に気づかれるから小声でな?」
「あ、うん。わかった」
こそこそと秘密めいたことするのが楽しいのか、笑顔で頷く。
陽平は立ち上がり、椅子に座る。ユイはベッドに腰掛けた。
部屋の中は夏のせいか温度が高い。警備上の問題で、窓を開け放すわけにはいかないことも原因の一つだろう。
魔法を使い、水差しの中にいくつか氷を浮かべる。よく冷えた水をユイに渡すと嬉しそうに礼を言って受け取り、いっきに飲んだ。
「旅はどうだった? 外に出るの楽しみにしていただろ?」
「んー……思っていたのとちょっとね。
外の風景が見られるのはいいんだけど、自由に動けないってこと忘れてた」
「立場上、どこに行くにも護衛とかはつくだろうしね」
「うん。あと素のままで表現できないのも疲れる。
楽しいことをそのまま素直に表現できないんだよ。威厳が壊れるって言われて、控えめに笑う練習とかしたしね。
都市のお偉いさんに連れられて観光に行ったときも、すごい芸をする人を見たり職人技がすごかったりしてたのに、はしゃげなかった。
我慢しながら見るのは楽しくないよ」
「消音の魔法を取得しとけばよかったか」
「音を消すの? どうして?」
「こうやって話してるときくらいは、思うが侭にさせたげたいなと。音を消せば大声で笑おうが怪しまれないだろ。
この大陸を回ったら大神殿に帰って冬越すことになってたよね?」
「うん」
「じゃあ、そのときに魔法習得しとくか。
他の大陸に行ったとき用に」
「ほんと!? 今回の旅よりは楽になりそうだね」
「今回は我慢してもらうしかないけどなぁ」
「あと三ヶ月くらいかぁ、長いなぁ」
「これから先何度が忍び込んで話し相手になるからそれで少しは気が晴れる……かも?」
「先行隊から身辺警備隊に移ってきたんだっけ?
たしかにこれまでよりは楽になるかも」
なるといいなぁ、と言いながらユイはポフンとベッドに仰向けに倒れこんだ。
「すごい芸ってどんなことやってたんだ? 教えてくれないか?
俺たち見る暇なかったんだ」
少しでも吐き出させたほうがいいと考え、陽平は聞く。
ユイを勢いよく起き上がって、どこが楽しかったか面白かったか、どんなふうに感じたか、なにがあったかを話していく。誰かに話したくてたまらなかったのだろう。それに陽平は相槌を打っていき、自分の旅の話しもしていく。
そうして二時間弱話し続け、さすがに寝かさないとと考えた陽平は帰ることにした。
もう少しとねだるユイに明日に響くからと説得し、窓際に向かおうとして止まる。
ちょっとしたことを思いついたのだ。
「紙とペンある?」
「あるよ。でもなにするの?」
「ちょっと寝苦しいんじゃないかと思ってな」
どんなだっけと考えつつ式を書いていく。今書いているのは、以前雪山で使った温度を操作する魔法だ。ベッド付近の温度を二度だけ下げ、一時間ほど効果が続くように急遽カスタマイズしていく。
「たぶんこれでいいと思う」
「なにしてるのさ?」
「ぐっすり眠れるように、ベッド周辺の温度を少しだけ下げようと思ってね。
魔法を使う準備してるのさ〜」
「そんなこともできるんだね魔法って」
「時間さえかければ、人が想像できるものは全て実現可能って以前本で読んだことある」
「すごいねぇ。もっとたくさんの人が魔法を使えるようになれば、世の中便利になりそうだよね」
「先天的な素質が必要だからねぇ。素質の持ち主もすごく少ないし。
死にかければ素質発現するらしいけど、確率は五分だとか。
障害が残ったりする可能性もあるから、そう簡単にその方法は試せない」
「レイクさんはどっち?」
「俺はたぶん死にかけたほうじゃないか? 詳しいことはわからない。
魔法を使うために死にかけたわけじゃないし」
ずっとずっと先でユイが言ったことが実現することになるとは、誰も思いもしなかっただろう。その発端のきっかけが陽平で、発展の邪魔するのも陽平だ。今の魔法使いが激減し、今とは違う形の魔法使いが生まれるまではまだまだ時間が必要だ。
「レイクさんは運がよかったんだね。
あ、ちょっと涼しい」
「長続きはしないからさっさと寝たほうがいいよ」
「ありがとう」
「うん。じゃ、帰る。おやすみ」
「おやすみなさい」
窓をそっと開け、警備兵の有無を確認、魔法を使い窓から飛び出た。眼下にはユイを一目見ようと少ない数の人がいた。
誰も陽平には気づかない。そのまま自分の宿へと戻る。仲間のほとんどはすでに眠っていた。陽平もさっさと寝ることにした。
22‐2へ
普段から賑やかではあるが、その賑やかさを明らかに超える賑わいが街を包み、活力に満ち溢れた光景がどこでも見られる。元気が溢れすぎて周囲に迷惑かけている人もいるが、そんな人は大神殿の巡回兵や街の自衛団に取り押さえられている。
集まってきた人を標的としてあちこちから客引きの声が響き、許可を得ていない露店が当たり前のように並び、取り締まる側が仕事をこなしても何もなかったように再び無許可の露店が並ぶ。それを飽きることなく繰り返す。
子供も大人もお祭り騒ぎに浮かれ、今日と言う日を楽しんでいる。その雰囲気は大神殿にまで届き、建物内部にいる人々も忙しそうにしながら少しだけ浮かれた様相を見せている。
陽平もその一人かというと違う。今陽平は神殿にいない。ではどこか、ユーフィアンの外だ。なにをしているかというとレグスン率いる先行隊に混ざって、ユイたちが通る道の安全を確保しているのだった。
先行隊が人間を警戒する必要はない。盗賊もさすがに大樹の使者を狙わない。敬っているからというわけではなく、世界中に指名手配書を出され様々な国から兵を出されるような真似は避けたいからだ。大神殿は簡単にそんなことをできる権力を持っている。
先行隊の役割は、がけ崩れや川の増水などで通行ができない箇所をみつけること。もう一つは魔物の駆除だ。大樹の使者に万が一のことがないように、事前に追い払うか殺しておくのだ。
ユイたちがユーフィアンで盛大に見送られ出発した頃には、先行隊三十人は役割を無事こなしながら三日ほど先の工程を進んでいる。事前に近場の情報は調べていたので、不意の事態さえなければ滞るはずもなかった。全員馬に乗っているので、警戒はしていても進みは速い。陽平も以前旅したことを思い出しつつ、なんとかついていけている。
一行はさらに十五日ほど進み、第一の目的地へと到着した。そこはユーフィアンには及ばないがそこそこ大きな都市。ここにも大樹の使者が来ると知って多くの人々が集まっている。
先行隊は大神殿関係者用に用意された宿泊施設に入り、旅の疲れをとる。半日の休暇を終えた彼らはこれから先の情報を求める者、旅の間に消費した者を補充する者、書類仕事に励む者と別れ動き出す。
陽平は補充組についていく。紙に書かれているものを仲間と一緒に買っていくだけなので楽なものだ。
レグスンは書類仕事を部下に任せ、都市のトップたちと会議だ。大樹の使者訪問の最終調整を話し合っている。どのように進行していくかは手紙のやりとりで決められているので、話していることは決めたことの最終確認だ。話しはそれだけだが、大神殿のお偉いさんとの繋がりを得ようと頑張る人たちがいるので楽には終らない。それらを雑にならない程度になんとかあしらっていく。
そんな日々を過ごす五日目の昼前、大樹の使者を連れた行列が都市に到着した。街を進む行列を見て、陽平は地球の観光地で見たパレードを思い出す。
都市のあちらこちらから歓迎の大歓声がユイへと送られる。その歓声にユイは笑顔で手を振り返す。笑顔がつくり顔だと気づいたのは何人だろうか。確実に気づいているのは、レグスンやベルガといった身近にいる者たちだ。陽平も浴衣を贈ったときと違った笑顔だと気づいている。
これから始終あの笑顔でいなければいけない、と思い至った陽平はお疲れさんと遠くから声無き声援を送る。
ユイたちが都市のお偉いさんと会談をしている最中、先行隊は出発の準備をしていた。今日中にここを発つのだ。レグスンが書類や連絡事項を行列の責任者に渡し、ユイに挨拶を終えると出発となる。
これから先もこの二十日間の繰り返しだ。
違うのは、先行隊メンバーがレグスンを除き二度交代すること。何事もなければ、大体一ヶ月半に一度の頻度で交代することになっている。交代する理由は先行隊のメンバーも大樹の使者のそばで仕事したいからだ。大神殿にいるときは親衛隊が守っているが、今回のような場合は自分たち一般兵も大樹の使者を守っていると実感できるのだ。自己満足といえばそれまでだが、無視すると士気にかかわりかねないのでローテーションを組んでいる。
ローテーションが一周する頃には、安らぎの大陸での挨拶回りは終る。大陸の隅々まで回ることはしない。各主要都市を回っていくのだ。隅々まで足を運ぶと時間がかかりすぎるので昔から主要都市を回るようになっている。
第一の目的地での挨拶は無事に終わり、ユイたちも先行隊に遅れること三日で出発した。
先行隊たちはたいした異変もなく進んでいる。たまにいる魔物も皆で追い払うことができている。主要街道には魔物もあまり近づいてこないし、数は力とよくいったもので陽平が魔法を使う必要もない。
そして二十日ほど進み、第二の目的地に到着する。
ここで以前と同じように休暇と情報収集と補充を行っていく。レグスンも最終調整のためお偉いさんと話し合っている。
そして五日ほどたち、ユイたちが到着する。
先行隊はここで交代だ。陽平も一緒についていくことになっている。
陽平と元先行隊はこれからの仕事の説明をうけたあと、一日の休暇をもらい警備の仕事が始まることになっている。
巨大浴場があるというので、夕飯後仲良くなった先行隊メンバーと一緒に行ったあと、陽平は宿泊施設で談笑しつつのんびりとしていた。与えられた部屋は大部屋なので、話し相手にはことかかない。
「おーいレイク呼ばれてるぞ」
「レイクなにかしたのか?」
「そんな覚えはないけど、なんだろうな?」
入り口近くにいたメンバーの一人が陽平を呼ぶ。
部屋の外に行くと、そこにいたのは青の鎧をまとった親衛隊の一人。
「レイク・サニィだな?」
頷くとついてこいと言って歩き出した。
泊まっている宿を出て親衛隊員が向かった場所は、一般兵が泊まっているところとは比べ物にならない宿泊施設。
いいところに泊まっているなと感心していると、親衛隊員はある部屋の前で止まりノックする。
「入れ」
部屋の中からはベルガの声がした。
「レイク・サニィを連れて来ました!」
「ご苦労、下がっていい」
「はっ」
親衛隊員は陽平を残し部屋から出て行く。
「何の用?」
仕事をサボってはいないし、手を抜いてもいないので呼び出される要因が思いつかない。というか仕事に問題があれば呼び出すのはレグスンだろう。陽平にはベルガに呼ばれる理由がわからない。
「ユイファシィ様の相手をしてもらいたい。本当ならばレグスン隊長に行ってもらえばいいんだが、忙しく時間がとれないからな」
「ユイがどうした?」
「疲れ気味なのだ。
始終心とは関係なく笑顔を浮かべ、大樹の使者としての役割を果たさなければならない。心休まる時間が大神殿にいるときより少ない」
たしかにレグスンならばユイを大樹の使者と切り離せて接することができるので、会話などで溜まった心労を減らすには適任かもしれない。ベルガには無理だろう。ユイのことを考えていないわけではないが、どうしても大樹の使者として接してしまう。
「なるほど、気晴らしになればいいと。
でも旅している間は、世話係がつきっきりだろう? 誰か見ているところだと俺も相応の態度で接するしかないぞ?」
「それは大丈夫だ、寝るときは部屋入り口に警備が立つだけで一人になる。
そのとき行ってもらえばいい。
言っておくが私が連れて行くことは無理だ。ただの兵を大樹の使者に会わせるところを見られると、いらぬ疑いを招くからな。お前にとっても面倒なことになるだろうな」
「思春期の娘さんの寝所に忍び込めと?
悲鳴上げられて警備たちにばれて斬り捨てられる未来が見える」
正面からいっても今の陽平はただの下っ端。警備に追い返されて終る。ならばばれないように侵入するしかないが、寝る前に忍び込めば誰でも驚く。驚くなというほうが無理だ。
「ユイファシィ様には話してあるから心配するな」
「それなら安心だ。
一瞬だけ、俺を殺したいのかと疑ったよ」
「理由もないのに殺しはしない」
「そうだね、理由あれば首が飛ぶんだよねぇ」
「……もし不埒を働こうものなら」
「するわけないだろうっ。大神殿公認の犯罪者にはなりたくないっ」
「ならばいいんだが」
こんなこと言いながらも陽平を一人で行かせるのを止めようとしないのは、少しは信頼するようになったということか。
「まったく。それでいつ頃行けばいい? 今から?」
「もう少し待て」
「なら一度宿に戻るよ。式符とってくる」
「それも待ってもらいたい。
ただの兵が親衛隊に呼ばれている時点で疑問に思われているだろうからな、動いて注目を集めてもらいたくはない」
「じゃあここで式符を作ったほうがいいのか、細かいところ忘れてなけりゃいいけど。
ペンと紙くれ」
「どんな紙でもいいのか?」
「いいよ」
受け取ったペンと紙をテーブルに置いて、飛翔用の式を思い出そうと記憶を探る。
たいした用事はないだろうと思っていたので式符は置いてきたのだ。置いてくるんじゃなかったと少し後悔しつつ、書き上げていく。
「あ、もしユイが外に散歩出たいっていったら連れて行っていいのか?
もちろん魔法で変装はさせるけど」
「それは駄目だ。この宿の周辺には人が多すぎる。変装させて出ても、神殿関係者だと思われ人が集まるだろう。そこでもし魔法が解けたら大混乱だ。
混乱の際にユイファシィ様の身になにかあるかもしれない。そんな事態は避けたい」
「了解」
話しを聞きながらも陽平は念のために幻の魔法の式を書き上げている。使う気はないが、備えあればというやつだ。
一時間ほど、巡回兵のことを聞いたり、旅のことを話したりして陽平はベルガの部屋を出る。そこからは誰にも見つからないように慎重に進む。ユイの部屋に忍び込むところを見られでもすると、人生そこでジエンドになりかねない。ユイの部屋を目指しながらそのことに思い至り、今更ながら陽平は少し震えた。
事前に聞いた情報を駆使して陽平はユイの部屋が見える庭にたどりついた。周囲にだれもいないことを入念に確認し、空を飛び窓をノックする。誰かにみつからないかという緊張で、窓が開くまでがすごく長い時間に感じられた。
「レイクさん!」
パジャマに着替えたユイが嬉しそうに顔を出す。
「早く入れて誰かにみつかるっ」
小声でユイを急かし部屋に入れてもらう。部屋の床に座り込むと、体中に嫌な汗をかいていることに気づいた。
「レイクさん久しぶり!」
「はいな、久しぶり。ストレスたまってんだって?」
「うん。いつも笑顔でいるってきついよっ」
「警備兵に気づかれるから小声でな?」
「あ、うん。わかった」
こそこそと秘密めいたことするのが楽しいのか、笑顔で頷く。
陽平は立ち上がり、椅子に座る。ユイはベッドに腰掛けた。
部屋の中は夏のせいか温度が高い。警備上の問題で、窓を開け放すわけにはいかないことも原因の一つだろう。
魔法を使い、水差しの中にいくつか氷を浮かべる。よく冷えた水をユイに渡すと嬉しそうに礼を言って受け取り、いっきに飲んだ。
「旅はどうだった? 外に出るの楽しみにしていただろ?」
「んー……思っていたのとちょっとね。
外の風景が見られるのはいいんだけど、自由に動けないってこと忘れてた」
「立場上、どこに行くにも護衛とかはつくだろうしね」
「うん。あと素のままで表現できないのも疲れる。
楽しいことをそのまま素直に表現できないんだよ。威厳が壊れるって言われて、控えめに笑う練習とかしたしね。
都市のお偉いさんに連れられて観光に行ったときも、すごい芸をする人を見たり職人技がすごかったりしてたのに、はしゃげなかった。
我慢しながら見るのは楽しくないよ」
「消音の魔法を取得しとけばよかったか」
「音を消すの? どうして?」
「こうやって話してるときくらいは、思うが侭にさせたげたいなと。音を消せば大声で笑おうが怪しまれないだろ。
この大陸を回ったら大神殿に帰って冬越すことになってたよね?」
「うん」
「じゃあ、そのときに魔法習得しとくか。
他の大陸に行ったとき用に」
「ほんと!? 今回の旅よりは楽になりそうだね」
「今回は我慢してもらうしかないけどなぁ」
「あと三ヶ月くらいかぁ、長いなぁ」
「これから先何度が忍び込んで話し相手になるからそれで少しは気が晴れる……かも?」
「先行隊から身辺警備隊に移ってきたんだっけ?
たしかにこれまでよりは楽になるかも」
なるといいなぁ、と言いながらユイはポフンとベッドに仰向けに倒れこんだ。
「すごい芸ってどんなことやってたんだ? 教えてくれないか?
俺たち見る暇なかったんだ」
少しでも吐き出させたほうがいいと考え、陽平は聞く。
ユイを勢いよく起き上がって、どこが楽しかったか面白かったか、どんなふうに感じたか、なにがあったかを話していく。誰かに話したくてたまらなかったのだろう。それに陽平は相槌を打っていき、自分の旅の話しもしていく。
そうして二時間弱話し続け、さすがに寝かさないとと考えた陽平は帰ることにした。
もう少しとねだるユイに明日に響くからと説得し、窓際に向かおうとして止まる。
ちょっとしたことを思いついたのだ。
「紙とペンある?」
「あるよ。でもなにするの?」
「ちょっと寝苦しいんじゃないかと思ってな」
どんなだっけと考えつつ式を書いていく。今書いているのは、以前雪山で使った温度を操作する魔法だ。ベッド付近の温度を二度だけ下げ、一時間ほど効果が続くように急遽カスタマイズしていく。
「たぶんこれでいいと思う」
「なにしてるのさ?」
「ぐっすり眠れるように、ベッド周辺の温度を少しだけ下げようと思ってね。
魔法を使う準備してるのさ〜」
「そんなこともできるんだね魔法って」
「時間さえかければ、人が想像できるものは全て実現可能って以前本で読んだことある」
「すごいねぇ。もっとたくさんの人が魔法を使えるようになれば、世の中便利になりそうだよね」
「先天的な素質が必要だからねぇ。素質の持ち主もすごく少ないし。
死にかければ素質発現するらしいけど、確率は五分だとか。
障害が残ったりする可能性もあるから、そう簡単にその方法は試せない」
「レイクさんはどっち?」
「俺はたぶん死にかけたほうじゃないか? 詳しいことはわからない。
魔法を使うために死にかけたわけじゃないし」
ずっとずっと先でユイが言ったことが実現することになるとは、誰も思いもしなかっただろう。その発端のきっかけが陽平で、発展の邪魔するのも陽平だ。今の魔法使いが激減し、今とは違う形の魔法使いが生まれるまではまだまだ時間が必要だ。
「レイクさんは運がよかったんだね。
あ、ちょっと涼しい」
「長続きはしないからさっさと寝たほうがいいよ」
「ありがとう」
「うん。じゃ、帰る。おやすみ」
「おやすみなさい」
窓をそっと開け、警備兵の有無を確認、魔法を使い窓から飛び出た。眼下にはユイを一目見ようと少ない数の人がいた。
誰も陽平には気づかない。そのまま自分の宿へと戻る。仲間のほとんどはすでに眠っていた。陽平もさっさと寝ることにした。
22‐2へ
2009年03月11日
感謝の5
感想、ウェブ拍手ありがとうございます
》くるさん
影が薄いのは、出番とか活躍を対価にして幸せを得たと考えてみてはどうでしょう?
いわゆる等価交換
いやまあ、いいわけにすぎないんですけどね
親子関係、子育てに関する苦労話、いまいち思いつかない。でも苦労はしてるはず。全部が全部順風満帆だったわけじゃないだろうし
ARIAを読み直してたら、9巻がどこかいってるのに気づいた
探してみたんだけどない。買ったのはたしかなんだけどな
縁側に積んである父さんの本を整理しながら探してみたけどない
どこにいったんだろ?
ケーブルテレビ?のモンド21って番組系列でシューティング中心の番組がはじまるらしい、ちょっと楽しみ
R-typeとかやるんかな
樹の世界へ21
調理場すぐそばの空き地に簡素な椅子を持ち出し座っている。そこでシュッシュッとジャガイモの皮をむく。地球にいた頃はピーラーでやっていたことも、こちらではそんな便利な物はなくナイフで行うことになる。指を切るというべたなことはしていないが、皮が厚くなることはあった。慣れた今では無駄に厚くすることもなく、綺麗に皮をむくことができている。
「さすがに雑用二ヶ月以上もしていれば、できるようになるよね」
「なに言ってんの?」
近くで一緒に人参の皮をむいている陽平と同じくらいの年齢の女が、不思議そうな顔をして聞く。
作業に慣れているのか、手元を見ないでも器用にシュルシュルと綺麗にむいていく。
陽平よりも少しだけ早く調理場に働きにきたようで、よく同じ作業を任されるので、雑談できる程度には仲良くなった。
「ちょっと独り言をね」
「集中力がきれたんだ?
うんうん、ずっと野菜の皮むきばかりしてるもんねぇ。いい加減飽きるわな、よくわかるわ」
「そうじゃなくて、考え事してたら思わず漏れ出たってとこか。まあこうやって話してたら集中力もきれたけど」
「ちょっと休憩する?」
集中力がきれたのは女も同じようだ。
「そうしようか。いまやってる分を終えたら」
すぐに皮をむき終え、木桶に入れる。その木桶を調理場にいる調理担当に渡し、休憩に入ると告げる。
むわっとした空気が逃げるように空き地に出る。ずっと座りっぱなしで強張っていた背中をそらすと、骨の鳴る音がした。
同じ体勢でいつづけるのも辛いが、調理場の中の暑さも辛いものがある。どちらがましかと聞かれれば陽平は皮むきと答える。夏場に火を使う場所にいるよりは、風通りのよい日陰の場所で作業するほうがいいに決まっていた。
「手がふやふやだよ。ずっと水場にいるのも手荒れの一因だね」
「セリもそういうのやっぱ気になるんだねぇ」
「女らしくないって言いたいのかい?」
迫力のある笑みで陽平を見る。
「ごめんなさい。
おわびに肌荒れに効く薬草で、軟膏作るよー」
「うむうむ、それで勘弁してやろう」
セリは本気で怒っていたわけではないし、陽平もそれはわかっていたので、互いにプッとふきだし笑いあう。
「それで本当に作れるの?」
「大丈夫。しばらく作ってなかったけど、作ったことはあるから」
家事をほぼ任せっぱなしにしていたエストに作ってあげていたのだ。作り方は書庫で必要な資料を探しているときたまたま見たことがあった。それを覚えていた陽平は、もう一度探し出し本に従い作ったのだった。材料は塔周辺に生えている草で十分だった。
おそらくルチアがオーエンの美容のことを考えて、それ関連の本を置いていたのだろう。しかし埃を被っていたので、一度くらいしか読まれなかったようだ。復讐に関係ないと放置したのだろう。
オーエンがいらないと判断したものを活用したのが陽平だった。
なんとか記憶の底から掘り出し、作れると判断する。軟膏はエストのみならず、ニニルにも評価されたので効果はたしかにあるのだろう。
「期待してる」
「了解。といってもすぐにはできないけど」
「まあ、それはわかる。どれくらいかかる?」
「そうだねぇ……材料集めの含めなければ三日くらい?」
「結構早いと思うけどね。もっとかかると思ってたよ」
それは製作過程で魔法を使うからだ。魔法を使わず進めるともっと時間がかかる。こんなところで陽平は魔法は便利だなぁと実感している。
「材料が全部外庭で揃えばいいんだけどね。なかったら中庭に行かせてもわないと」
「無理じゃない? 中庭ってユイファシィ様専用だし、私ら下っ端なんかが入れるようなところじゃないよ。
入ったらどんな罰が待ってるか、想像しただけで怖い怖い」
すでに侵入した身としては笑えない話だ。
「ま、まあそこらに生えてる草だったから外庭でそろうと思うけどねー」
なければユイに頼むかなと考えている。ベルガの代わりについた見張りに伝言を頼めば大丈夫だろう。
ユイが偉いと陽平はわかっているが、その偉さにいまいち実感がない。最初会ったときと同じように孫のような感じで接している。ユイが嫌がれば態度を改めるのだが、今のところはそんな気配がないので、このままでいいかと考えていた。
浴衣を贈ったのも、孫を甘やかすような感じだった。
「そういや、最近神殿内が少しずつ騒がしくなってきてない?」
「ん? レイク知らないの? ユイファシィ様が遠出するからその準備に追われてるんだ。
前からこのことは噂になってたっしょ」
「そういや聞いたような?」
ユイに初めて会ったときに、そのようなことを言っていたと思い出す。
「私たちには関係ない話しだけどさ。
お偉いさんたちは準備に大忙しさ。なにせ十数年に一度の大行事だし。
失敗するわけにはいかない。大きな組織には見栄ってものがあるから」
「大変だねぇ。その点下っ端は気楽でいい」
「だね。
さてと、そろそろ作業に戻ろうか。
皮むきが終ったらマヨネーズ作らないと」
「マヨネーズ減りが早いよ。驚いたわ。あんなにうけるとは思ってなかった」
「食べたことない味だし、不味くもない。それだけで興味を引くには十分だ」
マヨネーズも浴衣と同じように陽平が提案したものだ。こちらはユイのためではなく、単に味が物足りなかったからだ。持ってきた本を見て、自分のために作ったものだが、大うけするとは思ってもいなかった。ついでに作ったタルタルソースもうけていた。
マヨネーズでこれだけの反応だ。メニューになく、調理長も知らなかったカレーもいつか作ってみたいと考えていたりする。そのときの人々の反応を陽平はとても楽しみにしている。
「未知って言っても、うけなかった味もあるけどな」
作ったものはマヨネーズだけではない。味噌と醤油も作っている。米麹は地球から持ちこんだものを使い、一ヶ月ちょいで完成した。
こちらはベルガとレグスンと他数名にしかうけていない。セリもその二つを気に入った一人だ。
四人でふろふき大根をつまみに、持ち込んだ日本酒で月見酒と洒落込んだのは一週間前のことだったりする。ベルガとレグスンが酒の誘いを受けたのは、酔った拍子になにか漏らさないかという考えもあった。そういった背景があってもそれなりに楽しめたらしい。
「万人うけするものなんてそうそうないってことじゃない?」
「そうかもしれないけど、故郷の味が否定されているようで複雑な思いがあるわけですよ」
「それはたしかに複雑だねぇ。でも好きだって言う人もいるからいいじゃないの」
セリはぽんぽんと陽平の肩を叩いて、調理場へと歩き出す。陽平もあとを追う。
このあとは夕食時が終るまで、調理の手伝いをしていた。
以前は作業が終ったあとは、次の作業場を聞くためにレグスンのところへ通っていた。だが最近は調理場のみを手伝うように言われているので聞きに行かなくてもいい。変更があれば、見張り役が伝えるようになっていた。
夕食を終えた陽平は、井戸で体を拭く。いつもならばすぐに部屋に戻るのだが、今日は軟膏を作るために材料となる薬を探すため、明かりを持って庭隅の雑草のあるあたりでしゃがみこむ。
いつもと違う行動をする陽平が怪しく見えた見張りは、近づいてなにをしているのか問う。やましいところのない陽平は正直に目的を話す。
本当に草を探していただけか見抜けなかった見張りは、報告して判断をベルガに委ねた。現場を見ていなかったベルガも判断に迷うところなのだが、報告したことで見張りは仕事をこなしたと判断し、すっかりこのことを忘れた。
報告を受けたベルガは何事もなかった日々に警戒を緩めてもいいと思っていたところに、今回のことだからまだまだ警戒し続けなければならなくなり、ただでさえ忙しい日々に仕事が減らないと溜息を吐くことになる。
溜息を吐かせる原因となった陽平は、材料をみつけ自室に戻っていた。材料などを机の上に並べ、早速作業を始める。
ぱっとみ雑草に見える三種類の草をよく洗い、汚れを落とし魔法で付着している分と草内部の水分を飛ばす。小鍋に米と水を入れ、おかゆのようにして水気をきる。そこに小麦粉を少量入れ、ペースト状になるまでよく潰す。からっからに乾燥した草を細かくちぎり、すり鉢に放り込み、さらに細かくすりつづしていく。あとは粉々になった草とペーストと溶けていないラードをよくまぜて、小瓶に詰めてきっちりとふたを閉め、三日間放置というなの熟成で完成。
作業が終ると、なんとなくいつも寝ている時間帯のような気がした陽平は、魔法で部屋内の気温を少しだけ下げてさっさとベッドにもぐりこむ。
時期は七月の頭、寝苦しい夜を過ごす人もいる中、陽平は快適な睡眠を得ていた。
朝、目が覚めてのんびりと食事をしている陽平。ほとんどの人は朝食を終えていて、食堂にはちらほらとしか人はいない。今日も遅番なので食事時をずらしたのだった。
食堂は二交代制。食堂で働く人は、朝食を作るため早く起きる組と夕飯を作るため日が暮れても働く組を交互にローテーションしていた。遅番は昼前から調理場に入ればいいので、陽平はまだまだゆっくりできる。
食べ終わり、部屋に戻ろうとしている陽平を見張りが呼び止める。用がなければ見張りは話しかけることがないので、なにか用事があるのだとすぐに予想できた。
見張りの伝言に従い、レグスンの部屋へと向かう。
ノックをして返事を聞いてから入る。
「失礼しまーす」
酒宴を開いた頃から、陽平はレグスンに対して遠慮がなくなってきた。
入り口からはレグスンのほかに、机に座って手を動かしているベルガも見える。
「おはよう」
書類から顔を上げレグスンが話しかけてくる。ベルガは忙しそうに書類をさばいていて、顔を上げる気配はない。
「おはようございます。
どうして呼ばれたんですか? もう帰っていいとか?」
「すまないが、まだ駄目だな。
それどころか拘束時期が延びそうだ」
「まじですか?」
「おおまじだ。
おまえさんの評価は微妙に怪しいところと大丈夫そうだというところを行ってんだけど、昨日の軟膏材料探し? あれで怪しいほうへと傾いたんだわ。あれがなければあと二十日くらい見張って解放とか考えていたわけさ」
「本当に草を探してただけなんだけど」
「少しでも怪しいところがあると、こちらとしても対応せざるを得なくてな。
そこで出回りに連れて行くことになった。
「出回り?」
「聞いていると思うが、嬢ちゃんを連れて各地へ挨拶回りすることになってる。それに同行してもらうんだ」
「なんで?」
思わずそう聞いたあと、すぐに理由を推測できた。
やはり怪しいというのが理由なのだろう。それ故に自分たちが留守にしている大神殿にいさせるのは不安がある。陽平自身も怪しい者を塔に置いたまま出かけたくはない。だから挨拶回りという大切な行事にすら同行させ連れ回し、何も出来ないように見張るつもりなのだろう。
気持ちはわかるが、いい加減うざいとも感じでいる陽平。といって逃げ出すと世界中に手配書が回りかねないので、従うしかない。
「怪しい奴を置いておけないということ。
なにかあれば、旅先で斬り捨てて獣か魔物のえさにでもなってもらえばいい」
怪しいという以外に、魔法使いという戦力を確保するためという理由もあるが、そこには陽平は気づいていない。
「ひどいなおい」
陽平の言葉を気にせず続ける。
「んで、連れて行くにあたってどこに配置するか悩んでるわけなんだ。
間近に置いておきたいから、警備兵として連れて行くのが一番。けれど警備を任せられるほどの実力があるか不明。というわけでレイクの力量を見たい。
こちらで用意した相手と模擬戦をやってくれ」
「一応聞いておくけど、魔法有り無し?」
「んー……どうしようか」
「こっちとしては目立ちたくないから、派手なものは使わない気でいるよ。
基本的に自身の動きを速くしたり、威力の小さな攻撃魔法とかを使う」
「じゃあそれでいってもらうか。
相手は」
「私が」
動かしていた手を止めベルガが名乗りを上げる。
「俺が相手しようと思っていたんだけど、まあいいか。
模擬戦は今日の夜で。場所を使う手続きとかあるし。
模擬戦まではいつものように食堂で働いててくれ」
「了解」
部屋から出ようとする陽平に付け加えるように声がかけられる。
「出発は明後日だ。だから明日は仕事はしなくていいように言っておく」
「ずいぶんと急な気がするけど」
「こっちはずっと準備に追われてたから、ようやく出発できるって感じだよ。
そういうわけだから、明日は旅の準備をしてくれ。そのための資金は夜に渡すから」
「わかりました」
今度こそ本当に陽平は部屋を出て行く。
自室に戻った陽平は、仕事の時間まで式符作りに集中していた。
時間がくると机に置いていた軟膏を持って、仕事へと向かった。
早めの昼食をとり、仕事に取り掛かる。昨日と同じく野菜の皮むきをセリとやっていく。
「昨日言ってた軟膏だけど」
「あれね。どうかした? 材料みつからなかったとか?」
「いやいや、一応できた」
「早いな!?」
驚きの声を上げる。思わず動かしていた手も少しの間止まった。
「熟成に三日かかるんだよ。
それで明日から別の場所で働くことになって、会えないかもしれないから持ってきた」
ポケットから小瓶を取り出し、セリへと差し出す。
受け取った小瓶をセリは太陽に透かすように持ち上げる。
「三日間、開けたら駄目。
使うときは指で一掬いを掌に乗せて、手に馴染ませるようにしっかり塗ること。んで小さな蝋燭があるよね? あれが燃え尽きるくらい待って、軟膏を洗い落とす。これを毎日一回。その小瓶で八日間分はある。それ以上だと軟膏が傷んで駄目になるから、もったいぶらずに使うこと。
注意点はこれだけ」
「わかった。ありがと。
でも異動かぁ。もう一緒に働けないのか、残念だね。
どこに行くのさ?」
「警備の手伝いだとか」
「大丈夫なの? 強そうには見えないよ。ここで働き続けられるように言ったほうがいいんじゃない?」
「まあ、貧弱ってわけでもないし。それに警備じゃなくて、その手伝い。なんとかなるよ」
「無理はしないようにね」
「ありがとう」
本当に心配してくれているのがわかるので、きちんと礼を言う。
「また酒宴しよう。美味しいお酒楽しみにしてる」
「あれは友達のお土産用に買ったから、あまり減らしたくないんだけどね」
「けちけちしないの。また買えばいいっしょ」
買えないということは心に秘めて、陽平はもう一本くらいならいいかと考えつつ、野菜の皮をむき続ける。
今日の仕事を終え、夕飯も終えて自室でのんびりしているとベルガが模擬戦を行うため呼びにきた。
式符を入れた隠しポケットをつけたベストを羽織り、ベルガに連れられ今まで行ったことのない修練場へと向かう。
雨天でも使えるように天井と壁に囲まれた、体育館のような修練場へと足を踏み入れる。広さは体育館より少し狭いといったところ。魔法で灯された明かりの室内にはレグスンとベルガと陽平のほかには誰もいない。
「来たな。さっさと始めよう。長くは貸し切ることができなかったんだ。
ベルガは木刀を使うように。レイクはどうする?」
「一応、木刀使う」
返事を聞きレグスンは二人に木刀を渡す。ベルガはいつも腰に佩いている剣をレグスンに渡す。
陽平は魔法の式符を数枚出して左手の指にはさむ。右手には木刀を持つ。
ベルガはだらりと両手を下げ、左足を前に出した状態で構えとしている。木刀は右手だ。
両者の距離は三m弱。
「やりすぎないように。注意事項はそれだけだ。
始めっ!」
レグスンの宣言と同時に、ベルガが踏み出し木刀を斜めに振り上げる。それは当たることなく空振りに終る。陽平が初撃でやられることを警戒し、後ろに下がっていたからだ。
陽平は下がりながら、全身の強化魔法を使う。そしてすぐに木刀を顔の前に持ってくる。
ガァンっと修練場に鈍い音が響く。
ベルガが振り上げた木刀を袈裟切りに振り下ろしたのだ。両手で持ち勢いのつけられた斬撃は、強化された腕でも重く押され気味となっていた。歯を食いしばって力負けしないように耐えているため、魔法は使えない。ほかのことに気を回すと押し切られるのだ。
そのときベルガがふっと力を抜いて、陽平は前のめりになる。
陽平は腹に鈍い衝撃を感じる。隙をついて腹に一撃見舞われた。強化しているおかげでそのままの衝撃をうけずにすんだが、それでも痛いことには変わらない。
そのことに気をとられていると今度は肩に衝撃をうける。
ここからは一方的な展開となった。陽平が滅多打ちにされた。魔法を使う暇もほとんどなかった。
勘が鈍らないようにしていたとはいえ、平和な日本での生活はどうしても陽平の勘を鈍らせてしまっていた。
この模擬戦はレグスンたちが陽平の実力を見るためのものだが、陽平にとっても利益のあるものとなった。体の動かし方から、周囲への警戒、気配の察し方などなど記憶の底に埋もれていたことを思い出せたからだ。五十年前と同等まではいかないが、それはおいおい取り戻していくだろう。
この模擬戦は終始一方的だったのはかわらないが、始めと終わりでは違いが出ていた。
肉と骨を打つ音だけだったのが、最初に響いた木刀と木刀が打ち合う音が混じり始めた。
陽平が攻撃を防ぐようになっていたからだ。致命傷となりえそうなものを中心に、なんとか木刀で受けられるようになっていた。
最終的に一回のみ、効果的ではなかったものの反撃もできた。当たるようにとショットガンのように氷の欠片を飛ばしたのだが、それを察したベルガは横っ飛びに避け、避けきれないものはほとんどを木刀で弾き落とした。当たったものは飛ばした一割にも満たず、鎧に弾かれたいしたダメージを与えることはできなかった。
「そこまで!」
きりがいいと判断したレグスンが止める。
散々打たれてぼろぼろな陽平はその場に座り込み、すぐに魔法で治療を始める。
袖をまくると痣があちこちにあり、服の下はどこもそんな感じなのだろう。
「いったたぁ。強化してなかったら骨折れてたんじゃないかこれ?」
骨が折れていないのは強化されていただけではなく、まして運が良かったからでもない。ベルガが実際に打ち据えた感触から、どれくらいまでならば大丈夫かと見極めていたからだ。
きちんと手加減したのかと疑っている陽平の考えに反して、ベルガは立派に手加減していた。仕事を増やしてくれた陽平を打ち据えてストレスを発散するために、ギリギリを見極めて木刀を振るい続けはしたが。そのおかげかどことなくすっきりしたようにも見える。
「やはり魔法使いは異常だ」
治療光景を見て、ベルガが呟く。
「なんでさ?」
「自然治癒に任せると時間がかかりそうな怪我でも、短時間で治すことができるからだ」
「打ち据えた人間の言うセリフじゃないな。
まあ、言われてみれば異常だとは自分でも思うけど」
今まで大きな怪我は即魔法で治癒してきたので、早い回復時間に慣れていた。
「それで警備として配属とかいう話はどうなった?
滅多打ちにされて実力は高くないと判明したわけだけど、雑用にでもして連れて行く?」
「滅多打ちにされるのは予想できていたよ。その中でどれだけ動けるか知りたかったわけだ。
だいだいベルガはここらで一番の腕前だと言っておいただろう? レイクが勝てるとか思っていないよ。それにお前さんの本分は剣士ではなく魔法使い、遠距離から大火力で攻める、これが魔法使いの基本スタイルだろうに。戦い方が違う状態で勝たれたら、こっちの立場がない。
それでどうするかだけどな、俺は警備として連れて行くでいいと思う。ベルガはどうだ?」
魔法を使ったとはいえ、ここまで粘り、反撃もしたことは評価に値するのだろう。
それはベルガも同意見のようだ。
「私もそれでかまいません」
「うん。というわけで警備で決まりだ」
「了解」
面倒そうだとは思いつつも、了承だと頷く。
こうして陽平の新たな仕事が決まった。これが終る頃には帰れるといいな、と心の底から思っていて仕事にかける情熱は低めだったりする。
22へ
「さすがに雑用二ヶ月以上もしていれば、できるようになるよね」
「なに言ってんの?」
近くで一緒に人参の皮をむいている陽平と同じくらいの年齢の女が、不思議そうな顔をして聞く。
作業に慣れているのか、手元を見ないでも器用にシュルシュルと綺麗にむいていく。
陽平よりも少しだけ早く調理場に働きにきたようで、よく同じ作業を任されるので、雑談できる程度には仲良くなった。
「ちょっと独り言をね」
「集中力がきれたんだ?
うんうん、ずっと野菜の皮むきばかりしてるもんねぇ。いい加減飽きるわな、よくわかるわ」
「そうじゃなくて、考え事してたら思わず漏れ出たってとこか。まあこうやって話してたら集中力もきれたけど」
「ちょっと休憩する?」
集中力がきれたのは女も同じようだ。
「そうしようか。いまやってる分を終えたら」
すぐに皮をむき終え、木桶に入れる。その木桶を調理場にいる調理担当に渡し、休憩に入ると告げる。
むわっとした空気が逃げるように空き地に出る。ずっと座りっぱなしで強張っていた背中をそらすと、骨の鳴る音がした。
同じ体勢でいつづけるのも辛いが、調理場の中の暑さも辛いものがある。どちらがましかと聞かれれば陽平は皮むきと答える。夏場に火を使う場所にいるよりは、風通りのよい日陰の場所で作業するほうがいいに決まっていた。
「手がふやふやだよ。ずっと水場にいるのも手荒れの一因だね」
「セリもそういうのやっぱ気になるんだねぇ」
「女らしくないって言いたいのかい?」
迫力のある笑みで陽平を見る。
「ごめんなさい。
おわびに肌荒れに効く薬草で、軟膏作るよー」
「うむうむ、それで勘弁してやろう」
セリは本気で怒っていたわけではないし、陽平もそれはわかっていたので、互いにプッとふきだし笑いあう。
「それで本当に作れるの?」
「大丈夫。しばらく作ってなかったけど、作ったことはあるから」
家事をほぼ任せっぱなしにしていたエストに作ってあげていたのだ。作り方は書庫で必要な資料を探しているときたまたま見たことがあった。それを覚えていた陽平は、もう一度探し出し本に従い作ったのだった。材料は塔周辺に生えている草で十分だった。
おそらくルチアがオーエンの美容のことを考えて、それ関連の本を置いていたのだろう。しかし埃を被っていたので、一度くらいしか読まれなかったようだ。復讐に関係ないと放置したのだろう。
オーエンがいらないと判断したものを活用したのが陽平だった。
なんとか記憶の底から掘り出し、作れると判断する。軟膏はエストのみならず、ニニルにも評価されたので効果はたしかにあるのだろう。
「期待してる」
「了解。といってもすぐにはできないけど」
「まあ、それはわかる。どれくらいかかる?」
「そうだねぇ……材料集めの含めなければ三日くらい?」
「結構早いと思うけどね。もっとかかると思ってたよ」
それは製作過程で魔法を使うからだ。魔法を使わず進めるともっと時間がかかる。こんなところで陽平は魔法は便利だなぁと実感している。
「材料が全部外庭で揃えばいいんだけどね。なかったら中庭に行かせてもわないと」
「無理じゃない? 中庭ってユイファシィ様専用だし、私ら下っ端なんかが入れるようなところじゃないよ。
入ったらどんな罰が待ってるか、想像しただけで怖い怖い」
すでに侵入した身としては笑えない話だ。
「ま、まあそこらに生えてる草だったから外庭でそろうと思うけどねー」
なければユイに頼むかなと考えている。ベルガの代わりについた見張りに伝言を頼めば大丈夫だろう。
ユイが偉いと陽平はわかっているが、その偉さにいまいち実感がない。最初会ったときと同じように孫のような感じで接している。ユイが嫌がれば態度を改めるのだが、今のところはそんな気配がないので、このままでいいかと考えていた。
浴衣を贈ったのも、孫を甘やかすような感じだった。
「そういや、最近神殿内が少しずつ騒がしくなってきてない?」
「ん? レイク知らないの? ユイファシィ様が遠出するからその準備に追われてるんだ。
前からこのことは噂になってたっしょ」
「そういや聞いたような?」
ユイに初めて会ったときに、そのようなことを言っていたと思い出す。
「私たちには関係ない話しだけどさ。
お偉いさんたちは準備に大忙しさ。なにせ十数年に一度の大行事だし。
失敗するわけにはいかない。大きな組織には見栄ってものがあるから」
「大変だねぇ。その点下っ端は気楽でいい」
「だね。
さてと、そろそろ作業に戻ろうか。
皮むきが終ったらマヨネーズ作らないと」
「マヨネーズ減りが早いよ。驚いたわ。あんなにうけるとは思ってなかった」
「食べたことない味だし、不味くもない。それだけで興味を引くには十分だ」
マヨネーズも浴衣と同じように陽平が提案したものだ。こちらはユイのためではなく、単に味が物足りなかったからだ。持ってきた本を見て、自分のために作ったものだが、大うけするとは思ってもいなかった。ついでに作ったタルタルソースもうけていた。
マヨネーズでこれだけの反応だ。メニューになく、調理長も知らなかったカレーもいつか作ってみたいと考えていたりする。そのときの人々の反応を陽平はとても楽しみにしている。
「未知って言っても、うけなかった味もあるけどな」
作ったものはマヨネーズだけではない。味噌と醤油も作っている。米麹は地球から持ちこんだものを使い、一ヶ月ちょいで完成した。
こちらはベルガとレグスンと他数名にしかうけていない。セリもその二つを気に入った一人だ。
四人でふろふき大根をつまみに、持ち込んだ日本酒で月見酒と洒落込んだのは一週間前のことだったりする。ベルガとレグスンが酒の誘いを受けたのは、酔った拍子になにか漏らさないかという考えもあった。そういった背景があってもそれなりに楽しめたらしい。
「万人うけするものなんてそうそうないってことじゃない?」
「そうかもしれないけど、故郷の味が否定されているようで複雑な思いがあるわけですよ」
「それはたしかに複雑だねぇ。でも好きだって言う人もいるからいいじゃないの」
セリはぽんぽんと陽平の肩を叩いて、調理場へと歩き出す。陽平もあとを追う。
このあとは夕食時が終るまで、調理の手伝いをしていた。
以前は作業が終ったあとは、次の作業場を聞くためにレグスンのところへ通っていた。だが最近は調理場のみを手伝うように言われているので聞きに行かなくてもいい。変更があれば、見張り役が伝えるようになっていた。
夕食を終えた陽平は、井戸で体を拭く。いつもならばすぐに部屋に戻るのだが、今日は軟膏を作るために材料となる薬を探すため、明かりを持って庭隅の雑草のあるあたりでしゃがみこむ。
いつもと違う行動をする陽平が怪しく見えた見張りは、近づいてなにをしているのか問う。やましいところのない陽平は正直に目的を話す。
本当に草を探していただけか見抜けなかった見張りは、報告して判断をベルガに委ねた。現場を見ていなかったベルガも判断に迷うところなのだが、報告したことで見張りは仕事をこなしたと判断し、すっかりこのことを忘れた。
報告を受けたベルガは何事もなかった日々に警戒を緩めてもいいと思っていたところに、今回のことだからまだまだ警戒し続けなければならなくなり、ただでさえ忙しい日々に仕事が減らないと溜息を吐くことになる。
溜息を吐かせる原因となった陽平は、材料をみつけ自室に戻っていた。材料などを机の上に並べ、早速作業を始める。
ぱっとみ雑草に見える三種類の草をよく洗い、汚れを落とし魔法で付着している分と草内部の水分を飛ばす。小鍋に米と水を入れ、おかゆのようにして水気をきる。そこに小麦粉を少量入れ、ペースト状になるまでよく潰す。からっからに乾燥した草を細かくちぎり、すり鉢に放り込み、さらに細かくすりつづしていく。あとは粉々になった草とペーストと溶けていないラードをよくまぜて、小瓶に詰めてきっちりとふたを閉め、三日間放置というなの熟成で完成。
作業が終ると、なんとなくいつも寝ている時間帯のような気がした陽平は、魔法で部屋内の気温を少しだけ下げてさっさとベッドにもぐりこむ。
時期は七月の頭、寝苦しい夜を過ごす人もいる中、陽平は快適な睡眠を得ていた。
朝、目が覚めてのんびりと食事をしている陽平。ほとんどの人は朝食を終えていて、食堂にはちらほらとしか人はいない。今日も遅番なので食事時をずらしたのだった。
食堂は二交代制。食堂で働く人は、朝食を作るため早く起きる組と夕飯を作るため日が暮れても働く組を交互にローテーションしていた。遅番は昼前から調理場に入ればいいので、陽平はまだまだゆっくりできる。
食べ終わり、部屋に戻ろうとしている陽平を見張りが呼び止める。用がなければ見張りは話しかけることがないので、なにか用事があるのだとすぐに予想できた。
見張りの伝言に従い、レグスンの部屋へと向かう。
ノックをして返事を聞いてから入る。
「失礼しまーす」
酒宴を開いた頃から、陽平はレグスンに対して遠慮がなくなってきた。
入り口からはレグスンのほかに、机に座って手を動かしているベルガも見える。
「おはよう」
書類から顔を上げレグスンが話しかけてくる。ベルガは忙しそうに書類をさばいていて、顔を上げる気配はない。
「おはようございます。
どうして呼ばれたんですか? もう帰っていいとか?」
「すまないが、まだ駄目だな。
それどころか拘束時期が延びそうだ」
「まじですか?」
「おおまじだ。
おまえさんの評価は微妙に怪しいところと大丈夫そうだというところを行ってんだけど、昨日の軟膏材料探し? あれで怪しいほうへと傾いたんだわ。あれがなければあと二十日くらい見張って解放とか考えていたわけさ」
「本当に草を探してただけなんだけど」
「少しでも怪しいところがあると、こちらとしても対応せざるを得なくてな。
そこで出回りに連れて行くことになった。
「出回り?」
「聞いていると思うが、嬢ちゃんを連れて各地へ挨拶回りすることになってる。それに同行してもらうんだ」
「なんで?」
思わずそう聞いたあと、すぐに理由を推測できた。
やはり怪しいというのが理由なのだろう。それ故に自分たちが留守にしている大神殿にいさせるのは不安がある。陽平自身も怪しい者を塔に置いたまま出かけたくはない。だから挨拶回りという大切な行事にすら同行させ連れ回し、何も出来ないように見張るつもりなのだろう。
気持ちはわかるが、いい加減うざいとも感じでいる陽平。といって逃げ出すと世界中に手配書が回りかねないので、従うしかない。
「怪しい奴を置いておけないということ。
なにかあれば、旅先で斬り捨てて獣か魔物のえさにでもなってもらえばいい」
怪しいという以外に、魔法使いという戦力を確保するためという理由もあるが、そこには陽平は気づいていない。
「ひどいなおい」
陽平の言葉を気にせず続ける。
「んで、連れて行くにあたってどこに配置するか悩んでるわけなんだ。
間近に置いておきたいから、警備兵として連れて行くのが一番。けれど警備を任せられるほどの実力があるか不明。というわけでレイクの力量を見たい。
こちらで用意した相手と模擬戦をやってくれ」
「一応聞いておくけど、魔法有り無し?」
「んー……どうしようか」
「こっちとしては目立ちたくないから、派手なものは使わない気でいるよ。
基本的に自身の動きを速くしたり、威力の小さな攻撃魔法とかを使う」
「じゃあそれでいってもらうか。
相手は」
「私が」
動かしていた手を止めベルガが名乗りを上げる。
「俺が相手しようと思っていたんだけど、まあいいか。
模擬戦は今日の夜で。場所を使う手続きとかあるし。
模擬戦まではいつものように食堂で働いててくれ」
「了解」
部屋から出ようとする陽平に付け加えるように声がかけられる。
「出発は明後日だ。だから明日は仕事はしなくていいように言っておく」
「ずいぶんと急な気がするけど」
「こっちはずっと準備に追われてたから、ようやく出発できるって感じだよ。
そういうわけだから、明日は旅の準備をしてくれ。そのための資金は夜に渡すから」
「わかりました」
今度こそ本当に陽平は部屋を出て行く。
自室に戻った陽平は、仕事の時間まで式符作りに集中していた。
時間がくると机に置いていた軟膏を持って、仕事へと向かった。
早めの昼食をとり、仕事に取り掛かる。昨日と同じく野菜の皮むきをセリとやっていく。
「昨日言ってた軟膏だけど」
「あれね。どうかした? 材料みつからなかったとか?」
「いやいや、一応できた」
「早いな!?」
驚きの声を上げる。思わず動かしていた手も少しの間止まった。
「熟成に三日かかるんだよ。
それで明日から別の場所で働くことになって、会えないかもしれないから持ってきた」
ポケットから小瓶を取り出し、セリへと差し出す。
受け取った小瓶をセリは太陽に透かすように持ち上げる。
「三日間、開けたら駄目。
使うときは指で一掬いを掌に乗せて、手に馴染ませるようにしっかり塗ること。んで小さな蝋燭があるよね? あれが燃え尽きるくらい待って、軟膏を洗い落とす。これを毎日一回。その小瓶で八日間分はある。それ以上だと軟膏が傷んで駄目になるから、もったいぶらずに使うこと。
注意点はこれだけ」
「わかった。ありがと。
でも異動かぁ。もう一緒に働けないのか、残念だね。
どこに行くのさ?」
「警備の手伝いだとか」
「大丈夫なの? 強そうには見えないよ。ここで働き続けられるように言ったほうがいいんじゃない?」
「まあ、貧弱ってわけでもないし。それに警備じゃなくて、その手伝い。なんとかなるよ」
「無理はしないようにね」
「ありがとう」
本当に心配してくれているのがわかるので、きちんと礼を言う。
「また酒宴しよう。美味しいお酒楽しみにしてる」
「あれは友達のお土産用に買ったから、あまり減らしたくないんだけどね」
「けちけちしないの。また買えばいいっしょ」
買えないということは心に秘めて、陽平はもう一本くらいならいいかと考えつつ、野菜の皮をむき続ける。
今日の仕事を終え、夕飯も終えて自室でのんびりしているとベルガが模擬戦を行うため呼びにきた。
式符を入れた隠しポケットをつけたベストを羽織り、ベルガに連れられ今まで行ったことのない修練場へと向かう。
雨天でも使えるように天井と壁に囲まれた、体育館のような修練場へと足を踏み入れる。広さは体育館より少し狭いといったところ。魔法で灯された明かりの室内にはレグスンとベルガと陽平のほかには誰もいない。
「来たな。さっさと始めよう。長くは貸し切ることができなかったんだ。
ベルガは木刀を使うように。レイクはどうする?」
「一応、木刀使う」
返事を聞きレグスンは二人に木刀を渡す。ベルガはいつも腰に佩いている剣をレグスンに渡す。
陽平は魔法の式符を数枚出して左手の指にはさむ。右手には木刀を持つ。
ベルガはだらりと両手を下げ、左足を前に出した状態で構えとしている。木刀は右手だ。
両者の距離は三m弱。
「やりすぎないように。注意事項はそれだけだ。
始めっ!」
レグスンの宣言と同時に、ベルガが踏み出し木刀を斜めに振り上げる。それは当たることなく空振りに終る。陽平が初撃でやられることを警戒し、後ろに下がっていたからだ。
陽平は下がりながら、全身の強化魔法を使う。そしてすぐに木刀を顔の前に持ってくる。
ガァンっと修練場に鈍い音が響く。
ベルガが振り上げた木刀を袈裟切りに振り下ろしたのだ。両手で持ち勢いのつけられた斬撃は、強化された腕でも重く押され気味となっていた。歯を食いしばって力負けしないように耐えているため、魔法は使えない。ほかのことに気を回すと押し切られるのだ。
そのときベルガがふっと力を抜いて、陽平は前のめりになる。
陽平は腹に鈍い衝撃を感じる。隙をついて腹に一撃見舞われた。強化しているおかげでそのままの衝撃をうけずにすんだが、それでも痛いことには変わらない。
そのことに気をとられていると今度は肩に衝撃をうける。
ここからは一方的な展開となった。陽平が滅多打ちにされた。魔法を使う暇もほとんどなかった。
勘が鈍らないようにしていたとはいえ、平和な日本での生活はどうしても陽平の勘を鈍らせてしまっていた。
この模擬戦はレグスンたちが陽平の実力を見るためのものだが、陽平にとっても利益のあるものとなった。体の動かし方から、周囲への警戒、気配の察し方などなど記憶の底に埋もれていたことを思い出せたからだ。五十年前と同等まではいかないが、それはおいおい取り戻していくだろう。
この模擬戦は終始一方的だったのはかわらないが、始めと終わりでは違いが出ていた。
肉と骨を打つ音だけだったのが、最初に響いた木刀と木刀が打ち合う音が混じり始めた。
陽平が攻撃を防ぐようになっていたからだ。致命傷となりえそうなものを中心に、なんとか木刀で受けられるようになっていた。
最終的に一回のみ、効果的ではなかったものの反撃もできた。当たるようにとショットガンのように氷の欠片を飛ばしたのだが、それを察したベルガは横っ飛びに避け、避けきれないものはほとんどを木刀で弾き落とした。当たったものは飛ばした一割にも満たず、鎧に弾かれたいしたダメージを与えることはできなかった。
「そこまで!」
きりがいいと判断したレグスンが止める。
散々打たれてぼろぼろな陽平はその場に座り込み、すぐに魔法で治療を始める。
袖をまくると痣があちこちにあり、服の下はどこもそんな感じなのだろう。
「いったたぁ。強化してなかったら骨折れてたんじゃないかこれ?」
骨が折れていないのは強化されていただけではなく、まして運が良かったからでもない。ベルガが実際に打ち据えた感触から、どれくらいまでならば大丈夫かと見極めていたからだ。
きちんと手加減したのかと疑っている陽平の考えに反して、ベルガは立派に手加減していた。仕事を増やしてくれた陽平を打ち据えてストレスを発散するために、ギリギリを見極めて木刀を振るい続けはしたが。そのおかげかどことなくすっきりしたようにも見える。
「やはり魔法使いは異常だ」
治療光景を見て、ベルガが呟く。
「なんでさ?」
「自然治癒に任せると時間がかかりそうな怪我でも、短時間で治すことができるからだ」
「打ち据えた人間の言うセリフじゃないな。
まあ、言われてみれば異常だとは自分でも思うけど」
今まで大きな怪我は即魔法で治癒してきたので、早い回復時間に慣れていた。
「それで警備として配属とかいう話はどうなった?
滅多打ちにされて実力は高くないと判明したわけだけど、雑用にでもして連れて行く?」
「滅多打ちにされるのは予想できていたよ。その中でどれだけ動けるか知りたかったわけだ。
だいだいベルガはここらで一番の腕前だと言っておいただろう? レイクが勝てるとか思っていないよ。それにお前さんの本分は剣士ではなく魔法使い、遠距離から大火力で攻める、これが魔法使いの基本スタイルだろうに。戦い方が違う状態で勝たれたら、こっちの立場がない。
それでどうするかだけどな、俺は警備として連れて行くでいいと思う。ベルガはどうだ?」
魔法を使ったとはいえ、ここまで粘り、反撃もしたことは評価に値するのだろう。
それはベルガも同意見のようだ。
「私もそれでかまいません」
「うん。というわけで警備で決まりだ」
「了解」
面倒そうだとは思いつつも、了承だと頷く。
こうして陽平の新たな仕事が決まった。これが終る頃には帰れるといいな、と心の底から思っていて仕事にかける情熱は低めだったりする。
22へ
2009年03月06日
感謝の4
感想、ウェブ拍手ありがとうございます。
》時間について
皆さんの予想であってます。
》ディオさん
科学技術の差は広いです。でもその代わりに地球にはない魔法技術がありますから、文明的には中世以降現代に届かないくらいかな?
本は紙製のものを持っていっています。
私は紙って数十年先でもまだまだ現役で使われそうだと思ってます。材質は変わっているかもしれませんけど。
でも気楽に見られるホログラムとかもできてほしい。マンガとかにあるホログラムキーボードとか扱ってみたいです。
ソードワールドリプレイ新刊を買いました。
相変わらず面白い。
パジャリガーの口上時は特撮系のBGMが頭の中で流れてました。
キャラのステータス見て思ったんですが、ソーサラーとファイターが同レベルでパーティーを組んでいることに違和感を感じます。旧版だと成長遅かったからなぁソーサラー。
樹の世界へ20,5
今、陽平は与えられた休日をどう過ごそうかと自室で考えている。
大神殿に侵入して十日にして初めて与えられた休日だ。少し疲れが溜まっているように感じられて、のんびりすごそうか、それとも神殿外に出てみようか、と悩んでいた。
時刻は体感でおよそ八時すぎ。
「よし!」
予定を決めたのか、動き出す。式符を取り出し、魔法を使う。目には見えないが、風の渦が天井付近に現れ扇風機と同じ働きをしている。
それを確認した陽平はベッドへと向かう。そのままベッドに倒れこんだ。とりあえず二度寝することにしたらしい。
季節は初夏。屋外では眩しい夏の陽光が地上を照らす。気温が上昇し始めているが、光を遮る部屋の中にはひんやりとした空気がまだ残り、風の動きと相まってとても過ごしやすくなっている。
ベッドに横になり五分ほどで寝息が聞こえ出した。
陽平がそんな贅沢なひとときを過ごしている一方で、ベルガは陽平の見張りを部下に任せレグスンの元へと来ていた。
「失礼します」
「はいよ」
返事を聞き部屋へと入る。ソファーに座り正装を着くずしくつろぐレグスンがいる。
「レイクの見張りはどうした?」
「部下を部屋前に立たせています。部屋から出ないようにと、伝えるよう言ってきました」
「ご苦労さん。それじゃ報告を聞こうか」
「この十日間、怪しいところは見せていません。必要以上に内部を探るといった様子もありません。
神殿外の者が接触するといったところもなく、連絡を取るといった様子もありません。外庭の雑草抜きの際に一時的に離れて、接触しやすい状況を作っても誰も近づくことはありませんでした」
「怪しいところなしか」
彼らは陽平への警戒を緩めていなかった。様子を見て、怪しい行動をとれば即斬って捨てるつもりだった。今度はユイの制止があっても実行する心積もりだったのだ。
「明日からは警戒をもう少し緩めて様子見だな。油断して接触するかもしれんし、レイク自身がボロを出すかもしれん。
それと手紙を届けに行った者もそろそろ返ってくるな」
「あと四五日といったところだと」
陽平が事情を説明するために出した手紙のことを言っている。
神殿から出る許可が出ずに手紙を出せない陽平のかわりに、レグスンが手続きを申し出たのだが、それを業者に出さず神殿関係者が直接住所まで持っていっている。もちろん陽平の背後関係を調べるためだ。
その思惑からやや外れるように陽平は塔へではなく、ウェンカース家へと手紙を出した。ミリィに手紙を持っていってもらうためだ。塔にだしても業者には場所がわからないし、結界に弾かれ入ることすらできないからだ。その点、ミリィは根晶を持っているので出入り自由、幾度も泊まりにきている。
調査に出た神殿関係者は、なにからなにまで調べることは不可能だということになる。
実際はそれ以前の問題なのだが、それを誰も予想できない。無駄になる報告を二人は待っている。
数日して、予定よりも少し遅れて帰ってきた神殿関係者の報告で、陽平への警戒は下げられることなく一定レベルで維持されることになる。
手紙を運んだ者は届けることができなかったのだ。それは町の位置がわからないということではなく、町そのものがなかったからだ。少し離れた場所にあるシュイタスでラングシィという町がないか情報を集めたが、誰も聞いたことがないと首を横に振るばかりだった。
この報告を受けた二人は、陽平がこちらの思惑を見抜き自分の情報を漏らさぬよう嘘の住居情報を教えたと思い込む。しかしそれは何度も陽平が同じ場所へと手紙を出すことから、警戒から疑問へと変わっていく。手紙の内容は適当ではなくしっかりとしたもので、暗号めいたものもなく、意味なく出すには少し不自然なのだ。まるで普通に元気だと知らせているみたいだと二人は考える。実際、その通りなのだが。疑いすぎて空回っていることに二人が気づけるのはいつだろうか。
陽平としては静けさに戦々恐々としていた。返事の一つもくると思っていたのだが、まったくそれらしいことはない。もしかするとこちらに向かってきているのかとも考えたが、いくら待ってもこない。
この短期間でなんらかの心境の変化があり、独り立ちできたのかなと少しの寂しさを感じながらも、エストの成長を喜んでいた。
「手紙に関すること次第でも対応は変わってきますね」
「あの子が懐いているから、悪い奴ではないんだろうけどなぁ」
「ですが、人質を取られて命令されている可能性もあります。
その場合は、ユイファシィ様の判断も疑わなければならないことは以前経験しました」
「わかってる。だから詳しい背景を探っているんだ」
ユイには人を見る目がある。それは大樹の使者なのか、ユイ個人に由来するのか、わからない。けれど確かなものだとは二人ともわかっている。二人が要注意人物と見なしている神殿関係者にユイはあまり近づかないのだから。
しかしベルガの言ったように、その人の性根がよくても弱みを握られ動かされいる場合には、見る目のよさは無関係となるのだった。それはユイがその人の背景と関係なく、人格を見ているからだ。
以前あったことでは、もう少しで内部情報が漏れ出しそうになるという危ないことになっていた。すんでのところで神殿暗部の行動で食い止められた。そのときからユイの人の見る目を無条件に信じないようにすると決められている。
「様子見と手紙の件で怪しいところがなかった場合に警戒は最小限に抑える、でいいな?」
「はい。私には反論はありません」
「ではこの話はこれで仕舞いだ。
正直、レイクにばかりかまけているわけにはいかないしな。もっと厄介な奴とかいるからなぁ。なんであそこまで権力にこだわるのか。
まあいいや、あとはこの書類を片付けていってくれ。なるべく仕事は出さないように調整してはいるんだけど、さすがに全部なくすなんてことはできなくてな」
「いえこれだけに抑えてもらえてありがたいくらいです」
常日頃こなしている事務に比べると厚みのない書類をベルガは渡される。
レグスンに許可をもらい予備の机で、書類をさばき始める。出来上がった書類を提出する相手はレグスンなのだ。わざわざほかの場所に移動して仕事をこなす意味はなかった。
陽平が寝始め一時間ほどすると、扉がノックされた。
熟睡している陽平はその音では起きない。もう一度強めにノックされるも、起きない。さらに繰り返されたが、陽平が反応することはなかった。
扉が開かれる。ノックをしていた者は部屋の前にいる兵に聞いて、陽平がいると確信していたのだろう。
「レイクさん、あっそぼー」
大きな声を出し、ユイが部屋に入ってくる。
「うあ?」
元気に声をかけられればさすがに陽平も目を覚ます。寝ぼけた目で声の聞こえた方向を見る。
「ユイ?」
「まだ寝てたの?」
「……二度寝だよ。少し疲れてたから、午前はゆっくり過ごして、午後から動こうと」
「そうなんだ。起こしちゃったね、ごめんなさい」
意気消沈した顔でユイは頭を下げる。
「気にしなくていいよ。疲れはとれたし」
ぐぐっと背筋を伸ばし眠気をとる。
「それで何しにきたの?」
「暇だから相手してもらおうと思って」
「用事は? いつも忙しそうなのに」
仕事を始めてから陽平とユイは一度も会っていない。世話役らしい人と一緒にどこからへと出かけるユイを幾度か見た程度だ。
陽平も仕事で朝から夕方まで動いているので時間の都合がつかず、あまり神殿内を動き回ることもできずにいたので会うことはできなかった。
「今日は夜の食事会だけ! 午前午後は自由時間なんだよ」
「そっか。いつもご苦労さん」
「ほんとに疲れるよ。礼儀作法とか細かいし、話してる内容が専門的で理解できないこともあるし。
でもここにきたばかりの頃に比べると、だいぶましになってるかなぁ」
「もっと時間かければ、わかるようになるんだろうね」
「たぶん。そんな気はする。
レイクさんはこの十日間どんなことしてたの?」
「俺は基本雑用だな。食堂で食材の皮をむいたり、料理作ったり、掃除を手伝ったり、外庭の雑草抜いたり、神殿内でできる雑用していたよ。
あ、学者の話し相手もしたっけな。俺の持っていた本について聞かれたんだよ。なんて書かれているのか、どんな材質を使ってこの本を作ったのかとかね」
「神殿にある本よりも上質だし、気になるんだろうね」
ユイが学者に持っていた本は地球各地の神話を集めたもので、この世界では御伽噺でしかないもの。
学者達にはフィクションの小説だと説明し、いくつか内容を話し、そのことを納得してもらった。その後、植物を使い作る紙を陽平の知る範囲で説明していった。
こちらの紙も植物製だが、いろんな植物が混ざり作りが粗く羊皮紙に近い感触となっている。陽平から説明を聞いた日から学者たちは、もっと上質な紙を作ろうと楽しそうに日々奮闘している。
「言うことは言ったし、あとは学者たちの頑張り次第さね。
さてと相手しろって言われたわけだけど、何をすればいいんだろうね」
「んー……特に思いつかないかな。部屋の中で話すだけってのもちょっともったいない気がする。
でもこの部屋から出るのも、もったいないかな」
そう言って天井から吹く風を涼しげな表情で受けている。
こちらに扇風機などないが、魔法使いだから、この一言で不思議なことは納得できるのだ。
「レイクさんは午後から何しようと思っていたの?」
「許可が出たら神殿の外に出てみようと思っていたよ。
ユーフィアンは世界で一番大きな都市だって本で読んだことあったから、一度は見てみたい」
「私も馬車からしか見たことないけど人がたくさんいるよ。
そっかぁ外に出るんだ、いいなぁ。
私も出てみたいんだけどね。さすがに出たらまずいし」
ユーフィアンでは幾度も顔を晒しているのだ。住人ならば一発でユイのことを大樹の使者だとわかる。変装しても、半端なものならば意味はない。かといってユイは高度な変装術を身につけていない。
大樹の使者が不用意に街中に姿を現せば、大混乱が起きることは簡単に想像できる。ユイもなんとなくそれを予想できているので、抜け道は知っていても出ることはしないのだ。
それを聞いてなにかを考え、陽平は腕を組む。
「早めに許可を貰いに行こっかね。ついてくる?」
「うん。外に出たらお土産よろしくね」
「了解」
二人揃って部屋を出る。すぐに見張り役の兵に止められた。
「戻ってください」
「どうしてさ?」
「副隊長から、私が戻るまで待機させておけ、と命令が出ているんです」
「その副隊長に会いに行くってことで見逃してくれない?」
「ちょっと無理ですかね」
「私からもお願い」
ユイが両手を合わせ、兵に頼む。こうなると兵では断ることができない。
大樹の使者に直接声をかけられたことに感動しつつも、必死にどうすればいいか考え、どこにも寄り道せず副隊長のいる場所へ付き添い移動することにした。それでも見張りという役目は果たせると考えたのだ。
事実、陽平を連れてきたことをベルガは咎めようとしたが、ユイが近くにいることで事情を察して咎めることはなかった。
「なんのようできたんだい?」
ベルガに聞こうと思っていたが、レグスンさんがいるならそっちのほうが適任だと考え、陽平は外出許可をレグスンへと申し出る。
理由を聞かれると、ユイに話したことと同じ理由を話す。
レグスンは外にでると誰か接触するかもしれない、と考えベルガを共にすることを条件に許可を出した。
「ついでにお金貸してください」
「金?」
「ええ、文無しなんですよ」
地球のお金は悪戯に使ったし、こちらのお金は地球へと持っていっていない。
神殿にいるかぎりは、宿泊費用も食事も無料で今までお金を使うようなことはなく、なにも問題なかった。しかし今日は使う予定があるのでお金を手に入れる必要がある。
「本当に文無し?」
「ほんとに。
売れるようなものもないし。
……酒買う? 友達のお土産にっていくつか買ってた酒だけど」
それは断りレグスンはいくら必要か問う。
「とりあえず三人が一日過ごせるだけのお金があれば。
足りなければベルガに借りる」
「なんに使うんだ?」
「今はちょっと、帰ってからベルガに聞いてくれ。
無駄遣いはしないつもり」
「使い道を教えてくれるなら別にいいんだが」
ごそごそと机の引き出しを探り、必要と思われるお金を取り出す。
「ああ、それと」
「まだなんかあんの」
「ユイを連れて行くよ」
「どうぞー……は?」
陽平がついでのように話すので、レグスンも適当に返事して流そうとした。
「できるわけないだろう!」
理解するために固まったレグスンの代わりに怒鳴ったのはベルガ。
「さすがにこのまま連れ出すとかは考えてないさ。大騒ぎになるのはわかってる。
でもこれならどうだ」
ポケットから式符を取り出し、魔法を使う。
「見えるものは偽り、夢幻の如く虚飾を纏え。
夢幻姿っ」
薄い青の風がユイにまとわりつく。ユイの姿が一瞬ぶれると、黒髪黒目のユイと同じくらい年齢の少女が現れた。ユイによく似ているけれど、釣り目になっていたりとほんの少し造形が違う。服装も一般人が着るものと同じものとなっている。ユイになにが似合うかわからなかったので、エストが着ていたものをイメージした。
不意に魔法を使ったことでベルガの手が剣の柄にのびていたりする。
「これならユイによく似たそっくりさんですむだろ。
なにより髪や目の色が違うから勘違いされても、大騒ぎされずにすむ」
「……確かに嬢ちゃんだと気づかないだろうけど」
「え? 私がどうにかなってるの?」
「魔法を使って幻をかぶせて、顔を変えたんだ」
説明を受けたユイはぺたぺたと自分の顔を触っている。所詮は幻なので感触まで変わるというわけではない。
「ベルガも一緒に来るんだから守りは大丈夫だろ。
いつも神殿の中にいて自由に動けないんじゃ息がつまる。それはレグスンさんもわかってるよね」
「……んーわかった許可だそう」
「ほんと!?」
ユイの笑顔が輝きを放つ。
息がつまるという言い分はレグスンもわかるのだ。数日前も言ったが息抜きは必要。
幸い魔法で顔を変えたというのは、今この場にいるものしか知らないので、この状態のユイをつけねらう者もいない。
「ただし長時間の外出は認めない」
外に出ている時間が長いほど、神殿にいないということがばれやすくなるのだ。
勝手に許可を出したとばれると、そこからライバルに攻められる。レグスン自身だけに被害が及ぶならば、かまわないと考えている。しかし自分の属している派閥にまで攻めが及ぶのは避けたかった。
だから時間制限を出す。短時間ならば誤魔化しもきくのだ。それくらいの権力はもっていた。
「早く行こ!」
陽平とベルガの袖を引っ張り、連れ出そうとする。時間が限られているので、早く出たいのだ。
「行ってきます!」
「楽しんでくるといい」
ひらひらと手をふり笑顔のユイをレグスンは見送った。
神殿玄関から誰にも止められることなく出たことで、本当に姿形が変わっているのだと自覚したユイは上機嫌に道を行く。同じくのんびりと歩くのは陽平。ベルガは最大限の警戒をしながら歩く。ベルガが人々の注目を集めているのは言うまでもないだろう。
注目が集まるのが鬱陶しくなった陽平が、注目を集めるのは警備上まずいのでは、と言うまでベルガは警戒レベルを下げることはなかった。
三人は街を歩き回る。屋台で買い食いし、露店でユイがほしがる小物を買い、売り子と何気ない会話をし、人々の噂話に耳を傾ける。こんな陽平やベルガにとって当たり前のことを、ユイは新鮮な気持ちで楽しんでいく。誰も特別な目で口調でもって接してこないのだから、ユイは開放感に包まれていた。大樹の使者としての役割を嫌っているわけではないが、たまには普通の人のように気ままに過ごしたい。ただの住人の一人として過ごせる今は近年で一番嬉しい時間だ。
自分の目で耳で人々の暮らしを見て回り、体験する。そんな懐かしく楽しい時間はあっというまに過ぎる。
「ユイ様、そろそろ神殿に戻りましょう」
フルネームで呼ぶという愚を犯すことなくベルガは、帰還を促す。
「……もうちょっといたかったけど約束だもんね。わかった」
「あーその前に寄りたいところあるんだけど、いいか?」
「そこに寄ったあとすぐに帰るのならば」
ベルガの許可をもらい、陽平は道行く人に聞いておいた衣服屋へと向かう。
「レイクさん、服買うの?」
「俺のじゃなくて、ユイの分を買う。俺のは神殿の人たちから貰った分で十分だし」
「私の? でも私はたくさん持ってる」
「浴衣を作ってもらおうと思ってさ。欲しかったんじゃないかと思って」
「え……いいの? たしかに欲しかったけど、無理しなくてもいいんだよ? お金ないって言ってたよね」
「子供が遠慮せんの。
それに神殿にいるだけならお金は使わないから持ってても無駄なんだ。
というわけでお金の使い道はこういうことだから、報告よろしく」
「わかった」
ユイのために使うならばベルガには反論はない。だからといって警戒は緩めはしない。ユイに取り入るための策の一つという考えも持っている。
服屋に入る三人。ユイは店の中を行ったり来たりうろちょろしている。陽平は浴衣の説明をするため店主の元へとむかい、ベルガも見張りのため一緒に行く。
浴衣について話しをすると、店主は一度も作ったのことのない服に興味あるようで乗り気だ。しかし試行錯誤することになりそうなので、完成には少しばかり時間がかかりそうだという。
それに陽平は了承し、十日後くらいに陽平か代理の者が受け取りに来ることになった。
服を見て回っているユイを呼び、好きな柄の木綿を選んでもらい、サイズを測ってもらう。
これで予定は全て終わり、三人は神殿へと帰る。
この日から浴衣の完成する日までどこかそわそわとするユイが見られた。そして浴衣が届くととびきりの笑顔を見せた。
ちなみに着付けは誰もできないので、陽平がすることになるのだった。
21へ
大神殿に侵入して十日にして初めて与えられた休日だ。少し疲れが溜まっているように感じられて、のんびりすごそうか、それとも神殿外に出てみようか、と悩んでいた。
時刻は体感でおよそ八時すぎ。
「よし!」
予定を決めたのか、動き出す。式符を取り出し、魔法を使う。目には見えないが、風の渦が天井付近に現れ扇風機と同じ働きをしている。
それを確認した陽平はベッドへと向かう。そのままベッドに倒れこんだ。とりあえず二度寝することにしたらしい。
季節は初夏。屋外では眩しい夏の陽光が地上を照らす。気温が上昇し始めているが、光を遮る部屋の中にはひんやりとした空気がまだ残り、風の動きと相まってとても過ごしやすくなっている。
ベッドに横になり五分ほどで寝息が聞こえ出した。
陽平がそんな贅沢なひとときを過ごしている一方で、ベルガは陽平の見張りを部下に任せレグスンの元へと来ていた。
「失礼します」
「はいよ」
返事を聞き部屋へと入る。ソファーに座り正装を着くずしくつろぐレグスンがいる。
「レイクの見張りはどうした?」
「部下を部屋前に立たせています。部屋から出ないようにと、伝えるよう言ってきました」
「ご苦労さん。それじゃ報告を聞こうか」
「この十日間、怪しいところは見せていません。必要以上に内部を探るといった様子もありません。
神殿外の者が接触するといったところもなく、連絡を取るといった様子もありません。外庭の雑草抜きの際に一時的に離れて、接触しやすい状況を作っても誰も近づくことはありませんでした」
「怪しいところなしか」
彼らは陽平への警戒を緩めていなかった。様子を見て、怪しい行動をとれば即斬って捨てるつもりだった。今度はユイの制止があっても実行する心積もりだったのだ。
「明日からは警戒をもう少し緩めて様子見だな。油断して接触するかもしれんし、レイク自身がボロを出すかもしれん。
それと手紙を届けに行った者もそろそろ返ってくるな」
「あと四五日といったところだと」
陽平が事情を説明するために出した手紙のことを言っている。
神殿から出る許可が出ずに手紙を出せない陽平のかわりに、レグスンが手続きを申し出たのだが、それを業者に出さず神殿関係者が直接住所まで持っていっている。もちろん陽平の背後関係を調べるためだ。
その思惑からやや外れるように陽平は塔へではなく、ウェンカース家へと手紙を出した。ミリィに手紙を持っていってもらうためだ。塔にだしても業者には場所がわからないし、結界に弾かれ入ることすらできないからだ。その点、ミリィは根晶を持っているので出入り自由、幾度も泊まりにきている。
調査に出た神殿関係者は、なにからなにまで調べることは不可能だということになる。
実際はそれ以前の問題なのだが、それを誰も予想できない。無駄になる報告を二人は待っている。
数日して、予定よりも少し遅れて帰ってきた神殿関係者の報告で、陽平への警戒は下げられることなく一定レベルで維持されることになる。
手紙を運んだ者は届けることができなかったのだ。それは町の位置がわからないということではなく、町そのものがなかったからだ。少し離れた場所にあるシュイタスでラングシィという町がないか情報を集めたが、誰も聞いたことがないと首を横に振るばかりだった。
この報告を受けた二人は、陽平がこちらの思惑を見抜き自分の情報を漏らさぬよう嘘の住居情報を教えたと思い込む。しかしそれは何度も陽平が同じ場所へと手紙を出すことから、警戒から疑問へと変わっていく。手紙の内容は適当ではなくしっかりとしたもので、暗号めいたものもなく、意味なく出すには少し不自然なのだ。まるで普通に元気だと知らせているみたいだと二人は考える。実際、その通りなのだが。疑いすぎて空回っていることに二人が気づけるのはいつだろうか。
陽平としては静けさに戦々恐々としていた。返事の一つもくると思っていたのだが、まったくそれらしいことはない。もしかするとこちらに向かってきているのかとも考えたが、いくら待ってもこない。
この短期間でなんらかの心境の変化があり、独り立ちできたのかなと少しの寂しさを感じながらも、エストの成長を喜んでいた。
「手紙に関すること次第でも対応は変わってきますね」
「あの子が懐いているから、悪い奴ではないんだろうけどなぁ」
「ですが、人質を取られて命令されている可能性もあります。
その場合は、ユイファシィ様の判断も疑わなければならないことは以前経験しました」
「わかってる。だから詳しい背景を探っているんだ」
ユイには人を見る目がある。それは大樹の使者なのか、ユイ個人に由来するのか、わからない。けれど確かなものだとは二人ともわかっている。二人が要注意人物と見なしている神殿関係者にユイはあまり近づかないのだから。
しかしベルガの言ったように、その人の性根がよくても弱みを握られ動かされいる場合には、見る目のよさは無関係となるのだった。それはユイがその人の背景と関係なく、人格を見ているからだ。
以前あったことでは、もう少しで内部情報が漏れ出しそうになるという危ないことになっていた。すんでのところで神殿暗部の行動で食い止められた。そのときからユイの人の見る目を無条件に信じないようにすると決められている。
「様子見と手紙の件で怪しいところがなかった場合に警戒は最小限に抑える、でいいな?」
「はい。私には反論はありません」
「ではこの話はこれで仕舞いだ。
正直、レイクにばかりかまけているわけにはいかないしな。もっと厄介な奴とかいるからなぁ。なんであそこまで権力にこだわるのか。
まあいいや、あとはこの書類を片付けていってくれ。なるべく仕事は出さないように調整してはいるんだけど、さすがに全部なくすなんてことはできなくてな」
「いえこれだけに抑えてもらえてありがたいくらいです」
常日頃こなしている事務に比べると厚みのない書類をベルガは渡される。
レグスンに許可をもらい予備の机で、書類をさばき始める。出来上がった書類を提出する相手はレグスンなのだ。わざわざほかの場所に移動して仕事をこなす意味はなかった。
陽平が寝始め一時間ほどすると、扉がノックされた。
熟睡している陽平はその音では起きない。もう一度強めにノックされるも、起きない。さらに繰り返されたが、陽平が反応することはなかった。
扉が開かれる。ノックをしていた者は部屋の前にいる兵に聞いて、陽平がいると確信していたのだろう。
「レイクさん、あっそぼー」
大きな声を出し、ユイが部屋に入ってくる。
「うあ?」
元気に声をかけられればさすがに陽平も目を覚ます。寝ぼけた目で声の聞こえた方向を見る。
「ユイ?」
「まだ寝てたの?」
「……二度寝だよ。少し疲れてたから、午前はゆっくり過ごして、午後から動こうと」
「そうなんだ。起こしちゃったね、ごめんなさい」
意気消沈した顔でユイは頭を下げる。
「気にしなくていいよ。疲れはとれたし」
ぐぐっと背筋を伸ばし眠気をとる。
「それで何しにきたの?」
「暇だから相手してもらおうと思って」
「用事は? いつも忙しそうなのに」
仕事を始めてから陽平とユイは一度も会っていない。世話役らしい人と一緒にどこからへと出かけるユイを幾度か見た程度だ。
陽平も仕事で朝から夕方まで動いているので時間の都合がつかず、あまり神殿内を動き回ることもできずにいたので会うことはできなかった。
「今日は夜の食事会だけ! 午前午後は自由時間なんだよ」
「そっか。いつもご苦労さん」
「ほんとに疲れるよ。礼儀作法とか細かいし、話してる内容が専門的で理解できないこともあるし。
でもここにきたばかりの頃に比べると、だいぶましになってるかなぁ」
「もっと時間かければ、わかるようになるんだろうね」
「たぶん。そんな気はする。
レイクさんはこの十日間どんなことしてたの?」
「俺は基本雑用だな。食堂で食材の皮をむいたり、料理作ったり、掃除を手伝ったり、外庭の雑草抜いたり、神殿内でできる雑用していたよ。
あ、学者の話し相手もしたっけな。俺の持っていた本について聞かれたんだよ。なんて書かれているのか、どんな材質を使ってこの本を作ったのかとかね」
「神殿にある本よりも上質だし、気になるんだろうね」
ユイが学者に持っていた本は地球各地の神話を集めたもので、この世界では御伽噺でしかないもの。
学者達にはフィクションの小説だと説明し、いくつか内容を話し、そのことを納得してもらった。その後、植物を使い作る紙を陽平の知る範囲で説明していった。
こちらの紙も植物製だが、いろんな植物が混ざり作りが粗く羊皮紙に近い感触となっている。陽平から説明を聞いた日から学者たちは、もっと上質な紙を作ろうと楽しそうに日々奮闘している。
「言うことは言ったし、あとは学者たちの頑張り次第さね。
さてと相手しろって言われたわけだけど、何をすればいいんだろうね」
「んー……特に思いつかないかな。部屋の中で話すだけってのもちょっともったいない気がする。
でもこの部屋から出るのも、もったいないかな」
そう言って天井から吹く風を涼しげな表情で受けている。
こちらに扇風機などないが、魔法使いだから、この一言で不思議なことは納得できるのだ。
「レイクさんは午後から何しようと思っていたの?」
「許可が出たら神殿の外に出てみようと思っていたよ。
ユーフィアンは世界で一番大きな都市だって本で読んだことあったから、一度は見てみたい」
「私も馬車からしか見たことないけど人がたくさんいるよ。
そっかぁ外に出るんだ、いいなぁ。
私も出てみたいんだけどね。さすがに出たらまずいし」
ユーフィアンでは幾度も顔を晒しているのだ。住人ならば一発でユイのことを大樹の使者だとわかる。変装しても、半端なものならば意味はない。かといってユイは高度な変装術を身につけていない。
大樹の使者が不用意に街中に姿を現せば、大混乱が起きることは簡単に想像できる。ユイもなんとなくそれを予想できているので、抜け道は知っていても出ることはしないのだ。
それを聞いてなにかを考え、陽平は腕を組む。
「早めに許可を貰いに行こっかね。ついてくる?」
「うん。外に出たらお土産よろしくね」
「了解」
二人揃って部屋を出る。すぐに見張り役の兵に止められた。
「戻ってください」
「どうしてさ?」
「副隊長から、私が戻るまで待機させておけ、と命令が出ているんです」
「その副隊長に会いに行くってことで見逃してくれない?」
「ちょっと無理ですかね」
「私からもお願い」
ユイが両手を合わせ、兵に頼む。こうなると兵では断ることができない。
大樹の使者に直接声をかけられたことに感動しつつも、必死にどうすればいいか考え、どこにも寄り道せず副隊長のいる場所へ付き添い移動することにした。それでも見張りという役目は果たせると考えたのだ。
事実、陽平を連れてきたことをベルガは咎めようとしたが、ユイが近くにいることで事情を察して咎めることはなかった。
「なんのようできたんだい?」
ベルガに聞こうと思っていたが、レグスンさんがいるならそっちのほうが適任だと考え、陽平は外出許可をレグスンへと申し出る。
理由を聞かれると、ユイに話したことと同じ理由を話す。
レグスンは外にでると誰か接触するかもしれない、と考えベルガを共にすることを条件に許可を出した。
「ついでにお金貸してください」
「金?」
「ええ、文無しなんですよ」
地球のお金は悪戯に使ったし、こちらのお金は地球へと持っていっていない。
神殿にいるかぎりは、宿泊費用も食事も無料で今までお金を使うようなことはなく、なにも問題なかった。しかし今日は使う予定があるのでお金を手に入れる必要がある。
「本当に文無し?」
「ほんとに。
売れるようなものもないし。
……酒買う? 友達のお土産にっていくつか買ってた酒だけど」
それは断りレグスンはいくら必要か問う。
「とりあえず三人が一日過ごせるだけのお金があれば。
足りなければベルガに借りる」
「なんに使うんだ?」
「今はちょっと、帰ってからベルガに聞いてくれ。
無駄遣いはしないつもり」
「使い道を教えてくれるなら別にいいんだが」
ごそごそと机の引き出しを探り、必要と思われるお金を取り出す。
「ああ、それと」
「まだなんかあんの」
「ユイを連れて行くよ」
「どうぞー……は?」
陽平がついでのように話すので、レグスンも適当に返事して流そうとした。
「できるわけないだろう!」
理解するために固まったレグスンの代わりに怒鳴ったのはベルガ。
「さすがにこのまま連れ出すとかは考えてないさ。大騒ぎになるのはわかってる。
でもこれならどうだ」
ポケットから式符を取り出し、魔法を使う。
「見えるものは偽り、夢幻の如く虚飾を纏え。
夢幻姿っ」
薄い青の風がユイにまとわりつく。ユイの姿が一瞬ぶれると、黒髪黒目のユイと同じくらい年齢の少女が現れた。ユイによく似ているけれど、釣り目になっていたりとほんの少し造形が違う。服装も一般人が着るものと同じものとなっている。ユイになにが似合うかわからなかったので、エストが着ていたものをイメージした。
不意に魔法を使ったことでベルガの手が剣の柄にのびていたりする。
「これならユイによく似たそっくりさんですむだろ。
なにより髪や目の色が違うから勘違いされても、大騒ぎされずにすむ」
「……確かに嬢ちゃんだと気づかないだろうけど」
「え? 私がどうにかなってるの?」
「魔法を使って幻をかぶせて、顔を変えたんだ」
説明を受けたユイはぺたぺたと自分の顔を触っている。所詮は幻なので感触まで変わるというわけではない。
「ベルガも一緒に来るんだから守りは大丈夫だろ。
いつも神殿の中にいて自由に動けないんじゃ息がつまる。それはレグスンさんもわかってるよね」
「……んーわかった許可だそう」
「ほんと!?」
ユイの笑顔が輝きを放つ。
息がつまるという言い分はレグスンもわかるのだ。数日前も言ったが息抜きは必要。
幸い魔法で顔を変えたというのは、今この場にいるものしか知らないので、この状態のユイをつけねらう者もいない。
「ただし長時間の外出は認めない」
外に出ている時間が長いほど、神殿にいないということがばれやすくなるのだ。
勝手に許可を出したとばれると、そこからライバルに攻められる。レグスン自身だけに被害が及ぶならば、かまわないと考えている。しかし自分の属している派閥にまで攻めが及ぶのは避けたかった。
だから時間制限を出す。短時間ならば誤魔化しもきくのだ。それくらいの権力はもっていた。
「早く行こ!」
陽平とベルガの袖を引っ張り、連れ出そうとする。時間が限られているので、早く出たいのだ。
「行ってきます!」
「楽しんでくるといい」
ひらひらと手をふり笑顔のユイをレグスンは見送った。
神殿玄関から誰にも止められることなく出たことで、本当に姿形が変わっているのだと自覚したユイは上機嫌に道を行く。同じくのんびりと歩くのは陽平。ベルガは最大限の警戒をしながら歩く。ベルガが人々の注目を集めているのは言うまでもないだろう。
注目が集まるのが鬱陶しくなった陽平が、注目を集めるのは警備上まずいのでは、と言うまでベルガは警戒レベルを下げることはなかった。
三人は街を歩き回る。屋台で買い食いし、露店でユイがほしがる小物を買い、売り子と何気ない会話をし、人々の噂話に耳を傾ける。こんな陽平やベルガにとって当たり前のことを、ユイは新鮮な気持ちで楽しんでいく。誰も特別な目で口調でもって接してこないのだから、ユイは開放感に包まれていた。大樹の使者としての役割を嫌っているわけではないが、たまには普通の人のように気ままに過ごしたい。ただの住人の一人として過ごせる今は近年で一番嬉しい時間だ。
自分の目で耳で人々の暮らしを見て回り、体験する。そんな懐かしく楽しい時間はあっというまに過ぎる。
「ユイ様、そろそろ神殿に戻りましょう」
フルネームで呼ぶという愚を犯すことなくベルガは、帰還を促す。
「……もうちょっといたかったけど約束だもんね。わかった」
「あーその前に寄りたいところあるんだけど、いいか?」
「そこに寄ったあとすぐに帰るのならば」
ベルガの許可をもらい、陽平は道行く人に聞いておいた衣服屋へと向かう。
「レイクさん、服買うの?」
「俺のじゃなくて、ユイの分を買う。俺のは神殿の人たちから貰った分で十分だし」
「私の? でも私はたくさん持ってる」
「浴衣を作ってもらおうと思ってさ。欲しかったんじゃないかと思って」
「え……いいの? たしかに欲しかったけど、無理しなくてもいいんだよ? お金ないって言ってたよね」
「子供が遠慮せんの。
それに神殿にいるだけならお金は使わないから持ってても無駄なんだ。
というわけでお金の使い道はこういうことだから、報告よろしく」
「わかった」
ユイのために使うならばベルガには反論はない。だからといって警戒は緩めはしない。ユイに取り入るための策の一つという考えも持っている。
服屋に入る三人。ユイは店の中を行ったり来たりうろちょろしている。陽平は浴衣の説明をするため店主の元へとむかい、ベルガも見張りのため一緒に行く。
浴衣について話しをすると、店主は一度も作ったのことのない服に興味あるようで乗り気だ。しかし試行錯誤することになりそうなので、完成には少しばかり時間がかかりそうだという。
それに陽平は了承し、十日後くらいに陽平か代理の者が受け取りに来ることになった。
服を見て回っているユイを呼び、好きな柄の木綿を選んでもらい、サイズを測ってもらう。
これで予定は全て終わり、三人は神殿へと帰る。
この日から浴衣の完成する日までどこかそわそわとするユイが見られた。そして浴衣が届くととびきりの笑顔を見せた。
ちなみに着付けは誰もできないので、陽平がすることになるのだった。
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2009年03月01日
感謝の4
感想、ウェブ拍手ありがとうございます
》raiさん
こちらの読解力不足で再解説させてしまうことになりすみません
陽平の交渉ベタは書いてる人の考え不足です。勉強不足です
話の中の交渉ベタは経験不足というところで、実際人任せにしていたところもありますし
》白いクロさん
例えば銃そのものを具現化とかは無理です。でも鉄の筒に玉を込めて、小さな爆発の魔法で玉を飛ばすことは可能
あとはショットガンを真似して氷の欠片を飛ばすことはしたことがあります
ほかに時限爆弾めいた火炎球の魔法も陽平は考えていますが、使う場面がかかれなかった
書いてる人が兵器に詳しくないので、これから先出てくる可能性は低いかもしれません
》重力のこと
しぜんとできた星ならば球体が当たり前なんですが、書いてる世界はとある目的のために作られた場所なんです
大樹のために環境が整えられた場所が、たまたま地球とにていた
つまり難しいことは考えずに、ご都合主義だと思ってもらえれば幸いです