December 31, 2005

最もそれらしい選択肢はダミーだから選んじゃダミー

 4択問題では、最もそれらしい選択肢がダミーで、最もそれらしくない選択肢が正解であることが多く、それが良問の条件と言える。清水義範の短編小説:「国語入試問題必勝法」でも「正論除外の法則」というのがあって「いかにも正論っぽい選択肢はダミーに決まっているから端(はな)から除外してよい」という趣旨だった。
 片平なぎさ山村紅葉が常連の2時間ドラマでも、最初にいかにも犯人らしく見える一番怪しいヤツは必ずダミーであって、その証拠に途中で殺される。
 「はぐれ刑事純情派」でも単細胞の川辺課長が犯人と即断して逮捕を急かすのは必ずダミーであって、藤田まこと演じる安浦刑事の考えが常に正しいが、それでも川辺課長は降格にもならず、凝りもせずいつも同じ過ちを繰り返すのは、主人公の引き立て役として欠かせない存在だからに他ならない。
 最も正解らしく見える選択肢がダミーであることは競馬の場合も例外ではなく、最多数の人が考える1、2着や1、2、3着の予想はほとんど外れ、あまり多くの人が考えない組み合わせが正解になる。
 先日の第50回・有馬記念がまさに好例だった。
 まず、単勝式で1.3倍という数字が示すように、大部分の人が武豊騎乗の6ディープインパクトが勝つと信じて疑わなかったが結果は皮肉にも2着だった。(ちなみに、道場主は、初の古馬との対戦であること、440キロしかない小型馬であることを理由によくて2着、たぶん3着が精一杯だろうと考えた。)
 昨年秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念とG1を3連勝した3ゼンノロブロイの戦績は4着が2度ある以外はすべて3着以内だから、悪くても3着以内には来るだろうと大半の人が考えて2番人気に支持したが、馬体重12キロ増が災いしたか、すでに峠を越えていたためか、結果は無残な8着だった。(道場主は初めは3着候補として残していたが、12キロ増がわかった時点で無印に降格させた。)
 有馬記念を3連覇中のペリエの騎乗だからと多くの人が考えて、前走のステイヤーズ・ステークスで弱い牝馬に辛勝しただけの15デルタブルースを3番人気に祭り上げたが、去年の菊花賞馬とはいえ8番人気のフロック勝ちの疑いが濃く、しかもファン投票11位というお里が出て11着に惨敗した。(道場主は枠順発表前は多少は気があったが、単勝式3番人気という買いかぶり人気を見て切り捨てを決断した。)
 一方、10ハーツクライは、ジャパンカップでハナ差の2着という出走馬中最高の戦績にもかかわらず、直線の短い中山では末脚が不発に終わると多くの人が決めつけたために4番人気に留まったが、そうした多数の予想をあざ笑うかのように見事に優勝した。(道場主は週半ばまでは多数の人と同じように中山不得手だから凡走必至という考えだったが、枠順が発表され、その後4番人気という不人気ぶりを知って確信のに予想を変更した。)
 また、常時上位人気に支持されていた14リンカーンは、ジャパンカップでのハナ差4着という健闘にもかかわらず不支持の6番人気に留まったことに反発するかのように3着と好走した。(この馬はジャパンカップで1番人気3着のゼンノロブロイにハナ差4着にしては人気が低いし、G1で不人気馬を2着に持ってくるのが大得意な横山典弘騎乗に魅かれて、道場主に抜擢した。)
 という次第で、最も多数の人が買った単勝式6も、馬連3−6も、馬単6→3も、3連複3−6−15も、そして3連単6→3→15もことごとく紙屑と化した。
 多くの人は、人気馬でないと信用せず、無能な評論家が薦める「実力を伴わない人気馬」を絡めた馬券ばかり買って損をするが、それでも懲りずに何度も同じ失敗を繰り返す。
 人気がないときは見向きもせず、人気が出たら買う。そんなことをしていたら競馬というギャンブルで勝てるわけがない。これはちょうど、上がる前の株を買う勇気がなく、上がった後の株を買って損をするのと変わらない。「いいかげん目覚めなさい!」と「女王の教室」の阿久津真矢先生なら言うところだろう。

 結局、正解3連単10→6→14道場主の予想では◎△○という組み合わせだったため、わずかに押さえただけであったが、何しろ305倍もの高倍率だから、得た配当金は決して悪いものではなかった。欲を言えば、2、3着が逆の10→14→6◎○△)なら600倍ほどあったし、170倍超もつく馬単10→14◎○)も同時に的中することになるので、両方合わせればもう一桁多い配当金が手にできるところだった。欲をかかないで10→14→6と同じだけ10→6→14も買っておけばよかったというのが今回の反省点であるが、3連単は、今回のように4、1、6番人気馬という、それほど難易度の高くない組み合わせでも300倍を超えるわけだから、わずかな投資金でまとまった配当金が手にできる実に夢のある馬券であることは間違いない。
 馬連なら100万円の配当金を得ようと思えば1点につき5万円から10万円の出費が必要であるが、3連単なら1点につき1,000円から5,000円程度の勝負でも100万円くらいは手にできるし、1点に1万円から5万円の出費を覚悟すれば、1,000万円はおろか、1億円の獲得も決して不可能ではない。
 2005年の21レースあったG1だけに限ってみても、そのうち16レースが3連単で100倍を超えていただけでなく、半数の8レースが1,000倍超で、その中の2レースは10,000倍超だったが、それでも毎回1、2、3番人気馬の順に並べた、最も低倍率で、しかもまず的中することもない、最も割の悪い馬券が最も多く売れる。考えてみれば、最も多く売れるから最も低倍率になるわけではあるが、競馬は1、2、3番人気馬がその順に1、2、3着するほど単純ではないことがなぜわからないのか不思議でならない。
 いいかげん目覚めなさい! 1、2、3番人気馬をその順序に並べた3連単出題者である競馬の神様馬券的中テスト受験生を引っかけるために用意したダミーの選択肢にすぎない。それを選ぶのは「はぐれ刑事純情派」の川辺課長同様の単細胞人間という謗り(そしり)を免れないのだ。

  

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December 30, 2005

冬期教育研究セミナー:「丸暗記厳禁主義・英文法道場」の教授法(増設分)

 本講座は、23日分が早々と満席になったために増設した29日分も満席に近いところまで集客が叶い、興行主からは「これだけの受講者を集めたのは教育セミナー始まって以来の新記録である」との報告を受け、道場主面目躍如
 約1週間ぶりの講義で喉の調子がイマイチだったこともあって、1時間目の滑り出しは必ずしも快調ではなかったが、次第に調子を上げ、なんとか6時間を乗り切って、年内最後の仕事を無事終了することができた。
 それにしても受講者諸氏の熱心で真剣な受講態度には本当に頭が下がる。大学受験生にこれだけの熱意と勤勉さがあれば学力向上は間違いないのにと思わずにはいられない。
 それにちょっとした冗談にも笑ってもらえるのもありがたい。今日日の受験生がこちらの言う冗談に対して笑うという反応をすることがめったにないのとは大違いだ。
 また、講義が終了して退室する時に盛大な拍手をもらえるのも嬉しい。以前は駿台生も学期の終わりには拍手をくれたものであるが、ここ数年はそうしたことが一切なかったので、23日に続いて29日にも拍手で労をねぎらわれたのは身に余る幸せという思いが余計強かった。
 今回もアンケートには貴重な意見がしっかり書かれていて、読む側としてこんなに喜ばしいことはない。受験生のアンケートと違って、講師の全人格を否定するような誹謗中傷は一切なく、前向きで建設的な意見ばかりなので実に勇気づけられる。この場を借りて感謝の意を表したい。


追記

 受講者アンケートの中に1つ手厳しい指摘があったので、そのことについて釈明しておきたい。

 まず1つは「テキストの中に、女性を軽視したり、人格を無視したりする例文を時々使っていて、それに対する講義におけるコメントがセクハラ的である」というもので、道場主にも自覚がある。
 講義の中で「Taro is as old as I am.の場合は、『太郎と私がともにジジイである』というわけではなく、ジジイ同士でも、中年同士でも、若者同士でも年齢さえ等しければよいが、A is as beautiful as B.の場合は「AとBはともに美人でなくてはいけない。チエ・ジウイ・ヨンエの比較ならよいが、光浦久本では皮肉にしかならない」という説明をした。
 また、She is no less beautiful than her sister.「彼女は姉同様に美人である」という例文について「no lessno moreに替わると『ともにブスである』という悲惨な話になってしまうのでとてもテキストに掲載するわけにはいかないが、こうして講義の中で言ってしまったら掲載したのと変わらなくなる」という趣旨の冗談を言った。
 以上のことが槍玉に挙げられたのだと思うが、道場主は女性を蔑視する気などさらさらなく、それどころか女性は常に敬愛の対象であって、この発言はちょうど小学生の男の子が好意を抱いている女の子に対して故意に意地悪をするようなものだと言いたいが、恐らく許してもらえないだろうな。

 また、「容姿のこととか、ウソをつくだとかの女性のステレオタイプ的な性質を表わす例文だけ She が主語。時代錯誤もはなはだしい」という指摘もあった。
 That she lied to me is certain.のことが対象だろうと思うが、道場主は「女性はウソをつくもの」という他意があって she主語にしたわけではないので shehe に書き換えるに吝かではないが、その場合に「男性はウソをつくもの」という他意が含まれることにならないか。ちなみに、道場主は、男女いずれであるかを問わず、人間はそもそもウソをつく動物であると思っている。



駿台「教育研究セミナー」受講者アンケート
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December 29, 2005

飲食するに値しない店

 帰宅前に一杯引っかけようと駅前の居酒屋に入ったが、自動ドアが開いた時、3メートルとは離れていないカウンターの先にいる板前二人は黙々と仕事をしていて「いらっしゃいませ」の一言もない。すでにカウンターにいたただ1人の先客の3席離れたところにカバンを置いて座ろうとしたが、その時点でも目の前の板前はこちらの存在に気づかないのか、無視を決め込んでいたので、ここは飲食するに値しない店と判断して帰ることにした。自動ドアが開く音で気づいたのか、やっと「いらっしゃいませ」と慌てて呼ぶ声が背後から聞こえたが、それで引き返したらこちらの立場がないので、そのまま店を出てしまった。
 その程度のことで機嫌を損ねるとはケツの穴の小さいことと言われても構わないが、入店したらただちに「いらっしゃいませ」と迎えられるところから始まることを期待する身としては、客が入店したことにも気づかないような店では飲食したくない。こればかりは誰に何と言われようと譲る気はない。
 飲食店では客が入ってきた瞬間に「いらっしゃいませ」と迎えるのは基本中の基本であって、それすらできない店は味がどうこう言う前に失格だと思う。そんな店には行きたくない。
 行きたくないと言えば、店主が威張っている店もイヤだ。
 ある時友人の1人がグルメ雑誌で紹介されていた「旨い」と評判の鮨屋に行ってみたら混雑していたので、空いている席はないかとキョロキョロしていると店主から「そんなとこにつっ立ってねえで30分くらい散歩でもしてきたらどうだ」と言われたとのこと。「それでどうしたんだ?」と友人に訊いたら「言われた通り散歩してからまた行った」という。バカじゃねえの。道場主ならそんな店は食べるに値しないとみなして二度と行かない。
 別の友人は評判の鮨屋に初めて行った時に、いわゆる「お好み」で好きなものを注文しようとしたら店主から「初めての客はお任せで、こっちが出したものを食べるんだ」と言われてそれに従ったとのことであるが、道場主ならその場で席を立っただろう。
 道場主もかつて雑誌で紹介されていたある鮨屋に何度か通ったが、ある日店主が常連の客に「オレはもう客はいらねえんだ」と言っているのを聞いて100年の恋も冷めて行くのをやめてしまった。そういうことを他の客のいる前で言うなよ。

  
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December 28, 2005

友だちの年齢層

 先日男だけ5人で飲んだ時に、その中の1人から「道場主って友だちの年齢幅が広いよね」と言われて「そう言われてみると確かにそうだよな」ということになったが、そういう話になった根拠は数日前の忘年会のメンバー構成だった。
 10数年間5人前後で続けてきた四谷の割烹:「」における恒例の忘年会に去年数人が加わったのに続いて、今年は「是非仲間に入れてほしい」という希望者が増えて定員15名の狭い店内ギッシリの14名、女性4名を含めて上は80歳から下は28歳まで、音階で言えば3オクターブくらい集うことになった。この会のメンバーはを合わせて予備校講師が大半であるが、学科は数学が最も多く、なぜか同業の英語道場主以外には皆無だったのが、今年やっと1人加わったというありさま。
 ふだん道場主は予備校内において、相手がどの学科の講師であるかを意識して人付き合いをしているわけではないので、飲み仲間の中にたまたま同業の英語講師が少ないというだけの話ではあるが、周りを見ると同じ学科の講師としか会話も交わさなければ、挨拶さえもしないという人もいるようだから、そういう人たちから見れば他の学科の講師と付き合う道場主は特異な存在なのかもしれない。
 また、年齢に関しても、年齢的に近い人以外とは付き合いを遮断してしまう人がいる一方で、道場主は年齢に関係なく気の合う人とは自然に仲良くなるというだけのことであるが、そうした年齢を超えた付き合いを「無節操で怪しからん」とある人から咎められたことがある。
 その人にとっては若い同僚はあくまでも後輩であって友だちではないので、道場主のように若い人を後輩ではなく友だちとして扱うのが許せないのだろうと考えて、その時は一笑に付したが、その人の言動を見るとどうも先輩風を吹かせすぎのように思う。確かに先輩面をして威張っていたら年下友だちができるわけがないし、また、そういう人はえてして先輩を煙たがって避ける傾向があるので年上友だちもできない。ふつうに自然にしていれば友だちはいくらでもできるんだけどなあ。

  
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December 27, 2005

none≠no one と none≠nothing

 nonenooneから成り立っているように見えるが、no oneとは使い方が違う。
 まず、no onenobodyと同義で「人が誰もいない」という意味であるのに対して、noneは「no前出の名詞」に代わる代名詞として用いる。しかも、none可算名詞(数えることができる名詞)だけでなく不可算名詞(数えることができない名詞)を指すときにも使われる。

(a) The old man was left alone, with no one to look after him.
   「その老人は天涯孤独の身となり、世話をしてくれる者が1人もいなかった」
  ・・・no oneは「老人」ではなく「」が1人もいないことを示す。

(b) "How many students came?" "None did."
   「生徒は何人来ましたか」「1人も来ませんでした」(NoneNo students)
  ・・・「人が誰もいない」ことを示すNo oneNobodyは×。
 
(c) I wanted an apple, but there were none left.
   「私はリンゴが欲しかったが、1つも残っていなかった」(noneno apples)
  ・・・「物が何もない」ことを示す(there was) nothing (left).は×。

(d) "How much gasoline is there left in the tank?" "None, I'm afraid."
   「タンクにガソリンはどれくらい残ってるの?」「あいにくまったく残っていないよ」
  (NoneNo gasoline)
  ・・・「物が何もない」ことを示すnothingは×。

(英文法実戦演習H・第5章のオマケ話)

  
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December 26, 2005

比較の対象は肯定形が必須

(a) 私たちには使い切れないほど多くのお金がある。
 ⇒×We've got as much money as we can't spend.
   ○We've got more money than we can spend.
 
 「使い切れないほど多くのお金」を字面通りに as much money as we can't spend とするわけにはいかない。
 we can't spend 「私たちが使うことができない」という否定では「使う」という行為そのものがないわけだから、比較の対象になることができないのだ。
 そこで、ここは比較の対象を we can spend 「私たちが使うことができる」という肯定にして more money than we can spend 「私たちが使うことができるより多くのお金」とする必要がある。
 次の例に関しても同様で、比較の対象は、それが事実であろうがなかろうが何が何でも肯定形でなくてはいけない。

(b) 赤ん坊がヴァイオリンを弾くことができないように、私もヴァイオリンを弾くことができない。
 ⇒×I can no more play the violin than a baby cannot.
   ○I can no more play the violin than a baby can.
  
(c) ジュリアはティムが食事を終わらないうちに帰ってきた。
 ⇒×Julia came home before Tim hadn't finished eating.
   ○Julia came home before Tim had finished eating.

(実戦・英文法道場のオマケ話)


  
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December 25, 2005

ディープインパクトの敗戦に思う

 第50回・有馬記念は断トツ人気の3歳馬・ディープインパクトが2着に敗れ、ジャパンカップハナ差2着と好走したにもかかわらず4番人気と見くびられた4歳馬・ハーツクライの勝利に終わったが、ディープインパクトが負けたことで悲痛な叫びを上げたファンが多かった。
 それにしても古馬との対戦が初めての3歳馬単勝式1.3倍という支持は尋常ではない。40年も競馬をやっていると、「何が起こるかわからないのが競馬」という経験を何度もしているので、断然の1番人気馬が負けたからといってまったく驚かない。それよりも何よりも、1.3倍単勝式馬券を買う人の気が知れない。
 なぜ人はこうも1番人気馬が好きなのだろうか。というよりも大多数の人が好きだから1番人気になるわけではあるが、3歳馬同士でしか走ったことのない1頭をこれだけ過信するのはとても正気とは思えない。というのも、ディープインパクトは人間に喩えれば中学生の陸上日本一のようなものであって、いくら中学生では無敵だからといって、いきなり高校生や大学生の一流選手に混じって勝てると思う方がどうかしている。今日の2着は「惜しくも敗れた」のではなく、中学生の身で高校生や大学生と一緒に走って「よく2着に頑張った」と言うべきなのだ。
 こうして痛い目に何度も遭って学習していく人はいいが、多くの人はすぐ忘れて同じ失敗を繰り返す。


  
Posted by eg_daw_jaw at 18:11Comments(2)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

December 24, 2005

冬期教育研究セミナー:「丸暗記厳禁主義・英文法道場」の教授法

 昨日は駿台教育研究所主催の「冬期教育研究セミナー」で高校の先生を対象の講義をした。
 ふだんの授業と違って、相手は全員が同業者とあって事前の緊張は並大抵ではなく、数日前から気が重かったが、先日「センタープレがあるので気が重くて」と弱音を吐いた受験生に「そんな弱気でどうする。『センタープレが楽しみです』くらいのことを言ってみろ」と叱咤した手前、それを言った本人が「気が重い」などと言ってはいられない。ここは「高校の先生を対象の講義という貴重な経験ができるんだ。楽しみだなあ。早くその日がこないかなあ」くらいのことを考えなくては、と自らに言い聞かせながらその日を迎えることにしたが、現実には絞首刑の日を「楽しみだなあ」と無理にでも思って待つ受刑者のようなものだった。何せ道場主は、先日35回目の25歳の誕生日を迎えたばかり。気持ち年齢25の若造が年配の先生方(実際は26歳から59歳まで)を相手に講義をするかと思うととても平静ではいられなかった。
 それでもついにその日が来て講義開始のチャイムが鳴って講師室から教室に向かう時は、出番が来て楽屋から舞台に向かう芸人に似て、意外に度胸が据わるもの。教室に着いて教壇に立った時にはすっかり覚悟はできて戦闘モードになっていた。
 まず初めに「同業者の先生方を相手に講義するなんて、お前はいつからそんなにエラくなったんだというお咎めを覚悟で引き受けたからには、開き直るしかない」という趣旨のこと言ったところ、幸いにも受講者諸氏からは好意的に迎えられ、和やかな雰囲気で無事始めることができた。案ずるより産むが易しだったのだ。
 夏期:特訓・英文法道場冬期:実戦・英文法道場のテキストの一部を編集し直したものを用いての講義。まさに企業秘密の公開とあいなったが、さすがは英語教師を生業にする人たちの集団なので反応がよく、道場独自の胡散臭くて怪しい説明も目を輝かせて聴いてもらえた様子。講義終了後に提出されたアンケートを見ても「まだまだオレも捨てたもんじゃない」と自信を取り戻すことができたほど好評だった。この勢いで有馬記念も大的中といきたい。

追記
 おかげさまで有馬記念3連単10→6→14◎△○305倍)を的中。本当は10→14→6◎○△600倍弱)の方がありがたかったが…。(12月25日)



駿台「教育研究セミナー」受講者アンケート
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December 23, 2005

実戦・英文法道場(お茶の水)を振り返って

 思ったほど受講生が多くなくて、イマイチ士気が上がらなかったが、気を取り直して何とか4日間を乗り切った。
 3日目に受講生の1人が講師室を訪れて英文法道場を賞賛した上で「道場が学力向上の効果絶大の最高の講座であることをほとんどの受験生が知らないんです」と言って激励してくれたのは嬉しかった。もちろん昨年度のテキストを閲覧すれば、道場の価値は一目瞭然のはずであるが、現実には大半の受験生は、昨年度の教材を見比べてみてどの講座を受講するかを自分で決めるのではなく、専ら「講習は何を取ったらいいですか」と他人任せにするらしい。「依存する者はカモにされる」という世の中の仕組みがわからないようでは末が思いやられるが、道場の受講生は全員、他人に依存することなく自らの意志で選んだ賢明な受験生だから大丈夫。



受講生の声⇒  続きを読む
Posted by eg_daw_jaw at 06:37Comments(0)TrackBack(0) 講習会・英文法道場 

December 22, 2005

as ifの後の仮定法過去と仮定法過去完了の決め方

(a) He spoke to me in a friendly manner as if he were an old friend of mine.
  「彼はまるで古い友人であるかのように親しげに私に話しかけた」

 as ifの後は、he was not an old friend of mineという過去の事実に反する仮定だから、仮定法過去完了でhe had been an old friend of mineとするべきであると考えるのは誤り。
 as ifの後の仮定法は、「現在の事実に反する仮定なら仮定法過去」、「過去の事実に反する仮定なら仮定法過去完了」というわけではなく、実は「主節の動詞が示すことと時間的に同時の事実に反する仮定なら仮定法過去」、そして「主節の動詞が示すことと比べて時間的に以前の事実に反する仮定なら仮定法過去完了」と考えなくてはいけない。

 上の例では、「彼が私の古い友人でなかった」のは「彼が親しげに話しかけた」のと時間的に同時なので、その事実に反する仮定は he were an old friend of mine という仮定法過去が正しい。
 では、次の例はどうか。

 (b) He spoke to me in a friendly manner as if he had known me for a long time.
   「彼はまるで長年の知己であるかのように親しげに私に話しかけた」
   (「彼が長い間私を知っていたわけでない」のは「話しかけた」のと比べて時間的に以前のこと)

 (c) He talked as if he had seen the accident.
   「彼はまるでその事故を見たかのように話した」
   (「彼がその事故を見なかった」のは「話した」のより時間的に前の事実)

 以上を整理してまとめると次のようになる。

(1) 主節の動詞が示すことと時間的に同時の事実に反する仮定⇒仮定法過去
(2) 主節の動詞が示すことと比べて時間的に以前の事実に反する仮定⇒仮定法過去完了

(実戦・英文法道場 Part I のオマケ話)

  
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