感謝の24感謝の25

2009年09月02日

短編(ホラー?) ゆびおり数えて

 風もなく、昼間の暑さがほんの少しだけ和らいだ夜。少し和らいだくらいでは、過ごしやすいとはいえず、扇風機や冷房に涼を求める者が多い。
 それらが身近にない者もいて、ならばと禁じられていることをためらわず実行する者もいる。

「こらあーっ! またお前たちか!」

 夜の運動場に男の声が響いた。男の持つライトがプールに忍び込んだ少年たちを照らす。

「やっべっみつかった!」
「とっとと逃げっぞ! 宏、晃」
「ちょっと待ってくれよ、康! 荷物がっ」

 濡れたまま拭くこともせず、水着姿のまま少年たちは男から逃げ出そうと慌てる。
 プールサイドに置いてある荷物をフェンスの外に投げ、少年たちもフェンスを乗り越え逃げ出そうとするが、行動を読んでいた男によって待ち伏せされ三人とも捕まってしまった。
 男はライトと照らし出した三人の顔を見て、溜息を吐く。いつも説教している顔だったからだ。
 そのまま宿直室へと連行され、説教が始まった。説教が終わるのに一時間かかる。
 一時間も怒られ続けたのは、普段の行動の説教も混ざったからだ。
 長々と話されたことを受け止める殊勝さは少年たちにはなく、いつものように聞き流していた。

「ったく、いつもお前らはっ。
 今日は帰っていいぞ。罰として明日のボランティアに参加するように!
 朝九時から裏山の掃除だからな! さぼるなよ! 連絡いれておくから、さぼってもわかる。行ってなかったら今度はグランド外周の雑草抜きだ!」
「えーっ」

 三人から出た不満の声を教師は聞き流す。
 抗議しても聞き入れられることはなく、三人は見回りの邪魔だと宿直室から追い出される。
 面倒だとぶつぶつ言いながら三人は家路についた。

 翌朝、三人はさぼらず指定された校門前へと来ていた。外周掃除よりはこちらのほうが楽だと判断したのだ。三人以外にもボランティアが三十人ほど集まっている。

「おふぁよう」
「よう」
「おは」

 康の欠伸交じりの弛んだ表情での挨拶に、二人も似たような表情で応えた。
 三人ともやる気は皆無だ。

「なんの得にもならねぇ、こんなことによくこんだけ集まるよな」
「暇なんだろ」

 地元地域を綺麗に保とうという人々の思いを、宏はたった一言で斬って捨てた。

「俺は少しはわかるな。自分の部屋はちからかってるより、綺麗なほうがいい。自分の家以外まで掃除しようと思わないけど」

 三人がうだうだと話していると、集合の合図がかかった。
 初老の男が拡声器を片手に話し出す。

「これから移動を始めます。麓に到着したらゴミ袋とゴミはさみを配ります。
 山の中にテープで簡単な柵をはってますので、掃除はそこを越えずに行ってください。あと足元に注意してください、道路のように整備されていないのでこけやすくなってます。
 掃除はゴミ袋が満杯になった人から終わりとなりますので、終わったらゴミ袋をもらった場所に戻り、係員に渡して解散してください。
 では移動します」

 ぞろぞろとボランティアたちが歩き出す。最後尾を三人はついていく。
 山入り口に到着し、ゴミ袋とゴミはさみが配られ人々は散っていった。
 三人もゴミ袋を受け取り、山へと入っていく。周囲の人たちは長袖ズボンで、草や虫に対して完全防備だ。対して三人の服装は半そでジーパン。虫除けスプレーをまいているわけでもない。結果、山に入って二十分もすると虫刺され、草で腕を切るなど散々な目あっている。

「かゆいし、あっついし、ゴミは少ないし! やってられかーっ!」

 康がイラつきを少しでも発散させようとゴミ袋を地面に叩きつけた。

「たしかに苦労のわりにたったこれっぽちじゃなぁ」

 晃の振るゴミ袋の中にはまだ半分も入っていない。ほかの二人のゴミ袋も似たようなものだ。
 渡されたゴミ袋は小さいサイズでこれならばすぐに終わると思っていたが、思っていた以上に落ちているゴミが少ない。以前からのゴミ掃除のボランティアの成果だろうが、三人にとっては喜ばしいことではない。

「テープを越えねえ? 誰も入っていけないならゴミはたくさんあるんじゃね?」

 宏の提案に、康はいいなとすぐに賛同する。晃は難色を示した。

「危なくないか? 怪我なんかしたくない」
「ここらとたいしてかわらないじゃねえの? さっき見たかぎりじゃそう思ったけどな」
「いこうぜっ! さっさと終わらせてーよ」
「俺もさっさと終わらせたいし、行くか」

 晃はあっさりと意見を翻し、三人はテープそばへと移動する。
 ゴミを探すふりをして、周囲の視線がそれたことを確認し、テープを越えその場から離れた。
 テープを越えた先にはゴミはあったが、思ったよりも多くはなく、少しゴミを拾うペースが上がったくらいだ。
 期待はずれながらもさっさと終わらせるため、ゴミを拾い集めていく。三人の注意がゴミだけに集中し、周囲に気を配ることがおろそかになる。

「うおっ」

 結果、康が小さく切りたった段差に転げ落ちる。二メートル少しの高さから落ちた康だが、茂みがクッションとなり小さな擦り傷だけですんだ。

「なにやってんだ!」
「だいじょぶかー?」
 宏と晃が笑いを含んだ声で安否を聞く。
「だいじょぶだよ! それよりなんか横穴があいてんだけど? 奥に地蔵っぽいのが見える」
「降りて見てみるか?」

 聞いてくる宏に晃は頷き、二人は飛び下りた。怪我することなく、少しだけ足がしびれる程度で無事着地する。
 上からだと角度的に見えなかった穴が三人の目の前にある。康の言うとおり、暗がりの向こうに地蔵っぽいものがある。穴は広くはない。奥行き三メートルと少し、高さも二メートルはない。
 浅い穴の奥からはひんやりとした空気が出てきて涼しい。若干涼しすぎるのではというくらいに。

「賽銭とかないか?」
「ほっとかれたみたいだからないと思うけど」

 晃の返答にだろうなと、始めから期待しておらず言ってみただけの康は同意する。
 茂みで入り口が隠されていたのだ、人の手がいれられているのなら、その茂みはないはずだ。
 宏が穴に入り、地蔵をぺたぺたとなんの遠慮もなく触る。

「汚れてんな? どれくらいほっとかれたんかな?」
「ってかなんでこんな場所にあんのかね? もっと開けた場所に置くだろうに」

 康も穴に入り、地蔵の目の前で屈み、真正面から見る。
 地蔵は年単位でほっとかれたのだろう。土や苔がこびりついていた。軽く土を払えば、あちこちに傷が見える。首にかけられている大きめの前掛けも、以前は鮮やかな真紅だったのだろうが今は薄汚れ茶色に見える。かけられているというよりも、なんとか首にひっかかっているというだけで、触ればすぐにでも地面に落ちそうだ。前掛けにはなにか文字が書かれているが、昔の文字ということと汚れで三人には読み解くことなど不可能だった。
 ほかに特徴は、手の指が全て曲げられていることだ。ほかの地蔵と同じ姿なのだが、手だけ握られている。
 それを見て晃は昔聞いた話を思い出した。

「……ゆびおり地蔵」
「なんだそれ?」

 宏が晃に聞く。

「保育園の頃、ばあちゃんにそんな名前の地蔵のことを聞いたことがある。その地蔵が指を握ってるから思い出した」
「ばあさんはほかになにか言ってたか?」
「願いを叶えてくれるんだとか。
 名前の由来が、願いが叶うまで指折り数えて待つことから、ゆびおり地蔵なんだとか。
 迷信だろうけど」

 願いが叶うわけなんかない、と二人も頷いている。

「適当に願っとくか?」

 信じてはないが、願うだけならタダだと康が提案する。

「叶うわけないのにか? でも言ってみるだけ言ってみるか」
「適当に……なんかあったっけ。
 あ! ほしいゲームあったな。それくれ」

 康の願いをきっかけに、三人は適当に欲しい物ややりたくないことを言っていく。
 休憩も兼ねていた祈願は、十分涼しんだことで終わる。

「また暑い中、ゴミ拾いか。雨でも降ってくれればいいのに」
「こんだけ晴れてんだ無理だろそれ。それに天気予報だと降水確率0%だった」
「ったく、たかがプール使ったくらいでこんなことさせんなよ。
 死ねばいいのにな、笹倉の奴」
「ほんとにな」

 嫌だ嫌だと三人は穴の外に出る。むわっとした空気が周辺に満ちていて、三人の顔はさらに不快そうに歪む。
 ゴミを求めて三人はゆっくり歩き出す。
 五分ほど経った頃だろうか、下ばかり見ていた三人は気づかなかったが、空に黒い雲が現れていた。小さな水滴が空から落ちてきて木の葉に当たる。それを合図に次々と大粒の水滴が落ちてくる。
 三人はゴミ袋を頭上に掲げて、雨を避けている。

「最悪だ!」

 宏が濡れた服を不快に感じ怒鳴る。

「山の天気は変わりやすいっていうけど、こんな小さな山にも当てはまるとか」

 信じられないと晃が言う。
 ゴミ集めどころではない三人の耳に、拡声器の音が聞こえてきた。それは雨のためゴミ集めは中止と知らせるものだった。
 これ幸いと三人は麓を目指す。

「うわっ」

 濡れた下り道で晃が滑る。注意はしていたのだが、注意が足りてなかったのだろう。そのまま後ろへと転ぶ。

「いったっ」

 ゴミ袋を放り出し、体を支えようと後ろに回した手が飛び出た石に叩きつけられた。

「なにやってんだよ。お前ら抜けてんな」

 一人、へましていない宏が笑っている。

「大丈夫か?」
「痛いけど、すぐに治まると思う」
「じゃあ、とっとと帰ろうぜ。今度はこけるなよ」
「わかってるよ」

 再びこけるようなことはなく、三人はゴミ袋とゴミはさみを係員に渡し、差し入れのジュースをもらい家路につく。
 その後は康の家に集まりだらだらと過ごしていたが、指の痛みがひかない晃が病院に行ってみると言って帰ったことで、その日は解散となった。
 暇になった康が夕飯までゲームで暇を潰していると、ただいまっといつも以上に元気な声を響かせ、上機嫌な雰囲気をまとう父親が帰ってきた。
 居間から聞こえてくる会話をなんとなく聞いていると、スクラッチの宝くじが当たり五十万円手に入ったんだと喜んでいる声が聞こえてきた。
 康は惰性で続けていたゲームを放り出し居間へと向かう。

「宝くじ当たったって本当!?」
「なにげなく買ってみたらっこれがなんと一等! これが証拠だ!」

 父親が掲げるように当たりクジを差し出す。たしかに一等を示す数字が描かれている。賞金の金額も五十万だ。

「おおっ!」

 康の口から思わず感嘆の溜息が漏れ出た。

「じゃあじゃあっ前から言ってたゲーム買ってくれよ!」
「いいぞ! それくらいお安い御用だ!」
「よっしゃあ!」

 思わず振り上げた手がテーブルに当たる。
 あまりの痛みに康は手を押さえて座り込んだ。

「あーあ、なにしてるの見せてみなさい」

 母親が康の手を掴み、怪我をしていないかたしかめる。
 母親の手に生暖かいぬるりとした液体が触れた。

「小指の爪はげかけてるじゃない! そそっかしいんだから。
 救急箱ってどこだったかしらね」
「なにしてるんだ、お前は」

 呆れたような父親になにも言い返せず、康は痛みに耐えている。
 血を水で洗い、消毒し、ガーゼと包帯で爪を固定する。明日まだ痛むようならば病院に行くこととなった。
 治療されている間、康は晃の指はどうなったのだろうとふと思いついた。
 じんじんとした痛みに耐えつつ、夕食を終えた康はメールを送る。

『指はどうだった?』

 すぐにメールが返ってきた。

『中指にひびが入ってたよ』
『俺も小指をテーブルに打って爪はげかけたわ(笑』
『なにやってんだ(笑』

 怪我したことをネタにメールを送りあう。

『これで宏も指怪我したら笑えるのにな』
『さすがにねーよ』

 晃の返答にそれもそうかと康は頷いた。
 その後少しやりとりし、メールを終える。

 康と晃のやりとりから数時間後の0時前。暑いと思った宏はアイスが食べたくなり、コンビニへと向かいアイスを買ってきた。
 コンビニへはのんびり歩いても行き帰り十五分ほどで、遠い場所にあるわけではない。
 小さく鼻歌を響かせながら宏は暗い夜道を歩いている。
 遠目に自宅が見えた頃、すっと冷たい空気が肌に触れる。

「少しだけ気温が下がったのか? これなら寝苦しいなんてことないな」

 空や周囲を見ながら、過ごしやすくなったことを喜ぶ。そのまま歩き、家の前まできたとき宏はちょっとした違和感に気づく。
 影が立っていた。大きさは一メートルにも見たず、じっと微動だにすらしない。ところどころ濡れているのか外灯の光をはじいている。
 誰かがうずくまっているのかと首を傾げたが、うずくまっているにしても線が細いと否定した。
 影に近づくにつれ、その輪郭がはっきりとしてきた。宏は気づいていないが、周囲の音が宏の出す音以外なくなっている。
 知らず知らずのうちにコンビニの袋を握る力を強くなり、うっすらの汗も滲んできた。
 息もつまり、ゆっくりと歩き見えた影の正体は地蔵だった。
 なぜこんなところに地蔵が? と疑問に思う前にほっと安堵の溜息がでる。もっとほかの得体の知れないなにかを想像してしまっていた。例えば幽霊とか。

「脅かすんじゃねーよっ」

 脳裏に浮かんだ想像を怖がったことを誤魔化すかのように、語調が強くなる。
 地蔵の頭をペチペチと叩き、宏は地蔵を無視して家へと入ろうとする。地蔵がここにある原因を考えないのは不可思議から無意識的にでも逃げようとしたのかもしれない。
 玄関のとってに手をかけたとき、背後からゴトリと音がした。
 気のせいだと、とってを握る手に力を込める。
 さらに近い位置でゴトリと音がした。
 戸を押して少し開く。
 真後ろでゴトリと音がした。

「なんなんだよ!」

 そう言って振り返り、悲鳴が上がった。

 制服を着た康と晃が、神妙な顔つきで宏の遺影に手を合わせる。
 宏が玄関先で死に、一日置いて通夜が行われている。遺影のそばでは憔悴した母親と暗い顔の父親と弟が立っている。二人は彼らに頭を下げ、静かにざわつく斎場から抜け出る。
 なんとなく帰る気もせず、されど遺体のそばにいる気もなく、二人は斎場入り口で立ち止まり振り返った。話すこともなく、ただじっと斎場を見て立ち尽くす。
 宏が死んだとクラスの連絡網で回ってきたときは耳を疑い、遺体を見るまで信じていなかった。遺体を見た今も正直、実感は湧いていない。
 そんな彼らの耳に、宏の死んだときの状況を話す声が聞こえてくる。大声で話せることではなく、ひそひそとだが聞き漏らすことなく拾うことができた。

『殺人ですってよ』
『怖いわねぇ』
『しかも玄関先で殺されたらしいわ』
『恨みを持った人の犯行かしら?』
『わからないわ。でもおかしなことがあったらしいのよ』
『おかしなこと?』
『直接の死因は頭部打撲なんだけど、手の指が全て潰されていたんですって。
 悲鳴を聞きつけて家を出た小山さんが、救急車に運ばれるまでの一部始終を見たとき、手が血だらけだったのを見たんですって』
『どうして指全て潰しのかしら? わざとよねきっと』
『偶然ではないわよね。警察は愉快犯といった線での捜査もしてるんじゃないかしら?』

 指の怪我と聞いて二人は、それぞれの包帯が巻かれた指を見る。そして互いの指を見る。

「偶然か?」
「であってほしい」

 薄ら寒いものを感じながら、二人は逃げるように家路についた。
 翌日、登校日で学校に行ったとき二人はあることを知る。それは笹倉の死。全校集会で死らされたのだ。
 死亡時刻は宏が死ぬ三十分前。死因は宏と同じ、頭部打撲。寝室で寝ているところを殴打されたようで、隣に寝ていた妻が悲鳴で起き、パニックを起こしつつ救急車を呼んだ。屋内に侵入した形跡がなく、妻の犯行と警察は睨んでいるが、妻は犯行を否認。凶器はみつからず、目立った動機もなく、警察は追及することができずにいる。
 全校集会が終わり教室に帰る際に、康と晃は教師に呼び止められ職員室へと行くことになる。
 なんだろうと思いつつも、職員室に向かい、そこで待っていたのは警察官だった。
 警察官は宏の殺人事件についての情報を求め、学校にきていたのだ。教師に話を聞き、もっとも仲の良かった二人にも話を聞くため呼び出してもらったのだ。
 仲の悪かった人がいないか、犯行当日前後の言動、不振人物を見なかったなど聞かれ、正直に答えていく。
 聞きたいことを聞き終えた警察官たちは、手帳に得た情報を書き終え、二人に礼を言って去ろうとする。そのとき二人が指を怪我していることに気づいた。

「その指どうしたんだい?」
「テーブルにぶつけて、爪をはがしかけた」
「俺はこけて、強く地面に打ってひびが」
「仲の良かった三人が三人とも指に怪我とは、妙な偶然もあったもんだね。
 質問に答えてくれてありがとう。また聞きたいことがあったら、くるかもしれない。そのときはよろしく頼むよ」

 そう言うと警察官たちは、教師たちに頭を下げ去っていった。
 職員室に呼ばれた用事はこれだけで二人も教室へと戻る。
 ホームルームはすでに終わっていて、ほとんどの生徒が帰っていた。
 残って話していたクラスメートたちに、ホームルームでなにか知らされたか聞く。

「宿題の一つがなくなっただけで、特にこれといったことはなかったよ」
「伊藤の宿題は面倒だったからなくなってよかったよな」
「どうして宿題なくなったのか聞いた?」

 晃が聞く。

「なんでも用事で二ヶ月くらい県外に出張するだとさ」
「……そっか、ありがと」

 なにかを思い出すような顔つきで晃は礼を言う。
 そして校舎を出てグランドを歩いているとき、サッカーボールを蹴って遊んでいた生徒たちが蹴りそこね、晃たちのほうへと飛んできた。
 危ないぞっ、という声に振りむくと飛んでくるサッカーボールが。受け止めようと咄嗟に手を突き出す。

「痛っ」

 出した手がひびを入れている指のある手で、それをかばおうとしたせいで受け止め損ねた。
 痛む指を押さえて保健室に行くと、突き指だと診断され、湿布と包帯を巻かれ動かさないようにと忠告をうけた。
 保健室を出た晃は突き指した薬指とひびの入った中指をじっと見ている。
 康が声をかける前に、晃が喋りだす。

「雨と宿題……それとゲーム。
 これって地蔵に願ったことだよ」
「たしかにそうだけどな」
「んで笹倉の死も宏が願ったこと……」
「たしかにそうだったけど、本気じゃないだろ」
「それを言うなら俺らの雨が降って欲しいとか宿題がなくなってほしいってのも本気じゃなかったろ?」
「……まあな」

 康も晃もその場ののりで口にした願いだ。それは宏も同じだっただろう。

「でも叶った。んでその代わりに指を怪我した。まるで対価みたいだ。
 あの地蔵について調べてみない?」

 晃の提案に康は乗り気ではない。

「あんまり関わりたくないぞ、あれには」
「それは俺も同じ。でも……このままほっとくと俺たちが宏みたいになるかも」

 ぞくりと二人の背筋に寒気がはしる。
 口にしたことで、現実になる可能性が増したように感じられた。

「や、やめろよ! そんなこと言うのは!」

 晃から逃げるように歩き出す。

「俺は図書館にいるから!」

 一人でも調べるつもりの晃は、去る康に向かって言った。康は振り返ることなく足早に遠ざかっていく。
 
 晃は冷房の効いた図書館で調べものをしている。なにかを調べる方法といったら晃には図書館しか思い浮かばなかった。
 普段ならば多少ききすぎている冷房は涼しいと感じるのみだが、今日は得体のしれない寒気のようにも感じられた。ときおり腕をさすりながらも、本を読み進めていく。
 広げている本は、司書に宿題で昔からの言い伝えを調べるために資料がほしいと言って、案内された資料保管庫から持ち出した郷土資料だ。
 この町の成り立ち、今に至るまでの過程、産業、特産物、人口推移、それらを読み飛ばしゆびおり地蔵のことを探していく。
 二時間ほど資料を見続けてみつけた。それは数十年前の新聞の切り抜きで短い文のみが載っていた。

『ゆびおり地蔵、壊される。
 4月26日未明、なにものかによって枝の山町二丁目に置かれていたゆびおり地蔵が壊された。
 第一発見者・井口小次郎さんが日課の散歩をしていたときにこれを発見。即座に最寄の警察に知らせた。
 近所に住んでいる者たちは明け方になにかが壊される音を聞いており、そのときに壊されたのだと警察は判断し、犯人捜索を開始』

『ゆびおり地蔵を壊した男を器物破損の罪で逮捕。
 取調べによると男は、願いを叶えなかったから壊した、と供述』

 こういった事件としてのみ取り上げられており、肝心のゆびおり地蔵自体についてはどこにも書かれていない。
 さらに一時間読み進めても、それは同じだった。

「ばあちゃんに聞いたから郷土的なものだと思ってたけど違ったのか? となるとネットで調べたほうが早い?」

 本を閉じ、これからの行動を考える。
 本を受付に返し、パソコンコーナーへと向かうとき、ちょうど図書館に入ってきた康と目があった。
 指は新たに包帯ととガーゼが巻かれている。晃とわかれて三時間ほどで二本の指を怪我したらしい。康の表情は暗い。

「なにかわかったか?」
「指どうしたのさ?」
「なにかわかったか!」

 語調を強くし聞く。静かな図書館ではその声は大きく、注目が二人に集まる。

「まだ調べてる最中だ。だから少し落ち着け」
「……俺も一緒に調べる」
「じゃあついてこい、ネットで調べようと思ってたんだ」

 二人はパソコンコーナーへと向かい、あいているパソコンを使う。
 検索単語はそのままゆびおり地蔵。
 吐き出される情報を黙々と読んでいく。

「全国区だったんだ、ゆびおり地蔵って」

 誰もが知ってるわけではないが、全国いたるところに置かれていると書かれていた。
 発祥地、言い伝えを読み進めていく。その中には願いが叶ったという事例はない。当然といえば当然だ。願いが本当に叶うのならば、もっと有名になっているだろう。
 さらに読んでいくうちに、ゆびおり地蔵のわらべ歌をみつけることができた。
 
『ゆびおりさんよ聞いとくれ。わたしの願いを聞いとくれ。
 よいよい、聞きましょ、話しなさい。どんな願いも叶えましょ。
 けれど、たたでは叶えません。
 一つ願えば指一つ、二つ願えば指二つ。大きな願いは指多く。
 叶えたぶんだけ折りまする。折る指ないなら、命を頂く。
 それでもよいなら、どんどん願え、そら願え』

 現代語訳されたそのわらべ歌は、康たちに起きている現象とぴったり一致するものだ。
 ただしこの歌は欲張りすぎると碌な目にあわないという教訓目的に作られたと解釈がつけられていて、本当にこの歌のとおりのことが起こると示しているわけではない。

「……宏が死んだのは笹倉の死を願ったからか? 大きな願いって死を指してるんだろ?」

 信じているとは言いがたい声で康が言う。
 信じられないのは晃も同じ。今まで得た情報の中には本当に願いが叶ったと書かれたものはなかったし、そんな非現実的なことが起こっているとは思いたくもない。。けれども叶った出来事や怪我した指が、現実を突きつけてくる。

「俺たちどれだけ願ったっけ? 俺は十個はいってなかったはず」

 適当に願ったことを晃を必死に思いだす。

「俺は……十個いったかどうか。もし十個だとしたら……」

 康は詳しくは思い出せない。もし十個以上願っていたらと体が震えてくる。

「どうして願いが叶うのかを探り出したら、怪我することも死ぬこともなくなるかな?
 どう思う、康」
「聞かれたってわかるかよっ」
「……そうだよな。
 たんなる想像でしかないけど、いくつか思いついたことがあるから、それを試してみようかと思う。このままなにもしないでいるよりはましだと思うから」
「なにかいい考え思いついたのか!?」

 康は正直藁にもすがる思いだ。本気ではない悪ふざけともいえることが原因で死にたくはないのだ。

「想像でしかないからね?
 康が来る前に調べたことでわかったことがあるんだ。それはあの地蔵が一度壊されたこと。昔の新聞に載ってた」
「壊されたって、古かったけどどこも欠けてすらなかっじゃないか」
「願いを叶えることができるんだから、自分の修復くらいできそうじゃない?」

 その言葉に康は納得できた。たしかにその程度容易いだろう。

「修復するっていってもすぐにできないから、あの裏山で時間をかけて修復しているうちに今の時期になった。
 もしかしたらまだ修復中なのかもしれない。地蔵のあちこちにまだ傷が入ってたし」
「たしかに傷だらけだったな」
「その傷は表面的なものでそろそろ完全に直るかもしれない。
 それであとは元の位置に戻るだけなんだけど、いきなり何十年も前の地蔵が現れたら敬われるどころか、怪しまれて廃棄されるかもしれない。
 だから安全に元の位置に戻るために俺たちの願いを叶えたのかもしれない。ただの地蔵なら俺たちの関心引けないし。願いを叶えたら印象に残るだろ? それでほかの人に存在を知らせて、運び出されることを期待しているのかも」

 晃は怖さで自分たちに都合いい解釈を披露する。少し考えればこの解釈には穴があることに気づけるが、怖いのは康も同じで穴には気づけない。それどころか、賛同する。自分に都合のいいものだけを信じたいのだ。

「じゃあすぐに大人に知らせようぜ!」
「その前に念のためにしておきたいことがある」
「なんだよ!」

 得体の知れない恐怖から早く逃げ出したい康はすぐにでも誰かに知らせたい。

「地蔵にほかの願いを取り消してもらうんだ。願いが叶えば、その一回怪我するだけですむ。それに願いが十個以上だったら取り消しておくと、死ぬことはないだろ?」
「念のためか……やっといたほうがいいか」

 地蔵に近づくことは気が進まないが、死ぬよりはましと二人は裏山に入っていく。
 道を思い出しながら、地蔵のあった横穴に到着する。
 穴からでてくる冷気が今は不気味なものに思えて、二人は入ることに躊躇いをおぼえる。けれどやらなくちゃいけないことだと怖いながらも進み、地蔵に手を合わせる。
 願い終えた二人は競うように山道を駆け下りる。枝や草による切り傷ができたが気にしなかった。そのまま校内へと入り、通りがかった教師に地蔵をみつけたことを話す。
 話を聞いた教師はそんな場所に地蔵があるのはおかしいと考え、ほかの教師を誘い一度現場を見てみることにした。
 康たちに案内された教師たちは、祀られているように見えない地蔵を見て、誰かが悪戯で運びこんだのかと考える。動かす前に元からここにあったのか役所に問い合わせることにする。自分たちが知らないだけで安置されている可能性もあり、むやみに動かせないと考えたのだ。
 役所の人間もそんな場所にあるのはおかしいとは思ったが、資料を調べてみないことには詳しいことはわからず、今日はそのままにしておいてくれと教師に返答した。
 康たちと教師たちは今日のところはなにもせず帰ることにする。
 教師は地蔵のことをほかの人間には話さないように康たちに注意し校内へと戻る。
 グランドに残った二人を夕日が照らす。

「これで解決したんだよな?」
「たぶん。間違ってても願いごとで取り消したから大丈夫だと思う。あとは怪我が軽いものであるように祈るだけ」

 康が大きく安堵の溜息を吐いた。

「一個くらい願いごと残しとしてもよかったんじゃね?」

 命の危機が去ると、冗談を言う余裕も出てきた。
 そんな康を呆れたように晃が見る。

「命あってのものだねって言うだろ」
「そうだな。あんな怖い思いは二度とごめんだしな」

 疲れた二人は会話もなく歩き、やがてそれぞれの家路へとわかれた。

 その夜、十時を過ぎた頃。
 山道往復による肉体的疲労や恐怖による精神的披露から、康は早くにベッドへと入った。熟睡するに十分な条件が揃い、康は夢もみない深い眠りを幸せそうにむさぼっていた。
 それなのに目が覚めたのはなぜだろう? するりと肌に触れた冷気のせいか、威圧感を感じたか。
 寝ぼけた目を擦り、壁にかかった時計を確認する。
 視線を戻す際に、影を見た。カーテン前にあるなにかの影。そんな位置になにかあったかと首を傾げ、起き上がる。
 音も立てずに影が動く。
 わけもわからず、康は影に見入る。動くことを忘れたかのようにただじっと影を見ている。
 影がベッドそばまできたとき、カーテンの隙間から入ってきた光が影を照らした。
 康が見たのは、恨みや怒りといった負の感情で顔を歪めた地蔵。
 どうしてここに? 全て終わったはずでは? と思っている間に頭部に衝撃を感じ、悲鳴をあげることすらできず意識が閉ざされることとなる。
 急速に薄れゆく意識の中に十一個目という文字が割り込んですぐに消えた。それがなにか考える暇もなく、康の意識は闇に沈んで二度と浮かび上がることはなかった。
 居間でテレビを見ていた康の両親は鈍い殴打音に気づかずにいた。康の遺体が発見されたのは翌朝、いつまでも起きてこない母親によってだ。

 晃が康の死を知ったのは翌日の夕方のこと。クラスの連絡網で通夜のことを知らされたときだ。
 晃の意識を占めるのは終わってなかったのかという思いだ。
 人々に再び敬われる環境を取り戻すという考えが外れていたとして、もう一度晃は考え始める。
 そして別の推測が浮かんだ。
 それは復讐。壊されたことに対して地蔵は怒りを感じていて、復讐を果たしたかったのでは? しかし自由自在に動き回ることはできず、わらべ歌のように願いを願った者に八つ当たりしていたのかもしれない。
 この考えも以前の考えも所詮推測にすぎない。
 警察に康殺害のことについて聞かれたとき、晃は知らぬ存ぜぬで通す。地蔵が殺したと言って信じられるはずはないし、自身も確信はないのだから。

 この日から何年も晃は、今度は自分の番ではないのかと死の恐怖に怯えて暮らすことになる。
 もともとの位置に安置された地蔵のそばを通ることもなかった。
 そしてときおり聞こえてくる殴打による殺害や指の怪我の噂に耳を閉ざし、関わろうとすることはなかった。
 自分たちが恐ろしいものを世に解き放ったのではないかと考えてしまうから。

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