August 26, 2006

子猫殺しの鬼女のこと

 今世間を騒がせている子猫殺しの鬼女坂東眞砂子というホラー作家の狂気のエッセーきっこの日記という高名なブログで読んだが、そのエッセーを掲載したのが東スポではなく、まさか天下の日経新聞とは驚いた。

 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
 避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
日経新聞プロムナードに掲載)

 世の中には色々な人がいるので、この作家の意見に同調する人も決して皆無ではないとは思うが、いくら天邪鬼(あまのじゃく)の道場主でもこの考えに与することは絶対にできない。 
 「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利も、生まれた子を殺す権利もない」と認めておきながら、生まれた子猫を自らの手で殺すのは社会に対する責任だからやむをえないかのように自己を正当化するとは、病んでいるだけでなく、どう見ても狂っているとしか言いようがない。
 世の中には奇人や変人はいくらでもいるので、こうした狂人がいるならいるで、それはそれで仕方がないと百歩譲るにしても、こういうことは人知れずこっそり行うべきことであって、エッセーに書いて誇らしげに他人に語ることではない。
 それにしても、なお理解できないのは、天下の日経新聞がこの記事をそのまま掲載したことであって、たとえ東スポでも、こうした狂気の筆者には書き換えを要求するか、原稿そのものをボツにしてしまうかするくらいの良心はきっと持ち合わせているに違いないと思う。 



Posted by eg_daw_jaw at 00:10│Comments(2)TrackBack(0) エッセー・雑文など(私生活編) 

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この記事へのコメント
 全くもって、同感です。
 私も、自分のミクシィのブログにすぐに書きました。
 売名行為だとしても許し難いし、それを載せて、しかも
自分は悪くないとしらを切る日経にもあきれ果てます。

 こんなのが作家でございという顔をして、しかも同年齢
で、とっても歯がゆくて、地団駄踏んでます。

 余談ですが、現在、らいおん親方へ復帰計画実行中です。
Posted by らいおん親方 at August 27, 2006 22:37
 確かに話題になったのが、猫という日常身近な生き物なので、よりリアルに連想され、また、神戸のサカキバラ事件(の前兆)を思い出され、気持ちのよい文章ではありません。ここで食肉用の牛や豚のことを例に出すのは控えますが、自然界の生存競争に話をもっていくのは詭弁になるかな。
 ライオンは自分の子供を鍛えるため千尋の谷底に突き落とすとか。放り投げられた猫が、命をながらえて、件の女流作家に生命力の強さを示してくれんことを!
Posted by 鴨川シャチ助 at August 28, 2006 05:42

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