November 30, 2009

「辞書に載っていない単語」の正体

 先日また受講生から辞書に載っていない単語の意味を訊かれた。

受講生:先生、この単語、辞書に載ってないので教えてください。
道場主:辞書にも載ってないような単語を予備校講師風情が知ってるわけがないだろう。
受講生:でも、先生ならわかるかと思って…。
道場主:辞書に負けないくらいの物知りだったら、予備校講師なんかやってないよ。
受講生:でもこの間、辞書に載ってない別の単語をA澤先生に訊いたら、わかりましたよ。
道場主:そりゃあすごい。じゃあ、その単語もA澤先生に訊けよ。
受講生:わかりました。そうします。

 この受講生が「辞書に載っていない」と言って見せたのは、手書きの英文の中の単語だったので、何かから転記するときに写し間違えたために、「辞書に載っていない単語」に化けてしまったにすぎないのかもしれないが、訊かれた時は原稿を書くのに忙しかったので、その英文を読みもしないで突き返してしまったのが、今では悔やまれる。
 実は、次のような lrbv、あるいは csei の違いだけだったのかもしれない。アルファベット一つで、辞書に載っているはずの単語が辞書に載っていない単語に早代わりしてしまうことは大いにあり得る。

 〇deceive→×decieve/〇divide→×devide/〇describe→×descrive
 〇license→×lisence/〇rival→×lival/〇address→×adress

 それにしても、辞書にさえも載っていないような単語を英語教師ごときが知っていると思うのが信じられない。
 賢い受験生なら、教師の知識がどの程度のものであるかの見当はつくので、教師が困るような質問をすることは決してないが、それは単語についても例外ではない。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:40Comments(3) エッセー・雑文など(私生活編) 

November 29, 2009

道スポ

 ここのところ、堅い記事が続いたので、久々に柔らかく東スポならぬ道スポ(道場スポーツ)でいく。
 
 昨日は、不慮の事故で左脚を複雑骨折して加療中だった友人が退院して、約2ヶ月ぶりに職場に登場した。
 最終週の授業だけは何としても行いたいという思いが強く、その準備と退院の報告を兼ねての来校だったが、まだ松葉杖を必要とする姿が痛々しい。
 それでも、顔はさわやかで、入院当初よりもはるかに男前になって帰還したのは嬉しい。元通り自力で歩けるようになるまでにはしばらく時間がかかるとしても、どうにか仕事に復帰できるまでになったのはめでたい。

 めでたいついでに、ジャパンカップも的中といきたい。
 1番人気の 5ウォッカは、武豊からルメールに交代して「鞍上強化」と解するのは武豊に対して失礼極まりなく、むしろ、初騎乗の騎手ゆえの不利を見のがすわけにはいかない。
 しかも、毎日王冠も天皇賞も 8歳馬のカンパニーに完敗したところを見ると、5歳の秋になって、競走馬としてすでに峠を越えていると考えるのが妥当ではないか。
 ここは、4歳牡馬の 10オウケンブルースリ(3番人気)と 16コンデュイット(2番人気)に分がある。
 もう1頭は、3歳牝馬で 53キロの斤量に恵まれる 6レッドディザイア(5〜6番人気)か、武豊のお手馬である3歳牡馬の 9リーチザクラウン(5〜6番人気)。

 最後にお知らせ。

 道場の過去の記事の中から選んだものが「第一志望に受からせる会」に 3日連続で掲載されるので、ぜひ読んで自分の勉強法の正しさを確認してほしい。

 第一志望に受からせる会
  〜大学受験情報を集めた、受験合格を目指すあなたのためのページ〜
 http://blog.livedoor.jp/ukaraseru_kai/


追記

 ジャパンカップは、期待していた◎10オウケンブルースリ〇16コンデュイット▲6レッドディザイアが、それぞれ 243着したものの、峠を越えたと見て見くびった 5ウォッカがハナ差で勝ったために、馬券は外れた。「ウォッカさえ来なければ、150倍超の3連単的中していたのに」と言っても仕方がないが、見当違いの予想ではなかったので、暮れのグランプリ・有馬記念での的中に近づいたと解することにする。


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Posted by eg_daw_jaw at 07:53Comments(8) エッセー・雑文など(予備校編) 

November 28, 2009

日本の大学ほど・・・

 世界中で、日本の大学ほど入学することが困難で、卒業することが容易なところはない。
 (There / where / difficult / get / as をこの順序で用いて英訳)

 この日本語の字面通りであるとすれば、「世界各地の大学、高校、中学校、小学校などすべての教育機関のうちで、日本の大学ほど入学することが困難で、卒業することが容易な教育機関はない」ということになって、「日本の大学<という教育機関>」を「世界中のほかのすべての教育機関」と比較する話になる。
 しかし、実際はそういう比較ではなく、高校、中学校、小学校などを含めず、大学だけの入学難易度と卒業難易度に関して、「日本<という国>」を「世界中のほかのすべての国」と比較する話にほかならないので、英訳するときには、まず次のような日本語に修正する必要がある。

 大学が、日本ほど入学困難で卒業容易なは、世界中ほかにない。

(1) 大学は、日本においては世界のほかのどの国においてよりも入学困難で卒業容易である。
→Universities are more difficult to get into and easier to graduate from in Japan than (they are) in any other country in the world.

 比較の順序を逆にすると、

(2) 大学は、世界のほかのどの国においてであれ日本においてほどには入学困難で卒業容易ではない
In no other country in the world are universities as difficult to get into and as easy to graduate from as (they are) in Japan.(否定の副詞要素から始める倒置)

 否定の副詞要素から始める倒置を避けるために関係詞を用いれば、

(3) 世界には、日本においてほど、大学が入学困難で卒業容易なはほかに一つもない
→There is no other country in the world in which universities are as difficult to get into and as easy to graduate from as (they are) in Japan.

 in whichをwhereに変えて、

(正解)There is no other country in the world where universities are as difficult to get into and as easy to graduate from as (they are) in Japan.

 ところで、実際は、日本の大学が入学困難だったのは昔の話にすぎず、今では日本の大学の多くは、名前を書くだけで入れてくれる大学を含めてかなり入学容易になっていることは否めない。
 従って、「入学することが困難である」という、事実に反することを述べている和文を英訳するのは抵抗がある。
 確かに、今でも国公立大学の医学部のように、一部の大学は入学が困難であるのは事実であるとしても、そういう大学は卒業するのも決して容易ではないので、「日本の大学」を「一部の日本の大学」と言い換えたとしても、事実を反映する日本語にはなりそうにない。

(和文英訳S/H・第19章のオマケ話)


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Posted by eg_daw_jaw at 06:28Comments(0) 通常授業 

November 27, 2009

「とき」と「もの」は比較できない

 知らない町で迷子になったときほど不安なものはない。

 この日本語は別におかしくは感じないが、それを英語に訳すとなると話は別で、英語では、「とき」なら「とき」と、そして「もの」(または「こと」)なら「もの」(または「こと」)と比較する必要がある。
 それはちょうど「京都の人口は、大阪ほど多くない」という日本語はおかしくなくても、英語に訳すときには「京都の人口は、大阪の人口ほど多くない」と修正しなくてはいけないのと同じ理屈になる。

 京都の人口は、大阪ほど多くない。
京都の人口は、大阪の人口ほど多くない。
The population of Kyoto isn't as large as that of Osaka. (that = the population

 ×The population of Kyoto isn't as large as Osaka.(誤文
  (「京都の人口」を「大阪<という都市>」と比べることはできない)

 知らない町で迷子になったときほど不安なものはない。
→知らない町で迷子になるときほど、不安なときはない。
⇒You never feel as uneasy as (you do) when you get lost in a strange town.
  「いつであるかを問わず、知らない町で迷子になるときほど、不安感を覚えることはない

 知らない町で迷子になったときほど不安なものはない。
→知らない町で迷子になることほど、人を不安に感じさせることない
Nothing makes you feel as uneasy as getting lost in a strange town.

 比較構文は、このように理詰めで考えることを習慣づけなくてはいけない。

(和文英訳H・第19章のオマケ話)


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Posted by eg_daw_jaw at 06:20Comments(3) 通常授業 

November 26, 2009

授業に出席しない理由

 古代ギリシャの某哲学者は、弟子から「先生のことをバカだと(うわさ)している(やから)がいます」という御注進(ごちゅうしん)があった時に、「勝手に言わせておけ。私は自分をバカとは思っていないから、他人(ひと)が何と言おうと気にならない」と言ったという。
 予備校講師としてこれを応用すれば、自身の授業を一部の受講生がよくない授業だと思って否定していることが受講者アンケートを見てわかったときに、「勝手に思わせておけ。オレは自分がよくない授業をしているとは思ってないから、どう思われようと気にならない」ということになる。

 一昨日、後期の受講者アンケートを集計したものが当局から送付されてきたので一通り見たが、「講義力が上がっても、それに比例して受講生の授業に対する満足度が上がるわけではない」ということを確認するだけに終わるのはいつも通りだった。
 やる気のある受講生にとってためになる授業になればなるほど、やる気の度合いに劣る受講生にはその分ハードルが上がって辛くなるという一面は否めないので、受講生の全員に満足されるような理想的?な授業からはどんどん遠ざかることは避けられない。
 今さら全受講生を満足させるために、ニコニコ笑顔で接する偽善者のような真似はできないし、また、そうする気もないので、今後もいっそう受講生の知識を増やして学力を上げる授業に徹するしかない。それで一部の落伍者が出るとしても、それはそれで仕方がないと考えざるを得ない。

 受講者アンケートの中で、今回は「この授業へのあなたの出席状況は?」という項目について考えてみた。

 自身が出講している高3の5クラスが、「毎回出席している」と「ほぼ毎回出席している」の選択肢をマークした受講生だけで100パーセントを占めるのに対して、高卒の13クラス中では、その同じ選択肢で100パーセントを占めるのはわずか2クラスしかなく、ほかのクラスは欠席率が10パーセントや20パーセントは当たり前という場合が少なくないが、それが何を意味するかは改めて言うまでもないので言わない。
 ところで、「入試科目として必要ないため出席していない」という選択肢があるが、英語が入試科目として不要な大学がふんだんにあるはずはなく、例えば、英作文が出題されないから「和文英訳」の授業には出席しないというのであれば、見当違いも甚だしい。書くための英文法を学ぶ「和文英訳」の授業を聴かないとなると英語の学力向上に不可欠な勉強を自ら放棄するわけだから、合格可能性が大きく損なわれてしまう。
 そして、「入試科目として必要だが出席していない」という選択肢をマークした受講生、厳密には非受講生に関しては、すでに勝負を投げているのかと言わざるを得ない。
 次に、欠席理由に関して「独学学習できるから」という選択肢があるが、独習できるくらいに学力が高ければすでに大学に入っているはずだから、たとえ本人ができると思っていても、実際にはできていないか、またはサボっているだけだから、授業を聴けば入ってくるはずの大事な情報が入らないことの損失はあまりにも大きい。
 それにしても、「時間割上出席しづらいから」という選択肢があるのが不思議でならない。例えば、「朝起きるのが辛いから、1時間目は出席しづらい」というのが「時間割上」ということに該当するのだろうか。
 ただ一つ「担当講師に不満があるから」というのは、よく理解できる。
 自身に限れば、少なくとも授業中には、叱咤激励はしても「癒さない」、「甘やかさない」、「気合を入れない」の「三無主義?」だから、そのどれか、またはすべてを期待する受講生が不満を覚えることがあっても不思議ではない。
 最後に、「授業についていけないから出席しない」というのは、授業についていく努力をしないで逃げているだけでは困るが、逆に、ろくに予習をしなくても楽についていけるような授業は、主としてすでにわかっていることばかり聴かされる授業だから、実はあまり役に立たないということを考えてみる必要がある。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:26Comments(6) エッセー・雑文など(予備校編) 

November 25, 2009

「未満」のつもりで「以下」と言う誤りのように

(a) He is taller than any other student in this class.
   「彼は、このクラスのほかのどの生徒より長身である」(A>B型)
(b) No other student in this class is as tall as he is.
   「このクラスで、彼ほど長身の生徒はいない」(B<A型)
   (このクラスのほかのどの生徒も、彼ほど長身ではない
(c) No other student in this class is taller than he is.
   「このクラスで、彼より長身の生徒はいない」(B≦A型)
   (このクラスのほかのどの生徒も、彼より長身ということはない

 (a)と(b)は、彼がこのクラスの身長ランキングで単独首位であることを示すが、(c)では、「彼と同じ身長の生徒ならいるが、彼を上回る身長の生徒はいない」ということになるので、首位を決めるためにはプレーオフが必要になる。
 (c)を(b)のつもりで用いる人が多いが、それはまるで「100未満(<100)」のつもりで「100以下(≦100)」と言うようなものだから、厳密には間違っている。

 他の例についても同じことが言える。

(d) No other mountain in Japan is as high as Mt. Fuji.
   「日本で、富士山ほど高い山はない」(B<A型)
   (日本のほかのどの山も、富士山ほど高くない
(e) No other mountain in Japan is higher than Mt. Fuji.
   「日本で、富士山より高い山はない」(B≦A型)
   (日本のほかのどの山も、富士山より高いわけではない

 現実に富士山と標高が等しい山があるわけではないので、(e)を用いても、聞き手が(d)のつもりで聞いてくれるが、それに甘えるのは如何なものか。

(f) She is never as happy as (she is) when she is cooking.
   「彼女は、料理しているときほど楽しいことはない」(B<A型)
   (彼女は、いつであれ、料理しているときほど楽しくはない
  cf. She is happiest when she is cooking.
    「彼女は、料理しているときが最も楽しい」
(g) She is never happier than (she is) when she is cooking.
   「彼女は、料理しているときより楽しいことはない」(B≦A型)
   (彼女は、いつであれ、料理しているときより楽しいことはない

 これまた、(g)を(f)と同じ意味のつもりで用いる人が多いので困る。

 ところが、「未満」のつもりで「以下」と言うような人でも、次の例では明らかにちゃんと使い分けている。

(h) Even if you are ill, don't take more medicine than is necessary.
  「たとえ病気でも、必要量を上回る薬を飲んではいけない」

 この場合は、don't take more medicine than is necessary を don't take as much medicine as is necessary 「必要量ほどは薬を飲んではいけない」の意味で用いているはずはない。「必要量ほど薬を飲まない」となると、もちろん量が足りないわけだから薬が効かない。
 このように使い分けることができるのであれば、なぜ上のほかの例の場合も使い分けないのか不思議でならない。

(和文英訳S/H/高3和文英訳・第19章のオマケ話)


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Posted by eg_daw_jaw at 06:16Comments(0) 通常授業 

November 24, 2009

どこ(何処)はwhereとは限らない

 どこの大学へ行っても、幻滅することはありますよ。
→No matter (go / to / university / what / where / which / you), there will be something that disappoints you.(必要なものだけを用いて整序)

 まず、「どこ」につられて No matter where university … としてはいけない。
 where という副詞が university という名詞を修飾することはできない。
 では、No matter where you go to university ならよいかというと、文は正しいが、冒頭の日本語の意味にはならない。
 これでは、「どこで大学に通うかはまったく問題ではなく」、つまり「たとえどこで大学に通うとしても」ということだから、「東京で大学に通っても、大阪で大学に通っても、ロンドンで大学に通っても、ボストンで大学に通っても、その他どの土地で大学に通っても」ということになってしまう。

 ここでは、「どこの大学」の「どこの」は、「どの」にあたる which か、「どんな」にあたる what に相当する。
 いくつかの限られた選択肢から選ぶのであれば「どの<大学>」にあたる which を用いることになるが、ここは選択肢を絞らないで「どんな<大学>」、つまり「<大学>」と考えて what を用いるのが妥当であると考えられる。

(完成文) No matter what university you go to, there will be something that disappoints you.
       (what が university を修飾し、what university は前置詞 to目的語にあたる)

 No matter what university you go to大学に行くかはまったく問題ではなく」は、Whatever university you go toたとえ何大学に行くとしても」という譲歩の副詞節に代わる働きをする。

 cf. Whatever university you go to, there will be something that disappoints you.

(高3和文英訳・第15章のオマケ話)


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Posted by eg_daw_jaw at 06:24Comments(2) 通常授業 

November 23, 2009

わからなかったことを質問しないなんて

 講習会は別として、通常授業に関しては、授業後に受講生から質問されることがここのところほとんどない。
 5〜6年前は、6限目の授業が3時20分に終わって、その後も講師室に残ってパソコンで原稿書きを始めても、次から次へと質問者が訪れるので、さっぱり執筆作業が進まないまま、夜の8時50分の授業終了時まで居残りするのがふつうだったが、今はその時刻まで講師室にいても、質問者は3人かそこらしか来ないので、おかげで原稿が捗るからありがたいとはいえ、これでいいのかと思わずにはいられない。
 授業ですべてわかってしまうので質問することが何もないというのであれば問題ないが、わざわざ聴く価値がないくらいにまでレベルを下げた授業でない限り、全員が完璧に理解するということはあり得ない。
 知識が増えて学力が上がるレベルの授業である限り、一部の受講生にとって聴いてわからなかったことが多少でも生じるのは避けられないが、その場合は、受講後に講師に質問をして、わからなかったことをわかるようにしてしまわなくてはいけない。
 健全な受講生なら、授業を聴いてわからなかったことが残っているのは甚だ気持ちが悪いはずであるのに、最近は、わからないことがわからないままになっていても気にならない不健全な受講生が増えているのか、授業を聴いてわからなかったことを講師に質問することを怠ってうやむやにしてしまうのが当たり前になっているように思われる。
 今の受講生は、誰かが尻をひっぱたいて「先生のところにどんどん質問に行きなさい」としつこいほど言って叱咤(しった)しない限り、自ら質問に行くことまではしないというが、クラス担任はそうしたことを積極的に実践しているのだろうか。それとも、それをしてもなお効果がないのだろうか。
 馴れ馴れしく接することを許す講師のところに、馴れ馴れしい受講生が屯(たむろ)するという、質問とは名ばかりの狎(な)れあいは困るが、「わからないことをわかるようにするための質問」の奨励に教務側がなおいっそう努めてほしいと思う。

 わからないことをわからないままにしておく限り、学力は上がらない。
 わからないことをわかるようにすることによって、学力が上がる。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:10Comments(0) エッセー・雑文など(予備校編) 

November 22, 2009

楽をする報い

 授業が終わって教室を出たときに、外で次の時間の授業を受けるために待っている受講生が一人でもいると、受験屋としてまだ未熟だった頃は、「オレの授業の質が低くて聴く価値がないと思うから、この受講生はオレの授業に出ていないんだろうな、どうせ」と思って僻(ひが)んでいたが、その後自分なりに研鑽(けんさん)を積んだ今は、そうした欠席者に対して「可哀想に」とむしろ憐みを覚えるようになった。
 しょうもない雑談に終始するような授業であれば、たとえ欠席してもほとんど損失はないが、「此方人等(こちとら)は、一刻一刻知識が増えて学力が上がる授業をしている」という自負があるので、その授業を欠席するたびに、出席していれば入ってくるはずの情報が入ることがなく、従って知識が増えないことの損失はとてつもなく大きく、その結果1コマの授業をサボるごとに出席している受講生にどんどん差をつけられていく。
 授業のえり好みをして、自分に楽な授業だけを選んで聴くことで自らを甘やかし続ければ、その報いを受けるのは当然だから、そうした意味で、我が授業に欠席する受講生に対して憐みを覚えずにはいられない。
 合格するためには、今からでもぜひ心を入れ替えて、また授業に出席するようになってほしいとは思うが、該当する受講生がこの記事を読んでいるはずもないので、残念ながら伝える術(すべ)がない。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:24Comments(3) エッセー・雑文など(予備校編) 

November 21, 2009

the Holy See

 昨夜は、大学時代に同期だった駐バチカン大使(Ambassador of Japan to the Holy See)の U野君と飯田橋の居酒屋で再開。同席した他の3人も含めて、会ってすぐに顔が認識できたくらいだから、とても40年以上ぶりとは思えない。特に U野君は、テレビで何度か見ていたこともあって、それほど長く会っていなかった気がしないのが不思議だった。
 それにしても、U野君こちら(=道場主)のことを覚えていてくれたのが何よりうれしいが、大学1年時には U野君の自宅を訪問したり、逆に住んでいた三鷹寮に U野君が遊びに来てくれたりしたという仲だったので、生き別れになってからもこちらのことはいつも気にかけてくれて親しい友人同士の間で話題にのぼっていたのだという。
 そして、このたび再会が叶ったのは、我がブログのおかげであることが判明した。
 今では故人となった元財務大臣・中川昭一氏のバチカン観光を案内したU野大使について2月に書いたブログの記事を誰かから「大使のことが載っていますよ」と言われて、それをU野君自身が見て、帰国後にさっそく「I(=道場主)を探せ」という指令を出したとのことだから、ブログをやっていた甲斐があった。
 2時間半を超える昨夜の酒席では昔話に花が咲いたが、特にカトリック関係の話題になると、造詣の深いT島君U野君が雄弁に語って、他の3人は専ら聞き役に回ったとはいえ、「バチカン」を正式には「the Holy See(聖座)」ということも含めてずいぶん勉強になった。

 ところで、U野君に会ったらぜひ訊いてみたかったのは、テレビドラマに登場する大使のように、ふだん部下から「閣下」と呼ばれているのかということだったが、実際に訊いてみると、それは小説やドラマの中だけのことで、現実には「U野さん」とすら呼ばれることがなく、「大使」と呼び捨てにされているのだという。
 考えてみると、「大使」というのは敬称ではなく単なる職位だから、ちょうど天皇に向かって「陛下」ではなく「天皇」と言うようなもの。同じく、予備校講師に向かって受講生が「先生」の代わりに「講師」と呼びかけるようなもの。
 たとえそうではあっても、社長部長課長大臣総理など、職位をまるで敬称のように使っている例は少なくない。

 別れ際に U野君は、バチカンにぜひ遊びに来るようにと皆に言ってくれたが、それなら大使在任中に何とか行かなくてはなるまいと思うようになった。


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Posted by eg_daw_jaw at 08:38Comments(0) エッセー・雑文など(私生活編)