March 31, 2006

「旅に来てやっぱりよかった」と思うとき

 先日大阪でイケメンJリーガーの父親で道場主の友人であるM君の講演の後、そのM君を含めて4人で二次会をした居酒屋は、トイレが店内になく同じビルの2階まで上がらなくてはならなかったが、そのトイレで用を足して出る時に、次に入ってきた他の客からすれ違い様にごく自然に「すみません」と言われた。すれ違うためにこちらが身体を避(よ)けなければならなかったわけでもないので「どういたしまして」と返答するわけにもいかなかった。こんなことは東京ではとても考えられない。
 翌日は広島で船に乗って宮島に渡った時に、桟橋のトイレでも同じようなことがあった。人が楽にすれ違うことができるだけの余裕があるのだから、何も「すみません」と断らなくてもよいのにと思ったが、言われた方としては決して悪い気はしない。ただ返答のしようがないのが辛い。
 そういえば去年の夏に岡山駅近くの天満屋のトイレに入る時に、用を足して出てきた低学年の小学生とぶつかりそうになったが、非があるわけでもないその小学生から躊躇なく自然に「ごめんなさい」と言われ、想定外のことに返答のタイミングを逸して一本とられた思いをしたのだった。
 宮島ではその後、コインロッカーを使うための小銭を作ろうと売店で両替を頼んだ時に、そこの店員さんは嫌がりもせず快く笑顔で応じてくれた。東京でも小銭にくずすくらいのことはしてくれるが、これほど親切で優しくはないように思う。
 続いて同じく宮島厳島神社裏のレストランで牡蠣丼なるものを食べて勘定を払う時にも「どうもありがとうございました。大変お待たせいたしまして申し訳ございません」と言う店員さんの声には心がこもっていた。観光地のレストランの客は大概は「二度と来ない客」だから、値段だけ一流で味と応対は二流か三流と相場は決まっているのに、この店は味もよく応対もすばらしかったので、この時は「ご馳走様。美味しかったよ」という声が思わず出た。
 また、島内の土産物屋で宮島に来たのが30数年ぶりであることを伝えると「それはそれは、忘れずに来ていただいて本当にありがとうございます」と言われて恐縮するほどだった。
 地方の人のこうした心のこもった言葉や優しい態度に触れる時、旅に出て本当によかったと心から思う。


  

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March 30, 2006

福山の友人との再会〜父の墓参

 広島から岡山へ向かう途中、前々日Jリーガーである宮本君との再会時に話題になった友人W君に会うために福山に立ち寄った。
 W君は東大三鷹寮に入寮したのも同期なら、一時は部屋も同室だっただけでなく、卒業前も大学裏の根津でよく一緒に飲んだり麻雀をしたりした仲だったが、30歳になる前に家業の鉄工所を継ぐために福山に帰ってからは会っておらず、年賀状のやり取りすらしていない。
 広島を出る前に三鷹クラブの幹事をしている同期のH君に電話してW君の番号を教えてもらってから電話してみたら、「会おう」ということになって新幹線に飛び乗り、それから30分足らず後には改札まで迎えに出てくれたW君に会うことができた。
 30年以上経ってはいても昔の面影が十分に残っていたので、まるで昨日会ったばかりのような調子で駅ビル内の喫茶店で語らい、1時間ほど昔話に花を咲かせた。
 「次は泊りがけで来る」と約束して福山を後にしたが、W君は手ぶらで行った道場主に地元のかまぼこ竹輪など、好物の練り物の詰め合わせを土産に持たせてくれた。帰ったらお返しに焼酎の銘酒:とりかいを送ろうと思う。

 岡山に着くと、駅で待っていた母とともにタクシーで父の墓参に向かった。
 我が家の墓は小高い丘の上にあるため上り下りするのも一苦労で、脚が弱っている母には特に下りが辛いが、どうにか無事に墓参を済ませた後は、バスを乗り継いで市のはずれにある実家に落ち着いた。
 茶の間に入ると、コタツの上には、前の日に広島で流川から他の場所に移転していることがわかった流川幼稚園道場主が卒園した日の式次第が置かれていた。それは縦12センチ、横30センチほどの小さな紙切れにすぎないが、母が54年もの間大事に取っておいてくれたのだ。
 式次第にはガリ版刷りで「第五回・卒園式」(日本基督教団広島流川教会附属・流川幼稚園)と書かれ、67名の卒園児名の66番目に道場主の名前もあった。50音順ならあ行だから比較的前にくるはずなのにいわゆるブービー番になっているのは、入園順だからかもしれない。家の近くの幼稚園から途中で転園したため、おそらく入園の順序では最後から2番目だったのだろう。

  
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March 29, 2006

久々の広島訪問

 大阪を後にして、母が独り住む岡山の実家に行く前に、3歳時から小学校の2年生終了時まで5年間住んでいた広島に寄って1泊することにした。
 広島訪問の主たる目的は、小学校1、2年時の同級生で唯一姓名を覚えている岡本良雄君と50余年ぶりに再会することであるが、手がかりは岡本君が当時町内で名物の塩風呂を経営する家の長男であり、その後その店を継いで社長におさまっているらしいということだけだったので、果たして会えるかどうか。
 広島は大阪からの所要時間がわずか1時間半で意外に近く、昼前に着いたので、ふと宮島まで足を延ばそうと衝動的に決めて直ちに実行した。宮島には通算で6度来ているが、前回は大学を卒業した直後のことだったから、今回は30数年ぶりになる。通算7回目の訪問は生憎雨に降られたが、雨の宮島もなかなか情緒があってよい。
 JRで宮島口まで約30分、そこから船で約10分という所要時間は30数年前とあまり変わっていないように思うが、もしかすると多少は時間が短縮されているのかもしれない。
 帰りの便にはJRの代わりに懐かしい広島電鉄を選んだが、広電・宮島口からしばらく行くと「次は楽々園楽々園でございます」という車内放送が聞こえてきた。遊園地の名前がそのまま駅名になっているわけであるが、この楽々園には子供の頃に両親に何度か連れてきてもらった覚えがある。

 西広島から路面電車に乗り換えて宇品の広島港まで行く途中の車窓からはやがて原爆ドームが見えてきたが、子供の頃の記憶ではもっと大きかったはずのものが意外に小さいことに驚いた。原爆ドームもずいぶんと年を取ったものだなあというのが素直な感想。
 電車が終点の宇品に着く頃には子供時代のことが懐かしく蘇ってきて、広島港から向かいの島に何度か海水浴に連れて行ってもらったこと、当時住んでいた丹那の家から見える広島港に停泊中の船を何度も写生したこと、そして宇品競輪には父に何度か連れてこられたことなどが次々と思い出された。
 そういえば、宇品競輪では道場主が選手の帽子の色を見て「赤と白がいい」と言ったのを聞いて父が買った3−1の車券が的中してご褒美に苺ミルクを食べさせてもらったことがある。その時たまたま隣の席にいて我々父子の会話を聞いていた競輪狂のオッサンからいきなり真顔で「坊ちゃん、次のレースは何ですか」と訊かれ、「赤白と白がいい」と無責任にも答えたところ、「じゃあ6−1ですね」と言って車券を買いに穴場に走っていったが、もちろん当たるはずがない。とはいっても、子供の言ったことだから「当たらなかったじゃないか。いったいどうしてくれるんだ」と責任を問われることもなかった。

 宇品を後にして、次は広島方面に向かう路面電車を胡町(えびすちょう)で下車したが、それは小学校に入る前に通った流川教会付属の幼稚園を訪れるためだった。
 無宗教の道場主がキリスト教の幼稚園に通うようになったのにはもちろんわけがあって、初めに通っていた近所の幼稚園で誰かのいたずらによってトイレに閉じ込められたのがきっかけでクリスチャンだった祖父に転園させられた先がそこだったという次第であるが、母に付き添われて約2年間汽車と市電を乗り継いで通ったこの幼稚園を54年ぶりに是非見ておきたかった。
 ところが探せども探せども目的の幼稚園はおろか、教会すら見つからない。付近の店で尋ねても皆目わからないので、番号調べで電話番号を教えてもらってから直接教会に電話した結果、場所が移転していることが判明し、重い荷物を引きずりながら移転先の教会まで行ってはみたものの、中には入らず外から見るだけに留めたが、そこから駅は目と鼻の先だったので、そのまま歩いて駅前のビジネスホテルに部屋を取って一息入れた。

 広島といえばお好み焼き、というわけで次に向かった先はお好み村だった。
 ホテルからタクシーを乗りつけると、お好み村は前回に来た30数年前とは違って、ビルの2階から4階までを占める形になっていた。2階の「新ちゃん」という店を選んだが、イカや海老の上にとろろ昆布を乗せて焼く方式のお好み焼きは生まれて初めて母と広島市内で食べてから54〜5年ぶりだった。当時のお好み焼きにはそばは入っていなかったとはいえ、1枚の値段がわずか10円だったことからすると、今の値段はその100倍に当たるわけだから、お好み焼きもずいぶん出世して偉くなったものだと思う。
 お好み焼きを堪能した後はいよいよ塩風呂探訪と級友との再会という最終目的が待っているが、手がかりは「塩風呂」と「丹那」という地名、それに経営者か、悪くても元経営者であるはずの「岡本良雄」という姓名しかない。電話番号は番号調べで訊いてわかってはいるが、何度電話しても誰も受話器を取らないので未だ連絡が取れていない。
 お好み焼き屋で勘定を済ませる時に、たまたま同席していた年配の夫婦に塩風呂のことを尋ねてみたら、去年か一昨年に廃業したはずだという。それでも行ってみたいという道場主に同情してか、車で連れていってくれるという。その好意に甘えて行ってみたところ、塩風呂の看板のある、以前のものとは違うモダンな建物は立派に存在していたものの、営業している様子がなく、人の気配もなかったので、塩風呂初体験も岡本君との再会も断念せざるを得なかったが、母校である楠那小学校の前を通ることができたのはうれしかった。当時は校庭が海に直接面していたが、その後は埋め立てられて、当時海だったところには今ではマツダの工場が建ってすっかり様変わりしていた。
 その後は、宿泊先のホテル近くまで送ってもらい、住所を交換し、厚く礼を言って別れた。
 最終目的は叶わなかったが、親切なご夫婦とも出会えて満ち足りた一日にはなった。岡本君との再会は次の機会の楽しみとして取っておこうと思う。


追記

 道場主広島市丹那に住んでいた頃には、広島から宇品までを結ぶ国鉄(現JR)宇品線があったが、その後は貨物専用になり、今では完全な廃線になっている。
 流川幼稚園へは、この宇品線丹那から広島まで行き、そこからは市電に乗るか、または歩くかしていた。
 ギヴ・ミー・チョコレートではないが、進駐軍アメリカ兵から一度チョコレートをもらったのも同じ宇品線で日曜日に家族で広島市内へ出かける時か帰る時だったように思う。
 父は国立広島病院に勤めていたので住んでいたのは丹那の官舎だったが、その家のすぐ目の前が海で、引き潮の時には家族でよく潮干狩りをした。
 また、満ち潮の時に近所の幼児が海に落ちて溺れているのを、当時同居していた父方の祖父が83〜4歳の高齢にもめげず果敢にとび込んで救い、お礼に鯛をいただいたのを今でも覚えている。
 
  
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March 28, 2006

イケメンJリーガー宮本恒靖パパの講演

場所と日時大阪弥生会館18時30分〜21時
参加人数講師を含めて30

 東大三鷹寮の元寮生で結成される三鷹クラブでは、同窓生の中から誰か話題の人物を講師に選んで食事会を兼ねた講演会を年数回(うち1回は大阪で開催)行っているが、今回は大相撲と同様に大阪場所だった。
 講師三鷹寮の同期生で卒業時に大学に近い西片町のアパート:いずみ荘でも奇しくも一緒だった宮本恒明君。といっても「それって誰?」と言われるだけだろうが、ガンバ大阪のイケメン選手でワールドカップでも活躍した宮本恒靖の父と言えば「エッ」と多少は驚いてもらえるかもしれない。
 「有名人と知り合いであることを自慢するのは、当の本人が無価値であることの何よりの証拠である」という趣旨のサマセット・モームの有名な言葉があるが、その例に漏れず、無価値人間の道場主宮本選手の父親と大学入学時と卒業時に同じ屋根の下で暮らしたことを結構自慢したくなる。
 講演前の食事会では道場主は同期のよしみで宮本パパの隣の席に並んで座る光栄に恵まれた。出席者全員が行う自己紹介兼近況報告は予定の30分では収まらず40分あまりかかったが、その後は宮本パパが最前列にある講師の席に移動して講演が始まった。演題は「Jリーガーの父として」。
 今では関西電力の重役におさまっている宮本パパは、公の席でガンバ大阪・宮本恒靖選手父親として紹介されることが多いが、そのたびに「ほんまやろか」という反応が返ってくるという。そこでいつも「女房に似たんです」と答えるとのことであるが、それなら道場主も納得する。奥さんには一度会ったことがあるが、美人だからイケメンJリーガー母親に相応しい。
 宮本パパは「イケメンJリーガーができるまで」を1時間あまりに亘って話したが、他所では聞けない話がふんだんに聞けた。その中には宮本選手トルシエ監督から「天童よしみという歌手は男なのか、女なのか」と訊かれたことがあるというエピソードも含まれていた。
 講演の最後の質疑応答の時間に「ドイツでのワールドカップの勝算について宮本選手はどう思っているか」という趣旨の質問が出たが、「世界のレベルはそんなに甘いものではない」というのがオヤジに対するセガレの答えとのこと。もっとも、公式のランキングなるものがラグビーの場合と違ってあまりあてにならないらしいから、番狂わせが期待できるかもしれない。何しろ先日のWBCの野球でもランキング上は期待薄だった日本チームが優勝したくらいだから。

 ところで、大学卒業後ずっと会っていなかった宮本君とは実に30数年ぶりの再会だったが、年賀状のやりとりは続けていた。とはいえ、相手があのイケメンJリーガーの父親であるとは思ってもみなかった。
 実はワールドカップ前の年賀状で「息子のサッカーが・・・」と書いてあるのを見た時には「大学でサッカー部に入っているのかな」くらいにしか考えなかったが、翌年の年賀状で「昨年は息子のワールドカップで楽しませてもらいました」という書き込みを見て初めて気づいたのだった。父親の「恒明」と息子の「恒靖」で同じ「」の字を使っているのだから、もっと早く気づいてもよさそうなものだったが、その頃は今以上にサッカーのことには疎かったのだから仕方あるまい。
 
 講演の後、近くの居酒屋で宮本パパを含めて同期の3人と1年先輩の合わせて4人だけで二次会をしたが、その時に携帯電話で宮本パパ道場主のツーショットの写真を撮った。この写真を会う人ごとに見せて、誰の父親であるかを当てさせる遊びでしばらくは楽しめそうだ。

  
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March 27, 2006

春期教育研究セミナー:「丸暗記厳禁主義・英文法道場」の教授法

駿台予備学校・3号館9時50分〜16時30分(昼食時間:12時40分〜13時40分)

 現役の高校の先生を受講生に迎えての講義だから、冬期で経験済みとはいっても講義日までの数日間は気が重いのは変わらなかったが、受験生が対象の場合と違って全員が講義の内容をよく理解する人たちばかりだから、反応がよくてやりがいがあるはずと気持ちを切り替えて講義の日を楽しみに待つことにしたところ、案ずるより産むは易しで、いざ講義を始めてしまうと、思っていた通り反応もよく順調に50分6コマの講義を務めあげることができた。これも研究熱心な受講者諸氏のお陰であって、不勉強で知識不足の受験生が相手ならこうはいかない。喩えて言えば、これは選手よりコーチの方が練習熱心であることを象徴するものだから、受験生諸君はこのように言われないようにもっと勉強熱心になってほしい。
 今回の課題は代名詞接続詞と前置詞準動詞で、テキストは夏期講習:特訓・英文法道場の教材から該当箇所を抜粋して作成したが、和訳文と解説記事を外したので、加筆修正ならぬ減筆修正をしたことになる。
 講義終了後には質問応答の時間が設けられているが、その時に手を揚げる人は皆無だったものの、講師室に戻ってから数人の受講者の方々から熱心な質問を受けた。やはり他の同業者が大勢同席しているところではなかなか質問しづらいのだろう。
 講師室での質問に応答した後で興行主側の担当者から受講者アンケートを手渡されたが、そこに書かれた数々の好意的なコメントを読んで勇気づけられると同時に、受講者諸氏の研究熱心さに頭が下がる思いがした。

 ついでながら、仕事がすべて終わってから高松宮記念の結果を携帯電話で覗いてみると、前日に買っておいた3連単(11→14→13)の馬券が的中して360倍強もついていることがわかり、思わぬボーナスに疲れは一気に吹き飛んだ。



 アンケートの質問3:「本講座について率直なご感想をお聞かせください」に対する回答のすべてを以下に匿名で紹介する。⇒  続きを読む
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March 26, 2006

肉を食べない理由

 道場主などの肉を一切食べないが、それは味が嫌いだからではなく、人間と同じ陸上に棲む動物の肉を食べるのは人間の肉を食べるのに等しいと考えるからであると言ってもなかなか信じてもらえない。
 ある時「美味いトンカツ屋がある」と薦められて肉を一切食べない旨を伝えたのに対して「どんなに美味しくてもダメですか」と問われたことがあるが、食べないのは味のせいではないから、とんかつ好きの人にとってどんなに美味なトンカツでもダメなものはダメ。それは、ちょうど見た目がどんなに美女でもオカマは絶対に受けつけないというのと同じ。
 若い頃ある友人が渋谷の円山町で美人の街娼に声を掛けられて酒の勢いでホテルに入ったまではよかったが、ある時点でオカマであることが判明したためにカネだけ払って追い返そうとしたところ、「それでは私のプライドが許さない。確かに私はオカマだけど、そんじょそこらの女には絶対負けない。最後まで務めさせてくれ」と言われて仕方なくそれに応じたとのこと。友人と言っているのは実は道場主自身のことではないかと疑う向きもあろうが、それだけは誓ってない。道場主なら、どんなに美女に見えてもオカマとわかったとたんに尻尾を巻いて逃げ出すこと請け合いだから。
 話が大きく横道にそれてしまったが、食べ物の好き嫌いといっても味のせいばかりではないということを言いたかったのでこんな話をした次第。
 ちなみに、道場主は魚貝類では青柳、そして野菜ではピーマンだけは大の苦手であって、この3品は肉とは違って味のせいで食べられない数少ない食品ということになる。

  
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March 25, 2006

俄かファン湧出の事情

 昨年秋の日本シリーズ千葉ロッテが優勝し、今年になってからは冬季オリンピックフィギュア・スケート荒川静香選手が金メダルを獲得したのに続いて先日のWBCは図らずも日本チームが制したが、そのそれぞれに俄か(にわか)ファンが湧出した。
 ふだんプロ野球には見向きもせず、ましてやパ・リーグの千葉ロッテについては、その存在すら知らなかったような連中が同チームがプレーオフ福岡ソフトバンク・ホークスを負かした頃から急増し、日本一決定戦で阪神タイガースを4対1で退けた時には、まるで元からのファンだったかのような顔をして大騒ぎした。そして、どうみても20歳前にしか見えない若者が「この瞬間を20年待ったんです」などと言っていたが、「嘘をつくな。20年前にはお前はまだ生まれていなかっただろうが」と言いたくなるようなことさえあった。
 冬季オリンピックフィギュア・スケートの時も、荒川選手がショートプログラムで僅差の3位に入るや、それまで無関心を決め込んでいた国民の大多数がこぞって応援に参加して、いざ金メダルが決まると最初から荒川ファンだったような顔で歓喜しただけでなく、凱旋帰国の時にはわざわざ空港に出迎えたりもした。
 WBCの野球にしても、どうせ日本アメリカキューバには勝てるわけがないと考えて至って冷淡だったくせに、棚ボタの準決勝進出が決まったあたりから応援を始め、優勝が決まった時にはまるで最初から応援に参加していたかのような顔をして大興奮。
 以上3つのどれも元からの本物のファンは実は一握りしかいなくて、大半は俄かファンだったのは間違いないが、要するに彼らは人気に便乗して騒ぎたかっただけではないのか。もしかすると、彼らの多くはロッテ荒川WBCのすべての優勝決定時に欠かさず集まって大騒ぎしていたのかもしれない。だとすれば、彼らは競馬でディープインパクト菊花賞を制して三冠馬になった時にも喝采の群の中にいたに違いない。
 精神神経科の医師で受験評論家の和田秀樹氏は人間を「自責型で自分が主役」のメランコ人間躁鬱気質)と「他責型で自分は脇役」のシゾフレ人間分裂気質)に分類していて、今の日本はシゾフレ人間が主流になったと言っているが、自分が主役になることは考えず、主役の周りでみんなと一緒に騒ぐ脇役を演じるという現象がロッテ荒川WBCに関してたまたま起こったと思われる。
 麻原になびいたオウム信徒も、小泉改革にのぼせ上がった大多数の愚民も、すべて「自分が主役を務めるのは辛いが、主役の周りで脇役としてみんなと同じことをしていれば楽でいい」という発想のシゾフレ人間ならではのもの。
 何かがうまくいかないときにメランコ人間なら主役である自分の努力が足りないからと解して自らを責めるが、自分は脇役にすぎないシゾフレ人間主役である他人のせいにする。例えば受験生の場合、学力が伸びないときには、メランコ人間なら自分の勉強不足のせいだと考えるが、シゾフレ人間は教わる先生や教え方が悪いからであると考える。
 シゾフレ人間は自分に脇役を演じさせてくれる主役は何人いても構わないので、いつも新しい主役を見つけようと虎視眈々。そして、主役が見つかると、そのもとで自らは脇役を演じて大いに盛り上がるが、熱しやすく冷めやすいのが最大の特徴。さて、次の主役は誰なのだろうか。

  
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March 24, 2006

一寸法師が旅に出た理由

 クイズ・ミリオネアで俳優の津川雅彦が1,000万円に挑戦する第15問は「御伽草子一寸法師が旅に出た理由」を問うものだったが、選択肢は概ね次のようになっていた。

 A 両親に嫌われたから  B 仕事を見つけるため
 C お嫁さんを探すため  D 背が高くなりたかったから

 オーディエンスではCが最多でAが最少だったが、正解はAであってCではなかったので、1番人気のCを選んだ津川氏はそれまでに獲得したせっかくの750万円をふいにしてしまった。
 道場主御伽草子原典を読んでいないので一寸法師が旅に出た理由を知らなかったが、ギャンブラーとしての判断で正解がAであることは簡単に見抜くことができた。 
 一寸法師打出の小槌によって背丈が伸びて、その結果お嫁さんを得たわけだから、背が高くなりたかったのも、またお嫁さんが欲しかったのも事実だろうが、旅をしたからといって背丈が伸びるわけではないので「背が高くなりたかったから」という選択肢はダミーに決まっているとわかる(その意味では、この選択肢が人気最下位でなかったのが不思議でならない)。
 そこで、一寸法師の旅の目的は「お嫁さん探し」だったはずと最多数の人が軽薄にも推論してしまったが、そこが素人の浅ましいところであって、競馬において勝つはずもない弱小馬が1番人気に祭り上げられてしまうのとどことなく似ている。
 残る2つの選択肢のうちで「仕事を見つけるため」というのは、御伽噺としては夢がないし、しかも身体が小さいから得られる仕事というのも当時としては考えにくいので、とても正解とは思えない。
 旅に出たのが「両親に嫌われたから」というのは、ちょうど受験において「文系を志望したのは数学が苦手だから」とか「理系を選んだのは英語が嫌いだから」というのに似て消極的な理由だからおよそ正解とは思えないのも無理はないが、良問ではこのように「最もそれらしくない選択肢」が正解で、逆に「最もそれらしい選択肢」がダミーであることが多いということは知っておいて損はないと思う。

  
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March 23, 2006

未来の条件を表わす副詞節の動詞の時制

(a) I won't go even if I am invited.
  「たとえ招待されても私は行かない」
(b) Once you have decided to do something, you should do your best even if you will end up in failure.
  「いったん何かをやることに決めたら、たとえ結果的に失敗に終わるとしても全力を尽くすべきだ」

 未来の条件を表わす副詞節では未来形ではなく現在形の動詞を用いるのが原則であることは、モグリの受験生でない限り誰でも知っている。
 (a)では「招待される」のも未来なら「行かない」のも未来ではあるが、主節未来なら従属節未来であることは改めて断るまでもなく自明なので、未来形を用いるのは主節だけに留め、従属節現在形で済ませる。
 ところが、(b)のように、条件節主節の行為によって未来に生じる結果を表わす場合は未来形を用いる。
 you should do your best even if you will end up in failure. とは「<現在から未来に向けて>全力を尽くすべし。その結果として<未来において>失敗に終わることになろうとも」という意味。もし仮に even if の後を現在形で you end up in failure とすると、「<未来において>たとえ失敗に終わっても、<その後で>全力を尽くすべし」という理屈になる。これを入試に喩えて言えば、「たとえ不合格になっても、その後で頑張れ」というマヌケな話になる。もちろん全力を尽くすべきなのは入試前の数ヶ月や数年であって、合格発表があって不合格が決まった後でいくら頑張っても虚しい。

  
Posted by eg_daw_jaw at 01:52Comments(2)TrackBack(0) 授業外 

もったいなものはもったいない

 某作家は高校生の長男が級友を相手に長電話をしているのを見咎め聞き咎めて「話をしたければ学校でしろ。わざわざお金をかけて電話で話すなんてもったいないことをするな」と言って叱ったところ、息子は「こっちからかけたんじゃなくて向こうからかかってきた電話だからいいでしょ」と言い返したので、「どっちからの電話だろうとお金がもったいないことには変わりがない」と言って電話を切らせたとのこと。
 この作家の考えには道場主も賛成なので、宿泊先のホテルなどで、電気代や水道代が宿泊代の中に含まれているからといって、無駄に電気や水を使うようなことは絶対にしたくない。現に先日サイパンの宿泊先のホテルでも、部屋を出る時にはエアコンの電源を切り、電灯のすべてを消していた。誰が電気代や水道代を負担するかに関係なく、無駄なものは無駄。自分の懐が痛まないからといって、誰もいない部屋のエアコンや電灯を点けっ放しにしおくことはとてもできない。大げさに言うと、地球の資源を浪費することは絶対にあってはならないと思うのだ。

  
Posted by eg_daw_jaw at 01:48Comments(0)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編)