東京エゴイスト

〜新選組から中岡慎太郎まで!幕末ワールド東奔西走〜

新選組マニアックス

近藤勇の命日ですが…。

近藤勇像

高知行きまであと少し〜♪とはしゃぎつつも、この日を忘れたわけじゃないぞー。
というわけで、今日4月25日は近藤勇の命日(新暦だけど)。

今年は流山の勇忌に行けなかったので、代わりに今日の墓前供養祭in板橋に行こうかと思っていたのだが、残念ながらおうちで仕事(泣笑)。
せっかく命日当日に行われる供養祭だったのに(悔)。しかも今年は143回忌に当たるため、寿徳寺オリジナルの近藤さんストラップがもらえたそうじゃないですか。いいなあ。

最近どうにも新選組の記事が少なくなってるけど(汗)、決して新選組&近藤さんに興味がなくなったワケではなく、単に面白い話題に乏しいだけ(ちゃんと探さないからだというツッコミは置いといて・笑)。
新選組関係の興味深い資料本も出ないしねえ。特に最近は幕末コーナーにも龍馬関連の本ばっかりだし。以前から何度も言ってるけど、本当に近藤さんの書簡をちゃんとまとめた資料とか出してほしいよ!(力説)
しかも最近は「鞍馬天狗」のようにカッコ良い近藤さんが出てくる幕末モノが少なくてつまんな〜い。
「龍馬伝」にも近藤さんは出てくるけど、今回はフツーに池田屋に突入してきたり、以蔵を捕縛に来たりするだけだろうしなあ。
私的には、土曜時代劇の枠で「鞍馬天狗」のパート2をやってほしい…!と、一日千秋の思いで待っていたりするのだが(この際30分枠でもしょうがない)。

何度も繰り返すようだけど、坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられ(半ば私刑同然に)斬首されてしまった近藤さんは、中岡慎太郎と同じく龍馬暗殺のとばっちりを受けたようなもので、思い返すといろいろ悔しい気持ちに。しかも処刑を主張したのが元陸援隊の谷干城とか岩村精一郎とかだもんなー(苦)。

ここ数年、近藤さんの法要といえば私的に春の風物詩になっていたのだが(笑)、今年は欠席してしまってちょっと寂しいな。近藤さんにも申し訳ない気持ちだけど、お墓参りなら改めて行けるし…と自分に言い訳(笑)。板橋も三鷹も近いしね。
お詫びの印に(?)、高知に行ったら海に向かって「谷干城のバカヤローーーーー!!」と叫んでくるからね!(←こらこら)

勇忌09&流山の新説!

勇忌09

というわけで、先日の続き。
赤城神社での着陣式の後は、流山寺での法要。
毎年書いてる気がするけど(笑)、勇忌の良いところはちゃんとお寺の本堂に上がってご焼香させてもらえるところ。
こうして毎年法要に参加して手を合わせていると、近藤さんがだんだん昔お世話になった古いなじみの人みたいに思えてくる。
いや、ブログその他でなにかとネタ…もとい話題にしているし、お世話になってるといえばそうなのかもしれないけど(笑)。

その後は、赤城福祉会館で新選組流山隊隊長の松下英治さんの講演会。
流山に関する新説が発表されるというので楽しみにしていたけど、かなり濃い内容でとっても面白かった!
先日出版した「新選組流山顛末記」から、(鳥羽伏見の戦いの後)江戸に戻った新選組が流山へ来たルートや日付、近藤さんが新政府軍に出頭した経緯などに関する定説を見直し、いろいろな新事実や新解釈を提示してくれた。

かなり盛りだくさん&複雑なので、特に気になる点をピックアップすると、まず流山での新選組本陣は「鴻池」だった(本の帯にも大きく書かれてる・笑)。
一般に新選組の流山本陣は「長岡屋」とされ、ドラマ等でもこの名前が使われているけど、当時から昭和初期までの史料にそんな名前は全くでてこないそうだ。
松下さんが古い史料などを元に調べたところ、単に姓が「永岡」だっただけで屋号は「鴻池」だったことが発覚。醸造業が盛んだった流山だが、その中でも鴻池はトップクラスの大きな醸造家として営業していて(支店のようなもの)、その当主の名前が「永岡三郎兵衛」(ただし慶応4年2月に別の人に代わっている)。
実は司馬遼太郎&池波正太郎両先生もこのあたりのことをちゃんと取材していて、「燃えよ剣」でも「近藤勇白書」でも“長岡屋”などとは書いていない。どうも昭和40年頃から姓と屋号が混同されて長岡屋という名称が生まれ、そのまま定着してしまったらしい。
それにしても、鴻池といえば江戸時代最大の豪商にして新選組とも浅からぬ縁があったことで有名だけど、こんなところでも新選組をバックアップしていたとは…。

もうひとつ、私的にかなり興味深かったのが、本の中で「利根川沿岸同盟計画」と名づけられた利根川(現江戸川)を防衛ラインとして江戸府内に入ってきた新政府軍を包囲するという戦略プランの存在。
新選組が流山にやってきたのは、実はこの計画の一環だったのでは?…というのが今回の新説のキモで、これがかなりスリリングで面白い。
当時の流山は幕府の直轄領であり、みりん製造や呉服で栄え、さらに物や人の交通路として下総の中心地となっていて、幕府にとってこの地域を押さえることが新政府軍との和平交渉をする上でも、あるいは交渉が決裂した場合の保険としても非常に重要だった。そのため近藤さんは下総方面の鎮撫のための責任者として派遣されたわけで、五兵衛新田から流山に来たのは当初の計画に沿ったものだった。
これが本当だとすると、ドラマや小説などでよく描かれる「あくまで新政府軍と戦うことを主張する近藤勇を江戸から追い出したい勝海舟に甲府をやると騙され、調子に乗って宴会しながらダラダラ進軍していったために新政府軍にボロ負けし、仕方ないので会津へ向かう途中に流山へ〜」(泣笑)という定説が完全に覆されるばかりか、慶応4年3〜4月の幕府の姿そのものが大きく変わってしまう。
この説をもっと突き詰めていくと、今後また新しい幕末&新選組のドラマが生まれることもあるかも…。

ちなみに、ちょっと意外だけど松下隊長は「新選組!」まで幕末自体に全く興味がなく、むしろキライだったそう。
今でも資料はともかくフィクション関係の本は読んでいなくて、「燃えよ剣」や「壬生義士伝」も未読だとか。
だけど、それがかえって定説や既存の新選組イメージに縛られることなく、まっさらな目で新選組を見ることのできる要因にもなっているみたい。

講演も面白かったし、しかしながら複雑な箇所が多いし改めてじっくり読んでみたいと思って、会場で割引価格で販売していた(笑)「流山顛末記」を購入。もれなく松下隊長のサインがいただけるというので、もちろんお願いした。
そういえば、本に著者のサインをもらうなんて人生初めてだ〜。

【おまけ】
恒例の抽選会で、宮川清蔵さんに近藤勇人形が当たった!場内爆笑&大拍手(笑)。

【おまけその2】
音響勇君!
音響勇くん負傷!
かわいそうにタイヤがパンクしてしまったそうだ。早く治ってね〜。

流山新選組まつり09

行軍行列行軍行列2
先日の12日、もはや春の恒例行事となった流山新選組まつり&勇忌に今年も行ってきた!
横着して馬橋からタクったら、運転手さんが流山の地理にまるで疎くて電車で行くより時間がかかってしまうという悲劇に見舞われ(しかし料金はバッチリ1000円取られたよ!・泣)、「新選組流山行列」の出発ギリギリで滑り込みセーフ。あー焦った。
昨年は冬に逆戻りしたような寒さだったけど今年は快晴のポカポカ陽気。赤城神社までの道のりもとっても気持ちよかった。
この季節、お天気がいいと心配な花粉の方もなぜか全然大丈夫だったし(局長のご利益?)。

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ダンダラ羽織の秘密

本屋でぱらっと開いたらやめられなくなって、つい衝動買いしてしまった「和力―日本を象る」
「縞」とか「朱」とか、日本文化のキーワードになる24の型を漢字一文字で表して、それぞれの象徴的な意味を解説する本だけど、西洋やアジア諸国の意匠・デザインとの比較も満載ですごく面白い。NTT出版って建築とかデザイン関係で面白い題材の本が多いし、装丁も洒落ててカッコいいのが多いけど、高いんだよね…(汗)。
それはともかく、この中にいきなり「誠」の旗の写真が。新選組にまつわるコネタを見つけてしまった。

新選組の「誠」の旗や隊服である羽織の袖口にずらっとついてる山型の模様。いわゆるダンダラ模様だけど、あの模様が一体何を表しているかというと、

スバリ、蛇の鱗(笑)。

ダンダラ模様が忠臣蔵の赤穂浪士のパクリ…もといオマージュ(爆)だというのは、有名な話だけど(「組!」でもそのエピが出てきたし)、そういえば模様にどんな意味があるかまでは考えたことはなかったなー。

蛇は日本だけでなく世界中で信仰や畏怖の対象になっているけど、この本によると山型…つまり三角は蛇の鱗を示すシンボルとして古墳時代から使われていた意匠。
特に日本では、海神や農耕神など水に関係する神様はたいてい竜か蛇と関係しているので、能でも海神などを演じる時は三角の鱗の模様のついた衣装で登場するのだとか。
これが家紋にも発展して、たとえば北条氏の家紋である「三つ鱗」も3枚の鱗を組み合わせたデザイン。北条時政が一族繁栄祈願のために江ノ島弁財天に参詣したところ、竜が現れて3枚の鱗を残していった、という伝説に由来している。
問題のダンダラ模様は「連続三角紋」といって鱗を横に並べた造形になるらしい。新選組や赤穂浪士の場合、意志の強さとか決意の固さを象徴しているそう。
安らかな死や再生を願った鱗模様から発展した三角紋は、さらに火の守り神、ひいては病魔退散などの護符の意味も持つらしいので、そういったお守り的な意味もあるのかな。
といっても、あの模様のついた衣装を考案したのはあくまで忠臣蔵を上演したときの関係者だろうけど(赤穂浪士はあんな羽織は着ていない・笑)。
その誰かが三角紋の意味をどこまで知っていたかはわからないけど、呪術的な意味を持つ鱗の模様を、あそこまでシンプルで洗練された三角紋にデザインした江戸人の感覚ってすごいね。

新選組とスパルタ戦士

今日は土方歳三の命日&歳三忌で、「ひの新選組まつり」の2日目だったけど、昨日からあいにくのお天気で残念。
おまけに寒いし。夕べからどーしよーかなーと迷っていたけど、結局今年は欠席しちゃった……(汗)。
日野まで出陣した皆さん、お疲れ様でした〜。

さて、先日の命日に記事をかけなかったけど(滝汗)今年は近藤さんの没後140年というだけでなく、戊辰戦争140年の年でもあり、幕末ファン…特に幕府側の人々のファンにとってはいろいろ思うところのある年。

幕末スキーになるずっと前だけど、塩野七生さんの本を集中して読んでいた時期があって、もちろん幕末とは全く関係ないイタリアや地中海世界の話だけど、今思い返してみると書かれている事柄にいろいろ共通するものを感じてしまうから歴史って面白い。
特に、エッセイ集「イタリア遺聞」中の「スパルタの戦士」に登場するギリシア軍将校の話は、新選組がらみで思い出すことが多いのでちょっと紹介。
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史上最弱土方歳三!!(爆)

よりによって土方歳三のお誕生日に、土方ファン卒倒必至の衝撃ニュースが!(笑)。
「カラテカ」の矢部太郎さんが、つかこうへいさんの「幕末純情伝」で土方歳三役を演じるそう。
新選組ファン界では、間違いなく今年最大の事件。今頃、熱烈な土方ファンの人が何人か寝込んでるんじゃないかと心配〜(笑)。
私も思わず目を疑ったもんね。だって、あの矢部君ですよ!?あの虚弱な阿比留君ですよ!?ヒラ隊士にもなれなかったヘタレ浪士から一気に副長昇格とは、すごい下克上(違)。
いやあ、ビートたけしの土方歳三ごときで驚いていたのが、もはや遠い過去って感じ(実際遠い過去だけど・苦笑)。

「幕末純情伝」の土方といえば、実は女性の沖田総司から熱烈に愛される役どころ。しかも共演は、沖田が石原さとみさん、沖田に惚れて追い回す坂本龍馬は真琴つばささんという、異次元世界にまでぶっ飛んだキャスティング。
石原さとみと真琴つばさと矢部君が三角関係って、もうそれだけで足元から平衡感覚が失われていくような気がする(爆)。

つかさんは、バラエティー番組などでの自信なさそうなオドオドした矢部君の姿を見て「土方役にぴったり」(爆)と抜擢したのだとか。要するに、つか的には土方歳三はそういう男だと(笑)。もしかして、伝説の「輪違屋」を凌駕するヘタレ土方だったりして(禁句?・笑)。
ちなみに今回は“つか流解釈による土方の設定”で、新たに恋人の「かわらちゃん」も登場するらしい。かわらちゃんって一体……。
つーか、それじゃ四角関係じゃん(笑)。

かわらちゃん役の一般公募も始まっているそうだけど、誰か矢部土方の恋人役に応募してみる?(爆)

流山新選組まつり&勇忌

4月に流山に行かないと春を迎えた気がしないというくらい、もはや恒例の年中行事になりつつある近藤さんの法要。
近藤勇没後140年にあたる今年の勇忌は4月13日……って、中岡慎太郎の誕生日じゃん!(爆)

中岡の誕生日に勇忌が開催されるのも何かのご縁だろうと(違う違う・笑)、流山に出かける準備をしていたら、本棚に飾ってある中岡の写真(正確にはAkiさんにいただいたステッカー)が突然ぱさっと落ちてきた……。ひいいい〜〜〜っ(汗)。
お誕生日のお祝いもしないで、新選組局長の法要にうひゃうひゃ出かけていくから怒ってるのだろうか(笑)。

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源さんの碑を建立する会が発足

京都を通り過ぎる時、新幹線の窓から遠くに見える五重塔に、「ああ、あの下で近藤さんとイカずきんが一騎打ちを…」(爆)とワケのわからん感慨にふけってみたりして(笑)。
というわけで、日帰り出張で大阪へ行ってきた。今回はスケジュールがキツキツじゃなくて時間的余裕があるから梅田でもブラついてみようかなーと思ってたのに、天気が悪いんだもんなー。ちえーっ。

さて。
未だにどうしても「源さん」と呼んでしまう(笑)新選組の井上源三郎の埋葬地が特定できたというニュースは、先日幕末ブロガーさんたちの間でもかなり話題になってたけど(ええ話が遅いです、スイマセン・汗)、このほど埋葬地である欣浄寺(ごんじょうじ)跡地に「井上源三郎」の碑を建てるための実行委員会が設置されたらしい。

一応ちゃちゃっと説明すると、慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いで戦死した源さん…もとい井上源三郎は、甥の井上泰助が首級と刀だけでも連れ帰ろうとしたものの、首のあまりの重さに運びきることができず(泰助は当時12歳くらい)、仕方なく近くの寺の門前に埋めた。その後、かんじんの寺の名前がわからなくなり埋葬場所は不明…と長らくされてきたのだが、先ごろその“寺”というのが当時淀にあった欣浄寺(その後廃寺)であったことが判明したそうだ。

今回埋葬地がわかった経緯については、「井上源三郎資料館」HPに詳しく掲載されているのでそれを読んでもらうとして、死後140年も経って場所がわかるなんて、ちょっと劇的。こうしてひょんなことから謎が解明されたりするものなのか…。それじゃ同じく首級が行方不明の近藤さんも、いつか些細なキッカケから居所(?)がわかったりするのかな。
しかし井上ケイさん(井上泰助の長男の妻)はちょっと気の毒ね。ちゃんと正確な証言をしてくれていたのに、ボケた扱いされてたとは(笑)。

とにかく、こうして場所がほぼ特定できたことから、「欣浄寺跡に『井上源三郎』の碑を建立する会」が発足。記念碑建立のための活動を開始することになった。
13日の勇忌を皮切りに、これから新選組関係の法要やイベントがいろいろ開催されるので、その場でこの話もきっと出てくるはず。
相変わらず源さん人気は健在だし、ファンの皆の力で淀に「源さんの碑」…じゃなくて「井上源三郎の碑」が実現する日も近いかも……!

近藤勇没後140年

買ったばかりのipod nanoをバッグに入れて外出したら、白いイヤホン&コードにバッグの裏地(スエード製)の色が移ってて大ショック。
どうやって落そう、このブラウン…(泣)。
とまあ、グチはこの辺にして。

昨年2007年は、中岡慎太郎没後140年ということで、高知の歴史館3館で合同記念企画が打たれ……え?龍馬?あ、そうそう坂本龍馬もね(爆)。
えーとにかくまあ、そういうことで私としても(ささやかながら)中岡イヤーとして盛り上がってみたりしたのだが(笑)、続いて今年2008年は、

近藤勇没後140年!

…だったりする。あ、それから沖田総司も(汗)。
実のところ、中岡と近藤さんの死亡時期って、1年どころか半年も違わないんだけどね(涙)。
というより、慶応年間から明治初めにかけては幕末の有名人が大勢亡くなっているので、この数年はいろいろな人が没後140年を迎えることになるんだよね。
来年は土方歳三の没後140年だし。

というわけで今年から来年にかけて、新選組ファンにはちょっと特別な年になるかもしれない。
実際に何か特別な催しがあるかは、ちょっとわからないけど。
できれば、近藤さん関係の書籍でも出てくれると嬉しい。特に以前から発刊が待たれている(と半ば強引に決めつけてる・笑)近藤さんの書簡をまとめた本とかね。
あと、私的には今年の近藤勇忌は例年にも増して絶対はずせないな、と近藤ファンとしては気合が入るのであった(笑)。

沖田総司のブロンズ像

京都の霊山歴史館が、日本で初めて沖田総司のブロンズ像を制作したそうだ。

よかったシリコン製じゃなくて、と安堵したのは私だけではあるまい(爆)。

まあ総司は写真や正確な肖像が残っていないので、そこまでリアルな再現は不可能だしね。別に総司の毛穴なんか見たくもないし(爆)。
今回のブロンズ像は、文献や言い伝えをもとに居合道高段者の動きも参考にして剣士っぽい立ち姿を作り上げたそうだ。
高さ90センチという、ちょっと小ぶりの像らしい。
気になる…というか、聞き捨てならないのが製作者の彫刻家の方のコメントで、

「現代人が親しみやすいように当時の人物より頭を小さくした」(爆)

あのーすいません。
“当時の人物”って、要するにそれは近藤さんとか坂本龍馬とか中岡慎太郎とか……それから土方歳三のことも指してますか?(泣笑)
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