2010年09月26日
生まれ変わってドラクエ 17-4
「そろそろ出発しよう。あまり休みすぎるのもね」
魔物との戦闘はなく十分ほど休んだあと、そう言って立ち上がるアークにつられて、話していたラッドとレシャが立ち上がり、ほかの者も遅れて立ち上がった。
問題の四階に上がり、中央の部屋へと静かに移動していく。
アークとエイヤーがこそりと覗き込んだあと、アークがカズキを手招きする。そして小声で頼む。
「一匹だけ種類の違う魔物がいるんだけど、兄さんなら知ってるかもしれないから、覗いてみて」
カズキは頷き、物音を立てないよう覗き込む。そこにはさまよう鎧と大王ガマと笑い袋がいて、一匹だけ地獄の騎士がいた。数を合計すると十二体。回復役の笑い袋が二体だけなのは運がいいのだろう。
地獄の騎士を見て、カズキの顔が引きつる。ネクロゴンドの洞窟にいるはずの魔物がここにいるのだ。驚くなというほうが無理だ。それに加えて、ゲームで見た地獄の騎士と違いがあり、四本の剣ではなく、二本の鉄の剣と二枚の鉄の盾を持っている。兜も真新しい鉄製で防御面も考えられた装備だ。ゲームほど簡単に倒せはしないだろう。
「一匹だけの奴は地獄の騎士。ここら辺の魔物とは格が違う。攻撃力の高さ、防御力の高さ、体力の高さに加えて、腕が多いから手数も違うし、こっちを麻痺させる息も吐いてくる」
「つまりあれがリーダー格と考えていいってこと?」
「だろうね。あれより上がいるのは考えたくないな」
「……ちなみに夜叉童子より強い?」
「それはない。あれよりは下」
だからこそカズキはまだ戦意を保っていられる。夜叉童子がいたら、即座に逃げ出すことを提案していただろう。
一度入り口から離れ、全員で簡単に作戦を決めていく。
始めにアロアがヒャダルコで、広範囲を攻撃。そして突入し、アークとグラッセが地獄の騎士へ、ラッドとカズキは笑い袋へ、アロアとレシャは入り口付近で待機、エイヤーはその二人の護衛。
レシャはマホトーンで魔物たちの呪文を封じ、アロアはいつものように補助に回る。
カズキとラッドは笑い袋を倒したあとは、大王ガマへ。
フリーとなったさまよう鎧や大王ガマがアロアたちへ向かってきたら好都合、アークたちを巻き込まずに攻撃呪文を使える。
決めた作戦はこういった具合だ。
皆視線を交わし頷き、動き始める。
アロアがヒャダルコを使う準備を整え、部屋入り口に駆け寄る。それで地獄の騎士たちはアロアに気づいた。
「吹きすさべ氷牙! ヒャダルコ!」
部屋の中へと氷弾が飛ぶ。アロアへと近寄ろうとした魔物たちは、ヒャダルコをまともに食らう。ただ全員にダメージがいったわけではない。さまよう鎧が壁となり、落としておきたかった笑い袋は無傷だったのだ。
すぐに笑い袋からさまよう鎧へとホイミが飛ぶ。地獄の騎士と大王ガマは回復を待つことなく、アロアへと近づく。
最初の役割を終えたアロアの横をアークたちが駆け抜けていき、それぞれの魔物へと向かっていく。
「波動よ、魔を封じなさい! マホトーン!」
アークが地獄の騎士に斬りかかると同時に、レシャがマホトーンを使った。魔物たちの間を目に見えない波動が走る。大王ガマたちはラリホーを使おうとして、使えないことに慌てた様子を見せている。笑い袋は魔封じの波動を打ち破ったのか、ホイミを使い続けていた。
大王ガマとさまよう鎧を無視して、笑い袋に駆け寄ったカズキとラッドはその勢いのまま笑い袋を蹴り、ほかの魔物たちから離す。
部屋の隅へと飛んだ笑い袋を追ったラッドは、鉄の斧を叩きつける。その一撃で倒すことはできず、少しの間ホイミと攻撃の交互が続くが、上手く急所に当たり、倒すことができた。
笑い袋を倒したあとは、近づいていた大王ガマへと向かっていく。
カズキは足を止め、ヒャドを放つ。二度ヒャドを使えば倒せると踏んだのだ。そして二度目のヒャドを使っている最中に、背後から衝撃を感じ倒れ込む。ヒャドはやや狙いをそれたが、笑い袋にかすった。それが止めとなった笑い袋は死に消えていった。
倒れたせいで笑い袋を倒したことを確認できないカズキは、背後から攻撃した者を確認する前に、笑い袋の生死を確認するため、倒れたまま笑い袋がいたところへ視線を向ける。笑い袋が消えていくのを確認して、急いで体を起こし、背後から攻撃した魔物へと振り返る。けれどもそこには何もいない。どこにいったと思った瞬間、今度は頭に衝撃を受けた。
何事だとパニックになりそうな心を必死に押さえつけ、ふらふらと立ち上がる。痛い頭を手で抑えたカズキは、すぐそばにいた大王ガマを見て、何があったのか察した。
背後からカズキを攻撃した大王ガマは、その後すぐに飛び上がり頭上から体当たりを仕掛けたのだ。カズキがすぐに振り返っていれば、飛び上がる瞬間を見て攻撃を避けることができていたはずだ。
薬草を食べて痛みもふらつきもなくしたカズキは、目の前の大王ガマへと棒を突き出す。
アロア、レシャ、エイヤーは協力して、アークたちが無視した魔物の相手をしている。
エイヤーはナイフを振るってはいるが、倒せるほどのダメージは与えられていない。さまよう鎧にはまったく無効ですらある。そのことを気にしていない。宣言していたように、倒すことよりも撹乱することに重きを置き、アロアとレシャに近づけないよう立ち回っている。
レシャはエイヤーが怪我した時に、ホイミをかけることを主に行っている。ほかはエイヤーの攻勢を掻い潜り近づいてきた魔物を杖を使って、突き飛ばすくらいだ。
アロアは自分を含め、レシャとエイヤーにスクルトを使ったあと、メラでエイヤーに当てないよう魔物を攻撃している。ヒャドを使わないのは魔力節約だ。
三人とも倒すことよりも耐えることを考えている。もう少しすれば、カズキとラッドが加勢するとわかっているのだ。自分たちで倒してしまおうと考える必要はなかった。ここで全力を尽くすつもりもない。この場が今日の最終決戦場とは限らないのだから。
そうこうしているうちに、ラッドがさまよう鎧へと斧を叩きつけ加勢し、遅れてカズキが勢いをつけた突きを大王ガマへとぶつける。
これで取り巻き討伐組の形勢は決まった。
アークとグラッセは左右から地獄の騎士へと攻撃していた。
その攻撃を地獄の騎士は上手く捌き、二対一という不利を感じさせない。むしろ優勢だ。攻撃力の高さゆえに一撃一撃が重く鋭い。かするだけでイシス周辺の魔物と同じだけのダメージを与えてくる。さらにはアークたちの攻撃はしっかりと避けたり盾で受け止めるので、地獄の騎士が食らうダメージは少ない。もとからの丈夫さもあって、与えられているダメージは五以下だ。
不利なのにはアークの攻撃方法が制限されているというのもある。突きがほとんど意味ないのだ。
当たり前だが地獄の騎士は骨の魔物で、肉はない。だから突いてもきちんと狙わないと骨の間をすり抜ける。頭部や骨盤といった狙いやすい箇所を狙えば命中させやすいが、地獄の騎士もそれはわかっている。狙う場所がわかっていれば、防ぎやすいのだ。
そうなると自然と突きは使う回数は減り、斬り薙ぎの二種類を多用し、戦いの幅が狭まるのだ。
すでに二人が使った薬草は三つずつ。地獄の騎士は回復手段を持ってはいないが、このままでいくと地獄の騎士の体力が尽きるよりも早く二人の持つ薬草と体力が尽きる方が早い。
二人はカズキが言った、ここらの魔物とは格が違うといったことを身をもって実感していた。
このままではやばいかなと二人は同じことを考えている。そこへ取り巻きを倒したカズキたちがやってくる。目の前の敵に集中していた二人は、取り巻きが全滅していたことに気づかなかった。余所見する暇などなかったのだ。
しかし人数が増えたところで優勢になるかというと、そうでもない。一度に攻撃できる人数は限りあるのだ。無理して四人だが、その四人すら地獄の騎士は相手取ることができるとアークは見ていた。それだけ動きがすごい。
それでもアークは参戦してきたカズキとラッドを止めはしない。手数が増えることは歓迎できることだし、四人相手はさすがに思考に隙ができるだろうと踏んだからだ。
囲まれた地獄の騎士は四人を一度に相手にしなかった。その場で回転し、剣を振り回す。呼び動作のわかりやすい隙の大きな攻撃なので、囲んでいる四人は一歩下がり無事に避けた。
この回転斬りは、ダメージを与えることを目的としたものではない。四人を一度自分から離して、一動作分の時間を稼ぐためのものだ。
回転を止めた地獄の騎士は大きく息を吸い込み、四人が攻撃する前に自分を中心にやけつく息を吐いた。前方に吐いたわけではないので、広範囲に効果が及ぶということはなく、アロアたちにまでは届かなかったが、囲んでいた四人はまともに息を浴びた。
「っ!?」
やけつく息を浴びたカズキは、目の痛み、鼻と喉の奥に痛みに動きを止めた。すぐに目に涙が滲み視界が悪くなる。誰かが咳き込む声も聞こえてくる。
これがやけつく息の効果かと、満月草を使った薬を取り出そうとポケットを漁る。
そうしていると歪んだ視界に影が差す。そして次の瞬間顔に重い衝撃を受けて床に仰向けで倒れこんだ。意識が朦朧として体に力が入らず、しばらくは倒れたままとなる。
カズキを殴ったのは、当然地獄の騎士だ。やけつく息で四人の動きを止め、各個撃破を企んだ。
最初に一番弱そうなカズキを盾で殴り、次に防御力の低そうなグラッセを袈裟斬りにし、最後にラッドを蹴り飛ばした。
グラッセは胸部を斬られ気絶、早くホイミをしなければ出血多量で死んでしまう状態だ。ラッドは鎧の上から蹴られたにもかかわらず、あばらにひびが入る。こちらは気絶まではいっていないが、意識が朦朧としている。
欲を言えばアークにも一回斬りつけたかった。だがやけつく息のアドバイスを聞いていて、咄嗟にマントで口と鼻を押さえ対処していたアークには、手を出すのは難しかったのだ。
地獄の騎士とアークの一対一の戦いが始まる。
エイヤーとレシャは三階から上がってきた魔物に気づいて、足止めをしている。アロアはスカラをアークに使った後は、なにか思案していた。
状況は地獄の騎士有利だ。やけつく息の大部分を防いだとはいえ、アークの目は涙が滲んでいて、視界が良いとはいえない。その状況で、二対一でどうにか持っていた戦いを有利へは持ってはいけなかった。
あらゆる角度から襲い掛かる剣を、アークは剣と盾を使って防ぐことで精一杯だ。反撃の機会など掴めない。
スカラのおかげで大ダメージは受けてはいないが、体中小さな切り傷でいっぱいになっている。じりじりと減っていく体力を自覚し、焦る心を抑えつけ機会を待つ。
倒れている誰かが起きてくることが反撃の機会に繋がると考えている。だが未だ誰も起きてこない。
「くっ」
このままでは薬草を使う暇もなく、体力が尽きてしまうと思っていた時、背後から強い魔力を感じた。
「アークさん! 左右どちらでもいいので、避けてください!」
強いアロアの声に、半瞬迷い従った。
左へと飛びながら、ちらりと視線をアロアに向ける。見えたのは両方の手にそれぞれメラを出していたアロアの姿だ。
そのままアロアは両手を胸の前に持っていき、一つになった炎の塊を地獄の騎士へと押し出した。
未完成の技術故に、アロアの両手は自身の呪文で火傷を負っている。それでも発動は成功させた。
「合体呪文メラ!」
メラの倍以上の大きさとなった炎球が、地獄の騎士へと迫る。
真っ直ぐ迫るそれを地獄の騎士は避けようと動き、半歩動いたところで止まってしまう。
地獄の騎士の動きを止めたのは、どうにか意識をはっきりとさせたラッド。痛む体を押して、斧を投げつけ地獄の騎士の動きを止めたのだ。エイヤーが模擬戦でナイフを投げ、カズキを戸惑わせた場面を思い出し、咄嗟に投げたのだった。
止まった地獄の騎士の右上半身に、合体メラが命中する。
アロアの攻撃は、今日一番の大ダメージを与えた。それ以上の成果が、右腕二本を奪ったことだ。合体メラが直撃した部分は黒く焼け焦げ、地獄の騎士が腕を動かそうとすると砕けたのだ。
「おおおぉっ!」
剣と盾が床に落ちた音を、アークの叫び声が掻き消した。
これが待ち望んでいた機会だと、アークは地獄の騎士へ突っ込んでいく。体力は薬草で回復させていて、怒涛の勢いで剣を振る。
突然二本の腕が失われたことで動揺している地獄の騎士は、上手く体のバランスが取れないこともあり、アークの攻撃を捌けず食らっていく。
やがてアークの剣は地獄の騎士の首を捉えた。
斬り飛ばされ地面へと落ちた頭蓋骨。天井へと向けられた地獄の騎士の目は、突き立てられようと迫るアークの剣を捉え、それが最後の映像となった。
意識が消え行く最後の瞬間、地獄の騎士は自身の仇討ちを夜叉童子へと願う。
それを感じ取ったのか、兵たちと魔物の衝突を上空から見ていた夜叉童子はピラミッドへとわずかに黙祷し、目的は果たしたと眼下の衝突結果を見ることなく飛び去った。
魔王軍にとってはジパング乗っ取りが失敗した今、イシス侵攻は成功させたいことだった。けれども夜叉童子個人にとってはたいして興味のないことだったのだ。
夜叉童子が力で抑えつけ、もともとしっかりとまとめられているわけではなかった魔物たちは、夜叉童子がいなくなったことで好き勝手に動き出す。空から発せられていた、夜叉童子のプレッシャーがなくなったことを敏感に感じ取ったのだ。
戦いを継続するもの、逃げるもの、倒れた兵を食べ始めるもの。本当に自由な行動を取り始めた魔物たち。
すべての魔物が攻めていたこれまでと違い、戦う数が減り兵たちはここが雌雄を決する転換期だと、疲れた体に鞭打ち魔物に各々が持つ武器を叩きつけていく。
これで状況はイシス勝利へと傾いた。夜叉童子が戻ってこないかぎりは、逆転の目もない。
たった数時間ではあるが、戦争と呼べる戦いは徐々に終わりに近づいていた。
終わりはピラミッド内も訪れている。いやこちらの方が一足早いか。
薬草を使い回復したラッドが、エイヤーたちに加勢し魔物たちを倒す。
部屋にはあちこちに金貨が落ちており、それが戦闘の終わりを告げていた。
アークがカズキを、アロアがグラッセを薬草で回復していく。グラッセは治療が間に合い、死ぬことはなかった。ただ血が足りず、今日はもう戦えない。
誰もが床に座り込み、激しかった戦いの疲れを癒す。
「終わったんだよね?」
「ああ、リーダー格は倒した」
はりのないアークの問いに、同じくはりのない声でグラッセが答えた。
「あとは魔物を生み出すなにかを、どうにかしないとね」
カズキの声に、地獄の騎士と戦った者たちの表情が歪んだ。このまましばらくは動きたくないのだ。
「気持ちはわかるけどね。それも頼まれたことだからやらないと。
たぶんこの魔法陣を消すなり、一部を削るなりすればいいと思うよ」
「魔法陣?」
ラッドが首を傾げている。
そのラッドに、カズキは人差し指を床に向け示す。
全員の視線が床に向かう。床一杯に黒い文字が模様を描くように書き込まれていた。
本来ならばここには宝箱が置かれていたはず、それらがないことをカズキは不思議に思い、戦う前に床を見て魔法陣を発見していたのだ。
「これが魔物を生み出していたなにかで間違いないんですか?」
レシャがカズキに聞く。
「こんな文字を俺は知らない。
情報の集まるところで働いていた俺だから、古今東西の文字は見たことあるんだ。ワインボトルとかに使われてるからね。
そんな俺が知らない文字で描かれた陣って怪しいと思わない?」
「そうかもしれませんけど、偶然知らない文字って可能性もありますよ?」
「うん、そうだね。だからこれをどうにかしたあとも、念を入れて探す必要はあると思う。
ようは怪しい物を一つ潰せたって、少し安心していいんじゃないかなってとこ」
「……たぶんこれで間違いないと思う」
床に手を当てた格好でアロアが言う。呪文の扱いに長けたエルフとなっているアロアは、陣を流れる魔力が地下へと向かっているのを感じ取ったのだ。
アロアは、陣の効果が地下に作用していると説明する。
エルフだと知っているアークたち三人はそれで納得するが、事情を知らないラッドたちは未だ納得できないでいる。
ラッドたちを手っ取り早く納得させるため、アロアはフードに手をかけ、グラッセが止める間もなく外した。
「エルフ?」
ラッドたちの声が重なる。
再びアロアはフードを被る。
「エルフが呪文に長けているのは知っているでしょう?
そのエルフが陣の魔力を感じ取り、魔力が地下に向かっていると言っているのだから、納得できませんか?」
アロアの言葉にラッドたちは反応を見せない。突然現れた、イシス女王に匹敵しようかという美貌に驚き見惚れたのだ。
聞いてなかったのかとアロアは小首を傾げる。
「……顔を隠していたのは容姿が目立つから?」
レシャの問いにアロアは頷いた。
「それだけ綺麗なら顔を隠すのも分かる気がする。
ご両親のどちらがエルフなの?」
ハーフだろうと思い、物珍しさから聞く。
グラッセが人間ということに気づいていないからこその質問だ。アロアがハーフならば、グラッセもハーフでなければおかしい。だがグラッセはエルフの要素を感じさせない。
ここに気づいていれば、この質問の違和感に自分で気づけただろう。
「事情があって、その質問は答えられないの。ごめんなさい」
「他人が家庭の問題に踏み込むべきじゃなかったわね。こちらこそ軽率でした」
互いに頭を下げる。
その二人の会話を聞きながら、カズキは棒の先で魔法陣の一部を削ろうとして止まる。素人が手を出していいものかと思い、止まったのだ。
「アロア」
「なんです?」
「この魔法陣を止めるのって、どこか一部分でも消せばいい?」
「ごめんなさい、勉強不足でそういったことはわからないんです。
消すなりすれば、おそらく正常な運行は行えなくなるとは思いますけど」
「下手に触ると暴走して、ガイコツが生み出される速度が上がる可能性もあるか。
エイヤー」
「なんだ?」
「イシスに呪文を研究する人っている?」
「いるぞ。
そいつらに解析させて止めた方が安全だと思うんだな?」
カズキは頷いた。
エイヤーは少し考え、同じ結論に至る。
「俺もカズキと同じ判断だ。誰か今すぐ対処した方がいいって奴はいるか?」
この問いに皆、首を横に振る。満場一致で触らないということなる。
そう決めて上階へと向かったアークたち。その一時間後、魔法陣は動きを止めた。アロアがいればわかったことだが、魔法陣を動かしていた魔力が尽きたのだ。
この魔法陣は、夜叉童子が一日二回魔力を注入することで動いていた。その夜叉童子がいなくなり、補充がされなくなったことで動きを止めた。
アークたちは屋上からキメラの翼でピラミッド入り口に移動したことで、このことに気づかなかった。
おかげで、エイヤーの案内でやってくる研究者たちは無駄足となるのだった。
ピラミッド入り口から勝敗が決した戦場を見るアークたちは、朝にあった兵たちの戦意の高さの代わりに、濃い血肉の臭いを感じ取り顔を顰める。
人と魔物の血がどれほど流れたのか、アークたちには多く流れたのだろうとしかわからない。
ピラミッド探索が終わったら、戦場に向かおうと思っていたアークは狂気が含まれる初めての雰囲気に飲まれ、行く気が起きない。そしてほかの者たちもアークと同じ思いだ。
「陣地に戻ろう」
こうアークが言った時、あきらかに皆ほっとした表情となる。
一行はキメラの翼で陣地に戻り、司令部のあるテントに向かう。
報告があると門番役の兵に伝え、補佐役を呼んでもらう。けれども出てきたのは見知らぬ人だった。
「補佐役さんはどうしたんですか?」
ここにいるはずの補佐役が出てこないことにアークは疑問を感じ聞いた。
「戦いが始まった頃から姿が見えないのですよ。
なにか問題があって王都に戻ったか、戦いに巻き込まれたかと考えています」
死んだかもしれないと告げられて、アークたちは沈んだ表情となる。
「ご用件は代わりに私が聞くことになります。
連絡事を聞かせてもらえますか?」
「リーダー格と思われる魔物を倒しました。それとイシスの先祖を魔物と化していた魔法陣を四階で発見、暴走の危険も考慮して手は出さずに戻ってきました」
「リーダー格の死亡は、魔物たちの統率がなくなったことから推測できていました。おかげで戦いが楽になったようです。
魔法陣の処理はこちらで受け持つと判断してよろしいですね?」
「はい」
「わかりました。女王にそのように伝えて、素早い対処を願っておきます。
ではこれであなた方に託した仕事は終了と判断させてもらいます。
お疲れ様でした。休息を望むのならば、キメラの翼で王都に戻ったほうがいいかと。ここは後処理で騒がしくなり、落ち着いて休めないと思いますから」
失礼しますと一礼し、男はテント内に入っていった。
アークたちは話し合い、すぐには帰らず、日が暮れるまで怪我人の治療を手伝っていくことにした。
ホイミや薬草を使い、魔力と在庫がなくなると包帯を巻いたりできるかぎりで治療を手伝っていく。
夕暮れが近づくにつれ、徐々に兵たちが戻ってくる。未だ元気な者、疲れ果てた者、大怪我をしている者、死者となっている者、様々だ。その誰もが血と砂で汚れ、荒々しい雰囲気を纏っていた。
日が暮れアークたちが帰った後も、兵たちは休むことなく動き続ける。
野ざらしとなっている兵の死体を、陣地に運ばなければならないのだ。ほうっておくと魔物や獣に食べられてしまう。
兵たちが優先するのは五体無事な死体だ。欠損が多いと生き返ることはできない。
腕一本なくなっている程度ならば教会で蘇生可能なのだが、首が胴から離れていたり、あちこち食い散らかされ欠けた箇所が多いと教会では蘇生はできない。そうなった場合でもザオリクやザオラルの使い手がいれば、蘇生は可能だ。ようは死後の経過時間が問題となっていると、世の学者は言っている。
今回の戦いで死んだ者は半数以上が蘇生不可だった。戦いを放棄して、食欲を優先した魔物がいたせいだ。
死が決定した死体は一ヶ所にまとめられ、朝方火葬された。その火葬はイシス兵だけではなく、傭兵も混ざっている。国許の墓地に葬ってあげたかったのだが、判別不可能な死体もあり、一緒に燃やしたのだった。
夜が明けると、今度は死体の代わりに、落ちているゴールド集めが始まる。
それが終わり、ようやく兵たちはイシスへと帰って行った。
王都に帰り一夜明け、昼前まで寝ていたアークたち四人はようやく動き出す。
一緒に帰ってきたラッドたち三人は、宿に泊まらず城に戻っており、ここにはいない。
「アーク? なにしてるのさ」
起きてすぐに着替えだしたアークに疑問を抱いたカズキ。
「城に行こうと思って。帰ってきたこと、魔法の鍵をもらったことを報告に行ってくる。
一緒にくる?」
「行かない」
「だと思った。
魔法の鍵持ち出したって証明するために持っていくよ」
「了解。いってらっしゃい」
「いってきます」
ベッドの中から動かないグラッセとアロアを気遣ってか、静かに扉を開け閉めしアークは出て行った。
カズキはベッドに上にあぐらをかき、小さく鳴った腹を押さえる。
「腹減ったな……食堂でなにか食べよ」
カズキも手早く着替え、財布をポケットに入れる。
「グラッセ、アロア、食堂に行かない?」
「行きます」
「俺はちょっと起きれない。軽いものでいいから持ってきてくれ」
昨日血が流れすぎたグラッセは、いまだに体がふらふらとしていて動き回るのは難しかった。
カズキはわかったと返答し、アロアが着替えるため部屋を出て、扉の前で待つ。
二人は抜いた朝食の分も合わせて、多めに注文する。
食べ終えた二人は、グラッセの料理を持って部屋に戻る。二度寝していたグラッセを起こし、持ってきた料理をベッドの上に置く。
慌しかったここ数日と打って変わり、のんびりとした雰囲気に包まれ、三人はわずかに残る疲れを癒していく。
城に上がったアークはそれほど待たずに謁見室へと通された。
「報告は届いていますよ。お疲れ様でした。
無事、魔法の鍵も回収できたようですね」
「はい、ここに」
得たことを示すため、ポケットから魔法の鍵を取り出す。
それを見て、女王は頷いた。
「ほかに種などの道具も得たようですが、それも持っていってかまいません。
旅の役に立ててください」
「ありがとうございます」
アークは深々と頭を下げた。
ピラミッドで手に入れたのは、賢さの種と素早さの種、小さなメダル三枚。
魔法陣のあった部屋に、本来ならば置かれていたはずの宝箱はその形跡すらなかった。このことを知っているのはカズキだけで、魔物に持ち去られたのだろうと一人で納得し、誰かにそのことを言うことはなかった。
「宰相、用意していたものをこちらに」
「はい」
女王の呼びかけに応え、宰相は近衛兵に持たせていた盆を持って、アークに近づく。
「この度の働きに対する褒賞です。どうぞお受け取りください」
「どうぞ」
「いいのですか?」
褒美目当てで参戦したわけではないし、すでに魔法の鍵を得ているので、アークは褒美を貰うことに躊躇いを覚える。
女王は微笑みを浮かべて頷き、ほかの者たちも反対といった表情は浮かべていない。
もらったものを後で確認すると、街や城で手に入るアイテムと二千ゴールドが入っていた。星降る腕輪も入っていて、価値を知っているカズキと価値を教えられた三人は本当に受け取っていいのか、少し悩むことになる。
結局役に立つので、旅をする間借りておこうと決まり、グラッセが装備することになった。
「ありがたくいただきます」
「ええ、そうしてください。
さらに授けるものがあります。サークレットをこちらに渡してもらえますか?」
女王に従いアークはサークレットを女王に渡す。
女王がサークレットの宝玉に指を当てた場面に既視感を覚え、すぐに思い出した。ロマリア王がアークを勇者と認めた時と同じなのだ。
「この度の活躍を持って私イシス女王は、アークを勇者と認めます!
精霊よ、イシスを治める命を受け取りし人間が請う。ここに勇者あり、私はこの者を認める。ゆえに古より伝わりし力の一つをこの者に授けたまえ。*****」
儀式を終え、女王は王座から立ち上がり、サークレットをアークの頭に被せる。この場にいる全員が大きく拍手をして、勇者と認められたことを祝う。
「ありがとうございます!」
「これでトヘロスという呪文が使えるようになります。詳しいことは精霊から教えてもらえるはずです」
「ロマリアでも同じように呪文を授かったので、その辺は理解しております」
「そうでしたか。
この後はポルトガに向かうのでしたね」
「はい。船が手に入ればと思いまして」
「旅の無事を祈っています。余裕があれば再びイシスを訪れてください。歓迎しますよ」
そっとアークの頬に手を当て微笑を浮かべて、女王は玉座に戻る。
これでアークたちがイシスですることはなくなった。
一日休息を取った四人は、ラッドたちに見送られてロマリアへと飛んだ。
一行が去っていくらか経った頃、ピラミッドへ巡回に向かう兵が補佐役らしき死体を発見した。
なぜか魔物や獣に食い散らかされることなく干からびていた死体は、服装や身体的特徴から補佐役と断定された。
死因は強力な呪文による殺人。
それ以上の情報は得られず、誰がなぜ殺したのかさっぱりわからないまま、火葬されピラミッドへと葬られた。
実のところ、補佐役の肉体的な死は呪文によるものだが、精神はそれ以前に死んでいた。時期はピラミッドに魔物が集まる少し前だ。
補佐役は夜叉童子にスパイ役として見初められていた。精神を壊され、怪しい影が体を操り、イシスの内部情報を夜叉童子へと送っていた。
アークたちがピラミッドへ向かったあと、補佐役は夜叉童子にそのことを知らせに向かった。そして情報を受け取った夜叉童子は、用済みとして怪しい影ごと補佐役を殺したのだった。
死体に怪しい影の気配が残っていたため、食い散らかされずにすんだ。
これがアークたちの知らないところで起きた出来事だ。そして今後誰にも知られずに消えてく出来事でもある。
18へ
魔物との戦闘はなく十分ほど休んだあと、そう言って立ち上がるアークにつられて、話していたラッドとレシャが立ち上がり、ほかの者も遅れて立ち上がった。
問題の四階に上がり、中央の部屋へと静かに移動していく。
アークとエイヤーがこそりと覗き込んだあと、アークがカズキを手招きする。そして小声で頼む。
「一匹だけ種類の違う魔物がいるんだけど、兄さんなら知ってるかもしれないから、覗いてみて」
カズキは頷き、物音を立てないよう覗き込む。そこにはさまよう鎧と大王ガマと笑い袋がいて、一匹だけ地獄の騎士がいた。数を合計すると十二体。回復役の笑い袋が二体だけなのは運がいいのだろう。
地獄の騎士を見て、カズキの顔が引きつる。ネクロゴンドの洞窟にいるはずの魔物がここにいるのだ。驚くなというほうが無理だ。それに加えて、ゲームで見た地獄の騎士と違いがあり、四本の剣ではなく、二本の鉄の剣と二枚の鉄の盾を持っている。兜も真新しい鉄製で防御面も考えられた装備だ。ゲームほど簡単に倒せはしないだろう。
「一匹だけの奴は地獄の騎士。ここら辺の魔物とは格が違う。攻撃力の高さ、防御力の高さ、体力の高さに加えて、腕が多いから手数も違うし、こっちを麻痺させる息も吐いてくる」
「つまりあれがリーダー格と考えていいってこと?」
「だろうね。あれより上がいるのは考えたくないな」
「……ちなみに夜叉童子より強い?」
「それはない。あれよりは下」
だからこそカズキはまだ戦意を保っていられる。夜叉童子がいたら、即座に逃げ出すことを提案していただろう。
一度入り口から離れ、全員で簡単に作戦を決めていく。
始めにアロアがヒャダルコで、広範囲を攻撃。そして突入し、アークとグラッセが地獄の騎士へ、ラッドとカズキは笑い袋へ、アロアとレシャは入り口付近で待機、エイヤーはその二人の護衛。
レシャはマホトーンで魔物たちの呪文を封じ、アロアはいつものように補助に回る。
カズキとラッドは笑い袋を倒したあとは、大王ガマへ。
フリーとなったさまよう鎧や大王ガマがアロアたちへ向かってきたら好都合、アークたちを巻き込まずに攻撃呪文を使える。
決めた作戦はこういった具合だ。
皆視線を交わし頷き、動き始める。
アロアがヒャダルコを使う準備を整え、部屋入り口に駆け寄る。それで地獄の騎士たちはアロアに気づいた。
「吹きすさべ氷牙! ヒャダルコ!」
部屋の中へと氷弾が飛ぶ。アロアへと近寄ろうとした魔物たちは、ヒャダルコをまともに食らう。ただ全員にダメージがいったわけではない。さまよう鎧が壁となり、落としておきたかった笑い袋は無傷だったのだ。
すぐに笑い袋からさまよう鎧へとホイミが飛ぶ。地獄の騎士と大王ガマは回復を待つことなく、アロアへと近づく。
最初の役割を終えたアロアの横をアークたちが駆け抜けていき、それぞれの魔物へと向かっていく。
「波動よ、魔を封じなさい! マホトーン!」
アークが地獄の騎士に斬りかかると同時に、レシャがマホトーンを使った。魔物たちの間を目に見えない波動が走る。大王ガマたちはラリホーを使おうとして、使えないことに慌てた様子を見せている。笑い袋は魔封じの波動を打ち破ったのか、ホイミを使い続けていた。
大王ガマとさまよう鎧を無視して、笑い袋に駆け寄ったカズキとラッドはその勢いのまま笑い袋を蹴り、ほかの魔物たちから離す。
部屋の隅へと飛んだ笑い袋を追ったラッドは、鉄の斧を叩きつける。その一撃で倒すことはできず、少しの間ホイミと攻撃の交互が続くが、上手く急所に当たり、倒すことができた。
笑い袋を倒したあとは、近づいていた大王ガマへと向かっていく。
カズキは足を止め、ヒャドを放つ。二度ヒャドを使えば倒せると踏んだのだ。そして二度目のヒャドを使っている最中に、背後から衝撃を感じ倒れ込む。ヒャドはやや狙いをそれたが、笑い袋にかすった。それが止めとなった笑い袋は死に消えていった。
倒れたせいで笑い袋を倒したことを確認できないカズキは、背後から攻撃した者を確認する前に、笑い袋の生死を確認するため、倒れたまま笑い袋がいたところへ視線を向ける。笑い袋が消えていくのを確認して、急いで体を起こし、背後から攻撃した魔物へと振り返る。けれどもそこには何もいない。どこにいったと思った瞬間、今度は頭に衝撃を受けた。
何事だとパニックになりそうな心を必死に押さえつけ、ふらふらと立ち上がる。痛い頭を手で抑えたカズキは、すぐそばにいた大王ガマを見て、何があったのか察した。
背後からカズキを攻撃した大王ガマは、その後すぐに飛び上がり頭上から体当たりを仕掛けたのだ。カズキがすぐに振り返っていれば、飛び上がる瞬間を見て攻撃を避けることができていたはずだ。
薬草を食べて痛みもふらつきもなくしたカズキは、目の前の大王ガマへと棒を突き出す。
アロア、レシャ、エイヤーは協力して、アークたちが無視した魔物の相手をしている。
エイヤーはナイフを振るってはいるが、倒せるほどのダメージは与えられていない。さまよう鎧にはまったく無効ですらある。そのことを気にしていない。宣言していたように、倒すことよりも撹乱することに重きを置き、アロアとレシャに近づけないよう立ち回っている。
レシャはエイヤーが怪我した時に、ホイミをかけることを主に行っている。ほかはエイヤーの攻勢を掻い潜り近づいてきた魔物を杖を使って、突き飛ばすくらいだ。
アロアは自分を含め、レシャとエイヤーにスクルトを使ったあと、メラでエイヤーに当てないよう魔物を攻撃している。ヒャドを使わないのは魔力節約だ。
三人とも倒すことよりも耐えることを考えている。もう少しすれば、カズキとラッドが加勢するとわかっているのだ。自分たちで倒してしまおうと考える必要はなかった。ここで全力を尽くすつもりもない。この場が今日の最終決戦場とは限らないのだから。
そうこうしているうちに、ラッドがさまよう鎧へと斧を叩きつけ加勢し、遅れてカズキが勢いをつけた突きを大王ガマへとぶつける。
これで取り巻き討伐組の形勢は決まった。
アークとグラッセは左右から地獄の騎士へと攻撃していた。
その攻撃を地獄の騎士は上手く捌き、二対一という不利を感じさせない。むしろ優勢だ。攻撃力の高さゆえに一撃一撃が重く鋭い。かするだけでイシス周辺の魔物と同じだけのダメージを与えてくる。さらにはアークたちの攻撃はしっかりと避けたり盾で受け止めるので、地獄の騎士が食らうダメージは少ない。もとからの丈夫さもあって、与えられているダメージは五以下だ。
不利なのにはアークの攻撃方法が制限されているというのもある。突きがほとんど意味ないのだ。
当たり前だが地獄の騎士は骨の魔物で、肉はない。だから突いてもきちんと狙わないと骨の間をすり抜ける。頭部や骨盤といった狙いやすい箇所を狙えば命中させやすいが、地獄の騎士もそれはわかっている。狙う場所がわかっていれば、防ぎやすいのだ。
そうなると自然と突きは使う回数は減り、斬り薙ぎの二種類を多用し、戦いの幅が狭まるのだ。
すでに二人が使った薬草は三つずつ。地獄の騎士は回復手段を持ってはいないが、このままでいくと地獄の騎士の体力が尽きるよりも早く二人の持つ薬草と体力が尽きる方が早い。
二人はカズキが言った、ここらの魔物とは格が違うといったことを身をもって実感していた。
このままではやばいかなと二人は同じことを考えている。そこへ取り巻きを倒したカズキたちがやってくる。目の前の敵に集中していた二人は、取り巻きが全滅していたことに気づかなかった。余所見する暇などなかったのだ。
しかし人数が増えたところで優勢になるかというと、そうでもない。一度に攻撃できる人数は限りあるのだ。無理して四人だが、その四人すら地獄の騎士は相手取ることができるとアークは見ていた。それだけ動きがすごい。
それでもアークは参戦してきたカズキとラッドを止めはしない。手数が増えることは歓迎できることだし、四人相手はさすがに思考に隙ができるだろうと踏んだからだ。
囲まれた地獄の騎士は四人を一度に相手にしなかった。その場で回転し、剣を振り回す。呼び動作のわかりやすい隙の大きな攻撃なので、囲んでいる四人は一歩下がり無事に避けた。
この回転斬りは、ダメージを与えることを目的としたものではない。四人を一度自分から離して、一動作分の時間を稼ぐためのものだ。
回転を止めた地獄の騎士は大きく息を吸い込み、四人が攻撃する前に自分を中心にやけつく息を吐いた。前方に吐いたわけではないので、広範囲に効果が及ぶということはなく、アロアたちにまでは届かなかったが、囲んでいた四人はまともに息を浴びた。
「っ!?」
やけつく息を浴びたカズキは、目の痛み、鼻と喉の奥に痛みに動きを止めた。すぐに目に涙が滲み視界が悪くなる。誰かが咳き込む声も聞こえてくる。
これがやけつく息の効果かと、満月草を使った薬を取り出そうとポケットを漁る。
そうしていると歪んだ視界に影が差す。そして次の瞬間顔に重い衝撃を受けて床に仰向けで倒れこんだ。意識が朦朧として体に力が入らず、しばらくは倒れたままとなる。
カズキを殴ったのは、当然地獄の騎士だ。やけつく息で四人の動きを止め、各個撃破を企んだ。
最初に一番弱そうなカズキを盾で殴り、次に防御力の低そうなグラッセを袈裟斬りにし、最後にラッドを蹴り飛ばした。
グラッセは胸部を斬られ気絶、早くホイミをしなければ出血多量で死んでしまう状態だ。ラッドは鎧の上から蹴られたにもかかわらず、あばらにひびが入る。こちらは気絶まではいっていないが、意識が朦朧としている。
欲を言えばアークにも一回斬りつけたかった。だがやけつく息のアドバイスを聞いていて、咄嗟にマントで口と鼻を押さえ対処していたアークには、手を出すのは難しかったのだ。
地獄の騎士とアークの一対一の戦いが始まる。
エイヤーとレシャは三階から上がってきた魔物に気づいて、足止めをしている。アロアはスカラをアークに使った後は、なにか思案していた。
状況は地獄の騎士有利だ。やけつく息の大部分を防いだとはいえ、アークの目は涙が滲んでいて、視界が良いとはいえない。その状況で、二対一でどうにか持っていた戦いを有利へは持ってはいけなかった。
あらゆる角度から襲い掛かる剣を、アークは剣と盾を使って防ぐことで精一杯だ。反撃の機会など掴めない。
スカラのおかげで大ダメージは受けてはいないが、体中小さな切り傷でいっぱいになっている。じりじりと減っていく体力を自覚し、焦る心を抑えつけ機会を待つ。
倒れている誰かが起きてくることが反撃の機会に繋がると考えている。だが未だ誰も起きてこない。
「くっ」
このままでは薬草を使う暇もなく、体力が尽きてしまうと思っていた時、背後から強い魔力を感じた。
「アークさん! 左右どちらでもいいので、避けてください!」
強いアロアの声に、半瞬迷い従った。
左へと飛びながら、ちらりと視線をアロアに向ける。見えたのは両方の手にそれぞれメラを出していたアロアの姿だ。
そのままアロアは両手を胸の前に持っていき、一つになった炎の塊を地獄の騎士へと押し出した。
未完成の技術故に、アロアの両手は自身の呪文で火傷を負っている。それでも発動は成功させた。
「合体呪文メラ!」
メラの倍以上の大きさとなった炎球が、地獄の騎士へと迫る。
真っ直ぐ迫るそれを地獄の騎士は避けようと動き、半歩動いたところで止まってしまう。
地獄の騎士の動きを止めたのは、どうにか意識をはっきりとさせたラッド。痛む体を押して、斧を投げつけ地獄の騎士の動きを止めたのだ。エイヤーが模擬戦でナイフを投げ、カズキを戸惑わせた場面を思い出し、咄嗟に投げたのだった。
止まった地獄の騎士の右上半身に、合体メラが命中する。
アロアの攻撃は、今日一番の大ダメージを与えた。それ以上の成果が、右腕二本を奪ったことだ。合体メラが直撃した部分は黒く焼け焦げ、地獄の騎士が腕を動かそうとすると砕けたのだ。
「おおおぉっ!」
剣と盾が床に落ちた音を、アークの叫び声が掻き消した。
これが待ち望んでいた機会だと、アークは地獄の騎士へ突っ込んでいく。体力は薬草で回復させていて、怒涛の勢いで剣を振る。
突然二本の腕が失われたことで動揺している地獄の騎士は、上手く体のバランスが取れないこともあり、アークの攻撃を捌けず食らっていく。
やがてアークの剣は地獄の騎士の首を捉えた。
斬り飛ばされ地面へと落ちた頭蓋骨。天井へと向けられた地獄の騎士の目は、突き立てられようと迫るアークの剣を捉え、それが最後の映像となった。
意識が消え行く最後の瞬間、地獄の騎士は自身の仇討ちを夜叉童子へと願う。
それを感じ取ったのか、兵たちと魔物の衝突を上空から見ていた夜叉童子はピラミッドへとわずかに黙祷し、目的は果たしたと眼下の衝突結果を見ることなく飛び去った。
魔王軍にとってはジパング乗っ取りが失敗した今、イシス侵攻は成功させたいことだった。けれども夜叉童子個人にとってはたいして興味のないことだったのだ。
夜叉童子が力で抑えつけ、もともとしっかりとまとめられているわけではなかった魔物たちは、夜叉童子がいなくなったことで好き勝手に動き出す。空から発せられていた、夜叉童子のプレッシャーがなくなったことを敏感に感じ取ったのだ。
戦いを継続するもの、逃げるもの、倒れた兵を食べ始めるもの。本当に自由な行動を取り始めた魔物たち。
すべての魔物が攻めていたこれまでと違い、戦う数が減り兵たちはここが雌雄を決する転換期だと、疲れた体に鞭打ち魔物に各々が持つ武器を叩きつけていく。
これで状況はイシス勝利へと傾いた。夜叉童子が戻ってこないかぎりは、逆転の目もない。
たった数時間ではあるが、戦争と呼べる戦いは徐々に終わりに近づいていた。
終わりはピラミッド内も訪れている。いやこちらの方が一足早いか。
薬草を使い回復したラッドが、エイヤーたちに加勢し魔物たちを倒す。
部屋にはあちこちに金貨が落ちており、それが戦闘の終わりを告げていた。
アークがカズキを、アロアがグラッセを薬草で回復していく。グラッセは治療が間に合い、死ぬことはなかった。ただ血が足りず、今日はもう戦えない。
誰もが床に座り込み、激しかった戦いの疲れを癒す。
「終わったんだよね?」
「ああ、リーダー格は倒した」
はりのないアークの問いに、同じくはりのない声でグラッセが答えた。
「あとは魔物を生み出すなにかを、どうにかしないとね」
カズキの声に、地獄の騎士と戦った者たちの表情が歪んだ。このまましばらくは動きたくないのだ。
「気持ちはわかるけどね。それも頼まれたことだからやらないと。
たぶんこの魔法陣を消すなり、一部を削るなりすればいいと思うよ」
「魔法陣?」
ラッドが首を傾げている。
そのラッドに、カズキは人差し指を床に向け示す。
全員の視線が床に向かう。床一杯に黒い文字が模様を描くように書き込まれていた。
本来ならばここには宝箱が置かれていたはず、それらがないことをカズキは不思議に思い、戦う前に床を見て魔法陣を発見していたのだ。
「これが魔物を生み出していたなにかで間違いないんですか?」
レシャがカズキに聞く。
「こんな文字を俺は知らない。
情報の集まるところで働いていた俺だから、古今東西の文字は見たことあるんだ。ワインボトルとかに使われてるからね。
そんな俺が知らない文字で描かれた陣って怪しいと思わない?」
「そうかもしれませんけど、偶然知らない文字って可能性もありますよ?」
「うん、そうだね。だからこれをどうにかしたあとも、念を入れて探す必要はあると思う。
ようは怪しい物を一つ潰せたって、少し安心していいんじゃないかなってとこ」
「……たぶんこれで間違いないと思う」
床に手を当てた格好でアロアが言う。呪文の扱いに長けたエルフとなっているアロアは、陣を流れる魔力が地下へと向かっているのを感じ取ったのだ。
アロアは、陣の効果が地下に作用していると説明する。
エルフだと知っているアークたち三人はそれで納得するが、事情を知らないラッドたちは未だ納得できないでいる。
ラッドたちを手っ取り早く納得させるため、アロアはフードに手をかけ、グラッセが止める間もなく外した。
「エルフ?」
ラッドたちの声が重なる。
再びアロアはフードを被る。
「エルフが呪文に長けているのは知っているでしょう?
そのエルフが陣の魔力を感じ取り、魔力が地下に向かっていると言っているのだから、納得できませんか?」
アロアの言葉にラッドたちは反応を見せない。突然現れた、イシス女王に匹敵しようかという美貌に驚き見惚れたのだ。
聞いてなかったのかとアロアは小首を傾げる。
「……顔を隠していたのは容姿が目立つから?」
レシャの問いにアロアは頷いた。
「それだけ綺麗なら顔を隠すのも分かる気がする。
ご両親のどちらがエルフなの?」
ハーフだろうと思い、物珍しさから聞く。
グラッセが人間ということに気づいていないからこその質問だ。アロアがハーフならば、グラッセもハーフでなければおかしい。だがグラッセはエルフの要素を感じさせない。
ここに気づいていれば、この質問の違和感に自分で気づけただろう。
「事情があって、その質問は答えられないの。ごめんなさい」
「他人が家庭の問題に踏み込むべきじゃなかったわね。こちらこそ軽率でした」
互いに頭を下げる。
その二人の会話を聞きながら、カズキは棒の先で魔法陣の一部を削ろうとして止まる。素人が手を出していいものかと思い、止まったのだ。
「アロア」
「なんです?」
「この魔法陣を止めるのって、どこか一部分でも消せばいい?」
「ごめんなさい、勉強不足でそういったことはわからないんです。
消すなりすれば、おそらく正常な運行は行えなくなるとは思いますけど」
「下手に触ると暴走して、ガイコツが生み出される速度が上がる可能性もあるか。
エイヤー」
「なんだ?」
「イシスに呪文を研究する人っている?」
「いるぞ。
そいつらに解析させて止めた方が安全だと思うんだな?」
カズキは頷いた。
エイヤーは少し考え、同じ結論に至る。
「俺もカズキと同じ判断だ。誰か今すぐ対処した方がいいって奴はいるか?」
この問いに皆、首を横に振る。満場一致で触らないということなる。
そう決めて上階へと向かったアークたち。その一時間後、魔法陣は動きを止めた。アロアがいればわかったことだが、魔法陣を動かしていた魔力が尽きたのだ。
この魔法陣は、夜叉童子が一日二回魔力を注入することで動いていた。その夜叉童子がいなくなり、補充がされなくなったことで動きを止めた。
アークたちは屋上からキメラの翼でピラミッド入り口に移動したことで、このことに気づかなかった。
おかげで、エイヤーの案内でやってくる研究者たちは無駄足となるのだった。
ピラミッド入り口から勝敗が決した戦場を見るアークたちは、朝にあった兵たちの戦意の高さの代わりに、濃い血肉の臭いを感じ取り顔を顰める。
人と魔物の血がどれほど流れたのか、アークたちには多く流れたのだろうとしかわからない。
ピラミッド探索が終わったら、戦場に向かおうと思っていたアークは狂気が含まれる初めての雰囲気に飲まれ、行く気が起きない。そしてほかの者たちもアークと同じ思いだ。
「陣地に戻ろう」
こうアークが言った時、あきらかに皆ほっとした表情となる。
一行はキメラの翼で陣地に戻り、司令部のあるテントに向かう。
報告があると門番役の兵に伝え、補佐役を呼んでもらう。けれども出てきたのは見知らぬ人だった。
「補佐役さんはどうしたんですか?」
ここにいるはずの補佐役が出てこないことにアークは疑問を感じ聞いた。
「戦いが始まった頃から姿が見えないのですよ。
なにか問題があって王都に戻ったか、戦いに巻き込まれたかと考えています」
死んだかもしれないと告げられて、アークたちは沈んだ表情となる。
「ご用件は代わりに私が聞くことになります。
連絡事を聞かせてもらえますか?」
「リーダー格と思われる魔物を倒しました。それとイシスの先祖を魔物と化していた魔法陣を四階で発見、暴走の危険も考慮して手は出さずに戻ってきました」
「リーダー格の死亡は、魔物たちの統率がなくなったことから推測できていました。おかげで戦いが楽になったようです。
魔法陣の処理はこちらで受け持つと判断してよろしいですね?」
「はい」
「わかりました。女王にそのように伝えて、素早い対処を願っておきます。
ではこれであなた方に託した仕事は終了と判断させてもらいます。
お疲れ様でした。休息を望むのならば、キメラの翼で王都に戻ったほうがいいかと。ここは後処理で騒がしくなり、落ち着いて休めないと思いますから」
失礼しますと一礼し、男はテント内に入っていった。
アークたちは話し合い、すぐには帰らず、日が暮れるまで怪我人の治療を手伝っていくことにした。
ホイミや薬草を使い、魔力と在庫がなくなると包帯を巻いたりできるかぎりで治療を手伝っていく。
夕暮れが近づくにつれ、徐々に兵たちが戻ってくる。未だ元気な者、疲れ果てた者、大怪我をしている者、死者となっている者、様々だ。その誰もが血と砂で汚れ、荒々しい雰囲気を纏っていた。
日が暮れアークたちが帰った後も、兵たちは休むことなく動き続ける。
野ざらしとなっている兵の死体を、陣地に運ばなければならないのだ。ほうっておくと魔物や獣に食べられてしまう。
兵たちが優先するのは五体無事な死体だ。欠損が多いと生き返ることはできない。
腕一本なくなっている程度ならば教会で蘇生可能なのだが、首が胴から離れていたり、あちこち食い散らかされ欠けた箇所が多いと教会では蘇生はできない。そうなった場合でもザオリクやザオラルの使い手がいれば、蘇生は可能だ。ようは死後の経過時間が問題となっていると、世の学者は言っている。
今回の戦いで死んだ者は半数以上が蘇生不可だった。戦いを放棄して、食欲を優先した魔物がいたせいだ。
死が決定した死体は一ヶ所にまとめられ、朝方火葬された。その火葬はイシス兵だけではなく、傭兵も混ざっている。国許の墓地に葬ってあげたかったのだが、判別不可能な死体もあり、一緒に燃やしたのだった。
夜が明けると、今度は死体の代わりに、落ちているゴールド集めが始まる。
それが終わり、ようやく兵たちはイシスへと帰って行った。
王都に帰り一夜明け、昼前まで寝ていたアークたち四人はようやく動き出す。
一緒に帰ってきたラッドたち三人は、宿に泊まらず城に戻っており、ここにはいない。
「アーク? なにしてるのさ」
起きてすぐに着替えだしたアークに疑問を抱いたカズキ。
「城に行こうと思って。帰ってきたこと、魔法の鍵をもらったことを報告に行ってくる。
一緒にくる?」
「行かない」
「だと思った。
魔法の鍵持ち出したって証明するために持っていくよ」
「了解。いってらっしゃい」
「いってきます」
ベッドの中から動かないグラッセとアロアを気遣ってか、静かに扉を開け閉めしアークは出て行った。
カズキはベッドに上にあぐらをかき、小さく鳴った腹を押さえる。
「腹減ったな……食堂でなにか食べよ」
カズキも手早く着替え、財布をポケットに入れる。
「グラッセ、アロア、食堂に行かない?」
「行きます」
「俺はちょっと起きれない。軽いものでいいから持ってきてくれ」
昨日血が流れすぎたグラッセは、いまだに体がふらふらとしていて動き回るのは難しかった。
カズキはわかったと返答し、アロアが着替えるため部屋を出て、扉の前で待つ。
二人は抜いた朝食の分も合わせて、多めに注文する。
食べ終えた二人は、グラッセの料理を持って部屋に戻る。二度寝していたグラッセを起こし、持ってきた料理をベッドの上に置く。
慌しかったここ数日と打って変わり、のんびりとした雰囲気に包まれ、三人はわずかに残る疲れを癒していく。
城に上がったアークはそれほど待たずに謁見室へと通された。
「報告は届いていますよ。お疲れ様でした。
無事、魔法の鍵も回収できたようですね」
「はい、ここに」
得たことを示すため、ポケットから魔法の鍵を取り出す。
それを見て、女王は頷いた。
「ほかに種などの道具も得たようですが、それも持っていってかまいません。
旅の役に立ててください」
「ありがとうございます」
アークは深々と頭を下げた。
ピラミッドで手に入れたのは、賢さの種と素早さの種、小さなメダル三枚。
魔法陣のあった部屋に、本来ならば置かれていたはずの宝箱はその形跡すらなかった。このことを知っているのはカズキだけで、魔物に持ち去られたのだろうと一人で納得し、誰かにそのことを言うことはなかった。
「宰相、用意していたものをこちらに」
「はい」
女王の呼びかけに応え、宰相は近衛兵に持たせていた盆を持って、アークに近づく。
「この度の働きに対する褒賞です。どうぞお受け取りください」
「どうぞ」
「いいのですか?」
褒美目当てで参戦したわけではないし、すでに魔法の鍵を得ているので、アークは褒美を貰うことに躊躇いを覚える。
女王は微笑みを浮かべて頷き、ほかの者たちも反対といった表情は浮かべていない。
もらったものを後で確認すると、街や城で手に入るアイテムと二千ゴールドが入っていた。星降る腕輪も入っていて、価値を知っているカズキと価値を教えられた三人は本当に受け取っていいのか、少し悩むことになる。
結局役に立つので、旅をする間借りておこうと決まり、グラッセが装備することになった。
「ありがたくいただきます」
「ええ、そうしてください。
さらに授けるものがあります。サークレットをこちらに渡してもらえますか?」
女王に従いアークはサークレットを女王に渡す。
女王がサークレットの宝玉に指を当てた場面に既視感を覚え、すぐに思い出した。ロマリア王がアークを勇者と認めた時と同じなのだ。
「この度の活躍を持って私イシス女王は、アークを勇者と認めます!
精霊よ、イシスを治める命を受け取りし人間が請う。ここに勇者あり、私はこの者を認める。ゆえに古より伝わりし力の一つをこの者に授けたまえ。*****」
儀式を終え、女王は王座から立ち上がり、サークレットをアークの頭に被せる。この場にいる全員が大きく拍手をして、勇者と認められたことを祝う。
「ありがとうございます!」
「これでトヘロスという呪文が使えるようになります。詳しいことは精霊から教えてもらえるはずです」
「ロマリアでも同じように呪文を授かったので、その辺は理解しております」
「そうでしたか。
この後はポルトガに向かうのでしたね」
「はい。船が手に入ればと思いまして」
「旅の無事を祈っています。余裕があれば再びイシスを訪れてください。歓迎しますよ」
そっとアークの頬に手を当て微笑を浮かべて、女王は玉座に戻る。
これでアークたちがイシスですることはなくなった。
一日休息を取った四人は、ラッドたちに見送られてロマリアへと飛んだ。
一行が去っていくらか経った頃、ピラミッドへ巡回に向かう兵が補佐役らしき死体を発見した。
なぜか魔物や獣に食い散らかされることなく干からびていた死体は、服装や身体的特徴から補佐役と断定された。
死因は強力な呪文による殺人。
それ以上の情報は得られず、誰がなぜ殺したのかさっぱりわからないまま、火葬されピラミッドへと葬られた。
実のところ、補佐役の肉体的な死は呪文によるものだが、精神はそれ以前に死んでいた。時期はピラミッドに魔物が集まる少し前だ。
補佐役は夜叉童子にスパイ役として見初められていた。精神を壊され、怪しい影が体を操り、イシスの内部情報を夜叉童子へと送っていた。
アークたちがピラミッドへ向かったあと、補佐役は夜叉童子にそのことを知らせに向かった。そして情報を受け取った夜叉童子は、用済みとして怪しい影ごと補佐役を殺したのだった。
死体に怪しい影の気配が残っていたため、食い散らかされずにすんだ。
これがアークたちの知らないところで起きた出来事だ。そして今後誰にも知られずに消えてく出来事でもある。
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