August 31, 2006

前期成績優秀者表彰式(@千葉)

 成績優秀者表彰式に参列して講師代表として一言しゃべることを頼まれるようになってから早数年になるが、テキストを使ってやる授業と勝手が違って実にやりにくい。それなら断ればよいではないかとも思うが、わずか数分のためにわざわざ来校してくれと頼める講師は他にはいないと言われ、それなら仕方がないと引き受けてはいる。こうした苦手なことから逃げないのも試練と考えるようにしているが、それでも一向に上手くはならない。
 司会者が複数の成績優秀者の氏名を読み上げて言わば点呼を行った後は代表者1人が前に出て校舎長から表彰状を受け取るというお決まりの儀式があり、そのまま壇上に残った校舎長が祝福の言葉を述べるのは毎度のこととはいえ、7月から赴任した新校舎長の話が上手いの何の。これでは後で喋る道場主はますます不利で、まさに窮地に立たされたが、それで臆していては始まらないので、「えい、儘(まま)よ」と壇上に上ってしゃべり始めたら、下手くそながらどうにかなってほっとした。
 
 成績優秀者に選ばれたのは受験生として優位に立っている何よりの証拠だから、もっと明るく自信を持って秋を迎えてほしいが、決して増長はしないように。入試の合否はふだんの成績だけで決まるのではない。成績下位で受かることもあれば、成績上位で受からないこともある。せっかくの席に水をさすつもりはないが、それが現実だから仕方がない。最終的に合否を決めるのは、特定の大学に是非とも入りたいという執念の有無であって、高い学力があってもこの執念が足りないと合格に届かないことがあるし、また逆に学力が多少足りなくても強い執念に後押しされてまんまと合格してしまうこともある。今後は模試の判定に任せるのではなく、受験する大学の問題の傾向と難易度を十分に研究検討して合格できる態勢を自らの責任で築いていかなくてはいけない。そして、成績優秀者に選ばれて学力面で優位に立った有利さを活かさない手はない。

 というようなことを言うつもりだったが、もちろんこんなに上手くは言えなかった。
 後はいつものようにインチキ手品を披露して誤魔化したというか、お茶を濁したというか。去年は覚えたてのネタをやろうとして、最後にはどうにか成功したものの、2度もしくじったので、それに懲りて今年はカードを使う簡単なネタを2つ首尾よくこなして盛大な拍手をもらうことができた。実はこのネタは先日札幌教育研究セミナーの後、現地の講師、職員との懇親会の席で披露して大うけしていたので、自信はあった。
 儀式も無事終わってほっと一息つき、講師室でサンデー毎日クイズを2問解ききってから帰途についたが、ミミズク交番のところの横断歩道で、去年の受講生で今はJ大学在学中のY・M嬢にばったり出会い、千葉駅構内の飲食店で食事をした。
 「大学卒業後は何になるの?」という道場主の問いに、「最初は決めてたんですけど、大学で勉強するうちに知らないことが一杯あることに気づいて、いろいろ学びたいのに早くから進路を決めて学ぶ範囲を絞ってしまうのはもったいないと思うようになったんです。だから、あえて今は何になるかまだ決めないことにしました。まずは大学にいる間はいろいろ勉強したいです」という返事。まだ19歳だというのにこうした発言ができるのはすごい。道場主が同年齢の時には、とてもこんな立派なことは言えなかった。

  

Posted by eg_daw_jaw at 08:58Comments(2)TrackBack(0) エッセー・雑文など(予備校編) 

August 30, 2006

数学の勉強に元理系から一言

 数学で定理公式を覚えるのは、時間を節約するためであって、それをいちいち導き出していたら時間がいくらあっても足りない。
 問題の解法パターンを覚えるのも同様であって、入試では、問題を見てからのんびり解き方を考えている余裕はないので、問題を見たとたんに解法がわかって、ただちに答案作成に入ることができるための策として解法のパターンを覚えることは欠かすことができない。ただし、覚えるといっても丸暗記ではなく論理をたどりながらでなくてはいけないのは言うまでもないが、そうしてパターンを覚えてしまえば、残る課題は計算力だけだから、数多く練習をこなしさえすればよい。
 ところが、こうしたことを怠って、いつまでも苦手な分野をそのまま放置している暢気(のんき)な受験生が意外に多いので、ついお節介なことを言いたくなる。
 例えば三角関数が苦手なら、そこを集中して学んで問題の解法パターンを覚えてしまえばよいだけであって、ちょうど英語で仮定法が苦手とわかっていたら、そこを集中的に学んで苦手でない状態にするのと何ら変わりはない。
 「僕って微積が苦手じゃないですか」などと戯言(たわごと)を言っている場合ではない。苦手とわかっていれば直ちにそこを1日がかりで治療して苦手克服するだけでなく、逆に得意分野に変えてしまえばよいだけのことであって、それを怠っていつまでも逃げていては合格は近づいてこない。受験は自分事であって他人事(ひとごと)ではない。何かが苦手だからといって「どうにかしてほしい」と他人に依存しても問題は解決しない。自分で「どうにかする」以外に有効な手があるわけがない。賢明な受験生ならそんなことは百も承知だろう。善は急げ。躊躇なく直ちに取りかかるべし。

  
Posted by eg_daw_jaw at 11:10Comments(2)TrackBack(0) 勉強法・合格作戦など 

August 29, 2006

それだけやれば大丈夫ですか

受験生:それだけやれば大丈夫ですか。
道場主:そんなことは言ってない。それをまずやれと言ってるんだ。
受験生:えーっ、それだけじゃダメなんですか。
道場主:当たり前だろ。

 勉強法や参考書について問われたときに何かの忠告をすると、決まったように「それだけやれば大丈夫ですか」と問われるが、もちろん大丈夫なわけがないので「そんなことはない」と正直に答えると、「そんな答えを聞きたくて来たわけじゃない」と言わんばかりの不満そうな顔をされる。ウソでもいいから「大丈夫」と太鼓判でも押せば満足に違いないが、つい本当のことを言っていつも憎まれてばかりいる。
 受験勉強に限らず何事でも辛い努力をしないで効果を上げたいのは万人の共通の願いだから、「それだけやれば大丈夫」とお墨付きをもらいたい気持ちはもちろんよく理解できるが、何かだけで済ませようという了見は虫がよすぎる。
 受験勉強には「それだけは絶対にやらなくてはいけない」ということはあっても「それだけやれば十分」ということは絶対にあり得ない。
 「あれもやらなくてはいけない、これもやらなくてはいけない」というプレシャーを与えるのは決して本意ではないが、少なくとも受験生の側に「あれもやってやろう、これもやってやろう」という貪欲さが不可欠であることは間違いない。
 何かをやれと忠告されたら、「それだけやれば大丈夫ですか」などという情けない問いを発するのではなく、「他には何をやればいいですか」、「その次は何をやればいいですか」と積極的に問うくらいであってほしい。また、そうでない限り、勝者になることはできないと心得るべし。

  
Posted by eg_daw_jaw at 08:16Comments(4)TrackBack(0) 勉強法・合格作戦など 

August 28, 2006

二度目の小樽訪問

 北海道は3度目、そして小樽は2度目になる。
 5年前に友人と来た時には、旨いと評判の小樽を試すつもりだったものの、寿司屋通りの店はどこも味のわからない観光客相手の臭いがプンプンして、多少は鮨を食べ慣れている身には入店する気が起こらず、ついには食べずじまいになってしまった。
 今回は一人で来たが、札幌を朝食抜きで出たので空腹を満たすために昼前の空いているうちならと、外のウインドーにイカそうめんのサンプルがある店を選んで入った。
 どの店が旨いかは同じ通りの鮮魚店で高価なカニでも買えば教えてくれるかもしれないが、単に知り合いの店を薦められるか、または同じ商店街では立場上どの店とは言えず「どこもみんな美味しいですよ」と言われるくらいが関の山だろうと思って、自分で店を選ぶことにしたものの、目当てはイカそうめんであって、には期待していなかった。
 確かに生姜醤油ダレで食べるするめイカイカそうめんは思いのほか美味だったが、その後で腹を満たすために食べた帆立平目赤貝北寄貝するめイカ鮪の赤身の握りは、思っていた通り大したことはなかった。後で入った土産物店などで寿司屋通りの店の評判を試しに訊いてみたら、「地元の人間はあんな高いところへは行きません。いつも私らは回転寿司だけです」というのがどこでも共通した答えだった。
 朝昼兼の食事の後は観光船にでも乗ろうかと港に向かったが、途中で韓国人と思しき若いカップルからカメラのシャッターを押してくれないかと片言の英語で頼まれたので、快諾してツーショットを撮って上げたら、カメラを返す時に二人から今度は日本語で「ありがとう」と言われた。道場主が韓国に行って逆の立場になったら、地元の人に通じても通じなくてもカメラを手渡しながら英語でお願いし、カメラを返してもらうときには韓国語で「カムサハンミダ」と言うことになるのかと考えると、この奇妙なやりとりが微笑ましく思えた。
 港で30分あまり待って、祝津・オタモイ航路の観光船でニセコ積丹・小樽海岸国定公園の眺めを楽しむ2時間のクルージングに出かけた。乗船券を買う時に、屋形船で港内だけを40分で回る選択肢もあったので、それと比べて2時間のコースは確かに重たいから、それで「オモタイ航路」と呼んでいるのだろうと思っていたが、船を下りてから、待合室に掲示されている昭和10年に撮影されたという数枚の写真の説明書きを見て、実は「オモタイ」ではなく「オタモイ」であることに気がついた。ああ、何というお粗末。
 クルージング中はふと変な妄想が頭をよぎった。乗船客の中に北朝鮮工作員が何人か混じっていて、この船を乗っ取るようなことはないのか。乗船者名簿があるわけではないので、そうしたことが起こっても何ら不思議ではないし、また、その場合、北朝鮮まで行くには燃料が足りないだろうから、どこか別のところで待機している工作船に乗り換えさせられることになるとして、若くて利用できそうな者だけ乗船させ、他の者は燃料の切れた船に置き去りにするか殺すかするのだろうから、それで一巻の終わりか、などなど。
 何羽ものカモメが、乗船客が千切って投げ与えるパンを目当てに船と併行して飛んでくるが、キャッチングがあまり上手くない。初めて北海道に家族で来た20年近く前に知床で遊覧船に乗った時には、投げるエサを飛びながら見事に捕らえるウミネコに驚嘆したが、それとくらべるとここのカモメは情けないくらいに下手くそだった。
 結局、妄想していたようなことは起こらず無事2時間の周航が終わりに近づいて船が港近くまで来た時、煙突に見覚えのある国旗が描かれている船を見つけた。万景峰号(まんぎょんぼんごう)ではないが北朝鮮の船だった。そして港にはJapan Coast Guardと書かれた船が3隻泊まっていた。

  
Posted by eg_daw_jaw at 07:22Comments(1)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

August 27, 2006

夏期教育研究セミナー(@札幌)

「丸暗記厳禁主義・英文法道場」の英作文での実践法

 2日前の市谷でのセミナーは6コマだったが、こちらは午後4コマだけなので、午前中の飛行機での移動で十分に間に合う、というわけで、競走馬ならレース当日の移動だから、いわゆる当日輸送にあたる。
 札幌は朝出てくる時に小雨模様だった東京より気温がむしろ高いくらいだったが、湿度が低いので救われた。
 4コマの講義はずいぶん短く感じ、あっという間に終わってしまったが、北海道という広大でのどかな土地柄のせいか、受講した先生方には暖かな雰囲気で迎えられたように思う。その証拠かどうか、こちらがたまに言う冗談にもよく笑ってもらえた。
 後で受講者アンケートを見ると、先生方のセミナーに対する前向きで積極的な姿勢がひしひしと伝わってきて、はるばると札幌まで来た甲斐があった。今後は受講者数がもっと増えることが課題だろう。

  
Posted by eg_daw_jaw at 08:50Comments(0)TrackBack(0) 特別授業 

August 26, 2006

子猫殺しの鬼女のこと

 今世間を騒がせている子猫殺しの鬼女坂東眞砂子というホラー作家の狂気のエッセーきっこの日記という高名なブログで読んだが、そのエッセーを掲載したのが東スポではなく、まさか天下の日経新聞とは驚いた。

 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
 避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
日経新聞プロムナードに掲載)

 世の中には色々な人がいるので、この作家の意見に同調する人も決して皆無ではないとは思うが、いくら天邪鬼(あまのじゃく)の道場主でもこの考えに与することは絶対にできない。 
 「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利も、生まれた子を殺す権利もない」と認めておきながら、生まれた子猫を自らの手で殺すのは社会に対する責任だからやむをえないかのように自己を正当化するとは、病んでいるだけでなく、どう見ても狂っているとしか言いようがない。
 世の中には奇人や変人はいくらでもいるので、こうした狂人がいるならいるで、それはそれで仕方がないと百歩譲るにしても、こういうことは人知れずこっそり行うべきことであって、エッセーに書いて誇らしげに他人に語ることではない。
 それにしても、なお理解できないのは、天下の日経新聞がこの記事をそのまま掲載したことであって、たとえ東スポでも、こうした狂気の筆者には書き換えを要求するか、原稿そのものをボツにしてしまうかするくらいの良心はきっと持ち合わせているに違いないと思う。 

  
Posted by eg_daw_jaw at 00:10Comments(2)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

August 25, 2006

夏期教育研究セミナー(@市谷)

丸暗記厳禁主義・英文法道場」の教授法

 北は岩手から南は宮崎まで、日本各地の高校の先生を迎えての講義はさすがに緊張する。昨年の冬の2回と今年の春に続いて今回はすでに4回目であるにもかかわらず、6時間の講義の滑り出しは決して快調ではなく、緊張感が解けるまでに思った以上の時間がかかった。幸い2時間目からは、どうにかマイペースに戻ることができたが、精神的な疲労度はいつになく高かった。
 予備校講師にとって6時間の講義をすることは造作もないことであるが、それを聴く側になることを想像してみると、とても6時間座っている自信がないので、このセミナーに参加する先生方の忍耐力と向上心には本当に頭が下がる。
 このたびの講義は、道場主自身にとって決して満足のいくものではなかったが、それにもかかわらず、受講者アンケートの自由回答欄に書かれた意見は概ね好意的で暖かいものだったのでほっと安堵したが、受験生相手ならとてもこのような優しいコメントは期待できなかっただろうと思う。

 ところで、6時間目の講義の後、質疑応答の時間に想定外の質問が出て、質疑と応答がまるで水掛け論のようになって噛み合わなかったが、後で考え直してみて、こう説明しておけばよかったと反省したので、ここに紹介する。

 「ティムが食事を終えないうちに、ジュリアが帰ってきた」を英訳する整序英作文の正解文は、Tom hadn't finished eating when Julia came home.だったが、参考の例文としてJulia came home before Tim had finished eating.を挙げておいたところ、「ジュリアが帰ってきた方が先なのだから、そちらに過去完了形の動詞を用いてJulia had come home before Tim finished eating.とするべきではないのか」という趣旨の質問が出た。
 「ここは、ジュリアが帰ってきた過去の時点での完了だからこそのTom hadn't finished eatingであって、これをbeforeの節の中に入れるときにはbefore否定の意味が吸収されて肯定文になるとはいえ、過去完了形を用いることには変わりがない」ということをいくら説明してもわかってもらえないので、「この件は後で改めてゆっくり議論しましょう」と提案したが、相手の先生は「勉強させてもらいます」と言ってあっさり引き下がってしまった。
 ところが、今度は「beforeによって前後関係がわかっているのだから、そもそも大過去を用いるのは間違いでしょう」と言い出す先生が現れた。
 いきなり過去から見た過去を意味する「大過去」という言葉がまさか出るとは思ってもみなかったが、この発言に対して「ここは大過去ではなく、過去の時点における完了を表す過去完了なのですよ」といくら言ってもわかってもらえず、話はいつまでも平行線をたどった。
 もちろんbeforeの後を単純過去形で表す文そのものは間違ってはいないが、本問の正解にもっとも近い趣旨の文ということでは過去完了形の動詞を用いるのは必須と確信しているので、こちらも譲歩することはできず、ついには双方が矛(ほこ)を納めるしかなかった。
 この一件は、実は次のように説明すればよかったのだと思う。

 「ジュリアが帰ってきた」のと「ティムが食事を終えた」のとを時間的に比べてどちらが先かということだけを言うのであれば、ともに単純過去形の動詞を用いて表せばよいが、ここは「ジュリアが帰ってきた過去の時点において、ティムが食事を終えることがまだ完了していなかった」という趣旨なので「食事を終える」ことに関しては過去完了形の動詞を使うのは必須であって、before否定の意味が吸収されるので動詞は肯定形になる。
 そして、「ジュリアが帰ってきた」ことの方を過去完了形で表すのであれば、beforeではなくby the timeを用いて「ティムが食事を終えた時にはすでにジュリアは帰宅していた」という趣旨の文にする必要がある。

 (a) Julia came home before Tim finished eating.
   「ティムが食事を終えるより前にジュリアが帰ってきた」(どちらがかの比較
 (b) Julia came home before Tim had finished eating.
   「ジュリアはティムが食事を終えないうちに帰ってきた」
 (c) Tim hadn't finished eating when Julia came home.
   「ティムはまだ食事を終えてはいなかった。その時ジュリアが帰ってきた」
 (d) Julia had come home by the time Tim finished eating.
   「ティムが食事を終えた時にはすでにジュリアは帰っていた」

 今回は実にいい勉強になった。

  
Posted by eg_daw_jaw at 07:44Comments(12)TrackBack(0) 特別授業 

ゆうこりんの恋

 Who can deny that Yuko-rin is cute?ゆうこりんが可愛いことを誰が否定することができようか」(⇒No one can deny that Yuko-rin is cute.「ゆうこりんが可愛いことを誰も否定することができない」)という修辞疑問の例文に例文女優として使ったくらいだから、ゆうこりんの可愛さに賛同することにかけては道場主人後に落ちないと自負しているが、それにもかかわらず、このたびの「ゆうこりん熱愛発覚」については格別ショックではなかった。
 というのも、アイドルも人の子なら恋もすれば、その先のこともするはずであって、ゆうこりんも決して例外ではないと思っているからに他ならない。
 とても信じてはもらえないだろうが、道場主が高校生だった頃は、男女が付き合うというのは、一緒に喫茶店でお茶を飲んだり、せいぜい手をつないで公園を散歩したり、または二人きりで映画を見たりすることであって、品行方正な男女はその先のことまではするはずもなく、そこまでするのは不良だけと相場が決まっていた。
 ところが時代が下った今日日(きょうび)は、男女が交際しているといえば深い仲になっているのは当然であって、お茶や散歩や映画だけという浅い仲に留まっている場合は「付き合っている」という範疇には入らなくなった。
 ゆうこりんよゐこ濱口優との交際が事実だとすれば、二人が深い仲であるのはまず間違いないだろうから、熱烈なゆうこりんファンにとっては想像を絶するほどのショックだったに違いない。
 今回の組み合わせは人気でも収入でもゆうこりんの方がはるかに格上であるが、そうした極端な女格上カップルとしては田中美佐子深沢邦之安達祐実井戸田潤という前例があったとはいえ、田中美佐子ははるかに年上、安達祐実はピークを過ぎているという大きなマイナス要素が大きかったので、熱烈なファンの恨みを買うという心配はあまりなかった。ところが、今回のカップルの場合はゆうこりんがピークの超売れっ子なので、その分多数存在する熱烈なファンからの恨みも半端ではないはずという懸念もあるが、逆に、よゐこ濱口というのがあまりにも小物すぎることが幸いして、「どうせこの恋は成就するはずがない」と誰もが考えるおかげで、買う恨みは意外に大きくないかもしれない。これが、同じお笑い芸人でももっとインパクトの強い有田竹山なら、とてもただでは済まなかっただろうと思う。


追記

 すでに深い仲になっていれば、ある意味すでに恋は成就していると解することができるが、今回は「めでたく結婚まで行き着くこと」を「恋の成就」と定義して上のように書いてしまった。別に二人の破局を願っているわけではないが、今後どうなるか静観したい。

  
Posted by eg_daw_jaw at 01:00Comments(6)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

August 24, 2006

2006 特訓・英文法道場・総括

 18日で特訓・英文法道場の8講座のすべてが終了した。
 受講するからには、まずはこちらの奨めるやり方に賛同してついてきてくれないことには始まらない。道場が唱道する丸暗記厳禁主義予めテキストの解説を読んでから授業に臨むシステムにいちいち逆らいながら授業に参加するくらいなら、最初から受講しない方がよいが、幸いにしてここ数年はそういう類の受講生はほとんどいなくなった。
 というのも、大部分の受講生が、講座案内文を読んで道場方針授業システムを了解した上で受講申し込みをしているからだと思うが、たまに例外はある。
 「テキストの解説を読んでしまったら授業に出る意味がない」と端(はな)から講座の方針を否定するコメントを受講者アンケートの中に見つけたりすると、本当に気の毒になるが、道場の考えはむしろ「テキストの解説を読むからこそ授業がよく理解できる」というものであって、昨年度のテキストを閲覧してまえがきに相当するページを読めば、そうしたことは事前にチェックできたはずだから、そういうクレームを「お説ごもっとも」と認める気は更々(さらさら)ない。
 今後も丸暗記厳禁主義はもちろん、テキスト詳しい解説をつける方針を変えるつもりはないが、解説の仕方や内容については積極的に改善を加えてさらに進化させていこうと思う。現に、講座がすべて終了して講習会の熱が覚めやらぬうちにテキストに早々と加筆や修正をして来年度に備える準備を完了した。今年度の受講生諸君には関係ないが、来年度の受講生諸君は乞うご期待。

  
Posted by eg_daw_jaw at 06:26Comments(0)TrackBack(0) 講習会・英文法道場 

August 23, 2006

ブッシュな小話

 天国の門をくぐるためには、死者本人が自らの身分を門番に証明して見せなくてはいけない。
 高名な物理学者のアインシュタインが亡くなって天国の門まで来た時、「あなたがアインシュタインさん御本人であることを証明してください」と言われ、相対性理論を説くことによって身分を証明して入国を許された。
 同様にして、画家のピカソも立派な絵を描いてみせることによって無事に天国の住民になることができた。
 時代が下り、ジョージ・ブッシュが亡くなって天国の門まで来た時に、門番から「あなたが元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュさん御本人であることを証明してください。アインシュタインさんもピカソさんも、それぞれの手法で御本人であることを証明して天国の市民権を獲得なさいました」と言われたが、「アインシュタインとかピカソっていったいそれは誰ですか」と訊いたところ、「あなたがジョージ・ブッシュさん御本人であることははっきりわかりました。どうぞお入りください」と天国に迎えられた。
 大統領として何の功績もないジョージ・ブッシュには、アインシュタインピカソのように自らの身分を証明する手立てはないと思いきや、そうした高名な人物の名前すら知らないバカであることが本人である何よりの証拠と認められて計らずも天国行きが叶うとはさすが。

  
Posted by eg_daw_jaw at 06:38Comments(8)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編)