December 31, 2009

想像力の欠如

 先日投稿した記事において、ある人にとっては「その程度のこと」として済まされる些細なことでも、別の人にとっては見過ごすことのできない深刻で重大なことであるかもしれないというところまで思いが至らなかったのは、想像力の欠如と言うほかはなく、寄せられた数々の批判的なコメントを読むごとに、耳が痛かった。
 人生経験を経て自身が打たれ強くなるにつれて、滅多なことでは傷つかなくなる分、他人が何に傷つくかについての感性が鈍感になったのか、それとも生来鈍感なのか、どちらにしても反省に値することに変わりはない。
 長い人生で、人は何度も精神的に傷つく経験をしながら、そのたびに強く逞しく成長していく。また、そうでない限り生きてはいけないが、自分が強くて傷つきにくくなったからといって、他人の痛みに対して鈍感であってよいわけはない。年の瀬にあたって、自戒したい。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:44Comments(10) エッセー・雑文など(私生活編) 

December 30, 2009

Do you mind my smoking?

 入試で問われるわけではないので、道場では触れなかったオマケ話を一つ。

(a) Do you mind if I smoke?(SVM型)
(b) Do you mind my smoking?(SVO型)

 (a)は、「もし私が喫煙すれば、あなたは気になさいますか」という意味なので、タバコに火を点ける前の発言として用いる。
 一方(b)は、「あなたは、私の喫煙気になさいますか」という意味なで、Do you mind if I smoke? と同様に、タバコに火を点ける前の発言として「吸っても構わないかどうか」を問うために用いるだけでなく、すでにタバコに火を点けてプカプカ吸っている段階での発言として「自分がタバコを吸っていることが、相手にとって気になっているかどうか」を問うためにも用いることができる。
 では、(b)の言い方を採用した場合に、「タバコを吸っても構わないか」という事前の問いなのか、それとも「タバコを吸っていることが気になっているか」という事後の問いなのか、わからないではないかと言うなかれ。
 そういうことは、目の前にいる発言者を見れば、タバコに火をつけようとしているか、それともプカプカ吸っているかは立ち所にわかってしまうので、どちらの意味であるかの判断で困ることはない。

(実戦・英文法道場・Part 1のオマケ話)


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Posted by eg_daw_jaw at 07:09Comments(1) 講習会・英文法道場 

December 29, 2009

借金を残さない受講

 入試までにあまり間のない時期に行われる冬期講習だから、その日に学ぶことはその日のうちに決着してしまわなくてはいけない。少なくとも、授業で習うことを取り敢えずノートに書いて帰って、後で復習するなどという悠長なことをやっている場合ではない。
 そもそも授業中に講師が行う板書は、口頭での説明の補助のためにしている場合が多く、必ずしも書き取ることを前提にしているわけではないので、受講する側は、主として説明を聴くことに努め、ノートに書き写すのは必要最小限に留めるのがよいが、そのことは、入試が間近に迫った時期の講座には特にあてはまる。
 そして、そういう受講を貫けば、授業を聴きながら次につながる知識が一つ一つ構築されて、確実に合格に近づいていくことができる。
 冬期講習で大事なことは、とにかく学ぶことに借金を残さないこと。「いつもにこにこ現金払い」を徹底させること。


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Posted by eg_daw_jaw at 07:02Comments(2) エッセー・雑文など(予備校編) 

December 28, 2009

シャレが通じない不幸

 先日投稿した記事の中で、「判断力欠如結婚し、忍耐力欠如離婚し、記憶力欠如再婚する」という有名な格言に言及した後で、「必要は発明の母である」(Necessity is the mother of invention.)に倣って、「記憶力の欠如が再婚の母である」と書いたが、それに対して、ある読者から次のようなコメントがあった。

 道場主の言動からすると再婚する人達をバカにする文脈にしか見て取れません。人を小馬鹿に見るのもいい加減にして下さい。講師をしているなら、色々な受講生がいるはずです。その受講生が自分の親が再婚してる人だったらどう思いますか?私もその一人です。ブログですらこういうことを書くのはさすがに憤りを感じます。

 この格言は、ハリウッド俳優などにありがちな、何度も結婚離婚再婚を懲りもせずに繰り返す人を茶化して生まれたものであると思うし、また、それがあまりにも的を射ていると思うからこそ、それに賛同して記事にしたのは事実であるとしても、だからといって、諸般の事情で再婚する人すべてを否定するつもりもなければ、ましてや、バカにする気など毛頭ない。
 まさか、この記事を読んだ多くの読者が、自分の親が再婚者だからというだけで、「自分の親をバカにされた」と思って憤ったり、傷ついたいするなどということは、正常な読解力の持ち主である限り、あり得ないことだと思っていた。
 当該の格言は、再婚する人すべてを対象としたものではなく、「軽率さゆえに結婚離婚を繰り返す人」だけに限定したシャレなのだから、自分の親が再婚者であるというだけで、自分の親のことを揶揄されたと解して目くじらを立てるのは、お門違いだと思うが如何。


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Posted by eg_daw_jaw at 07:46Comments(21) エッセー・雑文など(予備校編) 

December 27, 2009

第54回・グランプリ

 今日は、日曜日なので、真面目な話は休んで、1年を締めくくる大レースである有馬記念について占ってみる。

 競走力が最も充実すると言われる4歳馬の出走が皆無というのは、40年超の競馬歴で初めてのこと。
 
 3歳馬(7頭)、4歳馬(0頭)、5歳馬(1頭)、6歳馬(5頭)、7歳馬(1頭)、8歳馬(2頭)

 この陣容からは、3歳馬と6歳馬の戦いと見るのが妥当だろうが、戦績の怪しい6歳馬ではなく、菊花賞の1〜5着馬が揃って出走している3歳馬が主役になることは間違いない。
 
1番人気 2 ブエナビスタ(牝3歳53横山典)
 ほぼ3冠馬に等しい最強の牝馬であることは間違いないが、牡馬に交じって勝ちきるのは容易ではなく、横山典の得意とする2着かもしれない。

2番人気 9 ドリームジャーニー(牡5歳57池添)
 420キロ程度の小型馬で多頭数をさばけるかどうか怪しい。同馬が好走するのはどちらかというとあまり高い人気のときではないし、また、昨年の4歳時でさえも、高齢の格下馬2頭の後塵を拝した4着でしかなかったくらいだから、5歳の今年に生きのよい3歳馬相手では分が悪いのではないか。

3番人気 7 マツリダゴッホ(牡6歳57蛯名)
 一昨年に同レースを不人気によるノーマークに助けられて勝っているだけでなく、中山コースを得意とするのは紛れもない事実であるとしても、前走の天皇賞が17着というのは負けすぎだから、3番人気は買いかぶりがすぎるような気がする。

4番人気 16 フォゲッタブル(牡3歳55ルメール)・菊花賞2着
 菊花賞をハナ差の2着、その後のステイヤーズ・ステークスを楽勝しているくらいだから、期待は大きい。

5番人気 8 リーチザクラウン(牡3歳55武豊)・菊花賞5着
 3,000メートルの菊花賞は無理でも、短い直線の2,500メートルなら逃げてもなかなか止まらない。3着までに粘りきれる可能性はある。

6番人気 10 スリーロールス(牡3歳55浜中)・菊花賞1着
 菊花賞を勝ったとはいえ、2着とはハナ差であるし、しかも8番人気にすぎなかった。11戦中の過半にあたる6戦が4着以下では、あまり期待できない。

7番人気 3 ミヤビランべり(牡6歳57吉田隼)
 同距離のアルゼンチン共和国杯を好タイムで勝ったとはいえ、11番人気だから、相手が強化したここでは如何なものか。

8番人気 1 アンライバルド(牡3歳55デムーロ)・菊花賞15着
 皐月賞馬とはいえ、菊花賞で15着はさすがに負けすぎ。この距離も長すぎると思われる。

9番人気 11 イコピコ(牡3歳55内田博)・菊花賞4着
 1着、4着、1着、4着、1着、4着と来て、前走は1着の番かと思いきや、また4着だった。今回は4着の番だったはずではあるが、前走で4着だから、今度は1着なのか。
 しかし、7番人気で神戸新聞杯を勝っただけでは、大きな期待はかけられない。

10番人気 14 セイウンワンダー(牡3歳55藤田)・菊花賞3着
 皐月賞3着、菊花賞3着、しかも2歳チャンピオンでもあるので、見くびるわけにはいかない。

 2、8、14、16という3歳馬4頭を組み合わせて3連単で遊んでみるが、中(あた)れば儲けもの、そして外れても命までは取られない。


レース結果

1) 9 ドリームジャーニー(牡5歳57 2人気 +4) 1分30秒0
2) 2 ブエナビスタ(牝3歳53 1人気 −8) 2分の1馬身
3) 6 エアシェイディ(牡8歳57 11人気 0) 4馬身
4) 16 フォゲッタブル(牡3歳55 4人気 −2) アタマ
5) 4 マイネルキッツ(牡6歳57 12人気 +6) 2馬身2分の1

 2 ブエナビスタは 2着ではないかという予想だけが的中。
 そして、去年の4着馬が勝ち、3着馬がまた 3着だった。1歳年を取って力が落ちていると思ったのがそもそも間違いだった。


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Posted by eg_daw_jaw at 08:57Comments(5) エッセー・雑文など(私生活編) 

December 26, 2009

対策より学力が大事

 不勉強な受験生に限って入試に向けての「対策」を過度に重んじる傾向があるように思うが、それはちょうど中間テストや期末テストで試験勉強をろくにやらない者に限って、何が出題されるかについてばかり張りたがるのに似ている。
 対策が功を奏するのは、学力があるからにほかならず、いくら対策が立派でも、肝心の学力が足りなければ合格は覚束ない。
 「センター対策」がどうの、「二次対策」がどうの、と言う前に学力を伸ばさないことには何も始まらない。
 そして、今からでも学力は伸ばすことができるし、また、伸ばさなくてはいけない。そうしない限り、いかなる対策も徒労に終わってしまう。
 自分が苦手な科目と分野についてはすでにわかっているはずだから、その弱い科目や分野で大きく伸ばせそうなものは大きく伸ばし、伸ばしにくいものはそこそこに伸ばすというようにメリハリをつければ、残された時間でもかなり学力を上げることができる。
 また、学力をそっちのけにして、対策ばかり重んじるのは、大事な勉強時間を犠牲にしてまで初詣に行って神頼みをすることに譬えることもできる。
 たとえ全知全能であるはずの神様でも、不勉強な受験生の学力不足の埋め合わせをして合格させるという「神業」を使うことはできない。そんなことでは神様の名が廃ると言われようとも、「できないものはできないのだから仕方があるまい」と言って神様も開き直るに違いない。
 初詣に行く暇があったら、その時間を学力を上げることに費やすのが正しく、そうする受験生にこそ神様は味方する。少なくとも神様は、初詣に来なかったからといって、その受験生に罰(バチ)を当たらせるという狭い了見の持ち主ではない。


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Posted by eg_daw_jaw at 08:23Comments(2) エッセー・雑文など(予備校編) 

December 25, 2009

受からない手助けはしない

 受験屋として、受験生が受かる手助けならいくらでもするが、受からない手助けは絶対にしたくないし、また、してはいけないと思っている。

 文法を基礎から勉強することを怠って、単語と熟語の暗記に余念のない受験生がいるとして、そういう受験生のいつまでも報われることのない虚しい勉強法に異を唱えることなく、「その調子でがんばれ」と激励するのは、受からない手助けにあたる。
 逆に、この場合の受かる手助けは、そうした効果のない勉強法をやめて、真に効果のある勉強法に切り替えるよう忠告することにあるが、その効果的な勉強法とは、具体的には、文法の基礎知識を身につけて、それを土台に英短文を数多く覚えることを強く薦めることをおいてほかになく、そのことはこれまでしつこいほど繰り返し言ってきた。

 また、自立して勉強しない限り、第一志望合格することは難しいが、それを怠って他人にベタベタ依存するばかりの甘ったれた受験生にいい顔をして甘やかす一方であるのもまた、受からない手助けにほかならない。
 逆に、他者への依存を断ち切って自立することを促すのが受かる手助けにあたるが、依存心の強い受験生は、依存を許す者と許さない者を鋭く嗅ぎ分けて、依存をやめて自立の必要性を説く者のところには近寄らないので、自立の必要性を直接訴えることができない。

 ところで、「受験屋」という語は、一種の謙譲語だから、受験屋が自らのことを指して言うのはよいが、たまにブログのコメントなどで「受験屋としてどうお考えですか」とか、「受験屋としてのご意見をお聞かせください」などと問われたりすると、「それは違うんじゃないの」と言いたくなる。


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Posted by eg_daw_jaw at 08:14Comments(5) エッセー・雑文など(予備校編) 

December 24, 2009

ミャンマーの竪琴

 ハゲチビデブバカブスという、いずれ劣らぬ愛嬌ある語の中で、「ブス」だけはパソコンのキーボードでカタカナに変換することができない。
 ローマ字で busu と打ち込んでも一発で変換されることがないどころか、何度試みてもついに打ち出されることがなく、代わりに、例えば、bukku と打って「ブック」を出した後、「ック」を消して「」だけ残し、その後で su と打ち込んで「」を出すという手間がかかるが、それは、差別用語として使用を避けることが奨励されているからであると思われる。
 だからといって、他の差別用語に倣って、「容貌の不自由な女性」や「容貌以外で勝負することを余儀なくされる女性」では、よけいに差し障りがある。
 この「ブス」という語に関しては、代替語の使用すら許されることがなく、そもそも「使うな」ということかもしれないが、これだけ愛嬌のある語が使えないのはあまりにも惜しく、それはちょうど関西弁で「アホ」という語を使用禁止にするようなものではないかと思わずにはいられない。

 ローマ字入力で変換されないということでは「盲(めくら)」という語についても同じ不便を感じる。
 「めくらへびにおじず」という諺を文章の中に用いようと思って mekurahebiniojizuと打とうが、mekura と打とうが、「目暗」はおろか、「」という字に変換されることがないので、いったん moujin と打ち込んで「盲人」を出したあとで「」を削除するという手順が必要になる。
 そもそも、「」(めくら)という語を差別用語だから使用を避けようと最初に言い出したのが誰かは知らないが、大概の人が差別の意識など持つことなく使っていた語を「差別用語だから使うべからず」と考えた人こそ、差別意識の持ち主だったのではないかと言いたくなる。
 「」(めくら)を「目の不自由な人」と言い換えたからといって、差別意識が軽減されるわけではなく、それどころか意味が明確になる分だけによけい差別意識を助長しかねないのは、「ブス」を「容貌の不自由な女性」と言い換える場合と何ら変わるところがない。
 そればかりでなく、「盲蛇に怖じず」(めくらへびにおじず)のような諺にまでこの言い換えを適用して、「目の不自由な人蛇に怖じず」と言った日には、まるで「ビルマの竪琴」という小説を「ミャンマーの竪琴」と言い換えるようなもの、また、「シャム猫」を「タイ」、「セイロン紅茶」を「スリランカ紅茶」、「東シナ海」を「中国」と言い換えるようなものになってしまうではないか。

 愛嬌ある語ということでは「ブス」の兄弟や姉妹にあたるとも言える「ハゲ」、「チビ」、「デブ」、「バカ」については、hage、chibi、debu、baka と打ち込めば難なく変換できるので、今のところ自由に使ってよいということらしいが、いつなんどき、差別用語の仲間に加えられないとも限らない。
 英語では、「お婆さん」を an old woman の代わりに an elderly woman と言ったりするが、old 「年老いている」では、「<現実に>年老いている女性」である「お婆さん」が傷つくに違いないという気遣いから、たとえ「このクソばばあ」と思っていても、口では an elderly woman 「年配の女性」などと心にもないことを言う。
 それに倣えば、「ハゲ」は「頭髪が多すぎない人」、「チビ」は「体躯が大きすぎない人」、「デブ」は「身体が細すぎない人」、「バカ」は「頭がよすぎない人」とでも言わなくてはいけなくなるが、そのように言い換えることが強いられる時代が来ないことを今は祈るしかない。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:28Comments(6) エッセー・雑文など(私生活編) 

December 23, 2009

バカに「バカ」と言ってはいけない

 バカに「バカ」と言ってはいけない。なぜならバカは僻みっぽいから。
 そして、その僻みっぽさが高じると、誰かが「バカ」に関する一般論を話しただけでも、自分が直(じか)に「バカ」と言われたかのように勝手に思い込んで、その相手を恨むということが起こりかねない。
 自身の経験で言えば、予備校の授業で、ある問題の解答について、「こんなバカな間違いをしないように」と注意を促す発言をしただけであるのに、まさにそのバカな間違いをしていた受講生が、自分のことを名指しで「バカ」と言われたと勝手に誤解したとしか思えない苦情が出たことがある。
 賢い人間は、自分のことをバカとはつゆ思っていないので、たとえ面と向かって「バカ」と言われても気にならないし、ましてや、一般論として「バカ」についての言及を聞いたときには、端(はな)から自分のことではなく、誰かほかの人のことを言っているに違いないと考えるだけの余裕がある。
 その意味では、直接言われたのならともかく、一般論としての「バカ」に過敏に反応して自分のことを言われたと思い込むのは、まさに正真正銘のバカである証ということになってしまう。
 それは、ちょうど、「芸術作品としての女性の裸体像を見て『猥褻』(わいせつ)と決めつけるのは、見ている本人が猥褻な感情の持ち主だからにほかならない」という話に似ているが、その場合も、極端に猥褻な感情を抱いている男なら、着衣グラビアを見るだけでも、衣服の下に隠れているものを自分で勝手に想像して、「猥褻」と断定しかねない。
 このブログでは、過去5年近くの間、一般論として書いたにすぎないことに対して、勝手に自分や、自分に近しい人のことを誹謗されたと誤解したと思われるコメントを書き込まれることが時々あったので、それにヒントを得て以上のことを書いてみた次第。


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Posted by eg_daw_jaw at 06:24Comments(3) エッセー・雑文など(私生活編) 

December 22, 2009

実戦・英文法道場 C−3 @津田沼

 「英語の学力を上げたいと思い、この講座を取りました。予習は量も多く大変でしたが、授業中にしっかりと理解出来て、自分が少しでも賢くなっているなと実感出来たのは初めてです。自分の受験はあと1年後なのでやれることはたくさんあると思います。道場主の勉強法を確実に実践していき、確実に英語力を上げて得意にしたいです」と言う高2生まで参加していたのには驚いたが、ほかに「講習が進んで賢くなったのか、だんだん授業が易しく感じられるようになりました。自信がついたように思います」、「文法の根本がすごくよくわかりました。予習してるうちにどんどんわかるようになった感じがします」という高3卒の受講生によるコメントなどを見て、賢い受講生が一層賢く進化していくことがわかるのは嬉しい。
 また、「とても力がつきました!! 先生は神様のようです」とまで言われると、さすがに照れくさいが、そう思って受講するほうが学習効果が高くなることも否めないので、そのためには、たとえ*「神様、仏様、稲尾様」ならぬ「神様、仏様、道場主様」と言われても構わない。ただし、まだ当分は「仏様」になるのだけは勘弁してほしい。

*神様、仏様、稲尾様(かみさま、ほとけさま、いなおさま)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%B0%BE%E5%92%8C%E4%B9%85


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Posted by eg_daw_jaw at 08:22Comments(1) 講習会・英文法道場