March 31, 2009

what I thought was right のしくみ

Many people criticized me, but I did what I thought was right.
「多くの人が私のことを批判したが、私は自分が正しいと思うことをしたのだ」

 上の文中の what は、先行詞を含む関係代名詞として、名詞節を導くと同時に、その節の内部で SVC の S として働いているが、それは、次のような that節の中の主語にあたる somethingwhat に置き換わったものとして説明することができる。

 I thought [that] something was right.
⇒×what I thought [that] was right
→〇what I thought was right

 接続詞that は、「それ、すなわち文」という形で用いるものであることからすると、[that] something was right では、that の後が SVC という完全文だからよいが、somethigwhat に置き換わってwhat … [that] was right となると、thatの後に期待される完全文にあたる SVC の S が欠けているために、もはや that には「それ、すなわち文」という形で働く本来の仕事を果たすことができないので、「明日からお前は会社に来なくてよい」と戦力外通知を言い渡さなくてはいけない。そして、これを英文法道場では「リストラの that」と呼んでいるが、そのことを改めて SV ...の記号を含めて説明すると、次のようになる。

 I thought [that] something(S) was(V) right(C). (that の後が SVC)
⇒×what(S) I thought [that] was(V) right(C) (that の後が VC のみで S がない)
→〇what(S) I thought was(V) right(C)

 以上、春期講習で受講生から受けた質問に対する回答を改めてまとめてみた。

(高3スーパー英文法・語法のオマケ話)

(金沢に1泊後の朝)

  

Posted by eg_daw_jaw at 06:30Comments(7)TrackBack(0) 講習会(英文法道場以外) 

March 30, 2009

旅立ちの日

 岡山県津山市にある、母校である小学校の同窓会が、卒業して47年後に挙行されて以来、ここ3年はこの時季、同じ津山で数人の同窓生と会って盃を交わすのを含めて、中国四国地方から京都に立ち寄る旅をするようになった。
 2006年は、大学の寮で同期だった、プロサッカー選手・宮本恒靖選手父親の講演をかねる食事会に出席するために大阪に立ち寄った後、安芸(あき)の宮島を約50年ぶりに訪れ、今は上京している都内にいる母が当時住んでいた岡山市内の実家に立ち寄ってから、津山まで脚を伸ばしてミニ同窓会、そして、一泊の後は京都で、初めての南禅寺を中心に観光をして戻ってきた。
 2007年は、飛行機で高松へ飛んで金毘羅山を参詣し、高松に一泊後はフェリーで宇野まで行き、続いて倉敷を観光した後は岡山の実家に泊まり、翌日は広島岩国津山姫路京都滋賀と巡り、琵琶湖では寒い船上から湖岸の桜を見た。
 2008年は、空路で松山、電車を乗り継いでしまなみ海道をバスで往復した後は道後温泉で一泊、翌日は高速艇で広島へ。そして、一泊後は、津山京都滋賀と回り、京都では大原、続いて嵐山トロッコ列車保津川下りを初めて経験し、大津では三井寺を訪れた。
 今年は、金沢京都広島津山京都と回ることを予定しているが、その間のブログは、当日投稿できないものについては、書き置いたものを「予約→公開」の形にする予定。


  
Posted by eg_daw_jaw at 06:10Comments(2)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

March 29, 2009

英語科を分科する適否

 予備校では、国語科は現代文、古文、漢文に、理科は物理、化学、生物などに、そして社会科は、世界史、日本史、地理などに分科していて、例えば、現代文の講師は現代文を、物理の講師は物理を、また、世界史の講師は世界史を教えるシステムだから、現代文の講師が漢文を教えたり、物理の講師が生物を教えたり、あるいは、世界史の講師が日本史を教えたりすることはもとより期待されていない。
 それに対して英語科は、読解、作文、文法と分科しているわけではないので、英語科の講師である限り、読解、作文、文法のどれでも教えることができるはずになっているが、現実には専門化が進んでいて、専ら読解だけを教える講師や作文だけを教える講師が多く、「作文を教えるのは勘弁してほしい」とか、逆に「作文だけを教えたい」というわがままが通ったりする。
 では、同じく科が分かれていない数学科はどうかというと、「数IIBなら教えるが、数3Cはお断り」などという勝手は許されないどころか、そういうことを言えば数学の講師としての能力を疑われかねない。
 英語科数学科を比べてみれば、科が分かれていない以上、どの分野でも教えることができなくてはいけないという方針の数学科に理があるのは言うまでもない。
 現状のままでは英語科のシステムには正当性がないので、英文読解科英作文科英文法科と分科する方がよいのではないかと思うことがあるが、読解系の講師と作文系の講師が交錯して教えている文法に関しては、英文法科として独立させることに大きな障害があるので、国語科のような分科はとてもできそうにもない。
 この件に関しては、日本国憲法・第9条自衛隊との関係を連想してしまう。
 現行の憲法では自衛隊は明らかに違憲だから廃止するか、それとも自衛隊合憲になるように憲法を改正するかという選択肢があるとすれば、前者は、英語科の講師に、読解、作文、文法のどれでもすべて教えることを義務づけて実行することに、そして後者は、英文読解科英作文科英文法科分科することに相当するのではないだろうか。

  
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March 28, 2009

春期教育研究セミナー:「丸暗記厳禁主義・英文法道場」の教授法@8号館

 現役の高校の先生を受講生として迎える教育研究セミナーは、WBC決勝が行われた24日が講義日であると記憶違いをしていたために、いったん入れた気合を抜いて、改めて仕切りなおしをする必要があったが、本当の予定日であった昨日、無事に務め上げることができた。
 これで、4月中旬の開講日までは再び冬眠に入ることができることになったが、学参の執筆が3本あるので、とても寝てはいられない。
 
 ところで、6コマの授業をテンションを落とさないで持続して行うことができることを、このセミナーを受講する先生から感心されることがあるが、授業をする側は自分のペースでやっているので、大した労苦ではなく、従って聴く側から気遣われるような疲労を覚えることはほとんどない。
 それが受講する側となると話は別で、講師のペースに合わせながら聴くわけだから、苦難の6コマであるに違いない。
 そのことは、歌舞伎にあてはめてみればよくわかる。
 役者は演じる芝居については熟知していて、それを自分のペースで演じられるからよいが、観る方はその芝居についての知識が役者よりはるかに乏しく、しかも演者のペースに合わせて観劇する必要があるので、どれほどの名演でもかなりの疲労を免れることができない。
 以下に、受講者アンケートに書かれたコメントの一部を紹介する。

◎教員になって7年を終え、8年目をむかえようとしています。この間、「文法」を教えることがいかに難しいか痛感してきました。色々な参考書や予備校の先生方の著書を読み、勉強してきましたが、実際に説明をしてもらうと、わかりやすいんだなあと思いました。教えてもらう側に立ってみて、生徒にとって何がわからないのか、どうしてほしいのかを教えるきっかけとなりました。・・・

◎本質的なものを理解させる、単なる暗記に頼らないという姿勢が参考になりました。

◎自分自身が機械的に知識化していた事柄の本来の理由を知ることができ、良かったです。正確な知識は生徒に教える上で、重要であり、又、自信になります。

◎普段、文法を教える方法論について、研修をしていないのですが、説明のし方、テンポ、板書のし方等、参考になりました。・・・

◎来年度、高3のライティングの授業を持つことになったので、参考になりました。特に「文法の土台→フォレストレベルの文法通読→辞書で知識を増やす→基本例文の暗誦」でセンターレベルに対応できるという言葉がとても印象に残りました。予備校に通う生徒も増えてきているので、生徒達が、こういう授業を受けているということを頭に置いて、学校での授業を組み立てていければと思います。・・・

◎授業をこれからする上での生徒に何をどのように伝えていくのかという疑問が本講座を受けることで少し解消した。自分なりにアレンジしながら生徒に伝授していきたいと思います。・・・

◎生徒に教えづらい所、教師側の盲点をついた内容で参考になった。

◎とても長い1日でしたが生徒の気持ちを味わえるよい機会でした。ふだんの授業ではとくに理屈を説明することなく「覚えなさい」と指示することが多くなっていました。私自身がわかっていなかったり深く考えていなかったからだと思います。コミュニカティヴな授業を作っていくには文法の正確な知識が前提になると改めて認識したので、来年度からの授業では今日見せて頂いたやり方を真似できるところはするように意識していきたいです。・・・

◎大学入試問題の英文法、特に選択問題で、何故そうなるのかを説明する時に、「これは決まり文句だから」とか「こうなるものだと暗記しておくべきところだから」と片付けてしまう傾向があったので、本日の納得できる話を聞いて、本当に参考になりました。英文法には大変深いところがあって、それをひとつひとつ説明できる、理解できるという、教師にとっても生徒にとってもそういうプロセスがとても大切であることを改めて心に刻むことができました。・・・

冠詞時制を見くびる者は・・・、私も本当にそう思います。ある程度分析的に学習する必要が文法学習にはあると思います。・・・

  
Posted by eg_daw_jaw at 09:48Comments(4)TrackBack(0) エッセー・雑文など(予備校編) 

March 27, 2009

御当地講師

 一昨日の夜に帰宅してみると、2009年度の時間割が郵送されてきていた。
 「今年度は高3生の授業を担当することがすでに決まっている以上、同じ高卒生のクラスにも出講することになるはずだから、昨年度に2コマだけ担当していた市谷の分がに移って、おそらく千葉県の校舎だけの出講になるだろう」と思っていたが、開封してみると、その予想は見事に的中していた。
 競馬予想もこれくらい上手くいけばよいのにと思わずにはいられないが、担当する教材についてもすべて予想していた通りだったので、競馬に譬えれば馬単3連単を同時に的中させたようなものと言えなくもない。
 こうして、通常授業に関する限り、江戸川を越えることがなくなったので、在住する千葉県御当地キティならぬ御当地講師になったことになる。
 冗談半分に「千葉牢に幽閉された」と自虐的に言うこともできるが、中途半端に御茶ノ水市谷の授業を担当するよりも、千葉津田沼という千葉県内の校舎だけで、そこに腰を据えて仕事をすることができる方が精神衛生上もよく、また、その方が受講生のためにもなるに違いない。
 それに、どこの校舎であれ、この年齢にしてかなりのコマ数の授業を担当させてもらえるのはありがたいことだから、文句を言ったらバチがあたる。
 講習会は例年通り御茶の水でも授業をすることになると思うが、その際のふだん御茶ノ水に出講していないことの不利は、ブログ英作文基本300選が補ってくれるはずだから、支障はないものと思われる。
 そして今は幸い、予備校講師として、レース前にパドックを周回中の競走馬よろしく、気合が漲(みなぎ)っている状態にある。




馬単: 1、2着馬を的中させる方式。
3連単: 1、2、3着馬を的中させる方式。
パドック: 競馬場で、出走前に競走馬の状態を観客に下見させる場所。

  
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March 26, 2009

観劇中の無理難題

 元禄忠臣蔵は、3月16日に夜の部で、南部坂雪の別れ(なんぶざかゆきのわかれ)→仙石屋敷(せんごくやしき)→大石最後の一日(おおいしさいごのいちにち)を観た後、ぜひ昼の部の方も観たいと思っていたが、嬉しいことに昨日それを観ることができた。
 (1)江戸城の刃傷(にんじょう):浅野内匠頭中村梅玉)、多門伝八郎坂東彌十郎)→(2)最後の大評定(だいひょうじょう):大石内蔵助松本幸四郎)→(3)御浜御殿綱豊卿(おはまごてんつなとよきょう):徳川綱豊卿(片岡仁左衛門)、富森助衛門市川染五郎)。
 江戸時代に創られた仮名手本忠臣蔵と違って、徳川幕府に対する遠慮のない元禄忠臣蔵は、史実に近い分だけ実話として安心して観ていられるが、同時に役者の演技に没頭することができるという利がある。
 「江戸城の刃傷」における彌十郎も、「最後の大評定」における幸四郎もよかったが、何よりも光ったのは、「御浜御殿綱豊卿」における仁左衛門染五郎の演技で、二人の台詞の応酬は観ていてワクワクするものがあった。

 しかし、そうした観劇の途中でせっかくの感動に水を差す出来事があった。
 真ん中の最前列で通路側の席だったのを幸い、キャスターつきの機内持ち込みサイズのカバンを自分の脚もとに置いて観劇を始めたが、通路を隔てた左の席の中年女性が大型のショルダーバッグを席の右側の通路に置いているのを見て、それに倣って途中からカバンを席の左側に置き換えたのがいけなかった。
 ある幕が上がるか上がらないかのうちに劇場の係員の女性がやってきて、カバンをただちにロッカーに入れろと無理を言う。すでに幕が上がって芝居が始まっているのに、席を立ってロッカーまで行くことができないことくらい、わかっているはずではないか。
 歌舞伎座のロッカーは自分のカバンが入るほど大きくないことは知っていたものの、取り敢えず小声で「後で」と答えたが、相手はまったく聴く耳を持たず、とにかくロッカーに入れろの一点張りだからたまらない。
 通路を隔てた左の中年女性の大型ショルダーバッグは相変わらず通路上にあるが、それについては一切お咎めなしだから納得はいかないが、すでに始まっている芝居を妨害してはいけないので、こちらも有無を言わさずカバンを脚の前に移動したところ、それ以上は何も言われなくなって事なきを得た。それなら初めから、ロッカーに入れろなどと無茶なことを言うかわりに、単にカバンを席の左から前に移動するようにと言ってくれればよかったではないか。
 こんなときに図々しい大阪のオバちゃんなら、「何でウチだけ言われなあかんのや。そっちの人かてカバンを通路に置いてるやないか」と大声でやり返したことだろう。
 自分が大阪のオバちゃんでなくてよかったとつくづく思う。


追記

 幕が上がって芝居が始まってから「カバンをロッカーに入れろ」と言われても困る。どうしても従えと言うのなら、どうかロッカーを目の前に持ってきてもらいたい。
 カバンを通路側から足もとに移動するだけで足りるのに、なぜロッカーにこだわったのか、今もなお謎のままになっているが、もしかすると、係員の女性だと思ったのは、実はよくできたロボットだったのかもしれない。それなら、あのように融通が利かなくても仕方がない。

  
Posted by eg_daw_jaw at 07:54Comments(0)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

March 25, 2009

幸運の日

 今回のWBCは、絶不調のイチロー、そして、いかに打撃不振でも、そのイチローを遠慮があって外せない原監督だから、それが最大の敗因になるのではないかと懸念していたが、そうした心配を他所(よそ)に、幸運にも頂点に上り詰めた日本チームの見事な戦いぶりに素直に脱帽すると同時に、心から喝采を贈らなくてはいけない。
 幸運は我が身にもあった。
 この日は、現役の高校の先生を受講生に迎えて行う「教育研究セミナー」の仕事があると思っていたので、WBCの決勝戦を観ることはできないはずだった。
 ところが、いざ予定の校舎に行ってみると、24日というのは記憶違いで、実際の講義日は27日であることが判明したために、そのまま踵(きびす)を返して帰宅し、1回表の日本の攻撃が終わる頃から優勝が決まるまでたっぷり観戦することができた。
 幸運はそれだけではない。
 授業を行うはずだった校舎の職員から「先生の授業は、今日(24日)ではなく、明日(25日)ではありませんか」と最初は言われたので、それが事実なら、せっかく席が取れて楽しみにしていた25日の歌舞伎を危うく諦めなくてはならなくなるところだった。
 結局、観ることができないはずだったWBC決勝を自宅でテレビ観戦することができただけでなく、一度は諦めかけた今日(25日)の歌舞伎も無事に観劇できることになったのは、何よりの幸いと言わないわけにはいかない。

  
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March 24, 2009

大学の志望に「いちおう」や「できれば」は禁句

 4日間の春期講習が終わった。
 テキストが薄くて分量がかなり足りないと思えたので、掲載されている問題に関連づけてテキストにない英文法に関わる話を数多くつけ加えることを余儀なくされたが、それが功を奏したのか、受講生の反応は、ただ一人の例外を除いて至ってよかった。
 入試問題の中には、筋が悪いものが多く、そうした問題に対するその場限りの解法のテクニックを示すよりも、次につながる、応用力を伴う知識を与える方がはるかに大事であるという確信のもとに授業をしたが、そうした意図が正しく伝わったらしいことが、以下のような受講者アンケートのコメントを見て確認できたのは喜ばしい。

◎説明がわかりやすかったし、出題された問題の出題部分以外の所も解説してくれたので、理解が深まりました。
◎問題の説明だけでなく補足説明まであって、充実していました。内容もわかりやすかったです。ありがとうございました。
◎1つ1つ丁寧に説明してもらえてとてもわかりやすかったです。
◎とてもわかりやすくていいと思います。がんばってSαに行きたくなりました。
◎英語のすごい細かい所まで講義してくれてありがたい。
◎とても分かりやすかったです。文法や語法のことが良く分かりました。
◎自分がすすんで受ける授業だと思った。受け身にならずやることでより身につく気がした。

 こういうことが言えるのは、わずか12コマの授業でも、受講前よりも受講後の方が断然賢く進化した証(あかし)だから、今後の受験勉強がいっそう効果的に進むことが大いに期待される。
 また、講習会中、講師室に質問に来た数人の受講生の一人ひとりに志望大学を訊いてみたところ、ほぼ全員が恥ずかしそうに「いちおう〇〇大学です」とか、「できれば〇〇大学なんですけど」という答え方をしたが、そういう弱気な姿勢は受験生として禁物だから、次のように叱咤激励した。

 「いちおう〇〇大学」の「いちおう」というのが気に入らないな。そういうものがついてるようでは受からないぞ。本当に受かりたければ、「いちおう」という余計なものを取って、ただ「〇〇大学」だけでいいんだ。

 「できれば」と言ってるヤツに実際にできた例(ためし)はないんだ。「できれば」という条件が足枷(あしかせ)になって、実際にはできないことになってしまうから、そういう縁起でもないものはさっさと捨てて、単に「〇〇大学に行きたい」と言えるようにならなくちゃダメだ。

  
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March 23, 2009

疑問文と否定文のsome

 大雑把(おおざっぱ)に言うと、any は、存在するかどうかわからない漠然とした数量を示すので、疑問文否定文で使われやすく、some は、存在する漠然とした数量を示すので、肯定文で使われやすい。
 そして、そのことは、anysome が名詞を修飾するための形容詞として用いられる場合に留まらず、代名詞として、または、anybodysomeone、あるいは anythingsomewhere のような複合語の一部として用いられる場合などにもあてはまる。
 ところが、疑問文否定文でも、肯定的な傾きがあるときには、肯定文の場合と同様に some を用いる。

(a) “Haven't we met somewhere before?”
  “Yes. I remember meeting you at the party last week.”
   「以前どこかでお会いしたことはなかったですかね」
   「はい、先週のパーティでお会いしたのを覚えています」
   (We have met somewhere before.と思いながら尋ねている)

(b) Could you give me something to carry these apples in?
   「このリンゴを入れていくものを何かいただけませんか」
   (「はい、あげます」という肯定の答えを期待しながら発言する)
  cf. Do you have anything a little less expensive?
     「もう少し安いのはありませんか」(あるかどうか確信がない)

(c) I've bought a lot of tomatoes. Would you like some of them?
   「トマトをたくさん買ったのよ。少しあげましょうか」
   (「はい、いただきます」という肯定の答えを期待しながら勧める)

 以上は疑問文の場合だったが、次は否定文の場合。

(d) I cannot walk along this street without running into someone I know.
    「私は、この道沿いに歩くと必ず誰か知っている人に出会う」
  cf. He slipped out of the room without anyone noticing.
    「彼は誰にも気づかれることなく部屋からそっと抜け出した」

 この二重否定は、Whenever I walk along this street, I run into someone I know. という肯定文と実質的に等しいので、否定を示すwithout の後でも anyone ではなく、someone を用いる。

(e) Somebody didn't know the answer to the question.
   「その問題の答えがわからない者がいた」

 ちなみに、次の文はこれとは別物であることは言うまでもない。

 cf. Nobody knew the answer to the question.
    「その問題の答えがわかる者はいなかった」

  ×Anybody didn't know the answer to the question.
  ×Not anybody knew the answer to the question.
  
 「誰であるかを問わない」ことを意味する anybody を否定するときには、not のような否定語を前に出して、not … anybodyとしなくてはいけないが、2語が直接並んで not anybody となるときには、文頭では nobody に変えなくてはいけない。
 ただし、文頭でなければ、not anybodynobody のどちらでも使える。

  〇There wasn't anybody who knew the answer to the question.
  〇There was nobody who knew the answer to the question.

(スーパー英文法・語法のオマケ話)

  
Posted by eg_daw_jaw at 07:20Comments(3)TrackBack(0) 講習会(英文法道場以外) 

March 22, 2009

オレを誰だと思ってるんだ?!

 いい大人が「オレを誰だと思ってるんだ」と凄むのはかなりみっともない。
 そもそも、その「オレ」が誰だかわかるくらいの有名人や実力者であれば、そうは言わないどころか、言う必要すらなく、そういうことを言うのは専ら無名で実力に欠ける人間に限られる。
 例えば、ビートたけしみのもんたが「オレを誰だと思ってるんだ」と言って相手を怒鳴りつける場面は想像することができない。

 暴れん坊将軍なら「その方、余の顔を見忘れたか」と言えば、相手は「あっ、上様!ははあ」と言って畏(かしこ)まってくれるが、一般人が「オレを誰だと思ってるんだ」と凄んでも、相手は「ははあ、恐れ入りました」とひれ伏すはずはなく、「さあ、どなただか存じ上げませんな」とでも答えられたら、二の句が継げなくてますます怒り狂うか、「ごめん」と謝るしかあるまい。

 「オレを誰だと思ってるんだ」という決まり文句は、自分が相手から不当に低く見られた不利を挽回するために吐くものと相場が決まっているので、そう言った時点ですでに自分の劣位を認めたことになる。
 従って、誰かから「オレを誰だと思ってるんだ」と言って凄まれることがあっても恐れるには及ばず、やや乱暴で高飛車に「そんなの知らねえよ」と突っぱねようが、「知らない。教えて」と言って茶化そうが大丈夫。
 ただし、返す言葉がない腹いせに殴られても、責任は負わないので悪しからず。

  
Posted by eg_daw_jaw at 07:50Comments(0)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編)