2011年01月10日
死ぬ時のこと
ICUと名前のつくところで仕事をしているせいなのか、
亡くなる患者さんというと、大抵挿管されて呼吸器につながれている。
そんな方々ばかりを看護しているからなのか、
人が病気で亡くなる時は、みんな呼吸器につながれるような錯覚に陥った。
老衰や突然死、事故の即死や自殺などを除いて、
在宅医療が活発でない日本人の多くは、病気か何かで病院で亡くなることが多いだろうが、
どうやってみんな死んでいくのだろう。
みんながみんな挿管されて死ぬわけではないことなど、頭ではわかっているのだが、
本人が治療を嫌がっても、家族が強く治療を希望すると、結構な高齢でもとことん治療はするし、
とことん治療した末は挿管+呼吸器とつながり、
結局は治療の甲斐なく亡くなる時、挿管+呼吸器を外せないで終わってしまう気がする。
自分の家族が亡くなる時、
どんな風なのだろう。
自分の両親など、もう60を超えているから、そろそろ病などにかかって死ぬ時期にきているのだろうが、
死ぬ時は挿管されて呼吸器につながってしまうのだろうか。
そうして、つながれた呼吸器の設定や血液ガス、モニターの値などで、私は一喜一憂したり、もうこれはダメだなんて諦めたりするのだろうか。
自分が死ぬ時は、
延命治療も何もせず、
例えその薬のせいで死期が早まってもかまわないから、
鎮静薬で眠って一切起きないまま苦しまずに死にたいと思うのだが、
さて、そんな幸せな死に方ができるのだろうか。
人の死として
挿管+呼吸器での死に方は決して良いものではないが、
そうでしか亡くなることができない人がいかに多いことだろうか。
とことんの治療というのが、人の死を歪に変形してしまっているのかもしれない。
治療とは、一体どこまですれば良いのだろう。
だからと言って、具合の悪い自分の家族を見て、「ここでやめて、後は眠らせてあげてください」とは医療の素人ではなかなか言えないものだし、ましてや多少なりとも治療の余地があるのに医療者から「ここら辺でやめましょう」とは言わないものだ。
結局、治療の手段がほとんどなくなった段階=挿管+呼吸器が人の死となってしまう。
そうではない人はきっと沢山いるのだろうが、
働いている場所がら、そういう人ばかりを目にすることが多い。
これも一つの職業病?なのだろう。

今何位?

そうね、だいたいね〜?

亡くなる患者さんというと、大抵挿管されて呼吸器につながれている。
そんな方々ばかりを看護しているからなのか、
人が病気で亡くなる時は、みんな呼吸器につながれるような錯覚に陥った。
老衰や突然死、事故の即死や自殺などを除いて、
在宅医療が活発でない日本人の多くは、病気か何かで病院で亡くなることが多いだろうが、
どうやってみんな死んでいくのだろう。
みんながみんな挿管されて死ぬわけではないことなど、頭ではわかっているのだが、
本人が治療を嫌がっても、家族が強く治療を希望すると、結構な高齢でもとことん治療はするし、
とことん治療した末は挿管+呼吸器とつながり、
結局は治療の甲斐なく亡くなる時、挿管+呼吸器を外せないで終わってしまう気がする。
自分の家族が亡くなる時、
どんな風なのだろう。
自分の両親など、もう60を超えているから、そろそろ病などにかかって死ぬ時期にきているのだろうが、
死ぬ時は挿管されて呼吸器につながってしまうのだろうか。
そうして、つながれた呼吸器の設定や血液ガス、モニターの値などで、私は一喜一憂したり、もうこれはダメだなんて諦めたりするのだろうか。
自分が死ぬ時は、
延命治療も何もせず、
例えその薬のせいで死期が早まってもかまわないから、
鎮静薬で眠って一切起きないまま苦しまずに死にたいと思うのだが、
さて、そんな幸せな死に方ができるのだろうか。
人の死として
挿管+呼吸器での死に方は決して良いものではないが、
そうでしか亡くなることができない人がいかに多いことだろうか。
とことんの治療というのが、人の死を歪に変形してしまっているのかもしれない。
治療とは、一体どこまですれば良いのだろう。
だからと言って、具合の悪い自分の家族を見て、「ここでやめて、後は眠らせてあげてください」とは医療の素人ではなかなか言えないものだし、ましてや多少なりとも治療の余地があるのに医療者から「ここら辺でやめましょう」とは言わないものだ。
結局、治療の手段がほとんどなくなった段階=挿管+呼吸器が人の死となってしまう。
そうではない人はきっと沢山いるのだろうが、
働いている場所がら、そういう人ばかりを目にすることが多い。
これも一つの職業病?なのだろう。
今何位?
そうね、だいたいね〜?
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この記事へのコメント
1. Posted by ゆきお 2011年01月10日 14:33
うちの実家では「年寄りが亡くなった時は赤飯を炊く」という風習がありました。人生を全うしたことを祝うという意味だと思いますが。
高齢なのにとことん治療を受け続け、最後に「治療の甲斐なく」なんて言葉を残す家族の存在って、当の本人にとってもどうかな?って思います。せっかく頑張ったのに「残念でした」ってハンコを貰うようなものです。
私自身は病気治療や生死について変わった考えを持っているので自分の意思が通せれば治療は受けないと思いますが、
「病気は医者が治すもの」と最後まで固く信じて疑わない人も多いことは事実ですね。
高齢なのにとことん治療を受け続け、最後に「治療の甲斐なく」なんて言葉を残す家族の存在って、当の本人にとってもどうかな?って思います。せっかく頑張ったのに「残念でした」ってハンコを貰うようなものです。
私自身は病気治療や生死について変わった考えを持っているので自分の意思が通せれば治療は受けないと思いますが、
「病気は医者が治すもの」と最後まで固く信じて疑わない人も多いことは事実ですね。
2. Posted by みやび 2011年01月10日 22:19
ゆきおさん
コメントありがとうございます
死ぬ間際の家族というのは、それまで患者がその家族とどうつきあってきたのかというのが如実に表れると思います。
一部の人の話かもしれませんが、
家族として親孝行してこなかったという後ろめたい気持ちがあったりすると、高齢でもとことん治療してくださいということになったりするのかもしれません。
どういう死に方をしたいのか、健康なうちに、家族と話し合う機会を持つことが懸命だと思います。そうでないと、家族に反対されて望んではいない治療をとことんされてしまうのかもしれません。
コメントありがとうございます

死ぬ間際の家族というのは、それまで患者がその家族とどうつきあってきたのかというのが如実に表れると思います。
一部の人の話かもしれませんが、
家族として親孝行してこなかったという後ろめたい気持ちがあったりすると、高齢でもとことん治療してくださいということになったりするのかもしれません。
どういう死に方をしたいのか、健康なうちに、家族と話し合う機会を持つことが懸命だと思います。そうでないと、家族に反対されて望んではいない治療をとことんされてしまうのかもしれません。
3. Posted by ゆきお 2011年01月11日 17:03
みやびさん、お返事ありがとうございます。
親孝行してこなかった後ろめたい気持ち、というのに妙に納得してしまいました。
家族の気持ちも感じたり共感したりしながら看護の仕事も続けるのって、とても大変なんだろうなって思います。そういうところまで感じることができるから、こういう日記を書けるんでしょうけど。
小説や本を書くのに向いてそうなそういう感覚を看護の中で活かすのって、普通の病院とかではなかなか難しいんでしょうね。
遺言を書いておくのと同じように、
どう死にたいかも書いておくといいのかもしれない、などと思ってみました。
親孝行してこなかった後ろめたい気持ち、というのに妙に納得してしまいました。
家族の気持ちも感じたり共感したりしながら看護の仕事も続けるのって、とても大変なんだろうなって思います。そういうところまで感じることができるから、こういう日記を書けるんでしょうけど。
小説や本を書くのに向いてそうなそういう感覚を看護の中で活かすのって、普通の病院とかではなかなか難しいんでしょうね。
遺言を書いておくのと同じように、
どう死にたいかも書いておくといいのかもしれない、などと思ってみました。
4. Posted by 和みの風 2011年01月12日 06:00
はじめまして。
ターミナルケアと聞くと
ついコメントしたくなる私です…。
>これも一つの職業病?
確かにそう思ってしまうのも
仕方がないと思います。
そういう最期ばかりなのであれば。
おそらく割合的には呼吸器をつけたまま
という方はかなり低いと思いますよ。
癌でなくなっている方が圧倒的なので。
こんな最期を迎える方も少なからずいます。
やはりどれだけご家族が
協力してくれるかでしょうね。
まさに「死に様は生き様」です。
http://www.mytokachi.jp/raccoon_4/entry/319
ターミナルケアと聞くと
ついコメントしたくなる私です…。
>これも一つの職業病?
確かにそう思ってしまうのも
仕方がないと思います。
そういう最期ばかりなのであれば。
おそらく割合的には呼吸器をつけたまま
という方はかなり低いと思いますよ。
癌でなくなっている方が圧倒的なので。
こんな最期を迎える方も少なからずいます。
やはりどれだけご家族が
協力してくれるかでしょうね。
まさに「死に様は生き様」です。
http://www.mytokachi.jp/raccoon_4/entry/319
5. Posted by みやび 2011年01月12日 08:38
ゆきおさん
お返事ありがとうございます
これだけ生き方が個人主義で多様化してきたのですから、死に方も人それぞれ一様ではありません。遺言書のような「死にたい方法」を書いた紙が本当に必要ですね。
でも本当は、そんな紙を書かなくても、一番自分を理解しているはずの家族が、何も言わなくいうちにわかってくれて、自分の良い様に最期を整えてくれるくらい、それくらい家族と解りあっていたいという思いもありますが・・・。そんな都合のいいようにはいかないものです
お返事ありがとうございます

これだけ生き方が個人主義で多様化してきたのですから、死に方も人それぞれ一様ではありません。遺言書のような「死にたい方法」を書いた紙が本当に必要ですね。
でも本当は、そんな紙を書かなくても、一番自分を理解しているはずの家族が、何も言わなくいうちにわかってくれて、自分の良い様に最期を整えてくれるくらい、それくらい家族と解りあっていたいという思いもありますが・・・。そんな都合のいいようにはいかないものです

6. Posted by みやび 2011年01月12日 08:46
和みの風さん
コメントありがとうございます
死を意識してから、死が訪れるまで、ゆるやかな過程を進まれる方は、自分も周りの人も死を受け入れやすく、死が穏やかに訪れる気がします。
突然の急激な体の変化で死が訪れる方は、家族が受け入れられず、治療を望む方は多いと思います。
癌の方の多くは前者で、ICUなどで亡くなられる方の多くは後者ではないでしょうか。
誰にでも等しく、ゆっくりと死が訪れて、心の準備ができる時間があれば良いのですが、世の中は不公平でそのようにはなりません。
家族が協力してくれるというのは、その人の生き様の徳かもしれませんが、死の訪れ方は、いかに良い生き方をしようとも、自分の思いのままにはならないものです。思うようになかなかならないものですね。
コメントありがとうございます

死を意識してから、死が訪れるまで、ゆるやかな過程を進まれる方は、自分も周りの人も死を受け入れやすく、死が穏やかに訪れる気がします。
突然の急激な体の変化で死が訪れる方は、家族が受け入れられず、治療を望む方は多いと思います。
癌の方の多くは前者で、ICUなどで亡くなられる方の多くは後者ではないでしょうか。
誰にでも等しく、ゆっくりと死が訪れて、心の準備ができる時間があれば良いのですが、世の中は不公平でそのようにはなりません。
家族が協力してくれるというのは、その人の生き様の徳かもしれませんが、死の訪れ方は、いかに良い生き方をしようとも、自分の思いのままにはならないものです。思うようになかなかならないものですね。
