今日は、一ヶ月ぶりに、カトリックの神父様に質問して来ました。
8月はお休みと言うことだったので、今日は久しぶりの入門講座の再開です。
ということで、今日は私以外にも、女性が一人、入門講座に参加されていました。
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女性は私より少し年上っぽい、Mさん。
髪はくすんだ緑色で、カラコンとマツエクばっちりの、見た目は派手派手なオネエサンでしたが、話をすると、すごく純粋そうな方でした。
Mさんは、今まで4回ほどミサに参加しているそうですが、このたび洗礼を受けたくて、入門講座に参加することにしたそうです。
なぜ洗礼を受けようと思ったのかを質問すると、Mさん曰く「今までも何かあると、とっさに神様に祈ることが多くて、友達もカトリックだし、何度かカトリックのミサに参加してみて、洗礼を受けようと思った。」そうです。
他にも、プロテスタントのミサにも参加してみたそうですが、カトリックとはだいぶ違うと言っていました。
「聖書ももらったけど、まだ少ししか読んでないんです~(*^ ^*)」と、カトリックのお友達からもらったと言う、新約聖書を見せてくれました。
私は、Mさんが洗礼を受けたいという気持ちをもう少し聞きたかったのですが、お互いにすこし話をしたところで、神父様が登場したので、とりあえず冷たい麦茶をいただいてから、神父様に質問することになりました。
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さて、今日の私の質問は、「聖書には、死んだらシェオルやハデスに行くと書かれていますが、カトリックでは地獄や救いはどのように考えられていますか?」というものです。
それについて、神父様は、このように話してくれました。
まず、死んだら、魂が体から自由になった状態と言うのが、プラトンなどの時代の哲学者たちの考えだということと、哲学者たちは、地獄が存在するとか、そういうことは考えていないと言うこと。
次に、イエスの話の中に、ラザロが天にいるアブラハムを見て、「水をください」と頼んだとき、天と地獄の間では、距離があることを示していた話があるので、「もしかしたら、天国と地獄には、本当に距離があるのかもしれない」とのことでした。
それから、「死んだ人は、神の懐に入れられる」という聖句があることなどから、カトリックでは『死んだら終わり』ではなく、「死んだ後に、神に近づく」という考えのようです。
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次に、救いについても話してくださいましたが、私にとって、ここが今日一番のビックリポイントでした!!!
まず、「なぜ、神父は独身なのか」について、こう話されました。
F神父:「人々は、神を信じていなくても、毎日けなげに、一生懸命生きているわけです。神を知らなくても、人のために生きている人もいる。そういう人は、実は『神に(親切に)しているのだ』と言うことを知らないんです。そういう人たちに、私ら神父はもっと神のことを人々に伝えなければならない。
そのために、今の命の先にあるもの、死んでから先の神様との関係を信じているので、普通は家庭を持ったり、子供をもうけたりするわけだけども、そこに幸福を見出すのではなく、もっと先にある、神の約束を信じているわけです。」
私が「それは、死後に天国に行くということですか?」と聞くと、次にこのような話をしてくださいました。
F神父:「人が死んだとき、まだ体が焼かれる前ね。死んですぐのときに、神様がその人に現れるんです。『私がソレだ。』とね。」
りん:「それは、洗礼を受けた人だけですか?神様を信じていない人は、死んですぐに地獄に行くんですか?」
F神父:「いえいえ、違いますよ。神は、仏教徒でも、ほかの宗教でも、誰でも、神を信じていない人にも、『自分が人間も、ほかの全ても作った神だ』と言うことを示すために、全員に現れるんです。」
りん:「え?全員にですか?それまで神をぜんぜん信じていなかった人にも?」
F神父:「そうですよ。イエスは全ての人を救うために、犠牲になったんです。カトリック信者だけを救うためではありません。」
りん:「え?では、洗礼を受けていなくても、死んだ瞬間に神が現れて、信じれば救われるんですか?」
F神父:「そうですね。神は、死んだ全ての人に、自分に招き入れるために、現れてくださるんですよ。そこでね、僕は思うんだけどね、それまで神を信じていなくても、目の前に神が現れたら、信じずにはいられないんじゃないかな~と思うのね。」
りん:「確かに、そうですね。もう、目の前に神様が現れたら、平伏するしかないですよね。」
F神父:「ふふふ。そうでしょう?だからね、『全ての人を救う』という神の思いは、そうなると僕は思っていますよ。」
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私は、カトリックの教えを誤解していましたね~・・・∑(*゚ェ゚*)
私が個人で聖書を読んだ感想では、『生きている間に、神の存在と、イエスの贖いを信じるものは救われ、信じないものは地獄行き。なぜなら、イエスが奇跡を起こしたことを信じないのが悪いから!』という感じなのかと思っていました。
でもまさか、死んだ瞬間に神様が一人一人に現れて、『私が神だ!』って教えに来るとは思わなかった!!!!
そして、そのときに神を見て、信じれば救われるなんて・・・!!!!
神父様いわく、それが『神はキリストを通して、全ての人を救う』ということらしいです・・・
Σ(0ω0´●)ビックリ☆
なんだそれ~~~~!!!!!!
聖書にそんなこと書いてたっけ????
確かに、『神はキリストを通して、全ての人を救う』とか何とかは書いてあるけど、死んだ瞬間に神様が、人類全員に現れるなんて、聞いたことないよ~~~~!!???
でも、ローマカトリックで長年修行してきた神父様が言うんだ!!!
間違いはなかろう!!!!
カトリックでは、きっとそういう教えなんでしょう!!!!
ただ、残念なのは、私はそういう信仰が全くないので『今は神がいるとは思えないから、自分が死んだときに本当に神に会ったら、その時に神を信じたらいいじゃん?』とか思ってしまいました
(* ̄ー ̄*)ニヤリッ
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あ~、こんなんだから、私は素直に信仰心とか持てないんでしょうね~・・・(´・ω・`)しょぼん・・・
そのあと、『次回からはこの本をやりましょう』と、神父様お勧めの本を見せていただいたので、ここでご紹介しておきますね。
これは、聖書の内容ではあるんだけども、ラテンアメリカでラジオドラマが放送されたときの本だそうです。
来週から2週間は、神父様の都合でお休みですが、3週間後から、この本を読んで学んでいくそうなので、どんな話になっているのか、私も今から楽しみです。
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ということで、今日はここまで。
次回は、Mさんと一緒に、この本から学んで、いろんな新発見があるといいな~と思っています。
それでは、次回もまた、おたのしみに~!
ヽ(≧▽≦)ノ
8月はお休みと言うことだったので、今日は久しぶりの入門講座の再開です。
ということで、今日は私以外にも、女性が一人、入門講座に参加されていました。
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女性は私より少し年上っぽい、Mさん。
髪はくすんだ緑色で、カラコンとマツエクばっちりの、見た目は派手派手なオネエサンでしたが、話をすると、すごく純粋そうな方でした。
Mさんは、今まで4回ほどミサに参加しているそうですが、このたび洗礼を受けたくて、入門講座に参加することにしたそうです。
なぜ洗礼を受けようと思ったのかを質問すると、Mさん曰く「今までも何かあると、とっさに神様に祈ることが多くて、友達もカトリックだし、何度かカトリックのミサに参加してみて、洗礼を受けようと思った。」そうです。
他にも、プロテスタントのミサにも参加してみたそうですが、カトリックとはだいぶ違うと言っていました。
「聖書ももらったけど、まだ少ししか読んでないんです~(*^ ^*)」と、カトリックのお友達からもらったと言う、新約聖書を見せてくれました。
私は、Mさんが洗礼を受けたいという気持ちをもう少し聞きたかったのですが、お互いにすこし話をしたところで、神父様が登場したので、とりあえず冷たい麦茶をいただいてから、神父様に質問することになりました。
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さて、今日の私の質問は、「聖書には、死んだらシェオルやハデスに行くと書かれていますが、カトリックでは地獄や救いはどのように考えられていますか?」というものです。
それについて、神父様は、このように話してくれました。
まず、死んだら、魂が体から自由になった状態と言うのが、プラトンなどの時代の哲学者たちの考えだということと、哲学者たちは、地獄が存在するとか、そういうことは考えていないと言うこと。
次に、イエスの話の中に、ラザロが天にいるアブラハムを見て、「水をください」と頼んだとき、天と地獄の間では、距離があることを示していた話があるので、「もしかしたら、天国と地獄には、本当に距離があるのかもしれない」とのことでした。
それから、「死んだ人は、神の懐に入れられる」という聖句があることなどから、カトリックでは『死んだら終わり』ではなく、「死んだ後に、神に近づく」という考えのようです。
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次に、救いについても話してくださいましたが、私にとって、ここが今日一番のビックリポイントでした!!!
まず、「なぜ、神父は独身なのか」について、こう話されました。
F神父:「人々は、神を信じていなくても、毎日けなげに、一生懸命生きているわけです。神を知らなくても、人のために生きている人もいる。そういう人は、実は『神に(親切に)しているのだ』と言うことを知らないんです。そういう人たちに、私ら神父はもっと神のことを人々に伝えなければならない。
そのために、今の命の先にあるもの、死んでから先の神様との関係を信じているので、普通は家庭を持ったり、子供をもうけたりするわけだけども、そこに幸福を見出すのではなく、もっと先にある、神の約束を信じているわけです。」
私が「それは、死後に天国に行くということですか?」と聞くと、次にこのような話をしてくださいました。
F神父:「人が死んだとき、まだ体が焼かれる前ね。死んですぐのときに、神様がその人に現れるんです。『私がソレだ。』とね。」
りん:「それは、洗礼を受けた人だけですか?神様を信じていない人は、死んですぐに地獄に行くんですか?」
F神父:「いえいえ、違いますよ。神は、仏教徒でも、ほかの宗教でも、誰でも、神を信じていない人にも、『自分が人間も、ほかの全ても作った神だ』と言うことを示すために、全員に現れるんです。」
りん:「え?全員にですか?それまで神をぜんぜん信じていなかった人にも?」
F神父:「そうですよ。イエスは全ての人を救うために、犠牲になったんです。カトリック信者だけを救うためではありません。」
りん:「え?では、洗礼を受けていなくても、死んだ瞬間に神が現れて、信じれば救われるんですか?」
F神父:「そうですね。神は、死んだ全ての人に、自分に招き入れるために、現れてくださるんですよ。そこでね、僕は思うんだけどね、それまで神を信じていなくても、目の前に神が現れたら、信じずにはいられないんじゃないかな~と思うのね。」
りん:「確かに、そうですね。もう、目の前に神様が現れたら、平伏するしかないですよね。」
F神父:「ふふふ。そうでしょう?だからね、『全ての人を救う』という神の思いは、そうなると僕は思っていますよ。」
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私は、カトリックの教えを誤解していましたね~・・・∑(*゚ェ゚*)
私が個人で聖書を読んだ感想では、『生きている間に、神の存在と、イエスの贖いを信じるものは救われ、信じないものは地獄行き。なぜなら、イエスが奇跡を起こしたことを信じないのが悪いから!』という感じなのかと思っていました。
でもまさか、死んだ瞬間に神様が一人一人に現れて、『私が神だ!』って教えに来るとは思わなかった!!!!
そして、そのときに神を見て、信じれば救われるなんて・・・!!!!
神父様いわく、それが『神はキリストを通して、全ての人を救う』ということらしいです・・・
Σ(0ω0´●)ビックリ☆
なんだそれ~~~~!!!!!!
聖書にそんなこと書いてたっけ????
確かに、『神はキリストを通して、全ての人を救う』とか何とかは書いてあるけど、死んだ瞬間に神様が、人類全員に現れるなんて、聞いたことないよ~~~~!!???
でも、ローマカトリックで長年修行してきた神父様が言うんだ!!!
間違いはなかろう!!!!
カトリックでは、きっとそういう教えなんでしょう!!!!
ただ、残念なのは、私はそういう信仰が全くないので『今は神がいるとは思えないから、自分が死んだときに本当に神に会ったら、その時に神を信じたらいいじゃん?』とか思ってしまいました
(* ̄ー ̄*)ニヤリッ
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あ~、こんなんだから、私は素直に信仰心とか持てないんでしょうね~・・・(´・ω・`)しょぼん・・・
そのあと、『次回からはこの本をやりましょう』と、神父様お勧めの本を見せていただいたので、ここでご紹介しておきますね。
これは、聖書の内容ではあるんだけども、ラテンアメリカでラジオドラマが放送されたときの本だそうです。
だから、表紙のイエスのイメージ写真もラテン風だそうで、F神父様は、これがいたくお気に入りだそうです( ´艸`)
来週から2週間は、神父様の都合でお休みですが、3週間後から、この本を読んで学んでいくそうなので、どんな話になっているのか、私も今から楽しみです。
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ということで、今日はここまで。
次回は、Mさんと一緒に、この本から学んで、いろんな新発見があるといいな~と思っています。
それでは、次回もまた、おたのしみに~!
ヽ(≧▽≦)ノ