三つの塔 外伝
2008年10月30日
とある姫の騒動記2
2 そして今日も暇
「今日も暇だわ」
相変わらず勉強はする気のない姫が、自室で剣を磨いている。いや勉強する気がないというのは間違いだ。必要最低限しか学ぶ気がないのだ。
丁寧に丁寧に磨かれた愛剣は、窓から入る光を受け輝いて装飾品のごとき存在感を放っている。それに満足した姫は剣を鞘に納める。
カーテンを揺らし、窓から入ってくる風が草木の匂いを運ぶ。
「外はいい天気だし、いつまでも部屋にいるのはもったいないよね」
散歩でもしようと扉へと向かう。
扉を開けようとしたとき、ノックされて扉が開く。
カートを押す五十ほどのメイドが部屋に入ってこようとしていたのだ。
「おや、姫様散歩ですか?」
「メアリー」
「お茶をお持ちしたのですが」
「お菓子だけ頂戴。外で食べるから」
「どうぞ」
メアリーお手製のチョコチップクッキーが渡される。甘い匂いが姫の鼻をくすぐり、それだけで今日もいいできだとわかる。
一つだけと思いつつ口に放り込む。想像通りの美味しさだった。
「そうだシリウス知らない?」
暇を潰すことだけには役立つシリウスは、何度呼んでも姿を現さなかった。いつもならば、呼べばすぐ姿を現すシリウスにしては珍しいことだった。
「シリウスさんでしたら一階の東廊下に向かってましたよ」
「そう。ありがとう」
とりあえず目的地をシリウスのいる東廊下に決めて出発する。
近衛隊長の執務室近くを歩いているとよく見知った人が前を歩いていた。
「あ、ワーグお疲れ様」
声をかけると振り返る。
「おおっ姫様。もったいなきお言葉」
「今日も綺麗な肌だね」
「はっはっはっは。褒めてもなにも出ませぬぞ」
書類を持ってどこかへと向かっているリザードマン、これがワーグだ。
姫が褒めた肌は快晴の空と同じ色をしていた。
ワーグは城内でも二番目の古株で、今は近衛隊長を勤めている。先々代女王に恩があり、その女王が没した今もこの国に忠義を尽くしている。
「姫様は相変わらずの格好で」
姫の今の服装は、薄桃色のシャツに紺色のベスト、同じく紺色のキュロットという動きやすい格好だ。
「ドレスも似合うと思いますが」
「動きにくいからねドレスは。私はこういった動きやすい服のほうが好き」
「お転婆ですからな姫様は。
まあ近々ドレスを着ることになりますから、そのときを楽しみにしましょうか」
「なにかあるの?」
ドレスを着る予定などないはずと首を傾げる。
「舞踏会が開かれる予定です。
この書類はそのときの警備についてですよ」
「げっ舞踏会あるの?
またサボろうかな」
「そういうとわかっているから王は秘密にしていたのでしょうな。
たまにはドレス姿を私達に見せてください。王も私も楽しみにしているのです」
「うーん」
「アレックスやミミンも見たがっていましたぞ」
「あの二人とお母様は私を着せ替え人形にしたいだけだよ」
「どのような服でも似合うから、着せて楽しいのでしょう。
新しいドレスを作らせていると聞きましたから、逃げることは難しいでしょうな」
「さすがに騎士団長と隊長が指揮する騎士団からは逃げ切れないからね。
新しいドレス注文したとなると気合も入ってるだろうし」
着せ替えが嫌で何度か逃げたことがある。そのたびに統率された騎士団を動かし、姫を追うのだ。
一人で人海戦術に対抗できるほど、姫は優れてはいない。
近衛騎士は追いかけるようなことはしないのだが、助けるようなこともなかった。王からそのように命じられているからだ。
城から出ることができれば捕まりはしないのだが、各出口に騎士がはっていて出し抜けたことは二回しかない。
逆に団長と隊長が城外に出ているときは、逃げるきることが多い。指示するもののやる気の差だった。
そのときに指示するのは将軍なのだが、彼には姫を着せ替えするような趣味はないので、適当に追わせるのだ。追わせるのは王妃から捕まえるように命令がでるため。その命令を一応守っていますよ、と体面を保つため騎士団を動かすのだった。
適当にするのは捕獲のみで、城の外に出る姫の安全についてはきちんと命令を出している。諜報部の者を三名出して、姫にばれないように守らせているのだった。
「姫、私はそろそろ行きます」
面倒だなとテンション下がりぎみの姫にワーグが声をかける。
「引き止めてごめんね」
「いえ」
一礼しワーグは王の執務室へと向かう。
姫も歩き出す。着せ替えのことを思うと若干足取りが重くなる。
一階に降りて騎士団の訓練場を横切り、東廊下へと向かおうとしたとき、休憩という大きな声が聞こえてきた。
訓練待機中の騎士隊と訓練に混じっている兵たちなのだろう。手ぬぐいで汗を拭く者や、水差しから水を飲む者、地べたに座り込む者など様々な者が百名近くいる。
城つきの騎士団はローテーションで四つの部隊に分けられている。
城内と城下町守護、国内査察巡回、訓練待機、休暇待機の四つだ。この四つを半月に一度交代している。
ここにいる者たちは城内訓練中の者たちだ。ほかに野外訓練で外に出ている騎士もいる。
東廊下へと向けていた足を訓練場へと向ける。せっかく近くを通りがかって、しかも休憩に入ったのだから少しアレックスたちと話していこうと思ったのだ。
見知った騎士や兵に挨拶しながら、目的の人物を探す。
アレックスは重たそうな鉄の鎧を身に纏い、同じく鎧を纏った団長と話していた。
一目見れば団長は人ではないとわかる。黒の強い灰色の髪の間から灰色の獣耳が垂れている。腰の辺りには灰色の尾も出ている。
団長は犬型の獣人なのだ。
「アレックス、ミミン」
近づくと二人とも汗が噴出しているのがわかった。
「姫、こんなむさくるしいところに来ていただきありがとうございます。
おかげで暑苦しさが少しましになりました」
回りからひどいっすよ団長などと聞こえてくる。
「姫様、なにか用事ですか?」
「近く寄っただけ。特に用事は……」
ないと言い掛けてとまる。
ここで舞踏会についての情報を聞き出せれば今回は出し抜けるのではと思いついた。
しかし悲しいことに、
「今度の舞踏会のことなんだけど」
目的を悟らせずに情報を聞き出す、といった回りぐどいことが不得意な姫はストレートに聞いてしまった。
これじゃあ駄目だと思うも、もう遅い。
「姫、舞踏会のこと知っていたのですね」
「えっと、ワーグに聞いたから」
どうにか目的を達せられないかと話を進め、さらに地雷を踏んでしまう。
ミミンはワーグに激しいライバル心を持っている。そのせいで仲がいいとはいえない。まあ一方的にミミンが突っかかっているのだが。
獣人は戦いというもの関して、とても高い能力を持っている。その能力に自信を持ち、己を高めてきたのがミミン。そのミミンを超えているのがワーグ。
ワーグの強さに憧れつつも、目標としている。それだけならば憧れるだけで反発はしない。
仲がよくないのはミミンとワーグの出会ったときのことが原因だった。己の強さを過信していたミミンが、ワーグに一蹴された。過信は砕かれ、認められたい、勝ちたいという思いが芽生えてライバル心となり現在に至る。
憧れを持っているということに対しての恥ずかしさもあるかもしれない。
「隠していたのに余計なことを言ってくれたね、あいつ」
「あいつ呼ばわりはだめですよ団長」
「地位対等なんだから大丈夫よ」
「まあ対して気にはしないがな」
「ほらワーグもこう言ってる……っ!?」
いきなり背後に現れたワーグにミミンは驚く。気配が感じられなかったのだ。休憩で気を緩めていたとはいえ、こうも簡単に背をとられて力量差を思い知らされる。
「いきなり後ろに立つな!
簡単に後ろをとれるって嫌味?」
「そんなつもりはなかったぞ?」
「落ち着いてください団長。近衛隊長に悪気はないんですから」
「うむ、そんなつもりは全くない。
ただ少し脅かしてみようかと思っていただけだ」
「ほーう?」
「近衛隊長っ、団長が過剰に反応するのを楽しまないでください!」
場をとりなそうとアレックスはあたふたとしている。いつものことなのでほっとけばいいのに彼女はいつも仲裁に苦労していた。
「ワーグはここになにしにきたの?」
アレックスの慌てる様子をそれなりに堪能した姫が仲裁を手伝う。美人が慌てる様は愛らしく観賞に値するものだった。
「姫もいらしてたのですか」
「見えてたでしょ? 隠れてたわけでもないし」
「はっはっはっは」
「笑って誤魔化さないの。
それで」
「何しに来たのかでしたな。
書類仕事は終えたので体を動かしにきたのですよ」
「それなら一勝負やろうじゃないか?」
「いいだろう」
ミミンが勝負を誘い、ワーグは頷く。
互いに少し離れ獲物を構える。ミミンはショートスピア、ワーグはロングソード。それぞれ模擬戦用に刃は潰してある。
実力者同士の戦いに周囲は息を潜める。アレックスは姫と一緒に、巻き込まれない位置まで下がる。
空気が張り詰めていき、どこからか聞こえてきた物の倒れる音を合図に、戦いが始まろうとした。
「いつも戦いで勝負とはいかがなものでしょう?」
戦いの始まる寸前、二人の間に分け入ったものがいる。シリウスだ。あまりに自然に割り込んできたので、まるで空中から湧き出てきたかのような錯覚さえおぼえる。
タイミングを外され、二人は構えを解く。
「シリウス殿、邪魔しないでもらいたい」
「そうよ。楽しんでるんだから邪魔しないで」
「まあまあ、たまには違った形で勝負するのも一興だと思いませぬか?」
不機嫌気味な二人に睨まれるシリウスは、そのことを気にせず心を乱すこともない。
力の込められた視線は、それなりに迫力があるのだが。
「ミミン様もたまには勝ちたいでしょう?」
「そりゃ負けっぱなしは嫌だけどさ。
戦い以外のことで勝つのもね」
「よかろう、その申し出受けよう」
渋るミミンと違い、ワーグは躊躇うことなく賛成した。
気分が高まった絶妙のタイミングでのシリウス登場で気が削がれたということ、純粋にたまには違ったことも面白いという二つの理由で受けたのだった。
ワーグから戦う気のなさを感じ取ったミミンも、溜息一つ吐いて申し出を受ける。
「それでどんな勝負をさせるの?」
「戦いは壊すということ。ならばその逆で生み出すという作業はどうかと。
準備を整えますので、少々お待ちを」
そう言ってシリウスはどこかへ歩いていった。
「なにをする気だろうかシリウス殿は」
「さあてね」
「きっとろくでもないことよ」
近づいてきた姫が断言した。
アレックスがフォローしようとして何も言えずにいる。普段の行動がアレなのは、アレックスも理解していた。シリウスを好きだとしても正当化はできなかった。
「そういえば、姫が自分から舞踏会のことを話すのは珍しいことですね。
普段なら避ける話題なのに」
ミミンは、ふと先ほどの会話を思い出し聞く。
「舞踏会の際の騎士団配置を聞きだそうとして、聞き方間違えたのよ。
誘導尋問しようと思っていたのに」
「姫様、そう言った謀りごと不得意ですからねぇ」
アレックスの言葉にぷいっと顔を逸らせた。
「駄目で元々だって思ってたわよっ。新しいドレス準備してるって聞いてたし」
「それも話したの!?」
「うむ。つい口が滑った」
「そんなに口が軽くて近衛騎士隊長勤まるのかしら?」
「勤まっていて王の信も深いな」
再びミミンのボルテージが上がっていく。
「準備できました。こちらへどうぞ」
シリウスが戻ってきてミミンとワーグを東廊下へと連れて行く。
すぐに一行は東廊下に接する庭園に到着した。
庭師が手入れした見事な庭園に、ついてきた者誰もがしばし足を止める。
花が咲き誇り華美といえる様相ではない。風に揺らぐ草と枝の動きさえ計算に入れた落ち着きのある庭園だ。色とりどりな花は少なく、枝の葉や垣根などで緑が多い。されど少ないからこそ際立っているのも事実だ。かすかに漂う花香も気分を落ち着けさせる。
王の気分の落ち着ける庭園にしてくれ、という注文に庭師が見事に応えたものとなっている。
その庭園の中にあって、相応しいといえない箇所がある。そこへシリウスは一行を連れて行った。
「これどうしたの?」
「ちょっと急いでたもので壊しました」
姫の呆れがふんだんに込められた問いに、シリウスは反省の色なく答えた。
東廊下と庭園を遮るように立っている壁に、三人並んで通ることのできる穴が開いていた。
「相変わらずシリウス殿は行動が派手だな」
「褒めていただき恐悦至極」
「シリウスさん、褒められてませんよ?」
アレックスの言葉をシリウスはにこやかにスルー。
「つまりこれをどれだけ上手く直せるかを勝負にするってこと?」
「そのとおりでございます。
材料はこちらに」
いなくなったときに集めたのだろう。木材石材など様々な材料と修理に必要と思われる道具がずらりとならぶ。そのなかに食材やなにに使うかわからない道具もあったりする。
シリウスのすることだからと皆おかしなものには突っ込まない。
「本格的な修理は大工にしてもらうということなので、応急処置をしてもらいたいのです。
どちらの応急処置が上か、ここにいる皆様に判断してもらい、それを勝敗としたいと思います。
では始めてください」
二人はまず材料の品定めに向かう。
すぐになにを使うかを決めた二人はさっそく下準備に入った。
「いやぁ助かりますな」
「助かる、ですか?」
その作業を見ながらシリウスとアレックスが話している。それをチョコチップクッキーを食べつつ姫が聞いている。
「はい。壊した責任として今日中に応急処置しなければ、給料大幅カットでしたから」
「シリウスさん修理できたんですか?」
「一応技能は身につけております。ただ……」
「ただ?」
「単調な作業で飽きてしまいまして」
「今からでも遅くないから、責任持って最後まで修理しなさいっ」
思わず姫が突っ込む。
「お二人の勝負を邪魔することなど、そんな畏れ多いこと私にはできません!」
「一回邪魔したでしょ!」
「偶然です」
「話聞いて推測するかぎり、絶対わざとよ!」
「姫様落ち着いてください。勝負はもう始まってしまいましたから、止めることなんてできません」
「そうよね、どんな勝負でも始まったら止められないわねっ」
止めようとして止められなかった経験がある。そのとき止めようとしたのはアレックスだが。
「そうですぞ、人間諦めが肝心です」
「誘導して楽してる、あんたが言うな!
給料カットされればいいのにっ」
「それは困ります。
そうなるとシリウスさんに養ってもらわなければいけなくなります」
「ププププププププロポーズですか!?」
「違うから落ち着きなさい」
アレックスの軽い暴走を糖分が足りていないせいと勝手に決めてつけ、姫はクッキーをアレックスの口に投げ入れた。
そして糖分のおかげか落ち着いた。
そうしている間にワーグたちは作業にとりかかる。
ワーグは土を使いぺたぺたとあてがっていく。ある程度作業が進むと、少し離れて大きく息を吸い込む。吸い込みが止まり、口が開かれる。吸い込まれた空気が吐き出されずに、高温の炎が吹き出て土に当たる。火が消えた後に残るのは、表面が乾燥した土壁だ。
その際に熱風がミミンにまで届いたのか、
「熱っ!? 気をつけてよ! 尾が焦げたらどうしてくれるの」
「ああ、すまん。次は注意する」
尾が焦げかけたミミンは、縦に長い木板と茅に似た草を使っている。草を上手く編みこんで隙間の多い一枚の編み物を作った。その隙間に木板を通し、その隣にも同じように木板を通す。それを繰り返し、草で固定した柵を作り上げる。
二人の作業は順調に進み一時間で壁は完成した。
濃い灰色の壁に、こげ茶の土壁と木目の柵がパッチワークのように組み合わさっている。
見事に景観をぶちこわしていた。
「出来の良し悪しは対して変わらず、庭の雰囲気ぶち壊しという点も同じ。
これは、引き分けね!」
姫の言葉に異論はでなかった。
休憩時間がとっくに終っていると気づいたミミンが、アレックスを引きつれ訓練所に戻りお開きとなる。
ワーグも体を動かすため訓練所へと戻る。シリウスは道具と材料と一緒に、いつのまにかいなくなっていた。
姫一人壁を前にして残っている。
そして気づいた。
「もしかして、これってシリウスの一人勝ちじゃない?」
その通り。壁修理を人任せにして、給料カットも免れたシリウスの一人勝ちだった。
「今日も暇だわ」
相変わらず勉強はする気のない姫が、自室で剣を磨いている。いや勉強する気がないというのは間違いだ。必要最低限しか学ぶ気がないのだ。
丁寧に丁寧に磨かれた愛剣は、窓から入る光を受け輝いて装飾品のごとき存在感を放っている。それに満足した姫は剣を鞘に納める。
カーテンを揺らし、窓から入ってくる風が草木の匂いを運ぶ。
「外はいい天気だし、いつまでも部屋にいるのはもったいないよね」
散歩でもしようと扉へと向かう。
扉を開けようとしたとき、ノックされて扉が開く。
カートを押す五十ほどのメイドが部屋に入ってこようとしていたのだ。
「おや、姫様散歩ですか?」
「メアリー」
「お茶をお持ちしたのですが」
「お菓子だけ頂戴。外で食べるから」
「どうぞ」
メアリーお手製のチョコチップクッキーが渡される。甘い匂いが姫の鼻をくすぐり、それだけで今日もいいできだとわかる。
一つだけと思いつつ口に放り込む。想像通りの美味しさだった。
「そうだシリウス知らない?」
暇を潰すことだけには役立つシリウスは、何度呼んでも姿を現さなかった。いつもならば、呼べばすぐ姿を現すシリウスにしては珍しいことだった。
「シリウスさんでしたら一階の東廊下に向かってましたよ」
「そう。ありがとう」
とりあえず目的地をシリウスのいる東廊下に決めて出発する。
近衛隊長の執務室近くを歩いているとよく見知った人が前を歩いていた。
「あ、ワーグお疲れ様」
声をかけると振り返る。
「おおっ姫様。もったいなきお言葉」
「今日も綺麗な肌だね」
「はっはっはっは。褒めてもなにも出ませぬぞ」
書類を持ってどこかへと向かっているリザードマン、これがワーグだ。
姫が褒めた肌は快晴の空と同じ色をしていた。
ワーグは城内でも二番目の古株で、今は近衛隊長を勤めている。先々代女王に恩があり、その女王が没した今もこの国に忠義を尽くしている。
「姫様は相変わらずの格好で」
姫の今の服装は、薄桃色のシャツに紺色のベスト、同じく紺色のキュロットという動きやすい格好だ。
「ドレスも似合うと思いますが」
「動きにくいからねドレスは。私はこういった動きやすい服のほうが好き」
「お転婆ですからな姫様は。
まあ近々ドレスを着ることになりますから、そのときを楽しみにしましょうか」
「なにかあるの?」
ドレスを着る予定などないはずと首を傾げる。
「舞踏会が開かれる予定です。
この書類はそのときの警備についてですよ」
「げっ舞踏会あるの?
またサボろうかな」
「そういうとわかっているから王は秘密にしていたのでしょうな。
たまにはドレス姿を私達に見せてください。王も私も楽しみにしているのです」
「うーん」
「アレックスやミミンも見たがっていましたぞ」
「あの二人とお母様は私を着せ替え人形にしたいだけだよ」
「どのような服でも似合うから、着せて楽しいのでしょう。
新しいドレスを作らせていると聞きましたから、逃げることは難しいでしょうな」
「さすがに騎士団長と隊長が指揮する騎士団からは逃げ切れないからね。
新しいドレス注文したとなると気合も入ってるだろうし」
着せ替えが嫌で何度か逃げたことがある。そのたびに統率された騎士団を動かし、姫を追うのだ。
一人で人海戦術に対抗できるほど、姫は優れてはいない。
近衛騎士は追いかけるようなことはしないのだが、助けるようなこともなかった。王からそのように命じられているからだ。
城から出ることができれば捕まりはしないのだが、各出口に騎士がはっていて出し抜けたことは二回しかない。
逆に団長と隊長が城外に出ているときは、逃げるきることが多い。指示するもののやる気の差だった。
そのときに指示するのは将軍なのだが、彼には姫を着せ替えするような趣味はないので、適当に追わせるのだ。追わせるのは王妃から捕まえるように命令がでるため。その命令を一応守っていますよ、と体面を保つため騎士団を動かすのだった。
適当にするのは捕獲のみで、城の外に出る姫の安全についてはきちんと命令を出している。諜報部の者を三名出して、姫にばれないように守らせているのだった。
「姫、私はそろそろ行きます」
面倒だなとテンション下がりぎみの姫にワーグが声をかける。
「引き止めてごめんね」
「いえ」
一礼しワーグは王の執務室へと向かう。
姫も歩き出す。着せ替えのことを思うと若干足取りが重くなる。
一階に降りて騎士団の訓練場を横切り、東廊下へと向かおうとしたとき、休憩という大きな声が聞こえてきた。
訓練待機中の騎士隊と訓練に混じっている兵たちなのだろう。手ぬぐいで汗を拭く者や、水差しから水を飲む者、地べたに座り込む者など様々な者が百名近くいる。
城つきの騎士団はローテーションで四つの部隊に分けられている。
城内と城下町守護、国内査察巡回、訓練待機、休暇待機の四つだ。この四つを半月に一度交代している。
ここにいる者たちは城内訓練中の者たちだ。ほかに野外訓練で外に出ている騎士もいる。
東廊下へと向けていた足を訓練場へと向ける。せっかく近くを通りがかって、しかも休憩に入ったのだから少しアレックスたちと話していこうと思ったのだ。
見知った騎士や兵に挨拶しながら、目的の人物を探す。
アレックスは重たそうな鉄の鎧を身に纏い、同じく鎧を纏った団長と話していた。
一目見れば団長は人ではないとわかる。黒の強い灰色の髪の間から灰色の獣耳が垂れている。腰の辺りには灰色の尾も出ている。
団長は犬型の獣人なのだ。
「アレックス、ミミン」
近づくと二人とも汗が噴出しているのがわかった。
「姫、こんなむさくるしいところに来ていただきありがとうございます。
おかげで暑苦しさが少しましになりました」
回りからひどいっすよ団長などと聞こえてくる。
「姫様、なにか用事ですか?」
「近く寄っただけ。特に用事は……」
ないと言い掛けてとまる。
ここで舞踏会についての情報を聞き出せれば今回は出し抜けるのではと思いついた。
しかし悲しいことに、
「今度の舞踏会のことなんだけど」
目的を悟らせずに情報を聞き出す、といった回りぐどいことが不得意な姫はストレートに聞いてしまった。
これじゃあ駄目だと思うも、もう遅い。
「姫、舞踏会のこと知っていたのですね」
「えっと、ワーグに聞いたから」
どうにか目的を達せられないかと話を進め、さらに地雷を踏んでしまう。
ミミンはワーグに激しいライバル心を持っている。そのせいで仲がいいとはいえない。まあ一方的にミミンが突っかかっているのだが。
獣人は戦いというもの関して、とても高い能力を持っている。その能力に自信を持ち、己を高めてきたのがミミン。そのミミンを超えているのがワーグ。
ワーグの強さに憧れつつも、目標としている。それだけならば憧れるだけで反発はしない。
仲がよくないのはミミンとワーグの出会ったときのことが原因だった。己の強さを過信していたミミンが、ワーグに一蹴された。過信は砕かれ、認められたい、勝ちたいという思いが芽生えてライバル心となり現在に至る。
憧れを持っているということに対しての恥ずかしさもあるかもしれない。
「隠していたのに余計なことを言ってくれたね、あいつ」
「あいつ呼ばわりはだめですよ団長」
「地位対等なんだから大丈夫よ」
「まあ対して気にはしないがな」
「ほらワーグもこう言ってる……っ!?」
いきなり背後に現れたワーグにミミンは驚く。気配が感じられなかったのだ。休憩で気を緩めていたとはいえ、こうも簡単に背をとられて力量差を思い知らされる。
「いきなり後ろに立つな!
簡単に後ろをとれるって嫌味?」
「そんなつもりはなかったぞ?」
「落ち着いてください団長。近衛隊長に悪気はないんですから」
「うむ、そんなつもりは全くない。
ただ少し脅かしてみようかと思っていただけだ」
「ほーう?」
「近衛隊長っ、団長が過剰に反応するのを楽しまないでください!」
場をとりなそうとアレックスはあたふたとしている。いつものことなのでほっとけばいいのに彼女はいつも仲裁に苦労していた。
「ワーグはここになにしにきたの?」
アレックスの慌てる様子をそれなりに堪能した姫が仲裁を手伝う。美人が慌てる様は愛らしく観賞に値するものだった。
「姫もいらしてたのですか」
「見えてたでしょ? 隠れてたわけでもないし」
「はっはっはっは」
「笑って誤魔化さないの。
それで」
「何しに来たのかでしたな。
書類仕事は終えたので体を動かしにきたのですよ」
「それなら一勝負やろうじゃないか?」
「いいだろう」
ミミンが勝負を誘い、ワーグは頷く。
互いに少し離れ獲物を構える。ミミンはショートスピア、ワーグはロングソード。それぞれ模擬戦用に刃は潰してある。
実力者同士の戦いに周囲は息を潜める。アレックスは姫と一緒に、巻き込まれない位置まで下がる。
空気が張り詰めていき、どこからか聞こえてきた物の倒れる音を合図に、戦いが始まろうとした。
「いつも戦いで勝負とはいかがなものでしょう?」
戦いの始まる寸前、二人の間に分け入ったものがいる。シリウスだ。あまりに自然に割り込んできたので、まるで空中から湧き出てきたかのような錯覚さえおぼえる。
タイミングを外され、二人は構えを解く。
「シリウス殿、邪魔しないでもらいたい」
「そうよ。楽しんでるんだから邪魔しないで」
「まあまあ、たまには違った形で勝負するのも一興だと思いませぬか?」
不機嫌気味な二人に睨まれるシリウスは、そのことを気にせず心を乱すこともない。
力の込められた視線は、それなりに迫力があるのだが。
「ミミン様もたまには勝ちたいでしょう?」
「そりゃ負けっぱなしは嫌だけどさ。
戦い以外のことで勝つのもね」
「よかろう、その申し出受けよう」
渋るミミンと違い、ワーグは躊躇うことなく賛成した。
気分が高まった絶妙のタイミングでのシリウス登場で気が削がれたということ、純粋にたまには違ったことも面白いという二つの理由で受けたのだった。
ワーグから戦う気のなさを感じ取ったミミンも、溜息一つ吐いて申し出を受ける。
「それでどんな勝負をさせるの?」
「戦いは壊すということ。ならばその逆で生み出すという作業はどうかと。
準備を整えますので、少々お待ちを」
そう言ってシリウスはどこかへ歩いていった。
「なにをする気だろうかシリウス殿は」
「さあてね」
「きっとろくでもないことよ」
近づいてきた姫が断言した。
アレックスがフォローしようとして何も言えずにいる。普段の行動がアレなのは、アレックスも理解していた。シリウスを好きだとしても正当化はできなかった。
「そういえば、姫が自分から舞踏会のことを話すのは珍しいことですね。
普段なら避ける話題なのに」
ミミンは、ふと先ほどの会話を思い出し聞く。
「舞踏会の際の騎士団配置を聞きだそうとして、聞き方間違えたのよ。
誘導尋問しようと思っていたのに」
「姫様、そう言った謀りごと不得意ですからねぇ」
アレックスの言葉にぷいっと顔を逸らせた。
「駄目で元々だって思ってたわよっ。新しいドレス準備してるって聞いてたし」
「それも話したの!?」
「うむ。つい口が滑った」
「そんなに口が軽くて近衛騎士隊長勤まるのかしら?」
「勤まっていて王の信も深いな」
再びミミンのボルテージが上がっていく。
「準備できました。こちらへどうぞ」
シリウスが戻ってきてミミンとワーグを東廊下へと連れて行く。
すぐに一行は東廊下に接する庭園に到着した。
庭師が手入れした見事な庭園に、ついてきた者誰もがしばし足を止める。
花が咲き誇り華美といえる様相ではない。風に揺らぐ草と枝の動きさえ計算に入れた落ち着きのある庭園だ。色とりどりな花は少なく、枝の葉や垣根などで緑が多い。されど少ないからこそ際立っているのも事実だ。かすかに漂う花香も気分を落ち着けさせる。
王の気分の落ち着ける庭園にしてくれ、という注文に庭師が見事に応えたものとなっている。
その庭園の中にあって、相応しいといえない箇所がある。そこへシリウスは一行を連れて行った。
「これどうしたの?」
「ちょっと急いでたもので壊しました」
姫の呆れがふんだんに込められた問いに、シリウスは反省の色なく答えた。
東廊下と庭園を遮るように立っている壁に、三人並んで通ることのできる穴が開いていた。
「相変わらずシリウス殿は行動が派手だな」
「褒めていただき恐悦至極」
「シリウスさん、褒められてませんよ?」
アレックスの言葉をシリウスはにこやかにスルー。
「つまりこれをどれだけ上手く直せるかを勝負にするってこと?」
「そのとおりでございます。
材料はこちらに」
いなくなったときに集めたのだろう。木材石材など様々な材料と修理に必要と思われる道具がずらりとならぶ。そのなかに食材やなにに使うかわからない道具もあったりする。
シリウスのすることだからと皆おかしなものには突っ込まない。
「本格的な修理は大工にしてもらうということなので、応急処置をしてもらいたいのです。
どちらの応急処置が上か、ここにいる皆様に判断してもらい、それを勝敗としたいと思います。
では始めてください」
二人はまず材料の品定めに向かう。
すぐになにを使うかを決めた二人はさっそく下準備に入った。
「いやぁ助かりますな」
「助かる、ですか?」
その作業を見ながらシリウスとアレックスが話している。それをチョコチップクッキーを食べつつ姫が聞いている。
「はい。壊した責任として今日中に応急処置しなければ、給料大幅カットでしたから」
「シリウスさん修理できたんですか?」
「一応技能は身につけております。ただ……」
「ただ?」
「単調な作業で飽きてしまいまして」
「今からでも遅くないから、責任持って最後まで修理しなさいっ」
思わず姫が突っ込む。
「お二人の勝負を邪魔することなど、そんな畏れ多いこと私にはできません!」
「一回邪魔したでしょ!」
「偶然です」
「話聞いて推測するかぎり、絶対わざとよ!」
「姫様落ち着いてください。勝負はもう始まってしまいましたから、止めることなんてできません」
「そうよね、どんな勝負でも始まったら止められないわねっ」
止めようとして止められなかった経験がある。そのとき止めようとしたのはアレックスだが。
「そうですぞ、人間諦めが肝心です」
「誘導して楽してる、あんたが言うな!
給料カットされればいいのにっ」
「それは困ります。
そうなるとシリウスさんに養ってもらわなければいけなくなります」
「ププププププププロポーズですか!?」
「違うから落ち着きなさい」
アレックスの軽い暴走を糖分が足りていないせいと勝手に決めてつけ、姫はクッキーをアレックスの口に投げ入れた。
そして糖分のおかげか落ち着いた。
そうしている間にワーグたちは作業にとりかかる。
ワーグは土を使いぺたぺたとあてがっていく。ある程度作業が進むと、少し離れて大きく息を吸い込む。吸い込みが止まり、口が開かれる。吸い込まれた空気が吐き出されずに、高温の炎が吹き出て土に当たる。火が消えた後に残るのは、表面が乾燥した土壁だ。
その際に熱風がミミンにまで届いたのか、
「熱っ!? 気をつけてよ! 尾が焦げたらどうしてくれるの」
「ああ、すまん。次は注意する」
尾が焦げかけたミミンは、縦に長い木板と茅に似た草を使っている。草を上手く編みこんで隙間の多い一枚の編み物を作った。その隙間に木板を通し、その隣にも同じように木板を通す。それを繰り返し、草で固定した柵を作り上げる。
二人の作業は順調に進み一時間で壁は完成した。
濃い灰色の壁に、こげ茶の土壁と木目の柵がパッチワークのように組み合わさっている。
見事に景観をぶちこわしていた。
「出来の良し悪しは対して変わらず、庭の雰囲気ぶち壊しという点も同じ。
これは、引き分けね!」
姫の言葉に異論はでなかった。
休憩時間がとっくに終っていると気づいたミミンが、アレックスを引きつれ訓練所に戻りお開きとなる。
ワーグも体を動かすため訓練所へと戻る。シリウスは道具と材料と一緒に、いつのまにかいなくなっていた。
姫一人壁を前にして残っている。
そして気づいた。
「もしかして、これってシリウスの一人勝ちじゃない?」
その通り。壁修理を人任せにして、給料カットも免れたシリウスの一人勝ちだった。
とある姫の騒動記1
1 基本的に暇な時間が多い
空にドラゴンが飛び、野原にキマイラが走り、海では一角サメがゆうゆうと泳ぐ。そんなファンタジー満載の世界の平和な国の城で、誰かを呼ぶ声が響いている。可愛らしい声には焦りが少々混じっていた。
「シリウス! シリウス来なさい!」
呼んでいるのは銀糸の長髪を持つ可愛い女の子。年は14歳くらい。動きやすそうな服装で、落ち着いた柔らかさよりも活発的なしなやかさを感じさせる雰囲気をもつ。
「お呼びですか姫様?」
呼び始めて三分も立たないうちに、オールバックでピシッとタキシードを着こなしメガネをかけた若い男が現れる。執事です、と紹介されたら誰もが納得できるだろう。
そして事実、シリウスは姫の世話役を兼ねた執事だった。
「やっと来たわね。次からはもっと早く来るようにしなさい」
「努力します」
シリウスは一礼し答えた。
だが姫は知らない。ここに来るまでに執事が花壇を踏み越え、窓をぶち破って来たことを。早く来いということは、さらに被害が増すということを。
そんな未来を予想せずに姫は話し始める。
「まあいいわ。それよりも事件よ!」
「事件ですか?」
首をわずかに傾げ、姫の言ったことを復唱する。
「そう! 朝からメアリーの姿が見えないの! 私に何も言わずにどこかへ行くなんて、いままで一度もなかったわ。きっと攫われたのよ」
本当のことだとしたら大変なことなのだが、姫の言動には焦りのほかにうきうきとしたものが混じっていた。
「メアリーと言いますとメイドの?」
「そう」
「それでしたら何も問題はありません。初孫が生まれるそうで、家に戻っております」
「へ? そうなんだ。でもなんで何も言わずに帰ったんだろ?」
今度は姫が不思議そうに首を傾げる。
メアリーは姫が生まれた頃から世話になっていて一番懐いているメイドだ。メアリーも子供同様に姫を可愛がっていた。
「それは、私が伝言を頼まれたことを忘れていたからです」
シリウスは姫の疑問を即座に解消する。ちなみに伝言を忘れたことの反省の色はまったくない。
卑屈な感じがなく、あまりに堂々と白状したので姫は、怒るどころか自然に受け入れてしまった。
すぐにおかしいと感じはしたが、怒るタイミングを逃したので怒れない。
「あ〜あ、退屈が紛れると思ったのに」
「退屈ですか」
それならばと、シリウスは机の上の本や紙束を指差す。
「あのたまりにたまった勉強半年分をやってみては? 暇は潰せます」
「勉強は嫌い。それにあれやって将来役に立つの?」
「立ちません」
それはもう見事に断言した。ならやらせんなっ! と当たり前の突っ込みがとぶ。
実際はなんらかの役に立つのだろうが、一般的には使われることのない限られた方面の知識なのでシリウスは学ばなくともよいと判断したのだ。
「言葉遣いが少々悪いですぞ。
勉強が嫌ならば……元婚約者たちに会いに行かれては? 最近というか、一度会っただけで、まったくお会いになられてないでしょう?
フラルド様なんかどうです?」
「会いたくない」
姫は嫌な顔をして拒否する。
「プレゼントに死なずのヌメリゴキブリ送ってくる奴に会いに行けと!?」
「世界に一匹しかいない貴重種です。見た目はどうであれ宝石に負けない高級品ですぞ」
「今頃、数百数千匹に増えてるわよ」
姫は雄々しく羽を広げ、飛び去ったゴキブリを思い出す。
周囲にいたメイドたちの悲鳴がすごかったことも思い出した。そんな中、姫は悲鳴を上げず雄々しく飛ぶ姿を感心してみたいたのだから変わっている。
「それは無理でしょう。不死の代わりに生殖能力を失ったそうですから。今でも一匹のみです」
「……それはちょっと惜しいことしたかも」
世界に一匹しかいないと聞いて、ゴキブリでも手元に置いとけばよかったかもしれないと考える、ちょっとずれた姫。
今頃は元気に国のどこかを走っているだろう。
「ゴルゼッタ様ではどうですか?」
「また邪神降臨の生贄になれと? 誰も助けに来てくれなくて、自力で脱出するの苦労したんだからね」
「若い者は若い者どうしの話があるでしょうと、私が護衛を止めてましたからな」
シリウスはさらりと、とんでもないことを口にする。
「あんたのせいだったの!?」
「事前に生贄にされるという情報は掴んでおりましたが、ヒメサマナラバ、ダイジョウブダロウト、シンジテイマシタカラナ」
またとんでもないことを言うシリウス。後半の言葉は棒読みなので、本当にそう思っていたのか大変疑わしい。
溜まった怒りをぶつけようと手元にあったペンや本を投げる姫だが、シリウスは軽やかにすべてかわす。よほど力を入れたのか、投げられた物は床に突き刺さったり、床をへこませたりしていた。
「クラージ様はどうでしょう。他の方と違ってまともです」
ぜいぜいと荒い息を吐いている姫に対して、シリウスは少しも呼吸を乱していない。結構激しく動いたはずだが、汗一つかかずに提案する。
「まともすぎて、つまんない」
「わがままです」
シリウスの率直な感想に、姫はプイっと顔を横に向ける。
クラージも普通ではないという思いはシリウスの心の中にそっとしまわれた。
少し何かを考えていた姫は、部屋を出ようと扉に向かう。
その背を追いながらシリウスは聞く。答えは予想できていたのだが。
「どちらへ?」
「アレックスのところ」
「結局、いつもと同じように過ごすのですね」
やれやれとジェスチャーつきで溜息を吐く。
その反応にむかつきながらも姫は反論したかったが、できなかった。何も言わずに騎士団のいるところへ向かう。
その後ろをシリウスが足音を立てずに歩く。そのままいなくなっても、わからないほど見事に気配を消している。
なぜ気配を消すのかと姫は以前聞いたことがある。そのときシリウスは主人に不快感を与えないためと答えたが、姫はそれを信じていなかった。そしてその姫の勘は当たっていたりする。姫に気づかせずに、突然どこかに消え戻ってくる。そういうことをしょっちゅうシリウスはしていた。
城内から出て歩いた先に、姫は目的の人物を見つけて声をかける。
「アレックスー」
名前を呼ばれた人物が振り返る。
大きな碧眼、すらっと筋の通った鼻、柔らかそうなピンクの唇、雪のような白肌、蜂蜜が溶け込んだような金髪をもつ女性。異性どころか同性さえも見惚れさせる美女が姫に近寄ってくる。
「姫様、その名前で呼ぶのはやめてください。私にはアレイシアという名前があるのですから」
「アレックスが私を名前で呼んでくれたら、アレイシアって呼ぶ。それにアレックスが本当の名前でしょ」
そうなんですけど、とアレックスという男の名前を持つ美女は泣きそうな顔で返答する。
余談だが、この名前のせいでニューハーフと間違えられることがよくある。もてるのだがその方向性に違和感を感じさせる人物だ。
性格は、いたってまともな人物だ。苦労症ではあるが。
さらにもう一つ余談。男の名前なのは、親が男の子が欲しかったからではない。名前を決める際に名前の書かれた用紙を箱につめ、くじ引きで決めたからだ。候補にはチョボンバなどという非常に個性的なものもあったので、それを引かなかったことに対してはアレックスは親に感謝していた。
「あっシリウスさんもいらっしゃったのですか!?」
「はい」
アレックスは、姫の後ろに立つシリウスに気づき、気恥ずかしさで顔が赤く染まる。
背景に花を背負って乙女モード全開といった感じだ。
「なんでよりにもよってシリウスに惚れてるんだろうね?」
姫の呟きをそばで聞いていたはずの二人は、何の反応も見せない。シリウスは聞き流し、アレックスは顔の紅潮をしずめるため集中していたからだ。
惚れた理由は姫も詳しくは知らない。ただシリウスがアレックスに対して、何か言ったことが原因らしい。
一般的なカップルはともかく、奇妙なカップルの恋愛にはたいして興味が湧かないのか、姫は追求しない。
「アレックス、今日も剣術の相手になって」
「またですか姫様」
「だって暇なんだもん」
暇という理由だけで、姫は剣術を学んでいた。最初は、危ないからと多くの者が止めた。シリウスと他数名は煽っていたりする。
そんな中、ちょっと興味が湧いただけだろうと、アレックスが皆を宥めて姫に剣を持たせた。
すぐに飽きるだろうというアレックスの考えを裏切り、姫は飽きず真面目に鍛錬を積んでいった。幸か不幸か、姫には剣の才能があった。それも続いた理由なのだろう。一番の理由は楽しいからだ。
いまでは、騎士隊長の一人であるアレックスと、三戦して一回は勝てるまでになってしまった。
嫁の貰い手がまた減ったと両親は嘆いたが、本人は上達に喜んだ。
やる気を出させた責任をとれと言われ、姫の剣術指南役はアレックスの担当となった。怪我でもさせたら面倒なことになると、多くの者が嫌がった役割をアレックスは喜んで引き受けた。元から姫と仲が良かったこともあるが、姫のそばにはシリウスがいたからだ。
そしてさらなる上達を望む姫は、今日もアレックス相手に善戦していた。
訓練所で、美女と美少女がそこらの兵士を超える剣技を披露するという一般的には珍しい光景が見られたが、訓練所でその光景に突っ込む者は誰もいなかった。見慣れているせいだ。
着替えた姫は昼食をはさんで二時間と少し、素振り、ジョギング、試合とこなしていった。
体をたくさん動かして満足した姫は、シャワーで風呂を流したあとアレックスをティータイムに誘う。
「少し用事があるから先に行って準備しといて」
そう言ってシリウスとアレックスを先に行かせる。
練習に付き合ってもらったお礼として、アレックスにシリウスと二人だけの時間をあげたのだ。
何の用事もない姫は少し時間を潰そうと、散歩を始める。
姫の視界に見慣れた子供が入ってくる。見慣れてはいるが、どこか違和感があったりもする。
「ケント〜」
姫に呼ばれた子供が走りよってきた。年のころは五歳くらい。将来有望な可愛い顔をしている。アレックスとは違う方向で、男女関係無く魅了する。
間近で見て、姫はケントの違和感に気づいた。
「おねえちゃんなに?」
「いたから、ただ呼んだだけなんだけど……その耳はなに?」
姫の視線の先には、ケントの髪と同じ紺色をした犬耳があった。後ろを見れば、同色の尻尾もある。どういう仕掛けか、尻尾は常にふりふりと動いている。
「シリウスにいちゃんがくれたんだ。とくていのじんしゅにたいするへいきじっけんっていってたよ」
自分が何を言っているのかわかっていない様子のケント。シリウスが口にしたことを、そのまま言っているだけだろう。
しかし、本人はわかってなくとも、実験は成功していた。一部のお姉さま方は、ケントの姿を見て鼻血の海に沈んだのだから。そしてごく一部の男たちをも、とある世界に目覚めさせかけていた。
そのことを勘で察知した姫は、
「それは、外しておいたほうがいいわね」
と忠告する。
「そうなの? じゃあ、おじいちゃんにみせたらはずすね」
そう言ってケントはお爺ちゃんの元へ走っていった。
お爺ちゃんはこの国の大臣だ。孫が可愛く離れたくなくて、ほぼいつも城に連れてきていた。始めは城中を駆け回るケントに人々は驚いていたが、事情を知った今ではマスコットとして受け入れられていた。おおらかでわりと変人の多い城だ。
「孫の姿を見て、可愛さのあまり倒れなきゃいいけど」
非常に有能な大臣は孫のことに関しては暴走するのだ。
暴走の可能性を考えつつ面白そうだからほおっておこうと結論付け、姫はアレックスたちのところへゆっくりと歩いていった。
夕食を終えて、風呂にも入り、あとは眠るだけとなった頃。
姫が寝る支度をしていると、不意に思い出したかのようにシリウスが話しかけてくる。
「姫。お伝えしたことが」
「なによ?」
鏡を見て髪を梳きながら、シリウスへ振り返らずに聞く。
「メアリーのことです」
「孫が生まれるんでしょ? 朝聞いたじゃない」
生まれたのかしらと思う姫の予想を裏切って、シリウスは言い忘れたことを伝える。
「いえ、一時間ほど前に無事救出されたそうです」
「は?」
姫の動きが止まる。そして、ゆっくりとシリウスの方へ向き直る。
青の瞳が驚きに染まりながらシリウスに向けられた。
「どういうことかしら?」
「家に帰る途中誘拐されたそうで、騎士団に救出要請が出ていたのです。
しかし心配することはなにもありません。怪我一つ無く救出されたと報告がきました」
「シリウスまたかーっ!」
すでに名物となっている姫の怒声が、夜を迎えた城に響く。
人々はまたかと、たいした反応も見せずに眠りにつく。
こうして平和な国の一日が終わっていった。
空にドラゴンが飛び、野原にキマイラが走り、海では一角サメがゆうゆうと泳ぐ。そんなファンタジー満載の世界の平和な国の城で、誰かを呼ぶ声が響いている。可愛らしい声には焦りが少々混じっていた。
「シリウス! シリウス来なさい!」
呼んでいるのは銀糸の長髪を持つ可愛い女の子。年は14歳くらい。動きやすそうな服装で、落ち着いた柔らかさよりも活発的なしなやかさを感じさせる雰囲気をもつ。
「お呼びですか姫様?」
呼び始めて三分も立たないうちに、オールバックでピシッとタキシードを着こなしメガネをかけた若い男が現れる。執事です、と紹介されたら誰もが納得できるだろう。
そして事実、シリウスは姫の世話役を兼ねた執事だった。
「やっと来たわね。次からはもっと早く来るようにしなさい」
「努力します」
シリウスは一礼し答えた。
だが姫は知らない。ここに来るまでに執事が花壇を踏み越え、窓をぶち破って来たことを。早く来いということは、さらに被害が増すということを。
そんな未来を予想せずに姫は話し始める。
「まあいいわ。それよりも事件よ!」
「事件ですか?」
首をわずかに傾げ、姫の言ったことを復唱する。
「そう! 朝からメアリーの姿が見えないの! 私に何も言わずにどこかへ行くなんて、いままで一度もなかったわ。きっと攫われたのよ」
本当のことだとしたら大変なことなのだが、姫の言動には焦りのほかにうきうきとしたものが混じっていた。
「メアリーと言いますとメイドの?」
「そう」
「それでしたら何も問題はありません。初孫が生まれるそうで、家に戻っております」
「へ? そうなんだ。でもなんで何も言わずに帰ったんだろ?」
今度は姫が不思議そうに首を傾げる。
メアリーは姫が生まれた頃から世話になっていて一番懐いているメイドだ。メアリーも子供同様に姫を可愛がっていた。
「それは、私が伝言を頼まれたことを忘れていたからです」
シリウスは姫の疑問を即座に解消する。ちなみに伝言を忘れたことの反省の色はまったくない。
卑屈な感じがなく、あまりに堂々と白状したので姫は、怒るどころか自然に受け入れてしまった。
すぐにおかしいと感じはしたが、怒るタイミングを逃したので怒れない。
「あ〜あ、退屈が紛れると思ったのに」
「退屈ですか」
それならばと、シリウスは机の上の本や紙束を指差す。
「あのたまりにたまった勉強半年分をやってみては? 暇は潰せます」
「勉強は嫌い。それにあれやって将来役に立つの?」
「立ちません」
それはもう見事に断言した。ならやらせんなっ! と当たり前の突っ込みがとぶ。
実際はなんらかの役に立つのだろうが、一般的には使われることのない限られた方面の知識なのでシリウスは学ばなくともよいと判断したのだ。
「言葉遣いが少々悪いですぞ。
勉強が嫌ならば……元婚約者たちに会いに行かれては? 最近というか、一度会っただけで、まったくお会いになられてないでしょう?
フラルド様なんかどうです?」
「会いたくない」
姫は嫌な顔をして拒否する。
「プレゼントに死なずのヌメリゴキブリ送ってくる奴に会いに行けと!?」
「世界に一匹しかいない貴重種です。見た目はどうであれ宝石に負けない高級品ですぞ」
「今頃、数百数千匹に増えてるわよ」
姫は雄々しく羽を広げ、飛び去ったゴキブリを思い出す。
周囲にいたメイドたちの悲鳴がすごかったことも思い出した。そんな中、姫は悲鳴を上げず雄々しく飛ぶ姿を感心してみたいたのだから変わっている。
「それは無理でしょう。不死の代わりに生殖能力を失ったそうですから。今でも一匹のみです」
「……それはちょっと惜しいことしたかも」
世界に一匹しかいないと聞いて、ゴキブリでも手元に置いとけばよかったかもしれないと考える、ちょっとずれた姫。
今頃は元気に国のどこかを走っているだろう。
「ゴルゼッタ様ではどうですか?」
「また邪神降臨の生贄になれと? 誰も助けに来てくれなくて、自力で脱出するの苦労したんだからね」
「若い者は若い者どうしの話があるでしょうと、私が護衛を止めてましたからな」
シリウスはさらりと、とんでもないことを口にする。
「あんたのせいだったの!?」
「事前に生贄にされるという情報は掴んでおりましたが、ヒメサマナラバ、ダイジョウブダロウト、シンジテイマシタカラナ」
またとんでもないことを言うシリウス。後半の言葉は棒読みなので、本当にそう思っていたのか大変疑わしい。
溜まった怒りをぶつけようと手元にあったペンや本を投げる姫だが、シリウスは軽やかにすべてかわす。よほど力を入れたのか、投げられた物は床に突き刺さったり、床をへこませたりしていた。
「クラージ様はどうでしょう。他の方と違ってまともです」
ぜいぜいと荒い息を吐いている姫に対して、シリウスは少しも呼吸を乱していない。結構激しく動いたはずだが、汗一つかかずに提案する。
「まともすぎて、つまんない」
「わがままです」
シリウスの率直な感想に、姫はプイっと顔を横に向ける。
クラージも普通ではないという思いはシリウスの心の中にそっとしまわれた。
少し何かを考えていた姫は、部屋を出ようと扉に向かう。
その背を追いながらシリウスは聞く。答えは予想できていたのだが。
「どちらへ?」
「アレックスのところ」
「結局、いつもと同じように過ごすのですね」
やれやれとジェスチャーつきで溜息を吐く。
その反応にむかつきながらも姫は反論したかったが、できなかった。何も言わずに騎士団のいるところへ向かう。
その後ろをシリウスが足音を立てずに歩く。そのままいなくなっても、わからないほど見事に気配を消している。
なぜ気配を消すのかと姫は以前聞いたことがある。そのときシリウスは主人に不快感を与えないためと答えたが、姫はそれを信じていなかった。そしてその姫の勘は当たっていたりする。姫に気づかせずに、突然どこかに消え戻ってくる。そういうことをしょっちゅうシリウスはしていた。
城内から出て歩いた先に、姫は目的の人物を見つけて声をかける。
「アレックスー」
名前を呼ばれた人物が振り返る。
大きな碧眼、すらっと筋の通った鼻、柔らかそうなピンクの唇、雪のような白肌、蜂蜜が溶け込んだような金髪をもつ女性。異性どころか同性さえも見惚れさせる美女が姫に近寄ってくる。
「姫様、その名前で呼ぶのはやめてください。私にはアレイシアという名前があるのですから」
「アレックスが私を名前で呼んでくれたら、アレイシアって呼ぶ。それにアレックスが本当の名前でしょ」
そうなんですけど、とアレックスという男の名前を持つ美女は泣きそうな顔で返答する。
余談だが、この名前のせいでニューハーフと間違えられることがよくある。もてるのだがその方向性に違和感を感じさせる人物だ。
性格は、いたってまともな人物だ。苦労症ではあるが。
さらにもう一つ余談。男の名前なのは、親が男の子が欲しかったからではない。名前を決める際に名前の書かれた用紙を箱につめ、くじ引きで決めたからだ。候補にはチョボンバなどという非常に個性的なものもあったので、それを引かなかったことに対してはアレックスは親に感謝していた。
「あっシリウスさんもいらっしゃったのですか!?」
「はい」
アレックスは、姫の後ろに立つシリウスに気づき、気恥ずかしさで顔が赤く染まる。
背景に花を背負って乙女モード全開といった感じだ。
「なんでよりにもよってシリウスに惚れてるんだろうね?」
姫の呟きをそばで聞いていたはずの二人は、何の反応も見せない。シリウスは聞き流し、アレックスは顔の紅潮をしずめるため集中していたからだ。
惚れた理由は姫も詳しくは知らない。ただシリウスがアレックスに対して、何か言ったことが原因らしい。
一般的なカップルはともかく、奇妙なカップルの恋愛にはたいして興味が湧かないのか、姫は追求しない。
「アレックス、今日も剣術の相手になって」
「またですか姫様」
「だって暇なんだもん」
暇という理由だけで、姫は剣術を学んでいた。最初は、危ないからと多くの者が止めた。シリウスと他数名は煽っていたりする。
そんな中、ちょっと興味が湧いただけだろうと、アレックスが皆を宥めて姫に剣を持たせた。
すぐに飽きるだろうというアレックスの考えを裏切り、姫は飽きず真面目に鍛錬を積んでいった。幸か不幸か、姫には剣の才能があった。それも続いた理由なのだろう。一番の理由は楽しいからだ。
いまでは、騎士隊長の一人であるアレックスと、三戦して一回は勝てるまでになってしまった。
嫁の貰い手がまた減ったと両親は嘆いたが、本人は上達に喜んだ。
やる気を出させた責任をとれと言われ、姫の剣術指南役はアレックスの担当となった。怪我でもさせたら面倒なことになると、多くの者が嫌がった役割をアレックスは喜んで引き受けた。元から姫と仲が良かったこともあるが、姫のそばにはシリウスがいたからだ。
そしてさらなる上達を望む姫は、今日もアレックス相手に善戦していた。
訓練所で、美女と美少女がそこらの兵士を超える剣技を披露するという一般的には珍しい光景が見られたが、訓練所でその光景に突っ込む者は誰もいなかった。見慣れているせいだ。
着替えた姫は昼食をはさんで二時間と少し、素振り、ジョギング、試合とこなしていった。
体をたくさん動かして満足した姫は、シャワーで風呂を流したあとアレックスをティータイムに誘う。
「少し用事があるから先に行って準備しといて」
そう言ってシリウスとアレックスを先に行かせる。
練習に付き合ってもらったお礼として、アレックスにシリウスと二人だけの時間をあげたのだ。
何の用事もない姫は少し時間を潰そうと、散歩を始める。
姫の視界に見慣れた子供が入ってくる。見慣れてはいるが、どこか違和感があったりもする。
「ケント〜」
姫に呼ばれた子供が走りよってきた。年のころは五歳くらい。将来有望な可愛い顔をしている。アレックスとは違う方向で、男女関係無く魅了する。
間近で見て、姫はケントの違和感に気づいた。
「おねえちゃんなに?」
「いたから、ただ呼んだだけなんだけど……その耳はなに?」
姫の視線の先には、ケントの髪と同じ紺色をした犬耳があった。後ろを見れば、同色の尻尾もある。どういう仕掛けか、尻尾は常にふりふりと動いている。
「シリウスにいちゃんがくれたんだ。とくていのじんしゅにたいするへいきじっけんっていってたよ」
自分が何を言っているのかわかっていない様子のケント。シリウスが口にしたことを、そのまま言っているだけだろう。
しかし、本人はわかってなくとも、実験は成功していた。一部のお姉さま方は、ケントの姿を見て鼻血の海に沈んだのだから。そしてごく一部の男たちをも、とある世界に目覚めさせかけていた。
そのことを勘で察知した姫は、
「それは、外しておいたほうがいいわね」
と忠告する。
「そうなの? じゃあ、おじいちゃんにみせたらはずすね」
そう言ってケントはお爺ちゃんの元へ走っていった。
お爺ちゃんはこの国の大臣だ。孫が可愛く離れたくなくて、ほぼいつも城に連れてきていた。始めは城中を駆け回るケントに人々は驚いていたが、事情を知った今ではマスコットとして受け入れられていた。おおらかでわりと変人の多い城だ。
「孫の姿を見て、可愛さのあまり倒れなきゃいいけど」
非常に有能な大臣は孫のことに関しては暴走するのだ。
暴走の可能性を考えつつ面白そうだからほおっておこうと結論付け、姫はアレックスたちのところへゆっくりと歩いていった。
夕食を終えて、風呂にも入り、あとは眠るだけとなった頃。
姫が寝る支度をしていると、不意に思い出したかのようにシリウスが話しかけてくる。
「姫。お伝えしたことが」
「なによ?」
鏡を見て髪を梳きながら、シリウスへ振り返らずに聞く。
「メアリーのことです」
「孫が生まれるんでしょ? 朝聞いたじゃない」
生まれたのかしらと思う姫の予想を裏切って、シリウスは言い忘れたことを伝える。
「いえ、一時間ほど前に無事救出されたそうです」
「は?」
姫の動きが止まる。そして、ゆっくりとシリウスの方へ向き直る。
青の瞳が驚きに染まりながらシリウスに向けられた。
「どういうことかしら?」
「家に帰る途中誘拐されたそうで、騎士団に救出要請が出ていたのです。
しかし心配することはなにもありません。怪我一つ無く救出されたと報告がきました」
「シリウスまたかーっ!」
すでに名物となっている姫の怒声が、夜を迎えた城に響く。
人々はまたかと、たいした反応も見せずに眠りにつく。
こうして平和な国の一日が終わっていった。