2008年01月19日
11話
目の前に、赤ん坊を抱いたフェノスがいる。親父に抱き方を教えられ、初めて抱き上げたときよりも安定している。赤ん坊も、安心しているのか、すやすやと眠っていて、まるで天使の寝顔だ。
この赤ん坊、俺とフェノスの子供、なんていうことはない。二軒隣の夫婦が、急用で出かけることになって、預かってくれと頼まれた。もう一人も預かったけど、その子は遊びに出ている。
忙しかった午前中を終えて、今はのんびりとできている。
思い出すのはめんどいけど、なにがあったか気になる人もいるだろうから、思い出すとするか。
塔に行く準備も終えて、さあ行こうかと思っていたときだった。
数回のノックが聞こえてきたんだ。玄関を開けると、赤ん坊を抱いたお隣のお隣さんが立っていた。
「トロン! 頼みがあるんだ。急で悪いけど、この子達を預かってくれないか? 本当に急で悪いけど!」
「ほ、本当に急ですね」
「以前やった仕事でミスが見つかって、それを治しに近くの村まで行かなくちゃいけなくなったんだ。家内も一緒に。
多分忙しくなるだろうから、子供たちを連れて行っても、世話をしてる暇もなさそうで、赤子はほおっておけないしで困ってる」
「ちなみに、お隣さんたちは?」
「右は男の一人暮らしで、世話は無理そうだし、左は出かけてていなかった」
「それなら仕方ないですね。わかりました」
「ありがとう! 明日の昼までには帰ってくるから、そのとき駄賃と食費渡すよ。
じゃ、行ってくる!」
赤ん坊と荷物を押してつけて、急いで走り去っていく。
「にーちゃん、よろしくな!」
陰になって気づけなかったけど、息子のルードもいたんだ。
「とりあえず、家の中に入ろうか」
「うん」
赤ん坊を負担のかからないように抱きなおして、ルードを家に入れる。
「ねーちゃん、おはよう!」
ルードが、中にいたフェノスの挨拶をしてる。それにフェノスも丁寧に返している。
ルードも慣れたなぁ。初めてフェノスに会ったとき、怖がって近づかなかったのに。俺の抱いてる赤ん坊も、フェノスが近づくと泣いていた。
人に似ているけど、人じゃない違和感を感じ取っていたんだろうな。子供は、僅かな違いにも敏感なんだと、感心した。
「ルードはもうフェノスが怖くないんだな」
「始めっから怖くなかった!」
「そっか?」
強がる様子が面白い。
「トロン、どうして二人がいるのですか?」
フェノスに、事情を説明する。
あの夫婦にはお世話になったから、その恩返しがわりに預かったこと。
だから今日は、塔探索は中止になったこと。
「そんなわけで、今日は休みにするから着替えておいで」
「わかりました」
俺も着替えたいけど、赤ん坊をほおっておくことはできないし、フェノスか親父がくるまで抱いとくか。
「そうだ、この子の名前なんて言うんだ?」
ソファーに座っているルードに聞く。
以前聞いたときは、親が悩んでまだ決まってなかったけど、生まれて一年経ってるんだ、もう決まってるはず。
「リューフ。とうさんの村のことばで、しあわせっていう意味があるんだって」
「リューフ、幸せね、いい名前だと思うぞ。よかったなぁいい名前がついて」
長い間待ったかいがあったってもんだ。
ルードの話し相手をしながら、リューフをあやしていると、親父が下りてきた。
ルードたちがいることに、驚いた様子だったけど、理由を話すと納得した。
「親父、着替えてきたいからリューフ預かってて」
「いいが、赤ん坊を抱くなんて、久しぶりだ」
「おじさん、大丈夫なのかー?」
ルードから、からかいの声がとぶ。
親父は、リューフをしっかりと抱いて、大丈夫だと証明してみせた。
さすが子育て経験があるだけあって、堂々としたあやし方だ。
今のうちに、着替えてこよう。
着替えてリビングに下りると、親父がリューフを渡してきた。どうやら出かけるらしい。着替え終えたフェノスもすでにいて、リューフを珍しそうに見ている。間近で見るのは初めてなのか?
「おれも遊びに行ってくる!」
ルードも友達と遊ぶ約束をしてたらしい。
「昼に一度帰ってくるんだぞ?」
「うん、いってきます!」
親父とルードは、一緒に出て行った。
さて、家事でもしようかと思い動こうとしたら、リューフがぐずり始めた。
「リューフは、どうしたんでしょう?」
「ちょっと待って」
お腹がすいた? 違うか。ルードが母乳飲んだばっかりって言ってたし。
しっこかうんこか? テーブルに下ろして、オムツを外して確認。これも違うと。
抱いてるから、寂しいとは違う……いや、寂しいのか? 家族が誰もいないのがわかって不安になった?
気を紛らわせてみようか。
「ほら、べろべろば〜」
顔をいろいろな表情へと変えて、笑わせてみる。
合ってたみたいだな、泣き止んだ。
「なぜリューフは泣いていたのですか?」
「家族が誰もいないだろ? それがわかって寂しくなったんだ。
だから、寂しさを紛らわせた」
「なるほど。しかしトロンは手馴れていますね?」
「小さい頃から、バイト代わりに赤ん坊の世話してたからな」
今みたいに、塔に行ったり、体力使うバイトできなかった俺にできる、数少ないバイトだった。何度もやったから、そりゃ慣れるさ。
っと、またぐずり始めた。
「そこのバッグの中に、ぬいぐるみか音の鳴るオモチャが入ってるか見て」
リューフとともに渡されたバッグを示して、フェノスに頼む。お気に入りのものとか、入れてあるといいんだけど。
フェノスが、バッグの中身をテーブルに並べていく。替えのオムツや、着替え、粉ミルクなどに混じって、ガラガラやぬいぐるみ、木のオモチャが出てきた。
その中から、ガラガラをとってもらい、リューフのそばで鳴らしてもらう。
「泣き止みました」
驚き感心した様子のフェノス。しげしげと、手の中のガラガラを見ている。
こうやって、リューフの世話ばかりしてるわけにはいかない。家事もやんないと。
ソファーに寝かせて、フェノスに落ちないように見てもらえばいいか。
「俺、洗濯してくるから、フェノスはリューフのこと見てて」
「わかりました」
「頼んだよ」
さっさと洗濯終らして、戻ってこよう。フェノスには、ちょっと荷が思いかもしれないから。
急いで洗濯を終えて戻ってくると、フェノスが顔の形を変えて、リューフを笑わしているところだった。
フェノスのそばには、オモチャが落ちていた。リューフの関心を引くために使ったやつか?
あ、うとうとし始めたと思ったら、すぐに寝た。
「フェノス、お疲れ」
リューフを起こさないよう、静かに声をかける。
「大変でした」
フェノスも静かに答えた。
「一度使ったものを続けて使っても、泣くのをやめないんです」
「それで、使うものがなくなって、顔を変化させてたのか」
「はい」
「歌であやすとかでも良かったと思うよ?」
「歌でもよかったのですか?」
「子守唄とかあるしね」
そうですかと、若干肩を落としたように見えたのは気のせい?
寝てるリューフの世話を引き続き任せて、俺は今度は掃除に精を出すことにした。
目を覚ましたリューフ相手に、またフェノスが四苦八苦する様子を見ながら、掃除は順調に進んだ。
そのあと掃除を終らせ、昼食を作り、帰って来た親父とルードと一緒に食べ、リューフにミルクを飲ませて、今に至る。
ルードは再び遊びに出かけた。元気なのはいいことだ。親父は、部屋にこもって何かしてる。
「リューフが起きたら、夕飯の材料を買いに行こうか」
「リューフも一緒にですか?」
「一人で世話できる?」
たぶん無理だと思うから、誘ったんだけど。
「自信はないです。体力的にも」
だよね。あとで、ケーキを買って疲れを癒してもらおう。
初めての世話は緊張もあいまって、疲労がえらいことになるからな。
「もうしばらくは起きないだろうから、ゆっくりしてよう」
予想通り、1時間以上の睡眠のあとリューフは起きてきた。
出かける準備をして、リューフを抱き上げる。
大通りを歩いていると、顔見知りの店主たちに声をかけられる。
「トロン、子供ができたのか。相手はフェノスだろ!」
「おっほんとに子供抱いてら、いつのまに生まれた?」
「名前はなんて言うんだ?」
「結婚祝い贈らないとな」
「若いのに大変だねぇ」
うん、予想してたよ。皆わかってて、からかってる。なんて反応したらいいのかねぇ。
「私とトロンの子供ですか? 私はゴーレムで、子供はできませんよ?」
考えている間に、きょとんとした顔で、フェノスが答えた。
「おおー動じないね、フェノスちゃん」
「まあ、フェノスちゃんなら、あんなもんだろ」
「そうだな」
真面目に切り返されたのに、おっちゃんたちは楽しそうに笑い合ってる。
「笑ってないで商売して。カレーの材料を売ってくれ」
「はいよ、合計で五十シルだ」
財布から五十シル、銀貨五十枚を出して渡す。肉を買って、カレーの材料は終わり。スパイスは家にあるのを確認してる。
次はケーキだな。
「買い物はこれで終わりですか?」
「いや、もう一つ買うよ」
いつも行っている菓子屋に向かう。それにフェノスは気づいたのか、そわそわとし始めた。いつもは大人びているのに、こんなところは子供みたいだな。
「そんなそわそわしなくても、ケーキは逃げないよ」
「え? いえその」
頬をほんのりと赤く染めて、恥ずかしがるフェノス。
案の定、菓子屋でもからかわれた。今回は、フェノスは真剣にケーキを選んでいたので答えず、俺がそれなりの反応を返した。それに店主がつまらなそうにしていたのが、印象的だった。いったいどんな反応を、返せばよかったのか。
家に帰って、親父も呼んで三時のおやつとしゃれこむ。
感情が出てきてフェノスは、本当に幸せそうにケーキを食べる。ここまで喜んでくれると、作った人も作りがいがあるってもんだ。
「リューフ、食べてみたい?」
リューフがこっちに手を伸ばしてきてる。固形って食べさせていいんだっけ? ……クリームなら大丈夫だろ。
少しだけクリームを指ですくって、リューフになめさせる。美味しいのか、きゃっきゃと笑う。
お茶会を終えると、親父はまた部屋に戻っていった。
俺とフェノスは、リューフの相手をしながら、のんびりと時間を過ごす。
ああ、いいなぁこのゆったりとした時間。今だけは、借金のことなんか忘れられる。
そんな時間を過ごしていると、ルードが帰ってきた。ゆったり過ぎて、時間の経過も忘れてた。
お腹がすいたというルードに、買っておいたケーキを与えて、カレーを作り始める。
そのあとは何事もなく、時間は経過していった。
夕食後、ルードに塔探索の話をせがまれて、ちょっと大げさに話してあげたら、すっごく面白そうに聞いてた。
大変だったのは、夜泣き。普段は、そんなに泣き声が聞こえてこないから、夜泣きしないほうなんだろうけど、今日は両親がいないせいか、頻繁にあやしてる必要があった。
親父と俺とフェノスの三人がかりで、あやしくていく。一人があやしている間は、仮眠をとる。そして順番がきて交代。これを繰り返した。
リューフも体力が続かないから、すぐに寝付くんだけど、少しして起きてまた夜泣き。……大変だった。
フェノスの子守唄が一番効果あるけど、歌いすぎて喉に負担がかかるからって、親父に歌うこと禁止されていた。
そんな辛い夜が過ぎて、朝がくる。軽く寝不足で、テンション低い。でもルードのためにご飯作らないと。
こんな調子で塔に行くのは、自殺行為だから今日も休みだな。
「おはよー」
「おはよ〜」
「にーちゃんたち眠そう」
「リューフの夜泣きがね〜」
わけを話しながら、作った朝食を並べていく。
朝食を食べ終わったあと、親父は寝るらしく部屋に戻っていった。リューフの世話をフェノスとルードに任せて、俺は食器の後片付け。
食器を洗い終わって、ルードと世話を交代。ルードは昨日と同じく、遊びに出かけた。その元気をわけてもらいたい。
眠気に耐えつつ、世話を続けていると、玄関がノックされた。
帰って来たお隣のお隣さんが、リューフを引き取りにきたんだと思う。それがわかったのかリューフは、玄関のほうへとしきりに手を伸ばす。
開けた玄関には、予想通りお隣のお隣さんがいる。
「ただいま。リューフと荷物を引き取りにきたよって、眠そうだね」
「そちらも眠そうですよ?」
「徹夜で修理だったからね」
「こっちは夜泣きでした」
「夜泣きしたんだ? いつもはしないのに」
「両親がいなくて、寂しかったんだと思いますよ?」
「ああ、そっか。離れたの初めてだからなぁ。迷惑かけたね」
「あはははは」
迷惑云々は笑って誤魔化しとこう。
お隣のお隣さんは、リューフを受け取って帰っていく。リューフも父親の腕の中で、機嫌がよさそうだ。
子守の駄賃は、子守にしては多めの大銀貨五枚。急な頼みだったってことと、食事の費用も込めてということだ。
くれるというので、ありがたくもらっておいた。遠慮するのは、経済的な理由で無理だった。
とりあえず、一、二時間ほど寝よう。フェノスも魔力補充しないといけないし。
そういうわけで、おやすみ。