2015年01月04日

松山の掩体を保存する会

 松山市に残る飛行機掩体を保存してほしいという声は、大分前から有りましたが、行政当局は「市民の大多数が望んでいるものではないから、難しい」との見方をしていました。戦争体験者が多い当時でさえ、そのような状況であったのですから、行政の財政事情が悪い現在において、署名など従来と同じ方法で実現する事は、不可能ではないかと思います。
 私は、地権者の理解と許可を得る事が前提ですが、募金による掩体購入(本体及び関係要地)を目指す事が一番現実的ではないかと思います。掩体の購入と顕彰目的のNPO法人を設立する方向で模索したいと考えています。構想としては、全国からの募金で購入し、市史跡指定の条件付で松山市へ寄贈し、後は補修と顕彰活動を継続したいと思っています。
 会に参加希望の方、主旨にご賛同頂ける方は、池田(A6M5b-ZERO@softbank.ne.jp又は080-3166-6840)へご連絡下さい。
 なお、今年2月下旬に、343空偵察第4飛行隊の元搭乗員であった杉野富也さん(松山市在住)の誕生会及び話を聞く会を開催する予定です。杉野さんも「今後は、残りの時間を掩体の保存、顕彰活動に力を尽くしたい」と話しておられます。
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2015年01月03日

今年もよろしくお願いします

 昨年は外祖母が亡くなり、両親の祖父母が皆他界してしまいました。父も古希を越え、親が亡くなる友人も出始めるなど、親孝行と介護の必要性を感じています。一方、我が家では、私も37歳を迎えて人生の半分が過ぎた事を考え、また、長男が1歳7カ月を迎え、今後の半生の生き方を模索しています。
 さて、今年はアジア・太平洋戦争終結から70年を迎えます。
 元旦の愛媛新聞第5面に、松山市に残る飛行機掩体の記事が掲載されていました。
 大変遅い…いや、遅すぎるのですが、この掩体の保存活動を始めたいと思います。「松山の掩体を保存する会」(仮称)を考えています。私が実現したい事の一つに、掩体の説明版の設置を考えています。所有者と現使用者のご理解を得た上で、できれば、松山海軍航空基地の説明版を掩体前に設置したいです。
ehime1945 at 21:11|この記事のURLComments(0)

2014年04月06日

アメリカ軍資料の不十分さ

 愛媛県における、終戦後の日本軍の武装解除と残務整理復員についての資料は、陸軍が四国軍管区司令部による人員、武器・弾薬の集積地と数量の報告書、海軍が各部隊ごとの引渡目録(人員の報告書はありません)が存在しています。
 一方、占領軍であるアメリカ軍の資料は、日本側の資料の他に、集積地ごとの詳細な武器・弾薬・需品の数量と、処分日時や方法が記されています。
 愛媛県の場合、占領軍は、アメリカ陸軍歩兵第24師団(24th Infantry Division)で、最も詳細な記録は、同師団の参謀第2部定期報告書(G2 Periodic Report)ですが、アメリカ軍の記録にしては欠落が多く、現存しているものは、17、22、23、30、43〜59、61〜63号だけです。つまり、1〜16、18〜21、24〜29、31〜42、60号は現存していないと思われます(63号のうち、現存は24号)。もっとも、同師団の上部機関である第10軍団の参謀第2部定期報告書は、同師団の参謀第2部定期報告書の必要部分が記載されていますが、師団報告書には大きく及びません。
 第10軍団の参謀第2部定期報告書と第24師団の定期報告書を比較した時、例えば、日本軍の兵器弾薬集積所の記載では、第10軍団の資料は四国軍管区司令部の資料と同一で、愛媛県下では松山練兵場、新居浜、宇和島、吉野生の4カ所が記されていますが、第24師団の資料には、さらに多数の詳細な集積地が記載されています。第10軍団と第24師団資料の差異は不明です。しかし、肝心な師団資料の多くが欠落しているため、事実は不明です。
 例えば、当時、温泉郡北吉井村に駐屯していた第251飛行場大隊は、陸軍松山東飛行場の警備・補給任務を担当していた部隊です。各種の資料から、この部隊が保有していた地上兵器は松山市中心部の松山練兵場に集積され、10月24日に占領軍に引き渡されましたが、現地に集積された機体や燃料・弾薬は11月6日に引き渡されています。
 ここから、第10軍団資料に記載されている集積所は、地上兵器が集積された大規模なものであったけれど、それ以外の集積所で引き渡されたものも多かったのではないかと推測されます。
 しかし、それは、何度も繰り返しますが、資料が現存していないので、事実は分からないままです。

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2014年03月16日

大分、暖かくなってきましたね

 今年の冬は、寒暖が交互に入り、ずっと冷え込まなかったため、随分と過ごしやすかったように思います。これも温暖化なのですが、心地よい温度で段々と気温が上がり、気が付くと大変な事になっているような気がします。
 さて、小生は、長男・将暉がこの5月に一歳を迎えます。子供が産まれたら、一に仕事と家庭といいますが、その通りで、趣味には到底時間を割く余裕は有りません。小生の信条は、「細く、長く、しぶとく、ぼちぼちと」ですから、蝸牛が歩く速度で、進んでいます。尤も、野心は大いにあって、「太平洋戦争下、愛媛に造られた陸海軍飛行場について」「昭和20年8月15日以降、愛媛における陸海軍部隊の復員と残務整理」を、まず書きたいと思っています。
 あと、今年も「戦争遺跡保存四国シンポジウム」が開催されます。
 今年は、高知県南国市が会場で、5月31日(土)14時から記念講演とシンポジウム、懇親会が、6月1日(日)にフィールドワークが行われます。今年は、久しぶりに四国四県の報告があります。詳細は、次週掲載したいと思います。

ehime1945 at 20:27|この記事のURLComments(0)

2014年01月01日

映画「永遠ンの0」を観て

 12月31日に「永遠の0」を観ました。宮崎駿の「風立ちぬ」以来の映画鑑賞です。
 この映画で良かったところは、戦争を体験した世代が孫の世代に、戦争の事を話せて良かったという思いが伝わることです。
 また、
CGで再現された戦闘場面も良くできていましたが、特撮自体は実物、CG、ミニチュアを駆使した「俺は、君のためにこそ死ににいく」の方が出来が良かったと思います。
 ストーリーも良くできてはいましたが、創作なので、野暮ではありますが、ツッコミ所は多かったです。あと、原作にあった、主人公が愛媛県松山市在住の伊藤元中尉を訪問する場面がカットされていた事が残念でした。
 また、演出上、残念であったところは、予備学生が完全に垢抜けていた事(あと、練習航空隊のガンルームに一升瓶が置かれていたことが気になりました。)や、ラスト近く、現代の街に零戦を飛ばした場面は興冷めでした。


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2013年10月20日

陸軍永長飛行場

 ご指摘を受け、国会図書館の史料を調べたところ、当時の東宇和郡宇和町大字永長に造られた陸軍永長飛行場は、米軍は「UNO AIR FIELD」と呼称していたことが判明しました。「UNO」は「卯之町」からだと思われます。昭和20年8月10日にアメリカ軍の写真偵察を受けていて、300フィート×3000フィートという滑走路の規模からして、丹原飛行場と同様に、ほぼ完成していたことが分かります。
 これで、愛媛県内に陸軍が建設していた松山東、松山西、壬生川、永長の4飛行場は、全てアメリカ軍に把握されていた事が分かりました。


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2013年09月29日

細く、長く、しつこく、ぼちぼちと…

 私の信条は、「細く、長く、しつこく、ぼちぼちと…」です。
 家庭をもっても、子供ができても、戦時史の研究は続くのであります。
 というわけで、今年は久しぶりに防衛研究所へ行ってきました。わずかでしたが、貴重な史料を持ち帰る事ができました。
 歴史を調べている事の大半はそうだと思いますが、現存するのはほんのわずかな断片史料にすぎません。私の調査もまた然りです。
 わずか68年前の事です。例えば、陸軍部隊の場合、終戦後の焼却処分から生き残った史料の量と、終戦後の残務整理の為に作成された現存する史料の量が、大体同じくらいなのですから、驚きます。「戦争が終わってから作成されたのだから、きちんと残っているのでは?」という推測は、安易に否定されてしまいます。例えば、終戦後、残務整理のために、四国軍管区司令部が中央へ発信した電報(「四軍参電」)は、290通近く有ると推測されますが、実際に現存しているものは、20通も有りません。
 そのため、日本側の史料と、米軍側の史料をつき合わせないといけません。
 さらに、米軍側の史料も保存は十分ではありません。終戦後、四国占領を任務としたアメリカ陸軍歩兵第24師団の史料のうち、最も重要な参謀第2部の定期報告書も、松山に上陸する1945年10月分は全て現存せず、11月分も30日のうち5日分しか現存していません。
 従って、双方に現存しない部分は、永遠に空白のままなのです。

 今、まとめようとして、調べているものは、「太平洋戦争下、愛媛に造られた9カ所の軍用飛行場について」「昭和20年8月15日以降、愛媛における軍部隊の復員と武装解除について」の2本です。今までに先人がいない分野なので、可能な限り詳しくまとめたいと思います。

 あと、前者の「愛媛に造られた9カ所の陸海軍飛行場について」ですが、複数の米軍史料により、米軍は写真偵察によって、海軍飛行場3カ所、陸軍飛行場3カ所を終戦までに把握していたことが分かりました。
 海軍飛行場は、松山海軍航空基地(MATUYAMA  WEST )、西条海軍航空基地・逓信省愛媛航空機乗員養成所(NIIHAMA )、田野秘匿飛行場(TANOMURA 8月10日確認 )の3カ所で、竹ノ下(拝志)秘匿飛行場、菅田(上村島)秘匿飛行場の二カ所は未把握でした。
 陸軍飛行場は、松山西秘匿飛行場(KUME 5月16日確認)、松山東秘匿飛行場(TANOKUBO又はYOKOKAWARA 5月16日確認)、壬生川秘匿飛行場(TAMBARA 8月6日確認)の3カ所で、永長秘匿飛行場は未確認だったようです。
 米軍が写真偵察で認識した日本軍の秘匿飛行場は、写真偵察報告書第244号でまとめされているようですが、私は残念ながら確認できていません。

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2013年06月02日

戦跡保存四国シンポ

戦跡シンポ1 今年の戦争遺跡保存四国シンポジウムは、愛媛県八幡浜市で開催されました。
 初日の5月25日(土)は、佐田岬正野地区に現存する陸軍豊予要塞佐田岬砲台のフィールドワークに55名が参加しました。午後7時からはハーバープラザホテルで懇親会が開催され、25名が参加しました。
 二日目は8時10分〜9時まで八幡浜第一防空壕見学の後、出来たばかりの道の駅「みなっと」でシンポジウムが開催されました。シンポジウムは、^ι佳膤悗力妥勅博先生による「愛媛大学の平和学演習について」、高知の福井康人さんによる「高知海軍航空隊明見派遣隊に陣地遺構について」「高知海軍航空隊耐弾通信所遺構について」、0吠町郷土館の高嶋賢二学芸員の「佐田岬半島の戦争遺跡について」の発表があり、約40名が参加しました。

 今度のシンポジウムは、事務局を担当して頂いた岡崎直司さんの努力と、八幡浜市のみなさん(みてみん会、幸会など)のご理解とお世話によるものです。本当に、暖かなおもてなしを頂きました、心から御礼申し上げます。ありがとうございました!

ehime1945 at 11:14|この記事のURLComments(1)

近況報告です

 去る5月17日(金曜日)に長男が誕生しました。
 予定日の一週間前で、男の子でした。
 名前は昨年から本を読んで、色々考えていましたが、仝賚い領匹(濁音を避ける。平仮名で3文字。明瞭な発音ができる)。∈Iの名前は避ける。L昌譴箏鼠道(「空」「海」「速」「強」など)は避ける。じ亀い蔽砲了劼砲覆辰討曚靴ぁという思いを込めて、「将暉」(まさき)と命名しました。
 退院後、一か月間は妻の実家でお世話になっています。

 疲れず、一生懸命、ぼちぼち頑張ろうと思います。

 よろしくお願いします。
 

ehime1945 at 10:58|この記事のURLComments(0)

2013年03月12日

大変ご無沙汰をしています

 大変ご無沙汰をしております。
 5月に子供が生まれるので、その準備をしたり、家事をしたり、実家の片づけをしたりなど、忙しい日々を送っています。「時は金なり」「光陰矢の如し」と言うのでしょうか?結婚をしてからというものの、飛ぶように時間がすぐ去っていくように思います。とはいえ、趣味は後回し…というか、「家事を楽しまなくては」という状況です。
 さて、今年も5月最終の土日に、戦争遺跡保存四国シンポジウムが開催されます。フィールドワークは伊方町の旧陸軍豊予要塞遺構で、シンポジウムは八幡浜市で行われます。
 でも、今年は妻の出産予定日が5月末なので、残念ながら、欠席です。多分、参加したら、後が怖いだろうなぁ(笑)。あっ、子供は男の予定です。
 あと、今年は、零戦の主任設計技師・堀越二郎を主人公にした宮崎駿監督の新作アニメ「風立ちぬ」、戦時中の中学生の青春を描いた「少年H」、元零戦搭乗員を描いた「永遠の零」が公開されます。楽しみです。

ehime1945 at 21:51|この記事のURLComments(1)
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