February 28, 2014

見た目は二重否定でも

I can accept failure, everyone fails at something. But I can’t accept not trying.
「私は失敗を受け入れることができる。誰だって何かに失敗する。しかし、私は『やってみないこと』を受け入れることはできない」(マイケル・ジョーダン)

 やってみることすらしなければ、少なくとも失敗はしないが、その代わり、成功することもない。
 やってみて失敗するのであれば諦めもつくが、やってもみないで諦めるのは真っ平であるというのは、マイケル・ジョーダンではなくても、誰しも同じではないだろうか。

 ところで、I can’t accept not trying.は、同一文の中にnotが2つ含まれているが、これはいわゆる二重否定ではない。
 二重否定は、否定文否定したものにあたり、たとえばThere is no one [who does not know who Beat Takeshi is].「ビートたけしを知らない人はいない」のように、nonot主節従属節に分けて用いるのはよいが、[No one does not know who Beat Takeshi is.]のように同じ節の中でnonotを同居させる形を用いることはできない。
 よく引き合いに出されるNo news is not good news.「知らせがないのは、よい知らせではない」という例は、同じ節の中にnonotが同居しているように見えるが、これは否定文否定したものではなく、肯定文否定したものにすぎない。
 もともとNo news is good news.は、「よい知らせである知らせはない」という意味の否定文ではなく、「知らせがないのは、よい知らせである」という意味の肯定文だから、それを否定してNo news is not good news.とするのは、二重否定ならぬ一重否定にほかならない。
 実は今回のI can’t accept not trying.も、それと同じで、I can accept not trying.「私は、『やってみないこと』を受け入れることができる」という肯定文否定したものにすぎないので、まったく問題ない。


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Posted by eg_daw_jaw at 07:30 授業外 

February 27, 2014

「行って来る」ではなく「行ってくる」

 「いったりきたりする」の場合は、「いったり」と「きたり」の両方に漢字を用いて「行ったり来たりする」と表記することができるが、「すぐにいってこい」の場合は、「いって」は漢字でも、「こい」は平仮名を用いて、「すぐに行ってこい」とする。
 理由ははっきりしていて、「行ったり来たりする」では、「行く」と「来る」が相対する二つの行為であるのに対して、「すぐに行ってこい」では、「こい」は「行って」の補足にすぎず、つまり「行って」がなら「こい」はでしかない。
 同様にして、「ちょっといってくるよ」も、「ちょっと行ってくるよ」であって、「ちょっと行って来るよ」ではなく、また「いってきます」も「行ってきます」であって、「行って来ます」ではない。
 このように、「」なら漢字を当てることができるが、「」なら平仮名で済ませると、国語の専門家ではない素人(しろうと)として考えているが、どうだろうか。

 同じことは、否定を表す「ない」についても言えるのではないか。
 「ない」が形容詞の場合は、それ自体が「」なので漢字を用いて「無い」とすることができるが、たとえば、「雨が降る」(動詞)、「大きい」(形容詞)、「清らかな」(形容動詞)の打ち消し形を作るときの「ない」は「」でしかないので、「雨が降ら無い」、「大きく無い」、「清らかで無い」ではなく、「雨が降らない」、「大きくない」、「清らかでない」のように、平仮名で表記する。
 それは、肯定の「ある」についても言えて、単に「存在する」ことを意味する動詞の場合は、それ自体が「」なので「在る」、「有る」のように漢字を用いることもできるが、「…である」のように、述部の一部として「」でしかないときには平仮名を用いるのがよい。
 したがって、「異論がある」を「異論が有る」、「コンビニはうちの近くにある」を「コンビニはうちの近くに在る」と漢字で表記するのは差し支えないが、「私は反対である」は「私は反対である」であって、「私は反対で有る」でもなければ「私は反対で在る」でもない。

 ちなみに、漫才コンビの「今いくよ・くるよ」は、もちろん漢字で「今行くよ・来るよ」とするのを妨げないが、それでは人の名前らしくなくなってしまう。


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Posted by eg_daw_jaw at 07:10 エッセー・雑文など(私生活編) 

February 26, 2014

seem to be 〜ing(@マーフィーの法則)

If everything seems to be going well, you have obviously overlooked something.
「万事がうまくいっているようであれば、明らかに何かを見落としているのだ」

 推量の助動詞の後に「状態動詞の原形」、「進行形(be 〜ing)」、「完了形(have p.p.)」が続けば、それぞれ「現在」、「現在進行中」、「現在以前過去、または現在完了)」のことについての推量を表す。

 (a) That can’t [be] true.
    「それは、本当であるはずがない」(現在
 (b) He might [be waiting] at the station now.
    「彼は今、もしかすると駅で待っているかもしれない」(現在進行中
 (c)(i) Her father must [have been] in his fifties when she was born.
      「彼女はお父さんが50代の時の子に違いない」(過去
   (ii) He will [have arrived] by now.
      「彼は、今はもう着いているだろう」(現在完了

 これと同じ理屈がseemの後にto不定詞が続く場合にもあてはまる。

 (d) There seems [to be] something wrong with this computer.
    「このコンピュータは、どこか不具合があるようだ」(現在
 (e) Everything seems [to be going] well.(冒頭の文の一部)
    「万事がうまくいっているようである」(現在進行中
 (f) He seems [to have been] very poor when he was young.
    「彼は、若い頃はすごく貧しかったようである」(過去

 ところで、冒頭の文の意味するところがどういうことであるかは、改めて説明するまでもないだろう。


コメント> 2014年02月26日 23:22:37 宇都宮 満

 数年来毎朝、先生のブログを読んでいる57歳の宮城県公立高等学校の英語教諭です。先生の仰ることは私の信条と全く一致しています。

 学年が進み、ある時期になると、「英頻」・「ネクステ」の類を買わせる学年が多い中、今年これに異を唱え、「英文解釈」を真面目にやろうという趣旨で提案したら学年英語科が了解しました。英文にじっくりと取り組もうという学年の意志が固まりました。英頻の類は英語学習を暗記学習に矮小化する危険性があります。

 聞くところによると、文科省の査察・強制がありベネッセの11月期模試(1年)から和訳が外されたということでショックを隠せません。この被害額は想定外だそうです。(30〜40歳代ベネッセ職員の1年間の年収に相当するということです)。文科省は現場ではやってほしくないことをして、現場は困っています。宮城県の場合、定期考査問題(一部:「英語表現1」)まで県庁に提出し検閲されています。

コメント> 道場主

 なぜ日本各地で異を唱えるデモや暴動が起きないのか…。


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Posted by eg_daw_jaw at 07:14 授業外 

February 25, 2014

決戦の朝を迎えて!

 国公立大入試の朝を迎えて、受験生は誰しも緊張しているに違いないが、こういうときに緊張していないようでは逆に困る。むしろ緊張していてこそ真面(まとも)な受験生であると言えるが、「ドキドキ」ではなく「ワクワク」という緊張であってほしい。
 何はともあれ、自分が受験する大学・学部の過去問に本気で取り組んで、すでに合格点の計算が立っているのであれば、倍率など気にするには及ばない。予め「受かる」とわかっているものを受けるようなものだから、堂々と受験すればよいだけのこと。
 何もノーベル賞を取ろうというのではない。オリンピックメダルを狙おうというのでもない。入試はそういうものと比べるのが烏滸(おこ)がましいほど低レベルの競争でしかない。そう考えれば気も楽になろうというもの。
 あとはケアレスミスをしないこと。「不注意な誤りをしないのも実力のうち」と受けとめて、決して言い訳をしない姿勢を貫けば、その分、力も発揮しやすくなる。
 もちろん持っている力を超えるものは出すことができないが、持っている力を100ペーセント出しきりさえすればよく、それ以上のものは要らない。
 マイケル・ジョーダンの言葉に You have to expect things of yourself before you can do them. 「自分に期待することではじめて物事は可能になる」というのがある。
 自分のを信じて、後へは引かない覚悟でぜひ戦ってほしいが、「自分が受からなくていったい誰が受かるか」と考えるくらいのふてぶてさがそれに加われば万全


コメント> 2014?02月25日 16:11:53 佐藤隆

 100パーセント出し切りました!


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Posted by eg_daw_jaw at 00:03 勉強法・合格作戦など 

February 24, 2014

付帯状況のwith(@マーフィーの法則)

 The chance of the bread falling with the buttered side down is directly proportional to the cost of the carpet.
 「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」(マーフィーの法則より)

 世の中は、皮肉いじわるにできている。
 安物のグラスは毎日ぞんざいに扱っているのに壊れないが、滅多に使わない高価なグラスは、たまに使うと、かえって慎重になりすぎるのがアダになって、うっかり壊してしまうという類の経験は誰しもあるのではないだろうか。

 冒頭の英文の with the buttered side down は、いわゆる「付帯状況のwith」で、その仕組みは with + [The buttered side is down.] = with [the buttered side](o) [down](c) 「バターを塗られた面が下向きである<という状態>を持って」と考えることができるが、この句が、falling を中心とする動名詞句の中で副詞として働いて、[the bread](S) [falling](V) [with the buttered side down](M) という関係になる。
 文全体を直訳すると、「パンがバターを塗られた面が下向きになって落下する可能性は、まさに絨毯の値段に比例する」といった具合。


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Posted by eg_daw_jaw at 09:12 授業外 

February 23, 2014

敷設・疾病・憧憬・病膏肓・独擅場

 「薄氷を履む」のことを、ある人から「『うすごおりをふむ』って言うでしょ」と言われて、「それって、『はくひょうをふむ』のことではありませんか」とはさすがに言えず、だからといって「はい言います」とも「いいえ言いません」とも言えず、聞こえなかったふりをして黙っているしかなかったことがある。
 また、別のある人が「いちやをむくいる」と言ったのを聞いて「一矢(いっし)を報いる」のことだとわかったが、「それはほんとうは『いっしをむくいる』と読むんですよ」と訂正するわけにもいかず、そのまま聞き流すだけにしたこともある。
 そして、ある人が部下から渡された原稿を見ながら聴衆を前に挨拶をする時に、ある件(くだり)のところで「『ひとだすけになれば幸いです」と言ったが、実は原稿には「『一助(いちじょ)』になれば幸いです」と書かれていたという話を人づてに聞いたこともある。
 しかし、自分も若い頃に、「敷設ふせつ)」を「しきせつ」と読んだり、「疾病しっぺい)」を「しつびょう」と読んだりしていたことがあるので、他人(ひと)のことをとやかく言う資格はない。
 ところで、よく取り沙汰される「憧憬」、「病膏肓」、「独擅場」の読み方については、自分はたまたま正しい読み方を知っているが、他人が間違えて、それぞれ「どうけい」、「やまいこうもう」、「どくだんじょう」と言ったとしても、それがもはや誤りとは認識されないくらいに一般化しているせいか、ほとんど気にならない。

 敷設(×しきせつ→〇ふせつ)、疾病(×しつびょう→〇しっぺい)、憧憬(×どうけい→〇しょうけい)、病膏肓(×やまいこうもう→〇やまいこうこう)、独擅場(×どくだんじょう→〇どくせんじょう

 そういえば、「団塊の世代」の「団塊だんかい)」を「だんこん男根?)」と読み違えた女子アナが話題になったことがあった。

 以上、先日FB友だちの記事へのコメントとして書いたものに加筆してみた。


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Posted by eg_daw_jaw at 11:25 エッセー・雑文など(私生活編) 

February 22, 2014

The 比較級 …, the 比較級 ….

The more I learn, the more I realize I don’t know.
「学べば学ぶほど、私は自分が無知であることがわかる」
The more I realize I don’t know, the more I want to learn.
「自分が無知であることがわかればわかるほど、私は学びたくなる」

 誰の言葉であろうと、いいものはいいが、これがアインシュタインの言葉であるとわかれば、いっそう説得力が増して、天才はやはり言うことが違うなあとさえ思う。そして、自分は天才にはほど遠い凡才にすぎないが、天才の言わんとするところはよくわかる気がする。天才ではなくても、謙虚ではありたい。

文法チェック

 The higher you go, the cooler it becomes.
 「高く登れば登るほど、涼しくなる」

 高く登れば登るほど、その分だけ太陽に近づくわけだから、暑くなるはずであるのに、どうして逆に涼しくなるのか、子供の頃に納得がいかなかったことが懐かしいが、それはともかく、この文は、You go high. の highthe higher に変えて The higher you go としたものが従属節に、そして It becomes cool. の coolthe cooler に変えて the cooler it becomes としたものが主節になって、「高く登れば登るほど、その分だけ涼しくなる」という意味を表している。

 ふつうはこのように説明するが、冒頭の文に関しては、I realize [much] that I don’t know. とは言いそうにないので、I realize [much] that …. の [much] を the more に変えて the more I realize (that) I don’t know としたものとして説明することはできない。
 もとになる文が I realize I don’t know. であって、I realize [much] that I don’t know. ではないにもかかわらず、the 比較級の構文となると、the more を節の先頭に加えて the more I realize I don’t know とすることができるところが面白いと言えば面白い。


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Posted by eg_daw_jaw at 09:46 授業外 

February 21, 2014

良問かと思いきや

 お母さんには、ここに来るって言ってきたの?
→(are / does / know / mother / where / you / your)?

 「お母さんには…って言ってきたの」という日本語を見れば、Did you tell your mother …? としたくなるが、あいにく tell という動詞は与えられていない。
 ここは、疑問文である以上、Does your mother know …? とするほかはないが、残っている3語で where you are 「あなたはどこにいるか」という疑問詞節を作って、これを know の目的語にすればよい。

正解Does your mother know where you are?

 「お母さんには、…って言ってきたの」を「お母さんは、…ってご存知なの」に転換するところが面白いので、最初はヒネリの入った良問だと思っていた。 
 しかし、よく考えてみると、正解とされる英文日本文の意味を正確に反映しているとはとても思えない。
 この英文を逆に和訳すれば「お母さんは、あなたがどこにいるかご存知なの?」となるが、それは「お母さんには、ここに来るって言ってきたの?」とは根本的に異なる。
 というのも「お母さんがご存知」かどうかは、「あなたが言ってきた」かどうかには必ずしもよらず、たとえあなたが言わなくても、ほかの人が言えば、お母さんは「あなたがどこにいるか」を知ることができる。
 ここは、Does your mother know …? を用いる答えを求めるのであれば、日本語を「言ってきたの?」から「ご存知なの?」に替えて、「お母さんは、あなたがここにいるってご存知なの?」とする必要があるが、もちろんその場合は、問題が易しくなりすぎるのを免れない。

改作

お母さんは、あなたがここにいるってご存知なの?
→(are / does / know / mother / where / you / your)?

 「お母さんは、…ってご存知なの?」は、Does your mother know …? とし、残っている3語で where you are 「あなたはどこにいるか」という疑問詞節をつくって、これを know の目的語にすればよい。。

正解Does your mother know where you are?

 正解英文を逆に和訳すると、「お母さんは、あなたがどこにいるかをご存知なの」となるが、「あなたがどこにいるか」が「あなたがここにいる」((that) you are here)に相当する。

 cf. Does your mother know (that) you are here?


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Posted by eg_daw_jaw at 10:36 講習会・英文法道場 

February 20, 2014

命まで取られるわけではなく

The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.(Nelson Mandela)
「生きていくうえでの最大の栄光は決して倒れないことにあるのではなく、倒れるたびに立ち上がることにある」(ネルソン・マンデラ)

 lie in … 「…にある」といえば、Happiness lies in contentment. 「幸せは満足にあり」でおなじみのもので、ここでは、それが not A but B 「AではなくB」の形で使われていて、in never falling が A に、そして in rising every time we fallが B にあたる。
 また、every time名詞から接続詞に転じて、whenever SV … 「SがV…するたびごとに」の whenever に代わるものになっている。
 以上のとおりなので、構文はまったく難しくない。

 [The greatest glory in living] lies not [in never falling](A), but [in rising every time we fall](B).

 たとえ失敗はしても命まで取られるわけではない。フィギュア・スケートのショート・プログラムでの真央ちゃんの思わぬ不調を見てそう思うほかなかったが、同時にネルソン・マンデラの言葉がふと頭に浮かんだ。


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Posted by eg_daw_jaw at 08:52 エッセー・雑文など(私生活編) 

February 19, 2014

年を取るからこそ、遊ぶのをやめない!

We don’t stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing.
「我々は、年を取るから遊ばなくなるのではなく、遊ばなくなるから年を取る」(ジョージ・バーナード・ショー)

 because節の前に否定文がくるときは要注意で、たとえば、He didn’t come because he was ill.「彼は病気だから来なかった」は、not主節だけを否定していて、because以下は「彼が来なかった」ことの理由にあたるので、「彼は来なかった。なぜならば病気だったからである」と2文に分けて訳すこともできる。
 それに対して、He didn’t come because he wanted to. His mother told him to.「彼は来たいから来たわけではない。母親にそうしなさいと言われたのだ」は、notbecause以下までを含めて全体を否定していて、because以下は「彼が来た」ことの理由にあたるので、「『彼は来たいから来た』のではない」という理屈になる。これを「彼は来なかった。なぜならば、来たかったからである」と2文に分けて訳すと意味不明になってしまう。

 冒頭のバーナード・ショーの文の前半はもちろん後者で、「『我々は年を取るから遊ぶのをやめる』わけではない」となる。
 もっとも、「我々は遊ぶのをやめない。なぜなら、我々は年を取るからである」、つまり「我々は年を取るからこそ、遊ぶのをやめない」と解するのも一興であるのは否めないが。


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